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hasunoha 問答検索結果 : 「私 地獄 地獄」
検索結果: 1842件

輪廻転生が怖い嫌

こんにちわ、またまたご相談です。 現在、私は引きこもりのような生活をしています。理由としては人間関係で色々とあって、精神的にも疲れきってしまい人と関わるのが怖くなったからです。 親に「外に出ろ」と言われますが、私は何かを強制されるのが嫌いな部分があるので反発してよく喧嘩を起こしてしまいます。 今は落ち着いてきており、私もいけなかった部分があるんだろうなと思うようになってきました。だけど、そのせいなのか、前にご相談した通り自分の嫌な所ばかり思うかんで自己嫌悪に落ち込んだり、マイナス思考に落ち込んだりしています。 今度は地獄の次には輪廻転生について恐ろしく感じる様になりました。 もし来世があるとしたら正直に言ってもうこの世には生まれたくないという気分になっております。 昔にもそんな事を考えた事があって、死を怖がったり生まれ変わりがあるのなら動物になるのも虫になるのも嫌だなと思った事があり、人の事は言えませんが人間に酷い目にあわされている動物を見て気分が悪くなって、こんな目に合うのは嫌!怖い!と思ったりしました。 生まれ変わるのなら人間が一番いいと言われてますが、人間だって必ずしも平穏な環境で生まれるとは限らないし、人間同士だって諍いがあるし、人を人だと思わないような人間だっていますし。 転生してしまえば記憶がなくなって別人になると言われてますが、それも正直に言って怖い。今いる自分自身が消えてしまうと考えるととても怖くて仕方ない。 地獄も怖いけれど、転生も怖い。 今まで他人事のように感じていた物が急に恐ろしくなり、だからもし、死後の世界があるとしたら、転生などせずただ穏やかでありつづけたいと思い、本当に自分勝手だと思いますが、もし本当にお釈迦様がいるのなら、もう、この世に輪廻させないでください。苦しいのも怖いのも痛いの嫌です。自分が消えてしまうのが怖いですと言いたい気分になりました。 自分の人生の中には楽しい事もありましたし、生きていれば考え方など変わると思いますが、今はこういう考えをしてしまい気力が削れ恐怖心でいっぱいになったりします。 前に進まないといけないのに、前に進むのが怖くて仕方のない状態で自分の身勝手さになんだかなと思い、こう考えるのに何の意味があるのでしょうか。 私はなんで生まれて来たのかと悩みばっか思い浮かんでしまいます。

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2024/07/25

不倫に見る仏教の教義の矛盾について

私は先日タイに旅行に行き、時獄寺と呼ばれる仏堂を拝観しました。タイの仏教観では、「浮気をした者は地獄で無頭人になる」とされているようです。 (URL参照) https://tabizine.jp/2018/12/06/222695/ さて、私は浮気や不倫を完全に悪だとは考えていません。 もちろん相手が避妊を怠って他の男と子供を作ったとか、それが原因で別れ話を切り出すとか、金銭的・法的なトラブルを起こした等となれば話は別ですが、そのようにせず、単に恋愛やセックスを楽しむ範囲においては、当人の好きにしたら良いと考えます。 自分が浮気や不倫をされても、そのように考えます。 どうやら仏教では、このような考え方は邪淫とされ、徳の低い行為と見做されるようです。 しかし、これはよくよく考えるとおかしな話です。 仏教では基本理念として諸行無常が説かれています。 万物は常に移ろいゆく、これは人間如きが抱く恋愛感情だって同じはずです。 この「人間の気持ちの諸行無常性」を肯定するのであれば、「浮気や不倫というのはごく自然と起こり得るもの」と考え、いざ自分が浮気や不倫をされた時でもそれを受容する事こそが、徳の高い考え方であると思います。 私の考え方は間違っていますか?

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毒もみのすきな署長さん

という、宮沢賢治の童話があります。 署長さんが赴任した町には、禁じられた漁法があります。その一つが毒もみで、自然由来の材料で作った有毒な薬を川に浸すなどして、浮いてきた魚を獲る方法です。署長さんは町の人たちを取り締まり、いかにも職務を全うしているかのように装いますが、ある日、こっそり毒の材料を取引しているところを町の子供に見られてしまいます。町の大人たちは真偽を確かめようと、署長さんに詰め寄ります。署長さんは憤慨し、名誉にかけて犯人を捕まえると約束。しかし、皆が当てはあるのかと問うと、ちゃんと証拠はあると言い、町長さんの前にずいと顔を突き出して、こう告げます。 「実は、毒もみは私ですがね」 かくして、署長さんはお縄頂戴となり、死刑が確定。そして、いよいよ死刑執行のその時、彼は笑ってこう言いました。 「ああ、面白かった!俺、毒もみだーい好き!今度は地獄でやろっかな」 皆はすっかり感服しましたとさ。おしまい。 という話なんですが、人は誰しも「分かっちゃいるけど、やめられねえ~アホレ~スイスイスイ~♪」ってことが、よくありますよね。その理由は自己を客観的に見れない切なさに起因していると思いますが、例え、見れても根源的な欲求が満たされない限りは苦しむ。 その根源的な欲求とは「生きる意味」ではないか。そこがそもそも欠落しているから変なことをし、そして、これをどう捉えるかで人生が変わる。後付けでその理由を作った人、にっちもさっちもいかずに道元禅師を尋ねた人、何かに夢中になることで考える暇をなくした人。色々、居ます。どれを選ぼうが本人の自由で、また、それ故に人を愛し、人を傷つけ、妬み憎んで七転八倒。それを糧にして物を作ったり、歌ったり、ままならぬ人生の詩を詠んで何とか生き抜き、それが今度は他者を慰める糧となる。 大事なのは、覚悟を持って挑めるかどうか。誰が何と言おうが、坊さんに叱られようが「ああ、面白かった!次は地獄で!」と腹くくって言えるなら、それでいいじゃないの。 「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言いますが、我々は圧倒的に愚者。経験に学ぶしかない。大事なことはスムーズには進まないし、簡単には伝わらない。だから、お坊さん怒らないで。皆、助言には感謝しているけれども、対等な姿勢を示さないと逆効果だと私は思うのです。 ※言葉足らずだったら後で補足します。

有り難し有り難し 87
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頭がおかしくなりそうです

前にも似た様な質問を行いましたが、また、その時の恐怖が出てきました。 仏教では輪廻転生の教えがありますよね。死後に自分の行いや業によって六道のどれかに落ちるという。 前に仏教は今をどう生きるかを説いている、死後の事は分からないというお答えを貰いました。 だけど、折角お答えを貰ったのにまた生まれ変わりに対して恐怖が出てきたのです。 私はまだまだ自分の人生を生ききっていない二十代の小娘です。 だけど、来世を恐れ、来世を心配するという考えに取りつかれています。 来世が動物や虫になってしまったら、どうしよう。それで酷い目に会ったらどうしよう。怖い目にあったらどうしよう。 運よく人間に生まれ変わっても、今の様に平凡だけど幸せな環境のようば場所じゃなくてテレビいえ、私が知れないだけで想像も絶するような場所に生まれたらどうしよう。 もし、そこで酷い目に会ったらどうしよう、非人道的な扱いを受けたらどうしよう、誰かに殺されたらどうしよう。悪人になってしまったらどうしようという考えが頭の中をぐるぐると回り、自分が酷い目にあっている所まで想像してしまいます・・。 別にそんな目にあいたくないですし、本当に嫌です。 こんな事を考えても仕方ないし、今の心配をしろよですし、来世だから今の私の自我があるかどうかも分かりません。だけど、こんな目にあいたくないという気持ちが強く出ているのです。未来の私かもしれないという考えがあるのかもしません。 こんな目にあいたくない。こんな目に合う位なら死にたくない。 死後の地獄も嫌。死んでも自分が消えるのも嫌。 死んだらもう、この世に生まれ変わりたくない。人間にも動物にも虫にもなりたくない。死後の世界があるのならただ穏やかでありたい 嫌だ!嫌だ!嫌だ!とか心の中で叫んだり あれ?私はこんなに信心深い方だったけ?私は何の為に生まれたの? この世は魂の修行場だと聞いたけれど、そんなの誰が決めたんだ、苦しいのは一回きりで十分なのに、という考えが自分の中になってそれで体調が悪くなったり気分が沈み胃が荒れている状態です。 もしくは引きこもっているから、こんな事を考えてしまうのか、精神的にはおかしくなっているのでは・・と思います。 折角頂いたお答えもあるのにどうにかしたいけれど、またこんな調子になってしまい解決策が見出せない状態です・・。

有り難し有り難し 97
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2023/07/06

生きるメリットを見出せません。

生きる希望を見出せません。 なぜ、希望のない日々を苦しく生き続けなければならないのですか? なぜ、自死という救済行為を許してくれないのですか? . 現在、うつ病の治療中です。 食事は味がしなく、趣味を楽しめず、睡眠もまともにとれません。 前職もうつ病が原因で退職し、1年近く無職です。 身体は思うように動かず、引きこもりの日々。 目に見えて身体機能は低下し、ほんの少し歩いただけで身体が悲鳴をあげる始末です。 受給している雇用保険も間もなく給付期間が終わり、収入の当てがなくなります。 . 離れて暮らしている親に金銭援助のお願いもしてみました。 なんとか援助をしてもらうことはできたけれど、明らかに渋られました。 そして、 「この状態が続くようなら実家に帰ってこい」 「お前も辛いのかもわからないが、世の中にはもっと辛く苦しい状況に耐えて頑張ってる人がたくさんいる」 「辛くても一歩踏み出せ」 という、おありがたい正論もおまけについてきました。 . 実家に帰ろうものなら、3日と立たず実家のマンションの屋上から身投げしてしまいそうです。 それほどに実家は地獄です。 身体的な暴力を振るわれたわけではありません。 家から追い出されたり、食事を抜かれたりということもありません。 幼少期から厳格に育てられ、いい大学に入り、いい企業で働くことを期待していた、世間一般健常者様から見れば極めて「普通」の家庭でしょう。 けれど私にとっては地獄でしかありません。 実家は、恐怖・罪悪感の象徴です。 兄弟はこの国を支える立派な職に就き、結婚をし、子宝に恵まれ、立派な家を建て、幸せそうに暮らしています。 . 自分だけがこの家族の不良債権なのだと、どうしても考えてしまいます。 . 強い人はこんな私を見て 「悩んで苦しんでいるふりをして構って欲しいだけの甘ちゃんだ」 と断じます。 きっとその通りだと思います。 . そんな甘ちゃんがこの世にいることで誰も得などしません。 逆に言えば、そんな私がさっさと退場することで誰が損をするのでしょう。 . 行動に移せないながらも、日々自死について考えてしまいます。 場所はどこにしようか、方法はどうしようか。 今いるアパートを事故物件にしないようにどうするべきか、等々・・・ . それでもまだ生きなければなりませんか。 生きるという刑罰がずっと続くなんて耐えられません。

有り難し有り難し 6
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「出生」に前向きな考えが持てない

初めて質問させていただきます。 私はいわゆる結婚や出産の「適齢期」と言われる年齢の女性ですが、そういったことに全く前向きになれません。 過去に信頼していた男性に裏切られた経験から男性不信になっていることも理由のひとつですが、子供を親のエゴでこの世という「地獄」に送り出すことが残酷だと考えているからです。 この世に生を受けて三十年余りですが、毎日この世は地獄だと思って生きています。 もちろんポジティブな感情を持つような楽しい時間が全くないわけではありませんが、それは一時的な快楽にしかすぎず、基本的には苦しみがあるだけです。 それに加えて、自分には何の価値もない、この世から消えてしまいたい、一刻も早く自分の存在を誰の記憶からも消してしまいたいという気持ちが、数年前に心を病んだ時からずっと胸の中にあります。 時には、生まれてこなければこんなに苦しまずに済んだのにと、私を生んでくれた両親を恨みたい気持ちになることさえあります。 今生きているのは、家族が私が生きることを望んでいるからで、私自身は人生に希望や目標もなく、ただ死ぬまでの間惰性で暗い下り坂の人生を歩んでいる感じです。 改めて考えると、出産というのは、この希望もない地獄のような世の中へ愛する我が子を送り出すという行為です。 自分でもおかしな考えなのかもしれないと思っている一方で、生まれてくることを選べない子どもにとって強制的にこの世という地獄に送り出されることは残酷なのではないかと思ってしまうのです。 そうした私の気持ちを知らない家族は「そろそろ結婚しないの?」等と安易に聞いてきますが、私の気持ちを説明しても理解してくれるどころか悲しませてしまうのではないかと思って黙っています。 私が結婚や出産の選択をしないにしても、周囲の友人が結婚や出産をしているなか、この出生そのものを否定するような考え方は健康的ではないように思います。 「生まれること」「生きること」について何か前向きになれるようなお言葉があれば教えていただきたいです。

有り難し有り難し 20
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不謹慎な事を思ってしまう

私は、死後の世界(地獄)に行く事が怖くなり、仏教に巡り合いました。 しかし、私は、昔から疑心暗鬼に なってしまう性格なので、仏教の教えにも疑いを示すことが、度々ありました。 そこからなのか、私は、神仏の皆様に、大変心無い言葉を思い浮かべたり、素晴らしい「南無阿弥陀仏」を罵倒するような事をおもったり、神社などに行くと、爆発が起こるような不謹慎極まりない、 残酷な妄想をしてしまいます。 もちろん、失礼な事をしてしまった自覚はあるので、思い浮かべたら、仏壇や、神棚に向かって懺悔をして、前を向こうとするのですが、その懺悔をした後でも、思い浮かべてしまったりして抑え込めないようになりました。 もちろん辞めたくて、自分にこれ以上したら地獄に落ちるぞと、言い聞かせているのですが、ふとした時に思い浮かべてしまいます。 毎日毎日同じような罪を犯してしまう自分は、愚かで、自分に甘すぎるといつも思います。 もうこうなってしまったので、 確実に地獄に落ちてしまうことを 考えると、日常生活どころでは、 なくなりました。 いつもこんな自分の心に落胆し、 絶望しています。 こんな私は、助かるのでしょうか? どうすれば、こんな心を制御できるのでしょうか? 大変烏滸がましいですが、こんな私に助言を頂けないでしょうか?

有り難し有り難し 27
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兄を許せない

私には3つはなれた兄がいます。とても仲がよく、人にも自慢できるような立派な兄でした。 大学卒業後兄は遠くに就職し、私も実家から1時間ほどのところへ就職し一人暮らしを始めました。しばらくして、父も単身赴任になり実家には母1人という状況になってしまいました。 同じ頃、運悪く祖母が倒れ、祖父も後を追うように亡くなりました。書けばあっさりしたものですが、2年半ほどかかったと思います。祖母、祖父の介護、家に誰も支える人がいない事により母は少しずつ壊れてゆきました。私もなんとかせねば!と、毎週家に帰り母を支えようとしたのですが力不足でした。高校卒業後就職したので、その頃はまだ10代のひよっこ。鬱病により荒れる母をどうすることもできませんでした。病院も嫌がり、怒鳴り散らし、泣きわめく…心の病とはいえ今思い出しても地獄のような有様でした。それでも、私しか近くにいないため、毎週母を訪ねました。父は鬱病などは甘えてるだけだ!と言うような昭和の男だったため、相談もできず。ついに限界にきた私は兄に助けを求める電話をしました。心配かけまいと、最後の手段にとっておいたのです。 すると兄の口から衝撃の言葉を発せられたのです。「子供ができたからそれどころじゃない」 おめでたい事だとは思いますが、その頃兄は結婚しておらずいわゆるできちゃった婚です。兄を可愛がっていた母の病状は衝撃により更に悪化しました。 何度か母のことについて話し合いを求めましたが、兄は子供が産まれることや家族を持つことに手一杯で、こちらの言葉に耳を傾ける事なく酷い言葉ばかりはきました。頼るべき家族を全て失ったのです。 「私しかいないんだ」歯を食いしばり、母の暴言に耐え回復まで支え続けました。何年かして、母は落ち着いたもののあの時の事を覚えていません。病気だったので仕方ないでしょう。ただ、私にはあのときの地獄が今でも昨日の事のように思い出されます。そして、見捨てられた絶望から抜け出せずにいます。 母は「兄弟なのだから仲良くしてほしい」と言うものの、とてもそんな気になれず盆正月に兄が帰ってきてもここ数年私が避けてしまっている状態です。 数ヶ月前私の娘が亡くなった事により、兄はまた元の優しい兄のように親しく言葉をかけてきますが正直また裏切られるのでは?との思いから、信用できません。どうしたら、兄を許す事ができるでしょうか?

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

死後みんな仏さまになって同じ世界に生きるのでしょうか

私の父は僧侶をしていました。 真宗の小さなお寺で、職業とは別で兼業していました。 でも、父は酔うと人に暴言を吐いたり、よそで女の人つくったり、言えないくらい、家族に迷惑ばかりかけていました。 私は母と家を出て、今は嫁いで家庭を持っています。 そんな父が急に亡くなりました。 僧をしていたので、父は「仕事」としてお経はあげていました。 悪人正機というのは、悪人であることを自分で認めた凡夫だからこそ救われると聞きました。 悪人であることを最後まで認めなかった父も、救われて仏さまになっているのでしょうか。 でも『地獄と極楽』という絵本を小さい頃読みました。 あの絵本では、生前ひどい人は地獄で苦しんでいました。 もう一つ、仏さまになったとして、その後どのように生活?するのでしょうか。 よく、私たちを見守って導いてくださる、と言いますが、この世でのつながりが深かった人のところに行き導くのでしょうか。 もし私が往生したら、父と同じ世界に行き、また娘としてくらすことになるのでしょうか。 とりとめなくすみません。 父の死も、生前の行いも、もう昔のこととして受け入れていますが、仏教の教えでは、このあとどのように生きているのか気になりました。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 61
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2023/06/12

生きていたくないです。

どこかで「人間は躾けられた肉」と聞きました。 (「地獄」という概念を作ったのは躾けられない肉に対しての犯罪などへの抑止力だったりするのでしょうか。) 私は他と比べても人間としてよく躾けられた肉だと思います。私の色んな事への罪悪感は、躾けがうまくいっている証拠であると気付きました。 躾けなんてされなかったら少なくともこんな大きな罪悪感は抱かなかったはずなんです。 正義も悪も、「誰かにとって」でしかないのに、それを押し付けられて自分のものにさせられて、それに苦しめられます。 でもそれがなければ社会は回らないし平穏はないというので皮肉な話です。 道徳だ善悪だなど馬鹿げた事をと過去の自分を笑い飛ばしてやりたいのですが、私のものにされていた倫理感が罪悪感となって襲ってきます。 今、心に余裕が無いです。毎日泣いています。食欲もないしずっと眠っていたいです。相談文も冷たい書き方になっているかもしれません。不快な思いをさせたら申し訳ありません。 今私を支えているものがなくなったら死ぬつもりです。新たな支えは探しません。代わりがあるという証明になるからです。 (支えというのは最近8周年を迎えたゲームの事です。プレイヤーに寄り添ってくれるんです。ただのデータ。それでも私の命綱です。) 今までの盗みや殺しや心を傷つける事を、「罪悪感を感じると正常な事」「恥ずべき事」「悪い事」だとして躾けられなければ、もっと言えば生まれてこなければ苦しまなかった筈なんです。 私は自分を許せません。だから罪悪感は一生背負うことになります。もう自分を恨む事しかできない。 沢山の魚を怠惰と過信で死なせてしまったので、もう魚は飼いません。猫を飼って猫の自由を奪っているのでもう飼いません。 トカゲを炙り殺したのでもう小さな生き物に触りません。悪口を言って自分を苦しませたのでもう言いません。 どれも取り返しがつかないでしょう。ほら、やはり自分を憎むしか無いんです。もうやらないったって全てが元に戻るわけじゃ無いんです。 地獄はいいですよね、もう誰も傷つけないで済むのですから。 私はもう何をどうしたらいいのでしょう。どんな大きな罪悪感を背負っても何に祈っても何の得にもならないのに、誰も救われないのに、なくなった命は帰ってこないのに。 乱文で申し訳ありません。答えて欲しいのは最後の質問です。

有り難し有り難し 4
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宗派による死後の世界の違い

いつも多くのお知恵をありがとうございます。 今日は仏教のことで疑問に思う点があり、質問を失礼します。 仏教と一口に言っても、多くの宗派があるのですが、 死後すぐに仏となり極楽へ。 という宗派や、閻魔様の裁きを受ける。とする宗派もあります。 生まれてから死ぬまで、ずっと一つの宗派で、一族皆が同じ宗派であれば良いのでしょうが、 親戚であったり、知人であると宗派はどうしても変わってきてしまいます。 その際考えるのが、 私の死後に行く世界は、 相手の方のいく世界とは異なっており、 あの世で再会することは叶わないのではないか。 一方は四十九日と言わず極楽へ行かれ、一方は裁きを待ち、地獄へといくかもしれない。 などといった具合です。 実際にあった事例としては、法要の時に「今彼女は輪廻のためにあの世で修行をし、乗り越えているところです」というような説法を受けたのですが、別の宗派ではそうではないのだろうな。と、思ったような事です。 実際には死んでみないと分からないことなので、考えても仕様のないことだとは思うのですが。 お坊さまの皆さまは、こういった宗派による教えの違いにから生じる、死後の世界の違い(四十九日の捉え方、三途の川を渡る渡らない)など、どうお考えになられているのだろう。と、質問を失礼しました。

有り難し有り難し 46
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仏門に入れば戒律を守らなくてもお坊さんとよべるのでしょうか

戦国時代の大河ドラマをみていました。 織田信長が比叡山を焼き討ちにした後、信長の奥さんがお坊さんをたくさん殺すなんてとんでもないと信長を激しく非難します。 しかし、信長は「比叡山の僧は酒をくらい女を抱き、夜盗のような暮らしをしている。あんなものは僧ではない」といいます。 だからと言って殺していいわけではないと思うのですが、確かにお坊さんなのに武器を持って武士を殺し、仏を敬わず酒色におぼれる。 お寺に住んでいるけれど、戒律を守らずに略奪ばかりしている。 とてもお坊さんと呼べるような人たちではありません。 もちろん時代劇ですので、面白いように脚色しているのはわかります。 しかし、現代でもお坊さんなのに悪いことをする人もいるし、権力闘争で世間を賑わす人たちもいます。 一度仏門に入ってしまえば、悪いことをした後でもお坊さんとしていられるのでしょうか。 お坊さんも僕らと同じ人間なので、誘惑に負けたり間違った判断をすることがあると思います。お坊さんが悪いことをするとどうなるのですか?悪いことをして死後地獄におちた場合、お坊さんだと仏様に近い生活をした分だけ罪が軽くなるのでしょうか?

有り難し有り難し 62
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