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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 悟り 」
検索結果: 1762件

慈悲とは、共感、広い心?

こんにちは。仏教の慈悲について考えていたのですが、迷いました。お暇な時に、教えてくださると助かります。 私は最初、慈悲は愛と同じかな?と思いました。愛とは誰か困っている人を見つけたら自分がしてほしいと思うように相手を扱い助けることだ、と助祭から昔教わったんです。それと似た気持ちかなと思って。でも慈悲について過去の記事を読んでいるうちに、慈悲と愛は違うかもしれないと思うようになりました。仏教では周りの人や生き物と自分が皆繋がっている考えがあると感じたんです。それで、まず慈悲とは共感することなのかなと思いました。でも、共感だけではなくて広い心で人の為に祈るような意味もあるのでしょうか。うまく言えないけれど、憐みみたいな....例えば、自分に敵意を持っている人に対して慈悲の心で接するような表現をどこかで見たのですが、それは相手が自分のやっている悪い事に気がついて正しい道に進めるように祈ることかな、と思ったり。あれこれ考えているうちにわからなくなってきました....。 題とは直接関係ないけれど、今月父の一周忌でお坊様のお祈りと共に納骨されていくのを見届けることができました。普段は全然泣かないのに涙が出てきました。悲しいからではなくて、安心したからだと思います。僧侶とはすばらしいお仕事ですね。とても感謝しています。

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解き放たれた気がします

前回までの質問を通して、大学に入ってから今までずっと悩んで悩んで自分を苦しめていました。 ですがようやく自分の中で気づきがありました。本当に頭にビリビリきました笑。 それが「許すことは、認めること」です。 そう考え始めた瞬間に今までずっとモヤモヤゴチャゴチャしていたものが、なくなっていき、また点が線になったような感覚がありました。 自分が発言し、行動したこと全てが派生していって、巡り巡って今目の前で良くも悪くも縁として起こっているんだと思いました。 その中には良い習慣でのことも悪い習慣でのこともあります。悪いことだけにとらわれていましたが気づきのおかげでわかりました。 大学での私は一言で「逃避」そのもの。全てから逃げました。 大学での私のゴール、卒業や格闘技が強くなることだったり、なにより大きな壁に道を塞がれた自分から逃げていました。 中学では厳しくも愛のある監督のもと毎朝7時に学校へ行き全校の清掃から始まり、ただ勝てばいいというだけでなく人間的な部分まで本当にたくさんのことを教えてもらい結果も残せました。まわし姿で学校の周りを走らされたり校外のゴミ拾いなどさせられましたがそれも良い思い出です笑 それらの環境のギャップと現実から目を背けていました。その現状を認めることができていなかったんです。 あの時今のように考えられたら違ったかも、とも思ったりしましたが恐らく無理だったでしょう。 なぜなら今こうして、テレビでたまたま見て頭の隅にあったhasunohaに質問をし解答をいただけたこと、そのおかげで考えが今に至ることができたからです。そういうご縁があったからです。未来に答えがあったからです。 今まで過去の中に見つからない答えを探していました。弱い自分を認めず何かのせいにしていました。でももうそんな今までのクソッタレな自分とはおさらばです。弱い自分を、大学に入ってからの出来事を認めました。 そして中学、大学の経験は人生においてものすごく意味と価値のあるものだったと心底実感できます。↑と↓を今までの人生で学びました。これからを形作るのは今この瞬間のこれまでです。 大学に関してはもう1年行かせてもらえるかはわかりませんが誠意を持ってお願いしてみます。 もっともっと言いたいことはありますが字数の関係で終わりにします。 本当に有難うございました。

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2025/09/20

生きることは辛いのか

お世話になっております。 以前の相談から月日は経ちましたが、自分の状況は変わっていません。定職につかないまま、将来に怯えながら、だらだらと日々を過ごしています。 最近思うのは、生きるとはうっすらと辛い状態が続いていくことではないかということです。 辛さに耐えながら、日々の小さな幸せを拾っている。そしてたまにやって来る大きな悲しみをに心を乱されながらも生きていく、それが人間ではないかと感じています。 ただ、昨今の日本では見ていて疲弊するニュースが増えるなど、平均的な辛さが増しているように思います。私はその辛さを凌いでいけるような強さや経済力などを持ちません。 自分が生きる上で、適職があればその辛さが少しはマシになると考えてきました。この何年かは自分の本当にしたいことを探していましたが、それにも疲れました。自分は人生で何か成したいのに、何も成せない。そんな気持ちが強いです。 そういえば、仏教に「一切皆苦」とあったのを思い出したりしながらこの文章を書いています。仏道に走るべきか、など考えもしますが、漱石の「門」のように私には何も見つけられないと思います。 最近は何が楽しくて生きているのかよくわからなくなってきました。私はどうすれば人生を立て直していくことができるのでしょうか。

有り難し有り難し 37
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