こんにちは、初めまして。 地方在住の高校生です。 私の心配ごとについて質問させてください…。 タイトルにある通り、新型コロナウイルスが怖いです。 ちゃんと対策もしていますし、外出も最低限の買い物(1ヶ月に一回行くかどうかくらい)、月一、二回ある学校への登校のみにしています。 これは自粛しなきゃいけないからというのもありますが、一番は自分が感染したくないこと、家族にうつしたくないこと、感染した後の処理等が面倒だと思うなどが主な理由です。 元々必要以上にコロナを怖がっていたのですが、絶対に罹ってはいけない状況にあるため、もっと怖がるようになってしまいました。 手の洗いすぎてカサカサになってしまったり、ストレスがすごかったりで本当にしんどいです。 また、バイトがしたいという思いもあるのですが、コロナに感染することが怖くどうしても一歩を踏み出せません。 ちなみに私が住んでいるのは地方なため、東京に比べると感染者数も少なくリスクもだいぶ低いと思います。 ですが東京との関わりもあるため、とても怖いです。 毎日毎日本当に心配で夜に泣いてしまうこともあります。 ですが、このままではいけないと思っています。 どうしたらコロナを過剰に怖がることを辞められますか。 ご助言いただけると嬉しいです。 よろしくお願い致します。
隣の一軒家に住んでいる一人暮らしの男の人が怖いし嫌です。 夜中の3時くらいに意味のわからない事をボソボソと言いながら外で水をすごい勢いで流したり駐車場で大音量の音楽を流して車の中にいたり二階からこちらを覗いていたりします。 うちは窓が何個もあって、その人の家からうちが見える窓は気持ち悪いから閉めるようにしています。 でも、祖母や母は暑いから開けてと言います。 理由を話しても気にし過ぎと言われます。 その人がたまに野菜を持ってきたり話しかけてきたりするのですが本当に怖いです。 祖母はコミュニケーションが取れて嬉しいから話します。普通の人には見えなくて何かしてきたらどうしようといつも思っています。 1年くらい気にして生活をしていて、ストレスでおかしくなりそうです。 おかしくなってると思います。 私が考え過ぎなのでしょうか?
私の主人は、普段はとても優しいのですが、自分と違う考えを、なかなか受け入れてくれず、話をしていると、とても威圧的、攻撃的に話をするので、怖くて、私は自分の意見を言うことができません。 「こうやって言えばいいかな」とか、とても返事を考えてしまい、結局だんまりになることが多く、そのことも主人の怒りに触れるようで、悪循環なんです。 考えて考えて出した意見に対しては、自分と違う考えなら、大声で攻撃的に話をしてくるので、まただんまり・・・・ 主人は、幼少期にあまり良いとはいえない環境で育っており、(両親ともに仕事で、親子で食事をした記憶があまりないそうです。運動会なんかも、親は見に来ず、一人でお弁当食べてたそうです) 確かに、義理の両親共に、自分勝手で、子供より自分達の立場が優先です。反面教師で、主人は「家庭」というものに、かなり憧れを持っており、普段は子供や私にも、本当に優しいんです。 それが、一度火がつくと、大声で話をし、何もかもを見下したかのようなしゃべり方をするので、悲しくなります。 私の家族のことまで悪く言うことがあり、本当に悲しくなります。 じっくりと話をしたいのですが、話をすることが怖いのです。どうしたらよいでしょうか。
閲覧有難う御座います、カテゴリ違いでしたら申し訳ないです。 私は、死ぬことが怖いです。「死」は全く未知の世界なので恐怖心でいっぱいになります。自分という存在が無くなる事、死に方によっては痛みを伴うこと。考えれば考える程、頭が混乱して嫌になります。 夜、寝る時も布団に入ると不意に「死ぬこと」を考えてしまい、寝れません。死ぬ事が怖くて、死にたくなくて、泣いて夜中まで起きている事が頻繁にあります。 死に繋がることも苦手です。地震が起きると身体の震えが止まらず震度3くらいの地震が起きたときは、それから暫くは地震が頭から離れすま身体が揺れてる感覚に襲われます。両親にも「お前の地震に対するビビり方は尋常じゃない」と言われます。 テレビ番組で特集を組まれる、戦争特集。地震特集、殺人事件。なども見ていて不安な気持ちに駆られ、その日の夜は眠れません。 死は、いつか来るもので受け入れなければならない事ですが、私は受け入れる事が出来ない状態です。 精神科で、気持ちを明るくする薬を出してもらうことも可能(?)だと思います。ですが、そうすると薬に頼らないと生きれなくなってしまいそうです。この状態を変えたいです。どうすれば良いでしょうか。
死ぬことが怖くて、そのことだけが頭の中で渦巻いています。 死に至るまでの過程についてはそれ程まで怖くありません。 お迎え現象が私にも来てくれたら嬉しいなというだけです。 ただ、死が怖いです。 死んでしまうと自分の意識がなくなってしまう、愛する人と会えなくなるのが恐ろしいです。 死後の世界があると信じたいですが、自分の意識は脳があるからこそ成立しうるもので、死んでしまったら脳はなくなってしまいます。 そうしたら自分というものはなくなってしまうと考えてしまいます。 そう思うと死が恐ろしくて堪らないです。 80までいきたとしてもあと50年。 その50年があと50年しかないと考えてしまいます。 死が怖いです。 けれども、ずっと死を恐れて生きていくよりも死をポジティブに受け入れて生きたほうが人生を充実できのでは?と思っています。 ただ、死についてあまりポジティブな意見を見ることができません。 死についてポジティブな意見をいだけませんでしょうか。 また、死後の世界があるかどうかということにも意見を聞きたいです。
カテゴリーが間違っていたらすいません。 お金が怖いです。 私は一人暮らしです。 帰る場所はないですが、やっと仕事も安定して落ち着きました。 私自身にお金を使おうとすると怖くなり、やっばり使うことができないことがあります。 私が一人暮らしを始めたのは家族の借金を私に負担させようとしたのがわかったので離れました。 高校時代からずっと家族に何かにつけてお金を要求され、バイトして学費や自分自身にかかるものを自己負担していたのにもかかわらずです。 兄弟は3人でしたが、他の兄弟が必要なときは用意していましたが、私のときは用意してくれませんでした。 親の葬式の義理のための費用からガソリン代まで私が払わなければダメ人間と思わせるようなことを何度も何度も言われしぶしぶ払ってました。 それが正しいと家族としてとマインドコントロールされていたと思います。 一人暮らしのことは考えていました。 社会人になり、家に生活費をちゃんといれていたのですが、いれていた生活費を生活費以外に使い込まれた挙げ句、闇金に借金を数百万していたのがわかったのでそのタイミングで一人暮らしを始めました。 よく人間関係で離れなさいと言いますが私がいた環境の人間関係のほとんどがお金に汚い人たちばかりでした。 貸し借りで揉めたり、借りちゃいけないところから借金してどこに行ったかわからなかったりという出来事ばかりありました。 生活面がやっと落ち着いたのですが苦しいことばかり、安定してもお金を使うのが怖いと思ってしまいます。 これをやろう、行動しようとすると恐怖心とブレーキがかかります。 無視をすればよかったと思いますが出来なかったです。 私自身がなにかをやろう、行動をしようとするときに否定し続ける人が多かったです。 私のことを否定して代わりに汚い自分の手を汚さないで他力本願を押しつける人が多くてトラウマになってしまいました。 どうしても恐怖心で体が動かなくなり、ブレーキがかかります。 どうすれば克服できるのでしょうか? アドバイスをお願いします。
いつも過去を悔やみ、未来を不安に思ってばかりで、現実を直視して今を生きること怖くてできません。子供の頃から空想ばかりしていま す。 どのようにしたら、このような癖を克服できるのでしょうか?
数年間、親代わりのようにお世話になっているご夫婦がいらして、その旦那様が、今年1月に突然亡くなられたという知らせを受けました。 コロナ禍な上、家族葬で、私は最後に一目会うことさえ叶いませんでした。そして私は、未だに旦那様が「亡くなった」とはどうしても思うことができず、この話題になると、他人事というか、まるで別世界の出来事のように感じます…。普段、どうでもいいことで泣く私ですが、この件に関しては一度も泣くことができず…私は冷たい人間なのかなぁと、奥様にも申し訳なさでいっぱいです。どうにかして心の整理をつけようと試みたのですが、この半年以上、ずっと気持ちの落とし所がない状態です。 そんな中、唯一私が何かを感じるのは、奥様とお会いした時の別れ際です。これが奥様との最後の会話になったらどうしよう、どこか遠くに行ってしまったらどうしようと、怖くて怖くてたまりません。時間が経てば、怖い気持ちも無くなるのかな、と思っていたのですが、無くなるどころか、恐怖は膨らむばかりです。奥様とお会いした時の時間が、楽しければ楽しいほどに…。 旦那様に対する気持ちも変わることはなく、奥様を失ってしまうのがとにかく怖くて…。こうしている時間さえ惜しいくらい、奥様とは一回でも多く会いたい、1分でも1秒でも一緒にいたいと思うのですが、その分恐怖を感じます。これから私は、どのように旦那様と、奥様と向き合っていけばいいのでしょうか?
何度もお世話になっております。よろしくお願いします。母が、介護施設でお世話になり、5年過ぎました。施設内でコロナがクラスターとなり(2回目)連絡ありました。介護士さんの中にも、コロナ陽性者が出たので、母親にも可能性があります。介護度5ですので、お世話にならなければ、ならないことも十二分に承知であります。その数日後に、昨日から発熱があり、検査受けに行ってきました。との連絡ありました。人は必ず死を迎えます。しかし、コロナにかかって亡くなった最期は、いつも通りに見送ってあげられない。ずっと頑張って生きているのに、最期まで辛い思いをしなければならないかも知れない。もちろんそうなったわけでもないのに、考えれば考えるほどおかしくなります。私はいい娘ではなかったし。いちばん辛い思いをしているのも、母親です。死を迎えたら、楽になるのかな。とも考えた時もあるけれど、今はとてつもなく母親の死が怖いです。人は必ず死を迎える。父も母の姉妹も、たくさんの大好きな人たちを見送っているのに。なぜにこんなに怖いのか。私も死ぬよね。どうなるかなんて分からないし。でも、死んでしまったら、母や妹、父はじめ供養してあげられなくなってしまうから。それが今の生きる糧なのですが。なぜにこんなに母の死を恐れるのか。辛くて仕方ありません。お言葉頂きたいです。よろしくお願いします。
私は死が怖くてたまらないのです。毎日朝から晩まで死のことを考えない日はありません。病気の不安もすごくて、こんなに死が怖いなら、死んだ方がまし。と、自分でも、訳の分からないことを考えてしまいます。死の何が怖いのかもわかりません。主人とか、子供達に聞いても、意外とあっけらかんとしています。生に対する執着が強すぎるのでしょうか?でも、苦しいのは確かなのです。病気のせいでしょうか?死の恐怖心に苛まれている私に、何か救いのあるアドバイスをください。本当に困っています。どうぞ宜しくお願いします。
ただただ何かが怖いです。原因も分かりません。急に不安になって怖くなって、死にたくなります。そんな日が増えました。 なんで私なんかが生きてるんだろ、何のために生きてるんだろ、死んだら楽になれるのかな、早く死んでしまえたらいいのにって、ずっと思ってます。 嫌われたくなくて、気持ち悪がられたくなくて、こんな悩みは相談できませんでした。 比べる必要はないって言われても、なんで私はできないんだろう、なんで私だけって思ってしまいます。無意識なんです。 「生きたくても生きれない人がいる」っていろんな人は言います。 私の家族もそう言いました。家族がそれを言った時、私のこんな悩みは言っても理解してもらえないんだろうな、と諦めました。 諦めないで、逃げないでって言葉や、あーゆう言葉が綺麗事にしか聞こえなくて、あげられるならあげたいよって何度も思いました。 誰にも相談できないこの思いは、ただただ私の中に溜まって溜まり続けて、苦しめる。 死にたいけど、自殺する勇気も自傷する勇気もなくて、どうやったら死ねるかな、ここだったら死ねるかな、迷惑がかからない死に方はないかなっていう想像で終わります。 最近友達に、「悩みは誰かに言ったほ方が楽になるよね」って言われました。 私は過去にいろいろあって友達のことをそこまで信じられなくて、じゃあそんな私は誰に相談すればいいの?って思いました。 友達に「なんかあなたは悩みとかなさそうだよね」って、何も知らないくせにそう言って笑われたのが悲しかった。 笑うことがしんどい、自分でうまく笑えてないように思えて怖い。 友達の無意識の言葉が心に刺さる。 もう全てが不安で怖くてしんどくて、死んだ方がマシに思えて、死にたくなって消えたくなって、もうどうしようもありません。 こんな思いを抱えて、私はこれからを生きていかなくてはいけないんでしょうか? 生きる意味とか価値はあるのでしょうか?
こんにちは。初めて質問をさせていただきます。 私は今ほぼ引きこもり状態です。私にはリアルにもネットにも居場所がないように感じています。小さい頃までは何も考えず、明るく友達も多かったですが、歳をとるにつれて、自分がどのような人間なのか、周りからどう思われているかを知り、どんどん自分のことが嫌いになっていきました。 私は他人を傷つけるのが苦手で、例えばもし私が誰かの悪口を言ったら、その人以上に悪口を言った側の私が傷つき引きずり鬱になるようなタイプです。私は相手を不快にさせるのではないかという不安が常にあり、人を傷つけるぐらいならずっと一人でいたいと思うようになりました。XでもLineでもいちいち文章を確認して相手を不快にさせないか考えた上で送るので面白みのない人間になってます。 でもこの国に産まれた以上、人と関わり合いながら生きないといけません。ですが、働く意思はあっても、いざ働きだしたらすぐに仕事をやめたくなります。おそらく、逃げ癖がついているんだと思います。少しでもつらいと思ったら働けなくなります。ニートの時は働きたいと思うのに、働き出すと働きたくなくなります。在宅勤務でも変わりませんでした。このままじゃ生きていけないと思いつつ、他人と接するのが怖いです。 Xで、「自立は相談する相手がたくさんいる人」とおっしゃっている方がいて、そういえば私にはこういう場所以外に相談できる相手っていないんだなって気づきました。友達と喧嘩もまともにしたことありませんし、人生で1度もって言っていいくらい友達に何かを相談したこともない気がします。ネットにも友達にも何も吐き出せなくて行き詰まって限界になってようやくこのような場所に相談できるかんじです。 自分のことを何も知らなかった昔に戻りたいくらいです…。人と関わるのが怖いし、人を好きになるのも怖いです。周りの目を気にしてつらいです。これからどう生きればいいのかわかりません。
ご質問させていただきます。 昔から、両親から褒められず、叱られて(怒られて)ばかりで育ちました。 そのためか、誰かから叱られたり、怒られたりすることが怖くてしょうがないです。 物事を誘って、断られるのも怖いです。 例えば、誰かを「今度食事に行きましょう」と誘ったとします。 当然、仕事が立て込んでいたり、他の用事が入っていたとしたら断る、という選択肢はあるはずです。 これが頭で理解していることだとしたら、心で思うことは、こんなことです。 つまり、「私が嫌いだからそういうことを言うんだな」と自動的に思ってしまいます。 怒られる、叱られる場合もそうです。 そういうときには、「私の行動や私によって引き起こされている状況をとがめている」が正しい認識であるはずなのに、「私という人間そのものが否定されている」と思ってしまいます。 ここに書き込む前に、自分なりに状況を消化してみました。 おそらく、自分が大嫌いで、自己評価が恐ろしく低いことと関係はしているのでしょう。 (私は心理学の専門家ではないので確かなことは言えませんが。) 「自分は受け入れてもらえるような存在ではない、否定されて当たり前なんだ」と思ってしまっているからこんな状況が引き起こされているんだと思います。 よく、こういう人に対して、「ありのままでいていいよ」という言い方がされると思います。 「ありのままでいる」ってどういうことですか? なんとなく同じような事ばかり質問して申し訳ありません。 ただ、私という人間の根源にある問題が同じである以上、同じようなトーンの質問になってしまうのは仕方ない、とは思っています。
とてもお恥ずかしい話なのですが、私は離れたいのに嫌われるのが怖くて、自分を傷つける友人の言いなりになってしまいます。 その友人は、普段は明るく良い所もたくさんある子で、昔は常に一緒にいました。 ですが友人は、自分のことを棚に上げて私にアレが嫌だコレが嫌だと言い、少しでもその子の気に触るようなことがあると機嫌を損ねてしまうことがあります。 なぜそれに怒ったの?と思うことがほとんどで、何をきっかけに機嫌を損ねるのか分かりません。 私もそんな友人の機嫌をとるために、喧嘩にならないように、友人が嫌だと言ったことは極力しないように気をつけています。無理に合わせる必要なんてないのですが…。 その友人の反応が少しでも違うと、内心「また何かやってしまった?怒らせてしまった?」とドキドキハラハラ。 ですがその友人は、私に嫌だと言ったことを普通に私にしてきます。 自分を棚に上げる人はたくさんいます。 そのため「私にこれ嫌だって言ったこと自分だってやってるじゃん!」と思うよりも、 なぜ私は、自分を棚に上げ私を傷つけるような人のために、こんなに神経を使ってご機嫌取りのような事をしてしまうのかと、とても馬鹿らしく感じています。 正直離れたいです。 でもどう離れれば良いのかわかりません。 気を使ってどんなに疲れても、嫌な思いをして自分が馬鹿らしく感じても、素でいられた昔を思い出したり、友人に嫌われたくない、機嫌を悪くさせてハラハラしたくない、そう思って必死にご機嫌取りをしてしまい離れることができません。情けないです。 きっと友人が自分の元から離れていくのが怖いんだと思います。私も友人から離れたいのに、私が弱いんだと思います。 離れられたらどれだけ楽だろうと思います。
一月に子供を生みました。可愛くて仕方ありません。 ですが、この子を生んだと同時に死への不安が沸き上がってしまっています。 この子ともいつか死別するんだな、から始まり、 いまは元気で病気もしていない両親、親戚、飼い猫もみんな死んでいき、 最終的には自分も死んで…。 死後の世界はわかりませんが、自分がいない状態が永遠に続くのが恐ろしいです。 一万年後のこととか、地球がなくなる日のこと、それまでの長い時間のこと、それがいつか来ることをおもうとゾッとします。 この癖は小学生のころにはあったかもしれません。23時59分が怖かったです。今日がおわってしまい、今日は永遠に戻ってこないことが怖かった。 誰かに相談しても、考えても仕方ない、地球滅亡のときには自分もみんなも死んでいる、いつかは人間も滅亡するといわれるばかりで。 考えてもしかたないことなのでしょうが、少しでも心が軽くなる考え方を教えていただけないでしょうか。 よろしくお願いいたします。
30代の女性です。 来週、出産のため入院します。計画分娩です。 妊娠してからずっとお腹に赤ちゃんがいることが幸せであると同時に、出産の恐怖が心の中にありました。 その出産がついに間近に迫り、本当に怖いです。 私は痛みに耐性がなく、無痛分娩をする予定ですが、無痛分娩であっても完全に無痛ではなく、骨の痛みには麻酔は効かないので、かなり辛いと聞きます。帝王切開になる可能性もあります。 また、背中に針を刺したり点滴をしたり、不安が沢山ある中で、そもそもある程度赤ちゃんが産まれる準備ができるまでは麻酔を入れられず、陣痛に耐えなければならない時間があります。 痛みや不安に耐えられないときはどういうことを考えて乗り切れば良いでしょうか…?前向きに臨めるようなアドバイスお願いします。
最近、鬱病で外に出るのが怖いと感じます。冬の寒さもあるんでしょうけど、一人で外に出ると急に不安になります。 嫌いな人に会うんじゃないか、何かトラブルに巻き込まれるんじゃないか、事故にでもあうんじゃないか、そう思ってしまって休みの日は近場しか外に出られません、薬は貰っていますがそれでも、不安感を拭いきれません、どうすればこの不安感を克服できるのでしょうか?
30代後半、もう大人ですが 70代に差し掛かる両親のことで相談です。 父と母とは分かり合えないところもあるのですが、愛情はあります。 小さい頃から2人がいつか先立つことが怖くてたまりませんでした。 大人になればそういう気持ちは無くなると思っていたのですが、 むしろ歳を重ねるにつれ恐怖感が強くなってきています。 特に自分と感性が似ている母親を失うことを想像しただけで涙が出ます。 私が独身だからなのかもしれません…家族ができればこの感情も薄れるのかなと思うのですが、その予定もありません。 どうしたら1人でこの恐怖心を克服できるのでしょうか? 毎晩考えてしまい胸が苦しいです。
地獄が怖いです。考えるだけで手汗が出てきて、時には体が震えたり、ちょっと泣きそうにもなります。 矛盾していますが、私は地獄はないと思います。人によってたとえ同じ文化の中で生きていてもちょっとずつ善悪の考えは違っていると思うからです。その中で「この人は天国、地獄」と決めるのは難しいのではないかと思います。だから、死後の世界があるとすれば現世と同じような感じだと思います。そこで何年か過ごして、生まれ変わるんじゃないかと思います。 そう思っているのに、何故か地獄が怖いです。きっと、自分が今まで色々してきたことへの罪悪感が原因だと思います。 臨死体験者の方の中にも地獄があるとおっしゃっている方がおられると知りました。もし地獄があれば、私は確実に地獄行きだと思います。日々嘘をついていますし、食材への感謝を忘れてただただ貪って食べてしまうこともよくあります。人も自分もたくさん傷つけてしまいます。虚栄心も強いです。ここには書ききれないぐらい悪いことをしていると思います。 せめて、少しでもいいことをしよう。少しでも毎日生きれていることに感謝して生きていこう。そう思って、少し人に優しく接せるようになった気がします。時々「でも毎日生きてる。生かされてる。ありがたいなぁ」と考えられるようにもなりました。 それでも、時々怖くなります。こんな私が死後地獄に行きたくないというのは傲慢なのかもしれません。それでも地獄に行きたくないです。落ちるまでに何年もかかる地獄があるとも知りました。そこに落ちながら「あぁ、あの時ああしとけばなぁ」と後悔している自分なんて、想像しただけでも辛いです。どうすれば、地獄について深く考えなくても済むようになるでしょうか。 拙い文章で申し訳ありません。ご教示頂けますと幸いです。
何度も失礼します。 最近生活していてやはり、死が怖くなりました。 感染症の影響で多くの人が亡くなり そのことが、あたかも自然なように 連日報道され、人の死が生活の中で より身近(不謹慎ですみません。) に当たり前のようになってきていて いつ死ぬかわからない、まだ自分はやるべきことができてない という負の感情がブクブクと浮かび上がってきてしまいます。 また、これは先ほどのものと違うのですが、 9月3日の夜に見た夢で、夕方に 一人で習い事(文化系)の練習をしていると、 習い事の先生(故人)が先生の住む母屋から出てきて、 自分の隣に座って話すという夢を見ました。 先生にいくらかの自分の悩み事を聞いてもらった後、 「向こうでは、どうしているのですか」 と聞いたところで先生が答える前に 目が覚めてしまって、そこから 「先生が何を言おうとしていたのだろう」と モヤモヤが続いています。 以前の質問で死と向き合って、 そこから生きていく意味を見つける というお知恵をいただいてとても参考になったですが、 自分自身が死と向き合うことができなくて 生きていく意味の追求も止まってしまっている気がします。 お坊さんの思う死の恐怖と向き合う、よける、折り合う方法や お坊さんが普段それと付き合う方法を教えていただきたいです。 先生がどのようなことを言おうとしていたと思われるのか、 ということもできれば教えていただけると嬉しいです。 お忙しい中申し訳ありませんが、よろしくお願いします。 乱文失礼しました。