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問答一覧
検索結果: 452件
2024/01/05

上司に自分の意見を述べて後悔しています

初めまして。看護師をしています、女です。 今の病院に来てからはまだ数ヶ月しか経っていません。 先日、医者や看護師(看護部長や師長などの上の方々)、放射線技師や臨床工学技士などの様々な職種が集まるカンファレンスがありました。議題としては数年前に医療事故があったそうで数名亡くなっている。その事故の原因となった治療を再開させて良いかという内容でした。 今回議題に上がっていた分野は、前職で最前線の病院で働いていたので助けられなかった命を何度もみてきており、それが続いたことで自分の精神的負担が増えて数ヶ月ほど現場から離れたこともあります。 今の病院では設備が整っていないこと、知識や経験不足があるから再開をするのは不安である、もう少しシュミレーションなどをしたいと上の医者たちに意見をしてしまいました。 命に関わることなのでつい熱く語ってしまい、その場ではなるべく言葉を選んで発言したつもりなのですが、家に帰ってから「なんであんな出しゃばってしまったんだろう。たまたま時間が空いていたから師長さんについて行っただけなのになんで黙っていなかったんだろう。新参者が上の人たちに意見をしてウザかっただろうなあ。私なんでいつもこう意見を言ってしまうんだろう。誰か傷ついてたらどうしよう。私のやったことは正しかったのかな」とずっと頭の中でぐるぐるし後悔しています。 昔と比べて、発言する前に本当に言っていいのか深呼吸するようには心がけていますが、いまだにこのように言葉が出てきてしまい意見を言わないと気がすまなくなり本当に嫌になってしまいます。 取り消せない言葉の後悔の対応、上の方に意見してしまった傲慢な私へ何かご意見をいただけると嬉しいです。

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極楽について

以前テレビで島田紳助さんが以下のように述べていました。(ブログからの抜粋です) 「仏教っていうのはね、自分のための拝む人へのもの。 両手を合わせた瞬間に、自分の心の中が穏やかになる。 そこに極楽が生まれんねん。例えば、あーもうムカつくわ、競馬まけた博打負けたから墓参り行こうって思う人はいないのよ。心が乱れてるから墓参り行こうとは思わない。ある日、ふとあ、長いこと行ってないな。お墓参り行こうか。と思う。その、お墓参り行こうか、と思った時、自分の心が穏やかになる。その瞬間、心に極楽が生まれんねん。だから、お墓参りの行為自体よりも、行こうと思った時の穏やかな心、それが大事なの。仏壇だってね、仏様が中にいるけど、あれは職人さんか誰かが木かなんかを彫ったものだよ。所詮。もしあれがほんとに仏様なんだったら、供えてある花も、仏様の方を向けて供えなくちゃいけない。でも実際はそうなっていないでしょ。向こうからしたら、花の裏、葉っぱの裏しか見えないよ。拝む人に向かって、拝む人の心に向かって供えてあるから。だから仏教っていうのは、心の中、拝む人の心の中に極楽があり、仏があるという教え。」 私はこのような考えに感銘を受けました。実際、極楽というにはこのようなものなのでしょうか?お坊さんたちの意見が聞きたいです。

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お寺がただの一般家庭にしか見えません

ものすごく残念なお話を聞いたので、質問させてください。 とある外国人観光客の方が、日本のお寺に立ち寄って軒先を借りて休んでいたら、その寺の奥さんに警察に通報されてしまったというものです。 わたしは、この話を聞いて日本の仏教って何なんだろう、と真剣に考えました。軒先で休む人を、不審者として通報する、そんなお寺に誰が救いを求めたいですか? わたしはすべての元凶は、お寺の坊主さんが普通に結婚し、もはやお寺が宗教施設ではなく、「本堂がくっついた家に暮らす一般家庭」に成り下がっているせいと思えてなりません。 そりゃあ、普通の家の奥さんで自宅に子供もいたら、知らない人が勝手に軒先辺りに徘徊していたら怖いですよ。 だから、先のような宗教施設としては信じがたい通報のようなことも起こってしまうのだと納得ができます。 わたしは、正直日本の仏教に将来はないと思っています。 妻帯し、魚肉を平気で食らい、ブランド服や高級車に乗ることも是とする、そんな人に神聖さなど微塵も感じません。 一般家庭になってしまった寺院へは、気軽に脚を運んで苦しさを吐露しようなどと、私は絶対に思えません。 軒先で休む人を通報する、そんな寺がこの先も増えるのでしょうか。 寺が一般家庭であることを、お寺の当事者のみなさんはどう思われているのですか? 日本人の仏教離れの一員が、お坊さんの俗世化にあるとは思われませんか?

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2022/01/30

阿弥陀如来様は実在しないのですか?

私は阿弥陀如来様が大好きです。 毎日救っていただくことへの感謝として念仏を唱えています。ハスノハでもたくさんの問答を見るのが楽しみです。 ところが、先日、ハスノハで真宗のお坊様が「極楽浄土があると信じていない」人への解答で、「阿弥陀如来様や浄土というのは働きのことで、実際亡くなった人が浄土という場所で生まれ変わるということではないのだろう。だから浄土とはこの世での働きのことで、死後の世界としてあるわけではないと思う」「仏様というおとぎ話を使って今生での安寧を得るのだ。だから阿弥陀如来様が実在するか否かはどうでもよい」「自分も科学的に極楽浄土の世界は懐疑的」 という旨のことを仰っているのを拝見しました。一人ではなく何人かのお坊様がそういったことを仰っているのを見ました。 誤解していただきたくないのですが私はハスノハのお坊様方のことを尊敬しております。ですが少なからずショックでした。私は今生で死んだら、阿弥陀さまに迎えに来ていただいて極楽浄土に生まれ、そこで仏となる修行をできることを嬉しく思っていたからです。 また、何があっても阿弥陀如来さまがいつも一緒にいてくださることが喜びであり、心の支えです。 法話を聞いたりしていると、「阿弥陀如来様という素晴らしい仏様がいらっしゃる(=阿弥陀如来は実在する)」「死んだら極楽浄土にいき仏になる(=極楽浄土は実在する)」とお経も親鸞様もハッキリ仰っているように思います。 阿弥陀如来様や極楽浄土の存在を確信するのが、浄土真宗ではないのですか? 私が、元はキリスト教を学んでいたこともあって、阿弥陀如来様や極楽浄土への解釈が違うのではないかと不安です。 (極楽浄土と天国は、極楽浄土は阿弥陀如来様の国(他の仏様もそれぞれ浄土をもっていらっしゃる)。という違いだと理解しています) 私はこれからも阿弥陀様といつも一緒だと思っていても良いですか?

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