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hasunoha 問答検索結果 : 「お坊さん 」
検索結果: 7824件

信用とは

こんにちは。 久しぶりに相談させて頂きます。 旦那との関係は終わりにした方がいいのか…… 旦那は不倫を繰り返しています。 心が恋愛体質なんだと思います。 本人は肉体関係があったものは、ごめん、とだけ 軽く謝罪はありましたが、肉体関係が無ければ 何が悪い?の考え方です。 初めは私も辛かったですが、信用する努力をしましたが 頭ではわかっていても感情がついて行かず信用しることが出来なくなりました。 全てがウソに聞こえるようになりました。 しかし、最近、なぜ彼が不倫したか気持ちがわかりました。 寂しさや誰かに支えて欲しかったんですぬ。 私は子育てや仕事でいっぱいいっぱいで、余裕がありませんでした。 だからなんですね。 それがわかったきっかけは、私に今寄り添ってくれる人がいるからです。 彼はそんな気は一切無いです。 私がただそばで一緒に仕事をして、色々話をして、寄り添ってくれるので、 何とか自分を保つ事ができます。 優しくもなれます。 彼とお付き合いする気は全くないですが、今は大切です。 旦那には今の気持ちを伝えました。 旦那はいちいち疑われるのに疲れたと言われました。 信用できない状態にしておいて、私には疑うなと。 旦那は寂しさで不倫を繰り返し、私は不倫はしないが今の気持ちを伝えた。 何で疑われていることに疲れたのか意味が判らないのです。 信用できないのです。 平気で仕事とウソついて日帰り旅行に行くぐらいなのに。 信用ってなんでしょうか? 疑うってなんでしょうか? 私には心の支えは作ってはいけないのでしょうか?

有り難し有り難し 24
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恐怖や不安、苦しみと向き合う覚悟が持てない

何度も質問してしまい、大変失礼致します。 いつもhasunohaを拝見しながら、自分自身と向き合い、考えさせられております。 そんな中、自分の中で「私は何も分かっていないのではないか?」という考えが浮かび、また今までの私は「苦しい思いや辛い思い、悲しい思いをしたくない」という考え方に強く「執着していた」のではないかと考えるようになりました。 そういった考え方に執着しているせいで、自分が嫌だと感じたことや、やりたくないと思っていたことを避け続けてしまったせいで、全く自分が成長できていなかったことに気付き、とても情けない気持ちになってしまいました。 さまざまなお坊様のありがたい言葉を何度も拝見することで「苦しい思いや辛い思い、悲しい思いをしてでも、これからは自分の足でしっかり歩きながら、他人や社会にお役に立てる人間になりたい」と思っているのですが、いざ「これを始めてみよう!」と思っても、自分の中で「恐怖心や不安」が出てしまい、なかなか手を出すことができません。 恐怖心や不安を抱えながらでも、それでも新しいことや自分が怖いと思っても、それでも手を出せる「きっかけや心構え」など、何か良い方法があれば、是非教えていただけませんでしょうか? 私はもう、過去の自分とはさよならしたいですし、変わりたいです。新たな考え方で、頑張っていきたいと思いましたので、このような情けない人間に渇を入れていただけるとありがたいです。どうぞ宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 7
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自殺願望があります。

私が自殺願望を持ち始めたのは小学校低学年の頃からです。 今までぼんやりしてたものが、とある先生に「お前なんか幼稚園児以下だ。」 と言われてこの思いがはっきりしました。 当時は友達も頼れる人もおらず、1人で悩んで胸に包丁を突きつけて泣くことが何度かありました。 しばらくそれが続きましたが色々あって親にバレて結局死ねませんでした。 後で聞いた話では両親は本当に悩んでたそうです。知らなかったです。 そして不安を抱えながら生きて、ある時ある先生に「私は貴方を信じてる」って言われて初めて言われた言葉に泣きました。その言葉を糧に今まで生きてきました。 けれど中学に入って、2年の時。また、自殺願望が強くなりました。けど、凄く優しい私には勿体無いくらいの素敵な友達がいろいろ相談にのってくれたりして生きれました。 けど今はそんな人が傍にいません。 きっと一人で生きなきゃいけないんだろうけどそれが辛いです。 受験や勉強に対する不安と入り混じって苦しいです。 親に相談できればいいけど、自分の家は教会。そして父は教会長。 なかなか相談できないです。 それに私は親すら他人に見えます。 全然信頼できません。 クラスでも席の近くに仲のいい子はいなくて、班にも頼れる子はいなくて。 学校に行くのが辛いです。 でもそれを母にいくら言っても分かってもらえなくて...。 手首を切っていっそ死のうと思ったけど未練がましく生きて...。 何がしたいのか分かりません。 ただただ辛いです。 息もしたくない。 ただただ消えたいです。 学生が自殺したとかいうニュースを見ると何となく気持ちが分かるし、何となく羨ましいです。 遺書もどきも書きました。 こんな人がいていいのでしょうか。 ネットの精神鑑定とかをすると精神に異状があると出ますが、こんなの親には言えないし...。 きっと私は生きたいと心の底では思ってるんです。 けど自殺願望もあるんです。 こんな人にも救いがあるのなら...よろしくお願いします。

有り難し有り難し 22
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救いはどこかにありますか?(女性の立場で書いています。)

こんにちは。 こちらで女性の方の悩を拝見すると、共感できるところがたくさんあります。 (私は女性なので今回は特に女性の立場で話します。) 女性はホルモンの関係で体調、気持ち、怒りや悲しみが日々不安定です。 また、人によって違うため、誰かと比較すると余計に自分を責めることになります。 そして、ひどい時には他人を責めたりもする。 人を傷つけることは悲しいことですが、自己を改め、同じ過ちをしないように少しずつ変われたら、自然と仏様のような笑顔に近づけるんじゃないかなと勝手に思いながら生きています。 私は悩むと、どうしてかな?何が嫌だったのかな?と自分の悩みの本質を客観的に考えるように努めています。それでも完璧にできない場合もあります。 時代は女性にとって辛い環境であると思います。完璧でなくて大丈夫ですよね。 時にはその場から逃げても良いですよね。 救いはどこかにありますよね?←『お坊さま方に質問したいことはこちらです^ ^』 基本的なことかも知れませんが、仏教による救い、お聞きしたいです。 皆様の悩みを拝見し、それぞれの輝きを尊く感じ、どんな絶望でも命を絶つような悲しい結果になられませんよう、こちらに思いと勝手な考えを書かせていただきました。

有り難し有り難し 10
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2024/07/03

お金なんて要らんと貫いた心

神仏への信仰心がとても篤かった医療人のお話です。 その人は幼き時に難病で視力を失い、家督を譲って琵琶法師と鍼師のどちらかを選ぶときに医の道を選んだそうです。親には「二度と家の敷居をまたぐでないぞ」と突き出され、入門先の師匠は「素足に埃が付いたら掃除やり直し」覚えも良くなく、ある日鍼を持たせてもらった時には、患者さんが痛さで悲鳴と怒号のクレーム続出…ことごとく破門。 後がなく生死をかけ岩屋に篭もって断食修行、無我の境地で空腹に転び手にした松葉(鍼のような)と、くるまった落葉を元に、のちの管鍼法を発案。「これなら患者さんも痛がらずに下手な自分でも施せる」心の清らかな和一さん、あれよあれよと出世し果ては将軍の病まで治癒。「よくやった和一よ、褒美を与える。何でも申せ」と将軍、ところが見返りを求めなかった和一先生、儲けは要らんと一旦断るも、当時の上下関係では言語道断。お互いにプライドがゆるさず譲り合わなかった末(流石の将軍もこれで諦めるであろうと、盲目の自分に)「ひとつ、目が欲しゅうございます」と頓智を効かせたところ「わかった」と将軍は引き下がり、しばらくして江戸の一ツ目という地名の土地に、「盲目と老体が遠方まで行かずともお参りできるように」と江ノ島の弁財天様を勧請、老いても尚熱心に参詣を怠らぬ和一検校を自分のケアスタッフとして「そばに置いておきたかった」のもあり、治療院のみならず弟子の養成所と神社まで併設、そして今も残るそうです ハンデがあっても自立して生きていける術を磨く、世界初の視覚障害者用職業養成機関は、実は江戸時代に「盲目となり家を出され、師弟関係も破門され…住むところもお金もなく、仕事のセンスにも恵まれず…只管に神仏に手を合わせ続けた」信仰篤き偉人の苦労の先に日本で生まれた逸話、私は大好きです! 話が長くなりましたが、私も勉強をし指圧師となって施術をしたいと毎日仕事に明け暮れています。元ヤン僧侶さんは「目標が半端ねぇ。もっと効率的にガッツリ考えろ」と喝を入れてくださいました(笑)息を吸うように朝日が昇れば仕事が入ってきて、6月は休みなしで母の日から連勤達成更新中です。今の仕事も好きですが、やっぱり指圧を専門学校で学びたい。 先日お寺でふと仏様から「前へ。只管に進みなさい」と声が聴こえた氣が…私の指圧を喜んでくれた母の為にも入学が叶うようエールをいただけますか。

有り難し有り難し 7
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元彼とのわだかまりをなくしたい

元彼と別れて1年経ちます。 遊びじゃなく恋人だと言ってくれました。でも結婚できないと言われていました。私がはじめて深くお付き合いした人で、相手はバツ複数ですが今は独身です。 元彼とは、親以上に年が離れていますが、彼と一緒にどこかに行ったり、他愛もない話をしあったり、一日の終わりにその日あったことを教えてくれたり…仕事で忙しい日々なのに毎日おはようとおやすみを言ってくれたり。そういうところが好きでした。 でも、男女関係になってすぐ、別れを告げられました。「君も将来だれかと結婚するから」と、一方的に告げられて、以降、一切の話し合いができませんでした。(返事がこないのに、何週間かに一度、会って話して欲しいとしつこく連絡をしてしまいました) 半年ほど経ったころ、彼と偶然再会しました。久しぶりだったので、挨拶程度の連絡を送りました。返ってきた返事には、「やらせろ」とそれだけが書いてありました。 付き合ってないのに関係は持てないと断ったところ、今度は「これを最後に二度と連絡を取らない方がいい」と返ってきました。 彼と過ごした日々の思い出は、綺麗なまま残っています。美しいまま残っているからこそ、あの時と同じ時間を求めても手に入らないことが苦しく、好きな人と離れなければいけないことを理解する時間が苦しいです。 彼に会いたくて、仕方ありません。 どうしてそんな極端な考え方をするのか、いまだに会って話をしたいです。 体だけの関係を望まれていても、会える機会だったのにと後悔してしまいます。 私は執着をしているだけでしょうか。 彼の望む通り、二度と連絡を取らない方が良いのでしょうか。 彼と縁を切りたくないという望みは私のエゴでしょうか。 彼がお墓に入ってしまう前に、彼とのわだかまりをなくしたいです。 彼と結ばれなくても、彼のことを大切に思い続けていたいです。彼の幸せのためには、私が今後現れない方がいいでしょうか。 どうかご指導ください。お願いいたします。

有り難し有り難し 15
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