「いいね!」を「有り難し」にしてみたり、FacebookやTwitterへの誘導を「この問答を娑婆にも伝える」にしてみたり。 言い方は悪いですが、イメプレ臭がします。 質問の大半についても、「何もお坊さんに訊く必要はないのでは…」と思います。 お坊さんが答えても良いでしょうが、質問者と近い経験をしている人の方が、もっとためになる回答ができるのでは?と思えるものばかり。 大した回答でもないのに、質問者の大半が、「お坊さん」という仕事に対する過剰な期待と幻想にごまかされて、必要以上に有り難がっていることが多い気がします。 とくに熱血系の回答を見ていると、何だかなー…って気分になります。 こういうサイトこそ、人々を宗教の本質から離れさせていくのではないでしょうか? 利得が絡んでいそうなので、回答はないかもしれませんが、僧侶のみなさまの本心をお聞きしてみたかったので、質問させていただきます。
家の建て替えに伴い、お仏壇を新調しました。新しい家が出来るまで新調したお仏壇は仏具店に預かって頂き、御本尊様(お仏壇と共に新調)のみ魂入れをして頂き、御本尊様、お位牌のみ仮住まいに持って行こうと考えていましたが、本来なら新調したお仏壇と共に魂入れをして頂き、仮住まいにも一緒に移動した方が良いのでしょうか? 今年は亡くなった親の新盆を迎える為、尚の事なのか?ただでさえ、新盆で家に帰ってきた魂が元々の自宅は壊されていて、お仏壇もないなんて失礼ですよね?(お仏壇を持っていかない際には、机に御本尊様、お位牌を設置して新盆には提灯等、向かい入れ準備はきちんとするつもりではいました) ただ、仮住まいは狭く、お仏壇を持っていったとしてもタンスの上に置く形になってしまいます。 アドバイスよろしくお願い致します。
主人が亡くなり2年が過ぎました。 それまでお寺とはご縁が無かった上、いきなりの事で選択する余裕など無かった為、紹介されたお寺の檀家となりました。 葬儀を引き受けていただく際に檀家になる事が条件で、断れない状況でした。 今まで親戚や知人の葬儀に参列した事が何度もあり、通や・葬儀・初七日法要・初盆など、必ずお経の後、ひと言ふた事有難いお話をしてくださり、心が和んだものでした。 しかしながら、主人の通やから、三回忌法要まで、一度も法話らしきものがなく、お経が終わるとサッサと帰られます。 私ひとりの時は構わないのですが、沢山参列してもらった時には、違和感を感じております。 40代のご住職なので、お若いわけではありませんし、お布施も少し大目にしているつもりです。 臨済宗ですが、全く法話をしない宗派があるのでしょうか。 また先日の三回忌に、数珠なしでお経を唱えておられる事に気付きました。 大事な法要ですのに、ショックです。 聞くのは遠慮しましたが、きちんと供養になったのか心配です。 今までの立ち振る舞いや葬儀社からの印象など、仏に仕えている立派なイメージがなく、尊敬できません。 主人にも申し訳なく、檀家をやめたいくらいですが、簡単にいかないでしょうし悩んでおります。
こんにちは。今回は、以前から気になっていたことを質問させて頂きます。 私は、お坊さんの戒名(法名)に興味をもっていて、例えば実際のお坊さんの戒名いろいろを見るのが好きですし、そのお名前の背景を想像したりしています。 そこでふと気になったことがあります。 . 1、実際には、現代日本のお坊さん方は、どのように戒名と本名(元の名前)を使い分けているのでしょうか? 昔は、俗名を捨て戒名を本名として生きるのが一般的だったと読んだことがありますが、現代では変わってきていると感じます。 初対面の人に自己紹介する時、書類などに署名する時、など、様々なシチュエーションによって使う名前も違ってくるのでしょうか? 2、戒名を頂く際は、ご本人の人柄やゆかりのある物などにちなんで名前を構成することもあるのでしょうか? . 多数の一般人にとっては「新たな名前を頂く」などの経験はあまり無く、私のような者にとっては、戒名は未知の世界です。そこで戒名(法名)の実際の仕組みや扱われ方に興味を持っています。教えて頂けるとありがたいです。
昨年末に母を亡くしました。恥ずかしながらそれまで仏教とは無縁の家庭でしたが、親父の実家が浄土真宗大谷派だったということで浄土真宗のお坊さんにお経をあげていただき、葬儀、49日の法要とすませました。49日に合わせて小さいお内仏も設け、今は朝晩、手を合わせるのが日課です。 毎日手を合わせるなかで、今は「おはよう。今日もみんなを見守っててね。なんまいだぶ、なんまいだぶ・・・」とか「安らかに眠ってください。なんまいだぶ、なんまいだぶ・・・」みたいな感じで心の中で呟いているのですが、浄土真宗の考えでは亡くなったら仏様になって極楽浄土に行くとお聞きしましたので、わざわざ安らかになんて言わなくともすでに安らいで極楽浄土にいるのだから、言葉としておかしいのかなと素朴に思って質問させていただきました。本来は手を合わせてお参りするとき、どのような心構えでお参りしたらよいのでしょうか?それと母なので生前のように親しくタメ語で話しかけていますが、仏様になったのだから、タメ語では失礼なのでしょうか? また関連してもうひとつお聞きしたいのですが、自分の身内に限らず他人のお葬式などでお坊さんの読経に合わせて手を合わせることがありますが、お経の意味やその宗派やしいては仏教のことを知らない私のような一般人というのは、どのような心持ちで手を合わせるのがよいのでしょうか?何も考えずお経に耳を傾けているべきですか?「安らかにお眠りください」のように故人の冥福を祈るのですか?個人との思い出にひたるのがよいのでしょうか? 純粋に疑問がわきました。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 私は26歳の女性、結婚しており、現在妊娠中です。 私は自分のことを『人として弱い』と思っており、その弱さを少しは克服したいと思っています。 【自分を弱いと思う理由↓】 頭の回転が悪く、要領を得ない 臆病で神経質な性格で人から責められるのが怖い。 言い方によっては「バカにされた」と思い腹が立ってしまう。 容姿に自信がない(昔外見のことで嫌なあだ名を付けられたり、嫌なことを言われたことを引きずってしまっている。) 【強くなりたいと思っている理由↓】 私は家族や旦那さんに恵まれており、自分が精神的にも経済的にも、他人から見ても弱そうに見えても、守られている状態です。 それはありがたいことで運が良いと思っています。 ただ、こんなに恵まれて幸せを感じているけれど、それは守られているだけであって、私自身が強くなったわけではなく、 1人で行動する時などは鎧を外した丸腰のように、不安で自信のないままです。 これから子育てなど始まるので、このままでは良くないのではと思ったためです。 【強くなるためにしようとしていること↓】 ・健康的な食生活を心がける ・妊娠中にできる運動をする ・子どもが大きくなったら、資格を取って介護の仕事を始める(少しでも自分の力でお金を稼いだり、人のためになることをして自信を付ける) ・感謝日記などのワークに取り組む などを考えています。 人として強くなるためにはこうしたら良いと思いますとか、 お坊さんの宗派の教えでは、こうです、とか、 お坊さんは強くなるためにこういうことを心かげていますとか、 そういったアドバイスをいただけると幸いです。 読んでいただき、ありがとうございました。
主人が亡くなった時に、永大供養のお墓を探して購入しました。 その後、子供もいなかったので結婚前の旧姓に戻して実家の近くで1人暮らしです。 先々、私が亡くなった際は、実家を継いでいる兄家族が喪主になると思います。 そこで質問ですが、実家には仏壇があり、お世話になっているお寺もあります。実家の両親の葬儀や納骨などは、すべて実家の縁があるお寺にお世話になると思いますが、私の場合はどうすべきなのでしょうか? 実家の方は、まだ亡くなった者はいませんが、高齢な父が最近、仏壇だけは購入しました。その際に初めてお坊さんに来ていただきました。 実家の家族も、私自身も、信心深い方ではなくお寺に行く、お坊さんに来てもらうという習慣はありません。実家の母だけが神棚にお供えするように仏壇にもお供えをしなければならないって気にしている程度です。 そんな感じで、実家のお寺ともお墓のお寺とも、深いご縁を頂いているという意識もなく、お逢いする機会もほとんど無い状況です。 通夜・葬儀などは、実家のお寺にお願いして、納骨の時だけ私のお墓があるお寺にお願いするのでしょうか? それとも、通夜・葬儀から、お墓のお寺にお願いすべきなのでしょうか? ちなみに、両方の寺ともに同じ宗派です。実家の寺は自転車で10分、お墓のお寺は車で40分位の距離です。
いつもお世話になっております。 医師の勧めで、毎日、祈願寺の写経道場に 通っています。 その後、護摩でお経を上げ帰宅します。 祈願寺は距離もあるので、規則正しい生活 の基盤、また学びの機会にもなっており、 色々な人も来るので、軽い訓練にもなって いる…気がします。 医学的にも、写経行には集中力を高め、 認知症の予防にも…と聞きますが。 そこで数点疑問が生じました。 写経には大きな功徳が…と聞きますが、 そう言われても、いまだピンときません。 また、我が祈願寺の宗派は実践的な修行に 力を注いでおり、 本山には信徒向けの水行、登拝行、断食行 などのプログラムまで存在します。 まさに、「道場」といったところです。 ご詠歌もあった気が。私もたまに参加 しています。個人的にもやりたいので、 道具を揃えるか思案中です。 とくに断食行に関しては、 「治療目的での入堂はお断りします」 と注意書きがあります。 写経や信徒参列型の護摩と、断食行は やることが根本的に違う、また、前者には 治療云々…の記述はありませんが、 私の場合、認識のズレから誤解を生じ、 お坊さんから顰蹙を買っていないか不安に なってきました。 今までも、あらゆる場面で認識のズレから トラブルを作っていたので…。 関連して、最近になって、お坊さんから 行儀に関して指摘される事が増えました。 たとえば、 「トイレに入る前に輪袈裟を外して」 など…引き締めを図る時期が来たか? とも思います。 ほんとうに、無知で申し訳ない…。
独学で仏教を学んでます。 しかし、過去の名僧の書物を読むのでは、哲学で終わるような気がしてきました。 お寺にご縁はありません。 宗派には拘りませんが、じっくりお話しする中で、仏教を学びたいです。 例えば、禅で言えば、「実践徳目」と云われるように、実践が伴わなくては、仏教学で終わるので意味がないと理解してます。 問答と言うより、「分かったつもり」で「浅い」自分の仏道の妄想を叩き潰して、導いてくれるような方と出会えたらと思ってます。 どのようにしたら、良い師に会えるか、どのようにしてお願いするのか、全くわかりません。 アドバイス頂けましたら幸いです。
大切な方が亡くなりました。 これは宗派によって考え方も違うと思いますが、禅宗の和尚さんにお参りをしてもらいました。 四十九日を終えて、六道に生まれ変わったと言ってみえました。 六道に生まれ変わった、六道の中には人間界もあって、どこかに生まれ変わっているのでしょうか? 空から見守ってもらっている?と思っていたら違うのでしょうか? お盆や何回忌に追善供養をするというのは、地獄にいる前提なのでしょうか?人間界に生まれ変わっていたら、人間界に生まれ変わった誰かに追善のお経がとどいている。ということでしょうか?
こんにちは。 動画で仏教の勉強をしている時に、難しい話ばかりで 長時間勉強が非常に集中が続かなく、飽きてしまうのですが お坊さん達はどうやって、 仏教の勉強をしましたか? 実践ないことには身につかないことは承知なのですが、 実践の仕方、歴史を学ぶためにその動画を見ています。
こんにちは。今回、正信偈についてお伺いしたいことがあり、質問させていただきます。 先月亡くなった祖父のことが何かにつけて思い出されるのですが、自分なりの方法で供養をしてあげたいと思っていたところ、祖父自身が「両親(私から見て曾祖父母)の供養のため」として正信偈を書写していたことを思い出しました。15年ほど前のことになります。生前に書き残したものによると、長年交友のあった知人の方から書写を勧められたとのことです。 こうした祖父のおこないに自分自身を重複させることで、祖父の旅立ちが安らかなものになるようにしたいと思っています。同じ浄土真宗でも唱え方は宗派によって少し異なるようですが、書写に際して気をつけるべきことがありましたら教えていただきたいです。本当は法要でお経を上げてくださったお坊さんにお尋ねするべきなのですが、孫の私が聞くのも差し出がましい気がして、この場で質問してみようと思いました。 正信偈のなかで説かれている教えについてもこれから勉強していかなければならないような段階ですが、何卒よろしくお願いいたします。
仏教をテーマにした、お坊様オススメのマンガはありますか? 以前、オススメの本の質問へのご回答で、朔ユキ蔵さんの『お慕い申し上げます』を挙げられていた方がいらっしゃいました。 連載開始時に気になっていたので読んでみたいと思います。 私は最近のWeb連載マンガで、小林ロクさん『ぶっカフェ!』という作品が好きになりました。 宗派の違う三人のイケメンお坊さんが、仏教に触れられるカフェを営む4コマ漫画です。作者さんがよく調べられていて勉強にもなります。 手塚治虫さん『ブッダ』、中村光さん『聖☆おにいさん』も読みました。どの作品もそれぞれ素晴らしいです。(語ると長いので省略します!) 他にもお坊様からのオススメのマンガがあれば、と思い質問させていただきました。 よろしければ、ご回答をよろしくお願いいたします。
前にも質問にご回答頂けたのに再び質問することが恐縮ですが、質問させていただきます。 死後自分はどうなるのかをずっと考えてしまい、ここしばらく心穏やかではない状態が続いています。 その中でもし死後の世界があるのであれば、出来る限り死後が良いものになるように私は努力をしたいと思いました。ですが、死後を良いものにするために何をすればいいのか、何を信じればいいのか分かりません。 この死後の問題に対して様々な宗教が答えを出していますが、言っていることは宗教によって異なります。(様々な宗教の説く死後の世界の様子を見てますます、死後が怖くなりました。) 仏教の中でも宗派によって死後の考え方は異なることが分かりました。 どの宗教の教えで考えても救われるような生き方をするのは不可能ではないかと思いました。 このような質問をすでに仏教を学ばれているお坊さんの方々にぶつけるのも申し訳なく思いますが、一体私は何を信じて、何をすればいいのでしょう。 正直なところ、もう何かを信じて楽になりたい気持ちもあります...
このサイトで、いろんな方の質問、そしてお坊さんからの答えを拝見し、お坊さんという存在がなんだか身近に感じてきました。 それはなぜなのかと自問し、お坊さんという存在についてもっと知りたいなと思い、今回質問させていただきます。 それは、お坊さんのライフスタイルについてです。 お坊さんは、ふだんお寺で何をしているんですか? 会社員であれば、朝7時に起きて、通勤して、9時始業・・・といったところでしょうか。 一日のスケジュール的なもの・・でも、差支えが無い程度にお教えいただければと存じます。忙しい日、余裕のある日、あるかと思いますが。
主人の実家は学会です。 主人は長男ですが非学会員で特に信仰している宗教はありません。 . 半年前に絶縁状態だった義母が 亡くなりました。 入院したことや亡くなったこと 義姉は親族の誰にも言わず全て学会で終わらせてしまいました。 そのことはもう諦めています。 ただ、入院する1ヶ月前まで 娘が間に立ち主人と義母の雪解けを 探っていました。義母の頑なな心も 少しずつ変わってきていて、主人にも 和解するよう説得していたのに 突然連絡が取れなくなってしまいました。 心配で義姉にも連絡しましたが 着信拒否の音信不通になってしまいました。 この時点でもっと強く行動して どれだけ遠方でも乗り込むぐらいのことを すればよかったと後悔しきれません。 . 和解のチャンスを握り潰してしまった 義姉に対しての憤りが消えるまでは かなりの時間を要しそうです。 . 自宅で仏壇を用意して ご本尊と先祖代々の位牌を 用意して御供養するのがいいと 聞きましたが無宗派の場合は どのように用意すればよろしいでしょうか? . 私個人は般若心経の教えに 共感することが多いのですが 宗教の知識は無いに等しいので どう選べばいいかわかりません。 仏壇を用意したあとのことを お教えください。 . 何卒よろしくお願いいたします。
春から専門学校に通う予定なのですが、将来自分が大卒でないことがコンプレックスになりそうで不安です。 大人になってからでも大学にいくことはできますが時間的にも金銭的にも簡単じゃないと思います。 お坊さんの皆さんは学歴についてどうお考えですか?
大好きな実祖父が四年前に他界し、今年大好きな義祖母が他界しました。 実祖父は、真言宗を信仰していたのですが、私の母が無神論者で、葬儀にお坊さんも呼ばずでした。お墓も無ければ仏壇もありません。 義祖母は浄土宗で、本当に素晴らしい葬儀でした。 葬儀のミサに参列する事はありますが、仏教の葬儀に参列したのは初めてで、義祖母の遺言通りの、本当に素晴らしい葬儀だったと感じています。 それを考えると、実祖父の時に、母に頼んででもお坊さんぐらいは呼んでもらえばよかったなと、後悔しております。 供養の為とか、大それたものでは無いですが、実祖父の事を祈れるように、大日如来さまの豆代の掛け軸と、義祖母の阿弥陀如来さまの豆代の掛け軸を購入し、十字架の両サイドに並べています。 その人その人で信仰が違いますので、その掛け軸を見ながら、大日如来さま、阿弥陀如来さまに、平安を祈っています。 当然三位一体の神にも祈りを捧げていますが、それは、それぞれの神へ失礼にあたりますでしょうか? そのまま想いを馳せるためにも、十字架と大日如来さま阿弥陀如来さまとを一緒にしていては駄目でしょうか? それと、カトリックのように、お坊さんから、掛け軸に祈りを捧げて聖なる物にして頂くものでしょうか? 悩んでモヤモヤしておりますので、どうか、御回答して頂ければ幸いです。
先日、台湾の友人にこのような質問をされました。 「台湾の僧侶は肉は食べない、酒も飲まない、女性との関係も持たない、そうやって厳しい修行をしているから尊敬されている。 日本の僧侶は肉も食べ酒も飲み女性との関係も持つ、どうしてそれで尊敬されるのか?一般人と同じじゃないか?」 わたしは仏教に詳しくなく、戸惑ってしまい、彼の質問にうまく答えることができませんでした。 「日本のお坊さんも修行はしていると思うし……それにお酒と肉と女性をやってなければ偉いっていうのも違うと思うし……うーん……」 というような曖昧な返答になってしまいました。 もし、お坊さん自身がこのような質問をされた場合、どのようにお答えになるでしょうか。 ご不快な思いをさせてしまっているかもしれませんが、どうかお答えいただければ幸いです。
私は、お坊さんに対してとても好意的に思っています。 子供の時に観た映画の映画の影響が、大きいですが、大人になってからは、話を聞いてもらったり、相談にのってもらい、とても親切にしてもらって、大好きになりました。 周りの人達は、お布施と称して、お金をとろうとしてる、壺など、何かを買わせようとする、騙されてるんだ、目を覚ませと言われます。 私が、出逢ったお坊さんは、皆優しい方ばかりなので、何も被害にはあっていませんが、洗脳されてる、病んでると言われてます。 どうしたら良さをわかってもらえるかわかりません。