享年29歳で私の子供が事故で亡くなりました。あるお人に聞いたところその子の運命は生まれる前から決まっていたとの事、子供は親を選べないと言いますが、そうじゃなくそれも生まれる前からどの家に生まれるかも決まっているとの事でした。私の家に生まれて不幸だったのか、子供の今までの人生を考えるといたたまれない気持ちで、まだ死を受け入れきれなくてどうしようもないです。もうすぐ四十九日です。何も手に付かず悲しい毎日を送ってます。教えて下さい。
いつも心の支えにさせてもらっております。 このサイトに来て仏教という物に関心を持ったのですが、私はお寺に行くという事が滅多になく、どういうところなのかピンと来ません。 神社とか願掛けによく行っていたのですが、お寺は大晦日くらいです。 私の家の宗派は真言宗のようですが、宗派の違うお寺でも皆さん気にせず参ったりしてるようで、ほとんど観光って感じですよね。 日本人はあまり特定の宗派に信仰心が無いのは知っていますし、信仰心が文化レベルまで落ちついているとか言われてますが、寺に観光に行けば願掛けしたり、 健康になると煙を浴びたり、神社とあまり変わらないような、 ふと思ったのですが、みんな何しにお寺に行ってるのかと、 私は神仏に対する知識はほとんど無いけれど、なんとなくのイメージとして 本来寺院は煩悩を無くし、心を正すところと思っているのですが、 願掛けなどは煩悩で、それと真逆の事なのでは? 大抵の人がお寺に参拝するときはどういう心構えなのか気になりました。
私は、某宗教の二世として、産まれました 産まれた当時から私の父親がその、教えに疑問を持ち教員をやめましたが、母親は一生懸命協会員をしていました。 しかし、小6年生頃から自分もその教えに疑問を持ち 次第に礼拝にいかなくなりました。 家では親は顔を合わせるたびに 【金を返せ!!!!】【離婚しろ!!このぺてん師女!!!!】 寝てる時に枕越しに喧嘩の声が聞こえるのは日常茶飯事、朝起きると家具が壊れている事もありました。 中学二年生の頃に私の母親は家を出て祖国へ帰りました 私は日本に残ったのですが、父親はすぐ別の女を作り 私と顔を合わせるたびに、【あのクソ女は私を裏切った】【クソ女の祖国もクソだよ、〜〜なことがあってな、あの民族はほんとにクソみたいな事しかしないんだ。】 そう言い聞かせてきます。 私は、皆がそうではなく、父親がネットリテラシーがなく、インターネットの心無い声に毒されている事もわかりますが、とても心が痛みます。 私は、道を踏み外してしまい、高校は中退 仕方なく始めた現場仕事も長くは続かず 職場を転々としながらすごしています、 しかし母親から、私の祖国へ来て 少し自分を見つめ直せと連絡がきています グレたチンピラのような息子を見てられないと、 私は、その教会のお陰でこの世に生を受けたと言っても過言ではありません。 しかし、父親が否定することにより、わたしの存在は嘘なのでしょうか? 生きている意味はあるのでしょうか?? 死んで、消えて無くなりたいと思ったのは一度や2度ではありません。 このまま、辛いことに耐え、生きて行くことに意味が見出せないのです。 どんな映画や、友達のめでたい出来事 を見ても、表面では、すごい!!!感動した!! と思っても、 心の奥底で、 【ふ〜ん。で??なんか意味あんの?それ、】 っていうきもちがぬけません。。 自分が何を質問したいのかも、よくわからない状態です、 変わりたい!!という気持ちはあるのですが、 どのように変われば良いでしょうか。、 このままではイケナイ!とは思いながらも 成功した未来が見えないのです。
空行を入れられず見にくいかもしれません。 申し訳ありません。 恋人が自死をしました。 自分で言うのもお恥ずかしいですが喧嘩もなくお互いに本当に大切な存在で、愛されているな、と毎日の様に感じていました。 ご家族から聞いて私は見ていないのですが、最後に遺してくれたメモに自分が弱い人間であった、家族へ対しての謝罪、そしてご家族に向けての私の紹介と私への心配、謝罪などが綴られていました。 直前まで普段通りの会話をチャットでしており突然の出来事で信じられずショックがおさまりません。 毎日感謝や愛を伝えていたのでそこだけは後悔がないです。 交際期間はとても短いですが毎日がとても濃く、とてもとても幸せで私にとって本当に完璧な彼でした。 その日から会社は休ませてもらい、ご飯は食べられていますが、彼との日々が日常に溢れる度に苦しく涙が止まりません。 死にたい、とは思わないのですが彼に会いたい、彼のいない毎日を過ごすことがとても辛く明日を迎えるのが毎日嫌でたまりません。 後を追ってしまったら、遺された人の気持ちが分かるし彼もそれは望んでいない、二度亡くなってしまうことになると頭では分かっているのですがどうしても未来を見ることができません。 先日居ても立っても居られず故人交信ができるという占い師さんに会いました。 私の中で半信半疑ではあるのですが、彼は最初亡くなった事を理解していなかった、ずっと眠っていて身体が動かないなと思っていたため自分が亡くなった所を見ていないしご葬儀にも出ていないと。 ご葬儀の際に棺に私が書いた手紙や思い出の物を入れたのですが彼は見たり読めていないということなのでしょうか? また交信の中で、幸せにしたかったけどもう出来ないから俺より良い人を見つけて結婚して子供を産んで幸せになって欲しい、と言っていると言われました。 本当に今まで出会った人の中で1番何もかもが合い結婚したいと思っていた相手なのでそんな未来はあり得ないと思ってしまいます。 会社や友人や家族、彼のご家族にもとても心配をかけてしまっているのですが立ち直れず明るい未来を描けません。 毎日彼の笑顔の写真に話しかけ、返事がないのが辛くて仕方ありません。 何もする気が起きません。 私はどうしたらいいのでしょうか。 >お坊さんへ 亡くなった理由など詳細はプロフィールをお読みいただきたいです。
以前から様々な方の悩み相談を拝見しており、参考にさせて頂いております、ありがとうございます。 はじめての質問をさせて頂きます。私はある大切な人との出会いをきっかけに、仏縁が出来、無神論者で虚無主義者だったところを、かなり改善することができました。 もともと私は自分勝手な人間でした。正義感はあったのですが我が強いために、独裁者に立ち向かうなどの良い行いに活かせたことも稀にあったのですが、それ以外のほとんどの面ではただの我儘な人間でした。さらに中途半端に哲学などの知識をつけてしまったせいで、反出生主義などの極端な思想に走り、その思想を家族にぶつけて困らせてしまったことも何度もありました。 好きなものへの執着心もひどかったです。自分だけがその存在を知り愛していればよいと思う一方で、それを好きにならない人間は悪趣味だとも思っていました。 つまり、私は(一般的に見て)悪人というほどではなかったものの、自分が好きな食べ物ほど他人に食べてほしいと思えるような成熟した人間では決してなかったのです。 しかし、仏教を学び始め、苦しみはまさにそのような自身のエゴが作り出していることを痛感しました。与えられるのを待つより与えるほうがずっと幸せになるということもよくわかりました。 問題は、そのことが分かった上で、仏教が理想的とする人物像に達するために、日常をどのように生きればよいのかわからなくなってしまったということです。 仏教を知らない人でもわかるような善行ならできます。でも、心の状態まで管理するとなると、例えば私は劣等感を克服して自分の容姿を肯定的に捉えられるようになり、それを活かすためにメイクするのが好きなのですが、このことはエゴへの執着となってしまうのですか?可愛い服を着た自分を可愛いと感じて自信をつけることは? 食べ物1つとっても、心が沈んでいるのをなんとかするために、好きなものを食べようとするのはいけないことなのか?と考えてしまいます。 作品はどんなものを観ればよいのか?私は児童文学が好きなのでまだいいと思うのですが、教訓のない物語を読むのは心に良くないからだめなのですか? 無学な私にどうか智慧をお授けください。お願いいたします。
私はゲームなり本なり創作なりでお寺で働いているキャラクターをよく見ます。 私も創作物を書くのですが、お寺についていくつか疑問が湧いたのでお答え頂ければ幸いです。 1、お坊さんが世襲制だという話 親がお坊さんなので自分もお坊さんになる。というのはお寺では多い事なのでしょうか。 また、そのような家系にお産まれになった女性の方に、巫女になるという選択肢はあるのでしょうか。 2、お札について 初詣などでお札を頂く機会があります。 この「お札」というのを作るのに適切な時期のようなものはありますか?(例えば、仏滅を避ける……等) また、お札を作成される方はお坊さんだけなのでしょうか。
質問が2つあります ①仏教では輪廻転生と言う考え方で生まれ変わると言われていますが 人口の増減についてはどう考えているのでしょうか? 今の日本の人口は1億人を超えていますが 奈良時代 大宝律令ができたころは310万人~320万人ほどだったようです。 日本史の教科書では 昭和初期の満州事変が始まった頃のことを 日本は中国人4億5千万人を敵に回すことになった と書かれていますが 今は中国の人口は軽く10億人を超えています 同じ国籍だけに輪廻転生するとは限らない 世界規模で考えるべきとしても 現在世界の人口は70億人程度いるようですが 1世紀に前に比べても数倍になっています もっと言うなら 数万年前の ~~原人 とかいたころはどうなのか? とか いろいろ説明がつかないことばかりです。 昔の 江原啓之さんが出てくるような心霊番組はテレビでやらなくなりましたが (便乗した霊感商法 悪徳商法がはびこるようになるとか、輪廻転生を信じた人が人生をやり直すために自殺するケースが出たなどの理由で弁護士などがテレビ局に抗議したそうですが) 当時の番組では江原さんは輪廻転生を言っていて 「あなたの前世は~」と言う話になると 全て人間であり、他の動物だったケースは見たことがありません。 しかし 全ての人間が また人間に輪廻転生をするとすると 個体数の関係で辻褄が合わないことになります。 これは仏教ではどう考えているのでしょうか? ②私は亡くなったら全て「無」に帰す 霊魂も輪廻転生もないインチキだ と言う考え方は好きではありません。 それは 大切な肉親を亡くし時点で「永遠の絶縁」を意味するからです。 死ぬことは怖いとは思いませんが、肉親と未来永劫絶縁になると想像するほうが怖いです。 霊魂や輪廻転生を完全否定する宗教家の方もいるようですが、肉親を亡くしたら情なんて捨てろ と考えているのでしょうか?
近年、量子力学等の学問での研究に目覚しい進歩が見られます。 量子力学や精神系分野で輪廻転生の研究の話題が盛り上がっています。 量子力学では遂に死後の世界について【量子もつれ】と呼ばれる現象で論文を発表したり輪廻転生の研究をしていらっしゃる学者さんもいますし少し前ですが精神系分野では著名なアメリカのジム・タッカー博士は輪廻転生をしたと思われる2500人の子供達に関して発表しました。 この子供達の実例を見る限り明らかに例えばAという死んだ人物とは関係ないBの少年又は少女がAの生前の記憶を持って生まれてきている事があるようです。 それでも脳の錯覚だとして懐疑的な学者さんが多い中、現在進行形でこの分野の研究は着実に前へと前進しています。 ちなみに、私は死後の世界も輪廻転生も存在すると考えています。 そこで、今回は輪廻転生についてお聞きしたいです。 お坊さんは輪廻転生とはどのようなものだとお考えなのでしょうか? 輪廻転生の仏教的解釈やお坊さん個人のお考えをお聞かせください。
私は関西から知り合いのいない福島県に嫁ぎ10年以上主人や姑、小姑、その娘のために尽くして来ました。震災の際には自分の実家にみんなを連れて避難し、飛行機の手配から実家での世話まですべてしました。箸1本運ばせてもいません。それなのにここに書ききれないくらいのひどい仕打ちを受けましたが主人に何を言ってもお前が悪い!お袋は間違ってない!といいます。これも嫁姑の関係、しょうがないと諦めもしていますが、実家に帰っても今度は実の妹(独身で母と同居)が何かにつけ言いがかりをつけ自室に閉じこもって何日も出てきません。実家に帰ったからと言ってのんびりできる訳でもなく親孝行だと家の用事を一生懸命して年2回の帰省、楽しくみんなでと思って動いているのに、今年のお正月も大晦日突然切れて部屋に篭もり母が呼びに行っても罵声を浴びせる、泣き喚く、母が持っていった赤飯のおむすびも食べず1度も出てきませんでした。認知症の始まってる母にこれ以上の心労をかけるのも嫌で早めに帰省を切り上げて帰ってきました。さかのぼれば私の結婚式の数日前にも妹は切れて結婚式には出ませんでした。 余程私が楽しそうなのが気に入らないのでしょう。母は私が帰ってくるのをいつも楽しみに待っていてくれるので年2回だけの帰省ということで長めに帰っていました。昨年は母が胆石で入院したので妹の仕事に影響ないように帰省して看病もしました。震災のときに主人の家族や6人も連れてお世話になったその恩返しだとつくしましたがそれももうやめにしようと思います。どちらの親兄弟のために一生懸命尽くしても結局最後は悪者になってしまう、主人だけでも味方になってくれれば耐えられもしたでしょうがそれも望めない。私の中で何かが崩壊しました。感謝して欲しいわけじゃないです。恩着せがましくしてるつもりもありません。ただみんながうまくいくように心を砕いてるだけなのに、やはり私が間違えてるのでしょうか?主人が言うようにやり過ぎですか?こちらから困りごとはないか聞いて回ってるわけじゃないんです。でも「ご相談」といってみんな困ったときだけ擦り寄ってくる。もう全部断って自分の生活だけに専念してはいけませんか?自分の親にも寂しい思いをさせるのは辛いですが帰省は今後はしないつもりでいます。どうか何が正しいのか御導きください。