hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 不安」
検索結果: 1535件

皆さんは。

お坊さんの皆さんは、人生を、日々を、どのようなモチベーションで生きていますか? 死ぬことは怖いですか? 私は、思います。世の中や人はとても儚いものだと。その儚さを、どう前向きにとらえればいいよいでしょうか。 命の終わり方は、いろいろあって、 自分もいつかはなくなるんだと。 時々不安になります。私は、リタイアせずにゴールまでいきることができるのか。 私は、シャボン玉くらい心が脆いです。 だから、生と死が隣り合わせのこの世界でこんな自分はこのままやっていけるのだうか。 私の周りの友達のように、生きることに関してあまり重度には考えず、無関心で無意識に生きて、勉強に集中したい。 考え過ぎだよ。 暇なんだね。 悩むことは悪いことじゃない。 みんなそうだよ。 その言葉に私は少なからず傷ついてきました。 私の考えてることは間違ってるのか。悪いことなのか。 事実から論理立てて考えて出した私の考えは、そう簡単には覆せないと心では思ってます。例えば、生まれてこなければよかったとか。(理由を話せば長くなるので)でも、誰か、私を覆す人がいないかなと探してます。めんどくさいですよね、こんな人。 そういう自分が嫌なんです。 このままではさらにエスカレートしていってしまいます。 いつか、悩んで泣いた時間が役に立つときが来ればいいなと思っていますが、それはまだ先の話で、とりあえず今、何かがずっと辛いんです。 生き方、道標を教えてください。

有り難し有り難し 27
回答数回答 2

親の衰弱

最近、私の母が熱を出しました。 50代半ばの母は病院を極端に嫌い、行くのを面倒くさがって行かずに、再び熱が出てようやく病院へ行きました。 夕方に37.4度、1時間後には39.8度と、急に熱が上がりすぎたのか意識が朦朧として、ハッキリ喋っているのに内容がしっちゃかめっちゃかで何を言っているのか分からない状態になってしまいました。 症状に関しては入院してお医者様に診て貰うので心配はしていませんが、 母の意識が混濁していて10年前と昨日の出来事をまぜこぜに話している姿を見て、涙が止まりませんでした。 ここで初めて、私は「親の死」や「介護」への不安のような、老いに通じるものへの見えない恐怖を目の当たりにしたような気がします。 翌日再び病院に荷物を持っていっても、やはり少し意識が混濁していて、話す度に少しずつ内容が変わっていて、とても見ていられない。 これが高熱による一時的なものだと信じたいのですが、もし今のまま、あるいは熱が引いても少しずつボケていってしまったら、私はこの人の面倒を見られる自信もないし、例えばコロリと死んでしまっても、乗り越えられる自信もないです。 自分一人でさえ食うや食わず程度の経済力しかなくて、不安で不安で、救急外来に行ってからまだ2日しか経っていないのに、5キロ近く体重が落ちていて、どうしようどうしようという気持ちでいっぱいなんです。 受け入れるのも、乗り越えるのも、出来るわけないじゃん お母さんだもん お願い 元気になって

有り難し有り難し 26
回答数回答 2

自分の気持ちのコントロールが出来ない。

母が肺癌で闘病中です。ステージ4でリンパ節にも転移しています。 3月中頃から癌がおとなしく、抗がん剤をお休みしていましたが、また癌が活動を初めて腕が浮腫み、腰痛も酷いです。今週の金曜日に受診予定です。 抗がん剤お休みしてたので少し不安でした。 いつ暴れるか判らない、治らない、いつ何があってもおかしくないと思いながら毎日を過ごしてますが、いざ癌が暴れだすと不安で気持ちが落ち着かなくなり何も手につかなくなります。 私が想像も出来ない程…母はもっと不安で死への恐怖も感じてるかもしれないのに…私が支えなければならないのに… 私も2ヶ月も抗がん剤休んだら、また暴れだすと思って理解していたはずなのに気持ちのコントロールが出来ないんです。 母の前ではかろうじて、いつもと変わらないようにしています。 けど、一人になると駄目です。 母が癌と診断された時、手術も出来ない状態でした。治らない事も何年生きられかも判らないけど、何があっても笑顔で支えようと思い、2年の月日が経ってるのに、今は何だか嫌な予感がしてたまらないです。 以前は前向きに考えて行動出来たのに… 命あるものはいつか死を迎える。それが早いか遅いかの違いだけ、親も歳をとりいつか死を迎える。理解しているようで私は理解出来てないのでしょうか… 気持ちを前向きにしたいです。けど、どうしたらいいのか判らなくなってます。 乱文ですみません。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

無事に一周忌を迎えました

今日は、質問ではなくお礼です。 昨年9月に17才の娘を自死で亡くし、何度か相談させて頂きました。 当初は、どの回答も否定的にしか、受け取ることができずにいましたが 娘は娘の人生を生きたんだ。私は私の人生を生きればいいんだと そう思えるようになりました。 あの時に頂いた回答を読み返し 今は、心にすとんと入ってくるようになりました。 初盆の頃、とてもしんどくて、生きる理由が欲しいと思いました。 こんなにしんどいのに、なんで生きないといけないのか。 生きる意味があるのか。あるなら、その理由はなんなのか。 答えがあるはずもなく、いずれは私も逝くのだから この苦しみも必ず終わる。 それまでは、やれることをやりながら生きるしかない。 そう思えるようにもなりました。 一周忌、取り乱すのではないかと心配でしたが あの日に戻ることもなく、 一年踏ん張ってきた心で、手を合わすことができました。 実は、最後に見た娘の後ろ姿が思い出されて どんな顔をしてたんだろうと、気になっていました。 とても不思議なんですが、お盆に娘の夢を見たんです。 娘はあの日と同じ、高校の制服姿でした。 そして、気恥ずかしそうに笑ったんです。抱きしめることもできました。 ただの夢かもしれません。 だけど、「ああ、娘は今、楽になっているんだな。」そう思えて なんだか安心できたのです。 とても、可愛い笑顔だったんですよ。 これからも、気持ちが上がったり下がったりの繰り返しかもしれません。 生きていたら当たり前の事ですよね。 きっと、私は大丈夫です。 もう少し余裕ができたら、お寺巡りしたいなって思っています。 もしも、訪ねて行ったときは、どうぞよろしくお願いします。 ありがとうございました。

有り難し有り難し 25
回答数回答 2

親戚の葬式後のメンタル

今日、祖父の姉の葬式がありました。 離れたところに住んでおり最後に会ってから10年近く経っていますが、小さい頃遊んでもらってお世話になった人なので、最後の機会だと思い向かいました。 棺に花を入れる時や火葬では涙が出そうになりましたが、悲しいよりも、もらい泣き、雰囲気につられているだけだと思いました。 ところが葬式が終わり、帰ってきてから夜。 もし自分の子供が死んでしまったら… もし夫が死んでしまったら… と考えると涙が止まりません。 事故、事件など最悪の可能性を想像してしまいます。 少しですが、自分も死んだらどうなる?と子供みたいな事を考えてしまいます。 1度考え出すと止まらず心がぐちゃぐちゃです。 葬式に行かなければよかったとすら思います。 こんなに心がボロボロになるなら、もっと近い人の死で自分がどうなってしまうか怖いのです。 その人がいなくなって悲しいのに加え、お見送りをした後も、こんなにも怯えなくてはならないのでしょうか。 こう考えてしまうのは普通ですか? 亡くなった人だけの事を考えないのは薄情ですか? 検索しても、近しい人の死後のメンタルを労る記述があっても、私とは違い相談できるのがここしかありませんでした。 今後あるであろう死の度、これではとても心が持たないと思い どう思えば前向きに見送ることができるのか、 大きすぎる不安を感じなくていいのか 教えていただきたいです。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

尊厳の保持、尊重とは何か

いつもお世話になっています。 長文失礼致します。ただ今介護の資格を取得するため勉強中です。そしてグループホームで職場実習をうけているのですがそこで疑問を感じました。 認知症で段々とわけがわからなくなってしまうならば「その人が望むのならば」その人がまだ頭クリアなうちに、その人がその人らしくいられる内に亡くなった方が幸せな場合もあるんじゃないかと感じました。 生きることが必ずしもいいのか、死ぬことで保たれる尊厳や救われる心もあるのではないかということです。特に介護の環境がよくない場合は尚更です。 そう感じた理由は 実習中に入居者様から殺してくれない?と頼まれたことがあります。どんどん馬鹿になっていくと仰っていました。その時の不安そうというか悲しそうな顔はとても印象にあります。 認知症だからそういう不安等の思いも忘れてしまうのかもしれませんが忘れてしまうからいいのだろうか?と思います。 そして介護の環境です。自分の実習先では残念ながら不適切ケアと思われることも一部ですが見受けられます。不適切ケアの背景もあるのだろうけどいかがなものかと思います。そしてそんな不適切ケアが行われている中では尊厳は守られないのではないかと思います。 生きていてそういう環境におかれるならば頭がクリアなうちにできることなら慣れ親しんだ我が家、自分の部屋などで死ねるほうが幸せな場合もあるんじゃないかと思いました。

有り難し有り難し 10
回答数回答 2

命に対するジレンマ、疑問

看護師をしています。 私は病院で働く中で多くの患者様を見てきました。軽症から重症まで。若い人から超高齢者まで。 その中で、看護師として働くことを諦めるような悩みを抱えました。 ご高齢の方や終末期の方は、死への恐怖というより現在ある痛みや苦しみ、排泄など恥ずかしい部分を他人に見られる羞恥心などから、もう楽にしてくれという方が多くいました。殺してくれとも。 命を救う側の私たちは、目の前の命を救うという責任があります。見捨てることはできません。 しかし、それでも何度も何度も楽になりたい、あちらの世界に生きたい、今自分の意思で生きているのではなく他者に生かされてるだけだと、涙ながらに、そして時には怒りながら訴えられました。 そんな方々を多くみる中で、私は看護師として生きることを諦めないようにお話をする機会もありました。 その中で私は、ここが生き地獄だと思っている人たちを救うことが本当に人のためになるのだろうかと疑問を持ちました。 本人の意思ではないのに、多くの管で繋がれ、ベッドに縛り付けられてまで命を守ることが本当に正しいのだろうかと疑問に思いはじめました。 私はこの疑問に対する自分の中での答えが出ず、看護師を一度完全に辞めました。このような疑問を持つことは、命を救う立場の者としてあってはならないと思ったからです。 世の中には尊厳死や安楽死などの言葉が存在します。尊厳死は、延命治療を無理にせず苦痛を取り除きながら、自然に死を迎えられるようにというものですが、日本の医療の現状としてなかなか行われていないのも事実です。苦痛は痛みだけではありませんし。安楽死などもっての外です。 以上の過程があった上で相談したいことは以下の通りです。 ・生命は大切にしようとよく言われるが、そもそもその考え方はどこから生まれたのでしょうか?生き地獄だったとしても必ず守らなければならないのでしょうか? ・安楽死などの考え方について、仏教の視点からはどのような考えがあるのでしょうか? ・命の大切さという根本的なところが分からなくなっている私は医療従事者として失格でしょうか? 長文で申し訳ありません。 お時間のある際にご回答いただけると幸いです。

有り難し有り難し 30
回答数回答 2
2024/12/04

もう少し強くなりたいです。

お世話になります タイトルのことについてお話しさせていただきます 私は2年前に母を自死で亡くしました 母が亡くなったその時は私自身、新しい仕事場での不安(主に対人関係)が膨れ上がり、軽い鬱のような症状が出てしまったため仕事を辞め転職し、工場での仕事に就く5日前の出来事でした 元々軽い鬱のような症状があったところに母の自死が重なり中等度の鬱病を発症、働けなくなり退職しました 当時は婚約者と同棲をしていたのですが、私が働けていなかったことで母の死の1年後に別れを切り出され、今は実家に戻り父の金銭的援助のもと暮らしています 元カノはしばらくは支えると言ってくれて今年の7月までは連絡をとってくれましたが、好きな人が出来たということで連絡ができなくなり、そこから不安が増していきました 今年の9月にスーパーの仕事に就いたのですが接客(特にレジ)の時に不安や恐怖を感じ、メンタルクリニックに行ったところ不安神経症と対人恐怖症と診断されました そこからはどんどんメンタルが落ちていき、以前、普通にできていたことができなくなっていく、もしくはできるけど不安になるといったことが増えました ですが、自分なりに考え方や日々の過ごし方を工夫して少しずつメンタルを回復させていき、カウンセリングの先生からも「もう大丈夫」という言葉をいただき、まずは負担の少ない派遣の仕事から始めようと思い、派遣で生産管理の仕事を来週からスタートすることになりました しかし、自分の中では相変わらず不安が頭の中をぐるぐるもまわり疲れてしまいます これから始まる仕事のこと(主にコミュニケーションの面)や恋人が見つかるかどうか、最近ではまた鬱病になったらどうしようとかも考えてしまいます 以前なら彼女に話して考え方の軌道修正をできていたのですが、今はいないのではじめのうちは友人や家族に相談していました ですが、私の不安や悩みを友人や家族に話してもまわりの人は私を助けられないというか、どう声をかけていいか分からないのだと思います みんな忙しいこともあり、最近では少し距離を感じています こうした経緯から、自分の中で不安や悩みをうまくコントロールしていくことが大事という結論に至りました しかし、自己肯定感が低かったり今まで良い選択をしてこれなかった自信の無さからうまくコントロールできないでいます 何か良い方法はないでしょうか?

有り難し有り難し 1
回答数回答 2

#死ぬ事が怖い

小学生の頃より、ふとした瞬間に"死んだらどうなるのだろう"と考え始めた。 でも、当時は漠然とした考えで 中学生の頃も同じようにふとした瞬間に漠然と考える事はあったが、そこまでの恐怖はなかった。 高校〜大学の時に恐怖へのクオリティ?が上がり、特に両親が去ってしまうと考えた時に押し潰されるような不安に襲われ泣く事もありました。 しかし、泣いて翌日にはケロッと後に引く事はなかったが20代後半になり 1人の時や夜中にふと目が覚めて ・両親がいなくなったら孤独だ ・兄妹はいるけど順番で考えたら  私が最後か… ・結婚もせず独身、死ぬ時も孤独なのか ・どんどんと老化してきて何もできなくなって死ぬのかな、怖い。 ・日々の一瞬一瞬全てが無に戻る&無意味に思える、それが怖い。 色々な不安が頭にぶわぁーっと入り 今までと比べ物にならないぐらいの 死への恐怖の波がきます。 私自身がネガティブな状態で、それが原因なのかと思い携帯で検索してみると 同じような人がおり、安心するが 内容を読むと結婚していて子供がいてetc... いやいや、結婚もしている 子供もいる、"家族"がいる。 生きた証を未来に繋げれる地盤が あるのに…と、卑屈になってしまい 更に不安がこみ上げて泣いたり 不安で寝れなくなったりします。 両親や兄妹が去れば 私も終わりでいいかなって思うし 始まりがあれば終わりもある と理解しているけど グルグルと同じ事を考えてしまいます。 死への恐怖はどうしたら治りますか? とは伺いません…。 ただ、言葉では言い尽くせない この恐怖をどう乗り越えていくべきでしょうか? よろしくお願いします。

有り難し有り難し 27
回答数回答 2

30歳で死にたい。老いに対する恐怖

はじめて質問をします。失礼な所もあるかもしれませんがご了承下さい。 自分は女性で今21歳の大学4年生です。 はっきり言いますと、30歳で死にたいと考えています。 理由はどんどん歳をとっていく不安・老いに対する恐怖です。 20代は若く服もメイクも何かに挑戦するのも気にせず出来ますが、30代・40代につれてできる事が限られてくるし、最も自分が老いる想像がつかないです。 最近では若者はこれからもっと苦しくなる(仕事・年金等)ってのも一理あるかもしれません。 とにかくいろんな不安が混ざってます。 心が年齢に追いついていないのかもしれません。自分はまだまだ精神年齢が浅く子供のようです。 日に日に過ぎていく事に不安や恐怖が募り情緒不安定で食事もあまり摂らなくなりました。 これからくる誕生日も憂鬱です。 元々心配性で何か不安な事があると緊張したり眠れなかったりします。 以前にも、同じように考えた事がありますが時間が過ぎるとすぅーっと気にならなくなりました。 ですが、今回はそうはいかず、考えないように・他の事に集中しようともダメでした。 こんな考えをする事自体可笑しいと思います。でも考えてしまいます。 自殺をするなら首吊りか薬の過剰摂取(OD)にしようかと考えてますが。 希望は安楽死がいいと思ってます。 海外など安楽死制度がある国や州は凄く羨ましいです。日本にも安楽死制度があったら...って何回も思いました。 質問よりは悩み相談みたいになってしまいました。 生きる事とは何でしょうか?老いで得られる事は何でしょうか? 長々と書きましたが、お手すきの際にご教授下さい。

有り難し有り難し 49
回答数回答 2

生きてるのが怖い

死ぬのは怖いです。 死は未知です、五億年という時を経っても意識は永久に無くまるで気絶した時のようです。 私はとても自殺願望が高いですが、私でもわかるようにこの世にいる人は誰も本来的には死にたくないと。 死はとても美しいものです、全てが虚無になります。 どんなにクローンが生まれたとしても、それは自分の意識でもなくクオリアもありません。 しかし同じように生きてるのも怖いです。 人生一回しかないという重い重い現実があります、そこにはどんな物理法則も変えられないという絶対的なルールがあるので一度でも足を切断やらしたら永久に手が生えてくる事もありません、誰かが死んだら永久に会えません、一度顔面に塩酸をかけられたら二度と顔は再生しません、一度ホームレスになると一生勝ち組になれません、一度HIVになると一生治りません。 悲惨な人生だったら一生悲惨なままです。離婚したら離婚したままで今後誰からも愛されることはありません。 そういうのが怖い。 人生は可塑性がありすぎて一度何かをやったらそこから変わる事がないです。 死と生は表裏一体です。 死があるから生が尊いものになります。一度しかないから一生とかいう言葉を使い自分の人生を有り難がります、死があるから身近な人が死ぬのを悲しみます。 私は、この物理法則が次々変わるのがこわいです。 現実が移り変わるのが怖い。 いまこの瞬間があるのが怖いです。 いつも恐怖や不安を抱えています。 私達は現実に金融資本で搾取されてます、労働で自分の貴重な人生の時間が搾取されています、二度と返ってこないです。 何処かで働いたら金になるだけでその時間は二度と返ってこない、私の親は底辺職に就いてたので何十年と人生を安く買い叩かれて人生という貴重な時間を費やしていました。 私は20代ですが私の貴重な時間を使用して作られた富を老人に吸われています。 また同じように過去の偉人や天才やらが貴重な人生を使用して発見、発明した数式や発明品やらなんやらを何の苦労もなく得ています。 そういうのが怖い。 いつか重い病気になったり、事故ったりして苦しみのが怖い。 来月の今頃は何か嫌な悩みが増えてると予想できるのが怖い 明日は口内炎で口が痛いかもしれない。 明後日は親友と仲違いするかもしれない。 生きるのが怖い。死ぬのが怖い。 恐怖から逃げたいです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2