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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 不安」
検索結果: 1538件

死について漠然とした不安があります

 またまた質問よろしくお願いします。 死について漠然とした不安があります。 最初は小学生のころでした。特に何かあったわけではありません。 ただふっとした時に「死にたくない~」と思い泣いていたのを記憶しています。 ヲタクなので、漫画やらアニメやらドラマやらメディアでは死について想像したり見たりします。 ですが、身近な親戚や、友人知人の死に直面したことはありません。 同級生がひとり自殺されたという話は聞いたのですが、同級生との関わりが縁遠くなってしまっているので、実感がありません。 両親の祖父母は健在ですし、自分の家で生活できています。 東北在住なのですが、近くにいる親しい人が震災で被害にあったということもありませんでした。 自身もですが、親戚、家族、友人知人が大病を患い入院しているということもありませんでした。それ自体はとても幸運なことだとは理解しています。 外にいて空の高さや雲の重なりなんかを見て地球や宇宙を感じるとき。 妊婦さんを見かけたりした時。自分が生きてたり生命があるという事を感じます。 今でもふとした時にとてつもなく死に恐怖を感じます。 これからさきどうなるんだろう?まだ20代なのですが、30代に差し掛かるし、求職中で独身です。 死より将来に漠然とした不安を感じているのかもしれません。 これから先も地球や日本は続いていくけど、私は死んだらどうなるんだろう?死んだら終わりだし真っ暗で何も感じられないんだろうと考えると怖くて怖くて堪りません。自分の人生がいつか終わるのが不安で恐怖に感じています。 別の質問で書きましたが、危ない運転をしてしまったことがあります。 それでも生きているけど、いつ死ぬかわからないよね。 と感じたことがあります。そして身近な人の死に耐えられるかわかりません。 自分でも身近な人でも死が怖くて堪りません。 死の恐怖とはどのように向き合っていったらいいのでしょうか? 20代後半でこんなことを考えているのは可笑しいでしょうか?ご教授よろしくお願いします。

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不安(妹の死)

今年の2月に21歳の妹(みゆき)を事故で亡くしました。 私の5歳になる娘もとても悲しみました。 ある日、娘がおばあちゃんに「またみゆきちゃんを産めばいんだよ」と言いました。 子供って可愛いこと言うなと思っていました。 するとある日、私に「ママはもう赤ちゃん産まないの?」と聞いてきたので「もう1人ほしいね」と言ったら「そうだよね。私が死んだら悲しいからもう1人ほしいよね」みたいなことを言ったんです。 私はビックリと言うかショックで言葉が出ませんでした。 母は昔から「子供は3人くらいいる。2人だと1人死んだら1人だけになるけんな」と言っていたんです。 私は(変わったこと思う人だな。子供が死ぬなんてないよ)と思っていました。 でも、妹が死んで私1人になってしまいました。 母は「やっぱりもう1人産んどけば良かった。子供は何人いてもいい」と言っていました。 私は(妹を産みたい。子供は2人と思っていたけど3人ほしい)と思いました。 そんなことを考えている時に娘に「私が死んだら...」と言われてショックでした。 (もしかして予知!?母さんが娘の前で子供は3人いるとかの話したことないし、私も3人ほしいなんて話したことないのに、なんで私が死んだら...なんて言うのか!なんでそう思ったのか...)ととてもとても不安になりました。 娘は妹に似てるところが多々あるので、すごく怖くなりました。 妹に死なれたショックははかり知れません。 こんな状態の時に娘に「私が死んだら...」と言われてほんとにショックでした。 予知だったらと悪いことばかり考えてしまいます。 このモヤモヤをどうしたらいいのかわからなく、ここに書かせていただきました。

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災害と死への恐怖と不安

不安で仕方がありません。 災害、事故、事件、世界情勢、常に全てに怯えていますが住んでいる地域の特性から最近は火山災害が特に恐ろしいです。 今住んでいる場所から逃げ出したい気持ちでいっぱいですが、現実的に難しい状況です。家族もいるし、お金もないためです。 不安を見て見ぬ振りしようにもふとした瞬間に恐ろしい情景が頭をよぎり恐怖でいっぱいになります。無駄に想像力があるので手に負えません。 災害への備えは少しずつ始めているのですが、備えにだって限界はあるし間に合わないかもしれないし、そもそも即死の可能性だってあります。 そして私が怯えたところで減るわけでも増えるわけでもないのが災害。その日は明日かもしれないし、一生来ないかもしれない。遭遇しても案外平気かもしれない。そもそも突然の事故で今死ぬかもしれない。 未来に対して不安になることそのものが無駄なのだと理解をしつつも、浮かぶ全てが恐ろしくとても苦しいです。 常に次の瞬間滅びるかもしれないという気持ちで、怯えながら毎日を過ごしているのでとても充実しているとは言えません。することもしたいことも見つけられず、恐怖と不安で無気力になってしまいます。 私は一体どうすればいいのでしょうか。

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愛犬の死を受け入れられるか不安

こんにちは。 私の家では犬を飼っており、生後1週間からずっと一緒に暮らしてきまして、今年で12歳になります。 しんどいとき、辛いとき、ずっと一緒でした。私が落ち込んでいる時は慰めてくれて、いたずらで怒って、たくさんの思い出をくれました。 そんな愛犬がここ1年病気がちになりました。 腰の病気になり、ケージから出てこなくなりました。 痛むのか、お尻辺りが震えることが増えました。 今年より家をでて独り暮らしをしているのですが、帰ってくるたびに身体はどんどん老化して、寿命が近付いているように感じます。 よく、お空から見守っている、泣きたいだけ泣けばいい、という表現がありますが、私はそういう考え方ができません。 12年間も一緒に育ってきた家族が死んだとき、はたして私は受け入れられるのだろうかと不安で溜まりません。最低ですが、愛犬が死んだ後に子犬を受け入れれば絶望も減るかもしれないと、里親募集のサイトを見てしまうくらい悩んでいます。この子の代わりなんていないのに。 そして、私は現在うつ病で休職中なのですが、更に愛犬が死んでしまった時にそのストレスに耐えきれるのか怖くてたまらないのです。絶望感で自殺してしまうのではないかと思います。 私は一体どうすればいいのでしょうか。

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身近な人の死を受け入れられるか不安です

先日、祖母を亡くしました。 私が小さい頃、両親は共働きだったので祖母が私の面倒を見てくれていました。 そんな祖母も90才を越え、元気でしたが少し生活の介助が必要になったので、高齢者向けマンションに入居しました。 祖母が自宅にいたころは時々会いに行っていたのですが、近頃疎遠になってしまい、この前も会いに行くチャンスがあったものの、また会えるから…と先送りしてしまいました。 そんな矢先、母親から連絡があり、おばあちゃんが亡くなったとのこと。 あまりに突然すぎて、理解できませんでした。 祖母は自分の部屋で、一人で誰にも看取られずに亡くなりました。心不全でした。 見つけてくれたマンションの方に聞くと、亡くなる直前まで元気で、お昼過ぎに少ししんどいから横になると言い部屋に帰り、夕食の時間になったので声をかけに行くともうすでに亡くなっていたとのことでした。 一人で亡くなったので、最期は寂しかったかな、何を思いながら亡くなったのかな、あのとき会いに行けばよかった、最後にもう1度ばあちゃんに会いたい…といった思いが頭から離れません。 これから先も大切な人の死が待っています。 死は避けられないとわかっているのですが、誰かの死に直面するのが怖いです。祖母のように別れは突然なこともあり、ちゃんと見送ってあげられるとは限りません。不安で不安で苦しいです。 アドバイスをいただけるとありがたいです。 長文、失礼いたしました。

有り難し有り難し 9
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2025/09/09回答受付中

心身の健康と自死の不安について

私は、俗に言う社会的ひきこもりでしたが、一方では10年間以上祖母宅で介護をしていました。間違いばかりで、本人も私の性格など含め苦労したでしょうが、祖母の介護や二人三脚で過ごす日々は生きがいと喜びあふれる時間でした。しかし、過干渉する別宅の両親やケアマネの介護現場や、私や祖母の意思尊厳を壊す態度等で、私の生活と介護は混乱し、生活にならなくなり、家庭崩壊し、私は疲れ切り、リハビリを必死に頑張ってきた元気だった祖母は私の疲れに合わせるようにあっと言う間に他界しました。 私や妹をたくさん可愛がってくれ、たくさんの方々を明るくお世話をしてガンだったずっと前に亡くした祖父を全身全霊で看病した、人を大切にしてきた努力家て思いやり深いが不安や寂しさがすごく強く、いつも皆と仲良く過ごすことを求めてきた祖母でしたが、大混乱の中で誰にも看取られず最後は一人で旅立ちました。寂しすぎ本当に済まなさすぎます。両親を激しく責めましたが、寂しすぎる終末期を私が作り介錯したようなものです。人生を終わらせた後悔と、もう祖母をお互い笑いながら介護して過ごせない悲しみ、徒労感に包まれ、人生に意味を感じなくなりました。祖母の亡き後は体調を壊し、家族からは介護していた私が問題児役となり、介護していた祖母宅を両親から退去命令も出されています。将来への絶望、家族親戚世間からの、偏見と悲しみ苦しみで自信もなくなり、仕事に出るタイミングもあったのですが、親戚の無責任な行動や生活制限が両親からかけられたりしたことで掴みきれず逃し、アルコール依存や躁うつ、不安に益々襲われ、死をもとめています。身体も異変が生じています。家族や親戚に自立のためにやっているだの、新興宗教の方々に前を向けとか、逆に放任されることもあり、それらにも疲れました。生活費は今は、障害年金と貯金を取崩し何とか生活していますが、退去命令で途方に暮れています。 今一番求めているのは、誰かに気持ちを聴いてほしいことですが、とにもかくにも今どんな気持ちを大切にしたら、人生を切り拓ける第一歩になりますでしょうか?どうかよろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 9
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2023/04/02

父の死から、死について考えてばかりいる

死について考えてばかりいます。 ちゃんと仕事に行き、普通に毎日を過ごしていますが、頭の片隅にはいつも『死』が居座っています。楽しいこともするし、おいしいものも食べる。でも『死』を考えないことはないのです。 積極的に死のうとは思わないのですが、親が生きている間は死ねないなぁと思っています。昨年の夏父が亡くなりましたが、死んでからどこへ行くのだろうと考えます。あの世なんてあるのかな、そんなものあるわけないとか、考えは逡巡します。 死について初めて考えたのは小学生の頃だと記憶しています。自分が死んだ後も世界は回っていくんだ、今死んだら明日起こることは自分にはわからないんだと気づいて恐ろしくなりました。 死にたい(というか消えたい)思いと、親や夫、子どものことを考えると死ねないと言う思い、振り子のようにこの2つの思いの間を行ったり来たりしています。 今の自分の意識がなくなることが恐ろしいのかな。考えたりしている自分がいなくなる。それがこわいのかな。あの世なんてあるのかな。死んだらどこへ行くのかな。 そんなことを考えながら何食わぬ顔で普通に生活している自分に疲れてしまい、休日はほぼ寝たきりで過ごしています。 どうか死について教えてください。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 9
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不安と希死観念はどうすれば

いつもお世話になっております。 今年5月に休職し、10月に元の会社へ復帰する事になりました。環境は変えてもらい、職種は前と同じとなりました。 ただ早くも人間関係や環境など、それに前のように仕事が日々こなせるのか心配です。自信がありません。 前と同じで少人数のため、戦力にちゃんとならないと部署が回っていかないのではというプレッシャーもあります。 休職中は回復に努め、実家の仕事を毎日手伝っていました。 本当は転職したかったのですが微妙で、 これといって行きたい企業がまだ上手く見つからず。家族も猛反対してきます。何度話しても今はダメでした。 職業訓練校も学びたい分野を色々調べたり2日間の初級講習へ行ったりしましたが、ちょっと違うのではないかと思ってしまいました。 転職で書類選考が全然通らないのと、元の会社に戻ってほしいと家族の後押しもあり、心配と不安を抱えながら会社に復職する事にしました。 様子見しながらまた転職活動も今度こそ...と思ってます。 また、もし再び劣悪な環境で病んでしまった場合は今度こそ立ち直れる気がしないので自殺も考えています。最終手段があると却って安心感があります。 心療内科医から復職可能と診断を貰いましたが、1日に1回は「なんで生きているんだろう」と思いますし消えても良いのではと考えてしまいます。 休職の原因となった上司はあまりお咎めなしで、元同僚は入籍し幸せそうだと聞きました。 世の中、結局はずるい人達が成功してばかりなのだと思います。 真面目に生きているのが本当に馬鹿らしいです。(怒) こんなに性格がクソでも仕事丸投げしてくる奴でも結婚出来て仕事も上手くいくのかと。妬みも勿論ありますが本当に世の中クソだと思いはらわたが煮え繰り返ります。 好きな分野の勉強も将来の種まきとして続けてきまして、それに救われてはいますが... 次の配属先は家から近くです。 ますます自立もできなくなりそうです。 でも出来る事からやっていくしかなさそうです。 本当に復職を選んで良かったのか、 でも世間体とリハビリも含めてがむしゃらに頑張るしかないのだと思います。 支離滅裂な文章で申し訳ありません。 本当に全部マイナスにしか考えられなくて困っています。 何かアドバイス等ありましたらお願いします。気分を悪くされたらすみません。

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かけがえのない母の死、「死」について

長年病と闘い、手術を繰り返しながらも頑張って生きてきた母が昨年4月に亡くなりました。  やはり長年病に苦しみ寝たきりだった父の介護を私と二人で必死にやって日中は一人で一生懸命やってくれました。私が帰るとたくさん話しかけられたのに言葉を発することのできない父に話しかけることに必死で母とは少ししか話せませんでした。  父が亡くなり母をこれから楽しませてあげようと思っていた矢先に毎週手術の繰り返しになり、退院後は一人で怪我したため朝母を送って残業後の夜までデイサービスを受けることになりました。  毎日忙しく人見知りするのにと申し訳なく思っていましたが、施設の人達は母をとても可愛がってくれて母も嬉しそうな顔をしていたのが唯一の希望でしたが、私の迎えも楽しみにして嬉しそうな顔をしていたのが可哀想で胸が痛かったです。  そんな母が入院して病院にも泊まれず、私が帰る時の淋しそうな顔は忘れられません。  母は病院や施設を転々とした後に最後の病院は、最期は介護施設と同等の病院だからと医療措置を取ってもらえず転院も断られ、胃ろうや点滴を止められて餓死するような状態で亡くなりました。  私は母が可哀想で可哀想で何であの病院に預けたのかと、普通の施設や病院であれば父のように最期まで医療措置を取ってもらえたのにと悔やまれてしようがありませんでした。    そして今回自分が手術を受け、自分や配偶者、両親の死について考えてしまいました。  生前母は、家に一人で言語障害の父と残されて娘は父の介護であまり話してくれず、自分は手術の繰り返しで殺してくれと叫んだ程の苦しみ、退院後は人見知りが激しいのに施設に預けれられ朝と晩しか娘といれない、入院後は娘と少ししか会えず自分の死が近くなり病院は措置してくれず自分の死に娘は間に合わず看取ってもらえなかったなど、どんなに淋しくて心細かったかと思うと母が可哀想で可哀想で胸が張り裂けそうです。  自分の術後の痛みや再発の不安、母への申し訳なさでパニック障害と不安症になってしまいました。  父母の死を経て「死」について納得していたつもりですが、この年齢なのに今回混乱してしまい分からなくなってしまいました。  今後どのような気持ちで日々過ごしていったらいいか、「死」についてどのように捉えて行けばよいのか、どうかご教示をお願いいたします。

有り難し有り難し 130
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