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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 悟り 」
検索結果: 1816件
2022/10/01

修証義について教えて下さい。

祖父の葬儀を境に改めて仏教を学び始めました。  宗派は、曹洞宗です。 お坊様が唱えて下さるお経を理解した上でご先祖様や祖父に手を合わせ今後、向き合いたいと強く感じたからです。また、現在の生活の中でお経について調べる事は、小さな安らぎを感じられる学びの場になっています。 現在の学び方ですが、hasunohaにてお経についての質問をブラッシュアップしたりしながら般若心経や修証義について調べています。 また修証義については、以下の現代語訳をみつつ内容を深めています。しかし、解釈や内容が正しいのか不安もあります。 https://www.zen-essay.com/entry/soujyo そもそも、現代語訳事態がダメでしょうか? 曹洞宗の教えが分かる書物があれば知りたいです。浅い状態ですが曹洞宗の教えに…悟ることすら手放す(悟りたい欲求を手放す)座禅スタイルが凄く衝撃的で素敵な考えでもっと色々と知りたいのです。 また、触れてみた状態な上での発言で恥ずかしいのですが…お経を調べると供養する相手よりも供養する側に対する生きる上での教えを説いている様に感じました。間違ってたらすみません。 余談ですが、普段、お世話になっているお坊様の爺様に法事後、お経について調べている事や内容を理解したいとの相談をしましたら笑顔で学んで来なさいと言って経本を頂きました。宿題を逆に出された気分で終わりましたので次の法事が違う意味で緊張します…。後、曹洞宗の本山は、身近な場所にあるので一度行ってみようと思っています。 ※質問して申し訳ないのですが現在、生活苦なので「お気持ち」は後々にさせて下さい。申し訳ありません。

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凡夫成仏している人、2人目を見つけました。

(編集部より。規約により一部を変更しています) いつもお世話になっております。 感謝申し上げます。 もう一人凡夫成仏している人をみつけました。 凡夫成仏していると思われるコメントは以下の通りです。 神さまという宇宙的な意識と人とをつないでいる媒介者から「メッセージ」が発せられていのだと私は思います。 心の中に直接メッセージが伝わってくるという感覚です。 Q1.神さまと向き合うにあたって,どのような心的構えが重要なのでしょうか。 無理に礼拝を行う必要はない。 Q2.神さまはどこにいらっしゃるのでしょうか。  万物が神。この世界が神。この世の中にあるものすべてが神の顕れである。自然(宇宙)が神である。お前は神の中に生きている。お前の心の中にも神はいる。霊界も,神界も,仏界もすべては自分の心の内側にある。 Q3.偶像や神話は本当のことなのでしょうか。  神仏の偶像や神話は人間が勝手に作り上げたものである。 後世の歪曲や改竄が甚だしく,事実関係を反映しているとは限らない。人の意識が神のイメージを作り上げ,人間の行いを正当化するように神話は作り上げられた。 Q4.神社やお寺に神様や仏様はいらっしゃるのでしょうか。  神社,寺院に神仏がいるのではなく,自分の意識が映し出され神仏の働きを感じ取りやすい場所が神社や仏閣だ。本来は自分がどこにいても神仏との交信は可能である。また,神具や仏具がないと神仏を拝む気になれないのは,信仰としてはまだまだ未熟である。 Q5.神仏との交信はどうすればできるようになるのでしょうか。  意識状態を変えることで誰でも神仏意識を感じることができる。 お前たちが勝手に作り上げた偶像や逸話が神仏と一体化できない障壁である。天界,地界,人界。神仏と人,これらは本来1つである。 神が色々なものに姿を変えて現れるというのもも同じである。 Q7.罪と罰についてどう考えれば? 罰とは人間の恐怖心罪の意識が罰となって生じる。神は罰を当てない。自分で自分に罰を当てているだけ。人間の社会で悪行を積み人々から怒りや憎しみを買っているのになぜ罰が当たらないのか。善良な者の身に不幸事が襲うのはなぜだろうか。 神は全てのものへ平等に光を放つ。どんな悪人にも光は降り注ぐ。その光を遮るのは本人の意志である。

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自殺すると、どこへ行きどうなるのか?

お世話になっております。 最近よく拝見させて頂いております。 僕が聞きたいことは、 「自殺をした者はどこへ行き、どうなるか?」 ということです。 僕は20代前半、男、実家暮らしです。 最近、仕事関係で、うつ病を発症したのに加え、生まれつきの適応障害や重度のHSP、中学辺りからの、親や兄弟に対しての場面緘黙症など、精神面で人間として欠陥を抱えてきたものがここ数日で限界に達してきました。 「みんなホントにすごいな…。」とただただ、その感想しか出てきません。 この世界で生きていくにはあまりにも辛すぎます。 なんでおれはこんなゴミなんだと自己嫌悪で、毎日死ぬことばかり考えています。 僕の家は真宗大谷派という宗教に属しております。 しかし、お恥ずかしながら、僕は最近まで全くと言っていいほど、関心もなければ念仏さえもまともにしてきませんでした。 都合が良すぎるだとか、卑怯極まりないとは重々承知してはおりますが、自殺すると考えると神様やお釈迦様、来世の存在を信じ、縋りたい気持ちでいっぱいです。 自分がやれる罪滅ぼしとして、自分の貯金はすべて、孤児院などで暮らしている恵まれない子供たちに寄付してくれと、メモを残すぐらいしかありません。 あとは、祖父の墓に最後の挨拶をしてきます。 身辺整理もほとんど終わりました。 死ぬ当日に、仲のいい女性に手紙を日時指定で送る準備ももうじき終わります。 自分がやれることはもうやり切りました。未練はありません。 長々と語ってしまい申し訳ないです。 こんな僕は、やはり地獄だったり畜生や餓鬼に生まれ変わるしかないのでしょうか?

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坊さんなのにこれからの将来が見えない

実家が寺で、仏教系の大学に通っている僧侶見習いです。 僧侶が社会システムにおいて必要とされる意義が「人に仮初の夢を見せて心のケアをする」以外しか見いだせなくてこれからの将来に絶望しています。 僧侶は、昔みたいに医者の代わりや教員の代わりをする訳でもなく、月回向や葬儀関連で人々の心を慰めるくらいしかしていません。 僧侶が利益(りえき)を得ることを人々は否定します。実際、聖職であるが故に本来は金銭を対価に何かをするというのはあまりに俗に塗れているような気がします。布施はそれ自体が神聖なものであることは分かっています。 しかし結局のところ、(観光という商売をしている寺は除いて)寺やそこにある僧侶という存在は「嘘をついて金を檀家さんや信者さんから貰う」ものに過ぎないのではないか?と思ってしまっているのです。 道徳を説くならそれはカウンセラーでも哲学者でも構わないわけです。 では僧侶が持つ他とは違うアイデンティティとは何かと言ってしまえば「仏教という仏になる為の指針」なのですが、結局のところ今の今まで人の身で完全に釈尊(応身)と同じステージに立った者もいない訳で。 本当に仏となることが出来るかも分からない教え、しかも数多の偽典があるであろう経典の内容を引いてきて、悩める人々に滔々とそれを説く。自分の中ではこれから自分がなる僧侶という職は、そんなもののように思えてしまいます。 私よりも遥かに経験を積み、たくさんの経典を読んだここにいらっしゃるお坊さんの方々に、私の悩みをただ、聞いて欲しいです。そして願わくは、自分の中の仏教に対する、僧侶に対する悪感情を解く何かを教えて欲しいです。 散文的になってしまい、申し訳ありません。宜しくお願いします。

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2023/01/22

罪を犯した過去を後悔して苦しいです。

 初めて人に話します。  20代前半のある日私はある失敗をしてしまいました。その時、すぐに謝り、やり直しをさせてもらえば良かったのですが私はその失敗を誰にも言うことができませんでした。    どうしても、ここでもお話しする勇気が出ません。ここまで書いたことも考えるとすごく怖いです。    私は、その失敗を隠して何事もなかったかのように自分の力でしてしまったのです。そして誰にもバレずに全員を騙して、欺きました。これが私の罪です。  謝ることもできず、今謝ってもどうすることもできないという取り返しのつかない失敗です。  もちろん、誰にも言うことができず何の罰も受けていない自分、許されることのない罪を犯した自分、全員を騙していることが苦しくて苦しくて胸がぎゅっとなります。怖くて怖くてたまりません。    夜になるとその時のことを思い出して「戻りたい」と思い、罪を犯す前の年の数字を見ては「この頃に戻れれば」と思います。涙も出ます。  生きている間、ずっと辛いのかと思ったり、この罪を忘れたり、幸せになったりしてはいけないと思ったりします。  いつか自分に返ってくる。こんなことならもうこの人生を終わらせたいと考えたりもします。  救いようのない私ですが、これから先どのように生きていったらいいのでしょうか?  わかりにくい文章で申し訳ありません。厳しい言葉でも構いません。  お返事をお待ちしております。

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がんばるのが怖くなってしまっています

初めて質問させていただきます。よろしくお願いします。 がんばるのが怖くなってしまっています。 初めてそう思ったのは3年前に念願かなった海外留学中のことで、燃え尽き症候群のような感じでした。 何もやる気がなくなり、せっかく環境にも恵まれているのにもうがんばれない、やめたい、でも…、と、自責の念にとらわれました。 なんとか自分を立て直して、さぁがんばろう、と思ったのと同時に、もうあんなふうにはなりたくない、とがんばるのが怖くなってしまいました。 それからも、そこそこがんばれているときも、これ以上がんばったらまた転落してしまう、という恐怖をひどく感じてしまいます。 そして昨年、新しい環境(立場)になり、そういうことを考える余裕もなくなって、3ヶ月必死で働いていました。 その中で気付かないうちに自分に無理が生じ、突然自分の感情をコントロールできなくなり3ヶ月休職しました。その頃はもう一生幸せになれないんじゃないかと本気で感じ、辛かったです。 復職後はなるべくゆっくり、がんばりすぎないように仕事をしています。 ですが、本当はもっとがんばりたいです。アクセルをもっと踏みたいです。 でも、もうあんな辛い思いはしたくない、がんばるのが怖い、という思いにひどく苛まれます。 たしかに、辛い思いをするたびに人間として成長できてきたと思います。 でも死にたくなるほど自分を追いつめるのは健康的な成長の仕方ではない気がしますし辛いです。 「がんばるのが怖い」という恐怖を消すにはどうすればいいでしょうか。 長々とすみません。回答お待ちしております。

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