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hasunoha 問答検索結果 : 「私 宗派 」
検索結果: 2552件

住職さんと、ウマが合いません(パート2)

私は来ないなら、来ないでいいと思いました あっという間に私は、お寺に出向くことがなくなりました 父親の知り合いである会に入っている、伯母さんがいましたが、必ずその方は線香を上げてお経を読んで帰ってくれていました、その伯母さんが我が家の宗派とその会は同じだ、と説明するため、住職さんにことわりもせず、その会のお札を仏壇に飾りました 父親の七回忌の時、住職さんが我が家の仏壇を見て、そのお札を見て 私に、『なんて親不孝をしている』と、 あまりにも両親がかわいそうだ、と言われました。 わたしは、イマイチなぜそんなに怒るのか?わからずにいました、しかし、それから、住職さんが外で合っても目も合わせてくれない状態です、 これからの供養が凄く気持ちが重く、将来、私は、父、母、兄の入っている、納骨堂に死んだら入りたいと思っているんですが、 いっそ改葬してしまいたい、しかし、永代供養されている家族を改葬するのは、難しいし、両親が生前熱心だったお寺だから、 改葬は、親不孝だと思います、 でもこれからも住職さんと仲良く出来ない状態が、つらいです 私は、現在、住職さんに徳を感じることがなく、大嫌いです 私はこれから、どういう考え方をしていけば良いのか?アドバイスしていただけませんか? (利用規約上一部の内容を修正しております。hasunoha編集部)

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遺骨の行き場所

 主人が自殺しました。  家の中で暴れることが度々あり、警察の方が、これはDVですと言われ、逃げる決心をし、離婚調停の申し立ての手続きをしているところでした。  転居先に主人からの手紙が毎日のように転送され、中に遺書があったので警察や行政機関にも相談していましたが、今まで何度も自殺すると言っては警察に電話したりしていたので、ご主人は大丈夫ですよ。奥さんを引き戻すためにしていることだからと、私も、また同じ繰り返しになると思い連絡しませんでした。  でも、その遺書を送ってきた後に亡くなっていたことがわかりました。  死後2ヶ月経っており、今本人確認中です。  葬儀もできる状態でなく、すぐ火葬になるそうです。  離婚はやめ、弔おうと思うのですが、主人は長男ではなく、私は信仰心を持っていなかったので、どうしたら成仏させてあげられるかわかりません。  家にいい思い出もなく、また、家で亡くなっていたので、帰りたくありません。  この新しい地で、主人を弔いながら生きていきたいと思っています。  財産も保険金もなく、サラリーマンではなかったので年金もありません。私も仕事が見つけにくい年齢で、お墓を建てることもできません。  主人の実家は真言宗でした。  同じ宗派でないと成仏できないのでしょうか。  遺骨はどうしたらいいのでしょうか。  こういう結果になったのは、私にも責任があると思っています。  主人の気持ちを受け止め、きちんとしてあげたい。これは私の気持ちです。  主人に私の気持ちが伝わることはもうないので、主人が成仏することができれば、それが一番いいと思っています。  具体的に何をどうしたらいいのか教えていただければ助かります。  よろしくお願いいたします。

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2022/12/20

霊魂やあの世についてお坊さんの考え方

お坊さんは霊の存在 あの世の存在について 「真実はどこにあるのか」意見交換のようなことはしないのでしょうか? 普通 専門分野には 「学会」などがありますよね 例を挙げると 医者の世界なら 学会で 様々な治験結果を発表して 病気に対してどんな治療法が有効なのか 意見交換をしたりします。 そして その結果は一般人も知ることができ普段の生活習慣や食生活などにも気を遣うようになる人もいます 仏教でも宗派によって「霊魂は存在するか否か」についても見解が違うようですね。 真実がどこにあるのか情報収集をしたり学会のような意見交換はないのでしょうか? (どのように敬称を使うのかわからないので 以下敬称略で書きます。申し訳ありません) 歴史のタラレバの話になりますが もしも 最澄や空海が乗船していた遣唐使船が暴風雨に見舞われた時に海没していれば後の天台宗や真言宗はありませんでした。 法然が父親の敵討ちのために武士になる道を選んでいれば後の浄土宗はありませんでしたし、弟子の親鸞も存在せず浄土真宗もなかったかも知れません。 土御門道親が長命で朝廷の権力争いに勝ち位人臣を極めていれば道元も公家としての生き方をして曹洞宗はなかったと思います。 北条時宗が平頼綱を止めなければ日蓮は殺害されて日蓮宗はなかったと思います。 ちょっと歴史が変わっていれば、現在仏教の宗派も存在しなかったり、新しい宗派ができていた可能性もありますが それによって霊魂やあの世の存在について真実が変わることもないはずです。 多くの人に嫌われたり 尊属にも虐待されて生きてきた人 周囲と仲良くやってきて尊属の愛情を感じて生きてきた人 人それぞれです、 友人やペットなどに対する思いも人それぞれです 霊感商法に騙されて 宗教=悪と思っている人もいると思います あの世や霊魂があるのか 真実を知ることで生き方も変わってくると思います お坊さん=霊能者 ではないことはわかっていますが いろいろな人の体験談を聞いたりして 何か真実なのか調べようとすることはないのでしょうか?

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2024/08/17

僕の仏道を見つけたかもしれない

家の宗派に捉われず、自分個人の考えに合う仏教宗派を求めてグルグルと何周も思考の旅だったり実際にあちこちに足を運ぶ物理的な旅だったりを繰り返してきました。 基本的には僕は称名念仏の徒ですが、それだけで本当にいいのだろうかという疑いのような気持ちがあって、でも禅や密教などできる気もしなくて、それらのスピリットを念仏の中に包含した総合仏教みたいなオールインワン念仏を説く宗派はないかなと思っていました。その候補として浄土宗西山派、時宗、天台真盛宗など考えました。 ただ、ふと思ったのです。仏教宗派はよく登山道に例えられますが、それを一人で網羅する必要はないんじゃないか。オールインワン念仏でなくても、自分の道が称名念仏であるなら他の道を通る時の景色は絶対に見なきゃいけないということはないんじゃないか。 伝教大師が好きなのですが、例え天台宗に入っても法華や禅や密教を自分でやるとは思えず、やっぱり天台宗内の念仏行者にしかならないと思います。じゃあ浄土宗(鎮西義・知恩院)でいいんじゃないのか。 ただ、浄土宗は生きている間の生き方への教えが弱いかなと思うのです。 「現世を過ぐべきようは、念仏の申されん方によりて過ぐべし」ぐらいしか無いように思いますが、平安鎌倉の時代は良くても現代人にはこれだけでは生き方指南としては弱過ぎはしないか。 この点が浄土宗の弱点だとずっと思っていましたが、そこで好意を持っている伝教大師の教えを援用するということを思い付きました。そう、あの有名な「一隅を照らす」。 仏道修行としては浄土宗の念仏しかしませんが、人間としての生き方としては「一隅を照らす」を座右の銘とする。浄土・天台の併修と言えるほど本格的なものではありませんが、この両宗派を菩提宗とした僕の尊敬する徳川家康公のお心にも叶うかと思うのです。 僕が見つけたこの仏道、お坊様方から見てどうでしょうか? なにぶん素人の横好きからの考えですので、未徹在な点があればご指摘ください。

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お坊さんのお嫁さんについて

実家の法事をお願いしているお寺さんには恥ずかしくて聞けないので、こちらで質問させてください。 ご縁がありお坊さんとお付き合いをしています。彼のお寺はプロフィールの宗派と同じであり、祈祷寺です。 彼から、結婚したら自分と同じペースで滝行と水行をしてくれと言われ、面食らってしまいました。 え、例えば妊娠しても?と聞くと、うん!高熱でも妊娠してても立ち上がれる限りは!と元気な返事をいただき、おぉっとすぐには言葉に出来ませんでした。 家族がみんなしていないと、祈願をしにきた信者様から受け取ったものを払えず、家族の誰かが体調不良になったり、子が授かりにくくなるからと言っていました。 確かに彼の修行している力?は、彼が私の抱きかかえたペットを撫でようとした時に、激しく震え上がったのを見てから信用しています。(今まで同じような状況になっても、嫌がることはあっても、1度も震えたことはなかったので) お寺のお嫁さんで季節問わず、妊婦や体調不良であっても滝行や水行もお坊さんと同じペースでしている方もいるのでしょうか? 祈祷寺特有なのかなとも感じています。 私の性格上、寺の嫁が務まるのか、滝行などをしても気持ちにブレーキがかかり、信仰心が強くならず彼とお寺と信者さんに迷惑かけるのでは?など自分のお寺さんにも恥ずかしくて聞けず、誰にも相談出来ずに頭の中で堂々めぐりになっています。 彼も少しずつ慣れてくれればいいから!と言ってくれていますし、彼の性格、人柄にこの人だ!という気持ちがあるのに、自分の未熟な部分を見て進めない私に、助言を頂けないでしょうか。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 8
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2023/02/03

日本人に根付くステレオタイプの宗教倫理観

① 日本人に根付くステレオタイプの宗教倫理観といえば、やはり「現世で善いカルマを積んで死後にいいところへ行き、やがて解脱する」だと思います。これはバラモン教やヒンドゥー教のようにも思えますが、このスタンスを基礎としている宗派はどこでしょうか。とてもシンプルゆえに子供の道徳教育にも有効で、信心もしやすいと思います。「○宗」とかでなく「大乗仏教」という括りでみんな当て嵌まっていそうではありますが…。 ② 永遠の幸福はあるでしょうか? この質問を日蓮正宗のお坊さんへお話したら、「物事には必ずそれを妨げる逆風のような働きがあり、何をするにしても程度の差こそあれど必ず苦難は待ち受けているから、永遠の平安は無い。しかし、その「苦難に耐えてダメージを受けずに済む心」は手に入れることができる」というお話をしていただき、私はその心があれば永遠に幸福になるという夢を叶えられるのではないかと思いました。そのお坊さんが言うには、やはり日蓮正宗なので南無妙法蓮華経のお題目でその心を手に入れることができると仰っしゃられておりました。これについて皆様の意見や、ほかに苦難で傷つかない心を手に入れる方法を教えていただきたいです。 ③ 仏教には「運の良さ」はあるでしょうか? これは仏教を信仰してギャンブル運を上げるとかそういうのではなく、「運命を変える力」です。信仰しようがしまいが運の流れ=運命を変える力が無ければ、人類も動物も全ての生涯はみんな最初から「運命」というレールに敷かれた出来レースであり、人間の自由意志や選択や信仰に価値が無くなると私は思っているので、「運命を変える」「人生に転機をもたらす」などの意味で、運(人生の風向き)を変えてくれる力は仏教にはあるでしょうか。宗派なども教えていただきたいです。ちなみに、日蓮正宗のお坊さんはやはり「その方法はズバリ、うちに入信して南無妙法蓮華経を唱えること。阿弥陀如来を信仰してもあの方はあの世しか管轄していないから人生は変わらない、日蓮なら変わる」と熱弁されていましたが、これについてはあくまで例ということで否定や肯定などの意思はありません。 長くなり申し訳ありません。これを読んでくださった優しいあなたへ、ありがとうございました。私は永遠に善人でありたいです

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我々だけが正しい?

へタな日本語はすみません。日本住んでいるアメリカ人です。 アブラハム系の信仰は「排他主義」だとよく言われます。例えば、多くのクリスチャンやイスラム教徒は、"自分たちだけが正しい。他の宗教の信者は永遠に地獄に落ちる" と考えています。これは公式の教義です。 中世キリスト教の十字軍、イスラム教のジハード、「異端者」の殺害、「魔女」の焼却、「異教徒」の強制改宗など : 西洋の歴史では宗教的暴力はよく見られます。このような暴力は、アジアの歴史に、欧米に比べてめずらしいだと思います。 アブラハムの「排他主義」のせいで、私は家族が信仰するキリスト教に嫌悪感を抱くようになりました。"道徳的な神は、不信者を永遠に地獄で焼かせるようなことはしない"と思った, 子供ときから。 仏教に興味を持ち始めたのは、仏教の方が洗練されていると感じたからです。仏教の方が洗練されていて、心が広く感じられたからです。慈悲深い感じがしたからです。仏教の「方便」という考え方は、真理への道がいくつもあるということですよね。 しかし、日本の仏教にも若干の「排他主義」があるのではないでしょうか?例えば、親鸞上人は「このひどい時代には念仏だけは適切です」と考えていたそうですね。 日蓮上人の「四箇格言」は、他の宗派に対して特に批判的なようです: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%AE%87%E6%A0%BC%E8%A8%80 私は親鸞聖人も日蓮上人も深く尊敬していますが、彼らの信者はお互いに尊敬し合えるのでしょうか? では、21世紀はどうだろう。日本の宗派は調和しているのか、それとも「排他主義」による緊張感があるのか。 親鸞聖人と日蓮上人の両方の書物を愛読することは許されるのでしょうか?どちらの説も、透き通った真実を見ているような気がします。私は、真言宗と天台宗の思想も大好。一方だけを選ぶことは必要でしょうか? 心がズタズタに引き裂かれるような感覚です。

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浄土真宗本願寺派の方(特に関東の方)

先日は、道を示して頂きまして有難うございました。 さて、今回は、この時期になるとフツフツと湧き上がるモヤモヤについてご教示願いたいと思い相談させて頂きます。 5年前に叔父(父の弟)が亡くなり父実家の宗派である浄土真宗本願寺派のお葬式をしたのですが、 叔父は此方の地元を離れ関東に住んでおりましたので、其方の浄土真宗本願寺派の導師様にお願いをしたのですが、お焼香の方が、まだ数十人単位 いらっしゃったのに『後は、ご自由に…。』と言って帰ってしまわれたのです。 お経も中途半端で、和讃を省いていました。 此方では正信偈の後に和讃が続くので、何だか いい加減な感じがしたのは否めません。 やはり、何より一番、モヤモヤするのは、お焼香の方が、いらっしゃるのに帰ってしまわれた事 その時は、恥ずかしいやら、情け無いやら、腹立たしいやらで、叔父を悼む気持ちも吹っ飛んでしまいました。 ですが、冷静になって考えてみると同じ宗派だからと言って地域が違えば作法も習慣も違う事もあるのでは?と思い相談させて頂きました。 関東の浄土真宗本願寺派の方、実際は、どうなんでしょうか? やはり、この導師様のように、お焼香の方がいらしても途中で帰るのが一般的なんでしょうか? それとも、この導師様が間違っていたのでしょうか? 叔父の命日が近付く、この頃になると毎年思い出して、モヤモヤします。 どうか、其方での正しい作法を教えて下さい。

有り難し有り難し 34
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