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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 死にたい」
検索結果: 3276件

母の死の受け入れ方

今年の三月に最愛の母を亡くしました。三十分前まで自宅で話をしていた状態からの突然死でした。 私は自他共に認めるマザコンで、何をするにも母に報告しては、それに対する反応を生き甲斐としていました。嬉しいことがあった時は一緒に喜んでもらうことで幸福を倍加させ、辛いことがあった時には慰めてもらうことで苦痛を緩和できていました。 唯一絶対の味方であった母を失い、もう五ヶ月も経とうというのに絶望から抜け出せません。母が生きていた頃、私はよく「お母さんが死んだら私も死ぬから長生きしてね」と言っていました。なのに母が亡くなった今も私は生きています。そんな自分に嫌悪感を抱くのですが、私が自死すれば母がどんなに悲しむだろうと考えると死ぬこともできません。 今の望みは母の死を受け入れて、自慢の娘だと言ってもらえるよう立派に生きていくことです。しかし実際には、日々涙にくれて生活もままなりません。明るい未来を思い描きたくとも、孫を抱いてもらいたかった、まだまだ一緒に旅行したかった、介護が必要になれば面倒を見たかったと、すべてを母とのもう叶わない夢につなげて虚無感に襲われます。こうなるたびに、私は未だ母の死を受け入れられていないのだと実感します。 母は死んでしまった、この事実が変えられないのなら、死を受け入れ乗り越えて、思い出と共に笑って生きていきたいと存じます。泣くばかりでは状況が改善しないのは身に染みています。母のことを考える時、生前のように暖かい気持ちになるためには何をしたら良いでしょう。どのように考え方を変えたら良いのでしょう。ご教示ください。お助けください。今でも母を愛しています。

有り難し有り難し 17
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お隣の方が孤独死されました

こんにちは 初めてご相談させていただきます 宜しくお願い致します 7月の中旬ぐらいから帰宅して家の扉を開けると嗅いだ事のない独特な臭いがするようになりました なんだろ。。。と思い臭いを辿っていくとどうやら押入れから臭うことがわかりました 今年は梅雨も長く湿気とかでこもってしまったのかなぁ。。。と思い消臭剤やら沢山買ってきて置いたのですが一切なくならずむしろどんどん臭いが酷くなりました 心配になり管理会社の方に来てもらい。。。臭いの原因がお隣さんからだと知らされました お亡くなりになってその臭いだとわかりました すぐ退去したいのですが次の引っ越し先の手続きやらでまだ引っ越し出来ず今も住み続けてます(発覚してから3日です) 臭いは少し落ち着きましたがはやり外から帰ってくると臭います あとご飯も食べれなくなり食欲も減ってます 外に出る時隣の扉を見るのも怖くて走って外に出てます お隣の方とは1回だけ挨拶した程度だったのでほぼ接触はなかったです そのような状態でかなり心が辛いです とりあえず臭いを消そうとお線香を焚いて過ごしています 引っ越しは決まりそうなのですが使っていた服や物、家具などに臭いが付いてる気がして正直な気持ちを言うと次の引っ越し先で使うのは気持ち悪く感じてしまいます でも全部を買い替えるお金もないのでそうはいきません 大切にしている物も捨てたくないです この場合次の引っ越し先でお祓いとかしていただいて供養?してもらった方が良いでしょうか? ここ数日不安で気がおかしくなりそうです 普段メンタルは強い方だと思っているのですが今回ばかりは辛くて悲しいです あと数日の我慢なのですが不安でたまりません あと押入れを今開けた状態にしてますが押入れの中を触るのも怖いです。。 何かアドバイスがあれば教えていただきたくメールさせていただきました 宜しくお願い致します

有り難し有り難し 37
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2025/05/11

自死遺族

前回は、私や亡くなった母に南無阿弥陀仏を唱えてくださりありがとうございました まもなく四十九日を迎えます ショックは軽減されて来ているのですが、ふと母のことを思い出すと苦しくてたまらなくなります 母は今は安らかだとわかっているのですが、亡くなる直前の母を想像してしまい、それを考えるととても苦しいです どんな気持ちで、どんな顔でその行為をしてしまったのか… 母は縊死だったのですが、あれから私も呼吸がしづらく夜中に目が覚めることもあります 時間薬とはよく言いますが、自死遺族の傷は癒えるのでしょうか 母が亡くなってから、残された実家の家族も精神的に落ち込み持病が悪化したり仕事に支障を来したりして生活もままなりません ゆっくり、穏やかに傷を癒やすこともできません 日に日に全員が病んでいっています 母の死をきっかけに、緩やかに家族が崩壊しているように感じます それが辛くて、本当は私も死を選んでしまいたい 毎日が辛くて苦しいです 逃げたいのです でも、私までも自死を選んだらそれこそ家族がしんどいと思うのでなんとか踏みとどまっている状況です みんながしんどいのは、わかっているので… 役所なども頼っていますが、皆さん親切にしてくれるのですが「できないものはできない」「支援のないものはない」 この国は、一体誰のためのものなのかわからなくなり、絶望してしまいます お金がなかったり、メンタルの弱い家族は生きていけないのでしょうか 一家心中も考えてしまいます みんなで母のところへ行けたら… 時間薬が助けてくれるでしょうか それとも、私がもっと強くならなければいけないのでしょうか あと、お仏壇を処分するにあたって魂抜きをするお金がありません… そのまま処分しても、御先祖様は怒りませんか? もう、どうしていいかわかりません…

有り難し有り難し 6
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孤独死を迎えるにあたって

お世話になっております。 以前、「自業自得の孤独を乗り切る方法」という内容でご相談した者です。 あれから丸一年、就業先を自分なりに探してみましたがやはり現実は厳しく、現在も無職かつ貯蓄も底を尽きそうな日々を過ごしております。 本日お伺いしたいのは 「孤独死」が確定した中で「今生での生活」を営む事すら金銭的に厳しくなる中どうしたら、せめて心穏やかに旅立てるのか、です。 行政、各所支援団体含め当たった上でも 「生(活)」する為の資金は得られず、かと言って自死する勇気もなく、だらだらと毎日息をする日々。待っているのは老いと病→いつかどこかで物理的に腐敗し、発見されて、最上の弔いがあった所で無縁仏です。 死ぬ瞬間はいつ、どこで来るかわかりませんし、死後の世界も未知の中、 【質問】 ・どう思って生きれば、死の瞬間を穏やかに迎えられるのか(物理的苦痛少なくの意味) ・今生で「ただ息をして今日を生きる(現実的にそうするしかない状況)」に意味はあるのか、あるならば何が出来るのか ・死に方により、死後の世界?は変わるのか ※各宗派により見解異なるかと思いますが、少しでも苦痛少なく、今生を終えられたら、と思います。

有り難し有り難し 24
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子供の死を考えてしまいます

私は29歳で、10ヶ月になる一人娘がいます。 事情があり未婚で出産したので実家で両親と住んでいますが、積極的に育児を手伝ってくれていますし、本当に心から娘を可愛がってくれています。 間違いなく、今が人生で一番幸せだなと感じています。 だというのに、夜布団に入って目を瞑ると、娘の死を考えてしまうのです。 それは事故だったり事件だったりするのですが、いつもいつもすんでのところで私の手は届かず、娘は死んでしまうのです。 目を開けて横を見るとスヤスヤと寝ている穏やかな顔の娘がいます。 これは全て妄想だと分かっているのですが、やめられないのです。 楽しいことを考えるのも、何も考えないのも、どうしても出来ないのです。 ただずっと娘の死ぬところを妄想し続けてしまうのです。 考えて、泣いて、を空が白み始めるまでやめられないので、ろくに睡眠も取れず、毎日しんどいです。 昼間はそんなこと考えずに、普通に幸せにいられるのに、夜になるとずっとそんなことを考えてしまうのです。 これは私が深いところで願ってしまっているということでしょうか? こんなに愛しく守るべき存在の娘の死を望んでいるということなのでしょうか? どうしたら、考えなくなるでしょうか? どうかどうか、ご教授ください。

有り難し有り難し 21
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2023/06/26

希死観念が消えない

希死観念が消えずに困っています。 受験期に鬱になって以降自分のこれからの未来に、過去の選択に自信が持てず、いつも死ぬ事ばかり考えてしまいます。というより、死ぬメリットのほうが大きいように感じてしまいます。 だって自分が死んでしまった方が面倒くさいことや自分のコンプレックス、世界の悲惨さから目がそらせる事ができるでしょう。家族の死や友人の死だって見ることも。 自分は自分の容姿も磨かないくせに妬んでばかり。自分の努力不足を家族や周りの環境のせいにして、被害者づら。lgbtqに理解があると謳いながら、自分は心の奥底で嫌っているから自分が当事者であると言えずに取り繕って、自分に嘘をつき、周りにばれないように生きている。 こんな矛盾したゴミのように甘えた自分に嫌気がさして、死にたくなるのです。 過去に戻りたい。もっと真面目に努力すれば良かった。 ただただ何かに打ち込み、輝いていたあの頃に戻りたいです。 とにかく今の自分が嫌いです。もっともっと何かに熱中して、命を使い切るかのように生きていきたいのです。 しかし、それと同時に死んでしまいたいという思いが頭いっぱいに広がってしまい、情熱が消え失せてしまうのです。 自分の中にあるモヤモヤを書き殴っただけなので、意味不明な文章になってしまいまい申し訳ありません。しかし、自分のなかの願いはただ一つ。希死念慮を消してほしいのです。

有り難し有り難し 4
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2024/12/16

希死念慮についてです

職場の他部署の上司Aと折り合いが悪いです。 2年ほど前より中間管理職のような立場で仕事をしています。Aとは普段は普通に会話をしますが、仕事上の相談や報告をする際にAの思う通りの意見ではない場合圧をかけられます。 最近はその事が多く、私も精神的に参ってしまい直属の上司Bに役を下ろして欲しい事を相談しました。 私自身転職回数が1回しかなく、今の職場にはA以外の不満はありません。転職したところで今より状況がよくなるとは限らないので、辞めるつもりはなくら役だけ下ろして欲しい事をいいました。 しかし他にまだ任せられる人がいない事、よく頑張ってる事、せめて3月までは頑張って欲しい事を言われました。 Bには以前助けてもらった事があり、せめて3月まではどうにか頑張りたいとも思うのですが、もともと学生の時にうつ病で心療内科で治療した事があり、自傷衝動、希死念慮が出ています。 Bにも以前話した事がありましたが、普段明るく振る舞っている為その時はとてもびっくりしていた様子でした。 仕事の事を、Aの事を考えるたびに憂鬱な気分になり、職場の屋上から飛ぼうか、運転中に自分が悪くない事故で死んでしまおうか等思ってしまいます。 休職すると私自身もですし、家族に罪悪感を覚えてしまいます。

有り難し有り難し 3
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とにかく死が怖いです

初めて質問させて頂きます。 幼い頃から【両親の死への恐怖】が止まらないです。 最近さらに増したように思います。 私は一人っ子のため、相談できる兄弟も居らず、今苦しい時間を過ごしています。 両親とは離れて暮らしていますが、とても仲が良く、月に1度は長距離を移動して会っています。母とは毎日電話をするほどです。 しかし、元気だった父の反応が最近鈍ってきたように思い、病気で逝ってしまったらどうしようと思い始めたのが死への恐怖が増したきっかけです。 長年透析をしている母はいつまで元気で居てくれるのか。 さらに今年出産をして、両親だけではなく、自分の家族への死の恐怖も覚えてしまいました。 隣で寝息を立てている息子に何かあったらどうしよう。 いつもしっぽを振って懐いてくれる犬はいつか居なくなってしまうのかと、そんなことを考えては涙が止まらないのです。 夫は良い人で話を聞いてくれますが「悩んでも仕方ないんじゃ?」との答えばかりです。 大好きな家族との別れを考えては涙し、不安になり、体調を崩しそうになります。 先のことを考えてばかりではダメ、今を生きなければと分かっているのですが…。 拙い文章で申し訳ございません。 どうかよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 26
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2025/02/22

ずっと死にたいという思いが離れないです

ここ数年、もしくはそれよりずっと死にたいという思いが頭から離れず、具体的な対策が思いつかず悩んでいます。自殺なんてするべきではないと頭では分かっていても死にたくなってしまい困っています。 少し話が飛びますが、死というものと直面した出来事として、先月、祖父が亡くなりました。 とても幸せな最期だったと思います。家を離れた私や弟が偶然実家に戻り、一緒にご飯を食べ、会話をして、翌朝苦しまずに家族に見守られた大往生でした。 通夜や葬儀も遺族のみんなが笑っていて、誰もが「いい人生だった、幸せな人だった」と祖父を送り出していました。 私も祖父に対して別れの悲しさや苦しさより感謝の方が強く、死ぬならこんなふうに笑顔で見送られたい、こんな死に方がいいと心底思えました。 にもかかわらず、心にべっとりと死にたい、もう今すぐ自分で人生を終わらせたいという気持ちが付き纏って離れません。 頭では祖父のように天寿をまっとうして見送られたいと思うし、私に先立たれた両親は悲しんで悲しんでずっとずっと引き立ってしまうから、あるいは子供の死によって狂ってしまう姿さえ想像できるから死ぬなんてダメだ、と思っているのに、心は死にたいのです。 その感情は幸せな時にもやってきて、楽しいのに、幸せなのに「あ、死にたい」と思ってしまう時もあります。 私は本当に恵まれていて、仕事もさせてもらえて、住む家があって、食べるものがあって、趣味にお金も時間も使えます。 心も時間もお金も物も惜しみなく私に使ってくれる家族がいます。それでも、なぜだか死にたくなってしまうのです。 どうしたらこの死にたいという気持ちとうまく付き合えるでしょうか。ご教示いただけましたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 24
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父の死と死後の世界について

最愛の父が他界してから、死後の世界について考えています。 父は愛妻家かつ子煩悩で、死の3日前まで母と私に「大好きだよ」と言っていました。 大食漢で行動的な人でしたが、病のせいで食事も運動もままならない中、愚痴ひとつ言わずいつも笑っているような人でした。 死後の世界があるのなら、痛みからも苦しみからも解放されて、好きなものをたくさん食べて、好きなことをたくさんしているのだと思えます。 死後の世界がないのなら、大好きだった父は何処にもいないのなら、二度と会えないのなら、私も死にたいと考えています。 大学一年生の頃、仏教の講義が必修科目でした。 18歳だった私は宗教や死後の世界は生きてる人間のためにあるもので、死んだら無になると考えていました。 今になって死後の世界があって欲しいと強く思うのですが、長年否定していたものを肯定するのは都合の良い話に思え、抵抗があります。 祖父が亡くなった時は季節外れの蝶が部屋に舞い込んできたり、替えたばかりの蛍光灯が明滅したりと不思議な出来事があり、もしかしたら…と思える時もありました。 ですが「ずっと側にいるよ」と言った父の存在を感じることはなく、消えて何も無くなったように思えてしまい、胸が苦しくなります。 長文かつ乱文で申し訳ありません。 どのような心持ちで過ごせばいいのか、ご教示願います。

有り難し有り難し 31
回答数回答 3