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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6191件

弟の自死について

まとまりのない文になってしまうかもしれませんが、よろしくお願いします。 若い俳優さんの訃報に触れ、数年前に自死した弟のことを思い出しました。 また、その俳優さんの友人であったという俳優さんが、某音楽番組で涙を堪えながらある曲を歌っていらっしゃり、その曲が偶然にも弟が好きで葬儀で流した曲で、そこから涙が止まらず、ダムが決壊したように感情が崩壊してしまいました。 普段は子供たちのことで病的に後悔してしまうことが多く、その強迫観念症を治療しているのですが、後悔の大元はここにあるのかなという気がしています。 同じ家の中にいたのに、壁一枚隔てただけの隣の部屋にいたのに、助けてあげられなかった。 毎日一緒に生活していたのに、そんなに苦しんでいるのに気づいてあげられなかった。 喧嘩してひどいことも言った、たくさん傷つけてしまった。 もっと一緒に色々やりたかった。 一緒にご飯を食べに行ったり、お酒を飲んだり、旅行したり。 私の家族にも会わせたかった。 最後の言葉は、パソコンに残っていた、家族がみんな幸せでありますように、という優しい言葉。 ある程度乗り越えていると思っていましたが、全然でした。 会いたくてたまりません。 話がしたい、謝りたい。 私自身、弟がこんなことになる前に鬱にかかり、自傷行為をしていた時期があり、私のせいで弟まで悪い方に引っ張ってしまったかもしれません。 弟にも、両親にも、本当に申し訳なくて申し訳なくて、どうしたらいいのかわかりません。 感情のままに書きなぐってしまい、支離滅裂で本当にすみません。 私はどうやって心を立て直したらよいでしょうか。 弟の死への悲しみ、後悔、自責と両親への申し訳なさでぐちゃぐちゃです。 また、弟は衝動的にやってしまったのではないか、後悔してるのではないかということや、自死した人は罪が深すぎて地獄に落ちると聞いたことがあり、今でも苦しんでいるのではないかずっと気にかかっています。 弟は、救われますか。 お忙しい中すみません、よろしくお願いします。

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人の死を受け入れる心構え

先日、お仏壇の事で相談した者です。 2月1日まで母はとても元気で、母の誕生日が近いので、緩和ケアから外出許可をもらい、食事の予約して母もとても楽しみにしていました。 ところが、3日の日母から電話で、嘔吐下痢があり、無理だからキャンセルをと言われ、まだ少し時間あるから。と伝えてももうそんな気分になれない。と。 4日には痛みが出ているらしく、薬で眠らせてる状態で。今からどんどんひどくなると。 私は実家から出ているのと、母の余命は8年前から宣告を受けていたのである程度の心構えはあったつもりですが、 やはり落ち着かないといいますか、心がザワザワとするし、かと言って母の所にずーっと居るわけにもいかず。 これは少し困った精神状態です。 人の死を受け入れる事はできるとは思いますが、いざとなるとこんな風にザワザワするものなんですね。 本来去年のクリスマス時期に一度危なくて、何故か持ちなおし緩和ケアにはいったのですが、私と母が二人で話すこと。がこれまでなくて、緩和ケアに入ってる間、沢山会話ができました。その時間を神様がくれたのかもしれません。 後3日、時間くれたら母も思い残す事は無かったのでしょうが。。 人の余命は私にはわかりません。 こんな時、どんな風に家族は心構えをしていけば良いのですか? 安定、不安定な繰り返しで、少々メンタルがまいってます。 よろしくお願いします。

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離れて住む姉の死

今月離れて暮らす姉が突然亡くなりました。訃報を聞いた時からなにが起こっているのか現実を受け止められずにいます。 駆けつけ、姉の顔を見た時に本当に亡くなってしまったのかと思いました。 葬儀やその後の手続きで忙しかったということもあり何かよくわからない感情のまま時間が過ぎてもうすぐ1か月になろうとしています。 姉が居なくなってしまったという空虚感が残りました。 ただ本当は帰ってくるのではないかとか、どこか遠くに行ってしまっただけではないかとか受け止められずにいてまだ悲しみに暮れるということがありません。 年老いた両親の憔悴した姿を見たということもあり、支えることに必死だったというのもあります。 強がらなくていい、気丈に振る舞わなくていいと言われますが私自身普通にしているつもりではないのですがよくわからない感情の中で今を生きています。 葬儀のときも私は涙は出ず参列者の方々の方が泣いていたりしていました。 昨日は、姉とよく行ったショッピングセンターで夕陽を見た時に胸が苦しくなったり、夢で会えた時涙がつたっていたりと小さな悲しみがくる時があります。 いつか姉の死を受け入れ、こんなふわふわした感情ではなくなる時がくるのでしょうか。

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2022/12/19

何故死を選んではいけないのでしょうか?

タイトル通りですが、なぜ死を選んではいけないのでしょうか? 生きることが尊いこととされ、生きる権利は日本国憲法でも保障されております。 ですが、同じ生命にかかわることで死を選ぶ権利、つまり死ぬ権利はどこにも保障されていないのです。 これはとても歪なことのように感じます。 私自身、周りの人が幸せと一般的に思うようなことを幸せと感じることがほとんど無いということに、漸く気づけました。 つまり、他人と行動を共にして社会生活をするということそのものが大きなストレスでしかないのです。 それを根本に踏まえた結婚だとか出世だとか友人づきあいだとか、正直に言うと全てが無駄なことにしか思えません。 じゃあなぜ未だにそういった無駄なことを続けているかというと、この国では、というよりもいま世界的には死ぬ権利が認められていないからです。 私の望みは一切の他人との縁を断ち、孤独に死ぬことです。 自分のことで葬儀だのなんだのと煩わしいことをしてほしくもないし、記憶に残してほしくもありません。 ですが困ったことに現在の社会ではそれを実現することが非常に困難、というよりも不可能であるように思います。 人間は自己実現と自身の望みの完遂のために生きているのだと私は思います。 この考え方はきっと何があっても変わらないでしょう。 私の望みは上記のものですが、然してそれはどうやってもかないません。 どうやっても叶わない望みを持ち続けるのならば、もはやそれは耐えようのない苦痛としてのしかかり続けるだけです。 ならばさっさと命を絶ってしまった方が、幸福の総量は多いのではないでしょうか? 今でも楽しいことが皆無かと言われれば、そんなことはありません。 趣味である読書や、いくつかの行いは確かに私にとってプラスになります。 ですが、そのプラスが精々週に1~3だとすると、生きているだけで他人とかかわる以上毎日マイナス5ぐらいはされてしまっているのです。 これでは話になりません、ずっと損をしています。 長くなってしまいましたが、どうしてこのような意味のない生活を送り続けなければいけないのか、終わらせてはいけないのか。 このことについてよろしければ解答お願いいたします。

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身内の死と知人の言動について

初めまして。先日、叔母が亡くなりました。独身で孤独死で時間も経っていたため直葬をしました。 叔母は新興宗教に入っていましたので、同じ宗教の知人夫婦にそこのお寺にお願いしていただけることにならとてもありがたい費用でお経をあげていただいたりできました。 直葬なので葬儀社で遺体を安置させていただいていたのですが、葬儀社さんのご好意で無料でお花と祭壇など用意してくれていました。私も叔母を花で送りたかったので持って行きました。 するとその知人夫婦の旦那さんが葬儀社に先に来て「花束なんてやめろ!」「嘘のマンダラの掛け軸なんかかけやがって」 と葬儀社の社長さんに文句を言ったそうです。 私たち遺族は火葬が終わった後、社長さんから聞くまで知りませんでした。 葬儀社さんもお金のない私達遺族のためにとても良い金額で直葬の手配をしてくれたのに。そして花を持ってた私にも「今日はいいが、なぜ花を添えたらいけないか教えてやろうか!花はあーでこーでこうだからだめなんだ!添えるのはあの◯◯じゃないとだめなんだぞ!」と説教してくるのです。 私たち遺族は宗教などには無頓着で何も知らなかったのです。ていうか、私、遺族亡くしたばかりなんですが、と、かなり腹が立ちました。イライラしながら火葬してお骨を拾ったのです。叔母には申し訳ないですが。 でも我慢しました。叔母は親の姉妹なので泥を塗りたくなかった。そしてそのお寺でお経あげてもらい帰ろうとしたらまたその旦那さんに呼び止められ「さっきの話の続きなんだが、」とまた花の事をしつこく言ってくるのです。「花は枯れるから死を表すんだ、この宗教だけが素晴らしい、他は嘘ばかりだ、もっと知りたければゆっくり教えるぞ」と言ってきたのです。 私は笑って誤魔化しました。はーそうですか、へぇーみたいに。しつこいし、めちゃくちゃ腹立ちました。骨拾ってきた人間に対して言うか?と。もう関わりたくありませんが、いつか叔父が亡くなったらまた関わらなければならない。そんな事を考えるともう死んでしまいたいと思うようになりました。どこに相談すればいいのか、どうすればいいのかわかりません。そのお寺にクレームいうべきか?私はもう金輪際家族共にかかわりたくないのです。カルト教団ではないはずなのにまるでそのひとのせいでカルトとしか思えません。御助言ください。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 9
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戦争、死への怖れ

はじめまして。やまと申します。 死ぬのが怖いという思いがあります。 そして、ある妄想にとらわれております。 自分の住んでいる所が北朝鮮からの核ミサイル攻撃をうけるというものです。 世界は何か見えない大きな力に動かされていて、私たちは戦争をさせられているような気がしてならないのです。 ここ二三日、一晩中上空からヘリの飛んでいるような音が聞こえています。 ニュースやネットなどを見、妄想に妄想を重ね怯えてしまいます。 少しの物音にも怯え、サイレンが鳴るのではないかと気にしたり、核兵器が上空で爆発する様子や土地が汚染され誰も助けには来ない様子などを妄想したりしてしまいます。 このサイトで、戦争について怖れている方が他にもいらっしゃることを知りました。戦争を怖れるよりも、今できることをやるしかないということは頭では分かっているつもりですが、やはり怖れ、迷ってしまいます。 今できることというのは、この場所(今住んでいる県または国)から逃げることなのか。普段の生活を続けることなのか。それとも、死を怖れないようになることなのか。どうすればいいのか分かりません。 いったい、どうすればいいのでしょうか。 まとまりの無い文章で申し訳ありません。 お忙しいとは思いますが、 ご回答いただけたら幸いです。

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立て続けに起きてしまった死

 2020年の1月4日(土)に最愛の父が亡くなりました。死因は肺癌の治療での免疫力低下に伴う細菌性肺炎でした。何ヶ月も前から癌の治療はしていて、体調も良い日が続いて一時は退院したのですが、年末前に急に肺炎を起こし、そこからはひたすら悪化の道を辿り、当日は看護師の方も予想できないくらい急に亡くなってしまいました。そのため家族は誰一人として付き添ってあげられませんでした。父は12月28(土)に還暦を迎えたばかりで、そこから丁度一週間後の出来事でした。  そして、丁度今から1時間半ほど前に愛犬が亡くなりました。父の死から1週間が経った1月11日(土)に急に呼吸が苦しそな姿を見せ始め、様子を見て悪化するようだったら病院に連れて行こうと思っていたところ、今日の深夜になって急変してしまい、先ほどそのまま息を引き取りました。愛犬も1月5日に10歳を迎えたばかりでした。  父も愛犬も節目の年齢を迎えてから10日もしないうちに亡くなってしまい、さらにその期間がほぼ1週間ということ。愛犬は腰が悪くて寝たきり生活ではあったものの、1月10日(金)まではいつも通り元気に吠えて食事も排便もしていたのに、丁度父の死から1週間が経った日に体調不良になったこと。この立て続けに起きた不幸はただの偶然なのでしょうか?強い疑いがあるわけではないのですが、あまりにもタイミングが悪すぎたので、もやっとした思いがあります。  そして、先ほど愛犬が亡くなった際に母が「あの段ボールの服捨てなきゃ。あれが届いてから2人も亡くなった。」と言っていたことも引っかかりました。この「段ボールの服」とは、5~6年ほど前に亡くなった父の叔母の旦那さんの所有物であった未使用の洋服のことで、父が年末前の肺炎で2度目の入院をした後すぐの時に叔母から「誰も使わないし捨てるのも勿体無いので是非使ってください」と父宛に送られてきたものです。母はこの「(血の繋がっていない)故人の私物」が不幸の元になっているというのですが、そういうことは起こり得るんでしょうか?    また、元旦に私が父の代わりに仏壇や仏様の掃除をしたのですが、その過程で何か罰当たりなことをして、それが原因になってしまったということはあるでしょうか? 長くなってしまってすみません。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 38
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