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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 幸せ 幸せ」
検索結果: 14162件

悲しみは成仏の妨げ?

死者のことをずっと考えていたり、 悲しんでいたりすると、死者が成仏できない。 前向きな姿を。 と、よく聞きますが、自殺者の場合もそうなのでしょうか。 自分のいない世界で、家族が、平気な顔をしていたら、 「やっぱり自分なんかいなくても良かったんだ」 と余計悲しくならないのかしら。 悲しんでもらえないことが、故人には余計に寂しく感じられるのではないでしょうか。 たった一年でこんな当たり前に過ごしてしまっていたら、寂しいと思うのです。 当たり前じゃないのに。 お葬式のあと、お茶碗を割った。 その行為が、もう帰ってきても一緒に食事を囲めないから帰ってこないようにね。なんて意味だなんて知らなかった。 そんな意味ならやりたくなかった。 その気持ちが成仏の妨げになっているのでしょうか。 それとも、本人が悲しくても寂しくても、「自分なんかいなくてよかったんだ。」とマイナスな解釈だとしても、現世に未練を残さない方が本人のためになるのでしょうか。 出来ることなら、家族にもみんなにも愛されていた。と納得して成仏してほしいと思うのです。 そんなマイナスの解釈で成仏するのが幸せなのでしょうか。 寂しい気持ちにさせてしまうことにならないのですか。 私は 私だったら、それはとても寂しいです。 生きていてほしかった。と、現世と無理矢理関係をたつなんてしないでほしかったと思ってばかりです。

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第2子を愛せるか、、、

はじめまして。 臨月を迎え、怖くて涙が出てきます。こんな私によかったら助言を頂けたら幸いです。よろしくお願いします。 現在シングルマザーで小学生一人を育てています。 離婚後7年経ち、入籍予定だった彼とのこどもを授かりました。 我が子の環境や気持ちの変化への不安もありましたが我が子も、彼もとても喜んでくれたので入籍前に同居開始しました。 しかしいざ同居すると、彼の仕事が多忙でイライラしており、私にたいして圧迫した態度をとったり、我が子への躾と称した叩く、蹴るがありました。 それから彼に対して不信感と怒りしかなく、入籍しないことを伝えました。 彼は反省しているが、また私たちとやり直せるように頑張ると別居中です。 一旦実家に戻っておりますが、妊娠を機に無職(悪阻と胎児疾患疑いで入院していたので)、同居前から実家生活でしたので、助成もありません。 悔しいことに、目の前にいる我が子を守ると決めてシングルになったのに、今我が子を守れません。 そして赤ちゃんさえいなければ、親子二人で頑張っていけたのに。 なぜ彼を信じてしまったのだろう。 なぜ妊娠しちゃったんだろう。 いっそ養子に出した方が赤ちゃんは幸せなのかも、でもそんなことしたら一生後悔するかも、、、 と毎日不安で涙ばかりです。  自分の浅はかさに悔しさと後悔、怒りさえ込み上げてきて、死にたいと思うようになりました。 子どもは大好きで、福祉関係に勤めていたくらいなので、妊娠も幸せでしたし、我が子も兄弟ができるととても喜んでくれていたのに、、、 出産目前に赤ちゃんさえいなければなんて思う私は最低です、親になる資格もないと思います。 こんな私が出産し、子ども二人抱えて生きていけるのかなと。。。 両親は彼の気持ちがある以上、自立するまでは親として責任があるのだから、別々に暮らして協力していけばと言われています。 実家にはもういられないので、来春までには仕事を決めて出ていくことになってます。 そのために就職活動を始めましたが、保育園決まるのかなとか、家を借りられるのかなとか、どんどん不安が出てきて眠れずにいます。こどもを守れない母親なんているのでしょうか。 長文、乱文申し訳ありません。 こんな私によかったらアドバイスをお願いします。

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下血しても生きている私(※貴方に贈ります)

数年前、私は大量の下血をしました。 その当時の私は、生きることに疲れていました。 主治医からは「命に関わることですよ!」と言われましたが、私は「ラッキー!」と思い、検査を断りました。 それから1年が経ち… 「まだ生きているやん…」 そこで「じゃあ、一周年記念に」と、大腸検査を受けに行きました。 特に問題なしとのこと。腸内には傷も何も残っておらず、「また定期的に検査を受けに来て下さいね」と言われただけでした。 なので、そのままに。 定期検査にも行くことなく、今に至ります。 でも、実は今年に入ってからも、また下血を繰り返している時期がありました。 「またか…」という気持ちです。 まだ検査は受けていません。放置していたら、また下血しなくなったので、何だか行きそびれましたね。 でも、「まぁ、いっか」と思っています。 体調が悪いことには慣れてしまいました。 今は、別の病気で、別の精密検査を受けているので、大腸のことは「まぁ、いっか」と。 人間、なかなか死ねないものです。 思っている以上に、頑丈に出来ているのですよ。 多分、死にたい時には死ねません。 しかし、死にたくない時に死ぬこともあります。 自分でコントロール出来ないのが「死」です。 誰にもコントロール出来ないのです。 でも、いつか必ず死は訪れます。 だから、何も焦る必要はありません。 「今」を精一杯生きていればいいのです。 私は、「いつ死んでも後悔しないように生きる」をモットーにしています。 辛い時も苦しい時も、楽しい時も幸せな時も、全てが「今の私」なのです。 頑張らなきゃならない時は頑張りますし、頑張らなくてもいい時は頑張りません。 私は、1人ではありませんよ。 hasunohaで出会ったお坊さまだって、たくさんいます。 だから、皆に感謝して生きています。 時々、暗~い私もhasunohaに訪れますが、何もなくて幸せ~な私もhasunohaに訪れます。 hasunohaは、私が頼る場所であり、同時に勉強する場所です。 他の方の質問も読ませていただいております。 そして、それに対してお坊さまがどのようなアドバイスをなさるのかも注視しています。 生きている限り、私の「学び」は続きます。 今私が頑張れるのは、皆が存在するお陰です。 皆様「ファイト!」です。

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彼の宗教について

私は今月彼氏と別れました。 理由は彼の宗教です。 穏やかで、優しくて、私の為に尽くしてくれる素敵な人でした。 付き合ってすぐに、新興宗教の話を聞きました。 私は無宗教のため、自分は興味は無いけど宗教は本人の自由なので、勧誘や強要をされなければ良いと思い、1年近く付き合っていました。 付き合っていた頃は、本当に楽しくて幸せな日々でした。 お互いに結婚をしたい気持ちが強くなり、私の実家に挨拶に来ました。 最初の印象はとても良かったのですが、宗教の話をしたら反対をされました。 両親が、もし結婚をするなら子供ができて宗教に入れたくないから、誓約書を書いてくれと彼に言いました。 彼は、悪い事をしているわけじゃないのになぜ誓約書を書かなくてはいけないのか? 結婚の話がトントン拍子に進まないのは、この結婚が良い方向に進んでないからでは?と考えていましたが、もう1度私の両親と話をする機会をつくりました。 私は、結婚をする為の話し合い。 と思っていましたが、彼は宗教を理解してもらいたい気持ちが強く 自分は悪く思われても良いけど、入っている宗教を悪く思われたくない。と言い出し、これでは前回より印象が悪くなってしまうと思い、何度も2人で話し合い別れる事になりました。 別れる時に、これで一緒になっても信仰の違いで将来不足に感じる時がくると思う。 1度で良いから宗教の施設に、話を聞きに来てくれれば良かったのに。 と言われました。 彼は、宗教に入っているから良い人だったのもわかります。 私は、たまに神社に行ったり、厄払いに行ったり、御朱印も持っていますが、なんとなく神様という存在がある程度です。 彼の宗教は、神様のお告げを信者の方に伝えたり、手かざしなどもするそうです。 正直、私には理解が出来なくて でも私にも、もっと歩み寄りが必要だったのか? この結果は、良かったのか? 好きな気持ちがあるので、もう1度やり直せないか? 毎日悩んでいます。 よろしくお願いします。

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2023/05/08

愛着障害について

最近、不安性愛着障害という症状を本で読み、自分のことだと思い相談いたします。 人の顔色を窺い、気疲れし、恋愛のチャンスも見捨てられ不安になってしまい勢いアプローチが過ぎて引かれたり、逆に裏返しに突き放したり怖くて声かけられなかったり。 原因は母との関係なのだと思います。 今ほどには体罰ということにうるさくなかった時代ではあり言うことを聞かないということで暗い山林に雨でぬかるむ中、靴も履かせてもらえず車から放り出され、言うこと聞かないからもうお前はうちの子ではない、とやられたのを覚えています。母親自身精神が安定してはいなかったなと今ならわかるのですが、発達障害であることを認めてもらえず教室に入れないことを、いつまでそんなことをしているんだと責めさいなまれたりしました。 母という人はテレビを見ても交友関係の話をしても批判や悪態ばかり。 稼ぎが悪いと父親をなじり、だらしないところは父親とそっくりだとなじり、その一方で愛がないというのでもなく、私が南米旅行をしようというときはそんな危険なところになぜ行くんだ、お願いだからやめてくれとか、大学で文学部に進学したいというときもそんなつぶしのきかないところ駄目だといい、弟が小学生低学年の時に野球選手になりたいといえば馬鹿なこと考えるなといい、そのくせ司法試験を目指してみろとやりたくもないリスキーな事を勧めたり。髪型や服装も昔風のスタイルが頭にこびりついているのか、そんな服装やめてくれ、とか。自分の思い通りの子供を愛したいんです。 最近になってようやく人の顔色を見ずに意見に正しいと思うところがあれば職場でもクレーマー対応もこなせるようになりました。 身の危険に怯えることや、母親の影響からの過度にリスクを恐れる心配性からは脱却しつつあります。 しかし脅威に対処する術は覚えつつも愛情を得たいと思った相手に対していつも変な行動をとってしまいます。孤独です。 結局死ぬときは一人、家族をもったとて安全基地にしようと期待しない程度には諦観しています。 母とはコロナを理由にずっと会っていません。 非情かもしれませんが家族とはいえ距離をとり、私の回復が最優先と思います。 そこからしか始まらないのはわかっています。 これも執着の病かとも思い、知人の幸せそうで利他的なことを喜びにしてる人を見習っています。 これが活路でしょうか。

有り難し有り難し 4
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2022/04/10

罪悪感と後悔と今

毎回お答えいただいてありがとうございます。 今回は、昔飼っていたペットの話についてです。 子供の頃にハムスターを飼っていたのですが、ある日祖母の家から帰る車に向かっている途中にハムスターが入っているお出かけ用のカゴ(?)を手にもっていたのですが、 そのカゴを手から離してしまい、そのカゴが宙を飛んでそのまま落ちました。 その際にそのハムスターは足を負傷してしまってしまいました。 その後は病院に連れていく事もせずに、そのままにしてしまってただただ足を引きずっていたハムスターを見ていた気がします。(昔の話なのでどうだったか自信がないので多分そんな感じだったかな・・と) 後々ハムスターも亡くなってしまって・・、そのあと確か土に埋めて埋葬したと思います・・(ここも自信がないのですみません・・。) 今にして思えば、子供の頃に何故あのハムスターを病院に連れていってあげなかったのか・・。病院に連れて行って治療してあげればまだ変わっていたのかもしれません。 今となっては罪悪感と後悔しか残っていません。 そして、今うちには犬がいます。その子に関しては、何か異常があったり、不定期ですが病院に連れて行って見てもらっています。 何故ハムスターの時には出来なくてうちに飼っている飼い犬に関しては出来ているのか・・、本当に酷いやつだなって思います。 昔飼っていたハムスターには動物虐待・・。飼い犬に関しては可愛がっているつもりですが、自分の身勝手に飼い犬のしっぽを引っ張ったりしたこともありましたし、他にもちょっとひどいことをしてしまった事もあります。 本当にこんなひどい飼い主で、動物たちは幸せなんでしょうか。 というか、こんなに酷い事してる私は地獄に行く資格があると思います・・。 自分でも本当に反省してるのか、しないように努力してるのか、中途半端なところもあるような気がします。 お坊さんの皆さんはどう思われますか教えてください。

有り難し有り難し 2
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