2022/01/08他人を犠牲にして生きている
今日、不思議な夢を見ました。
母と2人でゲームセンターに行く夢です。
(子どもの頃よくゲーセンに行っていました)
母に小銭を貰います。そして、「いいな」と思う可愛い女の子のフィギュアがあるのですが、「今ここでお金は使えない」「もっとよく店内を見てからにしよう」とします。
母には欲しい景品がたくさんあり、私はそれに着いていきます。また、「ほら、ここ!お母さんの好きなグッズがあるよ!」と声をかけます。
そうしている内に、いつの間にか、自分がやりたかったことを後回しにしていて、もうやるには遅すぎることに気づきます。
私が「あのゲームで遊びたいな!」と思っていたものには、人だかりができていて、母の元に戻ってきては、母が欲しいものを得るためにサポートをしていました。
私は、自分のためにお金を使うのが怖いです。
昔、家族がみんな母のお金でゲームやパチンコなどギャンブルをしていたので、私自身、母に申し訳ないし、母にそんなことをさせたくないという思いがあります。
一年あたり学費が百万円もする私立中学に通っていましたが、一年で不登校になってしまい、学校で勉強や技術の習得をしていないのに、その後も大金を払い続けてくれた親に申し訳ないという気持ちもあります。
故に、これ以上、人に自分のことでお金を使わせたくない。自分の好きなことでさえも、お金を使うことがいやです。誰かを、母を、親を、犠牲にしているのではないかと感じます。
そして、「お金」とは、夢を叶えるための「切符」であり、「リスクを払う」ことであると思います。そのリスクに向かう意思決定ができません。
私が人生へのリスクを払って生きる(お金を使って楽しむ)ことは、誰かを、母を、踏みしめていることだと思ってしまいます。
生きることは、誰かを犠牲にしている。
そのことについて、仏教という観点から、皆様方のご意見、アドバイスいただけますと幸いです。
よろしくお願い申し上げます。
有り難し 12
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