すみません。心配なことがあるので教えていただけますか。 個人が仏様から嫌われるということはあるのでしょうか? また、女性の仏様は、綺麗な女性がお参りに来るとやきもちを焼いてしまうので、お参りしない方がいいと聞きました。本当ですか? それと、お参りの作法を間違えると逆鱗に触れる仏様がいらっしゃると聞きました。ふらっと立ち寄ったお寺で私は大根を持参できませんでした。失礼がなかったか心配です。 私は神社仏閣を散策するのが大好きです。でも、なんとなく上記の事項を意識してしまい、心配にかられることがあります。 私のご先祖様は天台宗のお寺にいて、法事の際にはいつもお世話になっております。私自身もこちらのお寺の幼稚園で成長しました。(でも大学はキリスト教の大学に行きました。)若いときは、信仰を重んじるというより、興味本位のほうが強くて、宗教に対して軽率な気持ちだったと思います。申し訳ございません。 以前、厄を迎えたお正月に、観光を兼ねて有名な真言宗のお寺で厄払いをしていただいたら、その年に物凄く悪いことが自分の身に立て続けに起こりました。 その後、私は結婚したのですが、旦那さんの実家の信仰も真言宗で、なんとなく不吉な予感がし、結局いろいろあって離婚に至ってしまいました。 偶然なのかもしれないのですが、もしかしたら私は真言宗のお寺と仏様から嫌われているのではないかしら、、、とお参りをすることが怖くなってしまいました。 真言宗のお寺を拝見させていただく際には、以前の悪夢を意識してしまい、仏様から嫌われないようにといつも怯えてしまいます。。。 私は今後も、お寺や神社を散策したいと思っていますが、怯えずに安心して仏様にお迎えしていただき、お参りしたいです。 どうしたらよろしいでしょうか。 よろしくお願いいたします。
おはようございます。 今日は上の子と病気回復祈願に行ってこようと思います。 年に2回しか公開しない御神刀を拝見してこようと思います。 冬の間から公開を楽しみにしていました。 別なお寺で病気回復祈願をしてお札をもらってまだ返していないんですが、御神刀の見れる時期が決まっているので祈願してきたいと思います。 それから下の子が本厄なので魔除けがあったら買ってこようかなと思います。 神頼み・仏頼みしすぎでしょうか。 でも天気がいいのでちょっとした気晴らしになったらいいなと思っています。
今年本厄で、来年後厄になるものです。家の事情で、来年度引越しをすることになりました。今実家暮らしで一人暮らしも未経験です。しかし今年は家族ともうまくいかず、来年の引っ越しにはお前は連れていきたくないと言われました。 実家に残るという選択肢もありますが、正直今いる家には残りたくありません。今年は今年で、入院やケガ等があり、すごく大変な年です。来年、一人暮らしを始めても厄年とかの関係では大丈夫なのでしょうか。 是非ご回答のほどよろしくお願いします。
主人は、今24歳です。昨年、本厄で、恐ろしい事に交通事故に10回もあってます。幸い怪我は、大きく無いですが、主人の両親も昨年、立て続けに亡くなりました。 主人の父親が、亡くなった後くらいから、主人の中にもう1人、居る事が分かりました。 とある夜は、お経を唱えたり、また違う夜は、主人の体を痛め付けたり、足を引っ張ったり、足に傷跡を付けたり、耳元で「のろす」 とも言われたり、主人も怖いし私も、足や髪の毛を触られたり夜の23時に決まって始まります。 お祓いに行っても、余り効果が無かった様です。 私達に何か出来る事は有りますか?
先日、父がご近所の葬儀に参列した際、手にしていたお数珠を無くしてしまいました。 どうやら棺にお花を添える際に棺の中に落としてしまったらしく、母は「お数珠があなたの厄も昇華してくれたのよ」と言っておりましたが、父は相当気にしている様子です。 お数珠は母の亡父が我々家族に揃いで用意して下さったもので、これまで長年大切にしてきたものでした。 それゆえ父の心境が推し量れ、私自身も気持ちが晴れません。 このような場合の心の持ち方・考え方を知りたく、同時に、父に新しいお数珠を用意する際、どこでどのように賜るのか、また、家族全員の分を一緒に揃えるべきなのか、ご教授頂けますと幸いです。 お忙しい中、小さな質問で申し訳ございません。 宜しくお願い致します。
お守りを持つことで守られることはないのでしょうか? 厄除けで有名なお寺で厄除けお守りをいただいたのですが、電車で痴漢にあったり、付き纏われたりと、厄と言えるような出来事が多々ありました。 それ以来電車に乗って外出することが怖くなっています。夜道も怖くて、1人では出歩けません。 仏様に守ってくださるようお願いしたり、お守りを持ったりしても、結局苦しまなくてはならないのでしょうか。 持つだけで終わりではなく、お寺に足を運んで仏様に挨拶をしたり、お守りにお願いしますと言ったりもしています。 家族も同じお守りを持っていたのですが、財布を盗まれることがありました。これは家族の不注意もあるので、お守り、仏様を責めるような出来事ではないかもしれませんが、心に引っかかります。 仏様のことはそばにいてくださるだけでもありがたいと思っているんです。けれど、苦しみが次々と起こり、辛く、悲しいです。
私の職場は二人でペアを組んで作業する仕事で、一週間交代で組んでいる人をローテーションするのですが、私と組むと機械や車両が故障したりトラブルや不幸なことが起こるというジンクスが広まってしまい(本当に起こっています…。)心ない上司の方々に厄病神などと言われ日々弄られています。 勿論、ただの偶然が折り重なっただけだろうし、相手が冗談交じりで言っていることも理解しているのですが…悲しいし、何でも自分のせいにされてしまうと考えると上司が憎くて憎くて仕方ありません。 どうしたら人を憎むことを止められるのでしょうか。 最近もしかしたら自分は、本当に何かに取り憑かれているのかとさえ考えてしまいます。 どうかご回答の程よろしくお願いします。
数年前、願誉浄史ご住職様から「阿含経典」を勧められましたが、驚いたことに此処にすべて仏教の真髄が集約されていました。 ご住職様には、深甚な感謝と共に厚く御礼申し上げます。 そこには、仏教の目的である「輪廻転生からの解脱」が唯一仏教の教えに尽きることが書かれていました。 般若心経に「照見五蘊皆空度一切苦厄」とありますが、「一切苦厄」の主体が生老病死の事でありましょう。 生老病死は仏教の専売であると思っていましたが、阿含経には仏教に関係なく「自然の摂理」で釈尊以前から定まったものであると述べられています。 「自然の摂理」に対しては、釈尊も手の施しようがなく只管死を待つほかありません。 即ち、生きている総ての生物には生老病死はつきもので、仏教の救いは何もないという事です。 従って仏教の救いは死後にあることになります。 しかし死ねば生老病死は消えますから何も問題はありませんので、仏教の救いは必要ない筈ですが、再び誕生することを釈尊は悟りで明らかにしました(過去世)。 それが輪廻転生です。そこから解脱することが仏教の救いであり、仏教の存在価値です。 そのことを阿含経は下記のように述べています。 城邑(南伝 相応部経典 12.65. 城邑) 前略 その時、世尊はかように仰せられた。 比丘たちよ、わたしは、まだ正覚をえなかった修行者であったころ、このように考えた。(この世間はまったく苦の中に陥っている。生まれては老い衰え、死してはまた再生する。しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない。 まったく、どうしたならばこの老いと死の苦しみを出離することを知ることができようか)と。 後略
お世話になります。 最近姉がとある難病にかかり入院していたのですが、検査で更に違う箇所に病気の疑いがあると告げられました。 調べてみるとそれは極めて珍しい病気で100万人に1人ぐらいしかかからないもののようです。 姉のことも勿論ですが、そのことで母親も精神的に参ってしまっていてとても心配です。 難病の診断を受けた時には命に関わるような病気じゃなくてまだよかった、と前向きに言葉をかけていたのですが、こう立て続けに難しい病気が重なると何と声をかけたらいいのか分かりません…。 そこでどうか助言をいただけたらと思い、こうして投稿させていただいています。教えていただきたいのは以下の通りで、 ①塞ぎ込んでしまっている母にどのような声をかけてあげたらいいんでしょうか。 あまりネガティブな言葉や考え方をしていると良くない出来事を引き寄せるとよく聞きますので、出来るだけ前向きにしてあげたいのですが…。 ②あまりにも発症率の低い病気が重なりましたので、少し気になっています。姉は今年厄年ですし(厄祓いはしています)、そういうものも関係するのでしょうか? 長くなりましたが、どのようなお言葉でもいいです。ご助言いただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
自分の人生で悪い事が続きすぎて生きるのが怖いです。 2年前、父が急死し、さらにそのわずか2ヶ月後に父方の祖母も亡くなりました。 それから、母の精神状態が悪くなり、先日、母も自ら命を絶ちました。 なぜ、こんなに短期間に悪い事が続くのでしょうか? 母が亡くなる1ヶ月ほど前に有名なお寺で厄祓いもしてきましたが、逆効果でした。 神に文句を言いたいです。なぜ、私の家族ばかりなのですか?と。 人生はなぜこんなにも不平等なのか理解ができません。 当たり前が次々と失われ、普通の家族には滅多に起こらないような災難ばかりが我が家を襲います。 正直、私の家族がここまでの仕打ちを受ける程の悪い行いをしてきたとは思えません。 悪い何かに呪われているのでしょうか? 「運命」で片付けられたらそれまでですが、運命は変えられないのでしょうか? 私も家族も憔悴してしまい、ただ生きるだけでも怖くなりました。 まとまりのない文章ですみません。
病気の回復のメドが立たないまま 時だけが、過ぎるだけで 焦り 苛立ちがたまって行きます 僕の生年月日や干支等で、本厄大役でした 後、大殺界の時期 見たいで 体調も、外出しても不思議に体調が悪くなるし 病院で精密検査してもらうも、決定的な病名がつかない状態です😢 でも、先生いわく 確実に右足の突っ張り 脳内に空洞等があるし 傷病手当の期間の終了をかなり気になってしまいますし 周りからしたら、元気なのに仕事に出ないと思われてるのじゃないかとか、人の目を気にしてしまい 疑心暗鬼になってしまったです 今は、もがけばもがくほど 沼にはまりそうなので先ずは、僕の地盤改良から始めようと今更ながら思います まずは何をして良いか分かりません なるべく 誰かについて外出をして体力が落ちない様にしていますが直ぐに、怖くなってしまいますし 頭がフワ~とか足が拒絶するし どうすれば、良いのでしょうか?
昭和60年産まれ今年32歳、本厄を迎えます。 母からも、『厄年の中でも更に悪い運勢だから大人しく過ごしなさい、健康診断に行きなさい』と言われ段々怖くなってきてしまいました。 12月から育休があけ、仕事にも復帰しましたが、やる気が空回りし、『でしゃばらず、育児に専念して、大人しくしててくだい』と言われてしまいました。 とても悲しかったのですが、今は受け入れていますが、これも厄年の影響を受けつつあるのか。。?と思い始めてしまう自分がいます。 勿論、厄年という運命を受け入れて大人しくして一年過ごそうとも思っていますが、だからといって何もせずに、じっと時が過ぎるのを待つのみというのも違う気がしますし、嫌なことがあったら、厄年のせいにするのも違うとも思います。 投資の勉強を始めており、大金を使うことは辞めようとは思っていますが、少しずつ少しずつ地道にコツコツ資産を増やそうと考えておりますが、この新しい試みすらも控えた方がいいのでしょうか? 厄年を迎えるにあたっての心構えや注意するべきことはありますか? お返事お待ちしております。
結婚して17年 旦那と知り合ってからは30年たちます 今、夫婦関係の危機で、毎日罵倒され、疲れています。 昨日は、麻薬でもやっているのか、言ってることが変わりやがって!今日は、この厄病神、離婚だ。おまえは誰も幸せにできない。 仕事と家庭がうまくいかなくなったのは、私が原因であると、息子と私に対し、話を延々と繰り返し、毎日2時間以上を費やします。 私が家計を支えてきましたが、去年癌にかかり、今は数度目の手術を前に、療養中です。 自分が幼少期、父親の暴力で両親が離婚し、転校を繰り返したことがあり、自分は離婚はさけよう。実家に帰るのやめることが、我慢だと思い込んできました。しかし、日々子どもに口論を見せている状況。 今後の人生、どうしたらいいか、ご意見をお聞かせください。よろしくお願い致します。
初めまして。長くなりますがよろしくお願いします。 息子の名前について悩んでいます。プロフィールに載せてありますのでご確認お願いします。 1つ目の文字が良くない文字と似ている、苦労したという記事をネットで見かけました。探すと他にもそのように答えている方がいらっしゃいました。そして子どもには使わないわ、というコメントも見ました。 どちらも昔から知っている漢字でそんなこと感じたことなかったのでショックを受けました。 また2つ目の主人の字は柔らかいイメージで誰でも書ける漢字、そして私自身が主人のことが大好きで尊敬しているので息子に渡せたことに喜びを感じていました。 ですが親の名前をつけることは厄まで渡すという記事も見かけました。 名前自体も古臭いと言われてしまう始末です。 探せば探すほど悪い情報しか入らず頭から離れません。子どもに名前について聞かれたとき堂々と答えられるのか、いつか誰かに言われて傷ついてしまうのでは、蓮や悠斗などランキングに入るような人気の名前にするべきだったのかと落ち込むことが増えました。 息子の名前は縁起悪い、古臭いなどと印象悪いですか? この先苦労してしまうでしょうか? 自信を取り戻したいです。
これまで3回妊娠・出産しました。 1人目の子は、何の問題もなく産まれましたが、2人目・3人目をこの一年の間に二度亡くしました。事情や過程は違いますが、流産ではなく死産です。いずれも偶然起きた事であり、運が悪かった、不運が重なったという事です。 だから今度こそという思いもあり、また妊娠をしたいという思い半分、また流産死産になるかもしれない思い半分、30代半ばで年齢的な問題、1人目の子との年の差を考えても、次の妊娠を考えるべきか、悩んでいます。 子供に兄弟姉妹を作ってあげたい、それが一番の理由です。 私がお聞きしたいのは、何故私ばかりがこんな残酷な思いをしなければならないのでしょうか? 誰かに恨まれるような事もしていない、真面目に生きてきたつもりです。いつも真剣に努力して生きているのに、報われない事ばかりです。 持病があったり、予め私に問題があっての事なら仕方がないかもしれません。でも、二回とも医師は「運が悪かった」というのです。 運が悪いではもはや納得ができないのです。 私は宗教とかお祓いとか占いとか信じてませんでした。でもこの数年で死産とその他にも事故や身内の病気、悪い事が重なり、何か悪いものに取り憑かれている、呪われてる、今そんな感覚があり、気持ちの整理のためにお祓いをしてもらおうかと考えてまいます。 お祓い、子宝祈願、何をすべきでしょうか? お祓いをすると周りに厄がいくというのを聞きますが、厄除けの方が良いのでしょうか。 こんな私はどこのお寺にいくのが良いのでしょうか? 不運だというのなら、運が良くなるための導きを教えてください。
御真言と印について、お尋ねさせていただきます。 先程、無知なのに、誤った印で御真言を唱えてしまいました。 以下にいきさつを書かせていただきます。 この場合の対処を教えて頂ければ幸いです。 —————— 先日、お隣の人から心無い事を言われてしまいました。詳細は割愛させていただきますが、それは、明らかに相手からの悪意(私へのコントロールできない嫉妬心のようなものだと思います)が滲み出てしまった言動でした。 私の方は、お陰様で冷静に対応させていただきましたが、相手の悪意(厄)を被ってしまったので、どうしても抑えきれない悲しみ、怒りが残ってしまいました。こういう時は忘れることに努めるのみですが、相手が隣人であったため、物音などで気配がわかってしまうのです。 そこで、藁にもすがる思いで“厄除け“を検索してしまい、不動明王の御真言と印についての記事に辿り着きました。無知な私は、左右逆に印を組んで無心に御真言を唱えてしまいました。 そのあと、素人が印を組むものではない事を知り、なので、“ごめんなさい“という気持ちと共に、再度合掌で同じ不動明王の慈救咒を唱えさせて頂くことにしました。 気持ちが落ち着いてから、色々と不動明王のことを調べていて、先程の自分の行為を反省しました。 実家は仏教と神道です。わたしは1人海外に住んでいるため、近くのお寺へお参りに行くことができません。御真言などを唱える習慣は皆無でしたので、今回の私の行為は浅はかなことだったかもしれません。 間違った印と御真言を唱えてしまった場合、どうすれば良いでしょうか。 何卒よろしくお願い致します。
私は母親に暴言、暴力を受けて育ちました。 暴力は中学生くらいまででしたが、暴言は大人になっても続きました。 厄病神、あんたなんか産まれてこなきゃ良かった、いても何の役にも立たない、気持ち悪い、死んでくれれば良かったのに、という感じです。 父親は私が小さい時不倫しており、母親の暴力を見ても特に止めもせず、また何故暴力するのかという原因にも触れようとはしない人でした。 高熱が出た時は朝までソファーで寝かされ、 洗面器に吐くように言われ、自分たちは友人と麻雀を朝までしていました。 自分に自信が持てず、それを両親のせいにしてずっと恨んでいましたが、 それも自分が疲れる事に気付き、 あの時両親は大変だったのだと、親も自分と同じ完璧な人間ではないのだと色々模索し、 嫌な感情を以前より手放す事が出来てきました。 今では自分の子供達を時々しか会えませんが可愛 がってくれ、感謝しています。 ですが、自分の親を好きかと言われると 未だに好きになれず、 もし彼らが困っていても正直心から助けたいと 思えません。そしてその様な自分に罪悪感を感じます。 周りの人はみんな親を大事にして、 尊敬して居るのに、 どうしてそれが私には出来ないんだろうと思います。 私には感謝の気持ちがまだ足りないのでしょうか。どうか私にアドバイスを下さい。
ご無沙汰しております。最近気にかかることが増えてきたので、是非回答願いたいとこうして筆を執らせて頂きました。 今年、わたしは後厄年にあたるのですが、これはもうこのせいなのでは?と思うほど、いままでにない不運に見舞われています。 たとえば偏頭痛が突然悪化したり、職場のごたごたにおける巻き込まれ具合とか、まだ壊れる段階ではなかったはずのものが突如壊れたり。 こういうことが起こったとき、一日を振り返るとやはり運がないとただ一言では片づけられず、そういうときに限って「あ、そういえば今年後厄だったわ」と気づくのです。 盆に墓参りをした際、ご先祖さまに厄からお守り頂けるようお願いはしてきたので、そのおかげでこの程度で済んでいるのではと思えてしまうほど。 これはもう後厄さんが本気を出してきているのでは?と思い、これから年末に向かってその威力がさらに増える可能性に気付き怯えております。 いっそのこと、元旦を待たず毎年お世話になっております神社さんにてお祓いを受けたほうがよいのかと考えてしまっているのが現状です。 そこで、お坊さんがたに質問です。 わたしは「厄年」とは、ただ単に運が一番悪くなる年であると認識しているのですが、その認識で間違いはないのでしょうか?また、三種類ある厄年とはどういった意味があるのかも教えていただけないでしょうか。 それから、個人でお祓いを受けようとした場合は、ひとりでも執り行ってもらえるものなのでしょうか?こういったことは元旦の一斉祈願のときにしかやってもらったことがないので、どういった感じになるのかまったく想像がつきません。やることはあまり変わらないのでしょうか?また、その際にかかる平均的な金額も教えて頂けると幸いです。 お忙しいでしょうが、お手すきの際にでも回答願えればと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
今年、本厄という事で真言宗の不動明王のお札を頂いてきました。 いま、家には昔から好きで頻繁にお邪魔している臨済宗のお寺から頂いた地蔵菩薩のお札があります。 いままで厄除けもした事なく、もちろんいま住んでいるマンションには神棚もありませんし作るスペースすらありません。 ちゃんとお札を拝んだ事もなく、頂いたお札をどうしたらいいものか悩んでいます。(地蔵菩薩のお札は壁に貼っていました。) 実家は浄土宗なので、般若心経なら少しはわかるのですが・・・。 いまは、カバンを置いている、端をあけて白い紙を敷き左側に地蔵菩薩、右側にに不動明王という順に置いています。コップもないため、紙コップに水を入れて置いています。 夜に手を合わせてありがとうございます。と伝えるくらいでいまは終わっています。宗派が違うものばかりでなにが正解かもわかりません。 お札を置く順番もこれでいいのか分かっておらず。 みなさんみたいに、熱心にまつれるタイプでもなく、初心者でど素人でもできるおまつりの仕方を教えてください。 全くわからないため、どうしたらいいのかアドバイスをお願いします。こんな私でも失礼のないようにしたいと思っております。 どうぞよろしくお願いします。
今更ですが、仏教の体系が「真理」として「般若経」、「真実」として「般若心経」、論理として「阿含経」でまとまっていると考えていますので、今度は「般若心経」の解釈を試みたいと思います。 「観自在菩薩」とは釈尊が如来になる前の尊称であると思います。 次の「行深般若波羅蜜多時」が菩薩が如来になった瞬間と考えられます。 「照見五蘊皆空 度一切苦厄」 がこの般若心経の結論です。即ち「空(正確には空性)」を発見して、悟りを開いたのです。 「舎利子 色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」が第一のキーフレーズです。 「般若経」は「色即是空」だけですが、それは「真理」であって「色即是空、空即是色」が真実です。 色即是空の「空」が真実であれば、空即是色の「色」も真実です。しかし「空」と「色」は別物ですからこの「即是」は定性的な即是で、「物体」は総て「空」の集合体であるという意味です。 定量的にはそこに「縁起」が加わって「色」=「縁起」X「空」、「空」=「縁起」X「色」となります。 「色」は五蘊の中の身体です。身体はこの世限りの命ですから、科学の真実と一致するはずです。アインシュタインはe=mc^2の公式を発表し、広島、長崎の実験でこの公式が真実と確定されたのです。 e(空)=m(色)Xc^2(縁起)と対応します。 「受想行識亦復如是」 「受想行識」は通常総括して「心」と訳されてます。心も「空」で出来ているのです。