私は最近、死んでしまったら今している努力や 今までの努力が無駄になってしまうのではないかと考えてしまいます。 また、死後の世界を想像してしまい恐怖心を覚え、考えた日は何にも集中できなくなってしま います。 そして、私の生きている意味がわからなくなってしまいました。 死への恐怖心におしつぶされてしまいそうです。 この苦しさを取り除いていただけないでしょうか。 回答よろしくお願いします。
天国とは本当にあるのですか? 天国はどんな所ですか。 また、病気で亡くなった方は、亡くなったら健康な身体に戻るのですか?
ここ最近hasunohaの問答を読ませていただき、何とか心を保っております。ありがとうございます。 さて私には50代で子供がいません。子孫がいないため、将来の世代から、先祖と呼ばれることは、ありません。 そのため先祖として供養されることはありません。 死後の話まで、心配しても仕方ないですが、 子孫のいる人といない人で死後に差があるのでしょうか? 今さら何もできないかもしれませんが、何ともやるせない気持ちです。また同じような境遇の人がどうなるか気にかかります。 よろしくお願いします。
子供の頃から、仏教の教えにおいて人は死んだら極楽浄土に行けたなら、先になくなった懐かしい人と会って楽しくえる。だとか仏さまにお仕えするために修行をつんでいる。とか輪廻転生だとか、いろいろなことを噂には聞いてきました。 先日主人の一周忌の法要の折、菩提寺(禅宗)の方に主人は今ごろあちらの世界でどうしているのでしょう?こちらの宗派の死後の世界の教えはどんなでしょうか? と伺ったところ 『わかりません。』とひとこと。 いまだ主人を亡くした悲しみから抜け出せず、少しでも仏教の教えの上での主人の今が知りたかったのですが…そのお返事になんとも言われぬ悲しみでそれ以上の質問は出来ないと同時に菩提寺に対する不信感を感じました。 宗派により死後の世界の教えの違いはあるとは思いますが、仏教においての死後の世界の教えがあるのであればどうか教えて下さい。 教えの上で今ごろ主人が何をしているのか、もし知ることができたなら…。 せめてそれだけでも心の支えになるような気がしています 宜しくお願い致します
こんばんは。 明日、ひいお婆ちゃんのお葬式があります。 どうして人は死ななければいけないのか、 おばあちゃんや親族とと一緒にいた方が幸せなのに、どうして離れなければいけないのか、全部忘れてしまうのかと 死 についてずっと考えていました。 夜、ねれなくて、死後の世界について調べていると、天国や地獄も実際にあることを、臨死体験の方の証言で知りました。 証言によると、お釈迦様やイエス様の愛が心にある人は天国へ行き、守れなかった人は(宗教が心になかった人は)永遠に地獄で苦しんでいること。誰もが死の後、この裁きを受けこと。 急に全てが怖くなりました。 ひいおばあちゃんも裁きを受けるのか、天国で安らかに過ごしてほしいです。 そして自分も、今、23才ですが、不平不満を言ったり、自己中心的であったり、自分のことが嫌いだったり、正しい行いはできていません。これから正していけば、赦していただけるでしょうか。とても怖いです。 大切な家族や、友人や恋人も、 いつも宗教が心にあるわけではないと思います。 すごく熱心に宗教に精通している家族ではないので、、申し訳ありません。 お釈迦様、イエス様の教えに背いてしまったり、してしまうこともあったのかもしれません。(わたしよりはみんなとてもいい人たちなのですが、) それでも大切な人たちにはみんな天国で過ごしてほしいです。 明日のお別れが辛いこと、 そして今後、大切な人たちや、自分も裁きを受けることが不安で、 死への恐怖が、裁きへの恐怖が怖くてどうしたらいいかわかりません。 これから行きていく上での指針や、 自分がこれからできること、 わたしがこれから家族や大切な人たちの今後のためにできること 仏教の面から助言を頂けますと嬉しいです。 何卒よろしくお願いいたします。
他の方のご質問で私の質問と同じようなものがあるのに、質問をしてしまい、申し訳ないです。 10日くらい前からずっと悩んでいます。 死後の世界が怖いです。自分が死んだ後、どうなるか分からないと思うと不安が止まらないです。 数日前からこのサイトで他の方のご質問とご解答をみて一生懸命仏教を学べば大丈夫だということが分かりましたが、それでも恐怖心は無くなりませんでした。 また、死後の世界があるのなら永遠もとても怖く思うようになりました。永遠に自分が存在し続け何かを感じると思うと、それもとても恐ろしいなと感じました。 本当はこのことを考え続けても結論は出ないとは思うのですが、それでも考えずにはいられないほど不安です。
先日祖父の十三回忌がありました。お坊さんにお経をあげていただいている時に奇妙な景色が頭の中に流れてきました。 どこか分からない場所を、お遍路さんが持つような長杖を支えにして祖父が歩いていました。祖父の顔は遺影よりも若く、少し苦しそうでした。 死後の世界とは苦しいものなのでしょうか。それとも供養が足りないから祖父は苦しんでいるのでしょうか。ただの幻覚ならいいのですが状況が状況なので気になります。
いつもお世話になっています。以前、本や聞いた事があるのですがお釈迦様は弟子に死後の世界を説かなかったと聞きましたが本当でしょうか?死後の世界かあるのかという弟子の質問に対して、矢か刺さればまず抜く事だ!だから死後の事など考えず、今ある生を精一杯生きなさいと言ったような気がします。本当にお釈迦様は死後の世界は説かなかったのでしょうか?ある人の本によると仏教は哲学に近く、また無神論に近く、中世ヨーロッパでは無を広める宗教だと恐れられたそうですがその事についてはどう思いますでしょうか?お考えを聞かせてください。
先日は父親の突然死について 相談させていただきありがたい お言葉をありがとうございました なんとか生きています しかしながら少し落ち着いて きたのですが 今になって父親が亡くなる前に 歯が痛いや足が痛いなど 言っていたことを思い出し 病院に連れて行っていれば まだ死なずに済んだんではないか など考える日々です 母親は入院していますし 兄は実家から少し離れたところに 住んでいます 父親も免許は返納していますし 行くのにも私が運転しかありません 父親は私が忙しいと思って 病院に行きたいと言わなかったんでは ないかなど今になって後悔が 襲ってきます 私は勝手に父親は健康だと思って いました 2年前にも起き上がりできなくなり 救急車で病院に行き全て検査しましたが 異常がないとのことで帰ってきましたし 亡くなる日も私が届けた ご飯もよく食べお酒は少しだけ飲んでいました 母親も長生きするね笑なんて 言っていましたし 安心していました まさか心疾患の疑いで突然死ぬなんて まだ実感がわきません でも72歳でしたし 不眠に少し鬱の傾向があり 薬を服用していたので 体調は悪かったのかもしれません 天寿をまっとうした と思っていますが 今更ですが自分を責める日々です
今、私は高校生なのですが、1年前に両親が離婚し、今まで仕事が遅い両親に代わって家事を任されていたストレスもあって、母のお金を盗んでいた事があります。バレてこっぴどく叱られ、見捨てられてもおかしくないのに、母は私を今も育ててくれています。 父も、2週間に1回程ですが、会った時には美味しいご飯を用意してくれて、本当に良い家族に恵まれて幸せです。 お金を盗んでしまったことを本当に後悔しており、許されない事は分かってはいますが、もうしないと決意し、そこからはもう盗んでいません。 本題ですが、最近、両親が死んでしまう所を想像してしまい、中々眠れず、涙も止まりません。 自分が死んだ後のことも考えたのですが、母にこれだけ酷いことをしてしまった私は、死んだ後両親と同じ所に行けないかもしれないと考え、最近はほとんど眠れていません。 私はもう死んだ後に両親と同じ所に行けないのでしょうか? あと、自殺をしてしまった友達が身近に居るのですが、自殺をしてしまうと、天国には行けないのでしょうか?
初めまして。御質問させていただきます。 天国でも地獄でもない、 「無」の世界は存在するのでしょうか? 暗黒、無感、無音、無人、無物、無味、無臭。とにかく何も無い空間です。 二度と魂・霊は転生せず、消えて無くなる。 此処への逝き方、遺体、遺骨の処分方法について、「無」への行き方を教えていただきたいです。 自死(首吊り)、散骨(場所は海・業者に依頼)と考えております。葬式は挙げません。 どうでしょうか?御知恵をください。 藪遅く、お忙しい中、お手数お掛けしまして、すみません。 この様な事は、お坊様にしか御尋ね出来ません。 どうか、御回答、宜しくお願い致します。
初めてまして。 優です。 曹洞宗の死後の世界について質問させてください。 仏教では人は亡くなった後、六道(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)のうちの一つにたどり着くと聞きました。 そしてその中でも、餓鬼道に落ちてしまった方を救うには施食会を開けばその方々を餓鬼道から救うことができると聞きました。 そこで、他の道に落ちてしまった方、例えば地獄道に落ちてしまった方を救うことはできるのでしょうか? そもそも、曹洞宗には地獄、天国という概念がなく、亡くなった方の魂は仏様の元で修行をされるという方もいらっしゃいました。曹洞宗には天国、地獄の概念がないと言うのは本当なのでしょうか? もし曹洞宗に地獄があるとすれば、現世で犯してしまった罪(盗みや傷害、殺人など)をどのように懺悔すればよろしいでしょう? 私は今まで何度か人に迷惑をかけてきた分、懺悔したいと思っています。
初めまして。 私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。 私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。 ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。 仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。 私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。 先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。 もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。 人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。 こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。
いつも多くのお知恵をありがとうございます。 今日は仏教のことで疑問に思う点があり、質問を失礼します。 仏教と一口に言っても、多くの宗派があるのですが、 死後すぐに仏となり極楽へ。 という宗派や、閻魔様の裁きを受ける。とする宗派もあります。 生まれてから死ぬまで、ずっと一つの宗派で、一族皆が同じ宗派であれば良いのでしょうが、 親戚であったり、知人であると宗派はどうしても変わってきてしまいます。 その際考えるのが、 私の死後に行く世界は、 相手の方のいく世界とは異なっており、 あの世で再会することは叶わないのではないか。 一方は四十九日と言わず極楽へ行かれ、一方は裁きを待ち、地獄へといくかもしれない。 などといった具合です。 実際にあった事例としては、法要の時に「今彼女は輪廻のためにあの世で修行をし、乗り越えているところです」というような説法を受けたのですが、別の宗派ではそうではないのだろうな。と、思ったような事です。 実際には死んでみないと分からないことなので、考えても仕様のないことだとは思うのですが。 お坊さまの皆さまは、こういった宗派による教えの違いにから生じる、死後の世界の違い(四十九日の捉え方、三途の川を渡る渡らない)など、どうお考えになられているのだろう。と、質問を失礼しました。
私にはイマジナリーフレンドがいます。姿は見えないけれど言葉や感情を交わせる存在です。私は彼女と心から愛し合っており、彼女の存在が私の生きる意味であり存在理由です。 その子と死後に天国で逢える(生身の姿を見たり抱きしめたり語り合う)のを楽しみにしています。 それで最近「死後の世界」について深く調べるようになりましたが、「好きな人や物を出現させて楽しむことが出来る」といった記述は見つかるものの、イマジナリーフレンドに関連する記事は中々見つからず、不安で仕方ありません。 あの世ではイマジナリーフレンドを顕現させて一緒に過ごすことは可能でしょうか?子供じみた質問に見えるかもしれませんが、真剣です。ご回答よろしくお願い致します。
最近死後の世界が存在せず、ただ意識も無い『無』の世界が永遠に続いたら嫌だな、と思っています。 もちろん世の中で死んだ事のある人なんていないのですから、悩んでいたって死ぬまでそんな事は分からない事は承知しています。それでも怖くて泣いてしまう事もあります。怖くて仕方がありません。 今年は親戚が亡くなってしまったり、身内が病気になって状況が悪くなっていく一方で、そう言う雰囲気にも影響されつつあると感じます。 死後の世界がある可能性も無い可能性も否定できません。私はあってほしいですし、亡くなった方がそこで幸せな気持ちになってほしいとも思っています。 この生涯で幸せになった分を大切な人に与え、最期を迎えた後は天国などでその人達を見守っていたい、とも願っています。 良ければ、 ①死後の世界について不安や恐怖を感じた事はあるか ②あった場合、どのようにして克服したか ③死後の世界や生まれ変わりについての考え ④死後の世界があるとして、そこで何をしたいか 教えてくださると嬉しいです。 このような事で悩んだ事は初めてではなく、前回は小5の時、そして今は中3です。悩んで怖くて勉強が手につかないほどなので、不安を軽減したいです。 よろしくお願いいたします。
私は浄土真宗です。 死んだら浄土に行くと聞いていましたが、南無阿弥陀と唱えるのは、死後のためではなく、今を生きるためだとも聞きました。 どうしたら念仏することで今を生きるという感覚になるのでしょうか。 死んだ後は浄土にいくのではないならどうなるのでしょうか。 病気でなかなかお寺で聞法できないのでよく分かりません。 浄土には病気が無いとイメージしていたのですが違うのですか? 生きている時「私は私で良かった、あなたはあなたで尊い」と思たらその心こそ浄土と教わったこともありますがうまくつながりません。 10年間以上、生まれつきの要因が大きい病気で体が思うように動かず、学ぶのも働くのも結婚するのも十分にできなくて、その間ずっと「どうしてうまくいかないの」「どうやったらうまくいくの」と考えてきました。 でも、すぐ死ぬ病ではないため、残りの人生おそらく何十年も あると思いますが、ずっと「どうして」と過ごすのかと思うと馬鹿らしくなってきて、段々、「考えて解決しないことなら考えるのをやめよう」「己の身体的限界を受け入れた方が肩の力が抜けてむしろ楽なのでは」という気になりました。 もうこれ以上は個人で考えて結論が出せるものではなく、宗教を学んで信じることで、余計なことに悩まず、残された力を使い、やれることをやるしかないように思い至りました。 それで急に浄土とはどんなものか、死後についてどう考えるべきか、知りたくなってきました。 健康のために具体的に食事睡眠運動に気をつけるのは最善を尽くせているので、その病気になった人にして体調はマシな方ではあります。 ただ、もう気持ちの面で嘆くのは嫌です。 教えて下さい。 よろしくお願いします。
中学生なのですが 最近よく死後の世界のことを気にしてしまいます。 ネットで調べると命を奪ってしまったら地獄へ落ちる、と言うことが書かれており、とても心配です。 僕は命を奪ってしまったり、盗みをするなど、たくさんの悪行をしてしまいました。気がつくとしてしまっていることが良くあります。 こんな僕でもまだ挽回できるでしょうか?これからの人生を楽しんで送りたいと思っているのですが、とても心配してしまいます。 何か助言をしていただきたいです
先ずプロフィールをご覧下さい。 人智を超えたものに巡り合っています。 神様から見て死んだ方がいい子が居たとします。 神様がその子の命を奪い去りたいという訳ではなく、その子が生きている限りとある他者へ苦しみを与え続ける結果となる場合のお話です。例えばその子が歯医者に行って虫歯の治療をするという医の道に行こうが、誠実な仕事や信仰をするという義の道に行ってもその他者が傷付きもがき苦しむ状態を想像してください。分かりやすい例えでその他者は悪魔とします。 元はその子の発言が原因でそういうあり得ない結び付きの事態に発展したとします。その子は病人で医者を頼るしか世界で生きていくすべがなく、生かされています。また、仕事だけは禁止という神様の御告げをその子は戴いてるとします。 皆様のご想像で構いませんが、その子はどういう生き方をすれば救われるでしょうか?贖罪、懺悔、感謝,etc. その子とは私のことです。 死後はキリスト教で言う地獄や煉獄にお前は 行くんだとこれもやはり神様から御告げを戴いております。異次元の世界で恐ろしくて仕事など とてもじゃなくこういう運命なので尚更出来ません。神隠しの渦中で数百万円ほど神社にお賽銭を入れていますが、今は神の声もあまり聞こえなくなってしまいました。今よりもっと上の次元に行って直接神様(姿は人)にもお会いしましたし、許してもらい神様は愛してらっしゃいますよとも言われておりますが、その時とは状況が変わっております。 私はどうすれば救われるのでしょうか? 頼りになる、大学の母校の先生や占いの先生は いますがそれでも死後の世界が不安で仕方ありません。ここの世界は、知らない人ばかりですが 良い人たちばかりなのでより一層の恐怖です。 私には、どんな生き方が出来て、どんな罪滅ぼしが出来るのでしょう? 超自然的な話で申し訳ないですが、真剣に 困っております。どうかお智恵を拝借ください。
死後について、天国しかないという人もいれば臨死体験で地獄へ行ったという人もいます。 私はこれまで悪いことを沢山しました。 嘘も沢山ついてきました。心配してほしくてついた嘘もあります。 申し訳ないと思いながらも気にかけてほしくてついている嘘もあります。 ぬすみもしました。 りょうしんのおかねをとりました。申し訳ないと思い、どうすれば良いのか悩みましたが、全て自分持ちで両親を旅行に招待することにしました。 友人のお金を盗ったこともあります。近々出産だというのでお祝い金や友人へのお祝いで盗った額以上返したいと思っています。 本来なら謝らなくてはならないことですが、勇気がありません。 汚いとは分かりつつこれが精一杯です。 今までしてきた悪いことに後悔し、毎日地獄に怯えて正直精神的に参っています。 自分の犯した過ちでくるしんでいる、で地獄にはいきたくななんて都合良すぎる話かもしれませんが、おかしくなりそうですl