こんにちわ。 以前個人的な質問をさせていただき、2度目の質問になります。 以前は大変貴重な回答を頂き非常に感謝しています。 さて、表題の質問になりますが、 小学生の頃「死」について考えたことがあり、その時は・・・ 死んだら考えることすらできなくなってしまう。 死んだらこうやって「死」について考えることもできない。 自分という存在はどこへ行くのか。 と、怖くなって夜寝られなくなってしまった思い出があります。 葉隠の「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉の意味を調べたり、 100歳を越えてもなお現役の医師を続けていらっしゃる日野原重明さんのコラムなどを読んでから、私は「死」という概念は、 抗うものではなく受け入れるもの。 そしていずれ来る死をどのように受け入れるか。 が大事なのではと思うようになりました。 私は仏教には詳しくありませんが、仏教にも輪廻転生や極楽浄土など死後の魂の行方や考えがあると思います。 よろしければ、仏教的観点でも宗派的観点でもご回答くださる方の個人的な観点でもよいので、「死」についての考えをお聞かせ願えないでしょうか。 宜しくお願いいたします。
自業自得で死にたい。 自分が悪いと確信を持ちながら死にたいです。 地震みたいな災害とか 事故とかの確率の範疇のものでは死にたくない。 命を奪う事は僕の中では悪い事です。 でも僕が直接命を奪ったことは殆ど無い。 ご飯だって、誰かがお金の為に殺してるだけです。 虫を何かの拍子に殺してしまっても何も罪悪感は湧きません。 死にたいです。 悪く無いなら死にたくないです。 でも死にたいので悪いと確信を持ちながら死にたいです。 死刑になるような罪をするのは論外です。 国が決めた良い悪いに付き合いたくないですから。 どうするべきだと思いますか? 生きるべきというのは論外です。 生きてますから。
死んだらどうなるのでしょうか。 地獄や天国に行くのでしょうか。 それとも、輪廻転生して、人間や、動物に生まれ変わるのでしょうか。 仏教的にはどうなんでしょうか。
中学生男子です。 コロナウイルスの影響で学校が休みになってから、死を意識してしまい、食欲がなくなったりしています。他にも、母が死んだらどうしよう...、死んだらどうなるのだろう?などを考えてしまいます。 その事をインターネットで調べると、「大人になりたくないのでは?」と書いてありました。 ここで質問なんですが、死を怖がるのは考えすぎでしょうか?それとも、大人になりたくないと考えすぎなのでしょうか? 後、浄土宗では死んだ後、極楽浄土に行くと言いますが、念仏を唱えていなかったら絶対地獄行きなのでしょうか? 長文すみません。
必死に生きてきたつもりです 痛くて辛くて他人が怖くて、誰にも心の内を吐かないで でも、だめみたいです なにもよくなりません 気持ちも楽になりません 日々を乗り越えるのに精一杯ですが、きっと努力が足りないのだと思います でももう頑張れないです どれだけ足掻いても、収支が合いません、金銭的にも、精神的にも、赤字、赤字、赤字 死ぬしかないんだと思います、でも、でも 幸せになりたかった ふつうな まともな人間になりたかった ちゃんとした大人になりたかった もう終わりにして欲しい、ただ死ぬのを待っています なにもできません これ以上はもう 自分の人生に申し訳なくて仕方がない 私という精神は毒です 支えてくれた両親 愛してくれた恋人 拾い上げてくれた会社 そしてなにより私自身を すべて、すべて台無しにしました 願わくば、生まれてこなかったことにして欲しい 自分を救う方法はもう自死しか思いつきません すべてを裏切ることになってしまいますが 自死は許されるでしょうか それすら許されないならもうどうしたらいいんですか
生きることに疲れてしまいました。今すぐ死にたいです。「あなたが死ぬと悲しむ人がいる」とか「生きていればいいことがある」と言われても、全く心に響きません。この世に未練も、やり残したこともないです。心と体が、生きることを心の底から拒んでいます。 ではわざわざここに書き込まず、さっさと死ねばいいと思うのですが、ひとつ伺いたいことがあるのです。「死にたい・消えたい」と追い詰められているのに、なぜ「生きて・死なないで」と言うのですか?もう十分、がんばって生きました。何があっても耐えてきましたが、これ以上がんばるのはもう無理です。死に物狂いでがんばってきた人に、まだ「がんばれ(生きて・死なないで)」と言う気持ちが私には理解できません。 私は今、お手洗いやお風呂に行くことすら困難な状態です。それ以上に困難な「生きる」を継続していくことは、苦痛以外のなにものでもありません。生きるのが苦しいです。
とにかく死にたいです。 日に日に希死念慮が強くなります。 両親と弟、祖母のことを考えると踏みとどまれますが、いつタガが外れるか自分でも分かりません。 私は生きる価値のない人間なのに、家族は私の死を悲しむと思います。 こんな人間のために涙を流して欲しくはありません。 ですが、死にたいです。死んで全て終わらせたいです。 人に会うのも人に話すのも疲れました。 家族に出来るだけ迷惑をかけずに死にたいです。どうするのがベストでしょうか?
母に会いたい。 母が急死して1人ぼっちになってしまいました。 母の介護していて、仕事は無職で自分も足が悪かったり腰を手術してまだ完治していなく、今度は白内障の手術です。 1人ボッチは男でも寂しいです。 死にたいのに勇気がありません。 どなたか、死ぬ勇気を下さい。 誤嚥性肺炎で母を殺してしまいました。 ちなみに双極性障害(躁鬱病)で精神科には通っています。 亡くなって薬をオーバードーズしたりして自分で記憶がないのですが、精神科に行ってそれから通院しています。
何もかも辛くてどうにもなりません。 安定剤、抗鬱剤、睡眠薬飲んでますが効きません。 リストカットも毎日です。 自分が空っぽになって、孤独と絶望と不信しか残っていません。 今は自分の子供達より大切な猫達がいるのでなんとか自分を保っていられます。 でもこの子達は間違いなく私をおいて逝ってしまいます。 失うばかりの人生でした。 いつかこの子達が逝ったら、もう生きられません。 その時の為に睡眠薬を少しずつ残しています。 もう死ぬことしか考えられません。 どこで死のうか。 誰に、どんな言葉を残そうか。 そんなことばかり考えています。 どうにもなりません……
私は死ぬのが怖いです。 前からふと「死」について考えてしまう事があります。その度に泣いたり、怖くて苦しくなり鼓動が早く息が苦しくなったり、発狂しそうになりました。 しかし、そうなる事も数年に何回かある程でしたが、今はここ一週間程ずっと考えてしまいます。 死んだらどうなるのか、今こうやって物事を考え、生きていること全てが消えてしまう。「無」になってなにも無くなってしまう事が怖くて怖くて仕方ありません。 どうすることも出来ないのに、どうなるのかを想像して、その度に苦しくて苦しくて仕方ないのです。ずっと生きていたい。生きていられるのなら例えどんな事でも出来ると思う程に、生きていたいと思うのです。 私は、眠りにつくのと死は同じだと思っています。寝てる間は意識がなく、今は自然と目を覚まして、自分が寝ていたという事に気づきますが、死とはそのまま起きることが無い状態なのだと。考えても、誰も答えは知らないので、仕方の無いことだとは思うのですが、ふと考えてしまい、苦しくて怖くて何も手につきません。それでも、次の瞬間には、まだまだ先のことだから今考えても仕方ないと思ったり、きっとその後の世界があると思ったり、ふと気楽に考える瞬間もあるのです。そしてまた、ふと怖くなって・・・。この繰り返しを一日に何度もしています。どうか、助けてください。
初めまして。 お忙しいところ申し訳ございません。 つらくて、どうしようもなくて、ただ吐き出させていただきたくて、書き込ませていただきました。 以前から、ずっとご相談させていただきたいことがいくつかあり、登録させていただいておりましたが、 今はただ、自殺したい自分を懸命に止めるために書いています。 独り言になってしまい、相談内容にならず申し訳ありません。 他人様から見れば、本当にくだらないことです。 私は死んだ方がいい存在です。また、私が死ねば喜ぶ人がたくさんいます。 死んでしまえばいいのですが、(私事ですが)昨年若くして病気で亡くした愛猫が、存命中に3度も、必死になって泣き縋って私の自殺を止めてくれましたので、自殺もできません… 自殺は自分で自分を「殺す」ことだから。また、私の命を助けてくれた亡き愛猫のためにも、自殺してはいけない… 今は落ち込みすぎていて、気力が出ないこと、気持ちが混乱しすぎて、順を追って、きちんとお話しできそうもないこと(暴風雨の中にいるような気持ちです)、また怒りや混乱を我慢しすぎて血圧が急に上がってしまったようで、眩暈など体調がおかしくなってしまったため、具体的な内容を書けず、また「質問」にもなっておらず、大変申し訳ございません…
今はただ、ただ、死にたいです。 先のことは何も考えられません。 明けない夜はない、止まない雨はないと言いますが、私の心はいつも土砂降りで、暗闇の中にいます。 家族は、「おまえの居場所は、家だ」と言ってくれますが、私の居場所はありません。 妹たちの姿を見ただけで、吐き気がするのです。 他の人と関わりたくない、自分の存在をこの世から一日も早く抹消したいのです。 どうしたらよいでしょうか。 教えてください。よろしくお願いします。
希死念慮に苛まれています。 私は恵まれていると思います。 両親、兄弟は健在で仲も良く 友人にも恵まれており 楽しいと思える日も過ごせています。 ですが、数年前から双極性障害と言われました。 元々、根暗だったのを「こんな考え方良くない」とポジティブに振る舞ってきましたが最近では、ネガティブに襲われます。 親友に裏切られたこと 職場でいじめられたこと そこから人間不信になったこと お金もなくやりたいこともできず 生きてる意味ってあるのだろうか と考えても無駄なことを延々と悩んでしまいます。 そう過ごしているうちに 「死にたい」 と思う日が増えてきました。 ですが 「こんなに恵まれてるのに死ぬの?」 「死んで解決するの?」 「周りの人に迷惑かけるし、何より悲しむよ?」 「自分より辛い人はたくさんいるんだよ」 「自意識過剰、悲劇のヒロイン気取り」 と自責する思いと 「ツラい、消えてしまいたい」 「このまま引きこもって誰とも関わらずに朽ち果てたい」 「何も考えたくない、死んでしまいたい」 と自殺願望が 頭で渦巻いて、おかしくなってしまいそうです。 両親・兄弟には言えていませんが 友人は私の精神のことをある程度理解してくれています。 本当に恵まれてると思います。 みんな「大丈夫だよ」と笑ってくれます。 ここでお坊様の皆さまに相談しても、きっと「生きなさい」と言ってくださるのでしょう。 (仮に「死になさい」と言われたとて、動機がなければ死ぬ勇気はありません。) その言葉はとても嬉しい、温かいのですが 生きるのは苦しい、死ぬのは怖い。 その事実はいつも変わらず脳内を蝕むのです。どんな言葉を頂いても、このとても苦しくて怖い、生きながら死んでいるような感覚が消えないのです。 私はどうすればいいか分からない。 死ぬ決定打がないので死ぬことはできないままに、日々希死念慮に苛まれます。 生きることは楽しいこともありますが 基本、私にとって生きるとは苦しいことなのです。 私はどうすれば救われますか。 生きるか、死ぬか どちらを選べば幸せなのですか。 死ぬことに理由があれば死んでしまうことも許されるのですか。
私はいよいよ明日、命日を迎えることとなります。 親や友人にも話はしました。 ただの冗談だと思っており、真に受ける人はほとんど居ませんでした。 お金をあげるのはやめました。こんな人達にお金を残したところで、私の事などすっかり忘れて豪遊していることでしょうし、それを思えば腹が立ったからです。 しかし不思議なもので、あれほど待ち遠しかった私の命日。 いざ来てみると何だか、嬉しい反面、怖いような、悲しいような、そんな気持ちが湧き上がって来ます。 そして、何故か今更、「まだ死にたくない」という気持ちが僅かに出てきてしまいます。 これほどまでに苦しくて。やりたいことも既に自分にとって無価値なものに感じるほど、こんなにも悩んで苦しんでいるのに。 くだらない煩悩を捨てることができず、そんな自分に対しても嫌気がさして死にたいと願っているのに。 どうして今頃、急に生きたいという気持ちが微かに出てくるのでしょうか。 全くもってわかりません。 本当はどこかに、まだ生きたいという気持ちがあるというのでしょうか。 これほどまで死を願い、徹夜してまで準備するほど必死だったのに。 あとはもう実行するだけなのに。 死ぬことさえまともに出来ないのかと思うと、余計に自分に嫌気がさします。 きっとこのままだと、私は誰かを傷つけてしまいかねないと思います。トラックで歩行者天国に突っ込んだ男のように....。 そうなる前に、自分は消えるべきなのです。 もしこの質問を見てくださっている方々。 僧侶の方に限らず、ここに立ち寄った一般の方々でも結構です。 どうか私が死んでしまうよう、誰かに殺されたり、不慮の事故に遭ったりするように願ってください。 呪って頂いても構いません。 もしかしたら、それによって私が気を変えて、自殺を実行に移せるかもしれません。それが一番良いのですが...。 罪作りなお願いであることは十分承知しております。 しかし自分から楽になることができない以上、何かが私を死なせるよう、願うしかないのです。 どうか、よろしくお願いします。
仏教では親よりも先に死ぬと地獄へ行き、賽の河原で永遠に石をつまされると聞きました。 もし自衛官や消防士などの危険な職の人が任務中、多くの人を救うために親よりも先に死んでしまった場合もそうなってしまうのでしょうか?
私は春から大学生になった女子です。 突然ですが死が怖いです。コロナウイルスが怖いです。自分があのウイルスにかかっている気がするかかって死んでします。家族や親戚がかかったら死んでしまう。その恐怖で毎日夜泣いて眠れません。もしこのまま眠ったまま死んでいたらどうしよう。と思うとさらに眠れません。とても辛いです。 死が怖いと考えたのが小学6年生くらいでした。夜寝る時にふと考え大号泣しました。それからあまんまり深く考えていませんでしたが、今回のコロナウイルスで更に怖くなりました。あの頃はまだ幼かったのであまり深いところまでは考えれなかったのですが今は悪い方悪い方にしか考えれずにインターネットで調べてはまた泣く毎日です。
私は今不安障害になり仕事を辞め病院に通いながら自宅療養中です。 病気のせいもあり急にいろんな事で不安になります。悩んでる時がないくらいに辛いです。その中でよく死ぬ事がとてつもなく怖く感じてしまいます。 死んだらどうなってしまうのだろうと考えてしまい、なかなか眠れなかったりします。 私は内気な性格で昔からいじめられる事が多くそのストレスで家で爆発してしまい両親や兄弟に当たったり傷つけたりたくさん迷惑をかけてしまい今思い返せば異常だったと思います。学生時代は悪口も言ってしまったり自分がされて嫌なこともしてしまっていました。 今は人にされて嫌なことはしないよう心がけていますが、過去は変えられないしもう手遅れかなと思ってしまいます。 こんな私はきっともし死後に地獄があるのならば地獄にいってしまうのかなと考えたら涙が止まりません。 死んだらその先ずっと苦しむのかと思ったら死ぬのがとても怖くなってしまいました。 何か死への恐怖を和らげる考え方はありますでしょうか。 もしよろしければご回答よろしくお願い致します。
死にたくて死にたくてたまりません。 近いうちに死のうと考えています。私が死んでも悲しむ人はいません。死んでも地獄だとしても構いません。もう限界です。生きる価値がないので死ぬだけです。地獄でもいいのですがどちらかというと極楽浄土に行きたいので祈ってください。厳しい言葉は聞きたくありません。聞き飽きました。仏教の勧誘も入りません。わがままでごめんなさい。
初めまして、よろしくお願いします。 自分の気持ちが薄情、非道なのではと思い御相談させていただきます。何卒よろしくお願いいたします。文章での質問は不慣れなため乱文ですが御容赦ください。 前置きです 先日、私が勤めていた職場の先輩が自殺しました。私と彼は同じ部署で、2人で日々仕事をしておりました。その先輩はちょっと頼りない所もありましたが非常にとっつきやすく、笑顔が素敵で、話も弾み、まるで同い年、親友のような人でした。しばらくして先輩は入籍され、昨年息子を授かっておりました。 しかし、その後妻が豹変したとよく愚痴を聴いておりました。曰く、あくびをしただけで怒られた、酒を飲むと怒られる、残業でも文句を言われる、好きな格闘技の番組を見ると怒られる、帰りが遅いため(定時が20時なのです)風呂が冷めているが追い炊きをすると怒られる、等々……これでも一部ですが、なかなかしんどい様子で、あんなのと結婚したのが間違いだった、等と仰るときもありました。 私は彼の愚痴を聞き大したアドバイスもできず、今年2月にそこを退職したのですが、先月に自殺してしまったと、その職場から電話を貰いました。正直なところ、ああ……やはり……と納得してしまう気持ちと、冗談だろという気持ちが入り交じってました。 しかし、その連絡の数日後に私はその職場に復職することが決まり、先輩とまた働けないのがとても悲しいのです。 ここからがご相談なのですが、私は今まで祖母、叔父の葬儀に立ち会っていますが、その時の悲しみよりも先輩がいない悲しみの方が強いのです。肉親の葬儀の際父も母も涙を流し数日悲しんでおりました、しかし私は「そうか、死んでしまったのか」位にしか思えなかったのに、先輩が死んだ事を考えると後悔や今までの思い出やもう二度と話す事も何もかも出来ない悲しみでいても立っても居られなくなります(あてもなく車を走らせたり1人が嫌で母の部屋で寝たり) 教えてください、身内よりその先輩の死のほうが重い私は薄情者ですか。ひどい人間ですか。 亡くなった祖母、叔父よりも先輩に会いたいです…… しかし身内ではなく他人の死で悲しむのは同居している祖母、父に申し訳ないのではないかと思いご相談した次第です 長文、乱文で申し訳ありません、よろしくお願いいたします
度々いろんなお坊様のいろんなご意見を読んでは参考にさせていただいています。 一つ最初に私はあまり信心深くなく、こんな時だけお坊様や仏様の慈悲にすがる浅ましさをお許しください。 かれこれ15年、「死ぬのが怖い」発作に苦しんでいます。 きっかけは祖母の死でした。 当時中学生になりたての絶賛反抗期で、親ともうまくいかず、勉強もうまくできず、何をやってもむなしい、いいことも何もないし死にたいと思っている最中の出来事でした。 自分がいかに死を簡単に考えていたかを身に沁みて理解しました。 悲しみよりもずっと大きく、死んだらどうなるのかという恐怖と、自分が自分でなくなり消えていく恐怖が襲いました。 悲しみよりも我が身の可愛さが先に来た自分が情けなく思いましたが、その恐怖は今もなお私を苦しめます。 必死にその恐怖を押し込めて、忘れ去ろうとすることしかできません。 親には相談できませんでした。 当時の憔悴しきった様子から、自分が何か心配をかけるような真似はできないと思いました。反抗する回数も少し減ったと思います。 その時に適切に恐怖心を処理しなかった代償か、今もふとした瞬間に目の前が真っ暗になり、足元からさーっと冷気が這い上がるような恐怖で吐き気がすることがあります。 お風呂に入っているときが一番その発作が起こりやすく、全くお風呂が安らげる場ではなくなってしまいました。 かといって人間皆いずれは死ぬのに、怖がっていることが恥ずかしく、心療内科の先生(以前適応障害を患い通っていました)にもカウンセリングの先生にもうまく伝えることができませんでした。 とにかく自分が自分でなくなり、何もわからない世界に行ってしまうことが怖くてたまりません。 そして私がいなくなった後も永遠に時間が続き、地球が滅び、宇宙が滅んでいくと考えると、手足の先が氷のように冷たくなって正気を保てなくなります。 お坊様達のご意見が聞きたいです。 お坊様達の世界の捉え方、仏様の世界を知れば、この恐怖から解放され、無事に死んでいけるのでしょうか。 親(二人とも60前後でまだ元気ですが、)が死ぬことも最近は毎日のように頭をよぎり、人間が物言わぬモノになっていくことが悲しく苦しくてたまりません。 身勝手な相談で申し訳ありませんが、どうか少しでも死ぬまでに心やすらかに人生を送れるようなヒントを頂けますと幸いです。