2023/05/19死とか無とか
幼稚園の頃でしょうか、祖父の死に接して、死ぬってどういうことなの?
と眠られぬ夜を過ごしたと親から聞かされたことがあります。
中学高校の頃になると死ぬこと、無ということが恐ろしいと埒のあかない煩悶に苦しみ、そのうち、そもそも目の前に見える、知覚する世界の存在だって何の保証もない気がしてきて、そもそも懐疑論者というよりは病的に存在とか認識の作用自体確信がもてない、と不安にさいなまれていただけなので建設的でも哲学的でもなかったです。
「虚無」というのも言語や人間の思考の生み出した幻でしかないのでしょうか。
分析哲学みたいに考えればそもそもそんな思考のおよび得ないことは哲学の扱う領分ではないし、人が考える意味もないことなのかもしれないと最近は思って気もしました。
それに存在に懐疑するなら虚無だって懐疑すべきで…。
こんがらかってしまいます(笑)。
そもそもそういうことを考えてみたとて幸せに結びつくのかとも思います。
有り難し 3
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