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検索結果: 11549件
2022/02/03

中期中絶したくないです

39歳でやっと念願の子を授かりました。しかも自然妊娠です。 結婚してから即義実家に同居で、正直その数年は思い出したくないくらいです。私達と義両親の部屋ほぼ隣り合わせ。息子大好きな姑に辛くあたられ、夫は姑の肩持つしかなく…書くとキリがありません。数回家出もし、離婚も提案しましたが、その度何とか修復してきました。 私の就職を機に、隣の市にアパートを借りて別になりましたが、私も仕事が忙しく、夫も色々あり仕事を変えたりして落ち着かない日々でした。そんな中、妊娠発覚。まさか今⁉︎と喜びましたが、初期に異常のサインが見られて羊水検査へ。本当は命の選別をするようで嫌でしたが、夫の意見を受け入れて実施。先日21トリソミーと分かり、明日明後日がさようならのタイムリミットです。 本日の20週の検診でも、その他は臓器など今の所何も異常見られず、発達も普通の子と変わらないそうです。私はやはり、奇跡的に授かったこともあり産みたいのですが、夫は偏見の塊で、絶対育てられない、今回は諦めようと頑なに拒否です。 正直母体の損傷や精神面での負担も調べず言い切る姿に絶望し、離婚をして産んでもいいかと話したら、自分たちはそれだけのものだったのか、お互い健康ならずっと2人でもいいじゃないかと号泣されました…。その気持ちは伝わりましたし、言った私も謝りましたが、子どもを欲しい気持ちは10年前からずっとずっと伝えてきて、その度に今じゃないのではと流されたこともあるし、ストレスもありタイミングを図れずにいたことも事実です。待ち続けました。 2年前に新居も打ち合わせて絵までできていたのにごめん今は…と夫の仕事の都合でドタキャンになり、今回もまた私の気持ちは汲めないと、痛い思いさせてどんな子でも産んでもいいって言ってあげられなくてごめんと言われ、空虚な気持ちです。 命だよ。生きたいって宿ったのにこちらの都合で…、それに高齢だから母体も精神面でも辛すぎる。次はもう望めない事になると思うと言ってもダメでした。実親も否定的です。私ももちろん不安もあるので、親の会等に連絡して現在の状況や将来的な話も色々調べました。もし産んだらの話を聞いてもらえず悲しいです。障害のある子を産もうとするのはそんなに悪で、その子の幸せを願わない親のエゴなのでしょうか。生きようと頑張って育っているのに。その後の2人の生活も笑顔は想像できません。

有り難し有り難し 21
回答数回答 2

傷つけてしまった

最近昔人を傷つけてしまった事を思い出して、4年間眠れない日々を送っています。 私は、小学6年生の頃に、グループで遊んでいて、自分の思い通りにならないと周囲を困らせ、私をしつこく学校内で付き纏ってきたり、少し迷惑に思っていました。 ある日親友にお掃除の時間にその子の愚痴を言うと、絶交してと言ってきたらと言われてセリフまで用意されて、その子が来るタイミングで背中を押されました。 伝えるとその子は、泣き出し、やらかしたと思いましたが、引き下がれず、話さないまま卒業…中学校の入学式でその子がいなかったので、親友に聞くとあなたのせいで別の中学校に行く事になったとその子が言っていたと言われました。 親友に裏切られたショックとしてしまった自分に腹が立ちました。 高校生まで、通学中バスから、その子が別の学校に通う姿を見る度罪悪感で、死にそうな気分になりました。 大学生になって、偶然同じ大学にかよっている事を知り、見かける度声をかけようかと何度も思いましたが、今更謝罪は、相手も困るだろうし、変だと思いできませんでした。 その子のSNSを見ては、謝罪をしたいと思う毎日です。 高校2年の時にも将来なりたい職業が同じ客室乗務員で、身長が足りないから無理だと周りから言われ、それでもなりたがっている子がいました。元客室乗務員の母から気はきかないし、ブスだから鏡見て出直してきなと言われた私は、自分自身のなさとその子の甘さに対する感情をコントロールできず、その子の近くで私身長157あるけどまだ足りないかも…母に気が利かないし、鏡見て出直してきなと言われたという話してしまいました。 3年で志望校が被り、ある日突然その子から話しかけられて、どこ学部を受けるのか、歴史は、どう勉強してるのか聞かれました。 結果、彼女は落ち、私は受かりました。昔から周りに馬鹿だと言われてきたので、余りに嬉し過ぎて、近くで喜んでしまいました。 私は罪人で、許されざる事をし、幸せになる資格はなく、地獄に落ちるのだという考えでいっぱいです。 この2人以外に今まで関わってきた人達に、意図せず、失言などで傷つけてしまった事があり、すべて間違いに気付いている為に、辛いです。 私がしてしまった事は、障害せいではなく、すべて自分が未熟であるが故に、配慮のない言動をしてしまい傷つけてしまった事に変わり無いと自責の念を持ち続けています。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

一人っ子の結婚について

現在交際中の男性も一人っ子なのです。お互い年齢的に結婚を意識しはじめました。 私の実家は飛行機を使うほど遠くにあり、彼の実家は近県にあります。 彼は家業を継ぐので、結婚すれば彼の実家の県に住むと思います。 彼の両親は私の親に比べて年配なので、考え方も古風だそうです。 片親育ちの私のことは印象が悪い様で、長い交際期間中も会ったことはありません。彼のお母様は私のことを色々尋ね、嫉妬をして彼の回答を全て否定したり、自分の友達の娘との結婚を促したりするそうです。一人息子だし、それはそうなるだろうと思っています。 私は、彼の両親も大切に思いますので、会えばそれが伝わって時間をかけてより良い関係が築けると信じていました。 彼も、私がそういう考え方なので、前向きに考えているようです。 しかし、私は自分の考えが甘いのではないかと最近感じています。 母が遠くに一人でいて、いずれ体調を崩した時などに私は簡単に行けません。 みんなどうしているのだろう?と相談サイトを良く見るようになりました。 他サイトで姑相談を見ていると、「嫁が実家にばかり帰る」とか「嫁に来たのだから夫の親が優先」と言いたげなものが本当に多いのです。 そして、嫁側は「私は夫の妻であり、家に嫁いだつもりは無い」との主張が多いのです。 どちらの主張も本当に自己中心的で愕然としました。 けれど、自分が上記姑の主張をされたら…と考えるとさすがに「相手を大切にしていれば伝わる」とは考えられなくなりそうです。それこそ、相談サイトで見た嫁姑問題に発展するのも頷けました。 それが嫌なら、私は自分の親のそばで親とだけ生きて、一人で老後を過ごして死ぬのだろうかと、光が消えるような思いです。 どちらも同じくらい大切だから、どちらが優先というふうには考えたくありません。 けれど、彼の両親と実親が3人まとめて溺れていたと想像したら、間違いなく私は実親の手を取るだろうと思いました。そして彼が彼の両親を助け、私は実親を助けてから、彼を手伝うでしょう。 結局「同じくらい」はきれいごとで、私は実親優先でした。 助けてくれる兄弟もいない同士、彼には彼の両親が勧める女性と結婚した方が良いのではないでしょうか?

有り難し有り難し 213
回答数回答 8

本籍について

普段は気にすることはあまりないです。 今回、パスパートを取るにあたり、嫌な気持ちが思い出されました。 元々、結婚した時に、夫婦二人の戸籍を作るのが普通と考えていました。 結婚の届けをするときに、夫が自分の戸籍謄本を忘れたと、二人の戸籍をとることが出来ず、夫側の戸籍に入り、あとから二人の戸籍をとなったのですが、 しばらくして、夫はわざと、忘れて、自分の戸籍から抜けたくなかった事を知りました。 今の日本の法律上、夫婦は同姓で、特に子供がいては、同姓にせざるをえません。 自分の名前を変えるのすら嫌でした。 年賀状はしばらく 女性がよく旧姓と書くところ 佐藤花子(仮名) 現法上姓 山田(仮名前) *佐藤が一般的に私の旧姓、山田が夫の 私にとっては、30年近くの名字は旧ではありません。 また、私は夫の家に嫁いだつもりはなく、あくまで夫と結婚しただけのつもりです。そして、そこからスタートし、子供も育てていきたいと。 年齢的には何十年か先ですが、夫が先にとなったら、旧姓に戻れる、夫との離縁ということではなく、戸籍を抜けられるとか、そんな仕組みがあるのを知りました。 高校生の息子がいずれ 結婚する時には、本人や相手の方に希望がなければ、自分達の本籍を住民票と同じにした方がいい、便利だしは話すつもりです。 またお墓は、絶対に自分の実家に入りたいと思っています。 実家がとても好きとか、親ととても仲良しだからと言うことではなく、自分の個としての考えの問題です。 結婚してから20年たちますが、結婚後、初めてのパスポートです。以前も海外へと思いますが、本籍を考えると、いろんな気持ちから落ち込むほど嫌で、吐き気がするほどとでも。旅行を 断念しました。 本籍的な考えが古い日本の体質のような気がしますし、女性が夫側の家にも、嫌悪感。 夫は、実家からの籍を抜くのは親に申し訳ない気がしたと言いましたが、それなら私も同様だよと。 どう考えたらいいのでしょうか。

有り難し有り難し 22
回答数回答 2

死を望んで早12年、未だ死ねず

ごめんなさい、こんばんは。 この時間になって、やっと書き込みが出来ました。 悩んでいる方か多いのですね。 私は、自殺をしました。 失敗しました。 その後、死にたいけれど、自殺の恐怖には勝てません。 ただ、生きていても、自信もない、力もない、夢もない、お金もない、思いやりもない人間なので、周りに迷惑をかけてしまいます。 だから、また、死のうと思います。 すると、サポートしてくれた方、親の悲しむ顔が邪魔をします。 だから、また、生きます。 けれど、生きているのは、辛く、身体は思いし、思い描いた自分との差に悩まされます。 親孝行の1つも出来ない自分が大嫌いです。 素敵すぎる両親に申し訳ないです。 だから、また、死のうとします。 次は、死んだ後、地獄に行くのかとか、自殺した人は、より苦しむと言う言葉が頭をよぎります。 そして、また、生きます。 そして、また、死にます。 そして、この苦しみのループから、抜けることなく10歳だった僕は、今年で23歳になります。 生きたいと思う人が亡くなり、死にたいと思う人が死ねないという、嫌な世界です。 目が覚める度に、また、地獄が始まった。 終わりが早く来ないかなと思ってしまいます。 生き地獄です。 唯一の心の救いは、太ももをカッターて切ること。→自らに罰を与えることで、許された気がします。 そこで、質問なのですが、 ・何故、僕のようなゴミが産まれたのですか? ・自殺(自死?)しても、この世の苦しみからは、解放されないのですか?地獄で苦しむのですか? ・自殺で死ぬのも寿命ではないのですか? ごめんなさい。

有り難し有り難し 124
回答数回答 5
2022/06/22

これも偶然という名の巡り合わせでしょうか

こんばんは、風涼です。先日はご助言を頂いてありがとうございました。 昨年の末に母が亡くなりましたが、その二ヶ月前にコロナ禍による退職と なりました。おかげで寄り添う時間にかなり恵まれて、また少しでも楽に なればと思い購入した空気清浄機も、最後の一日だけですが見せてあげる ことも出来ました。早目に届いたおかげです。   それと普段の呼出しブザーもその日に初めて鳴らなくなり、原因を調べる ために、家族がより多くの会話を交わすことが出来ました。意識を失って 倒れた瞬間も、父親に支えられたまま苦痛を訴え、抱かれながら心停止を 迎えました。あまりに恵まれた巡り合わせに、今でも感謝しています。   あれから半年以上経ちましたが、地元の石川県珠洲市では先日地震があり、 自宅の方は幸い震度2で済みましたが、余震で仏壇の花立が倒れてしまい、 同じ床の間に飾ってあった、母の写真立てに水がかかったようでした。   パタンと倒れた写真立てに水が溜まり、台紙などがその大半を吸い込んで、 床の一部が濡れただけで済みました。花の方も傷みはありませんでした。 水をぶっかけられてご立腹かもと思いはしつつも、守ってくれたのかなと 嬉しく思ったりもしています。   当時は、やはり終末期のことばかり浮かんでいたのですが、今では自分が 子供の頃のことまで、思い起こせるようになりました。後悔や悔いまでも 肯定しながら過去にしてしまうのは、生きていくための防衛本能として、 決して悪いことだとは思いませんが、寂しくもあります。   不安とは違うと思いますが、心の落ち着きどころとして、何処を目指せば 良いのだろうと日々、考えたりもしています。母の生きた足跡は私や家族、 親族や友人達のこれからに、少なからず影響を与えると思います。   正直に申し上げれば、信仰心の自覚もない私が、仏壇に手を合わせるのは 自己満足に過ぎないと感じてもいますし、顔を洗って歯を磨くことと同じ、 ただの日常になってしまってはいないかとの思いはあります。今はまだ、 自問自答して行きたいと思ってます。   また取り留めもない話で申し訳ありませんが、写真立ての話も不思議な 巡り合わせに付け加えたいと思い、ご報告させていただきました。何か、 少しでも伝わるものがあれば幸いです。ありがとうございました。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1
2023/10/29

虚無感に苛まれています。

3年前に母が乳がんであることが分かりました。 でも母は告知されたのにも関わらず一人息子の私に何も告げず職場にもずっと隠していました。 看護師という職業柄なのか父が癌で亡くなっていて壮絶な闘病生活をみてるからなのか分かりませんが自分一人で抱え込み誰にも癌のことは言いませんでした。 そして2年前から出血が酷くなり大きな病院での診察をきっかけに僕に乳がんであることを打ち明けてその時点で私は知りました。 僕は必死で母の通院や入院の際の送り迎えや書類関係の手続きを、一人で行ってきました。何とか母に生きてほしいという一心で仕事も出来ず辛かったですが必死で頑張ってきました。 ただ、母からは黙っていたことへの申し訳ない気持ちや送迎や書類関係の手続き等に対して「ありがとう」や「ごめんなさい」、「悪いね」ということを言われたことが無く、「親の介護をするのは当たり前だ」と常々言ってきたので不遜な態度でいつも我儘をずっと言ってきて、何とかそれに答える気持ちで対応していました。 でも母は昨年の2月にお隣に住む方から借金をしていることを知りました。生活費や治療費が足りないと泣きついたそうです。 それをお隣さんから聞いた時、今まで母の為に一生懸命看病してきて自分なりに頑張ってきたのに猛烈に裏切られた気持ちになり、家を飛び出してその当時お付き合いしていた女性宅に転がり込みました。 母と大好きで10年連れ添った愛犬を実家に残して。 その4か月後母は入院先の病院でたった一人で亡くなりました。葬儀もせず無縁仏の状態で役所に遺骨は保管されています。 愛犬もすごく大事にしていたのに、母が最後に入院する際どなたか分かりませんが譲渡したと病院職員から聞いています。 今、スマホのカメラロールを見ると愛犬が出てくるたびに悲しく虚しい気持ちになって胸が張り裂けそうです。 愛犬はどこで何をしているのか。また今生きていれば14歳になるので元気なのだろうか。もしかして亡くなっているのではないだろうか。 母と愛犬を見捨てる形で家を出てきて、もう1年半ほど経ちますがずっと心の片隅にモヤモヤしたものが残っています。 12月からは地元を完全に離れて東京に行きます。地元にいると上記のことを含めて嫌な思い出が蘇るのです。 本当に虚しく寂しい気持ちが心を蝕んでいきます。

有り難し有り難し 20
回答数回答 1

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