夫が帰らぬ人となりました。 遺書もなく、原因は想像しか出来ません。 残された私に何ができますか? 毎日供養のお経をあげています。 仕事は責任のある職のため、休めないので働いてます。みんな優しいので、心無いことを言う人こそいませんが、私の心境関係なく言いたいことを言う人もいます。 多忙な時期なんで、毎日残業してます。 休みの日は、手続きやら、法事がありつつも、仕事も仕事中に片付かないから出勤することが多々あります。 頑張りすぎたらだめだよ 無理しちゃダメだよ 周りはそう言いますが、なにが無理をしてるのか?なにが頑張りすぎてるのか? わかりません。 頑張らないと仕事は終わりませんし、無理しないとずっと泣いてることになります。 私はどうあれば良いんでしょうか。
私は50代の母の身体をとても心配しています。 ヘビースモーカーでタバコをよく吸うためか咳をよくしているため、 何度も「病院行きなよ」と言うけれど全く動こうとせず。 なぜ病院に行かないのか理由を聞くと、 「病院に行くと見つけてほしくもない小さな病気も見つけられて生命保険とか入りにくくなるし」と、意味のわからない不純すぎる理由。 掘り下げて行っても無視されるかごまかされるかなので、そこから病院の話はしていません。 先日、一緒に温泉に行った時ふと母の胸を見た際、違和感が。 以前に生命保険の相談窓口にあった乳がんのセルフ触診サンプルで見たような、引き攣れたような部分がありました。 その日は観察するまでに終わりましたが、その後別日にスーパー銭湯に行った時にもどうしても気になり何度か確認しましたが、やはりおかしい。 でも、なんと母に声をかければいいのかわからないのです。 父はもう10年以上も前から女を作って家を出、ほとんど連絡もとらず完全な別居状態。 母方の祖父が亡くなった時も葬式に顔を出すこともないほどでした。 母も父も離婚しようとはせず、ダラダラと夫婦という関係を続けています。 母はそんな状況に「私は早く死にたい。愛犬も死んでしまったし、タバコでも吸って病気になって早く死んでしまいたい。長く生きてあんたらに下の世話させたくないし」と言っていたことがあります。 それを言われた時何言ってるのと怒りましたが、何も変わりませんでした。 そんな思いもあり、病院嫌いなこともありで、母自身も気づいているけれど見てみぬふりをしているのだろうと思います。 私には2歳の子供がいます。 出産前から今までずっと、精神的にも経済的にも母には迷惑をかけてきました。 なんとか母には長く生きてもらって、恩返しをしたいのです。 ですが、本当に何と母に声をかければ良いのかわからないのです。 私自身、口に出してしまうと何かが壊れそうで怖いという気持ちもあります。 本当に、本当に、どうすれば良いのでしょうか。
はじめまして。 一昨年年末、昨年年始と立て続けに母方の祖父母がなくなりました。 祖父母は信じている宗教が特別ないようでしたが、毎晩必ずお仏壇に手を合わせている人だったのでお仏壇から宗教を特定し(浄土真宗 西本願寺派でした)、お坊様の派遣サイトでそちらのお坊様を探して来ていただきお式を祖父母宅近くの神奈川であげました。 その際、お墓(祖父が建てたものです)が九州と遠方だったことと母がしばらくここに置いておきたいと言った為、本日までお骨を自宅に保管し手を合わせてきました。(すぐ納骨しなかったのはマナー違反かもしれませんが…) しかし先月で祖父母ともに一周忌を迎え、そろそろ納骨しに行こうか、となりました。 そこでお聞きしたいことが2点あります。 1、お骨の運び方はどうしたら一番ベターでしょうか 納骨には私(20代)と母で行きますが、母は足が悪く、私が2人分持つことになると思います。これがなかなか大変そうなのです。 ゆうパックで送ることができるらしく、正直気持ちに抵抗があるのですが母の事や私ひとりだと丁寧に運べないことを考えるとそちらの方がいいのかな?とも思います。 また必ず今のままの大きさの骨壷で運ばなければならないのでしょうか? 2、納骨の際はお坊様にお経をあげてもらわなければなりませんか 派遣でお呼びしたお坊様は神奈川県内に住まれている方で九州までお呼びするのは難しそうです。 お坊様は必ず納骨の際はいらっしゃらなければならないでしょうか。 お墓のある霊園は市営のもので、私は九州に縁のあるお寺様はいらっしゃいません。 不勉強なもので、言葉づかい等誤用があるかもしれませんが、本当に困っておりまして、お知恵を授かれますと嬉しいです。
私は毎日祈ります。手を合わせ、座禅をし、写経します。 虐待を受けてきた時も、差別や偏見で区別される時も、私の中の煩悩のせいでそう感じるのだと、言い聞かせてきました。ですが、無くならないのです。 私は、悲しいです。なぜいつも差別され偏見を持たれ区別されるのか、わかりません。 僧侶になろうとも思いました。しかし、その世界にも様々なことがあるのを知って、とても悲しい気持ちになりました。誰でもなれるわけではなく、檀家でもない、大学で専門的なことを学んでからどこかで受け入れてもらいなさいと言われたこともありました。 私の親族のお葬式でいろいろなことをたくさん経験しました。 お経を読んでいただき、ありがたい気持ちでいっぱいでしたが、額が少ないとお礼を返され、やりなおされたこともありました。 なぜなのか、この仕組みはなんなのか、教えてください
以前相談しました仏壇の件ですが今日無事終わりました。 あれから仏壇を家に持ってきて県外でお世話になってるお寺さまに電話し県外でも大丈夫とのことでしたので今日来て頂き仏壇の中を正しく設置してお経あげてもらいました。 引越しにも「魂抜き」など必要とは知らなかったので勉強になりました。 ハスノハに感謝です。 有難うございました。
神様のいるところはいい香りがするというのをお参りをしている時に聞きました。 確かに社の近くに行くととてもいい香りがしました。母と私は感じましたが、父と兄はなにも感じなかったようです。 こういうことってあるんでしょうか? また、母と私は勘が働く方でよく無意識に危険回避します。 これはいい守護霊様がついていてくれてるんでしょうか? なんとなく気になって質問しました。 よろしくお願いします。
70台の母が迷信深く困っています。母の実家は曹洞宗で、結婚後は浄土真宗です。父はすでに他界しました。母の両親も他界しており、実家のお墓や仏壇の世話もしています。母にとっての信仰とは仏事をとにかくつつがなくこなすことのようで、仏壇に線香を上げたり、墓参りをしたり、法事をこなしたりは熱心ですが、お経をあげたり仏教書を読んだりしているところはみたことがありません。毎月のお坊さんへの謝礼や、法事の出費に加えて、本山に分骨したり、収入にみあわない出費をしています。そのような生活スタイルはもう変わらないと諦めていますが、自分の死語に私に法事を引き継いでもらいたいと思っているようです。しかし私は無信心なので儀式を引き継ぐつもりはありません。母に信仰の自由を認めさせるにはどうしたらよいでしょうか?
複雑な状況を抱えてしまい、何年か悩んでいます。詳しくはなしても分かりにくい、のと話したくない気持ちと話さない方がよいともアドバイスいただいたこともあります。自分の言ったことが原因で、人のうわさ話が原因ですが、それだけが問題ではありませんが、地域中にひろまり、仕事場にも影響を及ぼすようになり、うまくいかなくなり、悪意や馬鹿にされるだけでは終わらず、、嫉妬、妬みまでもかい、支障をきたすようになって困っています。 真実を打ち明けようと思っても、逆に悪くまわる可能性があるのと意味のないことに終わりそうなので、やめています。問題を解決するために般若心経や般若経などに興味をもち、無や空を行ずるようにこころがけています。しかし、無や空について、知識があまりなく、どう考えていってよいか分からず悩んででいます。以前、宗教に入っており、この世は現象世界だから、すべては実体のないものと教えていただきましたが、いざ問題がおこってしまうと現象としてほっといておいてよいはずがなく、どういう風に手をつけて解決しておいていいか分からずこまっています。現象を空と感じるとそこにいろいろな神様の守護がうけれるようなことを般若経には書いてありました。それから空を行ずることによって得られる功徳はかぎりないものだということも書いてありました。私も空を行して現象をすこしでもよいものにしていきたいのです。現実界で講じれる手段はしつくしたように感じることもあります。というかする手立てがあまりないのです。下手にかかわるとよけいひどく非難を受けたり、都合の悪い結果を招きそうな気がしています。自分を変えていきたいという願いも含めて、無と空をぎょうじていきたいです。 また、私は護摩をお寺にお願いしてやっていただいたこともあります。神社仏閣に参ることも好きで頻繁ではありませんが、参っています。困ったときには神社に参ってたよったこともあります。信仰を志したいとかもおもったことがあります。 般若経や般若心経に詳しいお坊さんがおられたらご回答をおねがいしたいです。無や空についてしりたいです。
高校生です。 最近、具体的な進路として、僧侶になることを志望しています。仏教系の大学に進学したいと考えています。 僕は、般若心経の教えに感動し、観音経には苦しかったときに救われました。みんなが幸せになれるようこの仏教の教えを広めたい!と考え、僧侶を目指しています。 そこで質問なのですが、僧侶のあるべき姿はどのようなものが挙げられるでしょうか。 上記の質問以外にも、いろいろ教えていただけるとありがたいです。
ご覧いただきありがとうございます。 突然ですが、久しぶりに口内炎ができました。あまりの痛さにろくに食事を取れず、辛かったです。 仏教のいう「執着から離れる、苦しみから離れる」というのは主に「精神的な執着、精神的な苦しみ」として解釈していたのですが、何かのお話しで、お坊さんを殺すため(すいません)寺に火を付けたら、お坊さんたちは慌てたり逃げ惑ったりすることなく死ぬまでお経を唱え続けた……というのを聞いたことがあるので、「精神的な苦しみだけでなく、身体的な苦しみからも離れることができる」のだと思いますが、一体どうなっているのでしょう?どうやっている(?)のですか? 口内炎でこんなにも痛いのに、火をつけられて動じないなんて……。無我の境地というものでしょうか。
母を急に亡くしました。急病死でした。まだ60歳手前でした。亡くなる2日前に電話で元気な声をきき、それが最期になってしまいました。 母の優しさなのか亡くなっていたのは自宅のベッドの上でした。 家族は私、妹の2人娘で父は離別していておらず、 私は結婚して、妹は仕事の関係でだいぶ遠方なので母は1人で暮しておりました。 そのため、亡くなったことに気づいてあげるのに1日程かかってしまい、そして何より1人で逝かせてしまった。怖い思い、寂しい思いをさせてしまった、助けてあげられなかった。死に目にもあえず1人で死なせてしまったことをすごく悔やんでいます。 母は悲しんでいるでしょうか? 毎日ごめんねと母を思っています。死を受け入れているつもりでもまだ母から電話やメールがくるのではないかと毎日思ってしまいます。来ることはないと分かってはいるのに。 また、母は離婚しているため無宗派、無縁仏です。 葬儀もお経などあげてもらわずに見送りという形だけで終えました。 そのことも胸につかえ気になっています。 お経をあげてもらわず母の供養になっているのでしょうか。無宗派なのでどうしようもないですが、母はちゃんと成仏できるのでしょうか。 まとまりない文章で申し訳ございません。
よろしくお願いいたします。 先日、実母が亡くなりました。 諸手続きに於いて、父(喪主)がお寺さん(浄土真宗)より三十五日を行うよう言われました。 遠方に嫁いでいる私は三十五日は参列を見送り、四十九日の法要には参列することになっていました。 ところが、三十五日法要でお寺さんが間違え、四十九日(満中陰)のお経が挙げられ、勝手に繰り上げ法要とされてしまいました。 参加した家族は皆、三十五日法要のつもりでしたが、お経の内容に疑問を持った父が確認したところ判明したようです。 父としては「仕方ない」ということで「満中陰の法要は済んだ」と。 済んでしまったものは仕方ないと思いつつ、母を偲ぶ思いを無碍にされたような、何とも言い難いやりきれなさを感じています。 遠方に嫁ぎ、子も小さい為、頻繁には戻れなくとも、四十九日と百箇日だけは必ず参列したいと思っていただけに尚更。 満中陰の法要は済んでしまいましたが、四十九日まではまだ日があるため、遠方ながら私一人でも本来の四十九日に当たる日に何か出来ることがあればやりたいと思っています。 何か出来ることはあるでしょうか?
私は2021年6月28日にぽふちゃんというメスの可愛い白と黒のゴールデンハムスターを殺めてしまいました。大丈夫だと思っていて 朝は元気でした 給水機も買い与えていなくて お水を外から二段目のところにこぼしていて与えていました 床材がある下に溢れるのに それなのに冷房を16度設定などで風も強くしていて、大丈夫だろうと思ってました。そんなわけないのに。 水で濡れているのに冷やして苦しめて殺してしまいました 夜ごろに今日朝に見たきり来ないなと思って覗いて そしたらもう冷たくなってました でもまだ生きてました お湯などで暖めていたらまだ生きていたかもしれないのに 冷たさで死なせたと言うことは頭になくて お世話することも頭になくて 餓死かと思ってお口に豆腐をやってました 私は馬鹿でした どうかぽふちゃんがあの世で幸せに暮らせるように手を合わせてお経を唱えてくださいませんか。どうかお願いいたします。本当にお願いいたします。 可愛い子でした まだ2歳にもなっていなかったです。 28日は神社に向かってお世話になっている神様にご挨拶をしてきます。 どうかお坊様達もお経を唱えてくださいませんか。お願いします。
初めまして。お忙しいところすみません。 私の家の宗派は臨済宗建長寺派なのですが、祖父の葬儀を機に、仏具屋さんで看経数珠を買いました。先日、ネットで臨済宗のお数珠(看経数珠)を見かけたのですが、向玉があるタイプと無いタイプの2種類があるみたいでした。 そう言えば、お盆に棚経に来て下さった菩提寺の住職さんの看経数珠にも向玉があったように記憶していますが、一体どちらが正しいのでしょうか。 私が買った臨済宗のお数珠には向玉が無いので、間違ったものを買ってしまったのかな?と思って、気になってしまいました。 どうぞよろしくお願いします。
私の兄がここ一年ちょっとなのですがマルチ商法にハマり行き過ぎた行動に呆れています。 例えば、私の祖母が去年の10月に亡くなった際は、用事があるため(たぶんマルチ商法関係)通夜には出席せず葬式では始まるギリギリに到着しています。納骨やら何やらに出席しなくてはいけない席にはまたしても用事があると言い出席しませんでした。お経をあげてくれた和尚さんには、兄がハマっているマルチ商法を勧めていた姿に呆れました。 他にも、母方の親戚にもマルチ商法を勧めていたりし、いろんな方に迷惑をかけています。また、マルチ商法にハマり過ぎて仕事まで辞めてしまいました。正直、そんな兄の姿を見て家族の縁を切りたいぐらいです。どうやったら、マルチ商法をやめてくれるのでしょうか?
僭越ながら質問させた頂きます。 昔 お坊さんのお話のなかで、「仏様にお慈悲をかけられた人は 心に蓮の花が咲く」 みたいな話を聞いた記憶があるのですが (昔の事なので正しくないかも しれないのですがm(._.)m) 何か最近になって気になってしまって 仏様のお慈悲と蓮の花との関係や 「仏様にお慈悲をかけられると蓮の花が咲く」の様な事が書いてあるお経なぞ ご存知でしたら お教え頂ければ幸いです。 よろしくお願いします。
「地獄の裁き」の「地獄」とは、仏教の考え方における最下層の世界のことで、罪を犯した者が死後に生まれ変わる場所です。人間は死ぬと、この世とあの世を 分ける三途の川を渡り、そこで閻魔と呼ばれる大王の裁きを受けます。裁きによる罪の重さによって、落とされる地獄が決定します。地獄には罪の重さに応じて 段階があります。 地獄の思想は、浄土思想や平安時代の末法思想の広まりとともに人々に定着し、民間信仰となりました。お経の功徳によって地獄に落ちることを防げることから、当時の人々は熱心にお経をとなえるなどの信仰活動を行っていました。 こちらの文章はとあるサイトの一文をコピーさせていただいてます。 https://biz.trans-suite.jp/20492 ←こちらのサイト様です と書かれていますが、人間が死んだら行くべき所は、もうすでに固定されているという事でいいんでしょうか? 天国地獄どちらかに行くというものは、そもそもなかったんでしょうか。 不安です。 というか、どれだけいいことをしても無意味ってことですかね。 人に優しくしたり、色々あると思いますが・・。 自分の行くべき場所はもう決まってる訳ですから・・・ 生きてるのもしんどくなりますね。
私は40代のサラリーマンです。この度、サラリーマン生活に終止符を打ち、僧侶になり仏様の教えを学び残された人生を生きたいと考えています。 天台宗である理由は、祖父、祖母が熱心な信徒であり、小さい頃から一緒にお経を読んだりしておりました。祖父、祖母を亡くした今、僧侶見習いなどをさせていただけるようなところをお寺さんにも相談させて頂きましたが、私の住む県内ではあまり無いようです。東京にある通信制の仏教塾も検討いたしましたが、出来れば経験を積みながら道を進めていければと考えております。 師に学び、見習いをさせて頂きながら、僧侶になりたいというのは浅はかな考えでしょうか。また、受け入れてくれるようなお寺さまはあったりしますでしょうか。不躾ではございますが、こちらでご相談させていただきます。よろしくお願いいたします。
文章が長いところがあります。 私が、仏像を好きになったのは、名古屋のお寺の十一面観世音様がきっかけでした。 同時に、漫画のキャラでは、聖闘士星矢黄金聖闘士の乙女座のシャカがきっかけでもあります。 それから、高校生になって夏休みには、一人旅で京都のお寺に行くため一人旅をしました。 真言宗智山派総本山智積院の護摩経の後に出会った仏様が大日如来様でした。そのときは、初めての京都一人旅だったのかあまりに緊張していて……。でも大日如来様は、すごく綺麗でしたし、美しかったです。 パンフレットにもかっこいい大日如来様のお顔が載っていて嬉しいです(* ´ ▽ ` *) 大日如来様には、お寺にお参りさせていただきました。今もその事は、記憶にあります。高校二年の夏休み最後ら辺も、家族で別行動したとき、大日如来様にあって少し嬉しい気持ちでした。 お寺にお参りすると幸せな気持ちです。 少しお恥ずかしいことですが、大日如来様のお姿の綺麗さに恋をしました(* ´ ▽ ` *) 大日如来様が大好きだという思いが大日如来様に伝わってるか、わかりません。 でも、その思いが本当に伝わるんでしょうか?「きっと伝わる」とは思っているけど、たまに「伝わってるかな…(^.^)」とふと心の中でそう思ったので、お坊さんか尼さんに話に来ました。 迷いながらこの文章をかいてました。
大切な方が亡くなりました。 これは宗派によって考え方も違うと思いますが、禅宗の和尚さんにお参りをしてもらいました。 四十九日を終えて、六道に生まれ変わったと言ってみえました。 六道に生まれ変わった、六道の中には人間界もあって、どこかに生まれ変わっているのでしょうか? 空から見守ってもらっている?と思っていたら違うのでしょうか? お盆や何回忌に追善供養をするというのは、地獄にいる前提なのでしょうか?人間界に生まれ変わっていたら、人間界に生まれ変わった誰かに追善のお経がとどいている。ということでしょうか?