これは私自身が生きる中で抱いた怒りや悲しみではなく、hasunohaで数々の質問を目にする中で生じた仏教への一般的な関心に基づくことを最初にお断りしておきます。 H.S.クシュナーの『なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記』(齋藤武訳)を既にご存知かもしれません。この本は、私の理解する限りでは最後の章で次のような普遍的な問いを扱っています。 「なぜ、善良な人が(あるいは私が)不幸にみまわれたのか」 「私の苦しみが単なる不運であるなら、私が苦しんでいることになんの意味があるのか」 「正しい人も悪い人も同じように苦しむのだとしたら、だれが宗教なんか必要とするだろうか」 諸行無常、諸法無我、一切皆苦。「それはわかっているけれど……」「死んだあとのことを今いわれても……」というのが、これまた雑な理解に基づく感想で申し訳ありませんが、仏教徒にとってもまた正直な反応ではないかと感じています。一例として、ターミナルケアの現場において、死後の世界に関する教義が死への恐怖を有意に和らげているとはいえなかったという話をどこかで耳にしたことがあります。 これらの問いに対して、皆さんは時に誰かの、時にご自身の問題としてどのようにお考えになるでしょうか。あるいは宗旨の違いにより、そもそも仏教ではこうした問い自体が前提から不適切かもしれません。そうであれば、仮に目の前の方がこのような疑問や怒り(たとえば病気について)を投げかけてきた時、その方に対してどのようなお話をされるでしょうか?
身近な人との死別を最近意識し始めました。就職という段階を経て自分が徐々に歳をとってきたからです。身近な人の死は数回経験しています。 なんとなく怖い嫌だなという寂しい気持ちとそれを意識したら普段接する時もいつか別れが来るんだなと複雑な気持ちになります。 また、普段通りすべきなのか特別何か意識して接するべきなのか疑問にも思います。 自分が幸せであることが孝行であるのはわかりますが、就職という次のステージを前にして環境に対する不安感がとても大きいです。自立することで不安感を軽減してあげることが孝行だとわかりますが自分の正直な気持ちがわからない、自分がどうやったら幸せ、生きていけるのかわからないという気持ちもあります。(おそらく毎日3食食べていけることが幸せだと思います。) 身近な人の死別を意識し出した際、その恐怖心をどのようにして受け入れ、考えておくべきなのか。孝行を果たすために自分の正直な気持ちをどのように見つけたら良いのか。この二点についてご相談させていただきました。何卒よろしくお願いします。
先月に母が亡くなりました。 60代で心の準備もなく突然でした。 来月に四十九日を済ませ納骨をする予定です。 父と母は母が亡くなる直前まで仲が悪く、亡くなったのにも関わらず、父の反省の態度が見られません。 自分のしてきた事はなかった事にしています。 母は父との関係がうまくいかず、とても苦しんでいました。 もっと母を大事にしてほしかった。 父が率先して、母を埋葬するために墓石を購入し、準備をすすめているのですが、母の生前の意向が全く通らずに自分都合なところ。 自分の体裁だけを気にしているところ。 母が無念な亡くなり方をしたのにも関わらず、住職に何の説明もせずに、とてもフランクに話を進めている事。 そんな父が許せません。 母が亡くなる前の話や経緯を住職に話をしておきたいのですが、そのような故人の私情を聞いていただいても失礼にあたらないのでしょうか。 このまま良い人ぶっている父を黙って見ている事はできません。
物凄い盛況ぶりのなか、くだらない上に、人によっては失礼と感じられるかもしれない質問ですみません…; 私は趣味で漫画を描いていて、お寺に関連するキャラクターもいつか描いてみたいなと思っています。自分なりに色々調べているのですが、あくまで趣味の範囲のものですので、直に取材に行くようなことはなく…この度、快適インターネットでお坊さんに直接聞けるサイトがあるということで思わずおおっ…となってしまいました。 いつもお世話になっているお寺さんのご住職から、祖父が亡くなった時に「今まで好きだった人が亡くなった途端に不浄な存在になるわけないだろう」と言われ、葬儀場に泊まるのをずずいっとされた経験があります。 確かにその通りで、昨日までおじいちゃん死なないで~とか言っていた人が怖い存在になるわけではないと納得はしたのですが、それでも10年たった今でも葬儀場の横を通るのはなんだか怖いし、無人の集合墓地とか、廃病院の感染症病棟の跡とか、かつて生きていた人がいる場所を通るのはちょっと怖いです。だからといって、不浄だから?と聞かれると、不浄とは…?となります。 そこで思うのは、毎日敷地内にお墓がある環境で生活していらっしゃるお坊さんが言う「不浄なもの」って実際は何ですか? お坊さんが怖いものってあるんでしょうか?…不浄なものですか…? また、その「不浄なもの」というのはホラー映画や漫画等に登場するキャラクターの中に存在するのでしょうか? 長くなってしまってすみません。よろしくお願いします。
40代独身、飲食店勤務。コロナ禍で自宅待機の中、これからの人生を思って鬱に沈んでいます。 厨房ではシェフのフォロー、ホールでは一通りのサービスと管理。ずっとアルバイトで務めていました。 飲食業中心の経歴ですが転職が多く、蓄えもなく、一人で独立できるほどの腕もない。 成長は頭打ちで、このまま務めていても、先に見えるものがありません。 転職市場で求められるスキルはなく、やりたいことすら見えない。 にっちもさっちもいかなくなってしまいました。 性志向は同性愛ですが、度胸もないのでパートナーはいません。 この先ひとりで、一生生きていく、、、どこにも生きがいが見いだせないでいます。不安と焦燥に駆られています。 この歳になるまで、ちゃんと考えてこなかったのです。自業自得です。 それでも、ただ生殺しになっているのはつらい。もう死んでしまいたいとさえ思います。 元来引きこもり型の性質で、挫折して引きこもってはなんとか社会復帰、、、できたのですが、今回こもってしまったら、出てこられるかどうか。 緊急事態宣言よりずっと、一日一日をやり過ごしている感じで、まるで進歩がありません。自分を責め続ける毎日です。 どこに糸口を見出したらいいのでしょうか。
実家の父は昔から感情的に怒りにスイッチが入ることがあり、そうなると怒鳴り散らし、”誰のおかげで飯が食えていると思ってる?”とたびたび言っていました。 そうなるとこちらは口答えすることができず黙って怒りがおさまるのをまつしかありませんでした。母に対する八つ当たりもひどかったです。 子供のころから理不尽な父の罵声や母に対する態度に怒りを感じていました。 結婚してからは少し落ち着いていたのですが、先日少し父が気に入らないことを言ってしまったところ、子供のころを同じように罵声が飛んできました。 ”お前は何もしない。二度と実家に帰ってくるな。お前らの面倒になる気はない。俺はのたれ死んだってかまわない”などと繰り返し怒鳴り、母に対しても”どういう育て方をしたんだ”と罵声を浴びせていました。 言い返せないため、怒りがおさまるのを待つだけでしたが、こちらは姉や弟に比べ実家が近いこともあり、事あるごとに実家に行き、両親の様子を窺ったり、両親からは自分がべったり頼られているのを感じていたので、今回”何もしない”などと言われ、しかも言い返すこともできず、ショックでいっぱいでした。 今後二度を実家になんか行くものかと言い放ちたかったのですが、それも大人気ないことでぐっと我慢をしていました。 そのように子供のころからつもりつもった怒りが解消しきれないままここまで来てしまったように思います。 父はそのように罵声を発しても、翌日にはけろっとした感じで普通に話しかけてきます。それが本当に自分が放った言葉を忘れてしまってそういう態度をとるのか、それとも悪いと思う気持ちがあって照れ隠しでそうするのかわかりませんが、私としては母や自分に謝ってほしい気持ちがあるので、もやもやした気持ちが続きます。 こどものころから続いている父への根底に潜む怒りをどのように沈めればいいのかわかりません。 ちなみに父は私が子供のころ、母以外の女性と付き合いを持っていたこともあり、子供ながらにそうしたことに傷ついてきたこともあります。 ただ、一生懸命働いて大学まで出させてもらったことに対する感謝や、子供のころにお出かけに連れて行ってくれたこともあったりで、否定するばかりでないところにまた気持ちの割り切れなさがあります。 こういった気持ちにどのように対処すればよいでしょうか?
初めまして。よろしくお願い致します。 先日1月3日に主人と実家に帰った際、夜に帰る為車をバックした後、猫ちゃんが頭から血を流して倒れていました。 その後間もなく猫ちゃんは死んでしまいました。 踏んでしまった感覚はなく、おそらくエンジンルームに居たのか詳細は不明ですが、車に巻き込まれたのは間違いないと思います。 どちらにしても私たちの確認不足により、尊い命を奪ってしまいました。 のら猫ちゃんと思われ、まだ小さく痩せていました。 以前より私はのら猫ちゃんを見るたびに、極寒で食べ物もない中、精一杯生きている姿に心を痛めていました。 人間がそうゆう世界をつくってしまったのに、何も出来ない自分に不甲斐なさを感じながら毎日過ごしていた矢先の出来事でした。 心が耐えられないです。 痛かっただろう口を開けて死んでしまったあの猫ちゃんの顔が頭から離れません。 ですが、もちろん一生忘れてはいけないと思っています。 猫ちゃんは実家の敷地に土葬し、お線香とお花とおやつをお供えしました。 でも、やはり自分が許せません。ここで相談して気持ちを楽にしようとしているのかもしれません。それも許せません。仕事に行き、食事をし、普通に生活している自分も許せません。 確認をしなかった後悔が消えません。償いかたが分かりません。 猫ちゃんは生前幸せだったのでしょうか。家には猫が2匹います。実家にも犬がいます。この子達だけ大切にして心が痛いです。でも大事にしないといけないと思います。 冥福を祈るしかないと思いますが、それしか出来ないと思いますが、何か猫ちゃんの為に出来ることはないでしょうか。 どうか、どうか、今幸せでいて欲しいです。何一つ悪いことをしていない猫ちゃんが天国で幸せでいて欲しいです。 その子がこの世に居た証として位牌を買おうと思いますが、土葬の場合は意味がないでしょうか。 無茶苦茶な文章で長々とすみません。 お時間のある時に回答をお待ちしております。
こんばんは!いつも、ありがとうございます。 今回の質問は、私自身についてと相手のこれから先の事もうかがいたいと思います。 3年前に、職場の同僚が自分の頑張りを認めて貰えないからと退職しました。 それは、彼よりも私が役付きになったからだと思います。 勤務年数などから考えても別に私がなっていいかと思いますが、彼は自分が一番できると自信があるような人です。 数年前までは、力を合わせて仕事を頑張ってきました。しかし、年を取るにつれ段々と傲慢な感じになり、最後は私を仲間外れにするような感じになりました。 退職後、なかなか自分の思うような職場が見つからず勤めてもパワハラにあったり人間関係で苦労して、すぐ辞めるを繰り返してるようです。 あれだけ、私にもイジメ?みたいな事をしたのに電話をかけてきて、今の職場で凄いイジメにあってて辛くてたまらないと言ってきます。 仕事の内容など同業者なので、理解してもらえると思っているみたいです。 今日も辛すぎて、生きているのが辛い。死んだ方がいいのかも…みたいな内容の事を言ってました。 直接会って、仕事の内容や職場の人間関係を話したいみたいですが私は、会いたくはありません。 だけど、彼が本当に死んでしまったら後悔するのかも…と思ったりもします。 彼は、家庭も上手くいかず、職場も上手くいかず側から見ても楽しい事など何もなさそうです。仕事を辞めない方が良かったと後悔しています。 昔は彼のことを素晴らしい考えを持った人だなーって思った時もあったのに、人って歳を取ると変わっていくものなんでしょうか? 私は心を大きく持って、彼の話を聞くべきなのでしょうか?
どうすればいいのか本当に分からなくなったので相談します。 内容は、嫁と義母、義妹を仲直りさせたいというものです。 僕と嫁は今年の3月に沖縄で結婚式を行いました。しかし、この結婚式は僕の親族のみの参列で、嫁側は誰一人と来ませんでした。嫁と義父は仲が良いので、義父だけ参加する予定だったのですが、直前に義父と義母は大喧嘩したらしく、「あなたは私と娘がこうゆう状況なのに、平然と結婚式に参加するわけ⁉︎ありえない。離婚よ...」と義母が義父に言った結果、結婚式に義父すらも来れなくなりました。 そもそものケンカの理由は、実は僕の嫁はバツイチなんですが、僕と出会う前、義妹が結婚する際、義妹の旦那の態度が悪かったので、嫁が義妹文句を言ったそうです。すると義妹は「バツイチのお姉ちゃんにそんなこと言われたくない。」と嫁に対して言ったそうです。嫁は義妹のためを思って言ったらしいのですが..それで義妹とまずケンカになり、そして、義母が義妹の方の肩を持ったそうです。それで、義母と嫁はケンカになり、義母がケンカの勢いで放った「私が死んでも葬式に来なくていい」。この言葉が嫁にはとてもショックだったらしく、それからもう2人の関係はダメになってしまいました。 お互い自分は悪くない。仲の良かった頃の思い出も思い出せないくらいお互いが被害妄想炸裂している状態です。 僕も義父も結婚前、結婚後もなんとか自分達で仲直りさせてあげれないかと何度も試みたのですが、毎回大喧嘩になってしまいます。 そして、この7月に僕と嫁の間に待望の第一子(男の子)が誕生しました。 これがきっかけでなにか変わるかなと思ったのですが、この1ヶ月嫁の感情になんの変化もみられません。むしろ、自分の可愛い子供を憎い母親に会わせたくないという気持ちの方が強いような気もします。 僕は、高校生の時に父親を交通事故で亡くしました。家族に会いたくても会えない気持ちを痛感しています。切ってもきれない存在、最後まで味方であるのは家族だと思っています。せっかくその家族がこの世に生きているのであれば、ケンカしたまま死んでいく程辛く虚しいものはないと思います。 子供が産まれたこのタイミングをなくしてしまえば、もう一生仲直りできない気がします。なんとかして、仲直りさせたいのですが、方法が思い浮かびません。 どうか、アドバイスを頂けたらと思います。
3月に長男の大学受験、次男の高校受験があり、長男は第一志望に合格し県外で一人暮らしを始めました。次男は、兄と同じ高校を受験しましたが不合格となり、第二志望の高校へと進学が決まりました。 次男は小さい時から、要領が悪く友達もいなかったので、いつも、何もなくても、私は心配でした。 でも、サッカーが大好きで、〇〇高校でサッカーやりたいから、頑張る。と勉強にも人間関係で辛いことも乗り越えてきました。 第一志望の不合格を知ったとき、部屋に閉じこもる次男に私は「頑張りなさい」と叱咤激励をしました。 すると「死にたい」と泣いて雨の中、傘もささずに家を飛び出していきました。3時間ほど家族みんなで探し回りましたが見つかりませんでしたが、自分で帰ってきました。私は無事に帰ってきてくれて安心しました。 「第二志望の高校には行きたくない」「なんでお母さんは僕を産んだんだ」と1週間ほど泣いて暴れましたが、進学する高校サッカー部の監督から「春休みから練習においで」と言っていただき、なんとかサッカーをしながら入学式を迎えました。 ところが、先週の金曜日、学校から帰ると「部活辞めたい。学校は行くから」と言いました。理由は「どうしても、今の高校のサッカーが好きになれない。イヤイヤ練習しても上手くならないし、楽しくない」と。 私はこのまま辞めるのは甘やかす事だと思ったのと、動揺で「ダメだ。頑張りなさい。中途半端で逃げるな」とまた言ってしまいました。 次男は怒って「俺の事は俺が決める」「こんな僕を産んだお母さんが悪い」と 私は怒りと悲しみと疲れで「そうだね。そんなに死にたいなら死ねばいいよ。長男だけにしておけば良かった」と怒鳴って泣いてしまいました。 次男は少し寂しそうな顔をして「大丈夫。部活は辞めるけど学校は行くからね」と言いました。 3歳から13年間雨の日も猛暑の日も、週末になると次男のサッカーを見るのが、私の生きがいだったことに気付きました。 酷い言葉をかけてしまったこと。それなのに昨日から何事もなかったかのように、穏やかな顔で「いってきます」と登校する次男の姿を見ると何故か涙が止まりません。そして、自死してしまわないかとまで心配です。 他の方の相談に比べたら小さい事で申し訳ありませんが、何かお言葉をお願いします。
何度かお世話になり、沢山助言をいただいているのに。 相変わらずな私。すいません。 今まで黙っていた実家の話を致します。 私の両親は見合い結婚でしたが、父親が結婚前から人妻と不倫し、関係を絶てぬまま新婚生活に。 結果、妊娠中の母を置いて駆け落ち遁走してしまい、親戚に連れ戻される羽目に。 自業自得ですが、死ぬまで故郷に戻れなくなりました。 勿論、生涯仮面夫婦。両親が互いに思いやる姿を見たことがありません。 そして、TVのワイドショーのコメンテーターが、「一人っ子は教育上良くない。兄弟がいないと。」というのを母が真に受け、作られたのが私です。 母は発達障害気味で、こういう話を子供に平気で話す人。思いやりや共感力に欠け、それも駆け落ちの原因のひとつでしょう。 私が小学生のとき、母が新興宗教に入会。のめり込み、高いお布施を払い、新幹線で遠くの施設に活動にいく日々。 父が窘めると、「誰のせいだと思ってるんだ。」と凄まじい勢いでキレまくり、「宗教に一切文句を言わない」と念書を書かせる始末。その時の父の顔が忘れられません。無念さが滲んでいました。 父は酒とタバコに溺れ、食道ガンで65歳で他界。退職金まで宗教の謎の掛け軸や壺に注ぎ込まれ、どんな気持ちだったのか。 私は両親を反面教師にして生きてきました。夫は父と正反対な素晴らしい人。やっと価値観の合う人に出会いました。こんな出会いは来世でも無いでしょう。 三人の子宝にも恵まれ、義父母との相性も良く、認知症の義母の見守りは大変ですが、夫婦子供、力を合わせて頑張っています。義父が実父と同じ食道ガンになり、私が体験と知識を生かして緩和ケアに導いたことを夫に今でも感謝されています。 なのに、私は子供の頃の劣等感から自分を粗末にしてしまうのです。私はまともな家庭で育っていない、価値の無い人間。今はうまくいっていても、いつか裏切られる。捨てられる。自分が望みをいうのは我が儘だ。何も望んではならない。働いて家族に貢献しないと見捨てられる。夫はいずれ不倫をするに違いない。そしたら私は追い出される。子供達も、こんなメンヘラ母さんより愛人を選ぶに決まっている。 妄想で暗くなる妻と、母親と、向き合う家族がかわいそうで。私が地獄に堕ちるのは自業自得ですが、私を見ている夫、子供達に申し訳ありません。 今の幸せを受け取り、素直に家族に感謝したい。
現在勤めている職場では 道端で倒れ脳障害を患い健在の頃の一切を忘れ、名前さえも行政がつけた仮の名前。家族から見放され亡くなった後もお迎えもない方、まだ50、60代と若い年齢にもかかわらず回復が見込めず寝たきりでただ死を待つ方など そういった境遇の方々を日々お世話させて頂いています。 私は無宗教で霊感やスピリチュアル的な事には無頓着ですが 10年程前から夢枕?で不思議な事が度々あり(例えば仏壇の前に4人のお婆さんがいて物凄く怒られて゛妙゛の文字を見せてくる。横綱がつける化粧回しをした寿老人みたいな方が私の手に石を積むなど)最近では 「洞穴光明」といった言葉が眼前をチラチラ。後で調べると何かと仏教へと繋がっていきます。 今まで挫折の連続の人生でしたので自分自身に叱咤激励されてる感覚で捉えていました。しかしながら、今後 中長期的な目標や計画がなく 職業柄 将来の自分の姿が目に浮かび早めに゛他界゛したいと考えいて自制する日々です。 家庭を持てば 心境の変化があるかもしれませんが、悲観した未来を持ったまま 恋愛、婚活などをしようともおもいません。 ただ、まだやり残してる事があるような感覚、それがあるのは事実。 生き続ける上で普段からの心構え、意識の持ちようなどアドバイス頂けたら幸いです。よろしくお願いいたします。
自分は、親の死が怖く、ついついそのことばかり考えてしまいます。来せいでも会いたい人に会えますか?あと死後の世界はありますか?
妻を亡くして、まもなく2年になります。喪失感でいっぱいで心療内科に通院してます。服薬してますが、なかなか気持ちが前に行きません。 そんな中、仕事に誘われ、このままではいけないと思い就職しました。順調に行っていましたが、だんだん欲求不満になり関係を持ってしまいました。 その方はとても優しい方で、落ち着ける方です。しかし、妻のことが忘れられず、考えれば考えるほど辛く、仕事と子育てでいっぱいいっはになり、最近は仕事にも行く気持ちにならず、退職希望を出しました。 日に日に、気持ちが沈み、自分でもどうしていいかわかりません。死にたくなったりします。何か助言を頂けると幸いです。よろしくおねがいします。
これまで自分の祖父母四人、夫側の祖父母三人、自分の父親を亡くし、葬儀に出ています。 しかしいずれの葬儀でも悲しみが全くなく、葬儀中ずっと「疲れた、早く帰りたい」という感情しかありませんでした。 死後何年経っても悲しみは訪れません。 いとこたちは号泣しているのですが、思い出がない人が死んで何が悲しいのかわかりません。 祖父母とは同居していませんでした(いとこも)し、年に一度会えば多い方。 父親とは流石に同居していましたが、朝六時に家を出て夜12時にならないと帰ってこない父親には「お金を持ってくる人」という思いでしかありません。 もちろん私のために働いてくれていたのは理解していますが、思い出がないことにかわりはありません。 人は、思い出がない相手でも血縁者がしねば悲しいと思うものなのでしょうか。 思えない私は何かを間違っているのでしょうか。 子供を持てば気持ちが変わる、という回答はご遠慮いただければと思います。 (生まれてから一度も子供を欲しいと思ったことがありません。10年以上ピルを飲んでますので子供を生むことは一生ありえません。産むくらいなら死んだほうがマシです。)
まだ母は亡くなってはいないのですが、カテゴリ的にここが一番近いため、このカテゴリにしました 僕の母は女手一つで僕を育ててくれ、またあまり良くない親戚から幼い僕を守ってくれた人でした。僕が成人し、働くようになってからも、困ったことを相談したり、助けてくれたりと支えてくれていた人でした。 そんな母が9月に直腸癌で余命宣告をされてしまいました。緊急手術をし、人工肛門をつけることになったのですが、そのがん宣告と手術のショックからか、精神症(幻覚や妄想など)を患ってしまって、自分から退院してしまい、がんそのものの治療に行けませんでした。 僕は必死に県外の病院を探し(精神症の母が県内は嫌だというので)、入院させることはできたのですが、そこでもがん治療はできず、母の精神が落ち着いた頃に母の希望で僕の住んでいる県に転院しました。 ところが転院し、ようやく母の望んでいたがんの治療が出来ると思っていたのですが、転院の前後から、転移していた肝臓のがんが急速に広まり、これでは治療が出来ないと言われました。 また、セカンドオピニオンにも行ったのですが、やはりそこでも治療は出来ないと言われ、緩和ケアしかできなくなってしまいました。 もちろん、治療をすれば100%治るわけではないのは知っていますが、母は「死ぬのであれば治療をして死にたい」と言っていたのもあり、母の最期の望みを叶えてやれなくなったのがとても苦しいです。 また、治療についても、精神症で入院していた時に、本人の希望していた転院ではなく、無理にでもその病院で治療をさせていれば結果は変わったのではないかとも思い、後悔しています。 母は職業柄もあり、多くの人に慕われるような「いい人」でした。 なぜ神様や仏様はそんな母が治療をしようとするたびに急に状況が悪くなり、自分の望む治療もできず、死に方も選べないような状態にさせるのでしょうか。 また、僕は先述の後悔をどうすればいいのでしょうか。
人生は同じ事に繰り返しに思います。落ち込んで、元気になって頑張って、俯瞰して頑張る事に疑問になって、答えを出して、でもまた落ち込んで。私はずっとこの繰り返しで、趣味や興味があることに熱中したり自ら足を動かして行動する方ですが、人生はずっと同じ事の繰り返しだと感じます。 ネガティブなことの押し付けで申し訳ないのですが、この事を最近ずっと思います。 そして、同時に十分であると感じています。たのしい思いも、悲しい思いも、悔しい気持ちを一通りしたと思います。すごく幸せだと思います。でももう十分なのです。 今20歳です。これからの人生を生きていくのが大変だと思います。アドバイスがありましたら教えていただきたいです。
母は、どうして自ら命を絶ったのでしょうか 例えば人間関係とかお金の問題とか、そういう具体的な理由ではなくて… どんな困難にもへこたれない人もいる中、母はどうして死を選んだのでしょう 強くて優しい母だったのに 私は希死念慮があるので… 死にたい気持ちはわかるのです 自死は、理由ではなく衝動的なものだとも思います だけど 母にあてはめるのはとても難しいというか… 「まさか」としか言いようがなくて… 母は私に希死念慮があるのを知っていたから、 少なからず私が引っ張ってしまったのかもしれない ただ、本当に言えるのは 母はそんなに弱い人じゃなかったから 悩みの理由 ではなくて 死を選んだ理由 が知りたい 100%わからなくてもいい(わかるわけもないのですが…) そこへ向かってしまう気持ちに、皆様の意見によって近づけたら少し救われるような気がします 本当にうまく言えないのですが… 私の抱く「希死念慮」とは違う気がして 理解できなくて 苦しいのです…
ずっと、ずっと人と比較してしまいます。私はコロナに対して過敏な方で、このご時世、友達と旅行やアウトドアなどできるわけがないと考えていました。大学での実習やお盆で集まる用事など、気をつけなければいけない用事があったのも事実です。 しかし、SNSを見れば国内旅行のみならず海外旅行をしたり、川遊びしたり、キャンプしたりする友人の姿。SNSが全てではないのはわかっていますが、貴重な大学生の夏をほぼ何もせず、計画せず遊ばなかったのに激しく後悔しています。死ぬほど嫉妬してしまいます。 他にも、私は美術を勉強しているのですが、制作をするのにも表現の乏しさや技術のなさを自覚しているのに、努力する気が起きません。人の作品を死ぬほど検索して、「私にもできそうな画風」を見つけて、それをロールモデルにしようとする最低な人間です。絵を頑張ろうと思って大学に入ったのに、大学に入ることが目的化して燃え尽きてしまいました。圧倒的な才能を目にして絶望してしまったのも確かです。人と比較してしまうこの癖をどうやったら治せますか。辛くてたまらないです。
死後の世界に地獄は本当にあるんでしょうか?親に散々迷惑けたし、いろいろ悪いこともしてしまいました。死んだらきっと地獄におちるかと思うと怖くて仕方ありません。