昔から宗教に興味があったので、キリスト系・仏教系問わず、新興宗教でも縁があった時は、資料を受け取ったり、話を聴いたりしていました。 しかし、いずれの宗派も絶対的な確信を持つことは出来ないので、入信することはありませんでした。 その中で、昔からの友人が「あなたを救いたい、あなたのために24時間勤行をする」などと親切心で熱心に勧誘しています。「その気は無い」と断りつつも20年になります。(最近は年に数回程度ですが) そして、数年前、主人の余命宣告を受けた時、私としては人生の中で一番宗教を求めていました。しかしながら、その数ヵ月間はまったく連絡がありませんでした。 その事から、最近は「私が一番必要としていた時期に縁が無かったのだから、あなたの宗教に入ることは絶対にあり得ない。」と明確に何度も伝えています。 「勧誘であれば、話をすることは無い。勧誘の話は聞きたくない。勧誘の電話はしないで」ということも何度も伝えています。 それでも、「そろそろわかってくれた?入信する気になった?」と連絡して来ます。 その友人と同じ仲間が他に数人いますが、熱心に勧誘されているのは私だけです。他の友人たちは最初の頃に断っているためにその後は勧誘していないようです。 できることならば、他の友人のように勧誘を止めてくれたならば、その友人が企画する同窓会にも参加したいのですが、私の顔を見れば執拗に勧誘をするので参加できませんし、他の友人たちとも疎遠になってしまってます。 今まで「宗教に興味がある」という態度をしていた私の責任でもありますが、20年かかりましたが、「入信しない」という結論が出たので、それで納得して欲しいのです。 20年分の期待感があるので、宗教抜きの友人関係は無理なのでしょうか? その子が中心の他の仲間たちとの関係も含めて、バッサリと縁を切るべきなのでしょうか?
お世話になります。 こちらで沢山の質問、相談を自分におきかえて、自分と似たような思いをされてる方など、読ませていただいてます。 よく見るのが、亡くなったら、仏教は、みな同じ、自死になろうが、悪いことをしてた人生であろうが、皆同じ、お釈迦様がお浄土へと導いてくださる。 しかし、別の見方では、自死はずっと同じ事をしてあの世で苦しむ… 自死の行為を何度も繰り返して苦しむとか… 地獄行きなど、針の山などある、などなど…あると聞きます… また、ご先祖様は、修行を積み重ねられ、上の方に行かれているとか… 主人がどういう場所で、どんな修行をしているのか… また上の方に行かれたご先祖さまと同じ場所におれてるのか。 考える日々です…
死んだ人、亡くなった祖父や祖母はは私のことを忘れてしまうのでしょうか。 死んだ後のことを調べていると、 亡くなった人は最後、今まで過ごしてきた、家族のことや自分のことを忘れると書いてありました。 亡くなった祖父や祖母は私のことを見ていないのでしょうか。私の声は届いていないのでしょうか。私を忘れてしまうのでしょうか。それならば、凄く悲しく、私は死ぬのが怖いです。家族のことを忘れたくはありません。
叔父の急逝に家族としてどのように両親をサポートし、亡くなった叔父に対してどのような事を思ってあげたら良いか整理ができません。 先週、突然母親から「叔父ちゃんが死んでるかもしれない。これからお父さんとマンションへ。」と携帯にメッセージ入りました。 叔父の上階の住人から変な匂いがすると管理人に連絡が入ったとの事でした。 私は大変驚き、急に怖くなり、とても落ち着いていられなくなり、急いで近くのお寺へ手を合わせに行きました。 しかし、その後「玄関で血を流して死んでいた」と母親から電話が入り、涙が溢れ落ちてきました。 警察と救急が駆けつけ、鑑識による捜査後、遺体は警察へ運ばれ、私の父が本人確認を行い、医師の診断により推定4日前に病死したと判りました。父がいうには、母は震えてしまって身体が硬直していたとの事でした。 人生のライフステージで毎度お祝いをしてくれた叔父の事を思うと、そのような亡くなり方がとてもとても残念で、悲しくて、その夜は一晩中眠れませんでした。 翌日、叔父の兄夫婦も新幹線で駆けつけ、私の両親と伯父夫婦と4名で小さなお葬式と告別式が執り行われ、お骨は実家のある岩手県へ移されました。その後、菩提寺で現地の近い親戚だけでお葬式をするとの事でした。 いつか落ち着いたら叔父のお墓参りに行くつもりですが(私の祖父母も一緒に眠っています)、私は今回、叔父のお参りが一度も出来ませんでした。正直にいうと、怖くて携われませんでした。 両親は今、マンションの特殊清掃、遺品整理、近隣の住人からの苦情の対応など、叔父の死後、ほぼ毎日のように叔父のマンションへ足を運んでいて大変疲れている様子です。私が両親を手伝う事ができたら、両親の心労は3分の1になるのに、私は何もできなくて酷い娘だなと思います。食事の準備や諸手続きは手伝っていますが、叔父のマンションでの作業がどうしてもできません。 叔父の鍵付き金庫を壊したら、中から大量に半世紀前の祖父母の手紙が出てきました。岩手から東京の大学に通う叔父を案ずる旨、母の結婚の事、都会人の父をきのこ狩りに連れて行った事などが書かれており、胸が熱くなりました。 家族とは遠く離れていても本来そうあるべきなのに、私は全然できていないと自分を責めました。 叔父が天国で祖父母に再会し、幸せに暮らせますようどうかお祈りさせてください。よろしくお願いします。
こんにちは。たくさんの質問があるなか、お忙しいとは思いますが、ひとつお尋ねさせていただきます。 先日、祖父が亡くなりました。 優しくてユーモアがあって大好きな祖父でした。 私にとって身近な人が亡くなるのは初めてで、自分が想像してたよりも遥かに人の死というのは悲しくて寂しく、また、綺麗な死に顔を見たことや骨だけになってしまったこと、死という全てが衝撃的でした。 1ヶ月ほど前、元気な姿で会った祖父は一体どこへ行ってしまったのでしょう。 骨になったら全てが終わりなのでしょうか。 祖父がいまどうしているのか気になり、ネットで自分なりに仏教について調べてみました。 そこで、49日間かけて故人は裁判のようにひとつひとつ過去の行いを審査されそれをもとにその後の行き先を判断されるというお話を知りました。 祖父はまだ初七日も迎えていない状態です。 もしかすると祖父はいま、行ったこともない道を一人で寂しく歩き、不安な気持ちで審査を受けてるのではないかとおもうと、心配でたまりません。 祖父は1人で寂しくないでしょうか? 祖父が無事に天国へ、もしくは安心できる地へ、祖父の先に亡くなった家族が待っている元へいくために、私にできることはありますか? 手を合わせて、想いを込めるだけでも力になれますか? 祖父のことが心配です。 もし今の私にできることがあれば、教えてください。よろしくお願い致します。
母が突然死しました。 数日前までとても元気に食事をし、健康診断も主治医から太鼓判を頂いたと喜んで報告してくれたので、しばらく信じられない気持ちでした。 きっと母自身も突然この世を去り驚いているだろうし、無念だったのではないかと気がかりでした。 母の死後、四十九日を待たずに地元で有名な霊能者の方にいろいろ視て頂きました。 信じる信じないは別として、ポッカリ空いた心を穴を埋めて欲しくて伺いました。 先生からの第一声が、母の生き方が素晴らしいとの事でした。 確かに母は誰にでも平等で優しく、穏やかな人でした。 しかし苦労が絶えず、娘の私から見ても果たして幸せな人生だったのか、そして誰にも看取られる事なく逝ってしまった最後が悲しすぎて後悔ばかりしておりました。 しかし、母は四十九日を待たずに天界へ登っているとの事でした。 すでに成仏しているとの事です。 例えて言うなら普通の方が徒歩で一歩ずつ天界へ登る所を、母はエレベーターで上がっていったようだとの事です。 今は6年前に亡くなった父よりも少し高い場所にいるとの事でした。 仏教は詳しくありませんが、人は亡くなってから四十九日間をかけて世話になった方等に挨拶周りをしてあの世への旅立つと祖母から教えてもらいました。 霊能者を疑ってるわけではありません。 それがでたらめでも心が救われたのは事実です。 そのまま胸に止めて生きていこうと思いましたが、ふとお坊様ならどうおっしゃるのだろうと気になりましたので質問させて頂きたいのです。 生前の生き方と言うのは成仏の仕方にも影響があるのでしょうか? 悪事を行えば地獄、良い行いをすれば天国。 それは子供の頃から頭の片隅に何となくありましたが、天国への上がり方にも生き方は反映するのでしょうか? 心が清らかな母だからそうなれたのでしょうか? そんな事って本当にあり得る事なのでしょうか? 母は悲しい最後で旅立ちましたが、人間、死に方ではなく生き方が全てと言う霊能者の言葉を信じても良いのでしょうか? 否定されても信じて行くつもりですが、仏様にお仕えするお立場からのご意見をお願い致します。
昨日、自宅で母の一周忌が終わりまして、自分の中で少し不思議なことがあったので質問と言うか書き込みさせていただきます。 お坊さんも帰ってくつろいでいたとき、トイレにいきたくなってトイレに行ったら、煙草の匂いがしました。妻は昔から、私も同居の親父も病気を患ってからはここ3年くらいは止めて吸っていませんが、亡くなる前まで母は吸っていました。親父が吸ったのかと思って聞いたのですが、「吸うわけないだろ💢」と言って怒ってきたのを見て「あの怒りかたは嘘言ってないな」と思いましたし、服等からも煙草を吸った匂いがしてこなかったので、吸ってないことは本当だと思いました。妻も私も吸うはずもなく、仮に親父や私が隠れて吸うとしてもトイレで吸う必要性がなく、庭やキッチンの換気扇のところで吸うはずだと思います。 で、実際に隠れてトイレで喫煙してたとしたら、換気扇を回してたとしてもかすかに廊下に匂いが漂ってわかると思います。で、じゃ外から換気扇等を伝って入ってきたのでは?という線も浮かびますが、トイレの換気扇の排気口は公道まで6m以上離れてますし、公道より2m位高いとこにあり、公道も人通りがほとんどないので、可能性的には物理的にもゼロだと思います。 当然今までそんな煙草の匂いがするなんてことはありませんでした。 なので妻が「お義母さんがお礼を言いに来たんじゃないの?」なんて話してました。私自身霊的なものや死後の世界などスピリチュアル的なものには懐疑的ですが、母の死をきっかけに浄土真宗に触れ、そうであって欲しいという気持ちもあって「お袋が見ててくれてるのかな」とも思いました。 浄土真宗の考え方とはずれますけど、「あの世というものがあるなら、この世の苦しみから解放されて母には安らかに過ごしてほしいな」と思っています。 今回の件は、お坊様方はどう思われますか?お袋がいて存在を残そうと生前好きだった煙草でサインを送ってきたのでしょうか?
20日の日にとても大好きな父が亡くなりました。 自分は母を4年前に病気で亡くしてます。 その病気の介護のときからの15年間父親と生活していました。 母の死後、父と2人で田んぼをやってコレからはもっと2人で田んぼ大きくして行こうとしていました。ところが去年の4月頃に父に前立腺癌が見つかり、父は入退院を繰り返す様になりました。 それまでは父と2人で楽しく作業していた事が自分1人になり苦痛の作業になり、自分でもどんどん自分がすさんんで行くのがわかりました。 そして12月になり病院から「これ以上治療は出来ないので、緩和治療になります」と言われました。頭が真っ白になりました。そして泣いて泣いて泣きました。 家に戻る事も無く年を越し、1月10日に転院しました。そして改めて父を見て見るとがっしりとしていた身体はヒョロヒョロで、色は白く、お腹の両脇からは尿を出すための管が出ている、そんな身体になりながらも自分が行くと「ちゃんとご飯食べてるか?」「無理はするなよ」と私の事を気遣ってくれます、私は家に帰ると毎日泣きました。1月19日、父は大分弱って起き上がる事はなく、だか問いかけると目を開け「うん」「ちがう」などの返答をしていました、そして夕方に父に「どうする?今日俺、病院に泊まる?」と聞くと、とても嬉しそうに「うん、うん、」と答えてくれました。次の日の朝、「おはよう」と問いかけると目を閉じたまま、何の反応もありませんでした、先生が来て「今日は危ないかもしれないです」と言われました、それからは、父の耳元で「俺は親父が大好きだよ」「親父俺を1人にしないでくれよ」「反応してくれないとわかんないよ」「ほら一緒に田んぼいくべ」など色々言ってました、そしてお昼になり、父の呼吸は止まりました…67歳でした。 それから私は喪主として御葬式を務めあげました。 そして今は大きな家に自分1人となってしまい、家の中、納屋の中、田んぼ、すべてにおいて私が大好きだった、元気だった頃の父の姿が重なって見え、涙が止まらなくなってしまいます。本当に大好きなのです。 また一緒田んぼをやりたい、会いたい、他愛無いことで喧嘩したい、会いたい、話したいです。 ツライ、ツライ、ツライです
いつもお世話になっております。私が尊敬する科学の 先生に、「ヘルドクターくられ」先生とおっしゃる方が いらっしゃいます。 先生は、アンダーグラウンドの分野にもお詳しく、 「これこれこういうものは危ない。気をつけなさい」 と注意喚起をしてくださっています。 その項目に、「カルト教団」があります。先日私は、 先生の記事から気になって、カルト教団について調べ ました。 私の認識では、「カルト教団」と「安全な宗教(=純正宗教)」 の違いは、このようであると認識しています。 【カルト】 1.医学・科学を否定する →通院している・通院を検討している病者や障害者を、 「医師は悪魔だ」「薬物中毒にされる」「分類屋の 言う事に耳を貸すな」などと言って、病院から 遠ざける 2.「死は救済」と説く →信者を自殺させたり、殺人事件を起こしたりする 3.「金銭を寄進をしないことで、神仏から罰が下る」と 脅す 4.排他的・反社会的思想で、信者の怠惰と慢心と孤立を扇動する →「私たちはこんなに簡単に世界の裏の真実にアクセスできて、 できない奴らと違い賢い!」と思い込ませて搾取 【純正宗教】 1.医学や科学も積極的に頼らせる →つらい症状が出ている、精神的に不安定な信徒には、 「病院で診てもらいなさい」「病院へ行くことは恥ずかしく ない」と励ましたり促したりする(確か、仏様の32の特徴 にも、「病人に薬や食事を与えて看病した結果得られた特徴」 というものがあった気が…) 2.「生きる」ためのアドバイスをする →「死後の事は仏さまにお任せすればいい」「仏さま・ご先祖様 から頂いた命を粗末にしてはいけない」「生きる上で、 仏さまが残してくださった教えを読み解いてヒントに にしよう」と促す 3.無理に寄進をさせない →例えば「生前戒名を貰いたい」と言った信徒に、「戒名、 経済的に苦しければ無理につけなくてもお浄土行けますよ」 と説く。お布施も、「自分のために使いなさい」と返したり する 4.様々な人や生き物、価値観との共存共栄を目指し、「努力」の 大切さを説く 以上の認識で問題ありませんか?自分や、最近仏事に 興味が出てきた友人がカルトに騙されないよう教えるためにも、 再確認したいのです。
数日前のことです。 7歳と5歳の愛犬がいます。 吼え癖のため留守中は換気付の防音ケージに入れていました。 その日は夜に彼と食事に行く約束で、私用を済ませて合流。 彼にもの愛犬がおり、仲が良くうちのケージに入れることもしばしば。 いつもなら一緒に家に上がりますが、面倒だったためわたしは車で待っていました。 レストランについてしばらく経った時、ふと換気扇のコンセントを抜いていたことを思い出しました。 しかし、彼の子を入れに行った時は元気だったと。 なら大丈夫か…と、なんだか嫌な予感がしつつも食事を続けました。 いつもは時間をかけないのですが、料理がコースだったこともあり3時間もかかり、22時半頃帰宅しました。 ケージを開けようと近づくと、ぐったりと目を開けて倒れてる3匹が見えました。 開けた途端ムワッと広がる熱気、3匹の呼吸で体もケージ内もびっしょり。 すぐに出しましたが、すでに体は硬くなっていました。 急いで体を冷やし救急に連れて行きましたが、手遅れでした。 お医者様によると、死後1時間は経っているだろうと…。 5歳の子は、上の子に耳を噛まれ血まみれでした。その噛み傷は耳を貫通していました。 一番体が小さく、一番苦しんだ形跡がありました。 彼の子はまだ9ヶ月でした。 おそらく3・4時間、どれほど苦しかったか…どれほど生きようと抵抗したか… 日頃、世界一愛してるよ、世界で一番大切だよ、私の宝物。 毎日呼びかけていました。私の宝物でした。私の生きる意味でした。 なのに、自分の手でそれを終わらせてしまった…。 彼の子はまだ迎えて半年です。お互い悪かったよねと、2人の過ちだと認め合いました。 お寺でお葬式をあげ、お経を唱えていただき、火葬しました。お骨になってもかわいくて、始終涙が溢れて声を上げて泣きました。 もういないんだと現実を受け入れつつも、まだあの子達のいない明日が想像できません。 心から愛していたのに、それを自分で殺めてしまった、その事実が苦しいです。 たった5歳と7歳、そして9ヶ月。 過ごした日々は幸せそのものでした。 あの子達は恨んでいないと思います。私のことが大好きでした。 後悔はとめどなく、申し訳なく、ありがとうを伝えたいのにごめんねばかりでてきます。 どのように心を向かせたら良いか、どのように考えれば良いか、アドバイスをいただけると幸いです。
精神病である解離性同一障害には憑依型と言って悪魔や神の位格があるそうです。で、実際にこの世に悪魔や神は存在します。私がA社という月300時間以上サービス残業当たり前のブラック企業に勤めていた頃、この悪魔に該当する人物がいました。私自身疲弊しきって部屋もろくに片付けれない上、10年来精神病を患っておりその悪魔である同僚を「なんかおかしくねぇか?サイコパスか?」と誰もいない事務所で口に出した所、事務所の盗聴器が声を拾っていたらしく、しかも社外に漏れて大事になり、ある夜私とその同僚は社内の防犯カメラ上で精神鑑定にかけられました。あくまで、極秘裏にですが結果は禁忌(国の機密)に該当するものだったらしくその同僚に善意で昨日の夜こんな事がと口にしてから運命の歯車が狂い始めました。側から見ても完全に顔が別人になったりこちらの思考を読まれたりと普通でないのは分かりきっていました。散々社内で追い込まれて体力を酷使し労働し、とある朝退職することになりました。その後、とある喫茶店で解離性同一障害の神の位格を持っている占い師さんに出会い彼女を信じて神の試練に耐え抜くという運命を辿りました。クニミ、クミニ、御国と立場が精神科に近づくにつれ変わっていき最終的に精神科に入院した結果、その同僚は医療刑務所に行く事になり現在は医者を頼っても同僚を苦しめ、義の道(仕事や信仰)は通れないと神様から御告げがありました。私は今皆様方がおられる世界とは別の次元(低い)からやってきた人間なのでこの世界には違和感があります。悪魔とは医や義の道を通れば力が弱まるものらしく、今は別の世界の同僚は雁字搦めです。神様から精神科に通らないルートも用意されてはいたんですが、それは難しすぎて私には無理でした。私は病気でした。この先、パラレルワールドのようなこの世界で働くことは出来ず(本当は退院したので働きたい)医者や施設を頼って生きていくしかないのですが、両親が老いれば私は施設に入らざるを得ず自分の老後や死後の世界が不安で仕方ありません。義人から見れば私が一番の被害者ですが神様方はまた視点が違うようで私は地獄行きが妥当な人間のようです。神社に数百万円寄付したのでお金もありません。虐待をしてきたような親なので一緒にいても辛いです。どうすれば浄土にいけますか?せめて信仰くらいはしたいです。教会にも行きたいです。知恵を拝借ください。
幼いころから長い期間ストレスにさらされたため体を壊し、バイタリティがほとんどありません。 やりたくないことはもちろんですが、楽しいことも、本当はできません。 あまりにも辛いので自殺は何度か図りましたが、体はやっぱり生き物なので大人しく死のうとしてくれず、完遂できていません。「自殺する」ということを解決法としてすがりつくのは諦めました。 とりあえず寿命までは波風立てずまともに生きているふりをしようと思い、まず生活・収入は絶対途切れさせないように、仕事と生活上必須の作業(食事やお風呂や睡眠)を優先しました。 それだけで限界だと分かったので、体力と収入を削る楽しみ(料理・絵を描く・何か作るなどのクリエイティブ系・読書・SNS)は仕方なくやめました。 人間関係が嫌いになったので頼れるパートナーを作ろうとは思いません。関わると生活がうまくいかないので親族とは縁を切りました。 金銭面は公的機関からすでに援助を受けているので、これ以上誰かを頼りたくありません。 精神科に8年かかっていますが、効果は頭打ちのようです。 今更生きている意味とか、楽しみが欲しいとか、苦労したんだから報われたいとかは全く思いません。無理に求めればそれなりの代償を払うことになります。 まあまあ満足な人生を送るには、今回あまりにも運が悪かったとだけ理解しています。寿命が尽きれば何でもいいです。(死後どうなるとかは置いておいて、この世に参加しなくてよくなる時を待っています) こんなに理性的に働いてやり、食べたくないと思っても無理に食事を食べさせて生かしてやり、苦しむのが目に見えているから趣味や人間関係の危険から守ってやっているのに、常に自分が不機嫌で、ぐずっているのがはっきり分かります。それが「自分の本当の気持ち」だとしてもいちいち構いたくありません。何がしたいのか分からないし、生活の足を引っ張るだけなら黙ってほしいです。 この不機嫌さを完全に消滅させて、何も感じずに毎日同じことを淡々と繰り返す、「外から見たら普通の人」になるためにはどうしたらいいでしょうか。 「疲れているので休みましょう」といった意見は求めていません。仕事を休んで解決する問題ではないと思っています。
あの世とは、どういう所ですか? 自殺をしたら地獄行きですか? 親より早く死んだら地獄行きですか? 霊魂になっても病気になりますか? 素人にもわかる回答をよろしくお願い致します。m(__)m
引き寄せを信じている人から以下の話をしていました。 『畑は自分を信じる心、種は願い事、肥料は現状に満足出来る気持ち いい状態の土(心)は、良い土(心)を作る事 良い土(心)の状態は自然体な状態で心が喜んでいる状態で、 その時々の気持ちに忠実になり自分が自分に寄り添ってあげる事 自分を好きで信じてるからこそ、他者を好きになれて信頼できて、人を許せるようになり、世界を愛せるようになる 世界を愛せるようになる頃には、自然に日常の幸せに気付いて感謝出来る心が自然に育っている これが畑でいう肥料になる』 そして、 ブログを書いてるお坊さんも… 『仏道を歩む上で大事なのが、 最近よく耳にする【引き寄せの法則】 「思考が現実化する」「自分の心が現実を作る」 仏道を歩む上で大事なことは、「いい気分でいる」ということこそ大事で、 自分の「今その時の感情がとても大事」 この感情がまわりと共鳴して、 また、「嬉しい、楽しい、良かった」と思えることが起こってくる。 「投げかけたものが返ってくる」という引き寄せの法則そのもの。 たとえ念仏していても、気分や感情が不平、不満、愚痴等なら、それらを味わう現象が起こってくる。 だから、仏様を味方につけたのだから、 この娑婆世界、どうにも汚い世界かもしれないけど、この至らない私もそこで精一杯生きているし、生きていく。 その人生をやはり「幸せなもの」にしたいと願う。 だから、そのためにお念仏して、自分に起こり得る 全ての事を仏様にお任せして、 現世での起こる結果は、お任せした結果の「ギフト」と受け取り、最後は、死後、極楽へ往生させていただく。 その過程の中で、 自分の機嫌は自分でとって、いい気分でいる時間を増やす。 ネガティヴな思いが出てきたら、仏様にすべてを聞いてもらい、お任せをし「念仏瞑想」を実践していく。 そして、常に自分に与えられた現実の中から 「しあわせ、ありがたい、よかった、うれしい」と思える事を探して、今の現状を満足して感謝していれば 仏様ご先祖さまから更なるお導きが得られ、引き寄せられるようになってくる。』 仏教でも心は畑のようなお話はあるのでしょうか? 「心は畑」「マザーテレサ」の言葉も引き寄せに繋がっていると言っていまして、お坊さんまで引き寄せを話していましたが… 仏教と引き寄せは何か繋がっている部分があるのでしょうか?
もう死ぬしかない気がします。 頑張っても、学ぼうと思っても 学んでたことが 間違ってることだらけでした。 惨めです。 こんなに間違ってる人はいないです。 みんな笑ってると思います。 私は最下位です。
こんばんは。ずっと前から気になってました、殺処分や科学の為と名目上、動物虐待で酷い殺された方をした動物、冬眠中のカエルを掘り出し生きたまま串刺しにする今でもある残酷な神事、政治に関わり暗殺された人と、例えば石井紘基議員、無念に殺された魂は成仏できてるのか気になります。今は宜保愛子さんがいないので、殺された人や動物、虫は成仏できるのか聞いてみたいですが聞けない。お坊さんはどう思われていますか?
① 日本人に根付くステレオタイプの宗教倫理観といえば、やはり「現世で善いカルマを積んで死後にいいところへ行き、やがて解脱する」だと思います。これはバラモン教やヒンドゥー教のようにも思えますが、このスタンスを基礎としている宗派はどこでしょうか。とてもシンプルゆえに子供の道徳教育にも有効で、信心もしやすいと思います。「○宗」とかでなく「大乗仏教」という括りでみんな当て嵌まっていそうではありますが…。 ② 永遠の幸福はあるでしょうか? この質問を日蓮正宗のお坊さんへお話したら、「物事には必ずそれを妨げる逆風のような働きがあり、何をするにしても程度の差こそあれど必ず苦難は待ち受けているから、永遠の平安は無い。しかし、その「苦難に耐えてダメージを受けずに済む心」は手に入れることができる」というお話をしていただき、私はその心があれば永遠に幸福になるという夢を叶えられるのではないかと思いました。そのお坊さんが言うには、やはり日蓮正宗なので南無妙法蓮華経のお題目でその心を手に入れることができると仰っしゃられておりました。これについて皆様の意見や、ほかに苦難で傷つかない心を手に入れる方法を教えていただきたいです。 ③ 仏教には「運の良さ」はあるでしょうか? これは仏教を信仰してギャンブル運を上げるとかそういうのではなく、「運命を変える力」です。信仰しようがしまいが運の流れ=運命を変える力が無ければ、人類も動物も全ての生涯はみんな最初から「運命」というレールに敷かれた出来レースであり、人間の自由意志や選択や信仰に価値が無くなると私は思っているので、「運命を変える」「人生に転機をもたらす」などの意味で、運(人生の風向き)を変えてくれる力は仏教にはあるでしょうか。宗派なども教えていただきたいです。ちなみに、日蓮正宗のお坊さんはやはり「その方法はズバリ、うちに入信して南無妙法蓮華経を唱えること。阿弥陀如来を信仰してもあの方はあの世しか管轄していないから人生は変わらない、日蓮なら変わる」と熱弁されていましたが、これについてはあくまで例ということで否定や肯定などの意思はありません。 長くなり申し訳ありません。これを読んでくださった優しいあなたへ、ありがとうございました。私は永遠に善人でありたいです
四年前に父を病気で亡くしました。 元々色々な病を抱えておりましたが 急激に悪くなり、入院した当日に余命宣告をされました。 入院してから2ヶ月で父は亡くなりました。 その間、母と交代で毎日病院に通っていましたが一度だけ自分の娯楽を優先してしまい顔を出さなかった日があり今だに後悔をしております。 当時私以外の家族が今にも壊れてしまいそうで、私自身は父の事に関して常に気張った状態でいた為か、亡くなってから1.2年経ってから急激な不安や悲しみに襲われることが多く。 感情のぶつけ方が分かりません。 一瞬でもいい、ほんの数秒だけでも会いたくてたまりません。 2年前に結婚し、式を挙げた際にも父と腕を組んで歩くことも出来ず、孫を見せてあげることもできず、 私が出来ないことが当たり前にできる他人を妬むことも多々あります。 又、母が外国人で身の回りの事や自立が一切できておらず 今同居をしているのですが、母への嫌な感情も父の死後から出てきてしまい 父を恨むような気持ちを持ってしまったり たくさんの感情が入り混じり、普通じゃない怒り方で旦那なやつ当たってしまう事や、子供に優しく接する余裕もなくなり、もう父の居なくなった世界が苦しいです。 父が居たら、、と考えてしまう日々です。 入院するまではたくさん迷惑をかけてしまって居たので、 入院中は出来ることを精一杯しましたが後悔は消えません。 悲しみも薄れるどころか、 増していきます。 死に感しても深く考えてしまい、とても怖くなります。 気持ちを消化する方法はありますでしょうか。 どうか宜しくお願い致します。
いつも有難う御座います。 つい先日、父の四十九日法要を、お寺で行いました。その翌日、仏具屋さんから帰って来た母が「四十九日が済んだら、線香は朝と夜の2回で良いと言われた」と言っていました。私は父の死後、一つ一つの挨拶ごとに線香をあげて、挨拶していたショックでした。「遂に仏さんになって、本当に遠くに行ってしまったのか」と実感しました。 別に「絶対に朝と夜以外に線香をあげてはいけない」と言う禁止では無いとは思います。然し、改めて言われると、「何でダメなの?」って思ってしまいます。 四十九日が終わり、又強い悲しみ、苦しみがあります。それは父の葬儀の時とは違う、それ以上の苦しみ悲しみがあり、涙が出てきます。 まだ入院前、家で介護を受けていた時に、ずっと自分の甥っ子や姪っ子の名前を呼び続けていました。当時私は、「ほら、又始まった」としか思いませんでした。然し今考えると、父は自分が長くない事が判り、「死ぬ前に会いたい」との思いで、ずっと呼び続けていたんじゃ無いか?と思います。何故甥っ子や姪っ子に「顔見せてあげて」と、連絡して上げなかったんだろうと、父の最後の願いを聞いて上げられなかった事が情けなく、悔しく、父に申し訳ない気持ちです。葬儀では全員揃いましたが、実際父が観ていたかどうか判りません。 きっと父は怒り狂っていると思います。今更悔やんでも父は帰って来ませんし、私の「ゴメンね」の声も届きません。凄く苦しいです。自分が情けなく、申し訳ないです。 この気持ちを、どう整理したら良いか判らず、困っています。
否定ばかりで少しでも気に入らなければ家族に当たり散らす母親との付き合い方についてお尋ねします。今は実家暮らしですが、諸々が状況整い次第一人暮らしをする予定です。 今まで自由な選択肢を与えてきたと言いながら、実際には好きな物や興味の対象は悉く否定されてきました。直接的に否定することもあれば、気に入らない旨示唆しこちらの意欲を削いできます。話さなければいいのですが、嬉しかったことや悩み等伝えたくなりつい話してしまいます。不機嫌になった母は当たり散らす際、嬉しかったことにはケチをつけて水を差し、悩みや悲しかったことは嬉々として攻撃材料にしてきます。こちらが正論を言えば物を投げ壊し、私が嫌なことや気にしていることをニヤニヤしながら叫び、話になりません。威嚇するかのように嫌な態度を取り続け、悉く不快な気持ちにさせてきます。物にも気持ちがあると聞きますが、これらの全ての行いを天から見ていて神様はちゃんと罰を与えるのでしょうか。 最近は部屋に篭る等して物理的距離をとっていますが、存在を感じる度に動悸と吐き気がします。父親に相談したことがありますが、事なかれ主義のため全く頼りにならず最早相談することさえ諦めました。 長年攻撃の対象は私だけでなく父にも及び、朗らかで楽しい雰囲気になったことはほぼありません。父親の悪口や自身の不幸を長々愚痴られ、少しでも正論を言うと狂ったように叫ばれてきました。 こんな人に自分の大事な人生を邪魔されたくないので、心の中で存在を消して嫌な気持ちに支配されないよう努力していますが、精神的にきつくしんどいです。自分の人生を憎い人に支配されるのも癪で、自分の幸せのために時間を使いたいと思っているのについ憎しみでいっぱいになってしまいます。不幸を願っても潜在意識的にはこちらに跳ね返るとの話を聞き、やめようとしましたが、なぜこれだけ嫌な思いをさせられておきながらこちらが更に不幸な目に遭うのか理解できません。このように周りの人を攻撃し、不快にして苦しめた人は死後嫌な思いをしてくれるのでしょうか。 幸い私には外の世界で友達も大事な人もいます。母親を可哀想な人と思って内心蔑んでも不快な思いをさせてくる母親を心の中で消すことはなかなか難しいです。 もうどのように対処したらいいのか分からず限界です。心の持ちようや考えの転換の仕方をお教え下さい。助けて下さい。