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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 余命 」
検索結果: 323件

愛猫とのお別れ

初めてご相談させて頂きます。 先日、14年一緒だった最愛の猫を看取りました。 1月に具合が悪そうにしていたので病院に駆け込んだ所 末期の腎臓病と診断されました。 獣医さんからは、 もって2.3日、頑張って1カ月と 診断されました。 治療するよりも、自宅でゆっくりと過ごすか、安楽死の二択だと診断され 家族みんなで相談し合い、自宅療養を選びました。 それからは、 病気の事、これからどう体調の変化があるのか、どの様に過ごさせればベストなのか、最後はどうすれば良いのかと、獣医さんや人に聞いたり相談したり調べたり沢山しました。 変な話し、終活じゃないですが ペット霊園にも話を聞きに行きました。 しかし、お別れの時は来てしまいました。 余命宣告を受けてから、きっちり3カ月目の4月16日、夜中の2時半前 最愛の猫は、号泣する家族みんなに見守られ、沢山声を掛けて名前を呼んで、沢山撫でてもらいながら旅立ちました。 眠る様にとはいきませんでしたが 穏やかに旅立って行ったと思います。 そこからは、散々調べ尽くしたお陰なのか エンジェルケアも、思ったより手際良く済ませ 朝には、お花を買いに行きました。 ペット霊園にも電話をし、 自分で運転し、最後に一緒にドライブしているかの様な気持ちで向かいました。 霊園に到着したら、 お経もあげて頂き、火葬用の炉の中に綺麗に入れてもらい、一緒に持っていった、おもちゃやご飯等を、涙が止まらなく鼻水を垂らしている私に入れさせてくれました。 分骨を希望していたので 数時間後、再度伺うと 遺骨が綺麗に並べてありました。 その姿をみた瞬間 あぁ… 全部終わっちゃったんだなぁ… と、妙に冷静になってました。 自分の性格上 きっと、寂しくて悲しくて 泣いて泣いて仕方ない位に落ち込むと思っていました。 ですが、家族や親友が、後から酷く落ち込むのではないかと心配するくらい落ち着いているんです。 確かに、思い出しては涙も出ます。寂しいし、姿を探してもしまいます。 初めて看取る経験をしたのに 私の心が、おかしいのでしょうか?薄情なのでしょうか?? 周りが言う様に、後から酷く落ち込むのでしょうか?? この様な経験が無いので 何か、お答えやアドバイス頂けると幸いです。

有り難し有り難し 28
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2022/11/04

進路について

大学一年生です。 現在、カウンセラーになるために心理学部に在籍していますが、進路を変えようかと迷っています。 幼少期から今まで辛いことが沢山あって、ずっと耐えて苦しんで生きてきました。(詳しくはプロフィール欄を見て下さい) 環境から身につけてしまった自分を追い詰め辛い方向に持っていく考え方の影響で、苦しみが増えたりずいぶん楽しい機会を逃してしまったと思います。 高校三年生の時、ついに今までのストレスが決壊し、重い精神病を発症しました。その時出会ったカウンセラーさんが随分私の心の整理を手伝ってくれて、私はそのことがきっかけでカウンセラーに憧れるようになり、進路を決めるのに少しの時間しかなかったこともあり、心理学部に決め、無事大学の心理学部に合格しました。 大学に通い始めた頃、我慢して耐えて頑張って心理の勉強をしていました。私のように心に沢山の問題を抱えた状態だと、心に向き合う心理学の勉強をすると、自然と自分の心を追い詰めることになります。でもその時は、自分が凄く辛くて苦しくてもこんな大変な状況を克服して自分が立派な心理士になれば、誰かの力になれる、それが私の人生の唯一の正しい道だと思い込んでいたのです。美化していました。 私は最近、薬のショックで死にかけたり、余命5年の大病であると誤診されたりすることがあり、自分の人生を振り返り生き方について真剣に沢山考えました。 このままでは死んだとき辛い思い出しか残らない、思い残しばかりになってしまう。そんな危機感がします。 心理職は、普通の仕事に就くよりもずっと自他の心に向き合い続けなくてはならない仕事です。心理職に就けば自分の幼少期にも向き合い続けなくてはならないでしょう。私は凡人です。心に向き合うのが苦しいのに、どうしてその仕事に就くのか?自分が辛くて苦しくてどうしてその状態で誰かの力になれるでしょうか 私はもう随分回復して、心理の勉強をしなければ鬱でもありません。 私は自分が幸せになれる進路に進みたいと思うようになりました。 人生を幸せに生きたい。もう苦しむのやめよう。わざわざ自分が苦しむ方向へ行く必要なんてない。 アドバイスや、意見をお聞かせ下さい。

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彼を諦めて、一人で育てるしかないのか

妊娠6ヶ月、授かり婚です。 彼とは昨年6月から交際し12月に妊娠発覚。一緒になろうと言ってくれた彼。 3月に入籍すると決め、両親に報告、承諾を得て順調に話が進んでいました。 しかし3月1日、入籍しようとしたところ、彼のお義母さんが、結婚は待ってくれ、子供は諦めろと急に言われてしまいました。 理由は昨年7月にスキルス胃がんが発覚し、余命1年と言われた(私も彼も知っていました)から、それまで待ってほしい。 待てないなら縁を切る、と言われました。 私は同棲もしていなく、一人暮らしのため、つわり期間は1人で乗り切り、これから楽しい妊婦生活、そして赤ちゃんに会えるのを待っていたため、納得はできません。 私の両親も不信感を抱いています。 彼は結婚したい、子供と一緒にいたい、でも許してもらえないなら結婚はできないと。 1ヶ月このやりとりをして、やっと4月の頭には籍を入れようと言ってくれました。それなのに、なかなか籍を入れてもらえません。 仕事も退職したため、保険証がなく困ってると伝えても、わかったからと。 彼を支えてあげたい気持ちもありますが、はっきりしてほしい気持ちが強くなってしまいます。 お義母さんの事を思うと、私は彼との結婚を諦めるしかないのでしょうか

有り難し有り難し 24
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父を亡くしてどうしたらいいかわかりません

父が2週間程前に癌で亡くなりました。享年70歳でした。1年7か月の闘病でした。最後は肺に転移してしまい発作ばかりで苦しい上にせん妄も起き、話が通じているのか通じていないのかわからない状態でした。 最初の1年くらいは胃を切除し抗がん剤をして、普通の生活を送れましたが、やがて抗がん剤が効かなくなり食べ物を食べては吐くの7か月になってしまいました。余命宣告を一切父にはしてこなかったのですが、自分の体調と私達の様子で自分の命は残り僅かだと気が付いていたとは思います。 亡くなる1週間くらい前に病室で父がボソッともう少し生きてーなーと言ってきました。それから発作が起きたときは、私に殺せと言ってきて、お前は生きるからいいじゃんと言われました。はっきりと本人から俺は残り僅かなの?とか聞かれたことは一切なかったんですが、本当は余命宣告されたとき本人に告知しておけば悔いない人生を送れたんじゃないかと後悔しています。 2週間経つ今まで悲しいはずなんですが、あまり悲しみがなかったのに、今となり毎晩夢に出てきたり、悲しくなってきました。なんでも直してくれたり、家の物を作ってくれたりする父にもう何も頼めないのかとかちょっと天然な父にはもう笑わせてもらえないのかとか考えれば考える程つらいです。時間が解決してくれるのを待っていては、身が持たないような気がしてきてしまいました。 人間と言うものは寿命が決まっているのでしょうか?私はこれからどういう気持ちで生きていけばいいか整理がつきません。悲しみを乗り越えるためには、どう考え生きていけばいいでしょうか?

有り難し有り難し 5
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今 向き合うべき事がわからない

現在実家の母が末期がん、余命はあと数日と言われています。 私は遠方に住んでいますが母のがんが発覚して、できるだけ顔を見せるようにしてきました。先日母から「自分の家庭があるのに頻繁に来るな、まだ母親が必要な子供が家で待ってるだろう。来られるとその事を考えて心配で神経が高ぶる。やめてほしい。」と強く叱られました。 母の心配する気持ちを受け止めましたが、自分が辛い時にも娘の事を思ってくれる母を思うと胸が張り裂けそうでした。 それからも実家には行きますが母の部屋には入らず(母はベッドから動けません)、介護は姉が、私は家事を手伝う位です。 母は私が来ていることを知りません。 宣告はしていませんが、あまりにも身体が辛いので母は自分の命の期限に気がついていると思います。 ただ私が行く事でもっと母を辛くさせてしまうけれど、もういつ逝ってしまうかわからない母に会っておきたい気持ちと、とはいえ、日々衰弱していく母を見るのは辛いのも確かです。 あと、未婚で実家に同居している姉が心の病があり、思い通りに行かないと家族に暴言を吐く、などしてきました。その拠り所であった母の死を恐れながら、懺悔するかのように今は献身的に介護しています。 その姉から、とにかく夜一人で母の死を想像するのが怖いから、実家にいてと言われています。姉がいっぱいいっぱいになり爆発するのも私は恐れています。自分の家に中々帰れません。でも母の顔は見れません。 今私がやるべき事は、一体何なのか。 自分の考えだけでは行動できず、私自身も意思を貫く事ができない弱い人間である事を目の当たりにするだけの毎日です。

有り難し有り難し 22
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無念さが時折邪魔をします … 。

余命宣告1年が 半年過ぎました。 仕事にケジメをつけ 退職し 自宅は介護ベッドと最低限必要なもの以外はすべて処分し 実家と病院の出入りで生活と治療を続けています。 老後にと貯めていた貯金で 両親の自家用車を購入し  実家の台所を全リフォームし  自分と息子の墓石 両親の墓石  そして  お寺で両親の戒名と私の葬儀のお願いを聴いていただき 余命1年の会計と財産分与をすませ 日々は 病院での治療日誌を毎日詳しく書きしたため 抗がん剤治療が出来なくなったあとの ホスピスも手配ができたところです。 優しい息子 看病してくれる両親には ただ ただ感謝しかなく 自分のできる範囲で余命生活を 共にしています。 病院関係では 主治医 緩和Dr看護師 整体 薬剤師 みなさんによくしてもらい 落ち着いて治療 療養できていますが ガンの痛みと副作用は  容赦なく襲ってきて 毅然に生きていると思っていても 一人涙が溢れたり  どうしようもない無念さに 心が折れそうになります。 特に 発見前 今の主治医に 「ガンではないか!」と ひつこく受診し 薬服用しても効果ないと通院していたにも かかわらず 大病院で受診したら 膵臓ガンだとわかった経緯は どうしても許せなかった…のですが 大病院は遠方なので やむを得ず ガンをみつけれなかった今の病院で 治療をすることになっているので 毎日 思わない日はありません ・・・速く見つかっていれば 手術できたり 治ったり 余命1年ってことはなかった・・・ と そのキモチを収めるために 朝晩お経を唱え写経したりするのですが 痛さとの戦いのよぅです 医療麻薬のせいにはしたくはありません この先 痛みと無念さに負けず 心穏やかに 自分らしく生きたい そのためには どんな心積もりでいるべきでしょうか お知らせ下さい

有り難し有り難し 13
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初めて身内の死を経験してから

3年半前、祖母は余命2~3ヶ月の末期癌と診断されました。 ですがよい病院に巡り会え、度々余命宣告されても、家での治療を続け元気な姿を見せてくれました。 その祖母も、春に余命2週間を宣告され、そのとおりに亡くなりました。 亡くなる数日前までは酸素も回復し、本人も「みんなでお花見しよう」「退院したら○○へ夕飯行こう」なんて楽しそうに話していて。 突然危篤状態になり、次の日にという流れでした。 私はこの3年間延命してる姿を見て「こんな笑ってる人が死ぬわけない」と思い込み、祖母に優しくできなかったことをとても後悔しています。 仕事を理由に何度も誘いを断り、私が口ベタなこともあり話のキャッチボールが少なかったり。 まともな思い出も去年秋の旅行と、亡くなる前の誕生日会くらいです。 亡くなって2ヶ月半経ちますが、かなりの頻度で夢に出てきます。 街中で同年代のお年寄りを見かけるだけで悲しくなります。祖母の願いであった私の結婚報告も、式の参列へも、叶えられなかったことを考え泣いてしまいます。 亡くなる数時間前、駆けつけた私を見て涙目で手を握ってくれました。 必死に抱きしめようとしてくれましたが、医療器具やベッドの柵が邪魔で出来なかった悲しみや、死の直前まで生きたいと願っていた祖母の姿が頭から抜けません。 死の悲しみは誰もが通る道だとは分かっていましたが、、 どうすれば前向きに生きられるでしょうか。

有り難し有り難し 15
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2025/04/26

心の整理がつかないです

今までずっと健康体だった親友が去年の8月に 急性白血病と診断され昨日余命2カ月と言われたと聞かされました 先月は退院出来るかもしれないと聞かされていたので尚更辛いです 親友とは小1からの付き合いで 私の誕生日が7月で誕生日を祝って貰い それから1か月後に親友は入院して今に至ります 今年でお互いに40歳になる節目の時で 親の事を気にしながらお互いにまた仲良く過ごして 頑張ろうと誓い合ったのが最後です 私自身去年の4月に父を癌で亡くして 今年は親友を失うと思うと気持ちが辛くてしょうがないです 正直父を失った時より気持ちは落ち込んでます 父は不摂生が原因で癌になったのと思ってるので 仕方がないと思いますが親友は酒や煙草 夜遊びなどもしなくて真面目な人間です 世の中には詐欺や平気でパワハラなどする人が 健康で生きていて何故親友がと思ってる位です 歩いてるだけで車で轢かれたり刺されたりする人も いますので運命って本当に分からないものと思ってます 母の前では気丈に振舞ってますが 親友の事を想うと泣けてきて風呂場や 就寝時の時にだけ泣くように心掛けています 本当は親友が亡くなったら俺も後を追いたいぐらいです だけどこんな駄目な自分でも母は私を必要と言ってくれるので 母の為に頑張って生きなきゃと思いますし 私が先に亡くなったら亡き父にあの世で殴られると思ってます 自分が傷つく分には努力が足らないから仕方がないと耐えたり 割り切れますが大切な人が傷つくのは心が耐えられません 相談内容と言いますか心が苦しかったので 長文な文章を書いてしまい大変申し訳なく思っております 心が強ければ悩まなくて済むんですけどね

有り難し有り難し 43
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皆さんの考える最期の迎え方とは

昨年の秋頃に、NHKのドキュメンタリー『ありのままの最期 末期がんの“看取り医師”死までの450日』が放送されました。医師で僧侶の田中雅博さんが、末期がんとなり亡くなるまでを記録した番組です。 田中さんは「死ぬのは怖くない。看取った患者から死に方を学んだ。」と語っておられました。 とはいえ、現実には思い通りにはいかないこともあり、言葉を失うくらい壮絶な内容でした。 私にも一応、理想の最期のイメージはありました。誰でもいつかは死ぬのだからじたばたしても仕方ない、自分らしく生き、寿命が来たらそれはそれで受け入れるだけだなと。 でも、実際にそれを間近に感じた時には不安だらけ。じたばたしまくり。私はこんなに弱かったのかと愕然としました。 この時は単なる体調不良でしたが、現実は自分が死ぬなんてそんなに簡単に割りきれるものではないことを経験し、分からなくなりました。 「死に行く者の死に方から学べ」と田中さんはおっしゃったそうです。 “人の生き死には思い通りにはいかない。それでも、なるべく冷静に過ごすにはどうすればいいだろう” 今度は慌ててしまわないようにと、以来ずっと考えていますがまだ答えが出ていません。 お坊さんはたくさんの方の最期に向かい合っておられるので、ご自身に関しても既にイメージがあるのではないかと思います。 例えば病気で余命宣告されたとしたら、暫くの間は痛みや不安など心身の変化に耐えることになりますよね。 今回お尋ねしたいのは「最期の、耐えて待つ生き方」です。どのような心境で、どのように過ごしながらその時を迎えようと思いますか? お坊さんとして、でもいいですし、一個人としての思いがあれば教えていただきたいです。参考にします。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 17
回答数回答 2

先日彼氏が亡くなりました。

私は34歳差の彼氏(相手は72歳の方)とお付き合いさせていただいていました。 相手の体の調子がよくなくなったことをきっかけに病院に行くと、すでに末期がんで転移しているとのことでした。 余命一ヶ月と言われました。その時は3月1日です。 しかし私と彼の共通の知人というのがいませんでした。 そして今日(5月9日)になり、既に亡くなってしまったということを知りました。 亡くなったのは一ヶ月まえの4月10日です。 彼と私は愛し合っていました。 ここに行きたかったなぁ、まだ行きたいとこあったなぁと私に話してくれてました。 ならどうして私に連絡くれなかったんだろうて、 すごく感じました。 私は彼が心配で3月半ばまで着信を残していたのに、彼はこちらに連絡をくれませんでした。 それなのに、他の人には少し連絡をとったりしてたみたいです(息するのも苦しいみたいでほんのすこしだったみたいですが。) このままでは、どうして連絡くれなかったの?!という相手がいないためぶつけることのできない責めた思いをいだきながら彼のことを想いそうです。 彼にとって私はそんなに大切ではなかったんでしょうか? 私はこの複雑な気持ちをどうすればいいのでしょうか?

有り難し有り難し 34
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元彼が1年前に亡くなりました

3つ年上の彼氏と付き合って2年で「別れてほしい」と言われ、好きだったのですが仕方なく別れました。 その時彼は余命宣告をされていたのですが、私は何も知りませんでした。 彼が病気でもうダメかもしれないと友人に聞かされ、彼に会いに行った時に彼に「別れてからも好きだった。でもこれからは新しい人と仲良くしてね」といわれ、心が激しく動揺しました。 その後、彼はすぐに亡くなり、私は精神的に不安定になってしまいました。 それから一年が経ち気持ちの整理がついたと思っていたのですが、命日が近づくととても苦しくなって突然泣いたりしてしまいます。 これから好きな人をつくって付き合ったりしたいし、結婚だってしたいです。 でも人と付き合うことを意識した瞬間に、元彼に申し訳なく思ってしまいます。また、お付き合いする人に対して失礼なのではないかと思ってしまいます。 そして、彼の病気をしり現在医療職を目指しています。しかし、彼と同じような患者さんと出会った際に自分が動揺してしまうのではないかとものすごく不安です。 これから新しい人と付き合うため、また医療職として病気の方と接するため、彼を思う気持ちを忘れた方がいいのでしょうか?

有り難し有り難し 32
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祖父の死、後悔が尽きません

癌の余命宣告を受けていた祖父が旅立ちました。宣告されていた余命よりも長く頑張りました。 幸いにも、亡くなる1週間ほど前までは元気で、薬は飲んでいたものの、入院することもなく、亡くなる前日まで散歩をしたりしていました。 私は祖父と同居していたこともあり、おじいちゃんっ子でした。 海外に住んでいるため、コロナ禍ということもあり、祖父が亡くなるまで一度も日本に帰り会うことはできませんでした。 そのため、毎日祖父にビデオ電話をかけて、お喋りすることにして、連絡を取り合っていました。でも、毎日と決めていたのにも関わらず、3日間連絡が空いてしまうことや、祖父の話をちゃんと聞いていなかったときもあったなあ…もっといろいろ聞いて、もっと闘病中の祖父を労ってあげればよかった、という後悔で押しつぶされそうです。闘病中でしたが、ご飯もよく食べ、散歩もし、元気だったため、その姿に甘えて、寄り添ってあげれてなかったのではないか…実は苦しかったのにそれを見せなかっただけだったのか…考え出すと苦しくて涙が止まりません。人間未熟な自分が嫌になります。 まとまりのない文章で申し訳ございません、いまの素直な感情を書かせていただきました。私もいつか祖父のいる場所に行く時が来たら、また会えると信じています。また会いたいです。

有り難し有り難し 5
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