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hasunoha 問答検索結果 : 「 お経 」
検索結果: 3007件
2025/07/31

娘が自死しました。

数年前娘が自死しました。 まだ21歳でした。 本当に突然のことで原因も分からず最後に私に「ごめん」というラインを残して・・ 携帯を開くこともできないし遺書もない。 親元離れて遠くにいたので何があったのか分からず。 娘の死後、何かわかるのではないかと霊が見えるという占い師さんに娘がなぜ自死を選んだのか見ていただいたり ネットで相談に乗っていただいたりと色々しました。 もちろん満足のいく答えは見つかりません。 スレッズやTwitterで自死を選ぶと成仏できない、暗闇に閉じ込められ永遠に苦しむという書き込みを見つけました。 娘が亡くなってからも苦しんでいると思うと居てもたっても居られず、自死霊を上にあげることのできる霊能者の方とお話しさせていただきました。 もちろんそれなりの金額かかかると言われました。 (相談だけでも数万でした) ただ、私としたら死後の世界とはどのようなものか分かりません。 本当に自死を選ぶと成仏出来ないのでしょうか? 成仏させてあげるにはやはり霊能者の方を頼るしかないのでしょうか? もちろん亡くなってからは法事でお経は上げてもらっています。 色々な事情で身内数人に自死ということは隠しておりお坊様は自死の事実は知りません。

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『お坊さんとは一体なんなのでしょうか?』

こんにちは(=゚ω゚=) 長年漠然と解決しないものがあり、単刀直入に質問をさせて頂きますm(__)m 『お坊さんとは一体なんなのでしょうか?』 職業としてあるが、お医者さんとは違い体に触れて治療はしない。 話によると事業者の税金は非課税。国民でない? いろいろ人生の相談にのってくれるが、近所の年長者とも違う。 悪い行いをしては善くないと諭すが、もちろん警察ではない。 いろいろ知っているが、哲学者などとも異なる。 誰にでも分け隔てなく門戸を開いている。 毎日毎日、修行やお経を上げているが、相撲のように、儀式や観戦のようにお客を湧かすわけでもない。 法律にある、『個人の思想の自由』を良い形で具現化し続けているもの? となると要は『宗教』なんでしょうが、究極の自己満足の生き方?それとも、やはり修行を死ぬ(一般的な意味で100歳の肉体)までやりたいマゾヒスト? もし、ある一定の地域(日本として)の全員が仏教をしたならば、そこの人々は桃源郷になるのでしょうか?ロボットを創る人も、パイロットも、芸能人も、ウェイトレスもいなくなるので、生活が戦国時代ぐらいになるイメージですが。 でも、そうなると、助ける人がいなくなると、お坊さんはすることがなくなる? 思い付くままに箇条書きにしていますので、僕の偏見や間違いもあるかと思います。すみません。m(__)m 大変失礼と思いましたが、ずっともやもやしていたので知りたいです(。-人-。) よろしくお願い致します(^-^)

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お釈迦さまが自殺をとめられた話について

インターネットをみていたら、以下のような お釈迦さまが自殺をとめられた話がありました。 とても分かりやすいのですが、 これは、何というお経に出ているのか教えて頂けないでしょうか。 ある時お釈迦さまは托鉢中、 大きな橋の上で辺りをはばかりながら一人の娘が、 しきりと袂(たもと)へ石を入れているのをごらんになられました。 自殺の準備に違いない、と知られたお釈迦さまは、 早速近寄られ、優しくその事情を尋ねられると、 相手がお釈迦さまと分かった娘は、 心を開いてこう打ち明けました。 「お恥ずかしいことですが、ある人を愛しましたが、 今は捨てられてしまいました。 世間の目は冷たく、おなかの子の将来などを考えますと、 死んだほうがどんなにましだろうと苦しみます、。。 どうかこのまま死なせてくださいませ」 と娘は、よよと泣き崩れました。 その時お釈迦さまは哀れに思われ、 こう諭されています。 「愚かなそなたには、譬をもって教えよう。 ある所に、毎日、重荷を積んだ車を、 朝から晩まで引かねばならぬ牛がいたのだ。 つくづくその牛は思った。 なぜオレは毎日こんなに苦しまねばならぬのか、 自分を苦しめているものは一体何なのか、と考えた。 そうだ!この車さえなければオレは苦しまなくてもよいのだと、 牛は車を壊すことを決意した。 ある日、猛然と走って、車を大きな石に打ち当てて、 木っ端微塵に壊してしまったのだ。 ところが飼い主は、こんな乱暴な牛には、 頑丈な車でなければまた壊されると、 やがて鋼鉄製の車を造ってきた。 それは壊した車の何十倍、何百倍の重さだった。 その車で重荷を同じように毎日引かせられ、 以前の何百倍、何千倍苦しむようになった牛は、 深く後悔したが後の祭りであった。 牛がちょうど、この車さえ壊せば苦しまなくてもよいと 思ったのと同じように、 そなたは、この肉体さえ壊せば楽になれると思っているのだろう。 そなたには分からないだろうが、 死ねばもっと苦しい世界へ飛び込まねばならないのだ。 その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも恐ろしい苦しみなのだよ」

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2023/07/28

経典、宗派、教えから名付け

9月末に第二子を嫁が出産予定で長男の時は追々は一人娘の嫁の家系を継いで貰う為に嫁の家系の遠い先祖から一字を頂いて名付けしました。 第二子は私の家にちなんだ名付けをしたいと思い名付けを考えていたのですが 自分の家の家系図は祖父までしか追えず近くから名付けは代々受け継いでいるのと違い縁起が悪いと本やサイトで前に知っていたので嫌だという気持ちで 家系からの名前ではなくな私自身、色々な宗教の中から仏教を信じているので仏教の経典、教えや宗派を問わず宗祖、高僧の言葉から良い字を頂きたいと思い 自分の菩提寺が浄土宗なのでまずは浄土三部経の現代語訳を読み名付けを考え読み終えて良い言葉、字などありましたが素人が経典の真の意味や伝えたい事が飲み込めているかも不安ですし。 一応は菩提寺の浄土宗を信じていますが宗派問わず仏教全体を信じているので 名付けでも引き続き、法華経、大日経、金剛頂経などの現代語訳を読んで良い言葉や字、教え、本で宗祖のことばを調べ続けていきたいのですが 私自身、仏教系大学の知り合いがいなく菩提寺の住職が他県の住職になってしまいその息子さんが住職をしているので関係が薄く聞きに行きづらく それとここで宗派を問わず経典で一番大切にしている言葉や字、 大学や先代住職、師からの教えでその宗派で大切にしている仏の言葉、教典の言葉を色々とご教授頂けたらと思い質問をさせて頂きました。 お坊さんも十人十色などで同じ宗派でも違う言葉、教えを大切に思っていると思いますので色々と教えて頂きたいです。 宜しくお願い致します。

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亡くなった母親の希望を叶えたい

長文失礼します。 先月21日に一緒に住んでいた最愛の母親が浴室で亡くなりました。昨年難病になり今年3月再発し、4月に入院の件で喧嘩しながら再入院、翌5月に退院し一週間後に亡くなりました。 直前迄元気だったそうですが、前日身体が動かない、治療が悪い、こんな苦しい治療を選択させたのは貴女達(嫁に行った姉がます)のせいだ。と言われました。亡くなった当日病院に行く予定でしたので、後悔と苦しさで毎日泣いてます 49日はまだですが、葬式後姉夫婦がお経をあげてくれたお寺に行き、永代供養等話聞いてくれました。実は墓守は私限りで、今年お彼岸の際、父親が介護保険施設に入所中見舞いの帰り、母親とお墓の話をしてました。母親は『決してお墓の土地は売るな、一度は入れろ、墓守は甥や姪にさせろ』と言ってました。 私は現実的では無い、と言いそれきりになってしまいました。 購入した墓の土地近くには叔母の同じく購入した墓の土地が有り、私がお参りしなくても、叔母やその家族がお参りしてくれるだろう、との考えだったようです。 生前話してました。 母親の生まれ育った土地柄そういう習慣でした。 姉が相談したお寺の住職様曰く、墓を建てるにも墓仕舞いもお金がかかる、考えてくれ。行事がある度遠い墓より、近くのお寺に永代供養した方が手を合わせられる。と言われたそうです。 そのお寺では永代供養とはお骨を皆と一緒にして、供養塔に納骨し、他の人と一緒に毎日祈ってくれるそうです。また、 納骨も納骨堂が有るそうですが、吹き曝しのお堂らしいです。かなり古い骨壺もあったそうです。 因みにそのお寺と当家族とは縁もゆかりもなく、たまたま母親の実家と父親の実家の宗派が同じだった事から葬式会社が頼み、お経を上げて頂きました。 49日も終わらず、また、私自身母親の死を受け入れておらず苦しい毎日です。 最後の母親の希望を叶えつつ、どうしたらいいのか教えて頂ければと思ってます。

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仏様を欺くという事

・三帰礼文(今、人として生まれたことに感謝し、仏、法、僧の三つの宝を敬い、拠り所にして生きます) ・十善戒(正しい行い、正しい言葉、正しい心を保つ事を誓います。) ・発菩提心真言(私は今、悟りを求むる心を起こしましたという真言。オンボウチシッタボダハダヤミ) これらの経や真言を「全くその気がない者」がするとどうなりますか?例えば… 私の声「オンボウチシッタボダハダヤミ…」 私の心の声(別に悟りに興味ないし…単にこの真言を唱えたいだけだ) 私の声「三帰礼文~!~自ら仏に帰依し奉る。まさに願わくは衆生と共に~…」 私の心の声「仏様は大好きだけど帰依とかそんな重たい誓願なんてしたくないよ…しかも衆生と共になんて!衆生の事なんてどうでもいい!自分や家族さえ良ければそれで良いんだよ!」 このように私が経や真言をする時はなんとなく仏様を近くに感じたい時、落ち着きたい時などに座禅を組み合掌(印母)を結びながらやってます。 単に仏教の教えにあまり興味なく仏様が大好きなだけなんです。 でも一つ言い訳させてもらいますが、私は決して仏教や仏様を茶化したり、品位を下げたりする気など無いんです。 単に「戒律を守れない、守る気すら失せた」「衆生がどうなろうが私の知ったことじゃない」「自分や家族さえ幸せならそれで良い」というだけなんです。 ただ「疑城胎宮」の境地から抜け出す気なども失せて「もうこのまま疑城胎宮の中でまったりするのも良いか…」というだけなんです。 【しかし声に出してソレらを唱える以上、それは一つの約束、仏様と交わす誓いになりますよね?その誓願を初めから守る気など無くアッサリ誓いを立てては破り続ける…】 このように仏様を欺き続ける私を、カタチだけの“仏教ごっこ”を楽しむ私を仏様はどう思うのでしょう…また実際に本物のお坊さんが私を見たらどう思いますか? 私はハッキリとモノを言われないと分からないバカなのでよろしくお願いします。 ちなみにこれらの事はあくまで「私独り」の中で完結させているので、決して周りに仏教を語ったりなどはしていませんのでそこはご安心を。

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十善戒の教えは、守りやすい順番に並んでいるのですか?

はじめまして、お忙しい中恐縮ですが、気になることを質問をさせていただきます。 私は読書ブログで本を紹介させていただいたり、本の内容を暮らしの中で活用したお話を書いています。 仏教の本は、暮らしの中で自分も相手も気持ちよく暮らせる取り組みが多く、よく紹介させていただいております。 先日取り上げた本には、十善戒について書かれた内容があり、暮らしの中でできているかを当てはめてみました(心に思っただけのことも入れて自信を持ってできる!といえるコトは1つだけですが…) 本では十善戒を、①殺生しない、②盗まない、③性において淫らな行為をしない、④嘘をつかない、⑤意味のない流行り言葉を使わない、⑥悪口をいわない、⑦二枚舌を使わない、⑧貪らない、⑨愚痴らない、怨みや妬み羨み怒りの心を持たない、⑩愚かな考えをおこさない、と紹介されていました。 実際に暮らしに当てはめてみると、「暮らしに合わせて3つに分けられるのでは?」と思えてきました。 ①〜④までの教えは、最低限、「生きていく」のに守らなければならない決まり。 ⑤〜⑦は、家族と仲良く暮らしたり、地域や会社でトラブルを減らす「社会で暮らす」のに欠かせないこと。 ⑧〜⑩は、自分の心の中の出来事でもあるので「幸せを感じる」のに必要なこと。 ちょうど順番通りになっていたので、もしかしたら元になったお経でも「こうなっているのかな?」、まとめていてふと思えてきました。 十善戒の中で「生きていく」ための決まりは守りやすく、後半の「幸せを感じる」のに必要なことはとても難しいと感じます。 教えの元になったお経では、順番によって守りやすさはあるのでしょうか? 解説書などでは、何かしらの分け方があるのでしょうか? 専門家のお坊さまに、お時間のあるときで構いませんので教えていただきたく思います。 緊迫する悩み事ではありませんので、本当にお時間のあるときで構いません。

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カッとなって怒鳴る夫について

すぐカッとなって大声で怒鳴り、怒りを抑えられない夫。普段 比較的大人しくて 気に障る事があると噴火のごとく怒鳴る。その対象が自分ならまだ 自分で決めた結婚なので 諦めもつきます。 娘は以前は子どもでしたから ただ泣くだけでしたけど 成長して 理不尽だと思ったりすれば 言い返すようになりました。そんな娘に対しても怒りを抑えられません。脅し怒鳴ります。確かに口が達者になって 母としてもイラッとくる事もあります。 でも、母親の私が言うのも何ですが 本当にいい子なので、落ち着いて話せばわかる子です。 夫は本当に精神年齢が幼く 自分が一番大事。3・4歳児と同じレベル。だけど、体格は大きく力もあり、威張りまくる。 こういう場合、表面的でも良いから、上手くおだてて 大事にしてあげれば良いという意見もあるでしょう。わかっています。 でも、私もお休みなく仕事してヘトヘトな毎日。気力も体力もいっぱいいっぱいです。夫は週末の休みにはテレビの前から動かず、もしくは 飲みに行ったり趣味で出かけたり。家事は分担どころか、私が仕事で出かけている間に自分が食べた食 器さえ 洗いません。 一日中テレビの前でゴロゴロしている姿、そして気に食わなければ怒鳴りまくる。そんな夫をおだててご機嫌取るなんて ヘトヘトになって帰ってきて 出来ません。 書ききれない程、たくさんの辛い事がありましたし、自分なりに頑張ってきましたが 夫が変わるなんてもう期待してないですしありえないと思います。私には夫はいないし、頼れる存在でも信頼出来る存在でも無い 何の期待もしてないです。むしろ うちの中にこれだけ嫌な人がいると 社会的に関わる全ての人がいい人に見えてきます。周りの人々には恵まれているおかげで何とかここまでやってこれました。本当に感謝です。 でも、娘に危害が及ぶのだけは耐えられません。 何か 良いご助言頂けると有難いです。 心が穏やかになるお経などあれば 夫の枕カバーに入れたりとか藁にもすがりたい気持ちです。(でもお経を頭の下にするなんて罰当たりですよね。) 思いのたけを書きまくったら少し気持ちが整理出来ました。お忙しい中読んで頂き有難うございました。

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今後の人生に光を見出す方法を教えてください。

私は就職活動に失敗したため、来春から実家の寺で尼として勤める予定です。そのこと自体はいいのです。「大企業に勤めて東京や大阪という都会で生きてみたかった」「友人の多くはそういったところで働いていてうらやましい」というような思いはありますが、そこは自分の理想の高さ、プライドの高さが招いた結果であり、大企業に入れたとしても数年後には寺に帰らねばならなかったので我慢できます。しかし、不安で苦しくて仕方ないのはこれからの人生です。今付き合っている人は東京で就職します。転勤の多い職種です。もちろん、寺があるのでついていくことはできません。なので、退職まで単身赴任か、お別れかということになってきます。お別れの場合、私は新しいお婿さんを探さなくてはなりません。ただでさえ、寺に来てくれるお婿さんを探すだけでも大変なのに、私には知的障害の兄がいます。もちろん家族なので兄のことは好きです。しかし、寺に来てくれ、更に私の家族までも受け入れてくれる人はいるのでしょうか。苦しくて苦しくて仕方ないのです。就職や結婚、今ある現実や思い描く未来を考えれば考えるほど苦しいです。また、住職となるには教師資格もいります。そのためにはいくつか方法がありますが、一番簡単なのは別科に行くことだとわかっています。しかし、別科に行く=少し程度の低い大学の敷地に踏み込まなければならないという醜い醜い考えに至ってしまうのです。世間体が良い大学だけが人の全てではないということは重々承知ですし、ましてや今自分が日本一の大学に通っているわけでもない、上の下のような大学に通っている身分でこんな考えを持ってしまう自分が嫌になります。こんな考えを持つ自分が尼になり、檀家の方々に慕われるとも思えません。昔に得度をしただけでろくにお経も読めず、また、女なのでお経を読む声に重みがなく「住職の声はいい声だ」という檀家の方も多いので、自分のせいで檀家離れや収入の減少があると申し訳ないと思います。これからの時代、宗教離れの加速もあり、食べていけるのかと心配です。自分の考えの醜さ、プライドの高さにもとことん嫌になります。どうしたら今後の人生に光を見出すことができますか。

有り難し有り難し 20
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2025/09/17

家族とは

2年前に夫と夫の家族の不注意で、四男が交通事故で亡くなりました。亡くなってから、夫と夫の家族から1度も謝罪はありませんが、夫を責めたら息子が可哀想と思い黙ってしばらく我慢していました。夫は息子が自分のせいで亡くなったのに、1度も仏壇屋に手を合わせる事もなく、お経やお線香も上げません。私が毎日お経を読んでいても、後ろで寝転がってスマホをしています。夫は毎日元気を振り絞って仕事に行く訳でもなく、三男が朝ぐずれば、俺の仕事の邪魔をするな死ねと言ったり、仕事が終わっても会社で23時ごろまで誰かと話したり、元気いっぱい楽しそうに毎日暮らしています。長男が弟が亡くなり不登校になっても、一言も声をかけません。私は夫の言動で、重度の鬱病になり働くどころか家事さえまともに出来ませんが、夫が家事や子育てを手伝ってくれる事はなく、1人で子供達の為に頑張っています。 夫の家族からも、謝罪はなく四男が亡くなったけど、しょうがないと言われ、一周忌にも御仏前はなしでいいよねと言われて、本当に四男が可哀想に思えて泣けてしまいます。 夫に、夫のせいで鬱病になり家事も子育ても大変といっても、仕事があるから子供達も家事もやれないと言われ、私も誰も頼る人が居ないので、1人で頑張って毎日をなんとか過ごしていますが、このまま身体を壊してまで、この人達と家族でいる必要はあるんでしょうか。私はなんの試練があって、この人達と家族でいないといけないんでしょうか。夫に何を話しても、だから何て人です。私はどうしたら、良いでしょうか。

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モヤモヤして不安な気持ちでいっぱいです

まず、お坊さまへは何度も家の事情を聞いていただきその度に丁寧なご回答をいただき感謝しています。 どうしてもまたモヤモヤして不安な事が湧いてしまいました。気分転換にヨガをしたり本を読んでみたけれど全く晴れないのでまたこちらで書かせてください。 先月、父が亡くなり、来週法要と納骨になります。亡くなった父が悲しむと思い、49日までは何とか母と揉め事は起こしたくないと努めてきました。 両親は離婚しているため喪主は私ですが、やはり元とはいえ本来ならば妻である母が喪主ですから、父の葬儀の事は全て母の意向に沿うようにしてきました。母の希望でコロナ渦で親戚は呼ばない家族葬で見送りましたし、コロナ渦なので親戚への連絡もすぐにはしたくないと母が言うので私からは連絡しませんでした。結局向こうから連絡があった時に話すことにはなったのですが。 そして、納骨には親戚の方々もみなさん行きたいと言ってくれたのですがコロナが治らないからと母が全て断りました。 それなのに、父に縁もゆかりもない自分が信仰する新興宗教の友人を3人も呼ぶというのです。コロナ渦だから親戚を呼びたくないという意見と矛盾しています。 結局のところ、母は自分と疎遠になっている親戚よりも自分のよく知った友人を呼んで安心したいだけなのです。 父と親戚は生前元気な時は毎年お正月に集まっていた仲でしたので、せっかく行きたいと行ってくれたのに申し訳ない気持ちでいっぱいです。 今さら私からその方々にお断りするということはしませんがその事にずっとモヤモヤしています。 母から7日毎に一緒にお経をあげようと提案されそれも朝早く起きお勤めをし、今朝が最後だったのに、昨日から母は不機嫌で今朝もうお経はあげたからお前はいいと言われ、それもとても残念で悲しいです。 母も歳なので辻褄の合わないことを言う事が多くなっているのは理解しております。こちらが筋の通った事を言ったとしても理解できないで怒り喚き散らし周りに迷惑をかけるだけなので何も言いません。しかし何も言わなければ言わないで母は私は何も出来ない人間だと思っているようです。親戚の若い子にまでうちの子はこれもダメあれもダメと話してるのを聞きまた悲しくなりました。 父の納骨の日までには何とか自分の気持ちを立て直して父を見送ってあげたいのですが、どういった心持ちでいれば良いでしょうか。

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復職を決意しました。

 以前の質問回答も見ていただければ幸いです。  あるテレビ番組(40歳からJリーガーになった人の話)を見て、奮起されるものがあり、復職を決意しました。  とりあえず、頭を丸めて、毎日浄土宗日常勤行式で阿弥陀経をあげています。経本しか買い求めていないので、本尊も鳴り物も三具足もありませんが。鳴り物が欲しいと父に言ったら(アパートなので)「隣の人に迷惑だろう。」とくれませんでした。  あと、休日は三十三観音巡りをしています。隣のおばあちゃんと。隣のおばあちゃんは車を持っているので。  実家で復職の話をしたところ、「檀家に任せているので仕事はない。」「戻るなら、完全に仕事ができるようにならないとダメね。」とのことでした。中途半端に戻すと檀家に「いだんだどれ。(いるじゃないか。)」と言われ潰されるというのです。あまりに檀家の目を気にしすぎで、体面ばかり気にしているのだと思いますが、そこは目をつぶって、就職活動に頑張ります。  ちゃんと就職さえすれば、もし寺からの給料が途絶えても生きていくことはできますし、僧職ではなくてもお坊さんは続けていくことができます。  今週4でパチンコ店の清掃をしています。これから仕事ですが、朝7時から8時半の仕事です。パチンコ台240台とかパチスロ台192台を時間内に拭かなくてはならないので、短時間とはいえ、結構きつい仕事です。しかし、週4働いて月2万弱にしかなりません。  秋になれば、以前していた旅館の朝食の後片付けのバイトが入ってきます。コロナでしばらくお休みでしたが、秋から雇うと若旦那は約束してくれたので。週2ですが、月1万弱にしかなりません。  ただその場合パチンコ店のバイトは週3に減らして、旅館のバイトは週2で働くのが良いように感じています。 双方ともに一般雇用ですが、障害者と分かって雇用してくれていて、特に旅館のバイトは、2か月も休職させてくれました。(その後4月に旅館がコロナで休業してしまい6月に再開するもののそのままになってますが。)  そして、いずれは障害者雇用でフルタイムの仕事を見つけてバイトはやめ、それ一本にし、ある段階で復職かなと思っています。 ある段階とは父の死かなと思っています。父が生きているうちは寺に戻ることはできないと思っています。 何かアドバイスがありましたら、くだされば幸いです。

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師匠との関係

お上人方にご相談です 私自身は、寺の長男一人っ子として生まれで父が実父であり師匠となっています 父は、都会の檀家1000件の大きなお寺の三男として生まれ、修行はどこへも行っていません。人の紹介があって、今のお寺(地方寺院、檀家200件)に婿にきて私が生まれました。 先代(私の祖父)はもう20年前に亡くなり、父が新住職として主導しております。 私は、幼い頃から父とは親子仲はよくなく、高校卒業と共に大本山の小僧として入り、その後、父から「うちにはお前の給与はだせないから、他で勤めなさい」と言われ、昨年末まで都会のお寺で勤めさせて頂きながら、そこのご老僧に配慮を頂き宗門の修行はすべていくことができました。(費用は寺から出なく自費で出だしてきました) 昨年末、勤め先のお寺もご老僧から若上人へ代が変わり私も仕事が無くなり、言わば退職となり、自分の年と両親の年など考え、正月から実家の寺に戻りました。 僧侶となってはじめて、師匠と一つ屋根の下で暮らし始め、いろいろ気づくことが増えてきました。 1、お寺のお金をおよそお寺の活動とはほど遠い趣味の分野としてお金を使っていること 2、お経を法事葬儀以外朝夕のお経などを一切あげない、本堂にすらはいらないこと 3、風俗へ通っていること 4、母への暴言 5、私には仕事はさせないこと(することもないので、自費でゴミ袋と箒を買って掃除をします。それも嫌な顔をされます) 6、給与は月に50000円頂いています(食事は三食寺で頂き、寝るところは幼少の時の部屋があります) お寺には貯蓄はなく、借入金もあるそうです。(総代さん曰く) 親子とは言え、出家した時点で親子でなく子弟であり、僧侶として師匠と弟子との関係は絶対であるという認識でいます。しかし、上記の理由など疑問に思うことが多くここのところ悩んでいます。 師匠の僧侶としてのあり方に異を唱えることは果たしていいことなのか? それとも、黙って反面教師としてでも仕えるということが進みべき道なのか葛藤しています。 ことあるごとに、「だれがここを継いでもいい」と後継はお前で無くともということをちらつかせています。今まで一度も反論したことはありません。 恥ずかしい話し、仲間にも顔を合わせて聞けずにいます。 どうすべきなのでしょうか?

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お寺を変えるのは悪い事でしょうか

祖父が明治に 長野から移転してきてから お世話になっている真宗大谷派のお寺ですが、 当時のご住職からお孫さんへと代も変わり、 色々変わった事もあり、 なんだかんだと寄附を募られても払えないし お寺を変えたいと家族で話しておりました。 先日、伯母が亡くなり、葬儀をお願いしましたが、 もともと、無愛想で月参りの際も、年寄りが話しかけても、返事もせずに帰られる方で、 年寄りも生前、 「あの住職に葬儀は頼みたくない」と申していた程で 色々不誠実に思える事がありました。 一番は、火葬場まで着いて来て下さるはずが 当日の朝急に、行けないから、葬儀場で火葬の前のお経をあげると言われたことでした。 葬儀会社の方に 「火葬場で伯母様だけ、粗末な棺桶だと可哀想でしょ。 花がないと可哀想でしょ。」 といわれgrade upしましたが 一番可哀想だったのが うちだけお寺さんがいなく、お経もなく炉に入れられた事でした。 先日は4日の祖母の月参りを 忘れてたとすっぽかされ 14日の父の月参りに一緒にすると言われ、2回分包みました。 その際に思い切って 他の同じ宗派のお寺に変わりたい旨を 話ましたら 激怒され まともに歩けない老母まで仏間に呼びつけ 火葬場へ行かないのは正しいやり方だ 位牌はどうする 過去帳はどうする 次のお寺に引き続きしないといけないから どこに変わるか名を明かせと 凄い形相で 2時間近く怒鳴られ 大変、恐ろしい思いをしました。 また金曜日に みえるそうですが どうしたらいいか憂鬱です。 葬儀の時に相談に乗って下さった 娘の同級生のお寺に 今後の事はお願いしてあるのですが、 以前にも、その寺から変わってきた檀家さんの事で妨害をうけたから 暫く寺の名前は出さないよう言われてます。 また金曜日にまくしたてられたら 言う通りにしてしまいそうです。 お寺さんを変えるのは そんなにいけない事なのでしょうか?

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お布施について

先月末に父が亡くなりました。 お通夜、葬儀でトラブルが発生しており、悩んでおります。 亡くなった父は80代で祖父の長男にあたります。代々のお墓を祖父から継承しておりました。菩提寺は北関東にあります。代々の菩提寺というわけではありません。 祖父の代の時に、父の腹違いの妹がお寺に嫁ぎ、その時にそれまで代々御世話になっていた菩提寺の檀家から抜けて、お墓を移しました。 父は腹違いとはいえ、妹をとても可愛がっておりましたが、母や私は叔母の言葉の端々に父をバカにしたようなところが見受けられていたことから付き合いが遠くなっておりました。きっかけは祖父が亡くなった時に、その遺産を全て叔母が独り占めしたこともあります。父は面倒はごめんだというなりになりました。父自身が働いて建てた家もあり、きちんと家族を養えるという自負もあったのだと思います。 私はサラリーマンとしてきちんと一つの会社に定年まで勤め上げ、誰にも頼らず、住宅ローンを返済し、子どもを大学まで出してくれた父をとても尊敬しています。 父の妹の嫁ぎ先はお寺として裕福なようであり、外車を何台ももったり、海外にしょっちゅういったりと派手な暮らしをしています。そうできない我が家を哀れむような言動が以前からあり、私は叔母やその家族にお寺はそんなに偉くて特権階級なもののようなものなのかと反発しておりました。(勿論、そんなお寺ばかりではないとは承知しております) 問題は父が亡くなった時、叔母は住職である叔父と副住職である息子(私の従兄弟)に通夜や葬儀のお経をあげてもらうといってきました。そのことには依存はありません。 けれども、お布施をどれほど包んだらいいかと叔母に内々で尋ねたら、本山に納める事務手数料だけを負担してほしいということで80万と言われたのです。金額にとても驚きました。その反応から、叔母達は生活保護の人にはお寺で面倒をみてやるから同じようにして欲しいなら、幾らまでなら出せるのかと聞いてきたんです。 私や母はそれが亡くなった父への大変な侮辱に思えました。お経を断れば、納骨も出来なくなるということを承知で断りましたが、結果、父の妹でありながら、通夜や葬儀に叔母は出席もしませんでした。 此で良かったのかと葬儀から1ヶ月が過ぎようとしていますが心が安まりません。お寺では叔母たちのような反応が当然のものなのでしょうか?お教え下さい。

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2023/05/07

仏教はその目的の実践以外何もない(3)

 城邑(南伝 相応部経典 12.65. 城邑)  前略  その時、世尊はかように仰せられた。  比丘たちよ、わたしは、まだ正覚をえなかった修行者であったころ、このように考えた。(この世間はまったく苦の中に陥っている。生まれては老い衰え、死してはまた再生する。しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない。  まったく、どうしたならばこの老いと死の苦しみを出離することを知ることができようか)と。  後略  (私見)  釈尊の説教にしては珍しく、修行者であった過去の苦労を述懐しています。  輪廻転生は既に先達が確認しているので、終始その出離を模索していたことになります。  生があれば自然の摂理で老病死は免れず、仏教とて救うことは出来ません。  死後は苦が無くなるので、仏教は救う必要はありません。  再生を断ち切ることだけが、仏教の救いです。  仏教はその目的以外何もないのです。  「生」については、心が永続するとなれば誕生の仕組みが常識と大幅に変わります。  渡哲也の病状に関して、一時テレビに出演した臨死体験者の新堂のぶ子氏は、講演会で「親が子を生むのではなく、子が親を選択する。」と述べています。  また「子は授かりもの」とも言います。  またある宗教学者が、多分「大縁経(広縁経?)」に「意識が母胎に流れ込むことによって、そして、そこで身心(名称と形態)が増大することによって、この世に転生するありさまを説明した。」と伝えています。  このことから想像すると、総てが自分の意思で生まれたのだということになります。  親は唯この世で生きるために身体を作ってくれたのです。従って「生老病死」は自己責任です。   因みに、浄土宗ではお説教の初めに三帰衣文を唱和するそうですね?  その内容は「この身今生において度せずんば、さらにいづれの生においてかこの身を度せん」だそうですね。  「度する」は多分般若心経の結論である、「照見五蘊皆空 度一切苦厄」の「度」ですから 正に「仏教の目的」そのものです。

有り難し有り難し 5
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キリスト教か仏教か。

いつも、相談にのっていただきありがとうございます。 ストレートで申し訳ないのですが、キリスト教を信仰するか、仏教を信仰するか、迷っています。 キリスト教の教会は10年ほど前ですが、通っていました。信仰告白もして、あとは洗礼を受けるだけ…という所までいったのですが、別れた主人が浄土真宗のお寺の孫でキリスト教なんてとんでもない!と激怒され、そこから疎遠になってしまいました。 仏教はお経を今、私なりの言葉でわかりやすく訳していて、お釈迦様や阿弥陀如来の智慧に向き合う度に泣くほど感動することもあって、とても心を惹かれています。 幸い、わからないことがあったら聞いてくださいねと言っていただける僧侶の方とも出会うことが出来て、何度か質問もしました。 その僧侶の方の人となりだと思うのですが、終始、仏様を信じられたらいいですね。と言ってくれます。 私は仏様を信じたいと思っていますし、お経から導かれたこのご縁を大事にしたいとも考えています。 ただ、どうしたらいいのかわからないのです。キリスト教の時は日曜日の礼拝から始まり、聖書の勉強会を定期的にすることで 信仰を深めて行くことが出来たのですが、仏教は敷居が高いと言うか、私の住んでいる地域では勉強会もないですし、法話会もこのご時世なのでやっていない所も多く、やっていても都合が合わなかったりでなかなか信仰が深められません。 そんな時にクリスチャンの友人からまた、教会に行かない?と誘われました。 私の気持ちは仏教に傾いているので、教会に行く気持ちはないのですが、正直揺らいでいるのも事実です。 どうしたら、今ご縁がある僧侶の方に仏教を信じたい!仏教の勉強がしたい!という私の気持ちが伝わるのでしょうか? 仏教の勉強が出来るサイトや学校みたいな所も見つけたのですが、お金がそこそこかかるようでカツカツで暮らしている今の現状では厳しく…。 内容が前後して申し訳ないのですが、ご縁があった僧侶の方には信じたいということも、もっと勉強したいということも伝えています。それでも、返ってくる言葉は「信じられたらいいですね〜」という感じで、最近は私と関わってしまったことを面倒臭く感じているのでは?と思うことしきりです。 長文駄文失礼しました。 よろしくお願いします。

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身内の死と知人の言動について

初めまして。先日、叔母が亡くなりました。独身で孤独死で時間も経っていたため直葬をしました。 叔母は新興宗教に入っていましたので、同じ宗教の知人夫婦にそこのお寺にお願いしていただけることにならとてもありがたい費用でお経をあげていただいたりできました。 直葬なので葬儀社で遺体を安置させていただいていたのですが、葬儀社さんのご好意で無料でお花と祭壇など用意してくれていました。私も叔母を花で送りたかったので持って行きました。 するとその知人夫婦の旦那さんが葬儀社に先に来て「花束なんてやめろ!」「嘘のマンダラの掛け軸なんかかけやがって」 と葬儀社の社長さんに文句を言ったそうです。 私たち遺族は火葬が終わった後、社長さんから聞くまで知りませんでした。 葬儀社さんもお金のない私達遺族のためにとても良い金額で直葬の手配をしてくれたのに。そして花を持ってた私にも「今日はいいが、なぜ花を添えたらいけないか教えてやろうか!花はあーでこーでこうだからだめなんだ!添えるのはあの◯◯じゃないとだめなんだぞ!」と説教してくるのです。 私たち遺族は宗教などには無頓着で何も知らなかったのです。ていうか、私、遺族亡くしたばかりなんですが、と、かなり腹が立ちました。イライラしながら火葬してお骨を拾ったのです。叔母には申し訳ないですが。 でも我慢しました。叔母は親の姉妹なので泥を塗りたくなかった。そしてそのお寺でお経あげてもらい帰ろうとしたらまたその旦那さんに呼び止められ「さっきの話の続きなんだが、」とまた花の事をしつこく言ってくるのです。「花は枯れるから死を表すんだ、この宗教だけが素晴らしい、他は嘘ばかりだ、もっと知りたければゆっくり教えるぞ」と言ってきたのです。 私は笑って誤魔化しました。はーそうですか、へぇーみたいに。しつこいし、めちゃくちゃ腹立ちました。骨拾ってきた人間に対して言うか?と。もう関わりたくありませんが、いつか叔父が亡くなったらまた関わらなければならない。そんな事を考えるともう死んでしまいたいと思うようになりました。どこに相談すればいいのか、どうすればいいのかわかりません。そのお寺にクレームいうべきか?私はもう金輪際家族共にかかわりたくないのです。カルト教団ではないはずなのにまるでそのひとのせいでカルトとしか思えません。御助言ください。よろしくお願い致します。

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祖父の亡くなった後の不思議な体験について

一昨日祖父が亡くなりました。 その日の晩は控え室で叔母と私の2名で、祖父と一緒に寝ました。 その日の晩、壁からコツコツと何度も音がし、一緒に控え室にいた叔母と一緒に廊下に出ましたが原因が分かりませんでした。 ふすまが揺れていたのだろうということで、その後音が鳴ることもなかったので特に気には留めていませんでした。 そして翌日のお通夜。 お坊さんがお経を読んでいる間、遺影を見ていたのですが、遺影前の水ばんの花が一輪だけぴょんぴょんと上下に5回ほど大きく揺れました。はじめは真上にあった換気扇の排出口から水でも落ちてきたか(1輪だけで、明らかに風が当たった動きではなかった)、大きなハエが1匹飛んでいたのでそれが花に当たったのかと軽く考えていました。 そして翌朝「お通夜の時花がすごく揺れてた」と親戚の前で話すと、母が「私も見た。向かって左のあの花でしょ?花が大きく揺れているなとは思っていたけど深く考えていなかった。でも同じものを見ていた」と。他の親戚は見ていないようでした。それから周辺を確認しましたが、換気扇の排出口は水滴が垂れてきているような形跡もなく、花の真上かと言われるとそうではありません。虫が当たった可能性も考えてみましたが、虫が当たっただけであんなにぴょんぴょんと何回も同じ高さまで上下に揺れるでしょうか。 母と不思議に思いながらもお葬式が始まりました。 そんな話をした後だったので、動いたと話した花をずっと見ていたのですが、その時は動きませんでした。しかし祭壇の向かって右のろうそくだけ、消えそうなほど激しく揺らめいていました。しかし向かって左のろうそくは、まるでおもちゃの炎かのようにピンと炎が立ったまま一切揺れないのです。 風の流れのせいなのか?と思っていましたが、葬儀終了後にまた母が、ろうそくが揺れていたねと言うのです。 ろうそくは偶然かもなと思うのですが、どうもあの花だけはどんなに考えても不自然な動きだったなと思います。 ちなみに母と私は祖父と一緒に暮らしていた時もあり、人一倍祖父への思い入れは強かったです。祖父が私と母だけにわかるようにアピールしていたのでしょうか。 こんなことってよくあることですか? あと、お経読んでる時お鈴を鳴らすと、ろうそくの炎がいっそうはげしく揺らめくものですか? 音が風として(?)響いて、祭壇の上の炎まで到達するのでしょうか??

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離檀を考えてしまいます。

今年、祖母を亡くし葬儀・法要と先祖代々お世話になっている お寺にお願いしました。 その際住職の対応が不誠実に感じています。 ・葬儀でお経を咳き払いをしながら読み 木魚を叩く棒を床に落としました。 落としても気にせず葬儀社の方が 拾い上げてくださるまでそのままでした。 (住職の飲み歩きは有名で飲みすぎでうまく お経が読めないのではと勝手ながら思ってしまいます。) ・葬儀に際して両親が連絡をした際も 希望日に私用があったらしく「僕も忙しいからさ、疲れちゃうし」 と言われ別日になりました。 お布施も相場3倍以上の額を住職から言われ包みました。 車代も自家用車でくるのに「タクシーだと1万じゃ足りないよね」と言われました ・四十九日では 位牌二つを一度に片手で持たれ(二つ指で挟むように) 遺影は片手で渡されました。 親戚がお寺でコードにつまずいた際は 足元よく見て歩きましょうよ。と言われました。 質問を無視されたこともあります。 ・住職から祖母を悼む気持ち、遺族に寄り添う気持ちは全く感じられませんでした。 ・お布施も祖父母が自分の葬儀にかかるお金はと コツコツためてくれたお金から包んだものです。 私は大のじいちゃんばあちゃん子で大好きな祖母の最期を 台無しにされた気持ちが強くとても腹が立ちます。 ・祖父や両親も離檀はちらついてはいるようですが 実家は田舎町で、色々な話があっという間に広まることや 先祖代々からのお寺、離檀にかかるお金と気力を考えると 現実的ではないと思っているようです。 祖父も高齢で体調も思わしくない為、そう遠くないうちに またお寺と関わる機会もあるかと思うと 今、騒ぐのはかえって負担にさせてしまうと思います。 一方でまた住職にお願いしたくないとも思います。 ・現状、祖父も両親もいますので 私がでしゃばって行動しようとは思っていません。 ただ頼りにされた時力になりたいです。 私は実家を出ている為色々な案を出せればと思っています。 そこで一度ほかのお坊さんのお話も聞きたいと思いこちらに質問させていただきました。 (住職への怒りが収まらず話を聞いて欲しかったのもあります) ・このような住職の対応は私たちは受け入れるしかないのでしょうか? 先祖代々からのお寺を離檀するというのは良くないことですか? 離檀のさいは今の住職にまず話をするべきですか?

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