hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「 死 死にたい」
検索結果: 3508件

理性じゃ死にたい欲求は消えない

もはや現実的な解決策は試し尽くしたといって過言ではない。 私は人生と戦った。 私はそこらの偶々運が良かった人達、ただただレールに乗る人達、親が恵まれてた人達、何も考えることも無く低次元なレベルの生き方をして何も学習することも無いまま哲学や物理学などを学習せず中学レベルで切り捨ててるボケどもより完全に人生の問題に対する解決策を試してますし考えてます。 勿論そこらのカスみたいなアドバイスや低次元の道徳の教科書レベルの文言なんて何億回も聞いてます。 でも友人やカウンセラー含めて悩み相談を聞く側がそこまで悩んだことが無いから当たり障りがないアドバイスしかない。 もう沢山だ。 そんな現実的な解決策が無く、ヤバい状況なら幾らでも解決策を試してるよ。 リアルタイムで生きるのが嫌だから、解決策が無いから自殺する人が絶えないんだよ、だから自殺者毎年数万人なんだよ。 そして自殺を考えてて本当頭おかしくなるくらい自殺願望者は自殺を自発的に止めようと努力する。 だからネットや病院やお坊さんに死に物狂いで相談する。何とか誰か助けて欲しい。 そこで返ってくるのは「辛いなら死ねば?不幸なやつとか生きてる意味ない」とかの冷たい言葉。 私が「そもそも人が生きてる意味という命題に対する答えを全人類含めて誰も根拠として持ってなくお前にもないんだけどなw」と返答した所で自殺したいという不幸な状況は変わりません。 自殺するとして死は恐怖であり、生きるとしても人生に苦しんでる。 人という存在は悪でありズーート争いをしてきてて「辛いなら死ねば?」とか「さっさと死んだ方がいいよ」とか言えるのは寧ろ当然というか。人間に希望は無いんだなって思う。 だから最後は宗教にすがってる。 助けて欲しいくらいに沢山質問しました。でもどんな良い回答を貰っても現実が解決されるわけではなく理性じゃ死にたい欲求は消えない。 寧ろ1人のお坊さんから貰った人格否定を含む嫌味な言葉で仏教が嫌いになりかけてました。 だって暴言吐いても修業中だからオッケー!みたいな論理を使えば他人に危害を加えてもオッケー!みたいなのがまかり通る。 まあなんにしても最後は宗教に縋りたい、なんとか楽しく生きたい。 なんかしら助けて欲しい。知恵を分けて欲しい。意味はないかもしれないけど、もはや限界に近い。

有り難し有り難し 31
回答数回答 4

死にたいと思い続けています。

こんばんは。 私は19年前に、長女を不慮の事故で亡くしました。主人とお風呂に入っていて、目を離したのか、その一瞬で溺れてしまったのです。1歳になったばかりのとても可愛い時期でした。 私は娘の死を受け止められずらにいました。お葬式の日に泣いてばかりいました。そんな私に主人の親戚達が言いました。 泣いていたら、主人を責めてるみたい。 誰も悪くない、事故なんだ。運命なんだ。 泣くのはやめなさいと。 運命?こんな可愛い小さなこの子が死んでしまうのが運命?私は泣き喚いて叫びたかったのですが、できませんでした。 暗く閉ざした部屋で、泣きながら死にたいと思っていましたが、私には4歳の長男も亡くした長女と双子の次男もいて、この子達の為にも頑張る、頑張らなきゃと前を向いたつもりでした。 次男の1歳半検診の日に話しをした、保健婦さんに「ちょっと心が疲れているようだし、頑張り過ぎてるみたい。気持ちを押し込めてるでしょ?」と言われ、専門医に主人と行くといいとアドバイスをして頂きました。 私は、勇気を出して長女を亡くした日から自分の心が辛いって叫んでいる。無理して頑張っている。本当は、あなたのせいで、あなたが目を離したからって責めている。何であの子が死んで私が生きているのかわかない。私も本当は死にたいの。 今後の為にも一緒に受診して欲しいって話しました。答えは無理でした。そんな時間はないと言われました。行きたいなら1人で行ってと。それから、19年間私は心の奥底で主人を責めているのです。そんな自分が嫌で嫌で、その更に上から自分を責めて貶しているのです。死にたい気持ちで心が溢れているのです。時々、そんな自分が崩れて、過呼吸を起こしたり、死にたいと口にしたりするのです。そんな私を主人や子供達は面倒くさそうに、遠くからみているのです。 生きるってなんだろう?19年も経つのに、心が前に向かない私は家族が思うように面倒な人間なんでしょうか?死にたい気持ちが消える日は来るのでしょうか?

有り難し有り難し 22
回答数回答 1

私が死んだとき成仏できるのでしょうか?

私は人が怖いです。 この話をすると全員決まってしたり顔でこう言います。 「自分だって人が怖い。怖くない人なんていない。」 自分の恐怖心が伝わっていないのです。 私にとって人は、野犬や狼の群れです。飢えていなければむやみに襲ってくることはないですがそれでも怖いものは怖いのです。 彼らが野犬の群れの中に平気で入っていけるというのであれば納得しますがそのような人は一人もいないでしょう。 私は、いじめを受け人が怖くなりました。その恐怖の対象は家族にも及びます。 そんな風に人に恐怖を感じている自分が情けなくまた、恐怖心を植え付けた者が幸せに暮らしているのが妬ましく感じます。 もちろん、今の自分をきちんと見て評価してくれる会社の上司や頼ってくれる後輩がいます。 しかし、彼らとの間に壁を感じてしまうのです。もちろん、その壁を作っているのは自分だとわかっています。 いままで、このままではいけないと頑張ったことがあります。それこそ数えきれないほど。 それでも、壁を破ることはできませんでした。 多分、私はこのまま孤独に生き死ぬのだと思います。 (別に今すぐ死にたいとかそういうことではありません。生きれるだけ生きるつもりです。ただ、死がやってきても逃げはしないのだと思います。) そんな人と壁を作り孤独を続けている私が死んだとき、善良な「人」が成仏した先に行けるのでしょうか? やはり、妬みを持ったまま地獄に行くか怨霊になるのでしょうか?

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

死にたい想いが取れません

何度も同じような質問で申し訳ないのですが、苦しくてたまりません。 台風のお陰で自殺決行は出来ませんでした。 どうしても苦しくて、処方された薬を限度を守りながら飲んで、寝逃げしてます。 薬を飲むと食欲が増してしまい、苦しくて自己嫌悪。食べ過ぎでぎっくり腰一歩手前で困ります。 家族はそっとしておいてくれます。 3人で楽しそうにTVを見て笑う声が聞こえます。元々、TVが苦手だったのですが、鬱になる2年前くらいから本当に見れなくなり、今もそんな感じです。朝、時計がわりにTVをつけられるのも嫌ですが我慢してます。 趣味もなくなり、本も読めなくなり、ベットで出来る事は自殺や病気の事を調べたり、無料で掲載されている漫画(虐待ものが多い)位です。 寝ても虐待されてる夢や虐待していた母が出てくる夢を見てうなされて飛び起きます。 薬はぼーっとさせてくれるものの楽しい気分になれる訳でもなく、眠たくなる事だけが救いです。 唯一、仕事をしてる3時間だけが、死や苦しみから逃げていられる時間です。通勤途中は電車や車に飛び込まないように泣きながら歩いている現状です。 医師にも「薬が治す訳じゃない。薬は助けるだけ。やっぱり自分なんだよ」と言われます。治したいと思っても治らない。一生こんな気持ちで生きていくんだなと諦めても、人間ってストレスで色んな病気になれるのに私は何で鬱だけなんだろう。癌でも心筋梗塞でも脳卒中でも何でも良いから病気になれないんだろう。 家族にはしんどいとは伝えますが、家族は家族でやる事があります。寝てるふりして1日が過ぎるのを待つのが辛いです。 「楽しいことを見つけたら?」と言われても楽しい事などないんです。なにせ動きたくないんです。ご飯だって食べたくないのにお腹が空くんです。空腹をほっておくと反動で無茶食いするんです。食べても死にたい、食べなくても死にたい。 家族には迷惑をかけないように、出来る家事だけこなし、仕事に行って、辛くなったら薬を多量に飲んで息を殺して泣くので良いですか? 私ならこんな嫁(母親)要りません。 どうして神様や仏様は死にたい人間を生かすんですか?「殺してくれ」「死にたい」と叫ぶのも疲れました。後何年耐えたら許してもらえますか?

有り難し有り難し 24
回答数回答 1

死の恐怖感に押しつぶされそう

高校生です 朝起きたりニュースなどで人が亡くなったということを見たときに、死に対する恐怖感や不安感に襲われます。 人が生きる年齢を100歳だとしたときに親はもう50歳で人生の半分が終わっていて、自分は今までの事を6回ほどしたら死んでしまうということを考えてしまい恐怖や不安に耐えれなくなります。 今の生活を失うのが怖く死後の世界があれば今までの生活をできるのか、また死後の世界でも寿命があるのかを考えてしまい何もできなくなってしまいます。 自分は今までコンビニのガムや親のお金を盗んだりしてしまっていて、自分が死んだときに親は迎えに来てくれるのかと考えてしまい、もしかしたら誰も迎えに来ずそのまま地獄に行ってしまうんじゃないかと怖くなります。 自分は学校も行かず外に出るのもいつの日からかストレスになってしまい、親が亡くなったあと一人で生きていけるのか考えて怖くなります。 死後の世界がなければどうなってしまうのか、死ぬときは痛いのかなど考えてしまい吐きそうになります。  自分は今の親と兄とペットがいる生活がとても嬉しいです、でも年齢を考えたら自分が最後まで残って一人ぼっちになるのが怖いです、死後の世界で同じ生活がしたいと考えたときに少し嫌な気持ちに近いような感情が出てきてしまい、自分は親の事や今の生活を本当は嬉しく思っていなんじゃないかと不安になってしまいました 自分が家族や今の生活のことをどう考えているのかわからなくなってしまいました。 死後の世界があるのかなど知りたいです。 うまく言葉にできているか分かりませんがアドバイスをいただければと思います。

有り難し有り難し 12
回答数回答 2

災害と死への恐怖と不安

不安で仕方がありません。 災害、事故、事件、世界情勢、常に全てに怯えていますが住んでいる地域の特性から最近は火山災害が特に恐ろしいです。 今住んでいる場所から逃げ出したい気持ちでいっぱいですが、現実的に難しい状況です。家族もいるし、お金もないためです。 不安を見て見ぬ振りしようにもふとした瞬間に恐ろしい情景が頭をよぎり恐怖でいっぱいになります。無駄に想像力があるので手に負えません。 災害への備えは少しずつ始めているのですが、備えにだって限界はあるし間に合わないかもしれないし、そもそも即死の可能性だってあります。 そして私が怯えたところで減るわけでも増えるわけでもないのが災害。その日は明日かもしれないし、一生来ないかもしれない。遭遇しても案外平気かもしれない。そもそも突然の事故で今死ぬかもしれない。 未来に対して不安になることそのものが無駄なのだと理解をしつつも、浮かぶ全てが恐ろしくとても苦しいです。 常に次の瞬間滅びるかもしれないという気持ちで、怯えながら毎日を過ごしているのでとても充実しているとは言えません。することもしたいことも見つけられず、恐怖と不安で無気力になってしまいます。 私は一体どうすればいいのでしょうか。

有り難し有り難し 71
回答数回答 3

12月までに死ぬことに決めました

もう生きることに疲れました。 31歳の誕生日を迎える前に死ぬことにします。 私は毎日明るく楽しく生きています。 職場でも頼りにされムードメーカーとなり、成果が認められ1月から希望していた営業に移籍することも決まりました。 ですが、全て本当はどうでもいんです。 幼い頃から機能不全家族で育ち、お前は家族じゃないから家から出ていけと言われ、日常的に殴られたりしていました。 親に愛されず自分は必要ない人間だと思っています。 そんな私ですが、友だちには恵まれ本当に私のことを愛してくれる人達ばかりです。 ですが、いつも満たされず孤独で虚しい思いを抱えて生きてきました。 自分を必要として欲しいという思いと容姿のおかげか恋人は途切れませんでしたが、結局最後はお前は必要じゃないと言われるのが怖くて自分から別れを告げています。 今年の5月から会社の課長から誘われ不倫を始めました。 すごく優しくて大事にしてくれ愛してくれ、この人は私のそばに居てくれると勘違いしてしまいました。 当たり前ですが奥さんの方が大事ですし、私が1番辛い時も彼は奥さんの方を取ります。 それは仕方ないけど、私が辛くて耐えきれなくなったので別れを告げました。 それから、私はやっぱり誰にも必要とされない人間なんだと確信しました。 馬鹿馬鹿しいと思われるでしょう。 だって、不倫なんてそんなもんだから。 自分でもわかっています。 けど、これはあくまできっかけでこれが自殺のトリガーになっただけです。 最近彼とまた会ってしまい、関係を持ってしまいました。 その時、ちゃんとせフレになろっかと言われました。 そう言われた瞬間、少しでも期待していた自分がほんとに愚かに感じました。 別れる時に彼にどれだけ想っているか、だからどれだけ辛いかを伝えたのに、そういうことを言われてしまうような価値のない人間なんだと確信しました。 友達や姉に死にたいと告げると、とても真剣に励ましてくれ、いつでも私の味方でわたしを助けられるなら、どんな事でもすると言ってくれました。 それを聞いて、私はこんなに愛されているんだと嬉しくなり、これで心残りなく幸せな気持ちで死ねると安心しました。 ここに投稿させて頂いたのは、こんな人間がいたのだと誰でもいいから知って欲しかったのかもしれません。 こんな拙い文書と醜い気持ちを読んでくださりありがとうございました。

有り難し有り難し 238
回答数回答 4

どうして死にたいという人を見過ごせないんだろう

数年前の一時期、全く通りすがりのブログに「死にたい」というSOSを続けざまに見つけたことがありました。一晩に5、6件とか。 「死にたい」は「助けて」だと思います。 希死念慮はどれくらいの緊急性があるかによって違ってきますが、プロフィールや住所などがある程度特定可能な場合ですと、公的機関…と言っても警察は事件が起きないと動いてくれないので、主にその人の地元の役所や福祉の関係の機関にお願いするしかなかったりします。ある程度深刻かも、という場合ですが。 とおりすがりの人間がコメントを入れても効果があるかどうかわかりませんし、むしろ逆効果になったりすると最悪なので、そのあたりに匿名性の限界があります。 何かやった、というにはあまりにもささやかなことですし、効果があったかどうかなんて全然わかりませんでしたが、でも何かしないといられない気持ちがさせたことでした。 過去の自分がそうやって必死になったことがあるので、自分が死にたくなった時には、もしかすると友人知人家族のみならず、見知らぬ人がどこかで祈っていてくださるかもしれない、と思って、ちょっと考える余裕を持つことが出来ています。 手を伸ばそうとしたその時の誰にも伝わっていないかもしれませんが。でもやらずにはいられなかった。大きな事故や災害の時にも無事を祈りますよね。そういう気持ちと同じです。直接に助けにいけないもどかしさはありますが。 私も双極性障害の持病があるので、よく希死念慮には襲われます。自分がすごく死にたい気分の時なのに、いまにも死にそうな人に遭遇すると、思わず助けないといられない、っていうのはなんなんでしょうね??かなり本能に近い?崖っぷちの人を助けようとしたら自分も落ちる危険があるけど、それでも手を伸ばす。人って不思議だな、と思います。(サイコパスな人の心境は不明ですが) 自分のいままでの行動でずっと不思議だと思っていたことでした。「それじゃあ、一緒に死のう」とは思わないんですよね。本能とか良心とかが関係しているのかな?とも思えますが。 もしかしたら「いまにも死にそうな人」に自分自身を投影していて、その人が救われると安堵するというか、そのへんはもう彼我の境界が薄くなっているのかもしれませんが。でもこれは私だけではない心理だと思えます。悩みつつ、行動しています。ささやかですが。 でも謎心理です。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1
2024/04/18

今こそ死ぬべきかもしれない

生い立ち、最近の状況についてプロフィールに記載しております。 一週間ほど実家に滞在していましたが、昔の子供部屋が10年近くそのままになっていた事が気持ち悪く、誰かが家にいると心が落ち着かず、体調も悪化しました。 親から過去の事について謝られても許す事が出来ません。謝罪して今助けてくれているのに許せない自分は恩知らずで心が狭いと思います。それでも許したくないです。 一人暮らしをしていた家を退去するのに手伝いはいらないと言ったのですが「そう言って金だけ奪ってもう戻らないつもりなんだろう」と言われて母がついてきました。 家の中には見られたくない物もあったのでせめて日にちをずらすよう頼みましたが、聞き入れてもらえませんでした。 仕事道具もまだ捨ててない中勝手にあちこち触られたので、これまで何の仕事をしていたのか知られたと思います。 実家や地元にいるよりマシだと思って始めた事でしたが、好きでやっていると誤解されたり、またやると思われてもう実家から出してもらえなくなったりしたらおしまいだと思いました。 地元でいじめや暴行被害に遭い、それらがなくても地域の気質に馴染めず、家族や地元の店の人が話している方言を聞くだけでも吐き気がします。 ただでさえ賃金が低い地方なのに学歴も職歴もボロボロで今後の収入に不安しかなく、アルバイトやパートでも車は必須。そのような環境でこの先また都市部で一人暮らしを再開する資金が用意できるとは到底考えられず、一生あんな場所で暮らしていかないといけないのかと思うと何も手につかなくなりました。 今の家にある物は業者に全て引き取ってもらう予定なのですが、セルフネグレクトで‪何度もゴミ屋敷にしてしまったけれど初めて自分の好みで揃えた家具や趣味で集めた物を手放さなければいけないのも、賃貸とはいえようやく手に入れた安心できる場所だった家や街を離れないといけないのも悲しくて涙が止まりません。 母が同じ部屋にいるのに(いるから)辛くて自傷もしてしまいました。 幼い頃から続く希死念慮にも波はありますが、今ほど強く死にたいと思った事がないので今が死にどきなのかもしれません。 これまで何度か死にそうな目に遭いながら生き延びてしまいましたが、あの時死んでおけば…と常に後悔しています。 全て片付いたら死んでもいいでしょうか。

有り難し有り難し 5
回答数回答 2

愛憎と生と死

お世話になります 現在、きっと感情がぐちゃぐちゃになっています。 最近フラッシュバックが時々起こり、虐待されていた瞬間が点滅するように脳に蘇ります。 仕事中でも家事をしていても、寝る寸前でも。 恐怖が、とにかく恐怖が頭の中を覆って叫び出したくなります。愛されなかった子供の頃の自分が甲高い悲鳴を上げてフラッシュバックの中を逃げ回って、気が触れそうになります。 フラッシュバックから何とか戻ったら、恐怖から憎しみに感情が変わり、父親も味方である姉も知り合いも道行く見知らぬ人もすべてが憎くなります。 時には声に出して呪います。「死ね、死ね」と何度も。でもそのうちに死んでほしいのは自分だと気付くのです。愛されなかった自分が許せないのです。賢くなかった自分が、若くして死んだもう一人の姉のかわりになれず父親を満たせなかった役立たずな自分が、憎くて憎くて、大嫌いです。 せっかく生まれてきたのにこんな風に自分を責め続ける人生とはなんでしょうか。いっそ死にたい。でも死ぬ前に一度でいいから父親に愛されて、生きてて良かったと感じたい。 もう父親に会うことは絶対に無いのですが、父親に対する憎悪と同じくらい父親からの愛に飢えているのです。 こんな惨めな人生は嫌だ。幸せというものを理解したい。 死にたくて、生きたい。 瞑想時の呼吸法で落ち着こうとするのですが、感情がジェットコースターのように急速に急回転してうまくいきません。 憎しみとはなんでしょう。愛とはなんでしょう。 死にたいと生きたい、どちらが本当の気持ちなのでしょうか。 めちゃくちゃな文章で申し訳ございません。

有り難し有り難し 47
回答数回答 2