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hasunoha 問答検索結果 : 「家族 死 」
検索結果: 2622件

愛犬が亡くなりました

ご無沙汰しております。 長くなりますがご解答いただけたら嬉しいです。 先日のお昼ごろ、愛犬(7歳)が亡くなりました。私が専門学校にいる時に、先に帰ってきた母が見つけました。 病気もなくずっと元気で、命日ももりもり朝ご飯を食べ、門の前までお見送りもしてくれていつも通りの朝でした。 普段は涙を見せない母も弟も愛犬のために泣いて、これまでも家族や来る人皆に可愛がられ本当に愛していました。 愛犬の死は偶然なのか、とても不思議なものでした。 死の前日、忙しくて構えない日が多かったのですが家族全員が愛犬を撫でたり遊んだりできた 命日はたまたま母が半日出勤で帰ってくるのが早かった 母が発見してから葬儀の準備やら何やらが全て終わった直後、弟が発作で倒れたとの報告を受けた(持病もちで今は元気です) まだ若くて元気だったのに苦しんだ形跡も一切なし、まるで寝ているようだった 考えすぎかもしれませんが、突然の死なのにもたつくこと無く事が進み、愛犬は全て分かっていたような気がしました。 亡くなった日も、葬儀の日も、晴天でした。 これは定められた運命なのでしょうか…運命というのはあるのかな 生まれ変わってこちらへ来てくれるのかな…何が何だか分からなくて毎日モヤモヤしています。 大切な家族がもう戻って来ない、心のやり所がなく泣いてばかりいます。あの子は幸せだったのかな、楽しかったかなと思うと心が張り裂けそうです。この気持ちはどう収めたらいいでしょうか… 難しい質問ばかりですいませんが心の癒し方を教えて頂きたいです。

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命に対するジレンマ、疑問

看護師をしています。 私は病院で働く中で多くの患者様を見てきました。軽症から重症まで。若い人から超高齢者まで。 その中で、看護師として働くことを諦めるような悩みを抱えました。 ご高齢の方や終末期の方は、死への恐怖というより現在ある痛みや苦しみ、排泄など恥ずかしい部分を他人に見られる羞恥心などから、もう楽にしてくれという方が多くいました。殺してくれとも。 命を救う側の私たちは、目の前の命を救うという責任があります。見捨てることはできません。 しかし、それでも何度も何度も楽になりたい、あちらの世界に生きたい、今自分の意思で生きているのではなく他者に生かされてるだけだと、涙ながらに、そして時には怒りながら訴えられました。 そんな方々を多くみる中で、私は看護師として生きることを諦めないようにお話をする機会もありました。 その中で私は、ここが生き地獄だと思っている人たちを救うことが本当に人のためになるのだろうかと疑問を持ちました。 本人の意思ではないのに、多くの管で繋がれ、ベッドに縛り付けられてまで命を守ることが本当に正しいのだろうかと疑問に思いはじめました。 私はこの疑問に対する自分の中での答えが出ず、看護師を一度完全に辞めました。このような疑問を持つことは、命を救う立場の者としてあってはならないと思ったからです。 世の中には尊厳死や安楽死などの言葉が存在します。尊厳死は、延命治療を無理にせず苦痛を取り除きながら、自然に死を迎えられるようにというものですが、日本の医療の現状としてなかなか行われていないのも事実です。苦痛は痛みだけではありませんし。安楽死などもっての外です。 以上の過程があった上で相談したいことは以下の通りです。 ・生命は大切にしようとよく言われるが、そもそもその考え方はどこから生まれたのでしょうか?生き地獄だったとしても必ず守らなければならないのでしょうか? ・安楽死などの考え方について、仏教の視点からはどのような考えがあるのでしょうか? ・命の大切さという根本的なところが分からなくなっている私は医療従事者として失格でしょうか? 長文で申し訳ありません。 お時間のある際にご回答いただけると幸いです。

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2024/07/15

考えない方が楽だけどこれで良いのか

いつもお世話になっております。 以前から死の恐怖について相談させていただいておりました。 最近は仕事もプライベートもそれなりに忙しく充実しております。体力的にも時間的にも死の恐怖に囚われている時間は少なくなり、心安らかに過ごしていました。 ですがふと、 やっぱりこの世は諸行無常で、今の幸せや充実もいつか無になり、私は私を自覚できなくなり、死んだあとは未知でしかなく、「死」という未来が待っている以上この先の人生のエンディングは絶対的な絶望なのだ、と 以前と同じ恐怖が強くよみがえりました。 日々の幸せに夢中で死を考えなくなり、「まあでも、これが今の私なりの死への向き合い方なのだろう」と甘く捉えていましたが、 結局、恐怖は忘れていただけで、死ぬ事実も絶望感も変わらずに私の中に存在します。 たくさんのお坊さんにご回答をいただき積極的に「心安らかに死んでいける心持ち」を探し求めても、知識だけが増え頭でっかちなまま、結局は恐怖も絶望感も拭えぬまま、不安な心のままです。 お坊さん方の視点から、私は今後、どのように死と向き合ってゆくのが良いと思われますか。 積極的に怖さに向き合い死を学ぶショック療法のような形か(ただ、もう死の恐怖に面と向かって辛い思いはしたくないという甘えも自分の中に今はあります)、 それとも自然の流れに身を任せて死を忘れたような日々を過ごすのか(そのうち死を自然と受け入れられると信じて)、 はたまた仏様に全てを任せ不安な心持ちのまま生きてゆくならば、まだ心の底から仏様を信じられない愚かな私の、実在する「不安な気持ち」をその都度「大丈夫」と躱していけばそのうち信心が得られるのか、など。 もちろん最終的に何を選択するのかは私が決めるべき問題と思っておりますが、 なんだかもう、自分でもどうしたら良いのか分からなくなってしまったため、アドバイスをいただけたらと思います。 お忙しいところ大変恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

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乗り越え方

家族の死をどうやって乗り越えたらいいのでしょうか、、、 昨年、家族の病気が進行し、治す術もなく看取り優先での生活を告知され、そばで看取りをしました。 最後の瞬間まで看取り、人の死ぬまでのその一瞬も逃さず、他の家族と一緒に静かに見守り、泣きながらありがとうと伝えました。 私にとって一番の応援者であり、師であり、父であり、時には喧嘩相手でもありました。 看取りは母が一番そばで行っており、私は死が近づくのを見てられなくて父に対して素っ気ない態度で接したり、話さなかったりと酷いことをしてしまったなと後悔しています、、、 毎日、父とメッセージのやり取りをしていました。父は亡くなる前まで応援や励まし、アドバイス、いつもの冗談をメッセージに残して送ってくれていました。 私は、父に対して親孝行ができなかったと、かなり後悔しています。 結婚して子どもがいたら孫を見せられたかもしれない、花嫁姿なんて見てくれたかもしれない、母との食事のプレゼントもできたかもしれない、一緒に旅行もたくさん連れて行けたかもしれない、、、 そんなことばかり、頭に浮かびます。 最後まで心配させてしまったし、素っ気ない態度で話してしまったり、、、 もっと心温まる言葉とか、優しさとか、そういうのを以て対話していたらよかったのに、とずっと後悔ばかりです。 もう二度と、父からメッセージは来ないし、会話もできない、父が大好きだった旅行もできないし、二度とそういう時間は来ないのだと思うと、どうしていいのか分からない程の悲しみと虚無感と後悔とで苦しいです。 でも乗り越えなければならないし、家族を支えなければならないと自覚しています。その中で、一人にしないで、という残りの家族に対する自分自身の寂しさと甘えとが一気に上がってきます、、、 自分自身もいつかは死ぬというのは分かっているんですが、今目の前にあるこの虚無感と怖さとどう対峙すればいいのか、分からないのです。 お叱りでも大丈夫です、お忙しい中この文を見ていただいてありがとうございます。

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至急お返事いただきたいです。

このようなタイトルにしてしまい、申し訳ございません。もうどうしたら良いのか分かりません。 私は実家の近くに住んでおり、いつも実家に行き来しています。実家は私の両親と父方の祖母と祖父と暮らしていました。 先日祖父が亡くなり、明日祖父の四十九日なのですが、家族内の雰囲気がとても悪いです。 このような気持ちで祖父の四十九日を迎えるのも嫌でこちらに相談にきました。 以前質問で書かせていただいたように、私の父方の祖母はとても仏教に熱心です。 でも、家では優しいときもあれば、祖父を叩いたり、暴言まではいかなくても言葉遣いが悪いところがあります。お寺で言われる夫婦仲良くということが目に見えては分かりません。 それを言うと祖母は夫婦のことだから口出ししないでと言います。 祖父祖母は夫婦なので今までいろいろあったと思います。夫婦の形も様々だと思います。ですが、家庭内でそんな姿を見せられては私たちも心地よくありません。 口出ししないでと言われると私も何も言えないし、私の母も何も言えなくなってしまいました。 また、人間ですから仕方ありませんが、祖母は友人との電話で他の方の悪口を言います。祖父や違う友人にそんな事言ったらだめよと言われても、それを言われるのもいい気はしないみたいです。(祖母の友人はほとんどが信者さんです) 祖父も祖母の悪口は聞きたくないし、私たちには絶対悪口を言ってはいけないと病床でも言ってくれていました。 そんな祖母を見ていてなかなか母も祖母に寄り添うことができず、目に見えて冷たくなっていってしまいました。冷たくなってしまう母も悪いとは思います。また、母にも何か悪い所が他にもあったかもしれません。以前住職に相談したみたいで、あなたが変わりなさいと言われ、自分では変えてきたみたいですが、祖母の態度は一向に変わらなかったようで、どうして良いのか分からなくなったみたいです。 四十九日までの間色々な手続きなどで大変な日を過ごしていたのもあり、みんなストレスが溜まっていってしまい、私の父も祖母と喧嘩し、その後母も祖母からたくさん何か言われたそうです。母がポロッと言ったこれからやっていけるかなというメールに涙が出ました。 四十九日前にどうしたら良いのでしょう。今日しかありません。お寺の住職に相談しても熱心な祖母の肩を持つという言い方は悪いですが、そうならないか心配です。

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自尊心が低く子育てに影響しそうです

わたしは機能不全家族で育ちました。父はすぐキレる幼稚な部分がある人で母から父の愚痴を聞いて育ち、父は母がべったりな長子を疎ましくなり妹ばかりを可愛がりました。 母は幼い頃、祖父を愛人との心中により亡くしました。貧乏で祖母が厳しく、寂しかった幼少期の話しを子どもながらに聞いてあげていました。あなたは大人だから、と言われ続け、母に涙ぐまれることもありました、わたしが甘えた記憶などないです。 母はわたしが10歳のころ、他所に愛人を作りました。当時、愛人という概念がないままでしたが、一度二度会ったことがあり子供ながらに気づいていました。ただ相手の顔を思い出そうとしてもマジックで塗り潰された記憶しかありません。その男の娘にも知らずに会わせられ友達になるよう手紙を書かされたりしていました。15年後愛人の死を機に母が髪をバッサリ、変わった様子に、わたしが問いただしたところ、母はすんなり15年来の愛人の存在を認めました。  わたしは何だったのだろう、と、裏切られ愚痴吐き役に利用されていた怒りや子どもらしい振る舞いをさせてもらえなかった怒り、幼少期の辛かった母のヒステリックな人格否定する態度や言葉が蘇り、結果、鬱になりました。 自分がなにが好きかわからない感覚があり、社会では支配的な人やストーカー、パワハラに遭いやすくなりました。恋愛関係も相手には本命がいて自分はいちばんになれないなど、惨めな恋愛が多かったです。 鬱から20年、結婚し1人娘がおります。精一杯愛情を与え毎日ニコニコ心がけているつもりですが、頭の片隅に過去自分が受けてきた母のしつけをやりそうで辛いという気持ちがあります。わたし自身、情緒面が育ってないと思います。母の言う通りにしておけば間違いないから、と育てられてきたからか、何が自分かわからないときもあります。 また、間違えを指摘してなんでできない、と母から怒鳴られてきた同じことを主人にやったことがありました。喧嘩になり、もう2度とやらないようにしています。幸せな家庭を築くには、また、社会復帰してパワハラに苦しまないために自尊心を高めるには、何から取り組めばよいのでしょうか、アドバイスいただければ幸いです。

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2025/02/22

ずっと死にたいという思いが離れないです

ここ数年、もしくはそれよりずっと死にたいという思いが頭から離れず、具体的な対策が思いつかず悩んでいます。自殺なんてするべきではないと頭では分かっていても死にたくなってしまい困っています。 少し話が飛びますが、死というものと直面した出来事として、先月、祖父が亡くなりました。 とても幸せな最期だったと思います。家を離れた私や弟が偶然実家に戻り、一緒にご飯を食べ、会話をして、翌朝苦しまずに家族に見守られた大往生でした。 通夜や葬儀も遺族のみんなが笑っていて、誰もが「いい人生だった、幸せな人だった」と祖父を送り出していました。 私も祖父に対して別れの悲しさや苦しさより感謝の方が強く、死ぬならこんなふうに笑顔で見送られたい、こんな死に方がいいと心底思えました。 にもかかわらず、心にべっとりと死にたい、もう今すぐ自分で人生を終わらせたいという気持ちが付き纏って離れません。 頭では祖父のように天寿をまっとうして見送られたいと思うし、私に先立たれた両親は悲しんで悲しんでずっとずっと引き立ってしまうから、あるいは子供の死によって狂ってしまう姿さえ想像できるから死ぬなんてダメだ、と思っているのに、心は死にたいのです。 その感情は幸せな時にもやってきて、楽しいのに、幸せなのに「あ、死にたい」と思ってしまう時もあります。 私は本当に恵まれていて、仕事もさせてもらえて、住む家があって、食べるものがあって、趣味にお金も時間も使えます。 心も時間もお金も物も惜しみなく私に使ってくれる家族がいます。それでも、なぜだか死にたくなってしまうのです。 どうしたらこの死にたいという気持ちとうまく付き合えるでしょうか。ご教示いただけましたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

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2023/10/15

親が死ぬ時、どう受け入れればいいのか

私25歳、妹23歳、両親64歳です。 社会人で一人暮らしを初めて両親の有難さに気づきました。 長年の不妊治療の後産まれた私は何の取り柄もなく、今までの迷惑と心配をかけてきた申し訳なさもいっぱいで、日々両親の健康と幸せを願うばかりです。 実家に帰るたびに、両親の白髪の多さや縮んだ背丈など、老いに気づく場面が多くなりました。ぱっと思い浮かぶ両親の姿は、背が高くて見た目も声も若い昔の姿です。ランニングが趣味だった父も「すぐ疲れる」と外出が少なくなりました。「私が死んだら食器あげるわ」「次元号変わるときはもう生きてないわ」と笑顔で話す両親の会話でも泣きそうになります。そうやって老いて死に近づいていく状態をみるのが辛いです。 昨年祖母が亡くなりました。身内の死は初めてです。 今でも祖母に会いたいと一人で泣くこともあり、祖母も祖母の家もなくなって悲しく寂しいです。 恥ずかしながら、祖母の死で改めて家族の大切さや感謝を感じました。 祖母が亡くなってこんなに悲しいなら両親が亡くなる時、受け止められる覚悟はできるのか?もし結婚して自分の家庭を持っても両親のいない長い人生を生きないといけないのか?と思ってしまいます。 「誰も死んでほしくない。健康のままずっと生きてほしい」と子供みたいに、大切な人が死ぬという現実から逃げたい気持ちでいっぱいです。 命に終わりがあるのはわかってますが、家族の死にどう向き合って立ち直ればいいかわかりませんし、受け止められる覚悟ができません。 両親が死んだらきっと悲しみで気が狂うだろうから自殺したい。でも大好きな妹のことを思うと自殺もできません。 また、介護施設で認知症の方の対応をしていたのを思い出し、両親が認知症になって私や妹ものことを忘れたら…という怖い気持ちもあります。 どうやって大切な人の死を受け入れて乗り越えたらいいのでしょうか。

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母から離れるべきかどうか

現在妊娠4ヶ月の妊婦です。先月脳梗塞で実家の父が倒れそのまま亡くなってしまいました。血圧が高い事は気にしておりましたが、持病もなく元気だった父の突然の死に家族も周りの人達も衝撃と悲しみに暮れています。 転勤族の夫との結婚を機に地元を遠く離れ暮らしており、安定期前の悪阻がある状況下で長時間の移動は無理だと判断し最愛の父の死に目にも立ち会えなかった事が残念ですが、優しくて子煩悩だった父なら来ないように言うだろうとその判断に納得しています。 家族の中でも一番大好きで仲が良かった父を想うと、死から一ヶ月が経とうという今でも毎日涙が溢れます。母も悲しんでいて実家で一人きりになってしまう事が心配です。他の兄妹三人は仕事があるので専業主婦の私が夫に了承してもらいなるべく実家に滞在して母を支えようとしています。 そんな母は悪い人ではないのですが、感情が昂ぶると平気で相手を傷付ける発言をする事が以前からたまにあり家族と喧嘩になる事がありました。 昨夜次兄が実家に立ち寄った際に母が私が何もしないと告げ口をしました。そもそも私の身体の心配をして力仕事や無理はしないようにと気遣ってくれたのは母なのに棚に上げ、他にも感情の赴くままに動かないから太ったなど散々なじられました。確かに大した事はしているつもりはないのですが、葬儀後の事務作業や食器洗い洗濯畳みなど出来る事はしていたつもりなのでショックでした。つい腹が立って家事を手伝っても何もしていないという事になるのならもう何もしない。心配してそばにいてあげてるのにと言ってしまいました。母はそれ見た事かとその後も私を悪者にして次兄に何か言っていました。涙がこみ上げてきてその場を離れ、なるべく顔を合わせないように過ごしています。 こういった事は今までに何度もあったのですが、妊娠中なのと最愛の父の突然の死で精神的に不安定なのも重なり丸一日経っても涙が止まりません。母の事は心配ですが、支えたくても時々本人に深く傷付けられるのでどのような距離感を保てば良いのか悩んでいます。父が生きていれば私の味方になってくれ、母を窘めてくれていたのにと想像してはまた涙が溢れます。 こんな事ではお腹の赤ちゃんや亡き父に心配されてしまうと情けなくもなります。母を支えたい気持ちと精神的な安寧のために離れたい気持ちがせめぎ合っています。どうするのが良いでしょうか。

有り難し有り難し 27
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2024/11/08

友人の自分への不満を見てしまいました

いつもありがとうございます。 なつと申します。 今日は友人関係についてご相談したいです。 長年仲が良かったけど、最近距離を置いている友人がいます。 私が希死念慮に襲われた時にたくさんLINEをしてしまったのが原因みたいなんですが、今日その友人のブログを見て(数年前に教えてくれた)、私のことをけっこうボロクソに言っているのを見てしまいました。 私が見るかもしれないところに私の悪口を書くってことはもう修復不可能なんでしょうか。どう思われますか? また、希死念慮に襲われた時、他の人に迷惑をかけずに気をそらすにはどうしたらいいでしょうか。電話相談窓口はつながらないことが多いですし、頻繁に希死念慮に襲われるためちょくちょくかけていて「またこの人か」という反応です。友人にも家族にも迷惑がられていて、もう相談する場所がありません。 精神科病棟に入院していたときに、いろんな人に「話を聞いてくれる?」と声をかけまくって同じ話をして迷惑がられているおじいさんがいましたが、今の私はそんな感じです。人を不快にさせたくありませんが、希死念慮があるとき人のことを思いやることができません。とにかく「誰か助けて」という気持ちで誰かに話さずにいられません。 自分で自分を立て直すにはどうしたら良いのでしょうか?ご助言いただきたいです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 20
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主人について

昨年付き合ってもうすぐ10年結婚して6年になる主人を自死で亡くしました。 子供のことが大好きで子供もかなりのパパっ子で私にも子供にもとても優しかったです。 なのになんで自死を選んでしまったんだろうっていう思いが消えません。 全然そんな素振りがなかったとは言え、あの日主人を一人にしなければ今も隣にいてくれた気がします。 子供から大好きなパパを奪ってしまった、、、 母子家庭で育ったのでパパと子供が遊ぶ姿を見るのがとても幸せに感じていました。 なのに主人はもういない。 子供には自分と同じ母子家庭での生活を送らせることになる。 そして今まで主人に助けてもらっていた分自分一人で生活していくのがしんどいです。 子育ても楽しいと思える余裕がなくて毎日イライラします。 子供の行事では一人で参加して家族で参加している人達がキラキラ輝いて見えます。 自分の同年代の人達は結婚ラッシュで幸せモード全開です。 自分は一生この後悔とか喪失感とか孤独感とかと付き合っていくのかと思うと耐えられません。 子供達も寂しい思いをさせてパパとママがいる普通の家族を経験させてあげられないのが辛いです。 だから子供達と一緒に死にたくなります。ビルから飛び降りか電車にひかれるかしようかなって本気で思います。 けど子供の笑顔を見ると殺してしまっていいのかなと思ってしまいます。 そのあとにやっぱり死ぬのが怖くなります。 主人に会えると思えば死ぬのは怖くないのに結局死ねない自分が嫌です。 自殺した人は苦しむとかそおいうの信じたくありません。 頑張り屋で優しかった主人が苦しんでいてほしくないから信じたくないのです。 もうなんの言葉を信じればいいのかもわかりません。 まだ側に置いておきたくてお墓はたててません。 お墓の意味もよくわかりません。 お墓を建ててそこに骨を入れれば成仏するんですか? お家に置いておいたらいつまでも成仏できないのですか? 子供と一緒に死んだらどおなるんですか? 家族四人でまたどこかで過ごせる保証があるのならすぐにでも死ぬのに、、、 結局自分はどおしていけばいいのかわかりません。 こんなことを考えている母親に育てられる子供が可哀想になります。 誰かまともな人に代わりに育ててもらいたくなります。 全部から解放されて消えたくなります。

有り難し有り難し 52
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老いて死に向かう事

介護の仕事をしています。 そして家では相棒の20歳の猫が弱っていく様を目のあたりのして、 人間も動物も歳をとり身体が思うように動かなくなり肉体的にも精神的にも痛く辛い思いをするように思います。 なぜかはわからないけれど命には寿命があって、皆いずれ死なねばならない。なのになぜ命は、わざわざ苦しみやすく出来ているのか、 脳ミソが、老いて寿命が近くなったら自動的に幸せホルモンのようななにか痛みを緩和させて穏やかになるような麻薬物質でも分泌すればよかったのに(そういうものがあるかもわかりませんが)、なぜそのように進化せず、やはり苦しみがちになるのだろうかと疑問に思っているのです。 また、相棒の猫は確かに20年いっしょに暮らしてきた家族だけれど、言葉を通してなにをしてほしいか、なにが食べたいかを迅速に伝えられない訳だから、きっとひとりぼっちで寂しくて、体も痛かろう、初めて老いて初めて死に向かうのに淋しかろうと、100%助けてあげられなくてすまなくて悲しくて眠れません。 やはり施設で暮らす高齢者の方々も寂しい思いで暮らしているだろうと思います。猫と比べるなと言われるかもしれませんが、同じように思ってしまいます。 道元禅師の生死の巻で、薪と灰の話、 前後裁断があったかと思いましたが、 今の私には死はやはり老いた先にあるもののように思えてなりません。身体の細胞ひとつひとつが活動できなくなった先にある死で、やはり苦しまずにはいられないんじゃないかと感じてしまいます。 あのお話だったか、生と滅にそれぞれ“さきありのちあり”とあった気もしますが、なにか私が今目の前にしているものの解釈のヒントになりそうなのに、いまいち理解ができません。 わかりにくい質問で申し訳ないのですが、ようは、なぜ命は苦しまなければいけないのか、なぜ苦しむのに生まれてくるのか、そしてそれをずっと繰り返してきたはずなのに、脳ミソが苦しみを除外するよう進化しなかったということはやはり必要があっての苦しみなのかしらと素人考えをしているわけです。かといって私の相棒の猫さんが死に向かって1人老いて苦しむのは切ない事です。。。それらが不思議で切なくてならないのです。 自然の摂理だから仕方がない事なのでしょうか?

有り難し有り難し 37
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死にたいので死なせてほしい

 小学生の時から死ぬことが一番やりたいこと、という状態です。ずっとそうなのだと何度説明し続けても家族に反対されたので仕方なく今日まで生きてきました。  その間に恋人を作ったり進学したりといろいろ人生のイベントを体験してきました。 ・一緒にいたくて頑張った人生初(そして恋ができなくなったのでおそらく人生最後)の相手がDVストーカーだった ・やりたくて始めた趣味は疾患で辞めざるをえなくなった ・理系希望なのに文系にしか進学できない素質だった ・職場でパワハラを受け、なにも感じなくなったので「おっこれは働きやすくていいぞ!」と好都合だったのに身体が悲鳴をあげてしまった ・復職はよくないということで間が悪いことにコロナ禍で転職活動をすることになった  等々、人生のイベントをそれなりにこなしてきたつもりです。  何故かやりたいことはやれないようになっていると気づいたので、できることをやるようにしています。ですが、それすらもすべておじゃんになっている状態です。できた!と思っても潰れたり、壊されたりしています。娯楽すら楽しむと何かの要因でできなくなります。  誰に話しても、「ずっと不運」「いつだって苦しすぎる」と言われます。私が死ぬことを反対した家族にすら言われます。  そしてみんな、「これからどうしたい?」と聞くのですが、「私は死にたいです」と言うとそれは駄目だと止めます(特に家族は死後必ず迷惑をかけるので、彼らには私の死を納得してもらいたいのですが…)。  私は負の意味で死にたいと考えているのではないのです。今までの人生、結果はどうであれちゃんと自分なりに努力をしてきましたし、その努力は周囲も認めてくれています。努力した分だけ自分が成長したことも分かります。  正直、私がいたことで良かったことはなにもなかったけれども、やって来たことに対して私は満足してしまったのだと思います。30~70代をすっ飛ばして今すぐ老衰で亡くなってもいいです。いい人生でした。  そこまで前向きに死を切望しているのに、どうして自分で死ぬ時期を決めさせてもらえないのでしょうか。私は今、自分の生に満足しているのでもう死にたいです。死んでいいはずです。死なせてほしいです。

有り難し有り難し 26
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