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検索結果: 1354件

たった今中絶をしました

どんな理由があるにせよ、これ以上の無責任な事はないと思います。 たった今目が覚めたところで、今点滴中です。 3人目の子を授かりました。 長男には体の障害があり、抱っこや補助などがずっといるのと、成長すればする程、本人の不自由さも増す障害なので、長男をほっておけないのと 次男はまだ1歳になったばかりで、次の子が産まれる時も、まだまだ話がちゃんと通じるというか、聞き分ける事の出来ない年齢という事と 金銭的な問題 旦那も、朝から夜中の1時2時にならないと帰ってこれない仕事なので、ほぼサポートが得る事が出来ないので、今回は泣く泣く諦めました。 でも、流産しやすい危機も乗り越え、ようやく人らしい形になんとなくなっていました。 1ヵ月を過ぎると、お腹の赤ちゃんも本能で逃げるそうです。それを掻き出す形になります。 長男の障害を受け入れる時に、命とはどんなに大切なものか。子供とは何か。当たり前のようで、全て奇跡で、日々感謝していこう。と思いながら、障害を受け入れただけに、今回の決断が悔しくて悔しくて、お腹の子に申し訳なくてどうしようもありません。 ちゃんと水子供養もするつもりですし、エコー写真を飾って毎日手を合わせるつもりではいますが、本当にやりきれない思いです。 親として最低の事をしてしまいました。せっかく来てくれた命なのに、、、産んであげられなかった これから私に出来る事。そして心の持ち方など、何かアドバイスがあればよろしくお願いします。 一生この罪は背負って生きていくつもりです。

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気持ちの整理がつきません

私の母親は私が3歳の時に再婚しました。5歳の時に妹が生まれました。そこから義父の態度が私には冷たくなっていきました。お父さんが違うと言う事を分かっていた為に余計、感じていたのかもしれませんが、義父が機嫌が悪いと当たるのは私。寝ている私の髪を踏んだり、ちょっとした事でも大きな声で怒ったり、無視される事はしょっちゅうでした。中学生になると手をあげる事もどんどんエスカレートして、母が離婚を決めました。離婚届けに半を押した日、義父は自ら命を絶ちました。私は自分のせいだと強く思いました。義父の母親、私からゆうとおばあちゃんからも、あんたが殺したんよと言われ続けました。母親と供養しようと月命日には毎月、お墓まいりをしていましたが、私の年齢があがるにつれ、供養しないととゆう気持ちと、今まであんな事されてきたのに。とゆう気持ちが重なり、お墓まいりをする気持ちになれません。私も結婚し、子どもが生まれ、親の気持ちが理解出来るようになって、余計思います。亡くなった人を悪く思うのは良くないと思いますが、どうしても前向きに考えられません。考えを改め直したいです。アドバイスを下さい。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 12
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2023/11/26

死にます。

死のうと思います。 幼い頃から親と親族に虐待されて育ちました。学歴もまともな職歴もない33歳です。 物心ついたころから色々なことにチャレンジしますが、全て失敗してきました。20代は医学部へ行こうと隠れ浪人を続け、叶わずただ貴重な20代を潰しました。 その後派遣を転々としましたが、いつも能力無しとして1ヶ月で派遣切りに合います。 高校生のころから鬱病と摂食障害を患っています。今は寝たきりで働けません。 風俗で働こうとしましたが、出来ませんでした。 色々なところに相談しましたし、病院も転々としましたが話を聞くだけだったり暴言を吐かれて終わりです。 日本人が嫌いです。 こんなはずじゃなかった。外に出るとしっかり働いてる人が羨ましくて情けないです。生活保護を受けようかとも思いましたが、公務員相手になんとなくみずぼらしくてなさけなくてやめました。 ずっと味方になってくれてた叔母も、孫ができてから私を捨てました。 友達もたいしていません。 疲れました、死のうと思います。でも首吊りしたら一人暮らしの賃貸だから親に迷惑かかると二の足をふんでしまいます。虐待されてきたのに洗脳されてるんです。 樹海で死ぬことを考えましたが、そこまで行く体力も気力もありそうにないです。 でも首吊ることにしました。もう疲れました。 情けないみっともない。 高学歴な親からすれば私は失敗作なんです。 長く申し訳ありませんでした。

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継承したお仏壇をどうするか・祀りかた

私が元気なうちに仏壇じまいをしたほうがいいですか? 一人っ子で育ちました。結婚した時に、養女と初めて知りました。 結婚の際、私は夫の姓を名乗り、夫にはマスオさんとして2年弱、養父母と一緒に暮らしてもらっていました。 養母はH19年7月他界。 お仏壇は養父が養母のために購入しました。 <宗派は浄土真宗・西本願寺> 養母が他界して間もなく養父もH20年3月他界。 当時、私は何も考えることなくそのまま黒仏壇を継承しました。 今まではそれでよかったのですが、私自身最近大きな病気を患ってしまい、 お仏壇のことが気がかりです。 私の考えは、子ども達には、お仏壇の継承までさせたくありません。 お墓は永代供養付きで既にあります。お参りだけで十分と考えています。 また、夫は長男で、下に妹2人居ます。 義両親は病気がちですが存命です。夫実家宗派は浄土真宗大谷派。 夫自身は、実家の仏壇は継承せず、<親が亡くなった場合>写真を飾っておくだけで十分。その時々で祀り方等、変化して当然という考えを持った夫です。 私自身、和室<仏間>にある仏壇ではなく、家族が生活する場所<リビング>に写真を飾る(祀る)ことによって、身近に感じられたらいいかなという考えに至りました。 私にもしもの事があった場合、養父母の遺影は棺に入れてもらい、 娘・息子には、リビングに置く予定の養父母の写真だけを継承してもらえたら…と考えています。 私が元気なうちに仏壇じまいをしたほうがいいのでしょうか。 最後に、寺院との付き合いは、通夜・告別式等7回忌迄で疎遠です。 養母13回忌は西本願寺で家族4人で済ませております。 色々なご意見、頂戴できれば幸いです。

有り難し有り難し 15
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縁起論争

上山春平・梶山雄一編  「仏教の思想 その原型をさぐる」 より  縁起ということは相依性(idappaccayata)ということで、相依性とは「これがあるとき、かれがある。これが生ずるとき、かれが生ずる。これがないとき、かれがなく、これが滅びるから、かれが滅びる」ということであると説かれている。後の中観学派では、この相依性は交互因果・交互媒介の意味でAとBとが、AがあるときBがあり。BがあるときAがあるという、A⇔Bの関係を成立させることであるという。『中論』の立場は空すなわち無自性(自己原因としての実体概念の否定)ということを、一切の存在(法)の交互媒介性によって考えようとするのである。  原始仏教の縁起説で縁起支の相互の関係が一方的な基礎づけの系列であるか、あるいは交互媒介的であるかは、わが国の学者の間でも議論のあったところで、一方的基礎づけと考えるのは和辻哲郎説であり、交互媒介説は宇井伯寿説が代表的である。和辻説によると、縁起支の関係がもし全く相互的であるとすれば、根拠付けの系列に縁起支の全体を秩序付けることも、本来不可能なことになる。これに対して宇井説は、原始仏教の縁起では、それぞれの縁起死が自己の中に全系列を映じ、いわば世界とモナドのような互いに映じ合う関係にあるとする。その結果縁起支AとBとの間に予定調和に基づく相互融入の関係が成立する。要するに相即相入という華厳哲学の交互媒介を───一即一切の世界観を前提としながら───原始仏教の縁起説の相依性を及ぼそうとするのが宇井説の特色である。 宇井伯寿や和辻哲郎は共に十二支縁起を「相依性」と解釈していた筈ですが、これによると両者の縁起観に若干の違いが有ると見受けられます。 和辻の主張する「一方的基礎づけ」と宇井伯寿の主張する「交互媒介」にはどのような違いが有るのでしょうか? 両博士は縁起の「相依性」を主張していた筈ですが、私にはこれらの差異が何を意味しているのかさっぱりです。

有り難し有り難し 9
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父について

昨年、父が亡くなりました。 父は私が幼い時に病気で倒れて復帰後は仕事を転々としていました。 主に体を使う仕事でした。 休日は友達と麻雀をしにいったりしていて母は父を放置していたので私は父と関わることがあまりありませんでした。外食をした記憶もありません。父親は働いてお金を渡すためにいる。そんな認識になっていました。 私が高校で下宿生活をしている時に父から電話がありました。 酔った口調で「ごめん。仕事辞めてもいいか?」と聞かれました? 私はその時自己嫌悪にかられて泣きました。 こんなにも追い詰められていたのに何もしてあげれなかったと。 後から知りましたが父は当時の職場で人間関係に疲れて鬱になっていたそうです。 その後も仕事を転々としていました。アルコール中毒にもなっていました。 鬱にもなります。働いても子の学費、生活費にとられ、手元には残らず、家族からは感謝もされない。 そんな父に感謝の言葉を伝えたときには昏睡状態でした。 伝わったかわかりませんし、父の死直後はそこまで落ち込みませんでした。 しかし今、娘が2人いて子供のために働いている中、職場ではミスばかり、将来の立ち位置が想像できない不安、地元から離れてるため誰かに相談することもできない。そんな状況の今になって父はもっと辛かったろうに。と後悔しています。 自分も父親同様に鬱になりそうな状態です。 今後この心情からどういう考え方をしたら解放されますか?

有り難し有り難し 4
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2024/05/18

亡くなった母の為に出来ること

数日前に母を亡くしました。闘病の末ではありましたが、あまりにも突然で心の準備もろくに出来ておらず、いつも明るく優しかった母を失い人生で最も大きなショックを受けています。 今も毎日ふとした瞬間に涙を流していますが、葬儀等を通じて少しずつ母の死を受け入れられるようにもなり、単に悲しむというよりは、他界した母の為に自分は何をしてあげられるのか?してあげるべきなのか?と考えるようになりました。(とりわけ、他界して間もない今だからこそ母に届くものがあるのではないかと信じています) 以下、質問というよりは、どなたかに「きっとそうだよ」と後押しをして欲しいだけのものもあるかも知れませんが、私の質問にお付き合いいただけますと幸いです。 ① 葬儀で母の棺に数々の思い出の品を副葬品として入れました。特に、楽しかった思い出をたくさんまとめたアルバムはなんとしてでも母に届けたい一心で準備しました。あのアルバムは、あの世の母のもとへは届いていますでしょうか?また、もし届いているとすれば、母はどういう思いでアルバムを眺めているのでしょうか?(もっと生きたかった、という具合に現世への悔い?それとも、楽しかった思い出を糧にしてくれているのか?) ② 母はとても愛情深い人で、これまでも愛犬の死や親族の他界にとても心を痛めていました。この度亡くなったことにより、母は、愛犬や親族に会えているのでしょうか?(延いては、私もいつかどこかでまた会えるのでしょうか?) ③ 死後1週間もたっていませんが、母はいまどういう状況にあるのでしょうか?そのために私が今、母のためにしてあげられることは何なのでしょうか? 具体的な行動(どこどこへ行く、何々をする、等)に紐つけてアドバイスをいただけると、私もそれを実践することで母を感じ、気が楽になる部分もありますので、そのようにご助言いただければ尚有難いです。 長文・乱文となり申し訳ありません。何卒よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 22
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過去の過ちに対する罪悪感で死にそうです。

私が高校生の時に父がある手術を受けました。そのとき私は何故か「父が死んだらどうなるだろう」とか「別に死んでもかまわない」「死んでもいいかな」などとても不謹慎な事を考えてしまいました。私は父が嫌いではなかったですし父の事を心配していたはずでした。しかしふとそんな考え、雑念のようなものが頭に浮かんでしまったのです。死ぬ事なんてまずないような簡単な手術だったのですが、そんな事を考えてしまいました。手術は無事成功してそれから5年ほど経って現在に至るのですが、最近ふとその事を思い出してあんな事を考えた自分が恐ろしくなって動悸がしてパニック状態になるぐらいです。今は親に対してそんな不謹慎な事を思うこともなく、あの時の事を申し訳なく思っていますし、反省も後悔もしています。親孝行したいという気持ちもあります。しかしあんな事を考えた自分が平然と生きていていいのか?と思うと怖くて怖くてたまらなくなります。趣味や好きな事で気を紛らわそうと思ってもその事が頭から離れず怖くてたまりません。許されない事だとわかっていますし。罪が消えない事もわかっています。しかしなんとか罪を償いたいです。私はどうすればいいのでしょうか?こんな私は生きていてもいいのでしょうか?アドバイスやご意見よろしくお願いします。

有り難し有り難し 17
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幸せと不幸せは平等にやってくる?本当に?

不幸のあとには必ず幸せがやってくる 人生はプラマイゼロになるようにできてる 最後には帳尻があう… みたいな話を聞きますが、本当にプラマイゼロで、幸せの量、不幸せの量は、みんなに平等なのでしょうか? ニュースでは、子供を虐待・命を落とす・・・そんな話が後を絶えず、胸が痛いです。 自分が親になって、いっそう、つらく感じます。 またなの? どうしてそんなことできるの? 子供が生を奪われるほどの、何をしたの? 望んでも、子供に恵まれない人もいるのに… 自分の産んだ子なのに… まだ赤ちゃんなのに… いつもいつも、不条理で、泣きたくなります。 そんなニュースは見たくもないし、こうして言葉にするのも、苦しいですが、 そういう事件を思うにつれ、疑問なのです。 本当に、人生はプラマイゼロなのですか? なんの非もなく、愛されることもなく、むごく、人生を奪われてしまって なのに、幸も不幸も、平等なのでしょうか。 因果応報なら、わかる気がするのですが、 この話は、ずっと納得いく答えが見つからないでいます。 たとえば子供に聞かれたら、何と言えばいいでしょうか。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 95
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死後みんな仏さまになって同じ世界に生きるのでしょうか

私の父は僧侶をしていました。 真宗の小さなお寺で、職業とは別で兼業していました。 でも、父は酔うと人に暴言を吐いたり、よそで女の人つくったり、言えないくらい、家族に迷惑ばかりかけていました。 私は母と家を出て、今は嫁いで家庭を持っています。 そんな父が急に亡くなりました。 僧をしていたので、父は「仕事」としてお経はあげていました。 悪人正機というのは、悪人であることを自分で認めた凡夫だからこそ救われると聞きました。 悪人であることを最後まで認めなかった父も、救われて仏さまになっているのでしょうか。 でも『地獄と極楽』という絵本を小さい頃読みました。 あの絵本では、生前ひどい人は地獄で苦しんでいました。 もう一つ、仏さまになったとして、その後どのように生活?するのでしょうか。 よく、私たちを見守って導いてくださる、と言いますが、この世でのつながりが深かった人のところに行き導くのでしょうか。 もし私が往生したら、父と同じ世界に行き、また娘としてくらすことになるのでしょうか。 とりとめなくすみません。 父の死も、生前の行いも、もう昔のこととして受け入れていますが、仏教の教えでは、このあとどのように生きているのか気になりました。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 61
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