初めまして。今回凄く悩んでいることがあり相談させていただきます。よろしくお願いします。 私は最近自分はそろそろ死んでしまうんじゃないかと思って(考えて)しまいます。 原因は5ヶ月前に見た夢で、半年後に死んでしまうと言われたことです。私はまだ死にたくないです…数日前にもそろそろ死ぬと言われる夢を見てしまい毎日恐怖で泣いてしまいます。怖くて怖くて…家のお仏壇の仏様にもしっかりと手を合わせてお願いをしてしまうくらいに悩んでいます… ですが、このまま悩んでてはいけないと思い、気分転換で物事に手をつけようとすればするほどそのことが頭をよぎり、手をつけられなくなってしまいます。親にも友人にも相談できません… ついには親の死のことまで考えてしまいます…怖いです 私は夢の通りにこのまま死んでしまうのでしょうか?まだまだこの先も楽しく生きて、そして長生きしたい気持ちが凄く凄く大きいです。なので私はまだ死にたくないです! 私はどうすればいいのでしょうか…?
産まれた時から「道具」とされてきました。離婚阻止の「道具」、嫁いびりの「道具」、姑に仕返しの「道具」。そう子どもの頃から言われて育ちました。小学生になら不登校になったら大人たちは「面倒くさいから、いらない」と言うようになり責任転嫁をするため大人たちの怒鳴りあいの日々になりました。高校生になりバイトをしたくて親に内緒で申し込んだところバレ、「お前は不登校だったんだ。お前はバイトなんかできない」毎日、毎日。暗示にかかったように「私にはできない」そう思うようになってしまいました。わたしも洋服を自分で選んで買いたいお年頃に!! るんるん♪で初めて自分で洋服を買って帰ったある日、待ちかまえていました「うわぁ~、センス悪い。お前は無理」の言葉。40歳にもなって服、靴を母親と一緒に見に行く兄。母親の言うことを聞くいい長男さんと違い反発する私。 「お前のようは済んだ。生きていても価値がない」家を出ていこうとしたら「私は孤独死だ。お前は親を捨てる酷い女」と泣きながら仕事の関係で隣の県に住んでいる兄に電話をし兄から「お前は親に罵声を」と怒鳴る怒鳴る。 「親は子どもに何を言っても、やっても良い。それが親の特権」だそうです。 高級料の仕事に就けば「この家をお前に乗っ取られる」 パートの仕事に就けば「能無し」 失業すれば「いらない人間」 そんなこんなで自信は蜃気楼みたくなっていました。 だけど明日、私は人生をかけて「やりたい仕事」の試験を受けようとしています。 オーバーな!とおっしゃるかもしれませんがラストチャンスです。 ドクターXの大門センセみたく「私、失敗しないので!」と言いたい勢いです。 認めてもらえたこと、応援してくれたことは、このhasunohaのお坊さんだけと言っても過言ではないです。 私の背中、押して頂けませんか? 「行け~!!!」って背中を押してください。 よろしくお願い致します。
小さい頃から、命が有限であることをネガティブにとらえ、生きることに執着してしまいます。 仏教の教えに従うことで、こうした心が安定するのを感じます。 しかし、一方で、「死を受け入れるしかないなんて虚しい」とも思ってしまいます。 心が安定する→虚しくなる→心が安定する→虚しくなる、この繰り返しです。 このまま死ぬまでこのループから抜け出せないのではないかと不安な気持ちでいっぱいです。 最終的に、死に対してどのように向き合えるようになれればゴールなのか教えていただきです。
啖呵切ってハスノハとはお別れ宣言したのに出戻りですみません 結局私はここでしか辛い苦しみと悲しみを吐き出せません どうして死んではいけないのですか。 自殺率世界一位、幸福指数世界最低のこの国で、どうして死は許されないのですか 生きたかった筈の生命の中絶ですら許されているのに 命に別状がない程度の、だけど治りやしない病を永遠に抱えていく人生で、辛くて辛くて死にたいです もう体は勿論心も痛くて辛くて死にたいのです。生きてきた間、こんなにも辛い思いをしているのですから、せめて最後は安らかに死にたいです。もうあらゆる事から許されたいです 私は医者が大嫌いです それでも今日、耐え難い痛みに苛まれて病んだので、嫌な気持ちを我慢して、病院にいきました 医者は、貴方程度の患者は星の数ほどいると言い、多少の嘲笑も交えて。ろくな内診も診察もせず 医者にすら病の苦しみを理解して貰えず、私は心底悲しみ、生まれてきたことすら後悔しました。介護してくれている親にも申し訳ないです もう何もかもが嫌です。死にたいです。死にたいです 本人は辛くて生きていたくないのに 社会は自殺者に対して非常に厳しく 安楽死に否定的です 自分で命の決着を決める尊厳死の制度の何がいけないんですか 死にたいです。辛いです。毎晩生き恥をさらし心身の苦痛に泣いてます どうしたら良いのかわかりません 死にたいです 大好きな親にそっと息の根を止めてほしいと思ってしまいます もう限界です 答えにくかったら回答は不要です 辛い気持ちを吐き出させて頂きありがとうございました
以前こちらで相談したのですが、最近になってまた死が怖くなってきました。 もちろん、自分の死もですが親の死や友達の死も怖いです。 考えても無駄と言うのはわかりますが、不安で仕方がないのです。 ネットで調べて見ても、臨死体験と言って、死後は無と言ってる人と天国があると言ってる人もいてどっちかわかりませんし、死後の世界は考えにくいらしいし、どうすればいいかわかりません。 親が死ぬのが怖い、友達も、いつかできる彼女なども死ぬのが怖い、もちろん自分も。 どうすれば良いでしょうか?死後の世界は架空の世界でしょうか?それを考えると色々なことを楽しめず、朝食を吐いてしまったり、どうすればいいですか?お坊さんは怖くないのですか教えてください。お願いします。 後、死後の世界があったらおじいちゃんとおばあちゃんだらけじゃないですか?しかも、僕は死んだら親を求めるけど僕の親はおばあちゃんを求めて、おばあちゃんはひいばあちゃんを求めてってなりませんか?考えすぎでしょうか?
今の暮らしにこれといって不満はないのですが、結婚や親の介護、自身の老後を考えると不安ばかりです。 自身が歳をとって介護が必要になる前に死ねれば安心なのですが、人に迷惑をかけてまで生きたいとも思えないですし、その頃には自殺をすることもできないだろうと思うと早いうちにしてしまってもいいのかとよく考えます。 家族や友人達のことを考えると思い止まってしまうのですが、いつか訪れる彼らの死を考えると耐えられないだろうし、その前に死んでおきたい気もします。 3年ほど前に仕事をきっかけに鬱になり自殺しようとしたこともありますが、結局勇気もなく途中でやめてしまったりでこれまで何となく生きてきました。 付き合っている彼とは結婚も考えてもいますが、このように考えているような人間が結婚なんてしていいのかとも思います。 このまま生きて親になったとしても、子供にこのような思考が影響するのではないか、自殺を考えるような人が親になっていいのか、考えても結論が出ません。 文章がまとまらず申し訳ありませんが、他の誰にも相談できず悶々としていたところ、こちらを見つけ相談させていただきました。 ご教授のほどよろしくお願い致します。
人間は死んだらどうなるか誰も知りません。僕は死後の世界があり、生前親しかった人達と共に死後を過ごすと考えています。 しかし死後の世界があるとは限りません。だからもしかしたら死んだら無で家族や友達と一生会えないだけではなく自分自身、もう地上に戻れないという不安が湧いてしまいます。 僕自身1ヶ月前のように死の怖さを考えることなく生活していきたいです。回答よろしくお願い申し上げます。
私の父は3年半程前に自死しました。 長年病気をしながらもお酒、タバコがやめられず、アルコール依存や病気に苦しんだ結果、死を選んでしまったのだと思います。 まさか自分の父親をこんな形で亡くすとは思っておらず… 最後に病気で入院してた頃私は妊娠中。自宅安静だったこともあり一度もお見舞いにも行きませんでした。 退院した父親から報告の電話が来た際、「お父さんはもう頑張れないからな、お前は頑張れよ」と弱気になる父に「そんなこと言わず、孫の顔くらい見てってよ」とポンと言い返してしまいました。 そしたら、私の言葉通り孫の顔だけ見て半年、突然死んでしまいました。私の言葉が父を死なせたんだと言う思いが強く、眠る父を見る親族が「やっと楽そうな顔になった」と言う中、私にはどうしても苦しそうに見えて、父は何を思い、どんな気持ちで死んでいったんだろうと言う後悔のような気持ちでいっぱいです。 私はお酒を飲む父が嫌いで、酔っている父に娘を触らせたくなかった。だから父が娘を抱く写真は一枚しかありません。 こんな親不孝の娘、父はどんな想いで自ら死を選んでいったのでしょうか。 あの時の私の言葉の後悔、どうすれば楽になるのでしょうか。夜中に突然、なんで父は死んだのかな、私のせいかな…と考え、眠れなくなります。 そして、娘である自分もいつか同じ死に方をしてしまうんじゃないか、また母や兄弟たちが同じようにならないか、と恐怖でもあります。 自死した父は死後どうなるのでしょうか。
おはようございます。 唐突な質問で申し訳ありません。 友人についての質問です。 私も友人も精神疾患を持っています。 私も病状がひどい時は自傷行為を繰り返したり、自殺未遂を繰り返したりしたこともあるのですが、幸い周りや主治医に恵まれ今では寿命がくるまで生きたい死ぬときは笑って死ねればいちばんと思えるようになりましたが、友人はまだ気持ちの波が激しく前を向いてがんばろうと思ってくれる時もあれば何かに傷ついたり、落ち込むと死を考えてしまうことがあるようです。私はなんとか彼女にも 生きてほしいと願っています。 色々苦しいことが彼女にはあるのは理解してはいるつもりではあるのですが、環境の違いや、悩み事の違い、病状の違いその他いろいろなこともあり自分なりに生きてほしいことを伝えてはいるのですがやはり彼女には命の重さをうまくは伝えきれていないように思えます。 お節介なのは承知の上ですが、 自分の関わっている人には生きてほしいと願いますし、命の重さもわかってほしいと思います。きれいごとではなく 命の大切さをどう伝えればよいのでしょうか?本来ならご両親がいちばん悲しむと言いたいところではありますが 彼女のご両親は今で言う『毒親』で 彼女をゴミ扱いするような親だと聞いているため両親が悲しむと言っても伝わらないと思っています。両親はともかく 私を含めた友人を悲しませることになることは既に伝えてあるのですが… 命の大切さをどのように伝えていけばいいのでしょうか? 私も彼女もアラフィフですが、まだまだ できることや人生を楽しむことはできると思っているのでそのことも伝えてはいるのですが… 私も体調を崩して会社を退職し今は自宅で療養している身で彼女はほぼ引きこもり状態ということもあるので余計に命というものを大切にしてほしいと願うばかりです。なのでどう伝えればいいのかを 伝えたいと思っています。 ご教授よろしくお願いいたします。
毎回同じような相談をしてすみません。母が亡くなり2年が経とうとしています。詳しくは言えないですが、私が、母を殺したようなものです。30代にもなって母に何一つ親孝行もせず、反抗ばかりしてきました。そんな私を母は全て受け入れてくれていました。母の死を無駄にしないためにも前向きに生きなければいけないのに、何をやっても上手くいかず続きません。私が、きちんと生きなければ母に償えないのにこのままでは、生きているだけで、私は何の役にも立たない迷惑な人間です。死にたくても死んだら死んだで周りに迷惑です。母へ償いもできず周りには、迷惑ばかりかけています。こんな私が、生きていていいんでしょうか、母に謝りたくても突然亡くなったので母の最期にも会えませんでした。もう2年も経つのに自分が情けないです。いつまでもいつまでも前向きに努力できない。消えてなくなりたいです。長い文章すみません。
30代女です。 小さい頃に母を病気で亡くし、そこから死に対しての恐怖心が生まれました。小学生の時に死ぬのが怖いと感じるようになり、死ぬのは嫌だと泣いたことがありました。 そこから中学高校大学、仕事と、小学生のときのように泣くほど怖がったことはないですがうっすら漠然と死ぬのは怖いなと考えることもありました。色々と忙しかったこともあり、考える時間も少なくなってきていました。 しかし、30代になり、ずっと続けていた仕事を人間関係で揉めて、中途半端な時期に辞めました。辞めたことに後悔はなく、ずっと続いていた人間関係でのストレスも一気になくなり、最初は楽しく考えていました。しかし、暇でずっとゲームをする日々、そして自分が30代という年齢に突入したこと、周りの人は結婚をして落ち着いている中恋人もいない、次の仕事もまだ探し中、親も父のみ、そして一般的な私の年代の親よりも歳をとっていますので、父の死についても考えるようになり、父が死んだあと自分は生きていけないという考えからまた、小学生の時のような自分が死ぬことへの恐怖心が再び芽生えました。 ネットで色々調べましたがタナトフォビアだと思います、身近な人が死ぬのも恐怖ですが、自分が死ぬことへの怖さ、無になることへの恐怖が強く、突然発作のように発症し、過呼吸になったり涙が出たりととてもしんどい思いをしています。生きたくないとは思いません。死にたくないのです。しかし、不老不死のように永遠に生き続けるのも怖いです。矛盾していますが...。1度考え出すと恐怖が止まらず、夜も眠れません。今の自分の状況がこの先不安でしかなく、30代にもなってこのタイミングで結婚もしないまま死んでいくという考えしかできず、ずっと怖いです。タナトフォビアの克服など検索しましたが、読むだけで怖いです。助けてください。
息子が自死して、1年以上たちますが彼の悩みや苦悩に何故気づけなかったのかと今でも、思います。 家事も料理も得意ではなく、他に料理上手で家庭的な母親のところに生まれれば、死ななくてもすんだのではないかと思ってます。 仕事ばかりで、寂しい思いさせていて、看護師をしていますが、患者は救えても息子は救えなかった。 こんな母親のところに生まれて、息子は幸せだと感じた事あったのでしょうか。
両親のことが好きです。でも、憎いと思うことがあります。 正直、親の勝手で生まれてきた命です。 人の命が互いに量りしれないのなら、親が先だろうと子が先だろうと誰かが悲しみに打ちひしがれるんです。 親は子に愛と絶望を与えるイキモノです。 以前の問いで、両親より1日でも長く生きることを8年前に決めたと言いました。 それは、両親を悲しませたくないからです。 では、親は子を悲しませていいのか? たしかに事故や自殺などなければ人の命は順番かもしれない。 でも、そんなのずるいですよ。 だって子にとって親は、親にとって子が大切なのと同じくらい大切だからです。 自分の考えは間違っているでしょうか?
この間、胸にしこりが見つかったので、乳がんの検査をしたら今のところ良性と言うことで、親が1番ほっとしていた様子でした。自分的には失礼ですがガンになって死んでも良かったのにな…と死にそびれたと思っています。と、同時に、大病を患えば親は構ってくれるのか、余命幾ばくも無ければきっと親から無償の愛を受けられると思っている自分がいていやです。 自分は主に母に心理的虐待を20年も受けてきたものですが、母のことは大好きです。しかしそれもあって双極性障害などの精神病にかかっており、自傷行為や死にたくなる、いわゆる自殺企図希死念慮が襲ってくる人生になってしまいました。自分には生きる価値が無いと思っているので、さっさと人生を終わらせたいのに、自殺未遂で終わり結局生きているわけです。 少し話が逸れましたが、親は精神病の方の『死にたい』に寄り添ってはくれますが、もっと自分を見て欲しい…と思ってしまいます。かまって欲しいのです。この歳になっても。恥ずかしいことです。大病を患ってなんて、患者さんに失礼な話でもあります。 昔から親の目線が自分以外の兄妹にいくと嫉妬し癇癪を起こす子供ではありました。 このかまって欲しいという気持ちはどうしたら良いでしょうか? 乱文失礼しました。
はじめまして。 9月にまだ4ヶ月になったばかりの子供が突然亡くなりました。 子供と2人でお昼寝をして、ふと目が覚めて隣を見た時には子供の体は冷たく心肺停止の状態になっていました。 病院で蘇生し、小さな体で最後まで頑張ってくれましたが4日後に亡くなってしまいました。 原因不詳の突然の死に気持ちがついていきません。 数時間前まで私に笑いかけてくれていた姿と、目が覚めた瞬間に見た真っ白になって隣で眠る姿が頭に浮かんで眠れません。 私のせいで亡くなったわけじゃないとお医者様や周りの方に言われてもどうしても同じ空間にいたのに変化に気付くどころか寝てしまっていた自分のせいだと思ってしまいます。 私が笑うと一緒になって笑ってくれた子供の為にも笑顔でいたいのですが、子供の事を考えるとどうしても涙が止まりません。 自分の為にも、子供の為にも前を向いて生きていきたいのにどうしてもできそうにありません。 前を向く為の一歩として、また子供を作ることも勧められましたがまた自分の子供がなくなってしまうのではないかと不安で仕方ありません。 どうすればきちんと子供の死と向き合えて、前を向ける日がくるのでしょうか。助けてください。
私はキリスト教と仏教のもとで育ちました。 学校はキリスト教で、お葬式などは仏式が多かったです。 ハスノハは、非常に説得力がある意見もあり、頼っています。 仏教の話もキリスト教と同じかそれ以上好きです。 しかし、キリスト教的な祈りが一番馴染むのです。 古典的な宗教は、同じこと、人間の本能に従って考えつくされたもので、共通するものがたくさんあると思っています。 天の国を悟りと考えたいのかもしれません。 邪道と言われる方もいると思いますが、 父母もキリスト教を信じていた時期もあるので、 僕がキリスト教で育つことになったのですが、 今の両親は、無宗教に近いです。 既存宗教に疑念を感じ、個人の問題と考えている感じで、 ぼくも似ています。 しかし、葬式をどうするかという話がずいぶん前に出たのですが、 家族の意見ががバラバラだったのです。 親も老いてきて考えると、 仏教を信じて、「悟りの中に救われて」亡くなっていく人と、 キリスト教に肩入れしながら、天の父に迎えられると思いながら去っていくことが、 違うものであってほしくないと思ったのです。 母は、無宗教で、自然に返るかのように楽になりたいと思っています。 父も、曹洞宗に肩入れしてますが、似た感じだと思います。 キリスト教に肩入れしている自分だけべつな場所に行くような気がして非常に寂しいです。 これをどう思われますか? これからも続く人生、いつ死ぬかわかりません。 死んでも共にいられる・・・というような安心感が欲しいのかもしれません。 それは、宗教的な問題ではなく、日常で考えるべきことで、いま寂しいだけかもしれません。 考えて行こうと思いますが、 何度か考えたことなので、ご意見を伺ってみたいのです。 1人の凡夫として諭していただけたら 本望かと存じます。
3年前弟が23歳で不慮の事故で急死しました。 母親、父親、私、弟、弟の仲の良い家族でした。特に私は周りからブラコンと言われるほど弟2人が大好きで自慢でした。 でも亡くなった真ん中の弟とはお互いに一人暮らしを始めてからは連絡もあまり取り合っていませんでした。小さい頃は仲が良かったのですが、昔から性格や考え方が真逆で大人になるにつれて合わなくなっていきました。でも大好きな気持ちは変わらないしまさかこんなに早くにこんな形で会えなくなってしまうなんて微塵も思っていなかったので、もっと大人になってお互いに子どもなどができたらまた分かり合えるしまたいつでも会えると思っていました。もっと話したかった。もっと会いたかった。たくさん後悔があります。 今は私も日常生活に戻って仕事もしているし実家に行ったり友人や彼と旅行に行ったりしていますが、ふとした時に色んな後悔や喪失感が込み上げて寂しくて悲しくてどうしようもなくなります。急にスイッチが入ったように涙が止まらなくなります。まだ受け入れられず本当はまだ生きてるんじゃないか、悪い夢を見ているだけなんじゃないかと思えて仕方ないです。 でもやっぱり1番辛いのは母でそれを側で見ていると悲しくなります。 私は一緒に悲しんで1番下の弟は一緒に笑って、なんとかこの3年2人で母を支えて生きてきたつもりです。 弟には勝手な事をして勝手に親より早くに死んで親不孝だと言って喧嘩したくなります。でもそれももうできません。 気持ちを整理するために本も書きました。 それでもやっぱりなんで弟だったんだろう、なんで私がこんな思いをしているんだろうと現実にしんどくなります。 死にたいわけじゃないし母がいる限り絶対に死ねないですが、早く私もあの世に逝きたいなあなんて思ったりもしてしまいます。 あとひとつ、たまたま死ぬ前に弟は1番直近に3人兄弟で撮った写真を見ていたみたいです。 なぜ見ていたのかはわかりませんが、私はどんな気持ちでみていたんだろうと今だに疑問に思います。 ①お母さんを頼む ②私と1番下の弟を目に焼き付けたかった どう思いますか? 大切な方を亡くされた方はどうやってこの辛さを乗り越えましたか? 家族の死を乗り越えるためにはどうしたら良いですか?
初めまして 調度1年前に乳癌と診断され、すぐ手術し、夏に抗がん剤治療が終わりました。 ステージ1ではありましたが、増殖性が非常に強いタチの悪いタイプの癌で、死を意識せざる負えません。 私は離婚し旦那はおらず、子宝にも恵まれませんでしたので、誰かのために生きなければ行けない!とは強く思ってはいません。なのに、死ぬのがなぜが悲しいのです。人並みに楽しいこともしてきたし、仕事も頑張りました。何に対しての未練なのか分からないのです。 親やきょうだいには「みんな平等に死ぬんだから、早いか遅いかの違いだよー」って言ってるのに。 心の整理の付け方、生への未練の経ち方、教えてください。
私は、あと何年、苦しまねばならないのでしょうか? 「老いも病も受け入れよう」(瀬戸内寂聴・著、新潮社) 7年前に、この本を読んでいるのですが、受け入れられない自分に、折り合いをつけられません。 私は、寝たきりの状態や認知症になってまで、生きていたくありません。私は、その可能性が高く、安楽死が認められていない今の日本では、長生きしても苦しむだけです。 前回の質問で、文中に「親の二の舞を演じる可能性が高い」と書きましたが、本当にそうなりつつあります。昨年、特殊詐欺の被害に遭ってから、その傾向に拍車がかかったと感じます。 私は、これまでに、何度か「殺されかかったこと」があります。とりわけここ数年、その時に殺されていれば・・・と、夜中にうなされることが、増えました。 登録名・しげさん様(名指しでゴメンなさい)のつぶやきに、「安楽死希望」という主旨のものが、あったと記憶しています。私の考え方と、かなり近いです。ただ、今の日本では、安楽死は認められていないので、親の介護が終了して「お役御免」となっても、私はまだ「生きて」いますが・・・。 質問やつぶやきを読むと、「死にたい」「なぜ生まれたのか」などと、嘆く方も多いですが、もっともな話です。回答僧の皆様の考え方にも、一理ありますが・・・。 読売新聞社に、「安楽死を容認する法案を、早急に成立させるよう、国会議員に働きかけを・・・」という投書も、出しています。ことごとく「無視」されましたが・・・。 回答僧の皆様は、問答を読む限りでは、ほとんどの方が、安楽死に「反対」のようですね。 私は、独り身なので、長生きする必要性は、ないでしょう。兄とは、ほぼ絶縁状態です。兄は、「死ね」と、私を罵倒しましたから・・・。 本音を言えば、国会で「安楽死容認法案」が成立したならば、その権利を行使したいです。そうすれば、死の予定日から逆算して、慈善団体にいくら寄付可能か(残りの生活費の計算)などの、数字・金額を弾き出せますし・・・。 字数制限の関係で、文章をかなりはしょってしまったので、要点が曖昧になったかもしれません。 私が、受容できない自分を受容することは、永久に不可能なのでしょうか? 「一切皆苦」と言いますが、安楽死が認められていない今の日本の現状では、死ぬまで七転八倒するしか、選択肢はないのでしょうか?
以前も質問させて頂いてのですが、 すみません。 カウンセラーとかにも行ったのですが、 死の恐怖が消えません。永遠に生きるのも怖いし、無とか、生まれ変わるとかも、怖いんです。 仏教やキリスト教の教えを信じれるようになりたいです。 心療内科は、薬をもらって一時的な気を紛らわすだけで、やはり性格を変えないと行けないと思いました。こんな性格で親になれるのか悩んでもいます。 お坊さんはどのように死と向き合い、穏やかに過ごされているのでしょうか?