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検索結果: 817件

父の死について

私の父は3年半程前に自死しました。 長年病気をしながらもお酒、タバコがやめられず、アルコール依存や病気に苦しんだ結果、死を選んでしまったのだと思います。 まさか自分の父親をこんな形で亡くすとは思っておらず… 最後に病気で入院してた頃私は妊娠中。自宅安静だったこともあり一度もお見舞いにも行きませんでした。 退院した父親から報告の電話が来た際、「お父さんはもう頑張れないからな、お前は頑張れよ」と弱気になる父に「そんなこと言わず、孫の顔くらい見てってよ」とポンと言い返してしまいました。 そしたら、私の言葉通り孫の顔だけ見て半年、突然死んでしまいました。私の言葉が父を死なせたんだと言う思いが強く、眠る父を見る親族が「やっと楽そうな顔になった」と言う中、私にはどうしても苦しそうに見えて、父は何を思い、どんな気持ちで死んでいったんだろうと言う後悔のような気持ちでいっぱいです。 私はお酒を飲む父が嫌いで、酔っている父に娘を触らせたくなかった。だから父が娘を抱く写真は一枚しかありません。 こんな親不孝の娘、父はどんな想いで自ら死を選んでいったのでしょうか。 あの時の私の言葉の後悔、どうすれば楽になるのでしょうか。夜中に突然、なんで父は死んだのかな、私のせいかな…と考え、眠れなくなります。 そして、娘である自分もいつか同じ死に方をしてしまうんじゃないか、また母や兄弟たちが同じようにならないか、と恐怖でもあります。 自死した父は死後どうなるのでしょうか。

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死ぬことを止めたい

おはようございます。 唐突な質問で申し訳ありません。 友人についての質問です。 私も友人も精神疾患を持っています。 私も病状がひどい時は自傷行為を繰り返したり、自殺未遂を繰り返したりしたこともあるのですが、幸い周りや主治医に恵まれ今では寿命がくるまで生きたい死ぬときは笑って死ねればいちばんと思えるようになりましたが、友人はまだ気持ちの波が激しく前を向いてがんばろうと思ってくれる時もあれば何かに傷ついたり、落ち込むと死を考えてしまうことがあるようです。私はなんとか彼女にも 生きてほしいと願っています。 色々苦しいことが彼女にはあるのは理解してはいるつもりではあるのですが、環境の違いや、悩み事の違い、病状の違いその他いろいろなこともあり自分なりに生きてほしいことを伝えてはいるのですがやはり彼女には命の重さをうまくは伝えきれていないように思えます。 お節介なのは承知の上ですが、 自分の関わっている人には生きてほしいと願いますし、命の重さもわかってほしいと思います。きれいごとではなく 命の大切さをどう伝えればよいのでしょうか?本来ならご両親がいちばん悲しむと言いたいところではありますが 彼女のご両親は今で言う『毒親』で 彼女をゴミ扱いするような親だと聞いているため両親が悲しむと言っても伝わらないと思っています。両親はともかく 私を含めた友人を悲しませることになることは既に伝えてあるのですが… 命の大切さをどのように伝えていけばいいのでしょうか? 私も彼女もアラフィフですが、まだまだ できることや人生を楽しむことはできると思っているのでそのことも伝えてはいるのですが… 私も体調を崩して会社を退職し今は自宅で療養している身で彼女はほぼ引きこもり状態ということもあるので余計に命というものを大切にしてほしいと願うばかりです。なのでどう伝えればいいのかを 伝えたいと思っています。 ご教授よろしくお願いいたします。

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死ぬのが怖い

30代女です。 小さい頃に母を病気で亡くし、そこから死に対しての恐怖心が生まれました。小学生の時に死ぬのが怖いと感じるようになり、死ぬのは嫌だと泣いたことがありました。 そこから中学高校大学、仕事と、小学生のときのように泣くほど怖がったことはないですがうっすら漠然と死ぬのは怖いなと考えることもありました。色々と忙しかったこともあり、考える時間も少なくなってきていました。 しかし、30代になり、ずっと続けていた仕事を人間関係で揉めて、中途半端な時期に辞めました。辞めたことに後悔はなく、ずっと続いていた人間関係でのストレスも一気になくなり、最初は楽しく考えていました。しかし、暇でずっとゲームをする日々、そして自分が30代という年齢に突入したこと、周りの人は結婚をして落ち着いている中恋人もいない、次の仕事もまだ探し中、親も父のみ、そして一般的な私の年代の親よりも歳をとっていますので、父の死についても考えるようになり、父が死んだあと自分は生きていけないという考えからまた、小学生の時のような自分が死ぬことへの恐怖心が再び芽生えました。 ネットで色々調べましたがタナトフォビアだと思います、身近な人が死ぬのも恐怖ですが、自分が死ぬことへの怖さ、無になることへの恐怖が強く、突然発作のように発症し、過呼吸になったり涙が出たりととてもしんどい思いをしています。生きたくないとは思いません。死にたくないのです。しかし、不老不死のように永遠に生き続けるのも怖いです。矛盾していますが...。1度考え出すと恐怖が止まらず、夜も眠れません。今の自分の状況がこの先不安でしかなく、30代にもなってこのタイミングで結婚もしないまま死んでいくという考えしかできず、ずっと怖いです。タナトフォビアの克服など検索しましたが、読むだけで怖いです。助けてください。

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親にかまって欲しい

この間、胸にしこりが見つかったので、乳がんの検査をしたら今のところ良性と言うことで、親が1番ほっとしていた様子でした。自分的には失礼ですがガンになって死んでも良かったのにな…と死にそびれたと思っています。と、同時に、大病を患えば親は構ってくれるのか、余命幾ばくも無ければきっと親から無償の愛を受けられると思っている自分がいていやです。 自分は主に母に心理的虐待を20年も受けてきたものですが、母のことは大好きです。しかしそれもあって双極性障害などの精神病にかかっており、自傷行為や死にたくなる、いわゆる自殺企図希死念慮が襲ってくる人生になってしまいました。自分には生きる価値が無いと思っているので、さっさと人生を終わらせたいのに、自殺未遂で終わり結局生きているわけです。 少し話が逸れましたが、親は精神病の方の『死にたい』に寄り添ってはくれますが、もっと自分を見て欲しい…と思ってしまいます。かまって欲しいのです。この歳になっても。恥ずかしいことです。大病を患ってなんて、患者さんに失礼な話でもあります。 昔から親の目線が自分以外の兄妹にいくと嫉妬し癇癪を起こす子供ではありました。 このかまって欲しいという気持ちはどうしたら良いでしょうか? 乱文失礼しました。

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子供の死

はじめまして。 9月にまだ4ヶ月になったばかりの子供が突然亡くなりました。 子供と2人でお昼寝をして、ふと目が覚めて隣を見た時には子供の体は冷たく心肺停止の状態になっていました。 病院で蘇生し、小さな体で最後まで頑張ってくれましたが4日後に亡くなってしまいました。 原因不詳の突然の死に気持ちがついていきません。 数時間前まで私に笑いかけてくれていた姿と、目が覚めた瞬間に見た真っ白になって隣で眠る姿が頭に浮かんで眠れません。 私のせいで亡くなったわけじゃないとお医者様や周りの方に言われてもどうしても同じ空間にいたのに変化に気付くどころか寝てしまっていた自分のせいだと思ってしまいます。 私が笑うと一緒になって笑ってくれた子供の為にも笑顔でいたいのですが、子供の事を考えるとどうしても涙が止まりません。 自分の為にも、子供の為にも前を向いて生きていきたいのにどうしてもできそうにありません。 前を向く為の一歩として、また子供を作ることも勧められましたがまた自分の子供がなくなってしまうのではないかと不安で仕方ありません。 どうすればきちんと子供の死と向き合えて、前を向ける日がくるのでしょうか。助けてください。

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死と宗教について

私はキリスト教と仏教のもとで育ちました。 学校はキリスト教で、お葬式などは仏式が多かったです。 ハスノハは、非常に説得力がある意見もあり、頼っています。 仏教の話もキリスト教と同じかそれ以上好きです。 しかし、キリスト教的な祈りが一番馴染むのです。 古典的な宗教は、同じこと、人間の本能に従って考えつくされたもので、共通するものがたくさんあると思っています。 天の国を悟りと考えたいのかもしれません。 邪道と言われる方もいると思いますが、 父母もキリスト教を信じていた時期もあるので、 僕がキリスト教で育つことになったのですが、 今の両親は、無宗教に近いです。 既存宗教に疑念を感じ、個人の問題と考えている感じで、 ぼくも似ています。 しかし、葬式をどうするかという話がずいぶん前に出たのですが、 家族の意見ががバラバラだったのです。 親も老いてきて考えると、 仏教を信じて、「悟りの中に救われて」亡くなっていく人と、 キリスト教に肩入れしながら、天の父に迎えられると思いながら去っていくことが、 違うものであってほしくないと思ったのです。 母は、無宗教で、自然に返るかのように楽になりたいと思っています。 父も、曹洞宗に肩入れしてますが、似た感じだと思います。 キリスト教に肩入れしている自分だけべつな場所に行くような気がして非常に寂しいです。 これをどう思われますか? これからも続く人生、いつ死ぬかわかりません。 死んでも共にいられる・・・というような安心感が欲しいのかもしれません。 それは、宗教的な問題ではなく、日常で考えるべきことで、いま寂しいだけかもしれません。 考えて行こうと思いますが、 何度か考えたことなので、ご意見を伺ってみたいのです。 1人の凡夫として諭していただけたら 本望かと存じます。

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2023/04/18

私の「定命」は・・・(安楽死所望)

私は、あと何年、苦しまねばならないのでしょうか? 「老いも病も受け入れよう」(瀬戸内寂聴・著、新潮社) 7年前に、この本を読んでいるのですが、受け入れられない自分に、折り合いをつけられません。 私は、寝たきりの状態や認知症になってまで、生きていたくありません。私は、その可能性が高く、安楽死が認められていない今の日本では、長生きしても苦しむだけです。 前回の質問で、文中に「親の二の舞を演じる可能性が高い」と書きましたが、本当にそうなりつつあります。昨年、特殊詐欺の被害に遭ってから、その傾向に拍車がかかったと感じます。 私は、これまでに、何度か「殺されかかったこと」があります。とりわけここ数年、その時に殺されていれば・・・と、夜中にうなされることが、増えました。 登録名・しげさん様(名指しでゴメンなさい)のつぶやきに、「安楽死希望」という主旨のものが、あったと記憶しています。私の考え方と、かなり近いです。ただ、今の日本では、安楽死は認められていないので、親の介護が終了して「お役御免」となっても、私はまだ「生きて」いますが・・・。 質問やつぶやきを読むと、「死にたい」「なぜ生まれたのか」などと、嘆く方も多いですが、もっともな話です。回答僧の皆様の考え方にも、一理ありますが・・・。 読売新聞社に、「安楽死を容認する法案を、早急に成立させるよう、国会議員に働きかけを・・・」という投書も、出しています。ことごとく「無視」されましたが・・・。 回答僧の皆様は、問答を読む限りでは、ほとんどの方が、安楽死に「反対」のようですね。 私は、独り身なので、長生きする必要性は、ないでしょう。兄とは、ほぼ絶縁状態です。兄は、「死ね」と、私を罵倒しましたから・・・。 本音を言えば、国会で「安楽死容認法案」が成立したならば、その権利を行使したいです。そうすれば、死の予定日から逆算して、慈善団体にいくら寄付可能か(残りの生活費の計算)などの、数字・金額を弾き出せますし・・・。 字数制限の関係で、文章をかなりはしょってしまったので、要点が曖昧になったかもしれません。 私が、受容できない自分を受容することは、永久に不可能なのでしょうか? 「一切皆苦」と言いますが、安楽死が認められていない今の日本の現状では、死ぬまで七転八倒するしか、選択肢はないのでしょうか?

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死ぬ前に。

私は先天性の病があります。 現在何不自由なく生活していますが、先天性の病気で年々体に変化が起きています。 主に肝臓が悪く、肝硬変が進行しています。 いずれ肝移植が必要になると思いますが、ドナーが居ません。 移植ネットワークも先天性の病気の場合は優先順位が低いらしく、あてにできません。 身内の生体肝移植も全滅でした。 いずれ…肝臓が機能しなくなるか、合併症で命を落とすか…。普通に生活出来るのは、あと数年…と言われています。あと数年で何かしら不都合が出てきて普通には生活出来なくなるだろうと言われています。自分でも検査結果やら、体調の変化で何と無く実感があります。 自分の死が怖くないかと言われたら、怖いですが、それよりも残される子供が心配で仕方ありません。主人は真面目ですが、子供の事はさっぱりです。子供の世話をマメにしてくれたり、話を聞いてあげたり…全く期待出来ません。 きっと私が居なくなったら子供達は沢山沢山ツラい思いをすると思います。 少しでも支えになれば…と、想いを手紙に残そうにも伝えたい事が山ほどあります。 でも、自分の手で想いを残したい。何不自由のない今だから尚更そう思います。 私は何を最優先に残せばいいのでしょうか。 考えれば考えるほど、焦ってしまいます。

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死にたいのはいけないことですか

最近、死んだら救われると信じてしまいます。 他に何が救ってくれるのか 分からないからです。 趣味もゲームも外出も 人とのお喋りも衣食住も 楽しさを感じなくなってしまいました。 友人に話したり お医者さんにも行きました。 半年ほど経ちましたが 救って頂けそうにございません。 今まさに救われていないので…… また 家族や友人が悲しむと分かっていても そんな事は関係ないと思ってしまいます。 自分勝手だとは思いますが、 誰かの事を考えて生きている 余裕がないのです。 死なないでという言葉が苦手です。 助けてもくれないのに 言われるとどうしたらいい?と 困ってしまいます 死にたいことを許して欲しい。 許して貰えないのが悲しくて でも自分を差し置いて お金をかけ育ててくれた 親にも申し訳なくて しにたくてごめんなさいと 心の中で謝りながら 毎晩泣いて朝を迎えています。 痛いのはこわくてつらいので 今のところ死には至っておりませんが 一日も早く死にたい、将来は死にたい という希望の持ち主なので 死ぬまでの間に何かする必要あるのか 分からないのに周りには何かしろと 強いられているように感じてしまい 悲しくて仕方ありません。 したい事があるからまだ死ねない というような事ももう無く いつ死んでも大丈夫だな、 後悔せず死ねるな、と思ってしまいます。 でも本当は、楽しさを感じて 今世くらいは 生に縋り付けるようになりたいです。 もし生に縋り付けるご提案があれば 聞いてみたいと思いました。 ……来世は物体として 存在する事を辞めて 姿形も変化しあるかないかも 分からないような みなものようになりたいです。 自分が存在している事が 苦しくて堪りません。 それなのにこのような文章を 残してしまう事を 申し訳なく思います。

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息子の死

昨年の4月に悪性リンパ腫で私の息子は入院しました。医者は、8回の抗がん剤をやれば完治するとの事だったが、心配になり霊視占いにも見てもらったら、死にはしない!親より先に死ぬ事はない!治るとの事だったので安心してました。 ところが、7回の抗がん剤が終わった時に医者から腫瘍がまた大きくなっているから退院は無理と言われ更に強い抗がん剤をやったがダメでした。私達は、不安になり癌に効くサプリやお墓参りも何度か行き、神社にも毎日行き、神社では不思議な現象も何度か体験してもしかしたら治るんじゃないかと期待していたのですが、様態はどんどん悪くなり正月早々に亡くなりました。 息子は、23歳でしたが激しい痛みにも耐え根を上げず、ずっと頑張っていました。亡くなる最後の日私にハグをして、愛してる愛してる!ありがとう!の言葉を残し他界しました。 頑張っていた息子の為にも私は、残された家族のために頑張らなくてはいけないとは思っているのですが、仕事も家の事もやり気が出なくて泣いてばかりの毎日です。 息子は、私の言う事は信じて頑張っていました。亡くなる日に私は、息子にこんな病気何くそー負けるか!負けてたまるか!って言う気持ちでいなよ!絶対に治るから!と言ったせいなのか息子はかなり弱っていた体に力を振り絞って長い時間ベットの上で便を頑張り力尽きて亡くなりました。 私は、息子の寿命を縮めてしまった!かける言葉を間違えてしまったと言う後悔で息子に申し訳なくてこの先どう生きていけばいいのか分かりません。 無理なのはわかってますが、もう一度息子に会って謝りたいです。

有り難し有り難し 8
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2021/08/12

父親の死について

父が余命僅かな状態です。 元々厳格な性格の父でしたが、心の病を患った事により、引きこもり、家族に対して理不尽な暴言や暴力を奮うようになり、家族を完全に支配していました。 幼少期より父に対して恐怖心があり、思春期の頃には毎日死んで欲しいと願っていました。父の言いなりの人生で、父が死んだ後、本当の自分の人生が始まると思っていました。 大人になってからは、さすがに毎日死を願う事はなくなりましたが、それでも苦手意識は変わらず、同じ空間にいると怯え、吐き気がする状態でした。 人に言えば、いい歳なのだから親のせいにするのはおかしい、自分の人生なのだからと言われてきましたが、どうしても父に対する恐怖心が拭えず、怒られない・バレない選択をしてしまい、思うように生きれませんでした。普通とは違う、自分の家庭が嫌で嫌で仕方がありませんでした。 歳をとり性格が丸くなり、父がこちらに歩みよろうとしている事は分かっていましたが、受け入れる事はできませんでした。父から受けた人格否定や暴力、辛くて毎日死にたかった過去の日々をどうしても水に流す事はできなかったのです。 そんな父の病気が発覚し、想像していたような開放感はなく、悲しみや、父の不遇な人生が可哀想に思いました。しかし、父をただただ心配し悲しむ家族の中での疎外感も感じてしまいます。 私も父を許し、最期の時を過ごすべきなんだろうと思います。父が悪人ではなく、病気がそうさせていたのだと、分かっています。しかし、納得できない自分もいます。 結局は、私が全て飲み込むしかないのかと。 長年連れ添った伴侶を亡くす母の気持ちも痛いほど分かっており、できる限り助けたいと思っていますが、当たり前のように支援を求めてこられると腹を立ててしまいます。私の心の葛藤にも目を向けて欲しいと思ってしまいます。 父に対して、穏やかに、できる限り苦しむ事なく最期を迎えて欲しいという気持ちは本当です。仏教ではどのように考えるのか分からないのですが、次の人生があるならば、次は幸せな人生を送って欲しいと願っています。私には関係のないところがいいですが… まとまりのない文章になってしまい、申し訳ありません。私は自分の心をどのようにもっていけば良いのでしょうか。父の最期の時にどのように接すればよいのか、どうかご教示下さい。

有り難し有り難し 8
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「死」を考えると気持ちが落ち着きます。

母の自殺から数ヶ月が経ちました。 四十九日を終え緊張の糸が切れたのか、うつ病が悪化してしまいました。 自責・不安・焦り・虚しさに毎日襲われます。気晴らしに…と好きなことをしても、楽しくありません。 また、母の自殺をフラッシュバックしてしまうため、"母が自殺した日"を何度も何度も追体験してしまいます。つらいです。 服薬治療も含め、できることは全てやっています。 でも、3年経った今も改善しません。それどころか悪化したので、「元気になりたい」という気持ちが湧いてこなくなりました。 以前は「元気になる」という目標がありましたが、今はそんなことを思えるほどの気力がありません。ただただ、生きるのに疲れました。自殺未遂をするほどには。 ただ、窓の外をぼんやり眺めながら遺書の内容や死ぬことを考えていると、心が落ち着くのです。 虚しさや不安を忘れ、「死んだら母のところに行けるかもしれない」と希望も湧いてきます。 以前こちらで相談したとき、【先に往かれた親しい方々やご先祖様がお母様をあたたかく優しくお迎えなさって下さいます。】と回答をいただいきました。 ふとそれを思い出し、「わたしが死んだら母が迎えてくれる、死んだら母に会えるんだ」と嬉しくなりました。 嬉しいなんて気持ち、久々に湧きました。だから、ホッとしたのかもしれません。 「死」を考えることで心が穏やかになるなんて、おかしいでしょうか。 また、心身共に疲れ果て気力がなくても、自分に鞭打って生きなければいけないのでしょうか。 わかりません。教えてください。

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自分以外の者の死

私は物心ついた頃から「死ぬのが怖い」とよく泣く子供でした。それは自分の死に対してではなく、家族の死に対してです。 せっかく家族で旅行をして楽しい気持ちになっているのに「でもいつかこんな事も出来なくなる…」など余計なことまで考えて気分を台無しにしてしまいます。楽しい事をただ楽しいと感じたいだけなのに、死への恐怖1つでいろんな事を台無しにされてる気がします。 私は今小さな喫茶店で働いており、喫茶店で働く事は好きなのですが、お客さんは本当にお年寄りばかりで、 お年寄りのする会話は基本『寿命』と『病気』の話で、昔から死への恐怖が人一倍な私には苦痛でしかない内容です。 さらにお客さんにはよく「若い人は良いわね、私なんかもう働く事すら出来ないわ」などと言う事をよく言われます、最初はそう言われても嫌な気分も何もしませんでしたが、最近はそんな言葉に怒りさえ覚えてしまいます。 今の私は若い事が嬉しくないんです。 早く歳をとって死んでしまいたいとさえ思ってしまいます。 大切な人が先にいなくなってしまうくらいなら長生きなんかしたくないです。 大切な人の死を見るくらいなら誰よりも先に死にたいです。 ですが自分がとても恵まれた環境にいて、幸せであるのに最終的に早死にを望んでいる弱くて自分を守る事しか考えてない自分もすごく嫌です。 申し訳なくて親には口が裂けても言えません。 少しでも命と向き合うにはどう考えていかなければならないのでしょうか。

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