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検索結果: 335件

死んだ後、地獄へ行かないために。

40代、無職、独身、天涯孤独(両親は母親はがんで病死、父親は借金苦で自殺)彼氏も友達もおりません。 学生時代もいじめられて孤独、会社も仕事もできずくびになって以来 引きこもりです。 どこをどうひっくり返しても、幸せだって思えた瞬間もありませんし 体験も皆無です。 無理に幸せと思おうとして生きてきましたがもう ネタ切れです。幸せは考え方次第、ともいいますが本当に、全く ないんです。もし死んだとしても、(孤独死か餓死でしょう、全く相談できる人も理解者もいませんので、たった独りの自分だけの力でどこまでできるかわからないので)悲しんでくれる人もおりません。 この辺信じてもらえないことが多いですけど、本当です!! 餓死=自殺扱いですよね? このサイトで必ず自殺者は地獄へ行く訳で ないというのを読んで少し心が軽くなりましたが、私でも大丈夫でしょうか、、、。必ず地獄送りでないのなら、精一杯できることやって みようかなという気持ちになってきました。 死ぬこと自体は全く怖くないし、この世に未練もありません。 ただ死んだ後まで、もう苦しみたくないだけなのです。 生まれ変わることにも抵抗ありません。 今の自分が消えてくれるなら万々歳ですから。

有り難し有り難し 88
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2021/09/18

できない現実の生き地獄

「目の前にあること、今できることを全力でする。」という行動は大切だとは思いますが、私にとっては難題です。 私には、自分が今できることが何なのか認識できておりません。 幼いころから、物分かりが悪く、手先が不器用で、どこに行っても何をしても、 「周りはできて、自分にはできない」場面を死ぬほど味わって来ました。 その場面にはいつも、私にだけ早い段階で手を貸そうとしたり、ハードルを人より低く下げたり、 個性的・独創的などと都合の良い言葉で褒めたりする大人達が出てきて、強い劣等感が私の中で怪物化しました。 仮にできるようになっても、できる周りははるか遠く先にいて、また次のできない事と向き合わないといけない恐怖心から努力は避けました。 上記のような理由から、目の前にあることも、正確に捉えるようなこともしなくなりました。 私の目の前の景色はいつも、できない現実に空想と理想が混じってピンぼけです。 このピンぼけのせいで、身の丈が合わない学校や職場を選んで落ちこぼれたり、すぐに用無しになったり、散々です。 今の職場は、私とは正反対の人種の溜まり場です。職業柄、知的で頭の回転が速く、手先も器用で、神童・優秀・天才とか称えられてきた人達です。 地獄は死後に感じるものだと思いましたが、生き地獄もあると実感しました。 私は上記の人たちの召使いのような仕事をしていますが、これまでの人生を振り返れば、今の職場のような場所は息苦しいです。生き地獄です。 私のロクでもない人生の幕閉じが早く来ることを待ち望みながら、うまく日々をやり過ごすため、 「目の前にあること、今できることを全力でする。」をしたいのですが、前述のとおり、術が分かりません。 支離滅裂な文章ですみません。実行するためのアドバイスをいただければ幸いです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 14
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「死後の裁き」の恐怖がつきまといます。

15歳の頃からキリスト教会に通っていましたが、30半ばで鬱を患い「天国を目指して迫害にも耐える信仰を持つ」というあり方についていけなくなり、仏教に心の平安を求めました。 高野山の宿坊に泊まったり、近所のお寺で座禅を組むうちに、それまでひどいときは数分ごとに波のように押し寄せてきていた攻撃的な苦しみが和らいできました。 それからも落ち込んだり、辛いことは多々ありましたが、苦しみが襲ってきて一晩中眠れないようなことはなくなりました。 相談というのは、思春期に受けた洗脳のような教えがまだ恐怖として根深く残っていることです。 ほとんどは健全なキリスト教会なのかもしれませんが、私の通っていたところでは、「伝道しないことは人殺しに等しい」「教会に来ないと悪い事が起こる」と、今思えば子供だましのようなことでも、当時の私にとってはありありと描写される死後の裁きの事や、来るべき世の終わりに大きな艱難が起こり、迫害を受けるのだという恐怖がしっかり植え付けられてしまいました。 それでいまだに教会に行かなくてはならないという強迫観念から抜けられないのです。本当に行きたくて行くのなら問題はありませんが、根底に恐怖があるのです。 実際にまた教会に行き始めたところ、また心がざわついて、イライラしたり、不安で眠れなくなったりしてしまうのです。 教会自体には問題はなくても私の抱えているトラウマが重くて、まともなメッセージも恐怖のフィルターを通して見てしまうのかもしれません。 教会に行くにせよやめるにせよ、恐怖から解放されて正しい判断をしたいのです。座禅をして心に平安を得ても、これでいいのかと罪悪感のようなものを覚えてしまいます。 仏教にしろ、キリスト教にしろ、どちらが正しいとか、教義的な事とかはわかりません。どちらにしても心がざわついたままでは一生迷いを抱えて生きていくことになりそうです。 とりとめのない質問になり申し訳ありません。 恐怖から解放され冷静な判断ができるアドバイスをいただきたいのです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 18
回答数回答 1

死後、先に逝った方と再会できるのでしょうか?

以前、猫を虐待して殺してしまい、どのように自分に罰を与えるべきかと相談させていただいた者です。 その後も毎日、私が殺した猫達を思い出し、罪悪感に押し潰されそうになるとともに、回答していただいたお坊様のお言葉を胸に、反省し、少しずつですが罪ほろぼしをしていました。 自殺も考えたこともありますが、死んで楽になるのはズルいとか、自殺は私が手にかけた猫達に対する冒涜になると、苦しくとも生きようと思っていました。 昨年のことになりますが、健康診断で癌が見つかりました。 自分への罰で悩んでいたところ、天から下された罰ですので、治療することなく、猫達が味わった苦しみを少しでも感じながら死を迎えようと思っています。 進行具合から死はまだまだ先でしょうが、最近は澄みきった気持ちで、身の回りの整理を行っているところです。 ところが、どうしても気になり出したのが、死後、私が殺した猫達に会えるのかということです。 私は当然に地獄に行くのでしょうが、そのような者が天国にいる猫達に一目だけでも会えるのでしょうか? また、会うことが可能だったとして猫達は自分を殺した私に会ってくれるのでしょうか? 会えない場合、何とかしてメッセージを伝えることはできるのでしょうか? 何とかして直接謝りたいのです。 何度も繰り返された質問でしょうが、どうしても気になり質問させていただきました。

有り難し有り難し 25
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自殺すると地獄に落ちるのでしょうか?

自分の気持ちを晴らすために世間的に屑な性格だと思っている自分の本音と愚痴、自殺の正当化を書いていきます。分かりにくいですが、聞きたいことはタイトルの通りです 現在就活がうまくいかず、それで自分の悪いところを治さないことなどが原因で父親に叱られました。生活習慣が乱れ、言われたことができないことが原因で、親にお前は社会で生きていけない、幼稚園児だとぼろくそに言われております。野垂れ死ぬぞと言われたのですが、祖母が死んで以来生きる意味もないと思っているので別に死んでもいいやと思いました。ダラダラしている奴が社会に出ると鬱になって姉に迷惑がかかると言われました。それは一理あるとは思ったのですが、迷惑かける前に死んでしまえば解決するのではと思い、現在自殺を考えております。 姉や親せきは1年に20回も会話しない関係なので、自分が死んでも1か月くらいしか気にしないと思います。長くても1年あれば泣くようなこともないと思います。葬儀は義務があると法律で定められていませんし、葬儀を行うのは自己満足とあらかじめ言っておけば葬儀の手間も省けます。 親に恥ずかしくないのかと言われるのですが、全く恥ずかしくなく全く理解できません。今まで育ててくれた人の思いを無駄にする、自分が死んだせいで悲しむことになるのは少し心苦しいですが、それらは僕にとっては生きるための活力、理由には全くならないです。祖母が死んだら自分も死のうかなと考えていたので。迷惑をかけたらそれ以上にして返さなければいけないと言われるのですが全然理解できません。できなければ世の中が悪くなるだけですし、それでつらいならさっさと死ねば自分は思います。 それに父親は仕事面では社会的に貢献してますが、自分の親と妻に暴力ふるって、姉にセクハラしておりました。その結果離婚して姉が家を出ていくことになりましたがそのことを本人は自覚してないです。社会に貢献すると言ってますが自分は家族無茶苦茶にしてよく言うなと思います。僕が音信不通になったら姉が困るとか言ってますが僕に成りすまして姉と連絡とって大丈夫と言えばいいと思います。 父親にぼろくそに言われて生きる意味もないし自殺しようかなというのがまとめです。自殺しようと考えたのですが、自殺して輪廻に帰らず地獄とかに落ちるのかなと気になりタイトルのような質問をさせていただきます。 お願いします。

有り難し有り難し 30
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死後の罰が怖い、吐き気が止まらない

すみません。もう想像が全然消えなくて相談させて下さい。 最近、昔した悪いことを沢山思い出しました。小学校の時に借りた本を返せなかったこと、露店でメロンをお店の人が間違えて二個も渡したのに黙っていたこと、観光地で恐らく100円を拾って自分のにしたこと、中学生か高校生頃恐らく7年ほど前、近所で1万円を拾ったのに自分のものにしたこと、試食を多めにとったこと…多分これからまだまだ出てきます。全部謝れなきゃ死後に罰が下るんじゃないかって怖いんです。 もちろん、これは私の1つの想像です。誰から聞いた訳でも皆さんがそんなこと言っている訳でもないことは理解してます。でも、死後のことは誰にもわからないのでもし、もしあればって怖いんです。今、謝る努力をしなくてとても後悔したらどうしようって。凄い罰でずっと苦しんだらって。 家族には死後のことはわからないんだから考えても仕方ない。それなら皆罰を受けることになるよって言われました。でもわからないからこの想像があってるかもって思ってしまって、皆が罰を受けるのも嫌で怖いんです。 皆だったら怖くないかもしれないって自分を慰めたりしたんですが、いや個室かもしれないずっと1人かもって怖くなります。 友達の連絡先は必死に探してます。でも中学校が違うこともありなかなか見つけられません。露店も同じお祭りにいったり、イベントを実施した場所に連絡して探すべきではと思ったりします。何年も前なので確かな情報はありませんが。試食は手紙を出そうと思ってます。拾ったお金は今からでも郵送したり近所の交番に行ったりして返しにいくべきかと思っています。 上記の行動は多分普通の人よりオーバーな行動だってわかってます。でも死後の罰が怖いんです。すごく痛くて謝れなくて後悔したらって。 反省は何度も何度もしてます。もうしないって誓いたいんですが、もし忘れたらって思う自分もいて誓えてないです。 家族は全然死後の罰なんて心配してなくて、自分もしたことあるよと明るく言ってきます。でも、私はそんなあったらあった時なんてなかなか思えなくて。吐き気が止まらないです。ずっと吐き気がします。心配で吐き気が止まりません。 全部謝って回るべきですか。皆さんも謝れなかったことありますか。死後の罰が心配になりませんか。怖いのと吐き気でおかしくなりそうです。自分が大罪人に思えてきました。罰が怖いです。助けて。

有り難し有り難し 44
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生前の仏教の触れ具合は死後の「ハンデ」になる?

まず素朴な疑問のうえ、お坊さんの限りある時間と質問を増やしてしまい頭が下がります。 死後の行き先は生前の「行い」によって左右されるというのは勿論ですが、 こちらのサイトでもいろいろ知恵を授かっている内に、 死後の「裁判」は良い悪いの数直線上では計れないところもあると感じています。 たとえば、ある人は日本に住んでいて、 まったく仏教に触れていなかったとしたら? ある人は仏教に触れて、 仏教の「表面上の」知識は身に付けて、 それでもなお多かれ少なかれの悪い行いをして… 後者は私ですが、少なくとも「知っていて尚悪いことをする」のと、 知らずに悪いことをしたのとは、やはり裁判の天秤の重さに違いがあるのでは?と思いました。 「弥勒菩薩は兜率天に住み…」 「虚言はいけない」 「丸々寺は誰々により開かれ」 「般若心経」 「お寺や神社の真ん中を歩いちゃ駄目。」 「蚊を殺しただけで地獄」 「獄卒が火であぶる。」 私はこのような「情報」を得て、我を顧みることもなく過ごしています。 ただ蚊は殺めません。 仏教で守るべき掟も、出家された方にとっては、いままでとはより厳しくなると思います。 まず、 出家された僧たちにある戒律は、破ったときにのちの自分に降りかかるのでしょうか? それとも守ることで人のため、世界が良くなるべきの「願い」の要素がありますか? また、「在家」まではいかないが仏教を信仰する私として、 表面上の仏教を(インターネットで閲覧できる限りの知識を)覚えるごとに 死後の裁判の「ものさし」が厳しくなるということはあるのでしょうか。 おなじく、お坊さんとも一般人とも、仏教の知識が死後の「ハンデ」とはならないでしょうか?

有り難し有り難し 15
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2021/11/11

ペットの死後を上手く説明出来ないんです。

家族みんなで可愛がっていたハムスターが亡くなりました。かなりの高齢で、家族みんなに見守られながらの大往生でした。 最期まで、家族みんなで介護をさせて頂けたので悔いはありません。 小学生の子どもも、「たくさん幸せにしてくれてありがとう」と語りかけていました。 しかし、亡くなったその日に 「ハムスターって死んだら天国に行けるんだよね?」 「ひいおばあちゃんとかみたいに、見守ってくれてるのかな?」 と、子どもに質問されました。 私は咄嗟に 「ちゃんと天国に行けるよ。見守ってくれると思うよ。」 と答えてしまいましたが、よくよく調べたら、動物は畜生道に行くとのことで、どのように子どもに話したら良いか分からなくなってしまいました。 (極楽浄土と天国がほぼ同義になってしまっている点も、私の認識不足と子どもへの伝え方が悪く、申し訳ございません。) 子ども自身の精神的ダメージも大きく、子どもにも分かりやすく、かつ柔らかい言い回しがないか模索しておりますが、なかなか思いつかず苦慮しております。 同時に、悔いがないとはいえ、ハムスターがちゃんと安らかなところで眠れているのか心配です。 まだ日が浅く、取り留めのない文章になってしまい申し訳ございません。 どのように捉え、どのように子どもに説明すべきなのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 12
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輪廻があるなら、私は天界も地獄も見て来たのでしょうか?

こんにちは。 前回質問で、輪廻思想がどうも腑に落ちない、と主張した者です。 ただ、輪廻に限らず、事物が「ある」とも「無い」とも断定するのは中道の教えに反すると感じるので、輪廻思想の側からも質問させてください。 輪廻転生があるなら、私は六道あらゆる世界を見て、生きて来た事になりますよね。何しろ仏教の宇宙観は無数劫の時間スケールで成り立ってるのですから。 また、私は、いわゆる地球外生命というものも、必ずどこかの惑星で誕生し生を営んでいると信じています。 そうなると、私の魂(?)は天上界のめくるめく壮麗な世界も体験して来たし、地獄の底の恐ろしい責め苦も受けて来た事になりますよね? また想像を絶するような異星の光景も目の当たりにしてきたのではないでしょうか? 輪廻転生が教えているものって、 「そういう一切合切の有情は、別個に生きているのでなく、過去、現在通して、物質から魂のレベルまで、密接に繋がって生きてるんや。天人も地獄の衆生も、あらゆる命も決して他人事じゃおまへんで。なにせアンタがそれ自身だったんだからな。」 と言っているようにも思えるんです。なぜか関西弁ですが。 そういう所から、いわゆる慈悲って生まれるのでは無いでしょうか? 生前や死後を無記とするのは「智慧」ですが、また輪廻をわが事として受け止めるのは「慈悲」の根源なのかな?とも思います。 この2つの考えは矛盾するものではないとも、私には思えます。 お坊様方は輪廻と言うものをどのように受け止めてるのか、気になったので再び質問させて頂きます。 お考えを聞かせて頂ければ嬉しいです。

有り難し有り難し 27
回答数回答 2
2021/05/01

後悔で狂いそうです。家族や死後に影響は?

夫と二児を持つ者です。詳細はプロフィールに書かせて頂きましたが、独身時代の過ちに苦しみ続けています。 結婚を機に転職して連絡を絶ちましたが、半年程前からあることをきっかけに「相手の奥様が今になり不倫を知り、私のことを調べているのでは?」と不安に駆られるようになりました。 怯える日々を過ごした末 先日ついに相手と話し、過去のやりとり等を消すよう頼むという情けない行動を取りました。 その際、「今も好き」等と言われ、あろうことか「私も忘れていない」等と口走ってしまいました。 毎日思い出しているのは本当です。ただ、決して恋しいからではなく、一日の間に何度も後悔に苛まれて思い出しているというのが実際です。それなのに… 書き起こすとゾッとしますが、このようなことを言った心情を振り返り白状しますと、 久しぶりに彼と話し、当時の自分が顔を出してしまいました。相手を喜ばせ気を引くような言い方をしてしまいました。 また、奥様に見つかり訴訟を起こされたりしないよう守ってほしいという思いもありました。 もう、自分が醜くて吐きそうです。 夫とは学生時代から付き合っており、当時は遠距離でした。こんな私を一途に想ってくれる、優しく真面目な人です。 大好きです。何があっても傍に居させてほしいです。 夫と子供達を失うかもしれないと思うと耐えられず、それを防ぎたいと足掻いた結果、今回の見苦しい行動(不倫相手と話す)に至りました。 過去に夫や相手の奥様に酷いことをした上、この度の対話でも毅然とできず家族を裏切った自分が信じられず、呆然としています。 毎日起きている間中、過去を含め一連のことを思い出し、罪悪感で苦しくて動悸がします。夫や子供達と居ても、心の奥は後悔でいっぱいで、上の空の状態です。 こんな汚い私は、地獄に行くでしょうか。 もし生きている間は一緒に居られても、死後はもう夫や家族の元にはいけないでしょうか? 罪を償える可能性は、もう残されていないでしょうか? また、因果応報と言いますが、私の行いの報いが家族に行ってしまうこと等はないでしょうか?親の悪行の報いが子に行くことがあると何かで聞いたことがあり…おかしくなりそうです。 どうか、お言葉をお授けください。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

死後みんな仏さまになって同じ世界に生きるのでしょうか

私の父は僧侶をしていました。 真宗の小さなお寺で、職業とは別で兼業していました。 でも、父は酔うと人に暴言を吐いたり、よそで女の人つくったり、言えないくらい、家族に迷惑ばかりかけていました。 私は母と家を出て、今は嫁いで家庭を持っています。 そんな父が急に亡くなりました。 僧をしていたので、父は「仕事」としてお経はあげていました。 悪人正機というのは、悪人であることを自分で認めた凡夫だからこそ救われると聞きました。 悪人であることを最後まで認めなかった父も、救われて仏さまになっているのでしょうか。 でも『地獄と極楽』という絵本を小さい頃読みました。 あの絵本では、生前ひどい人は地獄で苦しんでいました。 もう一つ、仏さまになったとして、その後どのように生活?するのでしょうか。 よく、私たちを見守って導いてくださる、と言いますが、この世でのつながりが深かった人のところに行き導くのでしょうか。 もし私が往生したら、父と同じ世界に行き、また娘としてくらすことになるのでしょうか。 とりとめなくすみません。 父の死も、生前の行いも、もう昔のこととして受け入れていますが、仏教の教えでは、このあとどのように生きているのか気になりました。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 61
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