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hasunoha 問答検索結果 : 「 死後 地獄」
検索結果: 358件

地獄に落ちるのかという不安

お伺いしたい事が3つあります。 私は、人にすぐに苛立ちを覚えたり(多分それが態度に出ていることがある)、食欲や怠けたい欲が強かったり、罪や煩悩が多いのではと思います。 また、学生の頃に人に酷く接してしまったり、振り返っては後悔する事が多々あります。 「〜ことをした、地獄に落ちるのではと不安」という相談に対し、こちらのサイトでは「それらを反省し、仏様やご先祖様に懺悔し、罪を重ねないように生きていきましょう」という回答を目にしました。 これを読み、そうだよな気をつけようと思っても、また直ぐに後悔したり、地獄行きに値する生き方なのではと不安になるような事をしてしまいます。 怠け者だと罪悪感を抱いても、面倒臭かったり、頑張る気力が湧かなかったりが、勝ってしまうのです。 人にドン引きされない程度に、ほどほどで生きようとしてしまいます。 上記に基づき、お伺いしたい事は以下になります。 ① 死後の世界に地獄と天国があるとして、天国に行けるのはどれくらいの割合なのでしょうか。(人間の大半が地獄に落ちるなら、諦めも必要かと思いまして。) ②反省を実行に移せない私は、地獄行きになってしまうのでしょうか。 ③こんな私でも、天国に行くために出来ることはあるのでしょうか。

有り難し有り難し 37
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死後の世界について、助言をお願い致します。

私は、HSP(高感受性)の者で、霊は、見えないのですが、人の細かい感情や動物の気持ちも感じやすかったり、植物や大気のオーラを感じる事もあります。私は、見えないものに興味があり、死後の世界についてもよく考えるのですが、人生とは、魂を成長させる為の修行なのでしょうか? 死後の世界について、いくつかご質問したいと思います。お願い致します。 ①人は、体が死ぬと魂が体から抜け出て、人生を全うした善人であれば、現世への拘りが強く無く、死んだという自覚がある魂であれば、お迎えが来たり、来ない場合でも天国のような霊界に行くことが出来る。 ②現世への拘りが、強い魂や自分の体が死んだ自覚がない魂は、現世に留まり浮遊霊や地縛霊になって拘りがとれて、死を自覚するまで何年でも何千年でも現世を漂い続ける。 ③悪人(人殺しや自殺)をした者は、死後恐ろしいところや暗闇をさ迷い続けて生きていた時よりも苦しむ。 ④霊界で再度人間に生まれ変わる時は、霊界の偉い方と相談をして、どの体に入るか自分で選択する。そして、選択した体に魂を宿し、生まれてくる。体を選択するときには既に、その子どもとして生まれたら、どんな親の元で育てられ、どんな友人、恋人、結婚相手等と出会うのかわかった上で選んでいる。 ⑤霊には、私達と同じでお経の意味がわからないことが多い。 ⑥霊には、私達と同じ記憶と感情があり、精神は生きている者となんら変わらない。 ⑦霊は、生きている人と話せる。瞬間移動を出来る。軽いものを動かせる。電気機器などを動かせる。夢枕に立つ。体を生きている人と同じ見た目の姿に出来る。体に重量をつけれる。霊能力者と頭の中で会話が出来る。霊が見える人だけに憑依出来る。写真や映像に写り込める。 霊感の鋭い人には見えるが、普通は見えない人の方が多い。 ⑧地獄に鬼や閻魔大王はいない。死後の世界では、現世でのどの行いが良かったことで悪かったことか自分で解るようになる。死後の世界は、自分の心の現れでもある。 死後の世界は、精神世界で異次元空間。その空間は、現世と重なりあうように存在している可能性がある。 上記の①~⑧は本当でしょうか? 私が、死の世界について真剣に調べて、直感で感じたことです。長々と失礼いたします。ご意見お願い致します。

有り難し有り難し 63
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死んだ後、地獄へ行かないために。

40代、無職、独身、天涯孤独(両親は母親はがんで病死、父親は借金苦で自殺)彼氏も友達もおりません。 学生時代もいじめられて孤独、会社も仕事もできずくびになって以来 引きこもりです。 どこをどうひっくり返しても、幸せだって思えた瞬間もありませんし 体験も皆無です。 無理に幸せと思おうとして生きてきましたがもう ネタ切れです。幸せは考え方次第、ともいいますが本当に、全く ないんです。もし死んだとしても、(孤独死か餓死でしょう、全く相談できる人も理解者もいませんので、たった独りの自分だけの力でどこまでできるかわからないので)悲しんでくれる人もおりません。 この辺信じてもらえないことが多いですけど、本当です!! 餓死=自殺扱いですよね? このサイトで必ず自殺者は地獄へ行く訳で ないというのを読んで少し心が軽くなりましたが、私でも大丈夫でしょうか、、、。必ず地獄送りでないのなら、精一杯できることやって みようかなという気持ちになってきました。 死ぬこと自体は全く怖くないし、この世に未練もありません。 ただ死んだ後まで、もう苦しみたくないだけなのです。 生まれ変わることにも抵抗ありません。 今の自分が消えてくれるなら万々歳ですから。

有り難し有り難し 93
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できない現実の生き地獄

「目の前にあること、今できることを全力でする。」という行動は大切だとは思いますが、私にとっては難題です。 私には、自分が今できることが何なのか認識できておりません。 幼いころから、物分かりが悪く、手先が不器用で、どこに行っても何をしても、 「周りはできて、自分にはできない」場面を死ぬほど味わって来ました。 その場面にはいつも、私にだけ早い段階で手を貸そうとしたり、ハードルを人より低く下げたり、 個性的・独創的などと都合の良い言葉で褒めたりする大人達が出てきて、強い劣等感が私の中で怪物化しました。 仮にできるようになっても、できる周りははるか遠く先にいて、また次のできない事と向き合わないといけない恐怖心から努力は避けました。 上記のような理由から、目の前にあることも、正確に捉えるようなこともしなくなりました。 私の目の前の景色はいつも、できない現実に空想と理想が混じってピンぼけです。 このピンぼけのせいで、身の丈が合わない学校や職場を選んで落ちこぼれたり、すぐに用無しになったり、散々です。 今の職場は、私とは正反対の人種の溜まり場です。職業柄、知的で頭の回転が速く、手先も器用で、神童・優秀・天才とか称えられてきた人達です。 地獄は死後に感じるものだと思いましたが、生き地獄もあると実感しました。 私は上記の人たちの召使いのような仕事をしていますが、これまでの人生を振り返れば、今の職場のような場所は息苦しいです。生き地獄です。 私のロクでもない人生の幕閉じが早く来ることを待ち望みながら、うまく日々をやり過ごすため、 「目の前にあること、今できることを全力でする。」をしたいのですが、前述のとおり、術が分かりません。 支離滅裂な文章ですみません。実行するためのアドバイスをいただければ幸いです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 14
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「死後の裁き」の恐怖がつきまといます。

15歳の頃からキリスト教会に通っていましたが、30半ばで鬱を患い「天国を目指して迫害にも耐える信仰を持つ」というあり方についていけなくなり、仏教に心の平安を求めました。 高野山の宿坊に泊まったり、近所のお寺で座禅を組むうちに、それまでひどいときは数分ごとに波のように押し寄せてきていた攻撃的な苦しみが和らいできました。 それからも落ち込んだり、辛いことは多々ありましたが、苦しみが襲ってきて一晩中眠れないようなことはなくなりました。 相談というのは、思春期に受けた洗脳のような教えがまだ恐怖として根深く残っていることです。 ほとんどは健全なキリスト教会なのかもしれませんが、私の通っていたところでは、「伝道しないことは人殺しに等しい」「教会に来ないと悪い事が起こる」と、今思えば子供だましのようなことでも、当時の私にとってはありありと描写される死後の裁きの事や、来るべき世の終わりに大きな艱難が起こり、迫害を受けるのだという恐怖がしっかり植え付けられてしまいました。 それでいまだに教会に行かなくてはならないという強迫観念から抜けられないのです。本当に行きたくて行くのなら問題はありませんが、根底に恐怖があるのです。 実際にまた教会に行き始めたところ、また心がざわついて、イライラしたり、不安で眠れなくなったりしてしまうのです。 教会自体には問題はなくても私の抱えているトラウマが重くて、まともなメッセージも恐怖のフィルターを通して見てしまうのかもしれません。 教会に行くにせよやめるにせよ、恐怖から解放されて正しい判断をしたいのです。座禅をして心に平安を得ても、これでいいのかと罪悪感のようなものを覚えてしまいます。 仏教にしろ、キリスト教にしろ、どちらが正しいとか、教義的な事とかはわかりません。どちらにしても心がざわついたままでは一生迷いを抱えて生きていくことになりそうです。 とりとめのない質問になり申し訳ありません。 恐怖から解放され冷静な判断ができるアドバイスをいただきたいのです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 18
回答数回答 1
2025/06/01

地獄での過ごし方を教えて下さい

自分は極悪人の様なので死後、地獄に堕ちます。 今も苦しいですがネット情報によると地獄はそれ以上の苦しみを最短でも1兆年以上服役しなきゃならないらしいですね。 途方もない時間ですが自分は人間界に相応しくない生き物なので頑張って地獄で生活しようと思ってます。 これは余談ですが昨日、地獄の夢を見ました。 自分は薄暗い洞窟の様な場所に居て目の前には魔物さえも近づく事を恐れる線路(恐ろしい何かが通過する所)に立ってました。 自分は地獄から抜け出す為に線路の先にあるトンネルに走ろうとしますが中々辿り着けず恐ろしい何かが警笛を鳴らして走ってくるので素早く安全な所まで逃げました。 逃げ遅れた人達が居たのですが彼らは恐ろしい呻き声を挙げて苦しみ出します。 夢はここで終わりました。 以前から自分は人からよく嫌われるし憎まれ口も叩かれるので薄々、極悪人の自覚はありました。 虫も沢山殺したし、嘘もついたし、悪口も言ったし、今思い返せば人が嫌がる様なちょっかいも出しました。 他にも恐らく自覚してないだけで悪い事をしてるでしょう。 そんな極悪人の私が地獄に堕ちるのですが地獄で生活する際の心得、或いは模範的な生活の仕方があれば教えて下さい。

有り難し有り難し 23
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死後、先に逝った方と再会できるのでしょうか?

以前、猫を虐待して殺してしまい、どのように自分に罰を与えるべきかと相談させていただいた者です。 その後も毎日、私が殺した猫達を思い出し、罪悪感に押し潰されそうになるとともに、回答していただいたお坊様のお言葉を胸に、反省し、少しずつですが罪ほろぼしをしていました。 自殺も考えたこともありますが、死んで楽になるのはズルいとか、自殺は私が手にかけた猫達に対する冒涜になると、苦しくとも生きようと思っていました。 昨年のことになりますが、健康診断で癌が見つかりました。 自分への罰で悩んでいたところ、天から下された罰ですので、治療することなく、猫達が味わった苦しみを少しでも感じながら死を迎えようと思っています。 進行具合から死はまだまだ先でしょうが、最近は澄みきった気持ちで、身の回りの整理を行っているところです。 ところが、どうしても気になり出したのが、死後、私が殺した猫達に会えるのかということです。 私は当然に地獄に行くのでしょうが、そのような者が天国にいる猫達に一目だけでも会えるのでしょうか? また、会うことが可能だったとして猫達は自分を殺した私に会ってくれるのでしょうか? 会えない場合、何とかしてメッセージを伝えることはできるのでしょうか? 何とかして直接謝りたいのです。 何度も繰り返された質問でしょうが、どうしても気になり質問させていただきました。

有り難し有り難し 25
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