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hasunoha 問答検索結果 : 「私 病気 できない」
検索結果: 6557件
2025/03/07

不安が続き、これからどう生きていくか悩む

お世話になります。 現在、適応障害で休職中です。 まもなく復職予定なのですが、 休職に入ってから調子が良かったのにもかかわらず、不安が押し寄せやすくなってきました。 心療内科でも相談していますが、こちらでも書かせていただければと思います。 また、同時にどう生きていくのか、生きる意味というのが分からなくなり、悩んでいます。 不安に関しては、以前から強迫性障害の気があり、一時期落ち着き(代わるように適応障害…)安定していたのですが、再び顔を出すようになってきました。 主に、病気不安です。 持病がいくつかあるというものもありますが、非常にまれな病気になってしまったのではないかという不安で、医師に相談するサイトで確認しても「問題ない」と言われるのですが、なかなか不安が消えません(以前は割とすっきりすることが多かったのですが…)。 以前と違う、と感じることはいろいろありますが、この「不安」は特につらいです。 不安を乗り越えるアドバイスを頂けましたら幸いです。 また、これからどう生きるか、ということですが… やるべきこと、やってみたいことというのはいろいろありますが、どうも集中できなかったり、何かしっくりこない感じがあったりと、はっきりしない感があります。 そのうち、何のために生きているのだろうか、どう生きるのが良いのだろうか、という疑問が巡るようになりました。 「どう最期を迎えたいか」というのは朧げに考えていますが、それまでどうするか、どう生きていくのかが見えない状況です。 仕事に復帰するのも、仕事でやってみたいことがあるから、というのはありますが、それをずっと続けるイメージが全くわかず、ほかのやってみたいことも生きていくための仕事としては弱い感じがあります。 生きる意味のすべてが仕事ではないと思いますが、いまはとりあえず仕事なのかなとは考えています。 生きる意味はどう見つけていけばいいのでしょうか。 ご助言いただけましたら幸いです。 何卒よろしくお願いいたします。

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子宮ガンを患いました

昨年、1月に第一子を出産。毎日楽しく子育てをしておりましたが、子どもが五ヶ月の頃、突然子宮ガンの告知を受けました。 かわいい我が子が一歳になったら、次の子を…と主人と話してた中での告知。 なんとか子宮を残せないか、色々な検査を受け、セカンドオピニオンも受けましたが、やはり摘出以外道はありませんでした。 当時は、毎日のように泣き、身も心もボロボロになりました。 手術を終え、抗がん剤治療も終えた今、こうして生きている事、子どもに生かされた事にとても感謝しています。 しかし、身体は元気になっても、心はまだまだ整理ができていません。 時折、現実を受け入れられないような感覚に襲われます。 そんな中、親友の第二子妊娠の報告を受けました。 私が健康な身体だったら、両手をあげておめでとう‼︎と喜ぶべきなのに…今の私は涙が出て来てしまうのです。 なんで、どうして、悲しい、虚しい、情けない… そんな感情ばかりが出て来てしまうのです。 病気は、どうして私のところに来たのでしょう。 どうして私が、子宮を失くす、という辛い経験をしなければならなかったのでしょう。 どうして、どうして、私だったのでしょう。 もちろん、世の中には、子どもが欲しくても1人も授かれず辛い思いをしている方がいることも、もっと重い病気で苦しんでいる方がいることも分かっています。 子どもを1人でも授かれて、こうして毎日生活できていることが幸せな事なのも分かっています。 でも、心の底からもう1人授かりたかった。 健康な身体で、子育てを楽しみたかった。 友だちには、その場でおめでとうと伝えましたが、その後すぐに声を出して泣いてしまい、それから全く連絡できていません。 私の病気を知っていて、それでも妊娠の報告をしてきてくれた友だちの気持ちは、とても複雑だったと思います。 本当なら幸せな報告なのに、どんな気持ちで連絡してきてくれたのか… それを考えると申し訳ない気持ちでいっぱいになります。 こんな私は、これからどんな気持ちで生きていけば良いのでしょうか。 今、元気にすくすく育ってくれている我が子に恥じない親になりたいです。 我が子が悲しむことのないよう、心も身体も元気になりたいです。 こんな私に何かお言葉をいただければ、と思います。

有り難し有り難し 27
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2023/07/03

(愚痴)父の死が近づいている様です。

こんにちは。 どうしようも無い愚痴ですが、宜しくお願いいたします。 先日、私の誕生日を迎え、私の精神的な理由(不安障害)から疎遠になって貰っている姉(統合失調症)から、主人のLINEへとお祝いの言葉が届きました。 お互いに、誕生日だけは連絡を取りあっています。 その時、主人がLINEを私に見せようとしなかったので、何か有るんだなぁと気付き、「誰かに何かあったの?」と尋ねました。 すると、主人は、嘘が本当につけない人なので、しどろもどろになり、結局実父に死が近づいていると言う事を知りました。 おそらく、癌なのだと思います。 訳あって、私と姉は母の弟の養子になっており、父は違う市で生活保護を受けて暮らしています。 父を嫌った事が何度もありましたが、私も姉も、切り捨てることが出来ず、繋がりはあります。 死は、私にとっては凄く身近で、常に意識してしまうものです。 中一の時に、母方の祖母が癌で亡くなり、中二の時には、同級生がいじめで自死、私の母が借金苦で自死。中三の時には、母方の祖父が癌で亡くなりました。 その後も、父方の祖母、母方の叔母が亡くなり、姉も何度が自殺未遂を繰り返していました。 私自身も心を壊し、自死を考える日々が何度かありました。 そして、今、主人の父母が共に癌を患っており、母親は余命幾ばくも無い様です…。 人は、必ず亡くなりますね…。 分かっては居ても、自身の病気のせいなのか、凄く気が重いです。 父に会いに行くべきなのか…。 父は、市の無縁仏になります。 また色々と悩み、死について考えてしまう日々です…。 愚痴を読んで下さり、ありがとうございました。 精神的な病気には、薬の治療が一番なのでしょうが、何かお言葉を戴けましたら幸いです。 宜しくお願いいたします。

有り難し有り難し 21
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受験に失敗しました

これからどう生きていけばいいのか分かりません。 大学受験に失敗しました。 私の第一志望校は難関といわれる国立大学でした。 1月のセンター試験を終え、2月下旬の個別試験に向けて必死に勉強していました。 しかし2月に入ると、自然気胸という肺の病気にかかって入院してしまい、ほとんど勉強ができませんでした。 退院後も体調が戻らないまま二次試験を迎え、全力で受験しましたが、結果は不合格でした。 浪人は避けたかったので、3月の後期試験で合格した地方の国立大学へ進学を決めましたが、その大学では私の興味のある分野はあまり勉強できません。 第一志望校の合格に向けて私を支えてくれた家族や友人や学校の先生方、病気を治療してくれた病院の先生方に対してとても申し訳なく思っています。 病気になる前にもっと勉強していればと後悔しています。 また、第一志望校に進学できないことを病気のせいにしたくないですが、''もし病気になっていなかったら...''と考えてしまいます。 その上、自然気胸は再発しやすい病気なので、また人生の重要な時期に再発してしまったらと不安でいっぱいです。 今回の出来事やこれからのことを考えると、暗い気持ちになり、とてもつらいです。 今後 、私はどのように生きていけばいいですか。 回答よろしくお願いします。

有り難し有り難し 20
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憎しみと悲しみによる破壊と殺意衝動

今から3年前私は最愛の恋人を最悪な形で失いました 側に居るだけでそれは幸せにしてくれる人で考えていることも少しはわかるような仲で しかし他は良くは思っては居なくて ある日、私と最愛の人と帰り際に私に嫉妬をした女性が殺しにかかってきました ですがそれをかばって最愛の恋人を失いました その人は最後に 私が最愛の人を失う羽目になったのは私が最愛の人と居たからこうなった神様の天罰ねと言いました 無論その人は牢送りになりましたが あの時からいろいろと思うようになったのです なぜあの時私をかばったのか 私はなにかできたのではないか 私が関わってこうなったのか 私が居るからこうなったのか それともあの人が居るからなのか あの人が居るから失うことになったのか あいつさえいなければ失わなかった それとも私が居なくなればよかったのか 私がこの世を捨てればまた会えるのか と私には泣く人も生きる理由もない ただ私には憎しみ、怒り、悲しみ、殺意など どこにもやり場のない複雑な感情と疑問 1人に戻った孤独からの悲しみ 失ったことの絶望 すべてを奪った人への憎しみと殺意 何も出来なかった悔しさ ぶつけようもない破壊衝動 それが毎日夜にとても感じます 復讐でもしていっそう共に消してしまえば楽になれるのですか? 私は身を殺せば楽になりまた会えるのでしょうか 私にはただ憎しみだけに生きてる気がします 私にとって何が希望かも今は見えません 何が幸せなのかもわからないです 生きてる意味はあるのですか? 最愛の恋人は何を望んで行ったのですか なぜ私は苦しめられなければいけないのですか 私の最愛の恋人を失ったことがなぜ私への天罰なのですか 神様はこんなにも冷酷なものなのですか

有り難し有り難し 13
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ブログに自分の思いを書いてもよいものでしょうか。

初めまして。 hasunoha内での問答(https://hasunoha.jp/questions/2905)を拝見し、私も自分の病気との付き合い方や今までの人生をブログに書こうかなと思いました。 私自身は人生において、この質問をされたゼラチンさんほど深い苦しみを持たなかった気もしますが、それでも同じように病気で悩むどなたかが読んでくださって、少しでも気が楽になることがあるかもしれないと。 しかし最近、同じような病歴の方のブログを拝見したところ、寛解間近のメンヘラ(個人的にはメンヘラという言葉が嫌いなのですが……)について、その方の思われることが率直に書かれてありました。 その方は、病気のことを個性と軽く言うメンヘラが苦手とのことで、それを読んだ私は正直とても傷つきました。というのも、私は病歴が長く、朝なかなか起きられなかったり睡眠時間が長かったりすることに10年以上悩んでいますが、それはもはや私の個性ではないかと思い、あきらめ始めていたためです。 そのブログを読んで、自分自身をはじめ、自分と同じように考える人を否定されたと感じてしまったのです。 おそらくその方は、病気を個性と「言わざるを得なくなった」心境については書かれなかったのだと思います。それはその方の考え方でもあり、書くことは自由です。 しかし、その記事を読んで、私のように傷つく人間がいるのも事実です。 お坊様に質問です。 私自身が自分の病気のことや人生についてブログに書いたら、同じように傷つく方が出てくるのではないかと思い、ブログを書くことをちゅうちょしています。 それでも書くべきでしょうか。 長々とぐちってしまって申し訳ありません……よろしくお願いいたします。 私自身の甘さから出たぐちです。喝も覚悟しております。

有り難し有り難し 67
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