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hasunoha 問答検索結果 : 「 お経 」
検索結果: 3053件
2023/05/15

希死念慮との付き合い方を教えてください

お坊さん方こんばんわ。 最近希死念慮に襲われています。普通に暮らしているのに急に死にたくなったり、急に不安になったりします。でも何が不安なのか自分でも分かりません…自分でも頭の中で何を考えてるか分からない… 家族や職場では明るく振る舞ったらしてるけど、今家族、職場の人と喋ってるのは本当の自分ではなく偽りの自分のような気がします。 家族にはそんな事を言ったらまた、迷惑をかけてしまいます(過去の悩み等で両親に多大な迷惑をかけています。私の過去の相談を是非みてほしいです) 以前ここで相談したお坊さんから「生者必滅」と言われました。確かにその通り。分かってます。 しかし、ふとした瞬間希死念慮が襲ってきます… なにかアドバイスをください… ちなみに今は希死念慮に襲われた時は、長生きしようとせず、少し先に楽しみ、目標を 達成してから死のうと思うようにしてます。 ◯◯をするまで生きてみようかな〜と言う感じで… 死ぬまでやる事リスト ・もう一回1人旅行をする ・スカイダイビングをする ・親孝行をする ・ワンポインの刺青をいれる(親に死ぬほど怒られそうですがこれが今1番やりたい事) ・永平寺に行く ・5万円以上の募金をする ・遺書を書く ・遺影は決めておく これが私の死ぬまでにやりたい事です。

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2024/02/02

子犬の死 罪悪感

先日、家に迎えて5日目の子犬が急死しました。この子が亡くなる前、最後に触れていたのは私でした。 夜ご飯をあげた後、少し構ってあげてからゲージに入れて、おやつのボーロを1つあげて直ぐに部屋を出ました。 (先住犬がおり、子犬のワクチンが終わってないため一時的に別室で隔離していました) その後、2時間後ほど後に部屋に入ったらもう既に息をしておらずぐったりした子犬を発見し慌てて両親を呼び、人工呼吸、心臓マッサージを行いましたが息を吹き返すことはありませんでした。 ちゃんとした死因は解剖を行っていないので不明です。火葬も翌日には執り行い、現在お骨は亡くなった先代の子達と一緒に置いてあります。 私は最後にあげたボーロが喉に詰まってしまったのではとずっと後悔しています。なんであげた後にちゃんと飲み込むまで見てなかったのか、たった3ヶ月の子犬を苦しめて殺してしまったのかとずっと考えてしまい、罪悪感で涙が止まりません。 両親は自分のせいでは無い、みんなが家にいたのに見ていなかったのが悪いと励ましてくれていますが、発見した時のぐったり横たわり、目から光が無くなったこの子の顔が頭から離れません。 それから数週間が経ちましたが、未だに子犬が亡くなった時間帯や夜布団に入った時にボロボロと涙が出てきてしまいます。 自分はのうのうと生きているのに、あの子はもういない…その現実が受け止められません。 罪悪感と悲しみ、これらを私はどうしたら良いのか、どうしたらこの子の魂は幸せになるのでしょうか。 長文になり申し訳ありません。よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 9
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お寺を巡る資格があるでしょうか。

アルツハイマー型認知症を永年患った母を在宅介護の末、今年の3月に亡くしました。 77歳の誕生日の3日後でした。 その母の供養にと、父と愛犬とわたしの男3人で地元のお寺巡りを始めました。 お大師様や観音様にすがりたく遍路、巡礼路に沿ってもう150寺近くを巡りました。 お寺を巡っている間は気も晴れ、癒されるのですが、帰宅と同時に果たして母は喜んでくれただろうかと、自責の念にとらわれます。 時に強い虚脱感や絶望感にも襲われます。 周りの皆さんはあなたはお母様によく尽くして差し上げた、お母様はお幸せだったと言って下さいますが、認知症を患い始めたばかりの頃の母をとても煩わしく思い、本人が一番心細かったであろう10年程前に、母の気持ちに寄り添ってあげられなかったことを今でも強く悔やんでおります。 晩年のつきっきりの介護はその罪ほろぼしのようなものです。 自身が独身のため、ゆくゆくは、お墓も作らず、納骨もせず、母の故郷である島の海岸に散骨をと考えています。 父も自分もそれでよいと言ってくれています。 自分自身も甥や姪はいるものの、彼らに負担をかけさせたくなく、また、お墓の石の下や、暗い納骨堂の中よりは、海のほうがのびのびできていいかなあ、お金もかからないし、などと考えております。 母の供養のため、一日三回、新しく購入した仏壇の前で父と般若心境を唱える毎日です。 写経も日に二度ほど書き、お寺巡りの折に納めさせて頂いております。 しかし、母の人生を思うと、特に病魔に蝕まれたのちの辛かったであろう最後の十年を思うと、お経を唱えていても涙がとめどなく溢れます。 不甲斐ない息子でごめんねと心で詫びてばかりです。 また写経の途中で筆を止め、やはりこんなことで母が果たしてよろこんでくれているだろうか、母の病気の進行をもっと緩やかにしてあげられる手立てがあったのではないか、果ては晩年お世話になりながらもその冷たい対応に腹立たしく思えたこともあったデーサービスや病院に今更ながらに腹を立てたりと、全くもって邪念だらけです。 百枚近く写経を致しましたが、ほんの一枚も最後まで穏やかな気持ちで書けたことは今だかつてありません。 このようなわたしが、果たして、これからもお寺を巡らせて頂く資格があるでしょうか。 亡き母は喜んでいてくれるでしょうか。 何卒よろしくご回答の程、お願い申し上げます。

有り難し有り難し 45
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