分別(ふんべつ)やその分別から生ずる苦しみも悟りの現われであり、禅宗における“仏性”の一様であるのでしょうか? また、もしその通りであるのだとしたら、それを疑いなく自覚するためにお坊さんである皆さまは、日々どのような修行を行ってらっしゃるのでしょうか?
仏教ほど、多様性があって、宇宙にも明るい宗教は他にないと個人的に思います。だから、宇宙人が仏教を信仰してもおかしくないはずです。お坊さんの自由で面白い意見を聞きたいです。
少し前に、湯上がりでアイスクリームを食べながら、「幸せだぁ」と何気なく呟いていたところ、 3歳の子供に「幸せってなぁに?」と聞かれました。 その時は、「心が暖かいことかな」と答えたのですが…。 もし、お坊さんが、小さい子供に幸せってなぁにと聞かれたら、なんとお答えになりますか?
ついさっき祖母が亡くなったという連絡を受けました。 80代なので寿命でしょう。不思議なことに悲しいとかいうより、「寿命だし仕方ない」という感情が強いのです。 お坊さんにお願いがあるのですが、祖母が憂いなく成仏して生まれ変われるようにお経を唱えていただけないでしょうか。
浄土宗のお坊さんに質問です。 お寺での日常勤行は朝・昼・晩の三回か、朝・晩の二回どちらなのですか? また、よろしければお寺の日常勤行差定を教えて頂きたいです。
お寺に行くと、撮影禁止とよく書いてありますが、どうしてだめなのでしょうか? こんなすばらしい仏像に出会ったとブログに書きたいのですが。 仏像の写真を撮られるとお坊さんとしては嫌ですか? 他の人がお参りしているときとかにはもちろん写したりはしないのですが
仏教では、友にしていい人、悪友として除くべき人、はありますか? それとも、どんな人間も良い面もあれば悪い面も同時に存在しますし、そのような区別なく誰とでも付き合うのがいいですか? お坊さんの意見を聞いて参考にしたいのでお願いします。
初めまして。ぴっころと申します。 質問が2つあります。 ①仏教的には誕生日を祝うという概念はありませんか❔ ②お坊さんに子供や奥さんや恋人がいたとして、誕生日はお祝いしませんか❔ 宗派によっても違ったりしますか❔ よろしくお願いします。
お坊さんは朝早いイメージがありますが 朝もっと寝ていたいときありませんか? 私は朝いつもさっと起きられません。 冬になると特にです。 もっと寝たい。会社行きたくない。 お布団から出たくないです。 対処法はありますか?
以前、死を怖いと投稿させて頂いた者です。あれから、1度相談する事が出来たというので少し気持ちが軽くなりましたが、それでも不安に飲み込まれてしまう時があります。 そこで、お坊さんの皆さんはどのように不安を解消したり、紛らわしたりしていますか?良ければ教えて頂きたいです。
気が緩みました。引き締まらない。 高3になって、現場実習1回目終わっていいと思っていたら、またで2回目もきて、油断していてなんとかやっと実習が終わりホットしました。もう、すでに高3になって気が緩みました。終わってますよ。 そりゃできないのに親に先生に神様や仏様にも文句言う権利無し!のダメ人間に(*_*)なんか厳しくて痛い言葉はないですかね? 本当に、体まで痩せられないぐらいヤバイ… (太ってるのは自分の問題です。こっそり買って食べました。いただいたお菓子を平らげました。)なんか、私の言葉に甘い!と感じたお坊さんは、渇!を入れて大丈夫です。道元禅師さまは、自分にお厳しい方だったと言う話を聞きました。空海さまは、勉強?に励んでいた?というのかわからない……(¨;) 心の中のお不動さまがほしいです。甘い自分にはいません。言っても無駄になる前に直そうと。
先日付き合って1年半になる 恋人と喧嘩をしました。 喧嘩の内容は相手の仕事による デートのドタキャンです。 一回ならまだしも今月だけで もう2回目... 今は既に仲直りしていますが、 喧嘩中に言われた、「価値観が違う」 という言葉が未だに私の中で ひっかかっています。 価値観が違う?そんなことは 当たり前の事だと思っているので 彼がどんな気持ちでそれを 言ったのかよく分かりません。 よく夫婦間やカップルの間で 価値観の違いで別れたというのを 耳にしますが生き方や考え方 物の見方、価値観の違いというは 生きていれば誰しも違いが 出てくるのでは? 彼がどんな思いでそれを言ったのかは 彼に聞くとして。 お坊さん方に価値観の違い とはなにかそれぞれの 解釈を教えていただきたいです。 長くなってしまい申し訳ありません。
これは私がというよりも、私の上司の悩みです。 上司は仕事でいろんなお客さんと接する事があります。 お仕事だけの話ならいいのですが(例えば、○○を作って欲しいという依頼を受けるなど)、お仕事とは関係のない相談をされることが良くあります。 例えば「部下が言う事を聞かない」「売り上げをもっと伸ばしたいけど良い案はないか」など。 いうなれば、そこの会社の社員でもないのに、社員のように相談される感じです。 上司は人の良い優しい方なので、ついついその悩みを真髄に受けて「どうしたら良いかな」と悩みます。そのせいで最近寝不足で体調も優れないと聞きました。 お客さんのお仕事とは関係ない悩みを解決して、結果良いものができる事もあると思います。 ですが、さすがに悩みを聞きすぎているようで、上司は疲れています。 このような時、どうアドバイスをしたらいいでしょうか。 私は少しでも上司に休んで欲しいし、仕事とは関係のない相談は切り捨てましょうと言ったりもしました。 人の悩みを沢山聞いているお坊さんに、このような相談をするのも申し訳有りませんが・・・ 何かお言葉をいただけたらなと思います。
浄土宗のお坊さんに質問です。 昭和十四年版『浄土宗法要集』の往生礼讃について。 下記のURLから飛んで頂けるとお分り頂けると思いますが、日中礼讃(コマ番号32/音聲部 P.59)の「南無至心歸命禮 西方阿彌陀佛 一一臺上…」の一節の前に「此間二節二礼略」と書いてあります。これは省略されているということですよね?この箇所以外にも省略が多々見られます。礼讃を読誦する時は、この省略された部分は飛ばしても構わないのでしょうか。 ご回答、よろしくお願い致します。 国立国会図書館デジタルコレクション『浄土宗法要集』 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107908
これまで色々お答え頂きありがとうございました。 お医者さんもカウンセラーさんもお坊さんも、考えてベストだと思えてる方法を教えてくれますが、でも届きませんでした。 自分はただ一緒に遊んでくれるだけで十分だったのだと気が付きました。でも自分には友達が元から少なく、40歳(プロフィール欄はなぜか30代で表示されてしまいますが)になってしまいましたので今から増やしていくのも簡単では無いと感じています。 後白河院の編纂した梁塵秘抄に有名な「遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声聞けばわが身さへこそゆるがるれ」というお話がありますが、何やらしみじみと沸きいってくる情動に「ああ自分の中にも遊びたい気持ちがあって抑圧してたんだな」と感じ入ります。 真面目に求道されている方々には若干心苦しいですが、今度は一応ゆるめのものを選んで仏教イベントに遊びに行ってみたいと思います。
以前こちらで相談したのですが、最近になってまた死が怖くなってきました。 もちろん、自分の死もですが親の死や友達の死も怖いです。 考えても無駄と言うのはわかりますが、不安で仕方がないのです。 ネットで調べて見ても、臨死体験と言って、死後は無と言ってる人と天国があると言ってる人もいてどっちかわかりませんし、死後の世界は考えにくいらしいし、どうすればいいかわかりません。 親が死ぬのが怖い、友達も、いつかできる彼女なども死ぬのが怖い、もちろん自分も。 どうすれば良いでしょうか?死後の世界は架空の世界でしょうか?それを考えると色々なことを楽しめず、朝食を吐いてしまったり、どうすればいいですか?お坊さんは怖くないのですか教えてください。お願いします。 後、死後の世界があったらおじいちゃんとおばあちゃんだらけじゃないですか?しかも、僕は死んだら親を求めるけど僕の親はおばあちゃんを求めて、おばあちゃんはひいばあちゃんを求めてってなりませんか?考えすぎでしょうか?
主人は喫煙者です。 昨年上の子が生まれるまでに辞めてね。と約束を破り年内にと期限を伸ばしても辞めるどころか努力すらせず、今年下の子を来月出産するのに辞める気配もなくスパスパ私や上の子の前でも平気で悪びれることもなく吸っています。 今回も辞めるように話し合い、夏までにやめられなければ喫煙外来へ行く約束でしたが、有耶無耶にされ、来月出産なのにやめる気ゼロです。 何度か言うと、やめる気が失せる!とか言うのでやめるための誠意が感じられないし、やめる気がないでしょう?と言うと気を悪くするし困ってます。 お坊さんなので声の職業でもあるし、話している時に滅茶苦茶タバコ臭かったらあまり感じが良いとは思えません。 将来旦那が肺がんになったり、私や子供達が副流煙の影響で肺がんになったらどうするのかも考えてくれません。本当に無責任すぎます。 どうしたら辞めてもらえますかね。本当はわたしはタバコの匂い嫌いなんですけど我慢しています。
最近、信頼していた人達からの裏切りを経験しました。自分自信、考え方を変え(※自分のしっくりくる言葉遣い・考え方の人と出会いました)その件については今はなんとも思っていません。 しかし考え方を変えてから、他人の些細な欠点ですら許せなくなってしまいました。先日初対面の人とご飯に行った際お相手の方がご飯を残してお会計をしていた時ふと「この人とは合わないな、次の出会いを探そう」と簡単にご縁を切り捨てている自分に気づきました。自分は少しでもご縁を増やしたいと思っているので良くないのではないか?と思いましたが、お坊さん達はどのようにお考えでしょうか? ご回答いただけますと幸いです。
70台の母が迷信深く困っています。母の実家は曹洞宗で、結婚後は浄土真宗です。父はすでに他界しました。母の両親も他界しており、実家のお墓や仏壇の世話もしています。母にとっての信仰とは仏事をとにかくつつがなくこなすことのようで、仏壇に線香を上げたり、墓参りをしたり、法事をこなしたりは熱心ですが、お経をあげたり仏教書を読んだりしているところはみたことがありません。毎月のお坊さんへの謝礼や、法事の出費に加えて、本山に分骨したり、収入にみあわない出費をしています。そのような生活スタイルはもう変わらないと諦めていますが、自分の死語に私に法事を引き継いでもらいたいと思っているようです。しかし私は無信心なので儀式を引き継ぐつもりはありません。母に信仰の自由を認めさせるにはどうしたらよいでしょうか?
祖父が現在危篤状態で、医師から伝えられた余命を過ぎても、奇跡的に生きている状態です。 祖父は昔ながらの仕立て職人で、孫の私に多くのことを残してくれています。 愛する祖父に院号をつけてやりたくて、ご相談です。 祖父が墓を建てたのですが、院号や大姉が多く、墓を建てた祖父に院号がついてないのはやはり気になってしまいます。 祖父が事前に申し込んだ葬儀のセットには、院号の料金は含まれておらず追加の支払いが必要です。 ①いつお坊さんに院号をつけて欲しいとお伝えすべきでしょうか? お坊さんにあってすぐにお願いすべきなのか、戒名をつける前なのか、戒名をつけた後なのかがわからなくて。 ②自分で自分の戒名をつける講習会などや、修行があると聞きました。 意識のない祖父に変わって、孫の私が代わりに参加することで、祖父に院号をつけることはできないのでしょうか? 祖父自身は、負担をかけたくないから院号はいらない!といっていました。 ホームページなどを見ると50万-100万ほどで院号をつけていただけると書いてありました。 学費のために貯めたお金を充てればなんとか工面してやれます。 私の進学を応援していてくれた祖父なので、自分のために貯金を切り崩すとなると、祖父への負担になるのではないかと心配しています。 そのため、なにか別の手が打てないかと考えています。 自分勝手な質問であると思いますが、お知恵をお貸しください。