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検索結果: 703件

将来を約束した彼の死について

1月末に結婚を前提にお付き合いをしていた彼が亡くなりました。 心筋梗塞での突然死でした。 彼は数ヶ月前にも心筋梗塞をおこし、その時は私が一緒に居たので呼ばなくても良いと言われながらも救急車を呼び、即手術して一命を取り留めました。 心臓の3分の1が壊死してしまい機能不全になりましたが術後の経過もよく日常生活に戻りました。 私はシングルマザーで高校生の娘と暮らしており、病気した彼と生活を共にはなかなか出来ませんでした。 亡くなった日も2時間前まで会っており、何気ないふたりの時間を過ごし、娘の待つ家に帰りました。 その2時間後くらいに彼から電話が入り、なんかおかしい…と。 救急車呼ぼうか?との問に、まだ大丈夫やから○○すぐ来て!!と。 急いで用意して8分後に折り返し電話。 もう繋がらなかった。 かけながら彼の家に行き2階に上がると向こう向きに倒れてて血色も既に悪くて… 電話があって駆けつけたのが15分後くらいだと思います。 問いかけにも返事はなく119に電話。 動揺しており息をしてるのか心臓が動いて居るのかの質問もわからず言われるかまままに心臓マッサージを行いました。 すぐに救急車が来ましたが既に亡くなってた状態の様でした。 搬送先の病院で蘇生を続けてくれましたが心臓が戻ることはありませんでした。 亡くなって2ヶ月たちます。 だけど全く彼の居ない生活を受け入れられず、どんな気持ちで彼は亡くなったのだろう…と。一緒に暮らしていなかったことを後悔したり、子供と仕事と恋愛とで疲れ果てて喧嘩もしてたり…と彼の病気を悪化させてしまったのは私じゃないかと。 色々な気持ちがおこります。 助けられなかったこと悔やみます。 家族の同意もあり今でも家に行きたい時には行かせてもらい手を合わせています。 次は百ヶ日法要。 気持ちが落ち着いていくと思ってるましたが日に日に寂しさ悔しさ辛さ不安が大きくなってます。 彼は生前全力で私を愛してくれてました。 一緒に居る時は不満もあり喧嘩もしたりとこんなに四六時中彼の事を思うことは無かったのに… ひどいですよね〜 今になって彼からのたくさんの愛を改めて感じ守られてたなぁとつくづく感じる日々です。 なかなか死を受けいれられません。 私はこの先どの様に生きていけばよいでしょうか?

有り難し有り難し 7
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病気不安症。

私は多分不安症です。心療内科へ行けば診断され薬が出されると思います。とにかく、癌が怖い。 少し痛かったり何かあれば悪性腫瘍じゃないかと 不安でネットで調べたり病気の人のブログを見て自分だと当てはめてしまいます。そのため、子育てもあるのにずっと携帯で調べています。 この間も腰のしこりで整形へ行き、触診で異常なしと言われても不安で総合病院の皮膚科へ行き、 そこでも触診で異常なしと言われたのに不安です。そうかと思えば舌癌の心配をし、スキルス胃がんの心配をし、今は肩です。恩師は癌で亡くなり、余命を聞いて死まで淡々とすべきことをして亡くなられました。私は子供が2人います。 私が死んでもこの子たちにとっては人生の一部でしかないし、乗り越えていけるはずです。 私は私の人生ですから、病気になろうが事故にあおうが、私の人生です。寿命なのです。頭ではわかっています。でも怖くて不安で毎日を無駄に過ごしていることが辛いです。病気に対して過剰に心配しているのもわかっています。でも若くして癌になる人もいます。突然死もありますが、病気は自分の意識である程度防げると思うんです。 若いから悪いものではないとか、可能性は低いとか、なんでその低い方に入らないと思って診断するのか。若いから癌は大丈夫と言われました。 万が一だってあるのに、おおよそ大丈夫と言われても不安です。そんなことでいちいち病院へ行き、検査をすればキリがないと言われました。 でも、そう言われる人の中に癌の発見が遅れる人もいます。こうなると、どこまで検査をすればいいのかわかりません。昔から白黒極端で中間がなく曖昧が理解できません。しこりも、何と診断されることもなく悪いものではない。だけでした。 どこか痛くなれば何が原因で何なのか診断名がないと不安です。もっと1日を充実させて大切に生きないと恩師にも失礼だし、自分が一番嫌です。 今ある命を精一杯生きるためにアドバイス下さい。心療内科へは行かず、薬も飲まず、自分と向き合っていけたらと思います。まずはそうしたいです。

有り難し有り難し 11
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2021/08/19

不安で押しつぶされそうです。

以前別のことで相談した時にとても心に響くお言葉を頂いたのでまた相談させて頂きます。 わたしの家は家庭環境が子どもの頃からあまり良くなくて、そんな理由もあり中学の時に不登校になってしまいました。その時に母がわたしの為に犬を飼ってくれました。辛いときも嬉しい時もその子が側にいてくれてわたしの中では家族より大事な存在になっています。そんな子も、もう老犬になり去年心臓病と診断されてしまいました。 まだすぐにどうこうなるという訳ではありませんが毎日毎日、その子がいなくなったらわたしはどうなるんだろう。 お願いだからわたしより先に死なないでほしい、この子より先に亡くなりたい、わたしの寿命を全部あげても良いから先に死なないでって思ってしまいます。裏庭にお稲荷様の祠があってそこで毎日祈っています。 そのぐらい毎日この子がいなくなってしまうことへの不安に押しつぶされそうになっています。 家族にも友達にも職場の人にも誰ひとり心を開くことが出来ないわたしですがその子だけには心が全部開けます。 大事な存在の為に自分の寿命を捧げたいって思う心はいけないことなのか。 お忙しいところ申し訳ありません。良ければ回答お願いします。

有り難し有り難し 2
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人や自分の死の受け止め方

先日祖母を亡くしたことで相談させていただいた者です。 その節はありがたいお言葉をいただき、何度も何度も読み返しては涙を流しております。 本当にありがとうございました。 祖母の死をきっかけに、死について考えるようになりました。 死は決して避けられないものであるということ、そしてその期限はわからないということ。 誰にも確実な明日はありません。 明日どころか、1秒先もどうなるかわかりません。 もし両親が突然亡くなったら…もし自分の家族が突然亡くなったら…しばらく会っていない祖母でこれだけ悲しいのだから、もっともっと悲しいにちがいない。 でもそんな日は突然ではないかもしれないけど、いつか必ず来る。そのとき私は耐えられるだろうか。 今でも祖母に会いたくてたまらないのに、これ以上の悲しみに耐えられるだろうか…と、ふとした瞬間にこんなことばかり考えてしまいます。 突然の別れに後悔しないようにと、どれだけ回りに尽くしたとしても、必ず後悔や悲しみの感情はあると思います。 尽くせば尽くすほど、悲しみは倍増するのかな…とか。 それに、私自身にも必ず死の瞬間がきます。 そのとき私はどんな感じなのだろうか、少なくとも私の家族や友達は悲しむだろうな…少しでも回りの人の悲しみを和らげるために、遺書というものになるのかもしれないけど、手紙を残しておいたほうがいいのかな…とか、私はどんな死に方をするんだろうとか考えてしまいます。 まだ祖母が亡くなって日にちが浅いからかもしれませんが、毎日このようなことを考えてしまい、一人では何の解決もできず、もやもやしっぱなしです。 この前教えていただいた、後悔を感謝の思いに変えることや供養の行いについても私なりに考えさせていただいているのですが、その答えを見つけて、人や自分の死を受け入れて生きていくのはもう少し時間がかかりそうです。 先日も同じような質問で本当に申し訳ないのですが、こちらでしか相談させていただけず、またこちらにお邪魔してしまいました。 お忙しいところ、とりとめのない長文で本当に申し訳ありません。

有り難し有り難し 18
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今後の生活についての不安

お世話になっております。 いろいろな不安はこれまで解決を図ってきたのですが、今後の生活についての不安が解決できないので相談します。 今、病気休職中で、腹部の不快感がありますが、一番ひどい時は、 精神面では、落ち込み、希死念慮、 身体面では、めまい、耳鳴り、頭痛、腹痛、息苦しさ、胸の痛みなど、ありとあらゆる不調がありました。 読書をしたり、デイケアに行ったりして、専門家の助けを借りながら、良くなっています。先月は、原因不明の小腸閉塞になって、入院しました。 今年に入って、神棚を置き、日々の感謝の気持ちと意気込みを伝えています。 そうしているからか、入院中は、都合で家族は病院には来れず、看護師さんの助けを借りながら、洗濯など身の回りのものは基本的に自分でやっていたにも関わらず、悲観的な気持ちにはなりませんでした。他の入院患者を見て、自分は腸が詰まっただけでましだとさえ思いました。 死に関しては、死に方によって程度の差はありますが、どんな死に方も不徳をおかすと考えるようになったので、死にたいと思うことはなくなりました。徳と不徳の合計が0になればいいなとおもっているのですが、今のところ、不徳ばかり積んでいるように感じます。 原因不明の腹痛を抱えながら、激務の環境に戻れるのか、転職するにしても採用されるのか不安です。腹痛以外、健康になったと思うので、働きたい気持ちもありますが、再休職してしまいそうです。 自分が必要で無理なく管理できるものと衣食住、年を取って働けなくなったときの必要経費があれば十分だと思うようになったので、贅沢は言いません。ただ、自分で動ける以上、公的な保証をできるだけ受けず、社会に貢献して食費や自分をメンテナンスする費用を稼ぎたいと思っています。今は、頼らざるを得ないのですが。 健康と労働をどのように気持ちの整理をつけていけばいいか、アドバイスいただければと思います。

有り難し有り難し 6
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将来に対する漠然とした不安との向き合い方

初めまして。 私は現在独身で実家に暮らしている非正規雇用の者です。 私には定期的に悩んでしまうことがあります。 それが「自分が正社員ではない」ということについてです。 私は非正規雇用であることを良かったと思う時と、悪かったと思ってしまう時があります。 良かったと思うのは、非正規雇用で時間の融通が利くからこそ、親類のそばに長くいることができている。ということです。 その一方、悪かったと思うのが、ニュースなどで「貧困女子」「孤独死」「正社員でなければだめだ」などという単語が目につくたびに、ギクリとしてしまうことです。 そういう時に頭をもたげ、今の自分を否定し始めるのが「正社員になれれば、もう少し生きやすくなるのでは」という想像です。 そこで慌てて転職情報を見てみたりもするのですが、色々なことを考え始めると、正社員になればすべてがうまくいく保証などどこにも無いことに気付きます。 知り合いには正社員として働いた挙句鬱になり、解雇され、引きこもりになり……という暮らしをしている方もいるので、そういった可能性も脳裏をよぎります。 また、正社員として入ったのはよかったけれど、倒産してしまった。という話もありふれたものです。 それであれば、今の仕事を続ける方が良いのでは。と、思いもするのです。 そういったことを堂々巡りで考えていると、もう生きる上でなにが正しくてなにが間違いで、どうあるのが一番なのか。とわからなくなってしまいます。 今は家族がいることで安心感もあり、非正規雇用である利点として時間の融通をきかせた生活をし、親類といることに喜びを覚えていますが、いずれは独りになる身です。 恋人はいますが共に暮らせる確約はありません。 仮に暮らせたとしても、死ぬまで別れないとも限りません。 餓死、孤独死、病死、事故死、自分の命がどう終わるかすら、そもそもわからないことなんだということを考えると、今抱いている不安は考えても仕方のないものにも思えてきます。 こういった取り留めの無い悩みや不安に向き合い、受け入れ、肯定的に目の前の道をしっかりと歩むにはどういう見方を心がければ良いのでしょうか。

有り難し有り難し 6
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2023/05/03

祖母の死が受け入れられません

同居していた祖母がつい先日亡くなりました。病気は色々とありましたが、最終的には間質性肺炎でした。 亡くなる3日前には高濃度酸素を吸いながらも話せており、2週間程度の入院と聞いて居た為まさか亡くなるとは思っていませんでした。在宅酸素か介護施設に入るのかなと思っていました。 死に目には誰も会えず、4月末に葬儀を終えたばかりです。納棺式の時点で大号泣してしまい、一緒にに逝きたいという気持ちが強くなぜ祖母だったのだろうか、何故自分が生きているのだろうかなどとずっと考えて泣いてばかりいます。 今死ねばもう少しでおばあちゃんに会えるかななどと考えては泣き、昔のことを思い出しては泣いてばかりで眠れていません。葬儀の際、お坊さんがいつかは皆さん会えますからね、と仰っていて今すぐに会いたいから死んだら会える?と本気で思いました。これから1人で長い旅に出ます、と葬儀場の方が仰った時も同様の事を思いました、私が今から逝けば1人じゃないかな、一緒にいれる?と。 遺影を見ては泣き、合掌しながら話しかけては泣き、明け方4時まで泣き通しています。 生きる気力もありません。元から希死念慮は強いのですが更に強くなった気がします。家族は皆葬儀後は泣かずにいますが、私だけが日々泣き通しています。 こんな状況で新しい仕事も決まったのですが全てが不安です。1秒でも早く祖母の所へいきたいです。どうしたら後追いせずにいられるでしょうか

有り難し有り難し 11
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2021/08/30

自分の将来についての不安

こんにちは。就職活動中の20代です。 世の中の辛い人たちに比べるととても甘ったれた悩みだと思いますが、だからこそ誰にも言うことができません。一度客観的なご意見をいただきたいと思い投稿します。 厳しいご意見でもいいのでなにか言葉を頂けると幸いです。 私はこれまで、何一つ不自由のない生活を送らせてもらいました。友人や家族にも恵まれていると思います。 しかし、自分はその環境に甘えてきたというのもあり、またもともとの性格もあり、自分のことが嫌いです。心の底では自分のことが可愛くて仕方のない、単なるクズだということは頭では理解しているつもりです。それでも努力をしようとしない自分に呆れ、自己嫌悪に陥ります。それと同時に将来失敗することへの不安が襲ってきます。人間関係も社会生活も、一生この自分で、一生色々なことに気を張って生きていくのかと思うと、もう人生を終えたいなと漠然と思ってしまいます。 とくに能力や夢があるわけでもないため、企業に就活するのが一番必要なことだと思って就職活動をしています。しかし、漠然と消えてしまいたいと思っているので将来のビジョンも見えず、就職活動にすら力を注ぐことができずにいます。 人生を終えたいと思ってしまう自分は、これからどう頑張っていけばいいのでしょうか。書いていて自分でも不快になるほど甘えた考えだと思います。これを読んで不快に思われた方がいたら申し訳ないです。 どのように自分を奮い立たせ、自信を持ち頑張っていけば良いのでしょうか。なにかご意見をいただけますと幸いです。

有り難し有り難し 8
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父の死の受け止め方について

先日、父が亡くなりました。まだ60代でした。 元々、滅多に風邪もひかない人で、体調が悪いと言い出してから数日で倒れ、心筋梗塞と重度の糖尿病が発覚して入院し、手術の予定日の朝に突然、呼吸と心肺が停止しました。 父は、あまり自分の話をしない人でしたが、母から聞いていた限りでは、辛い経験を幾度となくしてきたようで、それらを父はいつも独りで抱え込んで、弱音を吐くこともなく耐えてきたのだと思います。さほど強い人ではないので、そのせいか少しひねくれてしまったところもありますが、頑張り屋だったのでしょう。 体のことも、入院時には主治医から「よく生きて病院まで辿り着いた」とまで言われたほどなので、実は随分前から体調は芳しくなかったのだと思います。そんな様子は全く見せてくれなかったので、私たち家族には正に『青天の霹靂』で、あれよあれよという間にいなくなってしまったという感覚です。 母と弟には、非常に大きなショックだったようで、時折放心したようになったり、色んなことを悔いたり、「早すぎる」と泣いたりしています。 私はというと、悲しくないわけはないのですが、どこか腑に落ちたというか、納得してしまったような感覚なのです。 父はさほど強くもないのに、これまで多くの苦難に独りで耐え忍び過ぎたと思います。 そしてこれから先、母を看取ることや、自分が寝たきりや要介護になることは父にとって、この上なく耐え難い苦痛であり、それを避けられたことは、父にとって決して悪いことではなかったと思えてしまうのです。 これは私自身の死生観ですが、生き抜いた先に穏やかに眠れる場所があるなら、それは『救い』だと思いますし、私もいつかそこに辿り着けることに安堵感すら抱いています。 体から解放された父はこれからは、痛い思いも苦しい思いもせず、誰かに傷つけられたり、辛い思いをしたりすることもなく、『楽』になってくれているように思えるのです。 なので、母や弟のような悲しみ方が私には出来ず、このまま日常にスっと戻れてしまうようなのですが、周りとの温度差がありすぎて、これは私がまだ悲しみを実感出来ていないだけなのか、それとも私の感覚が少しズレているのかと考えてしまいます。 私のこの感覚や考え方は、特殊なものなのでしょうか?

有り難し有り難し 13
回答数回答 2
2022/11/03

死、別れ、時が流れていくことが怖い

死、時間が過ぎゆくこと、全てのものとやがて別れなければならないことが怖くてたまりません。 立て続けに可愛がっていた愛猫を亡くしました。 二匹とも老齢で死ぬことは当たり前の年齢、特に苦しむこともなく穏やかな最後でした。 ペットロスなんだと思いますが、猫達がいなくなった哀しみや寂しさの他に漠然とした不安、恐れが湧き上がりしんどいです。 今は一緒に嘆き哀しんでいる家族ともやがて別れがくる、こうしている間も1秒1秒それまでの時間が短くなっている。 その次の別れの瞬間に今のことを思い返しているような、あっという間に来るべき時が来てしまうような気がしていてとても怖いです。 気分転換に外に出ても葬儀場やお墓の看板ばかりが目につき、世界が裏返ってしまったような気になります。 これまでは遠く空の上にそういうものがあって、今生きている世界はしっかり地にあるイメージだったのが、海の上にある小さな小島にいて、すぐ足元に深くて暗い海の底が広がっている、自分が生きている世界はとても心許ないものですぐに溺れてしまうのではないかというような気持ちになります。 在宅勤務でずっとつきっきりだった為か、死を真正面から受け止めすぎた気がしています。 どこに行こうが逃れられないことに気付いてしまいました。 昔の偉いお坊さんが、死ぬ間際に一筆と頼まれた時に死にたくないと書かれたという話を見かけ、偉いお坊さんでも怖いのかとどうしていいか分かりません。 自分が死ぬ前の晩はどんな気持ちか、親が死ぬ前の晩はと、そんなことばかり考えてしまいます。 さっきコンビニへ行ったことも10年前の旅行のことも思い出すとどちらも一緒で、全部の物事がどんどん過ぎ去っていくような、時間が圧縮されてしまってあっという間に全てが終わるような気持ちになってしまいます。 過去が全部一かたまりになっているというか…。 時間がすごいスピードで自分を削り取って過去のかたまりに押し込めていくような感覚があります。 とても怖いです。 仕方ないことを考えるのをやめたいです。 どうしたら今のことだけ考えられるようになるでしょうか。 偉いお坊さんでも死にたくないのに私のような人間が怖くなくなるなんてありえるのでしょうか。 どうしてこんなに寂しく悲しく辛い死や別れが避けられないこととして存在しているのでしょうか。

有り難し有り難し 15
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