実際に自分自身が自死遺族となりました。 そのような実感もあまりないのですが 毎日が息苦しいです。 いろいろな支援があるということを こちらのサイト様でも地域の情報でも 拝見いたしましたがハードルが高いです。 全く知らない人に電話をし自分の状況を説明すると思うと… つらい聞いてもらいたいという気持ちより 精神的にしんどいという思いが先立ち せっかくの支援も利用する気になれません。 情緒不安定が続いたとき メンタルクリニックも考えましたが 予約の電話すらできませんでした。 捜索時の慌ただしさから お通夜お葬式…四十九日と 周りの時間は普通に戻っていくのですが 自分だけ取り残されているように感じます。 今月より心機一転とも思ったのですが… 1人で苦しませてしまったにもかかわらず 私がのうのうと生きてることに 違和感を感じます。 こちらのサイトの問答をたくさん拝見し そんなことは望まれていないと思うのですが 理解と実践が全く別物です。 身近の人の死に対する 気持ちの経過もこれが自然なのか 異常なのか全くわかりません。 誰よりも辛いはずの両親も いろいろと気遣ってくれ 優しい家族に恵まれ、 決してしんどい状況ではないのですが 精神的にどうしようもないときがあります。 子供の成長に悪影響がないか怖いです。 一生懸命できるだけ供養し 一生抱えるしかないのですが どのように向き合えばよいか いろいろなお言葉を聞いても わからないままです。 ハスノハ様でしたら気持ちを 少し書ける気がしたので書かせていただきました。 従来の問答と重複するものですが ここまで読んでいただき 誠にありがとうございました。 いつもお坊様の有難いお言葉に 励まされております。
先日、次男の自死について、質問させていただきました。次男を失ってから約2週間経ち、彼の最期の姿を常に思い出す事は徐々に減りつつあります。しかしただただ寂しく、喪失感が強くなるばかりです。彼の遺書らしいものはまだ見つけられず、スマホもロック解除が出来ないため、最期に何か伝え様としていたのか全くわかりません。しかし彼のアカウントのパスワードはわかったので、彼がこの一年近く色々と悩み、苦しんでいた事を垣間見ることが出来ました。けど父親として、それに気付いてやる事が出来なかった。会話の多い家庭だと思っていたのに、苦しみや悩みを彼は伝えてくれなかった。とても優しい子だったので、家族に心配をかけたくなかったのか、自分の似てプライドの高い子だったので、知られたくなかったのか。自分も約5年前自死を決断し、実行したことがあります。その時は意識が薄れる中で、家族の姿がチラつき思い留まりました。次男は家族のことを思いやらない様な子ではありませんでした。だからこそどれだけ最期の最期まで苦しんだかと思うと、父親として本当に申し訳なくて、仕方ありません。彼の最期の決断を認めたくはないですが、ただただ今はよく頑張ったと言ってやることしかできません。本当に悔しくて、悲しくて、寂しいばかりです。自分の様ないい加減な人間に仏様や神様が試練を与えるのは理解が出来ます。しかし本当に真面目に頑張っていた次男に仏様や神様はこんな苦しい試練を与えられたのでしょう。一番悪いのは、次男を救ってやれなかった自分である事は、十分にわかっています。しかし真面目に頑張っている妻や長男、そして次男にこの様な試練を与える仏様や神様に 、なぜ試練を与えたのかと言いたくなります。ほぼ毎日仏壇に手を合わせ、ご先祖さまや仏様に家族の安寧を祈っていたのに。
35歳の娘が2年近くの闘病生活をしてまいりまして、3週間前に天国へ旅立ちました。 2回の大手術、放射線、抗がん剤、丸山ワクチン免疫療法とやれる事は全てやったつもりですが、転移、再発を繰り返して、最後は腫瘍による腸閉塞になり、点滴生活が1ヶ月半でした。 この2年で私にもお友達にもほとんど泣き言を言わず、いつも明るく前向きで、大丈夫が口癖でした。 5月に入り、3日間くらい何を話しかけても話をしなくなってしまった時にもうこのままだめなのかなあと諦めかけました。 すると4日めで目覚めて、とても怖い夢をみていた、目をつぶると死ぬよと言われ一生懸命開けてたと。 変なおじさんもいたと。 その時、私は娘は奇跡をおこせるのではと思いました。 3月の終わりに、病院でこのまま病院にいても家に帰っても点滴しかやる事がないと言われて退院してきます。 在宅看護でしたが、看護師さんもすごい生命力といってくださいました。 それから、3日間くらい、主人と私と3人で一日中一緒に過ごしましたが、しゃべってしゃべって、朝方までしゃべり続けるのです。とても元気になったのだと思ってた。 ところが、その3日後にお友達が会いにきてくれてその夜から眠ったままになってしまいました。 疲れたのだろうと思っていましたが、亡くなるまで、一言二言話すだけで、最後の3日間くらいは、顎で息をして、目は開いたままで瞼を閉じてあげようとしても、無理でした。 尿もほとんど出ず血圧も下がってきていたので、あれだけ死んだら絶対だめだと心の中で叫んでいたのに、もう楽になってほしいと思ってしまいました。 顎で呼吸になるとすぐにだめになる人が多いと看護師さんから聞いて、4日間も頑張っている娘に対して今は申し訳ない気持ちでいっぱいで、会いたくて会いたくて毎日泣いてばかりです。 目を閉じなかったのはなぜなんだろう、時々泣きそうになる顔は何を言いたかったんだろう。全部私が悪かった。これからどうやって生きていこう。 死にたいと思うが死ぬ勇気もない。 2年近く入院以外は毎日一緒だったので、どの部屋に行っても思い出して辛い事ばかりです。 神様も仏様と助けてくれなかった。 今は娘が仏様になったので、ご飯を作る事だけが、精一杯です。 娘は誰にも泣き事を言わず明るくしていました。 どんな事を思っていたかと思うと胸が張り裂けそうです。
以前に母の事ではお言葉をもらいました。 もうすぐ49日です。 一人暮らしも少しは慣れましたがやはり寂しいです。仕事から帰って来ておかえりなさいがないとやはり寂しいです。 母は心配性でよく私が遊びに行くと電話が来たものでした。 未だ母は私の事を心配してるのでしようか? 私なりに仕事、家事頑張ってるつもりです。
7月19日に母が66歳で天国へ旅立ちました。 10年前に乳がんを患い、それとは別に3年前に大腸がんを患いました。 大腸がんは、肝臓や肺へ転移してしまい、1年半ほど抗がん剤治療を行いましたが劇的な効果はなく、抗がん剤を辞めて3ヶ月ほどで天国へ旅立ってしまいました。 亡くなる1週間前から会話などが出来なくなり、最後数日は寝たきりの状態でした。 父とお嫁さんと私で世話をし、最後は自宅で看取ることができました。 最後1週間は母のそばにずっといることができました。 母が亡くなって数週間はバタバタしていたこともあり、実感が湧かず、悲しむことが少なかったのですが、最近になり悲しみがどんどんと膨らんで行くのを感じています。 日々の生活の中で母を思い出し、 私は母に最後ちゃんと恩返しが出来たのか。 自分なりに頑張って母の世話をしたつもりだが、母はどう思っていたのか。 親孝行出来たのか。 そんなことを考えては泣いてしまいます。 父は母にべったりで、何をする時も2人一緒に行動する夫婦でした。 そのため、父の精神的なショックは大きいです。 1人になってしまった父は、食欲がなく夜も眠れないようです。 心配なのでなるべく実家に帰るようにしているのですが、そんな父の姿を見ていると切なくなってしまいます。しかし、なんと声をかけていいのかわかりません。 こういう時、父になんと声を掛けたらいいのでしょうか? そして私たちは母を失った悲しみを乗り越えることができるのでしょうか?
地球上の生命は生まれてから死に向かって生きるのはなぜですか。 自分以外の生命との出会いは、いつかくる別れ、いずれどん底の悲しみ苦しみを味わうのに、相手に対する止まらない愛情を育てながら同じ時間を過ごし、そして自然とくる別れに向かって進んでいかなければならない。 家族、子供、友達、動物、地球上に生きる全てと出会い、生活のために働き、愛情表現をしたり、辛い思いをしたり、傷つけたり傷つけられたりもする。 いつ誰に何が起こるか分からない。 なぜ、生まれた喜びと同時に、誰もが悲しく苦しい死へ向かうのでしょうか。 出会えた事が、生まれてきてくれた事が、とてもとても尊い、ずっと一緒にいたい、ずっと生きていたい、なのにそれが叶わない。 なぜですか? なぜ生まれ、生き、死へ向う事を生命は繰り返さねばならないのでしょうか。辛いです。
5月3日に、母を亡くしました。 コロナ禍で面会できたのは、ほんの数回。 入院を一年2ヶ月ほどしていまして 2月頃までは、レクリエーションに参加してたので、安心していましたが、3月頃から食事量が、減り老衰兆候だといわれました。 おうちへ帰りたいわ~と何度も言っていたのに、帰らせてあげれませんでした。 長い長い入院生活で さびしい思いをさせたまま亡くしました。 後悔ばかりで、ツラいです。 そばにいてあげたかった。 無理矢理にでも連れて帰れば良かった。 何もやる気がおきなくて人にも会いたくなくて しんどいです。 お母ちゃんだけに会いたいです。 父も亡くしていますし不幸ばかりです。 ツラいです。 いつになれば前向きになれるのか 自信がないです。
先日、15年間一緒に生活した愛犬が事故で亡くなりました。 少し家を空けていた間の事故で、家に帰るとわたしのベットで横たわっていました。 最近、ベットによく登って寝ていたことが多かったので寝ていると思い声をかけても動かなく、息をしていないことがわかり心臓マッサージをしながら病院に連れて行きましたが体はまだ暖かかったのにすでに亡くなっていました。 家を出る時はいつも見送りをしてくれた愛犬。 その日もいつもと変わらず玄関で見送りしてくれました。 その時の愛犬の顔が頭に染み付いています。 事故とはいえわたしが家を空けなければ、もう少し早く家に帰っていればなどの後悔が消えません。 15年というわたしが物心着く頃から一緒にいて、成長してきた愛犬の死に心の整理がつかず目を閉じれば愛犬の顔が浮かびます。 火葬の日笑顔で見送ることが出来なかったわたしはダメな飼い主だなと思います。 これからわたしが愛犬にしてあげれることはなにかありますでしょうか。
妻の死から今日で4ヶ月です。 時間がとまったままで、ずっと心に穴が空いたままです。 毎日、辛く、悲しく、寂しいです。いつもそばにいた妻がいない生活が楽しくなく、何をしても続きません。 毎日、会いたい気持ちばっかりで、やはり妻の元へ行きたい気持ちが消えません。会いたい気持ちが強くなると、胸が苦しいです。心療内科にも通院して薬に頼っていますが、何も変わりません。生きているのがつらく、何度もhasunohaにお世話になっています。子供たちとも、妻の生前はダジャレを言ったり、ふざけたりして過ごしていましたが、そんな気分にもなれず、会話も少なくなりましたし、子供達の前で笑うこともできません。子供達も悲しい、寂しい気持ちなのに、明るく振る舞うことができないパパで申し訳ない気持ちです。こんな状態を脱するにはどうすればいいでしょうか。もう死んで楽になりたいです。
先日祖母を亡くしたことで相談させていただいた者です。 その節はありがたいお言葉をいただき、何度も何度も読み返しては涙を流しております。 本当にありがとうございました。 祖母の死をきっかけに、死について考えるようになりました。 死は決して避けられないものであるということ、そしてその期限はわからないということ。 誰にも確実な明日はありません。 明日どころか、1秒先もどうなるかわかりません。 もし両親が突然亡くなったら…もし自分の家族が突然亡くなったら…しばらく会っていない祖母でこれだけ悲しいのだから、もっともっと悲しいにちがいない。 でもそんな日は突然ではないかもしれないけど、いつか必ず来る。そのとき私は耐えられるだろうか。 今でも祖母に会いたくてたまらないのに、これ以上の悲しみに耐えられるだろうか…と、ふとした瞬間にこんなことばかり考えてしまいます。 突然の別れに後悔しないようにと、どれだけ回りに尽くしたとしても、必ず後悔や悲しみの感情はあると思います。 尽くせば尽くすほど、悲しみは倍増するのかな…とか。 それに、私自身にも必ず死の瞬間がきます。 そのとき私はどんな感じなのだろうか、少なくとも私の家族や友達は悲しむだろうな…少しでも回りの人の悲しみを和らげるために、遺書というものになるのかもしれないけど、手紙を残しておいたほうがいいのかな…とか、私はどんな死に方をするんだろうとか考えてしまいます。 まだ祖母が亡くなって日にちが浅いからかもしれませんが、毎日このようなことを考えてしまい、一人では何の解決もできず、もやもやしっぱなしです。 この前教えていただいた、後悔を感謝の思いに変えることや供養の行いについても私なりに考えさせていただいているのですが、その答えを見つけて、人や自分の死を受け入れて生きていくのはもう少し時間がかかりそうです。 先日も同じような質問で本当に申し訳ないのですが、こちらでしか相談させていただけず、またこちらにお邪魔してしまいました。 お忙しいところ、とりとめのない長文で本当に申し訳ありません。
両親の離婚後長年会っていなかった父が孤独死しました。 死後、親戚の方と改めて関わっていく中で 私の幼少期の写真を見て泣いていたこと、 保険金の受取を最初から私にしていたこと、 養育費を払ってくれていたこと、 自分が死んだ時に私に渡せるようにと貯金してくれていたことを知りました。 高校生の時に会いに行って不在で帰ってきて以来、私はコンタクトを取ろうともしなかったことを悔いています。 私はもう大人になり結婚し子どもも生まれたので、孫を見せてあげられたらよかったなとも思います。 離婚の理由は父親が原因だったのですが、そこも含めて赦し、仲良くなれていれば…。 父親に自分はもう忘れられていると思っていたので、 私のことを考えてくれていたことを知り 驚きと嬉しさと、会いにきてくれればよかったのにとも思いました。 訃報を聞いてから 父親の晩年は幸せだったのか 苦しくなかったか 亡くなってまだ四九日経っていないけど私を見てくれているのか とぐるぐると考えてしまいます。 (電気がチカチカするのを勝手に、父がいるのでは?と思い込んでいます) また死自体が怖いと思ったり 漠然といなくなってしまいたくなったりと 死について極端に考えてもしまいます。 家族が亡くなるのが初めてで 自分の気持ちの持って生き方、 父は死後どうなっているのかをお坊さん目線で分かることがあれば教えて欲しいです。 よろしくお願いいたします。
お金持ちも偉い人も、そうでな人も、死んでしまえば平等だと仏教は解いていますが、ほんとうにそうなんでしょうか? わたしの父方の遠い親戚は、99歳で会社の会長だったお爺さんが亡くなったさいに、マスコミが来るのを避けるため家族だけの密葬をし、その後、高級ホテルで2000人もの人を集めてお別れ会をしました。香典も花もお供えもすべて辞退されました。 対して、うちの夫方のおじいちゃんも同時期に亡くなりましたが、無年金、無保険だったため、夫とおばあちゃんが自腹を切って葬儀代を出し、通夜と葬式の家族葬をしましたが、お金がなかったため、香典も花もお供えもいただき、その代わり、お返しが大変大変でした。それでも100万近くは足が出て、その分は貯金から出しました。 死は平等だという言葉は、そういう意味ではないと頭ではわかっていますが、 会社を立ち上げ成功し、会長になった父方の親戚と、お金がなくて自分の墓すら買えない夫方の親とではひどく差があるように感じられ、悲しくなって涙が出てきてしまいます。
先日、飼っているインコの具合が悪くなり病院に行きました。 症状が死亡率の高い癌の症状と似ていて、この子が死んでしまったらどうしよう、と病院につくまで不安で不安でたまりませんでした。 結果的に癌ではなくちょっとした体調不良なだけで、命に別状はありませんでした。 しかし、一人暮らしで頼れる人もいない状況で大切な家族のインコになにかあったら、仕事はどうするか、どこまで手を尽くせるか、色々な問題があることに気が付きました。 それから毎日、元気にごはんを食べるインコを見てほっとしています。 常に心の片隅に「明日突然死んでしまうのでは?」「朝起きたら動かなくなっているかも」「仕事に行っている間に何かあったらどうしよう」と考えるようになってしまいました。 まだまだインコも寿命には程遠く、今日もとても元気でした。からなず生き物は死んでしまうし、私より早く亡くなるのだから覚悟は必要です。でも今から死ぬことばかり考えたら、一生懸命生きてるインコにも失礼ですし、ここ最近私が参ってしまっています。 もともと神経質で心配症な私は、今回の出来事をきっかけに祖父母のことや両親のことも同じように考えてしまい不安に押しつぶされそうです。 このままではいけない、となんとか意識を変えようと昔から試みていますが、漠然とした死の不安や、それに伴う環境の変化を予測してしまい心がついていけません。 こんな心配や不安でいっぱいの毎日が楽しいわけなく、本当にしんどいのです。 死は必ずくるもの、乗り越えなくてはいけないものとわかってはいるつもりです。 その日が来るまで楽しく過ごしたいのに、毎日毎日例えようのない不安ばかり湧いてきて、病気になってしまいそうです。 これを乗り越えるには、心配症を治すには、どんなきっかけが必要なのでしょうか?何をしたら、どのように考えることができたら、この辛い日々を脱せるのでしょうか。 先に天国に行ってもらい、いつか私が行くまで待っててもらおう、そう考えてもなかなかうまくいきません。 死に対する予測的な恐怖と不安を消化できるようなお話や思想がありましたら、教えて欲しいです。
今年の1月に15年一緒に暮らしていた実家の犬が病死しました。 体調が悪くなってから2週間、緊急入院した次の日に亡くなりました。 父は仕事で無理でしたが、母親と兄弟は先生が集まるまで心臓マッサージをしてくれて死に目にあえました。 でもその時先生から痛がって死んでいったと告げられました。 この子は本当にいい子で無駄吠えもしないし、人を噛んだりしない、病気も全然しなくて、近所の人からもすごく愛されていました。 でも最後の最後で痛がって死んでいったと聞いて凄く申し訳ない気持ちです。 せめて痛みなくいかせてあげたかったと 今でもふと涙が止まりなくなります。 この子が亡くなる1ヶ月前から主人と相談して猫を飼い始めました。 いつかはお別れしないといけないとわかっていましたが、 まだ死と言うものにあったことない私は 愛犬が亡くなった時にこんなに悲しいものなんだと実感しました。 時々この子(猫)も苦しんで死んじゃうのかな?とか愛犬が心臓マッサージされてたときの事を思い出して苦しくなります。 こういうのは時間が解決してくれますか? この気持ちをどうすればいいのでしょう。
今月、無事に女の子を出産しました。 そして、出産当日。 私は以前から余命宣告されていた 恩師のことが気になり、身近な人に 容態を聞くと、 会ってる方がいい と言われました。 でも、その日に急遽入院が決まりました。 私は先生にお願いして恩師に会いに 行かせてもらうことにしました。 恩師は痩せ細り、寝ていましたが 私が行くと目を開けて、出産するために 入院することを伝えると拳を作って 頑張ってと言いました。私が答えると いつものように微笑みながら 頷いてくれました。 私の顔を焼き付けるかのように じっと顔を見つめました。 そしてその日に出産。 身内の人に伝えてもらうと、 よかったと言ってくれました。 次の日、恩師にボイスメッセージ を送りました。それを聞かせて もらうと電話だと思って はーい!こんにちはと言ったそうです。 その日は痛みで辛そうだったみたいで、 身内の方も驚いたそうです。 私はなんとなく、退院の日を1日早めて 赤ちゃんが帰ってくる準備をしようと思い、 1日早く退院しました。それを身内の方に 報告すると、会えるなら会ってほしいと 言われました。あなたを待ってる気がすると。 私はすぐに向かいました。恩師は寝ていて 声かけしても応じてくれませんでしたが、 帰る間際に、わかりますか!きましたよと 伝えると目を開いて頷いてくれました。 そしてまた寝てしまいました。 その日の夜、恩師は亡くなりました。 出産から3日後でした。自分の人生に 悔いなしと言っていました。私はそれから 元気だった頃から亡くなるまでの恩師の 変わり様が頭から離れず、受け入れられず、 怖ささえ感じています。実は出産の3日前に 祖母も亡くしました。大往生でした。 重なりましたが縁起が悪いとは思いませんし 祖母の死は受け入れています。 恩師の死が受け入れられないというより わからないです。またご飯に行こう、 相談しよう、早く会いたいと思ってしまいます。 写真やラインのやりとりを見返す日々です。 悲しいよりも、最期に会った人は誰?と いう感じです。恩師はどこへ行ったのですか。 私のことを待ってくれていたのですか。 そして私が死ぬまでもう会えないのですか。 本当にわからないのです。今もどこかで 生きていて落ち着いたら生まれてきた子を 見せたいのです。おかしいけど、頭では わかっているけどわからないです。
半年前、私をとても可愛がってくれていた大好きな祖父が亡くなりました。 80歳を超えていましたが現役バリバリで仕事をし、街の発展に尽力した人で、街の誰からも尊敬され、愛される、自慢の祖父でした。 私が小さいときには、公園に連れて行ってくれたり、一緒に昼寝をしたり。成人してからは、家に遊びに行く度に、様々な御説教をしてくれたり、小さい頃からの約束だった「祖父母と3人での海外旅行」をしたこともありました。 祖父は2年前に肺がんを患っていることがわかり、抗がん剤治療をしながらも、相変わらず街の為・人の為にと普段通りに生活をしていました。 私は今、仕事の都合で地元を離れて暮らしており、なかなか祖父母に会いに行く時間を作れずにいましたが、神社などで健康のお守りを頂いては祖父に送ったり、手紙を書いては電話で返事をくれる位に喜んでくれていました。 最後に会ったのは亡くなる3ヶ月程前で、その時の祖父は自転車に乗って威勢良く「仕事に行ってくる‼︎また遊びにおいで‼︎」という元気な姿でした。 ある日、母から「祖父が入院した」という知らせがありました。それまでに何度か検査入院などもしていたので、その時も検査入院か2〜3日で退院できる程度だと思っていました。 それから2週間後、「祖父が亡くなった」と連絡がありました。その時、大きな仕事を抱えていた私には、容態が悪い事を伏せてくれていたようです。連絡を受けて、とにかく必死でその日のうちに祖父の元に向かいました。 地元に着いた時には、もう祖父は棺の中で安らかな顔をしていました。祖父の葬儀でそこまで泣いている孫は見たことがないと言われる位に泣いて泣いて、泣きました。あの元気だった祖父の死が、半年以上経ってもまだ受け入れられません。 パパっ子だった私の母も、必死に前を向こうとしてはいますが、小さなきっかけで悲しく涙を流すのです。そんな母を見ると、私もとても辛く、地元には祖父の面影がありすぎるし、元気な姿しか想像出来ないのにどうして会えないんだろう…と苦しいです。 大好きだった祖父の死を受け止めるにはどうしたらいいでしょうか。 また、ありがたい事にとても仲の良い家族で、いつかは別れの日が来るのだと思うと辛くて悲しくて、その現実と向き合う事も出来ません。 前向きに明るく生きていくには、どのような心持ちで居ればいいでしょうか。
先日父が急死しました。 犬の散歩に行くと家を出て敷地から出るか出ないかのところで倒れてそのまま亡くなりました。 一言も話すこともなくいってしまいました。 母と祖母と4人で生活していたのに、いつも一緒に寝るまで同じ部屋でみんなで過ごしていたのに、そこに父はおらず仕事から帰ってくる時間に帰ってこないこの生活がまだ信じられません。 真面目な話など今まで大してしなかったので父に私をどう思っていたのか、いい娘でいられたか、 父の娘で幸せだったなど伝えたい言葉、聞きたい言葉は来年結婚式の前日にゆっくり話をするつもりでした。 後悔ばかりでいかに自分が父に甘えていたか、いかにダメな娘だったか、、、考えると後悔ばかりです。 父の死は頭では分かっているのですがどこかでまだ受け入れられず、、、 でも亡くなるまでの父の姿を思い出してはやっぱり亡くなってるんだと実感しなんともゆえない感情でその場から逃げ出したくなり辛くて父に手を合わせることさえ辛いです。 父の人生は幸せだったのか、近くにいるなら教えて欲しいのに私に父を感じる事ができず傍にいてくれてるのかさえ分からないダメな娘をどう思っているのか。 こんなこと思いながらも声も仕草も思い出せなくなるのかなと思うとそれもまた悲しくてどうすればいいのかわかりません。 父に会いたくて会いたくて毎日が辛いです。 こんなでは父がいいところに行けないのではと思いつつもどうしても色々思ってしまいます。私の気持ちは父にはいい事ではないのでしょうか。 私たち家族を父は見てくれいるのでしょうか。 急すぎて自分の死が分かってるのかも心配です。 いつか私が父の元に行ったらまた父に会えるのでしょうか。 もし来世があるならまた父と母の娘にもしくは父と母を守る立場でまた一緒にいたいです。
文才がなく、読み難い文章で申し訳ありませんが、御教授頂ければ幸いです。 小さい頃に両親が離婚をして、祖父母に育ててもらいました。私にとって祖父母は両親以上に親だと思っています。 一昨日、大好きな祖父が亡くなりました。 10年前に末期の前立腺がんと診断され、それから懸命の治療をしてきました。昨年に末期の糖尿病を患い、今度は食事制限が始まりました。 今年に入り、血栓が見つかり、脚がぶくぶくに浮腫んで歩くこともままならなくなった祖父。 先月、いつもの抗がん剤治療のため病院へ行ったら、酸素飽和度が低くなっているため治療が出来ず、そのまま入院。酸素投与をしながら様子を見ることに。 脚の浮腫もあり、入院中も寝たきりで家族とは祖父が帰宅したら家での介護は難しいかもしれないね、と話していた矢先、祖父の容態が急変。 その時一命は取り留めたものの、間質性肺炎を患い「いつ何が起こるかわからない状態」と医師に告げられました。 入院中出来る限りお見舞いに行き、ときには病院へ泊り込み。個室だったため24時間家族の誰かしら祖父の近くにいる状態が続きました。 ある夜、祖父が私のことを呼んだので「何をしてほしい?」と聞いたら「苦しい、痛い、もうおしまい」と祖父が言いました。私はそれを聞いて祖父に隠れて泣きました。私が少しでも長く祖父の傍にいたいという気持ちは祖父にとって苦痛でしかないのだろうかと思い、とても辛かったです。 祖父の最期は家族全員で見守りました。呼吸が浅くなり、そして止まり、心臓が少しずつペースを落としていきました。 死ぬ間際まで耳は聴こえると聞いていたので、ひたすら「じじ、じじ、大好きだよ」と祖父の頭を撫でながら耳元で伝えました。 祖父はどんな気持ちで旅立ったのでしょうか? すごく苦しくて痛くて辛かったんでしょうか? 私の最後の言葉は届いていたのでしょうか? 祖父母の家から徒歩数分のところに住んでいるのに、入院する前になんでもっと会いに行かなかったんだろうととても後悔しています。 医師に言われて、私なりに覚悟をしていたのですが、今も祖父の死を受け入れられません。 入院中脚をさすってあげたり、お口の中を拭ったりしかしてあげられませんでした。もっと沢山お話をすれば良かった。ひ孫を見せたかった。 辛くて悲しくてどうしようもありません。立ち直れません。会いたいです。
初めまして。 先日91歳で祖母が亡くなりました。 両親が共働きで祖父母が親代わりだったので20年前に病で亡くなった祖父、そして祖母の死が受け入れられず毎日泣いています。 特に祖母は実の娘(私の母)、婿養子(私の父)と折り合いが悪く、祖父が亡くなり私や姉も実家を出てからは両親と3人で暮らしていた為、寂しい思いや悲しい思いをしながら生活していたと思います。 また、祖母は入浴中に亡くなり発見も翌日になったと聞き、苦しんで亡くなったのではないか、寒い中1人で寂しかったのでは考えると申し訳なさと辛さで涙が止まりません。 子供も小さい為、納棺だけ出席してきましたが穏やかな顔に安心しましたがやはり1人になると祖母を思い泣いてしまいます。 祖母は今、苦しんでいないでしょうか。祖父と一緒に居るのでしょうか。 そしていつか祖母の死を受け入れることはできるのでしょうか。 毎日が辛く、私も早く祖父母に会いに行きたいです。 まとまりがなくすみません。
よろしくお願いします。 今日、会社の方のお通夜に行ってきました。その方は60代で生前は会社でよく話したり楽しい時を過ごさせてもらいました。豪快で内気な私にも話しかけてくれたり気さくなおじちゃんでした。訃報を聞いてショックでお通夜に行き、寂しく、悲しく、涙しました。病気だとは聞いていましたが癌とは知らず。ですが、帰ってきて少しおじゃんのことを考えながらもご飯を食べて明日の予定を考えている自分がいました。正直、家族以外のお通夜に出るのも初めてで悲しみの大きさが違うのか混乱しました。悲しいのにすぐに普通の生活に戻れる。確かに二年と短い間の付き合いでしたが良くしてもらった方なのに。薄情なのでしょうか。