以前友人を自死で亡くした事があります。 だいぶ乗り越えてはいますが、ふとした時に急にものすごい悲しみにおそわれる時があります。 でも、それは仕方のない事と受け入れていましたが最近また違う感情に悩んでいます。 今とくに悩みや死にたいと思う事があるわけではないのに、自分が死ぬ事ばかり考えてしまいます。自分が首をつっている所や胸に包丁をつきさしたり、そのような事が頭にうかんできます。 死にたいわけではないのに、そうしたくなるんです。 とくに疲れている時や、自死した友人の事を思い出すときに。。 鬱なのかなぁ、と思いますが自分が突発的に死んでしまうのではと不安になります。だけど、深い悲しみからか心が壊れてしまい、死ぬ事に対して怖いとか感情もなく無の感情になる時もあります。 自死した遺体も見ていますので、その光景が頭から離れない時があります。自分が認識しているより心のショックが大きいかもしれません。 どのように心をもっていっていいかわからず、早急になにか心を変える言葉をいただきたく書かせていただきました
3週間前に母が他界しました。88歳と4ヶ月半です。血圧、関節リウマチ、リウマチ肺炎で定期的に通院しており数値が良くないとの事で1月の通院時に入院をし1ヶ月闘病の末に直接的死因は細菌せい肺炎 関連性では間質性肺炎でした。医師には入院時に高齢だから五分五分と言われました。ただ自分は一緒に暮らしてて帰って来るのを最後の最期迄考えてたのでまだ実感もなくまだ入院してる錯覚を感じてしまいます。家に母の遺骨があるのに。毎日毎日母の事を考え泣いてばかりです。忌引も終わり仕事再開してはいるものの仕事はしていてもつい母の事考えしまいます。生前の母に対する半介護やらもっとちゃんと親身にしてれば良かったとかああしてれば良かったとか後悔や懺悔ばかりで今これ書いてても涙が溢れてしまいます。時間が3週間前のまま止まっているかの様に。自身は身体内面に障害があって薬を毎日飲んでいます。免疫不全です。この状態(気持ち)かつらいです。母の死を受け入れなければならない のは頭ではわかってはいるのですが気持ちがついてきていないのもあり気持ちの整理が出来ずにいます。 また49日後に母を父の眠るお寺さんに九州に連れて帰省もしなければなりません。航空券と宿は取りました。九州とこっちとで分骨も考えおります。気持ちの整理の仕方どなたか教えてください。お願いします。
母は、どうして自ら命を絶ったのでしょうか 例えば人間関係とかお金の問題とか、そういう具体的な理由ではなくて… どんな困難にもへこたれない人もいる中、母はどうして死を選んだのでしょう 強くて優しい母だったのに 私は希死念慮があるので… 死にたい気持ちはわかるのです 自死は、理由ではなく衝動的なものだとも思います だけど 母にあてはめるのはとても難しいというか… 「まさか」としか言いようがなくて… 母は私に希死念慮があるのを知っていたから、 少なからず私が引っ張ってしまったのかもしれない ただ、本当に言えるのは 母はそんなに弱い人じゃなかったから 悩みの理由 ではなくて 死を選んだ理由 が知りたい 100%わからなくてもいい(わかるわけもないのですが…) そこへ向かってしまう気持ちに、皆様の意見によって近づけたら少し救われるような気がします 本当にうまく言えないのですが… 私の抱く「希死念慮」とは違う気がして 理解できなくて 苦しいのです…
長生きするメリットがわかりません。 若くて綺麗なうちに死にたいです。 振り返ってみれば子供の頃から何かとタイミングが悪いこと多く、 ツイていない人生でした。 それでも生き続けること以上に死ぬほうが怖いです。 でも生きていても何も楽しくないです。
以前も質問させて頂いてのですが、 すみません。 カウンセラーとかにも行ったのですが、 死の恐怖が消えません。永遠に生きるのも怖いし、無とか、生まれ変わるとかも、怖いんです。 仏教やキリスト教の教えを信じれるようになりたいです。 心療内科は、薬をもらって一時的な気を紛らわすだけで、やはり性格を変えないと行けないと思いました。こんな性格で親になれるのか悩んでもいます。 お坊さんはどのように死と向き合い、穏やかに過ごされているのでしょうか?
以前より、死の恐怖について相談をさせていただいており、大変お世話になっております。 たくさんの方から頂いたご回答はどれも暖かく、そして勉強になっております。ありがとうございます。 問答の中で、自分の弱い点や、認知や考え方の歪みがわかり、この方法で恐怖を緩和していこうという方向性は見えつつあるのですが、恐怖緩和に対するどの方法を行うにしろ、習得や納得(体でわかるまでやる、なども含め)には多くの時間を要します。死は人生の命題ですので、一年やそこらで恐怖が激減し、納得することはできないと考えます。 私は方向性としては、禅などの「体で納得」を目指したいと考えていますが、これこそ一朝一夕で身につくものではないですし、仕事等による時間の制約もあり、納得に至るには長年の修行が必要だと感じています。 そんな風に時間をかけてゆっくりと学びを深めてはおりますが、もちろんその間にも死への強い恐怖感は消えません。特に、楽しいことがあった日の帰り道や夜には、必ず「この思い出も自分の存在もいつか消える」という思いで気が狂いそうになり、パニック症状が出ます。 それを、娯楽へ走ったり、禅と宗派は異なりますがお念仏に頼ったり、お墓やお寺に行ったりと、一時凌ぎでやり過ごしているのが現状です。このように、最近は「いつか死ぬ」ということがいつも恐怖で気掛かりで、楽しい・嬉しいなどのポジティブな場面が心から楽しめないような感覚になっています。 前置きが長くなりましたが、 お坊さん方の中に、今に至るまでに修行をなされている間に私のように気持ちが揺れたり、恐怖でパニックになったりしたご経験をなされている方がいらっしゃいましたら、「ご自分が一旦、その問題(私で言うところの死の恐怖)への納得感を得られるまで」に、どのような心持ちや行動で過ごされていたのかをお聞きしたいです。 また、現在も私は死の恐怖緩和についての対処を学んでいる最中ですので、もし同じ問題に悩み、納得した方法や考え方があれば、併せて教えて頂けると嬉しいです。 お時間ある時で構いません。様々なご回答を聞きたいです。お手数をおかけ致しますが、ご回答頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。
お世話になります。 私の父親は難病ALSです。 今は人工呼吸機をつけていますが、 母親とお見舞いにいきますが、私は父親が 何かいいたそうで辛くてたまりません。 生きているのが幸せなのかわかりません。 このままお迎えがくるのを待っだけで いいのでしょうか?
いずれ寿命、病気、事故で死ぬ時がきますが死後の世界は現世の人の想像でしかないので死ねばおわりとしか思えません。死ねばうまれる前と同じでこの世に存在せず無になるだけという人もいました。 何度か火葬場でたちあいしたことありますが遺骨みると本当にさっきまで肉体あった人だったのにと思え何ともいえない気持ちになりました。自分も死ねばいずれ骨になるとはわかっていても火葬は数千度の高温でやくし嫌だなと今も思います。 日本は国土面積狭いので火葬が一般的ですが土葬できる場所もあり探しましたが管理者の話では白骨化するまで土にうまってるから火葬ほど骨もきれいに残らず土の下は苦しいですよといわれ気分が暗くなりました。猫ぐらいの大きさの小動物を土葬した場合の経過画像が掲載されたサイトがありみましたが人間より小さいのできれいに土に帰っていました。人間はそうはいかないのだろうなと思いますが。家族は皆火葬でいいといってますが私だけ土葬希望した場合一人だけの墓になります。死ぬ時は皆一人といいますが死後墓に一人というのは普通ですか。欧米のように土葬が普通ならかぞくの墓ではなく個々の墓になるので当然ですが日本は家族の墓という考えが普通なので。 多分20年後気がわりして自分も火葬でいいとなれば家族と同じ墓ですがやっぱり土葬希望だと自分で場所探し墓地購入しなくてはならないので先の話とはいえ気が滅入ります。土葬より凍結があればそれがいいですがその制度自体今はないので。 なぜ皆、火葬でいいといいきれるんですか。死ねば感覚も神経も死んでるので熱いわけないんですが数千度で焼くというのが私には火あぶりの刑と同じ残酷なことにしか思えず子供の時からずっと嫌だなと思ってます。 子供の時初めて火葬場へいった時、寒気と恐怖を感じたのを今でも覚えてます。
こんにちは、今年の5月にアメリカ人の義母の死について相談に乗って頂いた者です。 その節は大変お世話になりました。 今年は災難続きで12月はじめに今度は日本にいる最愛の母を亡くしました。 高齢でしたが健康そのものの母でしたので、家族も親戚も驚きでいっぱいでした。 連絡を受けて5時間後には飛行機に飛び乗り日本へ向かうことが出来、意識はないものの母に会えたし、病院で数日間過ごし苦しむことなく亡くなる母の最期看取る事が出来ました。 葬儀も済みアメリカに戻ってきましたが、まだ母が亡くなった実感が湧きません。 姉は母が亡くなって次の日に、少し元気になって布団から少し身体を起こして無言で吸い口で水を飲む母に高い壁越しから見かけて「ママもうそんなに快復したの?!」と思わず声をかけた夢を見たと言っていました。 なのに私は全く母の夢を見ないのです。 母が亡くなる2日前に電話で話しをした時の最後の会話は、「夫が私や子供達の事を大事にしてくれること、子供達が健康で健やかに成長していること、三月に日本に子供達を連れて日本に遊びにいくよ、私はアメリカで幸せに暮らしているから」みたいな事を話したのですが、母が夢に出てきてくれない事が悲しくて毎朝起きてはガックリしています。 まだ四十九日も来ていませんが、母ともう一度話してみたいのです。私たち家族は大変仲良しでしたが、私の所にも夢に出て欲しいのです。 私の事を溺愛してくれた母が夢にも出てきてくれないのは何故なのでしょうか?
昨年生後五ヶ月の娘を亡くしました。 原因は不明の突然死でした。 毎日死にたいと思い、実際実行しようとしたところ主人に見つかり思いとどまりました。それからは死のうとは思わないものの、仕方の無い理由なら諦めてくれる、誰かが殺してくれないかと願う毎日でした。 そんな中、新しい命を授かる事ができました。また同じ事がおこるのではないかとの不安もありますが、お腹の中に戻ってきてくれた!と思うと少し気持ちが前向きになれました。あの日から止まっていた時間が少しずつ動きだしたように思います。少しずつ、外にも出られるようになりました。 主人も同じ心の傷を抱えながらなんとか一緒にやってきたつもりでした。そんな主人がある日真面目な顔で切り出したのが「鬱」でした。 まだ軽く、薬も飲まなくていいらしいのですがおかしいと思い病院にいったところそう言われたそうです。 「大丈夫だよ。あんなことがあったんだから、ゆっくりやっていこう」そう明るく言ったものの、どうしていいのかわかりません。私自身も万全の精神状態ではなく、前触れなく突然涙がでてきたり夜眠ることが怖いままです。主人には話せていません。彼は夜勤専属のため、私が夜寝てない事も気付いていないはずです。 それでも、支えあげたい支えなくてはならない、笑わなくちゃ、なんで気付いてあげられなかったのか……そんな思いがぐるぐると頭をよぎりどうしていいのかわからないのです。 明るく支えてあげたいのに、それができない自分がどうしようもなく情けなくもどかしいのです。それと同時に「私も苦しんでるのに、なんであなただけ病気だと言ってしまったの?」と醜い自分が囁き、その自分勝手な考えと醜さにこんな自分がいたのかと絶望します。 両親は母親が鬱のため頼れません。主人も話さないでほしい、との意見も尊重してあげたいです。 母親の鬱が酷いときの事を思い出して、主人が悪化するのが怖いのかもしれません。せめて私が万全なら!と思います。友人にも話せないので何か頑張れるようなお言葉をいただけたらと思います。よろしくお願いします。
私はキリスト教と仏教のもとで育ちました。 学校はキリスト教で、お葬式などは仏式が多かったです。 ハスノハは、非常に説得力がある意見もあり、頼っています。 仏教の話もキリスト教と同じかそれ以上好きです。 しかし、キリスト教的な祈りが一番馴染むのです。 古典的な宗教は、同じこと、人間の本能に従って考えつくされたもので、共通するものがたくさんあると思っています。 天の国を悟りと考えたいのかもしれません。 邪道と言われる方もいると思いますが、 父母もキリスト教を信じていた時期もあるので、 僕がキリスト教で育つことになったのですが、 今の両親は、無宗教に近いです。 既存宗教に疑念を感じ、個人の問題と考えている感じで、 ぼくも似ています。 しかし、葬式をどうするかという話がずいぶん前に出たのですが、 家族の意見ががバラバラだったのです。 親も老いてきて考えると、 仏教を信じて、「悟りの中に救われて」亡くなっていく人と、 キリスト教に肩入れしながら、天の父に迎えられると思いながら去っていくことが、 違うものであってほしくないと思ったのです。 母は、無宗教で、自然に返るかのように楽になりたいと思っています。 父も、曹洞宗に肩入れしてますが、似た感じだと思います。 キリスト教に肩入れしている自分だけべつな場所に行くような気がして非常に寂しいです。 これをどう思われますか? これからも続く人生、いつ死ぬかわかりません。 死んでも共にいられる・・・というような安心感が欲しいのかもしれません。 それは、宗教的な問題ではなく、日常で考えるべきことで、いま寂しいだけかもしれません。 考えて行こうと思いますが、 何度か考えたことなので、ご意見を伺ってみたいのです。 1人の凡夫として諭していただけたら 本望かと存じます。
以前こちらで相談したのですが、最近になってまた死が怖くなってきました。 もちろん、自分の死もですが親の死や友達の死も怖いです。 考えても無駄と言うのはわかりますが、不安で仕方がないのです。 ネットで調べて見ても、臨死体験と言って、死後は無と言ってる人と天国があると言ってる人もいてどっちかわかりませんし、死後の世界は考えにくいらしいし、どうすればいいかわかりません。 親が死ぬのが怖い、友達も、いつかできる彼女なども死ぬのが怖い、もちろん自分も。 どうすれば良いでしょうか?死後の世界は架空の世界でしょうか?それを考えると色々なことを楽しめず、朝食を吐いてしまったり、どうすればいいですか?お坊さんは怖くないのですか教えてください。お願いします。 後、死後の世界があったらおじいちゃんとおばあちゃんだらけじゃないですか?しかも、僕は死んだら親を求めるけど僕の親はおばあちゃんを求めて、おばあちゃんはひいばあちゃんを求めてってなりませんか?考えすぎでしょうか?
9月6日朝、もうすぐ15歳になる愛犬が息を引き取りました。 3ヶ月前に突然後ろ足が動かなくなり、ほぼ寝たきりでした。病院に何度も通い、重度の貧血や肝臓に腫瘍があるとも診断されました。 でも私達の前では、元気な頃と変わらず、食欲もあり面白い事をして笑わせてくれていたので、そこまで体調が悪いと思っていませんでした。 心構えができないまま旅立ってしまった為、もっと一緒の時間を過ごしてあげればよかったと後悔してばかりです。 自分はいいお姉ちゃんでいれたか、なぜ体の痛みをわかってあげられなかったのかと考えては涙が止まらなくなります。 自分が辛い時は、何かを感じとったかのように黙って側にくっついてきてくれたり、ドックフードをくれたりしてくれたのに、自分は何もしてあげられなかったのが悔しいです。 こんなに早く別れがくるとは知らず、休日も趣味を優先して出かけてばかりいた自分が情けないです。 仕事中も、あの時こうしていれば…、家に帰っても待っていないんだと考えてしまい、急に涙が込み上げてきます。 前向きになるようにはどうしたらいいのでしょうか? こんな状況になって、自分が愛犬にどれだけ支えられてたかと感謝すると同時に、これから辛い事があったら支えてくれる人がいるのかと不安になってしまいます。
大好きだった母が、ノイローゼ気味になり、 当時は仕事がいそがしくないがしろにしてしまったせいで、 河川で溺水で亡くなりました。母を この様な目に遭わせてしまったのは 私のせいでしょうか?
昨年、10月の下旬にに母親が亡くなり、 先日ようやく、納骨が終わました、 それまで、お墓が無かったので なので、お墓の購入したため納骨まで 時間がかってしまいました。 今回の相談は、昨年に母親の死の原因は 正月に旅行に母親と行って帰ってきたら、 前から持病の心臓病が悪化してしまい、 その後、3カ月ほど入院してしまい、 退院してからは、母親の生活は自由が なくなり自宅は鼻に酸素付ける 酸素療法になり、外出は車椅子が必要な 生活になりました、なので毎週末になると私が休日は車椅子、押して外出して ました、そんな生活をして約7カ月が 過ぎようと、してたら 急に亡くなりました、亡くなった当日は 平日で仕事だったので昼休みに母親と 電話で話をしてふつうでした、でも事態は 急変して、夕方になったら妹から意識が ないと、連絡が来て急いで帰宅しましたが もう既に息を引き取った状態でした 最後が見取りが出来なかった事が 後悔したり、昨年の正月旅行をやめとけば こんなことには、ならずもう少し母親も、 長生きできたなと後悔したり自分のせいで こうなってしまったと、いつも考えて しまい、心が苦しく張り裂けそうな思いが いつもあって毎日が苦しいです。 ただ旅行は毎年2回は母親と二人で行ってたので、母親も旅行は楽しみにしてました 入院中も退院したら旅行に行くと言ってたので、よけいに自分をせめてしまいます。 寝てる時も1ヶ月のうち2回ぐらいは 母親が、夢に出てきます 私はまだ独身で母親と二人で 生活してたので、毎日、帰宅しても 話し相手もいなくなり、喪失感があって 寂しいです。ちなみに妹は別居中で父親は 私が二十歳の時に亡くなりました。
はじめまして。 聞いて頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。 学生の時、仲が良かった友人がいました。 どこか遊びに行ったり、出掛けたりすることは少なかったのですが、校内で会えば一緒にお話をしたり、ふざけあったりする友達でした。 去年、その友人が亡くなったという話を聞きました。 私自身、卒業してからは友人と連絡を取らず、みんな元気に頑張ってるんだろうな、そろそろ結婚してるかなー?などと勝手に思い、気にもしていなかったんです。 久々に友人と会った時に亡くなったことを知らされました。 ちゃんと連絡をとっていれば最後のお別れが出来たのかなと本当に後悔しています。 今になって取り返しのつかない、 どこにぶつければいいのか分からない喪失感や悲しみに途方に暮れています。 また、自分の目で見たわけではないので 信じられない気持ちもあり、言葉では表せないくらいの感情が渦巻いています。 同い年で、若くして亡くなった友人の笑顔ばかりがぼんやりと思い浮かびます。 時間が解決してくれるのでしょうか? 最後のお別れが出来なかったことを本当に後悔しています。伝えたかったこともあります。 わたし1人でもできる供養みたいなことはあるのでしょうか? ただただ毎日を迎える度に思い出されて辛いです。
おはようございます。変な時間にすみません。眠れなくて、ここで相談させていただきたいと思いました。 お坊様方は、死の恐怖をどのように克服なさいますか?というのは現実的でない質問かもしれませんが、お坊様方の死の恐怖に対する考えを教えていただけると幸いです。 実は数日前に妹のお腹に腫瘍が見つかって、まだ良性か悪性かわからないけれど本人は悪性だとか末期だとか思いこんでパニックになっているんです。 例えばですが「こう考えれば死が怖くなくなるってお坊さんが言っていたよ」とか彼女に言っても全く効き目がないと思います。今は何を言っても聞かない状態で、背中をさすったり手を握ったりするくらいしかできることがありません。 それに、私も仏教の本を読んだり色々考えたりしてみたけれど、やっぱり自分が死ぬことを考えたら怖いものは怖いと認めるしかないし、結局死の恐怖を克服するなんてそれこそ仏になるまで無理なのではないかなと思います。 話がまとまらなくてすみません。完璧な解決法でなくてもいいんです。とにかく何か教えてください。お願いします。
先日、同居していた父が突然死しました。 前日まで畑仕事を元気に楽しみ、医者からもどこも悪いとこないし、健康だと言われてました。75歳です。 しかも、亡くなる前日、母方の祖母が亡くなったと連絡があり、葬儀に行く準備をしてました。その翌朝に、父が起きてこなくて冷たくなっていました。 祖母は、いつも私達の幸せを願っていてくれる優しい祖母でした。父を連れてったとは、とても思えませんが、なぜ?次の日に?? いつかは父も死ぬ。お別れが来る日があることを常に考えたりもしはじめてはいましたが。 なぜ?なぜに、祖母の次の日?? これは、どういう意味なんでしょうか?? もちろん、父も母方の祖母の死はショックではあったようですが、祖母は91歳で、体調も良くなかったから、ある程度の覚悟はあったはず。 そして、私の母は、実母と旦那を連日亡くし、かなり衰弱しております。 どうか、母のためにも、お言葉を下さいませ。
昨年に妹が自分で自分の命を絶ちました。その数日後には家族で食事をする予定もあり、他にも旅行の予約も取っていて本人も楽しみにしていました。突発性だったのか…と思います。危ない状態とは知っていたのに未然に防ぐことが出来なかったのが悔しいです。予定もたくさんあったので油断してしまっていました。 確か妹は亡くなりましたが、私はまだ生きています。両親も姉も生きています。まだ全てを失ったわけではないですが、生きるのが辛いです。妹がいない現実を受け入れられない。仕事も休みがちになり、朝起きるのが億劫です。 このまま寝て目が覚めなければいいのにと思います。それでも家族や友人を悲しませることはしたくないと矛盾した考えがぐるぐる回ってます。 以前はやりたいこと、やりたい仕事もありましたが、今は何もする気が起こりません。時間が解決するといいますが、辛すぎます。どう生きていけばいいのかわかりません。
初めて質問をさせていただきます。 最近、寝る前や少し落ち込んだ時に死について不安になります。 自分がいつ死ぬのかわからないという不安が わけのわからない力になってが自分にのしかかってくるようで 胸の奥が詰まるような気持ちになってしまっています。 また、そのせいで今あることを楽しめなくて、 今自分が生きている実感がなくて、生きづらいな、と思っています。 自分は学校の授業で生物について勉強したのですが、 どうしてもそれが同じ生き物とは思えない、無機質な機械のようで なぜ生きるのかがわからなくなって相談することにしました。 お坊さんの思う死の意味や理由、またそれとどうやって向き合って 生きて行けばよいのか、なぜ生きるのかを教えてほしいです。 どうか、私に道を教えてほしいです。よろしくお願いします。 乱文失礼しました。