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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 わからない」
検索結果: 2628件
2023/03/25

実際に死とどう向き合っていますか?

以前より、死の恐怖について相談をさせていただいており、大変お世話になっております。 たくさんの方から頂いたご回答はどれも暖かく、そして勉強になっております。ありがとうございます。 問答の中で、自分の弱い点や、認知や考え方の歪みがわかり、この方法で恐怖を緩和していこうという方向性は見えつつあるのですが、恐怖緩和に対するどの方法を行うにしろ、習得や納得(体でわかるまでやる、なども含め)には多くの時間を要します。死は人生の命題ですので、一年やそこらで恐怖が激減し、納得することはできないと考えます。 私は方向性としては、禅などの「体で納得」を目指したいと考えていますが、これこそ一朝一夕で身につくものではないですし、仕事等による時間の制約もあり、納得に至るには長年の修行が必要だと感じています。 そんな風に時間をかけてゆっくりと学びを深めてはおりますが、もちろんその間にも死への強い恐怖感は消えません。特に、楽しいことがあった日の帰り道や夜には、必ず「この思い出も自分の存在もいつか消える」という思いで気が狂いそうになり、パニック症状が出ます。 それを、娯楽へ走ったり、禅と宗派は異なりますがお念仏に頼ったり、お墓やお寺に行ったりと、一時凌ぎでやり過ごしているのが現状です。このように、最近は「いつか死ぬ」ということがいつも恐怖で気掛かりで、楽しい・嬉しいなどのポジティブな場面が心から楽しめないような感覚になっています。 前置きが長くなりましたが、 お坊さん方の中に、今に至るまでに修行をなされている間に私のように気持ちが揺れたり、恐怖でパニックになったりしたご経験をなされている方がいらっしゃいましたら、「ご自分が一旦、その問題(私で言うところの死の恐怖)への納得感を得られるまで」に、どのような心持ちや行動で過ごされていたのかをお聞きしたいです。 また、現在も私は死の恐怖緩和についての対処を学んでいる最中ですので、もし同じ問題に悩み、納得した方法や考え方があれば、併せて教えて頂けると嬉しいです。 お時間ある時で構いません。様々なご回答を聞きたいです。お手数をおかけ致しますが、ご回答頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

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死の恐怖

いずれ寿命、病気、事故で死ぬ時がきますが死後の世界は現世の人の想像でしかないので死ねばおわりとしか思えません。死ねばうまれる前と同じでこの世に存在せず無になるだけという人もいました。 何度か火葬場でたちあいしたことありますが遺骨みると本当にさっきまで肉体あった人だったのにと思え何ともいえない気持ちになりました。自分も死ねばいずれ骨になるとはわかっていても火葬は数千度の高温でやくし嫌だなと今も思います。 日本は国土面積狭いので火葬が一般的ですが土葬できる場所もあり探しましたが管理者の話では白骨化するまで土にうまってるから火葬ほど骨もきれいに残らず土の下は苦しいですよといわれ気分が暗くなりました。猫ぐらいの大きさの小動物を土葬した場合の経過画像が掲載されたサイトがありみましたが人間より小さいのできれいに土に帰っていました。人間はそうはいかないのだろうなと思いますが。家族は皆火葬でいいといってますが私だけ土葬希望した場合一人だけの墓になります。死ぬ時は皆一人といいますが死後墓に一人というのは普通ですか。欧米のように土葬が普通ならかぞくの墓ではなく個々の墓になるので当然ですが日本は家族の墓という考えが普通なので。  多分20年後気がわりして自分も火葬でいいとなれば家族と同じ墓ですがやっぱり土葬希望だと自分で場所探し墓地購入しなくてはならないので先の話とはいえ気が滅入ります。土葬より凍結があればそれがいいですがその制度自体今はないので。 なぜ皆、火葬でいいといいきれるんですか。死ねば感覚も神経も死んでるので熱いわけないんですが数千度で焼くというのが私には火あぶりの刑と同じ残酷なことにしか思えず子供の時からずっと嫌だなと思ってます。 子供の時初めて火葬場へいった時、寒気と恐怖を感じたのを今でも覚えてます。

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主人が鬱だとわかりどうしていいかわかりません

昨年生後五ヶ月の娘を亡くしました。 原因は不明の突然死でした。 毎日死にたいと思い、実際実行しようとしたところ主人に見つかり思いとどまりました。それからは死のうとは思わないものの、仕方の無い理由なら諦めてくれる、誰かが殺してくれないかと願う毎日でした。 そんな中、新しい命を授かる事ができました。また同じ事がおこるのではないかとの不安もありますが、お腹の中に戻ってきてくれた!と思うと少し気持ちが前向きになれました。あの日から止まっていた時間が少しずつ動きだしたように思います。少しずつ、外にも出られるようになりました。 主人も同じ心の傷を抱えながらなんとか一緒にやってきたつもりでした。そんな主人がある日真面目な顔で切り出したのが「鬱」でした。 まだ軽く、薬も飲まなくていいらしいのですがおかしいと思い病院にいったところそう言われたそうです。 「大丈夫だよ。あんなことがあったんだから、ゆっくりやっていこう」そう明るく言ったものの、どうしていいのかわかりません。私自身も万全の精神状態ではなく、前触れなく突然涙がでてきたり夜眠ることが怖いままです。主人には話せていません。彼は夜勤専属のため、私が夜寝てない事も気付いていないはずです。 それでも、支えあげたい支えなくてはならない、笑わなくちゃ、なんで気付いてあげられなかったのか……そんな思いがぐるぐると頭をよぎりどうしていいのかわからないのです。 明るく支えてあげたいのに、それができない自分がどうしようもなく情けなくもどかしいのです。それと同時に「私も苦しんでるのに、なんであなただけ病気だと言ってしまったの?」と醜い自分が囁き、その自分勝手な考えと醜さにこんな自分がいたのかと絶望します。 両親は母親が鬱のため頼れません。主人も話さないでほしい、との意見も尊重してあげたいです。 母親の鬱が酷いときの事を思い出して、主人が悪化するのが怖いのかもしれません。せめて私が万全なら!と思います。友人にも話せないので何か頑張れるようなお言葉をいただけたらと思います。よろしくお願いします。

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死と宗教について

私はキリスト教と仏教のもとで育ちました。 学校はキリスト教で、お葬式などは仏式が多かったです。 ハスノハは、非常に説得力がある意見もあり、頼っています。 仏教の話もキリスト教と同じかそれ以上好きです。 しかし、キリスト教的な祈りが一番馴染むのです。 古典的な宗教は、同じこと、人間の本能に従って考えつくされたもので、共通するものがたくさんあると思っています。 天の国を悟りと考えたいのかもしれません。 邪道と言われる方もいると思いますが、 父母もキリスト教を信じていた時期もあるので、 僕がキリスト教で育つことになったのですが、 今の両親は、無宗教に近いです。 既存宗教に疑念を感じ、個人の問題と考えている感じで、 ぼくも似ています。 しかし、葬式をどうするかという話がずいぶん前に出たのですが、 家族の意見ががバラバラだったのです。 親も老いてきて考えると、 仏教を信じて、「悟りの中に救われて」亡くなっていく人と、 キリスト教に肩入れしながら、天の父に迎えられると思いながら去っていくことが、 違うものであってほしくないと思ったのです。 母は、無宗教で、自然に返るかのように楽になりたいと思っています。 父も、曹洞宗に肩入れしてますが、似た感じだと思います。 キリスト教に肩入れしている自分だけべつな場所に行くような気がして非常に寂しいです。 これをどう思われますか? これからも続く人生、いつ死ぬかわかりません。 死んでも共にいられる・・・というような安心感が欲しいのかもしれません。 それは、宗教的な問題ではなく、日常で考えるべきことで、いま寂しいだけかもしれません。 考えて行こうと思いますが、 何度か考えたことなので、ご意見を伺ってみたいのです。 1人の凡夫として諭していただけたら 本望かと存じます。

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愛犬の死

9月6日朝、もうすぐ15歳になる愛犬が息を引き取りました。 3ヶ月前に突然後ろ足が動かなくなり、ほぼ寝たきりでした。病院に何度も通い、重度の貧血や肝臓に腫瘍があるとも診断されました。 でも私達の前では、元気な頃と変わらず、食欲もあり面白い事をして笑わせてくれていたので、そこまで体調が悪いと思っていませんでした。 心構えができないまま旅立ってしまった為、もっと一緒の時間を過ごしてあげればよかったと後悔してばかりです。 自分はいいお姉ちゃんでいれたか、なぜ体の痛みをわかってあげられなかったのかと考えては涙が止まらなくなります。 自分が辛い時は、何かを感じとったかのように黙って側にくっついてきてくれたり、ドックフードをくれたりしてくれたのに、自分は何もしてあげられなかったのが悔しいです。 こんなに早く別れがくるとは知らず、休日も趣味を優先して出かけてばかりいた自分が情けないです。 仕事中も、あの時こうしていれば…、家に帰っても待っていないんだと考えてしまい、急に涙が込み上げてきます。 前向きになるようにはどうしたらいいのでしょうか? こんな状況になって、自分が愛犬にどれだけ支えられてたかと感謝すると同時に、これから辛い事があったら支えてくれる人がいるのかと不安になってしまいます。

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母親の死

昨年、10月の下旬にに母親が亡くなり、 先日ようやく、納骨が終わました、 それまで、お墓が無かったので なので、お墓の購入したため納骨まで 時間がかってしまいました。 今回の相談は、昨年に母親の死の原因は 正月に旅行に母親と行って帰ってきたら、 前から持病の心臓病が悪化してしまい、 その後、3カ月ほど入院してしまい、 退院してからは、母親の生活は自由が なくなり自宅は鼻に酸素付ける 酸素療法になり、外出は車椅子が必要な 生活になりました、なので毎週末になると私が休日は車椅子、押して外出して ました、そんな生活をして約7カ月が 過ぎようと、してたら 急に亡くなりました、亡くなった当日は 平日で仕事だったので昼休みに母親と 電話で話をしてふつうでした、でも事態は 急変して、夕方になったら妹から意識が ないと、連絡が来て急いで帰宅しましたが もう既に息を引き取った状態でした 最後が見取りが出来なかった事が 後悔したり、昨年の正月旅行をやめとけば こんなことには、ならずもう少し母親も、 長生きできたなと後悔したり自分のせいで こうなってしまったと、いつも考えて しまい、心が苦しく張り裂けそうな思いが いつもあって毎日が苦しいです。 ただ旅行は毎年2回は母親と二人で行ってたので、母親も旅行は楽しみにしてました 入院中も退院したら旅行に行くと言ってたので、よけいに自分をせめてしまいます。 寝てる時も1ヶ月のうち2回ぐらいは 母親が、夢に出てきます 私はまだ独身で母親と二人で 生活してたので、毎日、帰宅しても 話し相手もいなくなり、喪失感があって 寂しいです。ちなみに妹は別居中で父親は 私が二十歳の時に亡くなりました。

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友達の死について

はじめまして。 聞いて頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。  学生の時、仲が良かった友人がいました。 どこか遊びに行ったり、出掛けたりすることは少なかったのですが、校内で会えば一緒にお話をしたり、ふざけあったりする友達でした。  去年、その友人が亡くなったという話を聞きました。 私自身、卒業してからは友人と連絡を取らず、みんな元気に頑張ってるんだろうな、そろそろ結婚してるかなー?などと勝手に思い、気にもしていなかったんです。  久々に友人と会った時に亡くなったことを知らされました。 ちゃんと連絡をとっていれば最後のお別れが出来たのかなと本当に後悔しています。 今になって取り返しのつかない、 どこにぶつければいいのか分からない喪失感や悲しみに途方に暮れています。 また、自分の目で見たわけではないので 信じられない気持ちもあり、言葉では表せないくらいの感情が渦巻いています。 同い年で、若くして亡くなった友人の笑顔ばかりがぼんやりと思い浮かびます。 時間が解決してくれるのでしょうか? 最後のお別れが出来なかったことを本当に後悔しています。伝えたかったこともあります。 わたし1人でもできる供養みたいなことはあるのでしょうか? ただただ毎日を迎える度に思い出されて辛いです。

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ペットの死について

実家の愛猫が余命わずかです。 10日以上飲まず食わずで、あと数日だと獣医に言われています。 高齢猫の死因に多い腎不全を2015年に患い、 それが原因で失明し丸2年…懸命に生きてきました。 昨年末にステージ4の末期宣告を受けましたが、 推定余命からもう1ヶ月以上、2度ほど危険な状態になっても戻ってきてくれました。 ずっと闘病していましたが、いよいよ?という状態です。 飲まず食わずなうえにトイレも自力では難しくなってます。 20才11ヶ月という高齢なので老衰かもしれません。 ペットがほしい、という安易な気持ちで飼いました。 中1の春、小学校時代のいじめが原因で人間不信で、生きる希望も夢もない時に来てくれました。 大袈裟だと言われますが、今、私が生きているのは愛猫の存在があったからです。 それくらい私に幸せを与えてくれました。 人生の半分以上を一緒に過ごした愛猫。 私だけじゃなく母や弟も人間同等の家族だと思っています。 何が言いたいのか自分でもわからなくなってきましたが、 大切な猫がもうすぐ旅立つので質問させてください。 ①葬式後の骨について ②私のことを恨んでないか?幸せだったか? ③動物は人間に生まれ変われるのか? 実家に月参りに来ていただいている住職(日蓮宗)は 「骨は絶対に家の敷地に置いてはいけない。仏壇に置くのも、庭に埋めるのも、人間のお墓に入れるのもダメ!」と言います。 何故いけないのか理由を知りたいのですが、ただダメだと言われます。 「うちに来るお坊さんは良いと言ってた」と友人に言われましたが宗派によって違うのでしょうか? 私を恨んでいないか?ですが、結婚を諦めていた私は「どこにも行かないからずっと一緒だよ」と愛猫によく言っていました。 毎晩一緒に寝ていましたが、4年前に結婚して隣県に嫁いで以来、月1回しか会えず… それから1年ほどで腎不全になり失明したので罪悪感でいっぱいです。 末期と聞いてからは毎週会いに行っているのですが、喜んでくれているのかわかりません。 自分がほしいと言って飼い始めたのに中途半端で申し訳なくて。 生まれ変わりについては私の願望ですが、来世で私の子供として生まれる可能性ありますか? 不妊治療しても流産等でいまだ授からないのはそういう運命なのかもと思ってしまいます。 長文で読みづらいかもしれませんが、回答お願いします。

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毎日死について考えてしまいます

毎日死について考えてしまいます。 死にたいという考えではなく、いつか来る死について不安で不安でしょうがなく頭の中で色々と考えてしまいネットなどからそういう関連のサイトを調べすぎてもっと不安になってしまっています。今では自分でコントロールできなくなってしまいました。文章では書ききれないので箇条書きで今自分の頭の中にある考えを書きます。 ・テレビやネットでの年齢を見ると将来この歳になりたくないなと、絶対なるのにも関わらず考えてしまう。 ・いつかは死ぬとわかっていても死にたくないと思ってしまう。 ・死後の世界がどうなっているのか、自我意識はあるのか、仮に生まれ変わりがあったとして自分が自分じゃなくなるのではないかと思ってもし、死後の世界がなく何も感じられなかったらと思うと不安と焦りが出てしまう。 ・自分はなんなのか、この体は本当に自分なのかという疑問。 この4つでどうしようもなくなりネットなどで調べて安心しようとするも信じていいのかわからずこのループに陥ってしまっています。 この事を家族に相談をしても「暇だからそう考えるんだろ」と言われるだけで考えないようにしようとしていてもふと、考えてしまいまたループに陥ってしまい焦りや不安、そしてパニックになってしまいます。先の将来、死後の世界が判明するのではないかとネットで書かれていたのですが本当なのかどうか本当にあるのかそれとも無で何も感じられなくなるのか、4つの考えのループから抜け出すのにはどうすればいいのか、身体や私生活に影響が出るほど深刻な問題なので、是非ともお教え頂きたいです。

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老化、病、安楽死、尊厳死

啖呵切ってハスノハとはお別れ宣言したのに出戻りですみません 結局私はここでしか辛い苦しみと悲しみを吐き出せません どうして死んではいけないのですか。 自殺率世界一位、幸福指数世界最低のこの国で、どうして死は許されないのですか 生きたかった筈の生命の中絶ですら許されているのに 命に別状がない程度の、だけど治りやしない病を永遠に抱えていく人生で、辛くて辛くて死にたいです もう体は勿論心も痛くて辛くて死にたいのです。生きてきた間、こんなにも辛い思いをしているのですから、せめて最後は安らかに死にたいです。もうあらゆる事から許されたいです 私は医者が大嫌いです それでも今日、耐え難い痛みに苛まれて病んだので、嫌な気持ちを我慢して、病院にいきました 医者は、貴方程度の患者は星の数ほどいると言い、多少の嘲笑も交えて。ろくな内診も診察もせず 医者にすら病の苦しみを理解して貰えず、私は心底悲しみ、生まれてきたことすら後悔しました。介護してくれている親にも申し訳ないです もう何もかもが嫌です。死にたいです。死にたいです 本人は辛くて生きていたくないのに 社会は自殺者に対して非常に厳しく 安楽死に否定的です 自分で命の決着を決める尊厳死の制度の何がいけないんですか 死にたいです。辛いです。毎晩生き恥をさらし心身の苦痛に泣いてます どうしたら良いのかわかりません 死にたいです 大好きな親にそっと息の根を止めてほしいと思ってしまいます もう限界です 答えにくかったら回答は不要です 辛い気持ちを吐き出させて頂きありがとうございました

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父の死について

私はずっと父について後悔してることがあります。 現在私は母と姉の3人で暮らしてます、父は、7年前癌で亡くなりました。 亡くなる1、2年ほど前、健康診断に再検査の文字があったと父は夕食を食べながら軽くいつもの雑談という感じで話してました。 私も深刻に受け取らず大丈夫でしょ、と父に軽口のように話しました。 母と姉が検査したほうがいいと言う中、父は私の言葉を信じてしまったのです。 そして異変を感じた時には手遅れになりました。 母は時々父は検査をしなかったことを後悔していた、すればよかったと言っていたと思い出したかのように話しますが、家族は皆私が言った軽口を覚えていませんでした。 父が自分で検査をしなかった、馬鹿な父だと思っています。 あんなにも母と姉は心配し、助言したにも関わらず、父は私の言葉を信じてしまったばっかりに寿命を縮めたのです。 私が殺したのです。 当時私は成人したばかりで親孝行なんてしたこともありませんでした、そして最後までまともに親孝行できずに父はいなくなりました。 お見舞いは弱っていく父を見たくなくて殆ど行かず、20歳にもなって人が亡くなる事が理解できず父の遺体を見て笑う始末。現在、家族と墓参りに行っても墓を見るのも嫌です。 夢で時々父に会いますが、起床後は嬉しい気持ちよりも、なぜ父が死んで私が生きてるのか考えてしまいます。 現在、母にはできる限りの親孝行をしているつもりです。 しかしずっと家族の為に働き続けてきた父には何もすることが出来ず、病気で苦しんで亡くなりました。 亡くなったのは随分前のことなのに今でも父の生前話を明るくできません、どのように気持ちを整理しらいいのかわからないのです。 いつか母が亡くなることを考えると耐えられるか自分にはわかりません。 どうやったらこの気持ちが楽になるのでしょう。

有り難し有り難し 5
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