hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 死にたい」
検索結果: 3276件

親戚の葬式後のメンタル

今日、祖父の姉の葬式がありました。 離れたところに住んでおり最後に会ってから10年近く経っていますが、小さい頃遊んでもらってお世話になった人なので、最後の機会だと思い向かいました。 棺に花を入れる時や火葬では涙が出そうになりましたが、悲しいよりも、もらい泣き、雰囲気につられているだけだと思いました。 ところが葬式が終わり、帰ってきてから夜。 もし自分の子供が死んでしまったら… もし夫が死んでしまったら… と考えると涙が止まりません。 事故、事件など最悪の可能性を想像してしまいます。 少しですが、自分も死んだらどうなる?と子供みたいな事を考えてしまいます。 1度考え出すと止まらず心がぐちゃぐちゃです。 葬式に行かなければよかったとすら思います。 こんなに心がボロボロになるなら、もっと近い人の死で自分がどうなってしまうか怖いのです。 その人がいなくなって悲しいのに加え、お見送りをした後も、こんなにも怯えなくてはならないのでしょうか。 こう考えてしまうのは普通ですか? 亡くなった人だけの事を考えないのは薄情ですか? 検索しても、近しい人の死後のメンタルを労る記述があっても、私とは違い相談できるのがここしかありませんでした。 今後あるであろう死の度、これではとても心が持たないと思い どう思えば前向きに見送ることができるのか、 大きすぎる不安を感じなくていいのか 教えていただきたいです。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1
2024/12/08

精神的に自立したい

はじめまして。私は23歳実家暮らし社会人の女です。 親は高齢出産のため両親ともに60歳です。私は小さい頃から家族が大好きで、そして家族、大切な人の死が常に怖く、最近特にその事を考えてしまって一人で泣いています。 母にもその不安を話したのですが、母はいずれは人は死ぬ来る運命に従うんだよと私よりも何倍も強い気持ちです。しかし、私はやっぱり耐えられません。ずっとずっと仕事中も両親のことを考えてトイレで泣いてしまいます。大学生の頃、一人暮らしをしていたのですが、両親のことを考え、少しでも恩を返そうと実家に戻りました。感謝はできるだけ伝えたいのですが、やっぱり死を考えるだけで辛いです。 また、遠距離恋愛をしています。片道4時間程の距離ですが、いずれ自立して彼の元へ行こうと思ってます。しかし、両親のことが心配でならないのです。両親は子供が幸せならいい、自由に生きてほしい方針なのですが、私が心配でならないのです。本当に不安です。彼の元へ行きたい気持ちも両親のことが心配な気持ちふたつあって辛いです。精神的に自立して前向きに生きたいです。 心療内科も予約済みなのですが、それまで時間があります。この常に抱えてる親の死の不安、精神的自立の仕方どうかご享受願いたいです。 日々不安で辛いです。助けてください。

有り難し有り難し 17
回答数回答 3

人生の決着をつける

私は今死ぬことについて悩んでいます。というのも、ある本を読んで「人は確実に死ぬにもかかわらず、その恐怖から逃げる為に死を連想する物事を日常から遠ざけてきた。本当によりよく生きるなら、自身の納得のいく終わらせ方を考えるべき。」という旨の文章に感銘を受けて、それ以来自身のやるべきことを放ったらかして自分で自身の息の根を断つことばかり考えるようになったからです。 私がなぜここで相談しようと思ったかと言いますと、身近な人に相談しようものなら確実に反対されることが目に見えているからです。 私は、今のところ他人から見て不自由な生活はしていないと思っていますが、これまでただ死ぬのが怖いという理由だけで勉強を頑張ったり体を鍛えたりするばかりで、夢のない生活を延々と続けています。そんな中先述の文章に出会った、「死の権利を自由に行使する」という人生で初めての夢が出来て、しかも運良く自身の満足のいく死に方を見つけたことで今すごく充実した気分で生きています。 ‥ただ一つ気がかりなのが、両親や数少ない友人といった私が死んだ時に残された人たちの気持ちです。 私の満足のいく死に方というのはぶっちゃけ自殺の一種にあたるやり方で、一応人に迷惑をかけるつもりはないのですが、それでも私が事情を説明せずに突然死ぬと両親や友人に影響を及ぼしてしまいます。かといって、馬鹿正直に自分の夢について説明したら、絶対反対されるとも思っています。だからといって、他人の為に興味ない生き方をするのは生殺しにされているようで凄く嫌です。でもでも自身の夢だからって人に迷惑かけていいのかなぁ‥ こんな感じで中途半端に人の心が残っているせいか、自身の夢と他人への影響のジレンマで悩んでいます。 一応自身の見解としては、「生殺与奪の権利を握られるくらいなら、自身で決着をつけたい。たとえその為に人が死ぬとも、例え地獄で残酷に裁かれようとも。自分の意思を貫くなら今じゃあないのか。」といった自己中の極みみたいな結論に至ったのですが、一応取り返しのつかない事なので相談してみたいと思い、文章をしたためることになりました。 あまりにも生物として気の違ったような質問で申し訳ないですが、何卒ご返事の程宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

最後の課題にアドバイスをください

尊敬する大好きな恩師が亡くなって2年。 病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで夢を語っていた恩師。半年後に亡くなりました。この現実を受け入れることは出来ません。人はいつか死ぬと分かっていたし、元々敏感な方でした。でも、病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで恩師は夢を語っていました。なのに3ヶ月後には夢を諦め死に備えて身辺整理。恩師は自ら余命を聞き、身辺整理をし弁護士に遺言の立ち上げを頼みました。そしてもし自分が死んだらあなに貰った手紙を棺に入れるよう息子に頼んでいいかと聞かれました。妊娠中の私は、促進剤を入れる前に恩師に会いに行ってから出産しました。恩師の危ない状況を聞き、2日退院を早め、その足で恩師の元へ行きました。意識が朦朧としていたけど、頷いてくれました。そしてその日に亡くなりました。産後2日目のことで、痛みを抑えながらお葬式へ行き、自分の手で手紙を入れました。それからは子育ての日々。衝撃的な事で、受け入れる時間もなく今日まできました。あんなに夢を語っていた恩師が亡くなったことで、人の死は無条件に突然訪れるものなんだと初めて強く実感しました。普段は忘れているけどいつも死と隣り合わせなんだと。それから生きるのが怖くて、家族を失うのではないかと不安です。だから後悔しないために、常に最悪の状態を考えています。今車が突っ込んできたらこの位置は危ないとか、もしあの看板が落ちてきたら危ないから走ろうとか。父の癌を早期発見したのも私で私が家族の命を守りたいという気持ちに苛まれています。もし家族の誰かが倒れたら誰に119番を頼んでAEDを誰にどこから持ってきてもらうかなど常に頭でシュミレーションしています。それでも人は死ぬのでこの行動が全て結果になるとは思いません。もっと楽しく生きれる人が生まれたらよかったのに。死の恐怖に潰されるくらいなら最初から無でよかったのにと考えてしまいます。でも、恩師とこの世で出会えた事、恩師と過ごした時間は私にとって最高の宝物です。今までもこれからもずっと私の大切なかけがえのない時間です。恩師が亡くなってから悩んだりしても、自己解決できるようになりました。恩師の教えがあるからです。でも恩師が亡くなったことや受け入れられないこと死の恐怖に関しては悩んだままです。きっと恩師の死は私に与えてくれた最後の課題なのです。どうかアドバイスいただけませんか。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

自殺対策

 自殺対策は仏教の最も得意とする分野ですが、現状の効果はNPOのそれと大差がないのがはがゆいです。  もし輪廻転生が否定されるなら、自殺対策は有害無益で、むしろ自殺を奨励すべきです。  釈尊も若い頃自殺しました。(般若心経の呪文、梵天勧請)  仏教の目的は、涅槃(解脱、心の死)ですから、輪廻転生が否定されれば死後が無いので心は死んでいます。  まさに涅槃状態です。死即涅槃と言えます。  輪廻転生が真実であっても、自殺は諸刃の剣です。  釈尊のように涅槃状態であれば、自殺は奨励されます。  「厭離穢土 欣求浄土」と言う佛教語もある位ですから。  我々も、釈尊に倣って寿命が尽きる前に自殺によって涅槃を得なければなりません。  寿命が尽きた瞬間では多分涅槃は無理だと思います。  私はその修行の厳しさに初めから諦めています。  「現世安穏 後生善処」ならばまだ希望が持てますので寿命が尽きるまで待ちます。  しかし通常の自殺は防止しなければなりません。  何故なら心が死んでいないからです。  六道輪廻で脅しをかけるのです。  それも真実の脅しですから遠慮はいりません。  この自殺対策は有効だと思います。  ちなみに自殺者と通常の死者との死後の風景は、丹波哲郎制作映画「大霊界2」で参考できます。劇場映画ですからフィクションや甘さはありますので、その点は考慮が必要です。  輪廻転生が普遍化している国の庶民の思考については、  NHK「世界ふれあい街歩き」の「チンプー」(ブータン)が参考になります。

有り難し有り難し 20
回答数回答 2

悟りとは不可能なことなのでしょうか

なぜ、私たちは生まれてくるのでしょうか。なぜ、生と死が一つのものだと分からないのでしょうか。                                                                              なぜ生まれたら苦しみがあるのに、生きる楽しみに浸ってしまうのか。執着とは、罠のようなものなのでしょうか。                                                                                                      なぜ私たちは生まれてきた理由を知らないのでしょうか。なぜ浄土や輪廻があるか否かを知るすべを持っていないのでしょうか。                                                                                                 どうしてこの心は、真理とは違う方向に向かってしまうのでしょうか。私たちは生きているうちに悟ることができないのでしょうか。                                                                自分が愚かだと僅かに気が付いても、未だに愚かなのはなぜなのでしょうか。                                                                             

有り難し有り難し 19
回答数回答 2

どんなに願ったり努力しても叶わないことがあることの意味

長文失礼いたします。 祖母が8月に亡くなりました。92歳でした。2月に突然脳梗塞を起こして、肺炎を起こして1ヶ月くらい意識不明でした。そこから意識が戻って療養型病院に移って、脳梗塞は順調に回復して退院寸前でした。祖母も自宅に帰るのを楽しみにしていました。その直後もともと持っていた間質性肺炎が医者も驚くほど知らぬ間に悪化していることが分かりしてそれから3週間くらいで亡くなりました。発病してから本当に毎日休みなく家族3人全員が2時間くらい車で30分くらいの病院に顔を出して看病や介護をしました。私は亡くなる当日朝から亡くなる瞬間まで意識ない祖母の手をずっと握っていました。生きている限り希望を捨てはいけないと思っていました。でも、亡くなりました。でも亡くなった瞬間、全て努力なんか全く無意味で死んだら無なんだと確信しました。何をどう努力しても死んだら無なんだと。 唐突に話は変わりますが、漫画で、「ジョジョの奇妙な冒険」という本があります。その中で西部開拓時代のアメリカの話で、上手く言えませんが、ある国に特殊な技術を持っている、医療行為と死刑執行を代々生業している一族の登場人物が出てきます。ある時その登場人物の診療所に、夫のDVで失明した女性が仕事中の怪我で運び込まれます。登場人物は自分の持つ特殊技術で女性の失明を治せると確信したので、治そうと試みますが、ほんの少しの偶然の出来事で彼女の失明を治せず彼女は永遠に光を失います。治せるはずの彼女を治せなかったことにショックを受ける息子に、登場人物の父は、「彼女の失明を特殊技術で治せると父である自分は分かっていた。でも意図的に治さなかった。彼女は盲目が故に生かされている。もし失明を治せば、DVを行った権力者の夫達は、目が見えるようになった彼女の命すらも奪う可能性があるからだ」と言いました。 結局何を言いたいか上手く言えなくて申し訳ありません。ただ、祖母の死の無の感触を思い出すと、なぜかこの漫画のことを思い出します。 どう繋がっているか考えても分かりません。結局言いたいのは、題名の通り、いくら願っても努力しても叶わないことは一体どういう意味を持つかということです。本当はもっと突き詰めて自分なりの意見をじっくり温めてみたいと思っていますが、どんなことでもいいので、何かお言葉を頂けたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 51
回答数回答 4

臨死体験について

お世話になりますm(  )m カテゴリが間違っていたらスミマセンm(  )m 臨死体験についてどう思われますか? これは体験した人でなければ なかなか分かってはもらえないと思うのですが 自分は1度だけあります もう25年くらい前になるのでしょうか その日はなんだか とても身体がしんどくて 自分の部屋で 横になって休んでいました するといきなり 自分の身体から魂が抜ける感じがあり ( 夢のレベルではなく、相当な衝撃でした ) 上へ上昇していきました 高さ的には3メートル位上の感覚でした 今まで自分の部屋だったところは 無限の真っ白い空間になっていて 非常に驚きました!! 色的には曇りの時の感じの少し 寂しい?感じのする白色でした 身体は無重力で すべての身体の苦しみから 解放された非常に気持ちが良く 極楽そのものでした しかし、瞬間に自分が死んだと悟って すごく怖くなり 「 まだ死にたくない!! 自分が死んだら誰もペットのお世話が出来ないから 死にたくない!! もう、死にたいとか思わないから まだ死なせないでください!! 」など とにかく焦ったというか 必死な気持ちでした すると 黒い「もや」がかかり始めて 目が開いて自分の部屋に戻って来ていました しかし、身体だけは全く感覚がなく 恐ろしい感じでした 何故か、このまま感覚が戻らなければ 『 また連れていかれる 』と 本能的に思いました 決して何か見えたわけでもなく( 死神とか ) 本能で思いました 戻って来れたのもある意味 奇跡的なような気もします 他の方の臨死体験の話のように 三途の川とか他のなくなった誰かがいたとか そこまでは見てないです 自分が臨死体験をしたのは ほんの数秒だと思います これも、そんなの嘘じゃないかとか なかなか信じてもらえないかもしれませんが 実際検索すると 同じような光景、体験をされている方が 多く本当にある世界なんだと確信しています ただ、そこに長くいた場合 どんな世界が待っているのかは 自分ではなんとなく想像することしかできません きっと何か高い( 精神的に?? ) 世界があるんだろうなあと思っています 仏教的に言うと臨死体験とは どうゆう事になるのでしょうか? よろしくお願い致しますm(  )m

有り難し有り難し 21
回答数回答 2
2023/04/25

ちっちゃなこと気にしたくない!

おおらかに生きるコツを教えていただきたいです。家庭の愚痴のような話になり恐縮ですが、お話聞いていただけると幸いです。 婚約者と一緒に住んでます。 とてもあたたかく良い人なのですが 気を利かせてやっていただいたことに対し わたしが小さなことが気になりムッとしてしまいます。 例えば夜洗濯物を浴室乾燥にかけ始め本人は飲みに行き、乾燥時間が入浴時間にかぶってしまってたり、料理した後片付けが7割で止まって他ごとしてたり。 昼ごはん代渡してるのに家の食材で昼ごはん作りもりもり食べて(大食い)別途食費を請求したり。。わたしが食費を管理しており節約しようとメニュー工夫したりするのですが本人は一食でいろんなお肉を使い切ったり、値段は気にしてなさそう。 一緒に家事してくれることはこの上なく嬉しいのですがモヤモヤ。 同じ価値観でないからこそ違いも生まれる、他の面でわたしも許容してもらっている、と思いつつつめたい反応をしてしまいます。気持ちを伝えてみたこともありますが小言のようで嫌な思いさせてるだろうなとわたしも悲しくなります。黙って感謝を伝えればいいのに。 このような気持ちの時どのように折り合いをつけてますでしょうか、アドバイスをいただきたいです。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

自分の中の相反する感情に振り回されて辛い

実生活で困っていることはないのに、最近気持ちが追い詰められて、頻繁に死を考えるようになってきました。 趣味もあるし、仕事もある。家もあるし、周りから虐められるような事は今はないのですが、過去の辛い経験が、未だに心の中で私を苦しめているようで、ここ数年落ち着いてきていた死への思いが再び強くなってきてしまいました。 過去、異性から虐められたり、心許した相手からセクハラメールを送られたりして、異性に対してはもう恋愛感情も持てないし、結婚もする気はないのですが、先日結婚相談所から電話が来て、普通に断ればいいものを、良縁を結ぶという言葉を聞いた途端パニックになり、強い口調で返して電話を切ってしまいました。相手は仕事で電話をかけてきただけだというのに、そんな態度をとってしまった自分が心底嫌になり、泣きながら跡が残るほど自分で自分の首をいろんなもので締めてしまいました。 死ななければいけないという思いは二十代の頃から強く常にありました。 最近は落ち着いてきたのに、またそれが強くなって、思うだけでなく自分の首を絞めてしまう状態になってしまいました。 人に迷惑掛けずに生きる事も、自分から命を経つこともいけないことなのは分かっているのです。生きてても案外なんとかなってることも分かってはいるのですが、同時に人に迷惑をかけてはいけない。でも、頻繁にパニックになって倒れる自分は人に迷惑をかけている。そんな自分は早く消えるべきだという気持ちも同時に沸き起こって、そのうち取り返しのつかない事をしてしまうのではないかと恐ろしく感じます。 おそらく、後者は過去に酷い言葉をぶつけられ、散々傷ついた過去の自分が思っている事なのだと思います。それが、未だに心の中に存在して、消えずにいるのだと。 もう、誰も私を傷付けないし、酷い言葉を投げ掛けない。傷つく必要はないのだと、心の中に居座ってる過去の自分に言い聞かせたいのですが、逆に辛い思い出が蘇って、今の自分が参っていってしまっています。 私はこの苦しさを抱えたまま生きていかねばならないのでしょうか。この苦しさを抱えながらも前に進むにはどうすればいいのでしょうか。将来の事を考えても見えるのは死ぬ未来ばかりで、何も見えないのです、昔から。 少しでもいいです。何かアドバイスをいただけたら有難いです。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1