生きる事が辛いし、怖いです。金もないです。仕事も辛いですし、人も怖いです。自分自身も欠点だらけ。心の支えなんていうのもありません。なんだか常に疲れてるんです。原動力みたいなのも湧いてこないんです。 特に母が自死してから尚更です。 自死をしようと思っても中々、苦痛が苦しくて怖くてできません。 でも勇気を持って自死すべきなのでしょうか? その勇気を頂ければ幸いです。
こんにちは。よろしくお願い致します。 私は幼少期から周りの期待に応えるべく、心身削って勉強し、親の期待に応えるべく国家試験に挑戦してきました。 しかし、20代で重度の鬱病になり断念。 数年の治療のあと寛解して、結婚し子供をもうけて今は専業主婦です。 少し前に親友が自殺してしまったことで死を身近に感じたり、自分も若い頃のストレスのせいか、色々な体の病気になり、長生きはできないのかな…と不安に思うことが多いです。 若い頃は使命に燃えていましたが、今、やりたいことも目標なく、ただ家族が気持ちよく暮らせるように家のことをするだけです。 家族のことは大切にしているつもりです。 しかし、多分、今重い病気になり死を迎えた場合、自分の人生に虚しさを感じたまま後悔したまま死んでいくのかなと思います。 それが怖いです。 色々なものを犠牲にしたのに何もなし得なかった私の人生を、死ぬ間際に後悔しないようにするために、私は何をしたらよいのでしょうか。 どう生きたら良いでしょうか。 漠然とした悩みで申し訳ありません。 お導きいただけたら幸いです。
今年の春のコロナ時期に、妻も娘も自宅にいる時期が続き、その際の過ごし方が気になり、家族には言わずに自宅リビングに隠しカメラをつけてしまいました。 たまに、自分が寝室に行った後、その日の昼の映像をスマホで見たりしていました。 先日映像を表示したまま寝てしまい、妻にその画面を見られてしまい、その事を責められ、その後は一切口もきいてくれません。 言われて初めて、それが盗撮行為であり、重大な裏切り行為であった事に気付きました。 結婚して13年、子供が生まれて10年、大きなトラブルもなく幸せに過ごせてきた生活でしたが、それを一瞬で壊してしまった気がします。 妻は不信感や恐怖感でいっぱいだと思いますし、リビングから妻のものが片付けられ、指輪も外していました。 その状況で自分も罪悪感で苦しくなり、いっそ消えてしまった方がいいのではないかとも考えてしまっています。 このままではいけないと思い、妻に謝りましたが、「今は何を言われても信用出来ない」「娘の事を一番に考えてくれ」等との言葉を言われました。 今はもうどうしたらいいのか全く頭が回りません。 自分への最大の罰として、一番の喜びである娘の成長を見ない事、妻への最大限の謝罪、それは死しかないのかとも。 自分で何かするのではなく、妻の決めた事に従うのが一番いいのでしょうか。
毒母の毒を抜くことができません。 人間関係をうまくいかせることができません。 自分に悪いところがあり、そのせいで人間関係うまくいかないのに、毎日死にたくなって涙が出ます。全てに絶望してます。 何もしたくありません。 私の悪いところは毒親とのかかわりに起因するものなので絶望しています。 一生懸命変わろうと努力してきました。 悪いところを直そうとずっと頑張ってきました 素敵な人になりたくて。 だけどもう、限界です。無理でした。 早く死にたい。もう生きていたくない、自殺したい。毎日そう思っています。 孤独です。将来の希望は何もありません。この先どうなろうがどうでもいい、ただ死を待っているだけです。 自殺はそんなに悪いことですか?前までは、周りを悲しませるからダメだなと思っていたけど、周りのことなんて考える余裕もありません。ただ死ねればそれでいいと思っています 私は天国や地獄など詳しくないのですが自殺したらもっと苦しいって本当ですか?自殺したくてたまりません。多分10年以内には自殺すると思います。ご意見頂ければ嬉しいです
いつもコメントをくださる皆様ありがとうございます 母の自死からなんとか立ち上がろうと何度もここを頼らせていただいています だけど…限界を感じています 母の死を受け止めようとしましたし、残されたいざこざもなんとかしたい・なんとかしようと思ってきたのですが… 心と体が悲鳴をあげています なんでもない瞬間に涙が出たり、ただただそこにいることがとても恐ろしくなり…例えばベランダから飛び降りそうになってしまうのです それを抑えるのにも大変な労力が要ります たぶんですけど、母もこんな状態で死んでしまったのかもしれないと思いました とても悪い意味で「心が震える」という感じでしょうか… 胸が痛く、苦しく、呼吸もままなりません でも、どこも悪くありません すべてストレスでしょう きっと、私の自然な死はまだまだ それまでこんな心と体の苦しみは続くのでしょうか 残された実家の家族を、私には支えきれない 手を離したい でも、 私が手を離したら…きっと家族の誰かが母の後を追う 福祉に繋げたつもりだったけれど、家族が福祉を拒みました… もうどうしていいかわからない… 私にできることはない… 勝手に手を離しても、「家族」だから いつか私に尻拭いがやってくると思うと… 生きている意味があるのでしょうか ただ苦しいだけです 人間誰しも、楽しいばかりではないです みんな何かを抱えている わかっているのだけど… それを乗り越えられる強い人がいて でも、乗り越えられなくて自ら死を選ぶ人もたくさんたくさんいて 私は後者なのだととても強く感じています 私にはずっと希死念慮があったけど、 それとは違う「限界」を 今まさに感じています できれば家族のためにもここは乗り越えたいです 一時的なものでも構いません 何かアドバイスをいただけないでしょうか… よろしくお願いいたします
こんにちは。初めて質問させていただきます。過去の自分の言動についてです。 私は両親が共働きで、小さい頃から祖母の家で面倒を見てもらっていました。私のいとこも祖母の家で暮らしていて、よく一緒に遊んでいました。祖母の家には祖父の母親の仏壇があって、祖父は毎日その仏壇に手を合わせて供養をするように早口で何か唱えていました。小学生だった私は、その仏壇がある部屋に誰もいなくなった後、祖父の真似をして私も仏壇に話しかけるということをしていました。その時私は、何かしらを話し終わった後、最後に「いとこが早く死にますように」と言っていたんです。仲が悪かったわけではなく、むしろ毎日遊んでたぐらいだったのになぜかそんなことを、覚えてる限りですがしばらくの間毎日言っていました。もちろん本気で死んで欲しいと思っていたわけではありません。その当時は死というものをあまり深く考えておらず、このこと以外でも、何かに無性にイライラして独り言で「死ね」と大声で言っていた時期もありました。(今はそんなことは無くなって、いとことも仲良しです)百歩譲って自分で思っているだけだったらまだ心の中にしまっておけたのですが、身内の死を、しかも先祖の仏壇に願ってしまっていたので罪悪感がすごいです。かと言って、本人に直接言っていたわけではないので本人は知らないですし、仏壇の人に謝るのもなんか違うなと思います。 いまさらどうしようもないのはわかっていますが、どう気持ちを整理したらいいでしょうか?
相談を見て下さり、ありがとうございます。久しぶりに質問失礼します。 私は両親が離婚していて今は義父と実母、弟と犬2匹と暮らしています。 また実の両親は7年前に離婚・別居しており、1年前に今の義父と再婚しております。 私と弟は成り行きで母に着いてきてくれたのですが義父と再婚するまでは小さなアパートで貧しいながらも女手一つで育ててもらいました。義父と再婚してからは義父が新しく建てた家で暮らさせてもらっています。義父と母には感謝しかありません。 また実父も離婚した原因(不倫と聞いています)の張本人ではあるものの、親子の縁は切る事が出来ずたまにパソコンの操作などを教えて貰いに行っております。また、実父の父親(私の祖父)には特に可愛がってもらっていたのでそういう面でも親しくしています。それに加えて父方の実家がかなり続いているらしく(自慢になりますが私で12代目らしいです)墓を守らなければならないのですが、それを私が途絶えさせるのも罪悪感でいっぱいです。 まぁこんな感じで幸せに暮らせればよかったんですが、私も大学生になり将来のことを考えなければならなくなってきたのですが実父、実母、義父の3人の介護や仕送りのような補助などのことを考えるととても不安になります。 それに、わたしにもし子供が出来た時、実父側と実母・義父側のどちらにつくかを選ばなくてはならないかと思います。実母・義父を選べば実父側の今までを潰すことになりますし、実父を選べば実母や義父を裏切ることになってしまいます。今も生きている父方の祖母、母方の祖父母に相談してもお互い、自分の方を選んで欲しいということになってしまいます。 私は弱気ですしこんな事で悩んでしまうのですが、弟にはこんなに心苦しい重荷を課せたくありません。 長文になってしまい、申し訳ないのですが、お坊さん方からの「第三者」として、そして「仏教視点」でのアドバイスや心構えを教えて頂きたいです。
プロフィールにもあります通り、自分は死んでも一向に構わない人間だと思っています。 周りに迷惑をかけずに自殺できるところがあれば教えてください もしくはなぜ自殺は許されないのかを 仏教にあまり詳しくなく自殺願望がある私にもわかりやすいように説明をお願いしたいです
仏教に限らず宗教が具するテーマには、如何にして必然必至の死を受容するか、超克するかということがあると思います。 にも関わらず、人の死んだ時にからんで「忌日」とか「回忌」など「忌まわしい」という字を使うことには違和感があります。 死や血を忌まわしいもの、汚らわしいものとするのは神道の思想のような。 また、各宗祖が亡くなった時をも指して「遠忌」と呼んだりすることがあると思いますが、僧侶のかたはこれには抵抗ないのでしょうか。
初めて質問します。 毎年、お盆などの節目にお墓参りに行っています。現在一人暮らしで、久しぶりに兄弟に会えたこともあり、はしゃいでお墓で走って転んでしまいました。大人なのにみっともないです。 インターネットで調べると、お墓で転ぶと良くないことが起こる、霊がつく、死が近い、体の一部を持っていかれるなど不吉なことがたくさん書かれています。このことはとても反省しておりご先祖様には仏壇を通して謝罪しました。 子供たちがふざけないようにという教訓なのかもしれませんが、なんだか気になって気持ちがとても落ちています。 私は今後どのような行動をとればいいでしょうか。もうすぐに死んでしまうのでしょうか。教えてください。
おおらかに生きるコツを教えていただきたいです。家庭の愚痴のような話になり恐縮ですが、お話聞いていただけると幸いです。 婚約者と一緒に住んでます。 とてもあたたかく良い人なのですが 気を利かせてやっていただいたことに対し わたしが小さなことが気になりムッとしてしまいます。 例えば夜洗濯物を浴室乾燥にかけ始め本人は飲みに行き、乾燥時間が入浴時間にかぶってしまってたり、料理した後片付けが7割で止まって他ごとしてたり。 昼ごはん代渡してるのに家の食材で昼ごはん作りもりもり食べて(大食い)別途食費を請求したり。。わたしが食費を管理しており節約しようとメニュー工夫したりするのですが本人は一食でいろんなお肉を使い切ったり、値段は気にしてなさそう。 一緒に家事してくれることはこの上なく嬉しいのですがモヤモヤ。 同じ価値観でないからこそ違いも生まれる、他の面でわたしも許容してもらっている、と思いつつつめたい反応をしてしまいます。気持ちを伝えてみたこともありますが小言のようで嫌な思いさせてるだろうなとわたしも悲しくなります。黙って感謝を伝えればいいのに。 このような気持ちの時どのように折り合いをつけてますでしょうか、アドバイスをいただきたいです。
尊敬する大好きな恩師が亡くなって2年。 病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで夢を語っていた恩師。半年後に亡くなりました。この現実を受け入れることは出来ません。人はいつか死ぬと分かっていたし、元々敏感な方でした。でも、病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで恩師は夢を語っていました。なのに3ヶ月後には夢を諦め死に備えて身辺整理。恩師は自ら余命を聞き、身辺整理をし弁護士に遺言の立ち上げを頼みました。そしてもし自分が死んだらあなに貰った手紙を棺に入れるよう息子に頼んでいいかと聞かれました。妊娠中の私は、促進剤を入れる前に恩師に会いに行ってから出産しました。恩師の危ない状況を聞き、2日退院を早め、その足で恩師の元へ行きました。意識が朦朧としていたけど、頷いてくれました。そしてその日に亡くなりました。産後2日目のことで、痛みを抑えながらお葬式へ行き、自分の手で手紙を入れました。それからは子育ての日々。衝撃的な事で、受け入れる時間もなく今日まできました。あんなに夢を語っていた恩師が亡くなったことで、人の死は無条件に突然訪れるものなんだと初めて強く実感しました。普段は忘れているけどいつも死と隣り合わせなんだと。それから生きるのが怖くて、家族を失うのではないかと不安です。だから後悔しないために、常に最悪の状態を考えています。今車が突っ込んできたらこの位置は危ないとか、もしあの看板が落ちてきたら危ないから走ろうとか。父の癌を早期発見したのも私で私が家族の命を守りたいという気持ちに苛まれています。もし家族の誰かが倒れたら誰に119番を頼んでAEDを誰にどこから持ってきてもらうかなど常に頭でシュミレーションしています。それでも人は死ぬのでこの行動が全て結果になるとは思いません。もっと楽しく生きれる人が生まれたらよかったのに。死の恐怖に潰されるくらいなら最初から無でよかったのにと考えてしまいます。でも、恩師とこの世で出会えた事、恩師と過ごした時間は私にとって最高の宝物です。今までもこれからもずっと私の大切なかけがえのない時間です。恩師が亡くなってから悩んだりしても、自己解決できるようになりました。恩師の教えがあるからです。でも恩師が亡くなったことや受け入れられないこと死の恐怖に関しては悩んだままです。きっと恩師の死は私に与えてくれた最後の課題なのです。どうかアドバイスいただけませんか。
先月、お付き合いしていた方を亡くしました。 彼は、家族や周りの人に結婚したい相手だと伝えていてくれて、 通夜、告別式共に参列させて頂けました。 彼が居ない世界は、寂しく、虚しく、 自分の人生をこの先どうしたら良いか 途方に暮れています。 私は医療系の仕事をしていて、日々、患者様の生活を良くしていく、それがやり甲斐にも繋がっていたのですが、 彼が亡くなって、患者様と接していて、感じてしまうのです。 どうしてこの人には彼には無かった未来があり、私の彼はなぜ亡くならねばならなかったのか。 彼に対して、医療的なアドバイスや突然死に繋がる兆候を見つけられたのでは無いか。 一緒に居たら、救命できたのでは無いか。 上記の感情に囚われて、今、患者様の前に出る事が出来なくなってしまいました。(仕事は休職させて頂けました) この先、生きていく為に仕事をしなくてはなりません。 自分の中の醜い羨みや後悔を、どうしたら捨てされるでしょうか…?
彼氏が事故で突然死にました。 世間的には許されない恋愛を何年もしていましたが、全ての解決の見込みがたちました。 しかし結婚の予定がたった矢先彼は 突然事故死しました。 事故後数日間の記憶はなく お通夜、告別式も終わっていました。 涙に明け暮れる毎日で 何日も寝込み点滴で生きる日を過ごし、今日に至っています。 本当に優しく、私を気にかけてくれる彼でした。 私もいつも甘え、頼りにして過ごしていました。 彼の居ない人生なんて考えられませんが どれだけ待っても帰ってきてくれません。 それでも死んだなんて信じられません。 彼の魂は傍にいるのか、私を必ず守ると約束したのを忘れずに見守って居てくれるのか、いつかは会いにきてくれるのか お墓を知らないので行くことも出来ず写真に毎日話しかけては泣いてる日々です。 宗教には詳しくありませんが、彼の実家のお墓が曹洞宗なのは知っています。 世間的には良くない恋愛でしたが私達は本気でした。 あと少しで幸せに手が届くところで居なくなってしまった彼。 今はどうしているのでしょうか。 傍にいるのでしょうか。 話しかけてるのは通じてるのでしょうか。 いつかはまた会えるのでしょうか。 今は幸せに過ごしているのでしょうか。 良くない恋愛だったので地獄へ行ってしまったのでしょうか。 曹洞宗はあの世を認めないような文章も読みましたが、本当に考えるだけ無駄なのでしょうか。 精神的ショックで薬を手離せない私は立ち直れない日々です。 藁にもすがる思いで書かせて頂きました。
いつもありがとうございます。 私は45歳になる女性です。 最近、ワクワクする事もなく欲もなくなり何だかつまらない毎日です。 昔は、どこどこに旅行に行きたい!温泉に行きたい!これをしたい、あれをしたい!と色々と行きたい所や、やりたい事がありました。また、洋服が大好きでウィンドウショッピングも大好きで買い物が大好きでしたが洋服を見てもワクワクしません。 趣味や夢中になれるモノがある人が羨ましいです。 夢中になれるモノを探そうと色々とアンテナを張り巡らせますが、これも慣れたらつまらなくなるのかなと思うとやる気が起きません。こんな感じでつまらない人生のまま歳を取るのかなと思うとゾッとします。 既婚ですが、子供はいないので、子供のために頑張ることもありません…
長文失礼いたします。 祖母が8月に亡くなりました。92歳でした。2月に突然脳梗塞を起こして、肺炎を起こして1ヶ月くらい意識不明でした。そこから意識が戻って療養型病院に移って、脳梗塞は順調に回復して退院寸前でした。祖母も自宅に帰るのを楽しみにしていました。その直後もともと持っていた間質性肺炎が医者も驚くほど知らぬ間に悪化していることが分かりしてそれから3週間くらいで亡くなりました。発病してから本当に毎日休みなく家族3人全員が2時間くらい車で30分くらいの病院に顔を出して看病や介護をしました。私は亡くなる当日朝から亡くなる瞬間まで意識ない祖母の手をずっと握っていました。生きている限り希望を捨てはいけないと思っていました。でも、亡くなりました。でも亡くなった瞬間、全て努力なんか全く無意味で死んだら無なんだと確信しました。何をどう努力しても死んだら無なんだと。 唐突に話は変わりますが、漫画で、「ジョジョの奇妙な冒険」という本があります。その中で西部開拓時代のアメリカの話で、上手く言えませんが、ある国に特殊な技術を持っている、医療行為と死刑執行を代々生業している一族の登場人物が出てきます。ある時その登場人物の診療所に、夫のDVで失明した女性が仕事中の怪我で運び込まれます。登場人物は自分の持つ特殊技術で女性の失明を治せると確信したので、治そうと試みますが、ほんの少しの偶然の出来事で彼女の失明を治せず彼女は永遠に光を失います。治せるはずの彼女を治せなかったことにショックを受ける息子に、登場人物の父は、「彼女の失明を特殊技術で治せると父である自分は分かっていた。でも意図的に治さなかった。彼女は盲目が故に生かされている。もし失明を治せば、DVを行った権力者の夫達は、目が見えるようになった彼女の命すらも奪う可能性があるからだ」と言いました。 結局何を言いたいか上手く言えなくて申し訳ありません。ただ、祖母の死の無の感触を思い出すと、なぜかこの漫画のことを思い出します。 どう繋がっているか考えても分かりません。結局言いたいのは、題名の通り、いくら願っても努力しても叶わないことは一体どういう意味を持つかということです。本当はもっと突き詰めて自分なりの意見をじっくり温めてみたいと思っていますが、どんなことでもいいので、何かお言葉を頂けたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。
私は、現在22歳の就活生です。世間の大きな流れに流され何となく就活をしていてふと気づいてしまったのですが、私には生きる動機がありません。 私には将来やりたい事や夢がありません。趣味はありますが、死の魅力には到底及ばず生きる動機にはなり得ません。世間的には家庭を持つことで生きる動機になるのかも知れませんが私は女性不信で結婚したいとも結婚出来るとも思いません。仮に結婚したとしても子どもを授かった時に父がそうであった様に不倫や子どもに暴力を振るってしまうと思います。心の中では駄目だと分かっていても父と同じ事をしてしまう確信があります。 人間としても生物としも生きる価値のない人間は生きる意味ってありますか?正直死んだ後の遺品整理などを事前に自分で済ませておけば死んでもいいと思っています。自分が死んだ後残った人がどう思うかはどうでもいいです。生きるの面倒だしさっさと死んじゃいたいなって人はどうしたらいいですか?
精神疾患を抱えています。 父がステージ4の癌で、あと2,3ヶ月との余命宣告を受けました。 母が亡くなってから10年、2人で乗り越えて来ました。 父がなくなっら独りぼっちです。 辛い精神疾患を抱えながら独りで生きて行くのは拷問に感じ、死にたいです。 hasunohaの動画を見て、精神疾患の自殺は病死ともとれるような事を仰っており、確かに脳の病気だから。 今まで希死念慮とずっと闘ってきて、疲れました。
最近、自身の死について考え込んでしまうようになり、心が落ち着かない日々が続いています。コロナ等の影響もあって「死」という物をよく見るようになり、突然、究極を気にするようになって日常生活に支障が出るほど恐怖を感じています。 また、そんな漠然とした事をなかなか相談出来る所もなく、それが更に悪影響になっています。 何か考え込んでしまう自分と上手に付き合う事は出来ないでしょうか? 稚拙な文ですみません。
死ぬのは怖いです。 死は未知です、五億年という時を経っても意識は永久に無くまるで気絶した時のようです。 私はとても自殺願望が高いですが、私でもわかるようにこの世にいる人は誰も本来的には死にたくないと。 死はとても美しいものです、全てが虚無になります。 どんなにクローンが生まれたとしても、それは自分の意識でもなくクオリアもありません。 しかし同じように生きてるのも怖いです。 人生一回しかないという重い重い現実があります、そこにはどんな物理法則も変えられないという絶対的なルールがあるので一度でも足を切断やらしたら永久に手が生えてくる事もありません、誰かが死んだら永久に会えません、一度顔面に塩酸をかけられたら二度と顔は再生しません、一度ホームレスになると一生勝ち組になれません、一度HIVになると一生治りません。 悲惨な人生だったら一生悲惨なままです。離婚したら離婚したままで今後誰からも愛されることはありません。 そういうのが怖い。 人生は可塑性がありすぎて一度何かをやったらそこから変わる事がないです。 死と生は表裏一体です。 死があるから生が尊いものになります。一度しかないから一生とかいう言葉を使い自分の人生を有り難がります、死があるから身近な人が死ぬのを悲しみます。 私は、この物理法則が次々変わるのがこわいです。 現実が移り変わるのが怖い。 いまこの瞬間があるのが怖いです。 いつも恐怖や不安を抱えています。 私達は現実に金融資本で搾取されてます、労働で自分の貴重な人生の時間が搾取されています、二度と返ってこないです。 何処かで働いたら金になるだけでその時間は二度と返ってこない、私の親は底辺職に就いてたので何十年と人生を安く買い叩かれて人生という貴重な時間を費やしていました。 私は20代ですが私の貴重な時間を使用して作られた富を老人に吸われています。 また同じように過去の偉人や天才やらが貴重な人生を使用して発見、発明した数式や発明品やらなんやらを何の苦労もなく得ています。 そういうのが怖い。 いつか重い病気になったり、事故ったりして苦しみのが怖い。 来月の今頃は何か嫌な悩みが増えてると予想できるのが怖い 明日は口内炎で口が痛いかもしれない。 明後日は親友と仲違いするかもしれない。 生きるのが怖い。死ぬのが怖い。 恐怖から逃げたいです。