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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 幸せ」
検索結果: 1908件

愛犬の死

9月6日朝、もうすぐ15歳になる愛犬が息を引き取りました。 3ヶ月前に突然後ろ足が動かなくなり、ほぼ寝たきりでした。病院に何度も通い、重度の貧血や肝臓に腫瘍があるとも診断されました。 でも私達の前では、元気な頃と変わらず、食欲もあり面白い事をして笑わせてくれていたので、そこまで体調が悪いと思っていませんでした。 心構えができないまま旅立ってしまった為、もっと一緒の時間を過ごしてあげればよかったと後悔してばかりです。 自分はいいお姉ちゃんでいれたか、なぜ体の痛みをわかってあげられなかったのかと考えては涙が止まらなくなります。 自分が辛い時は、何かを感じとったかのように黙って側にくっついてきてくれたり、ドックフードをくれたりしてくれたのに、自分は何もしてあげられなかったのが悔しいです。 こんなに早く別れがくるとは知らず、休日も趣味を優先して出かけてばかりいた自分が情けないです。 仕事中も、あの時こうしていれば…、家に帰っても待っていないんだと考えてしまい、急に涙が込み上げてきます。 前向きになるようにはどうしたらいいのでしょうか? こんな状況になって、自分が愛犬にどれだけ支えられてたかと感謝すると同時に、これから辛い事があったら支えてくれる人がいるのかと不安になってしまいます。

有り難し有り難し 5
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母の死

先日、母が旅たちました。 10年ほど前、検診で初期のガンがみつかったのですが、当初、家族に隠し、積極的な治療も避けていたようです。 一番身近にいたのが娘の私でしたので、母の身体のちょっとした変化に、どこか悪いのでは、病院へ行こう、と話したことも一度ではありません。その都度母は、私の心配を一笑にふし、何もなかったように毎日は続きました。 6年ほど前、いよいよ体調を崩し、やっと病院へ行ってくれた母の診断はステージ4、病院の先生方、母自身も最善を尽くしての6年だったと思います。 母が逝って2週間、母のいない人生に意味が感じられず、想像を超えた喪失感に打ちのめされる毎日です。そばにいた私が10年前の初期の段階で病院へ連れて行けなかったことへの自責の念や、親友のような母に、ガンであることをたった一人で抱えさせていたことへの不甲斐なさに潰されそうです。 過去は取り戻せない、そう思おうとしても、後悔ばかりがわいてきて、涙がとまりません。いつも精一杯私を愛し応援してくれていた母の一大事に何もできなかった、助けることができなかった、そのことはもう取り返しがつかない。10年前の自分を殴り飛ばしたいとさえ思います。 亡くなる前、とびきりの笑顔で「ありがとう」といった母の顔と声を思い出すと、もう若くもないのに泣き叫びたくもなります。この思いをどう乗り越えたらいいのか、もしおこたえがいただけましたら幸いです。

有り難し有り難し 27
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2024/04/27

愛犬の死

1か月前、愛犬が16歳で亡くなりました。 1年前に血液検査で慢性腎臓病と診断が出ました。 亡くなる半年前に血液検査の数値があまり良くなく諸事情もあり県外の病院に転院しました。そこから毎週、投薬、点滴、注射等の治療で通院しました。 犬の慢性腎臓病は人間と違い透析治療ができる病院がなく(できる病院もあるらしい?)食事療法や皮下点滴など進行を遅らせる事しかできないので通院しながら様子見でした。今年の3月初めまでは食欲もあり元気に過ごしていました。 3月中旬、前日までは元気だったのに体調が良くなく病院へ行き検査をしたら急性膵炎を併発していると言われ、急遽、入院になりました。入院中はお見舞いに毎日通い4日目に先生が、もう1日入院させましょう。と言いそれに従いました。 まさか退院後、その日に亡くなるとは思っても見ませんでした。 血液検査は毎回していたので何故、膵炎は見つけられなかったのか?あの時、退院させていれば亡くなる事は無かったのか?と考えたり先生や治療方法に不信感が募ったり、私のせいで愛犬は亡くなってしまったのか?など考えると、いたたまれない気持ちになり苦しい気持ちになりました。 16年と言う年月はとても長く、ついこの間まで家にいた子がいない、気配も感じないと思うと喪失感でいっぱいです。骨壷や遺影を見ると涙が出ます。 家族は愛犬が夢によく出てくると言いますが未だに私の夢の中には1度も出てきてくれません。夢に出てきたら私がまた泣くと思うから出てこない。と家族は言います。 正直、自分自身、愛犬に尽くしやり切った感は凄くあります。でも何処か罪悪感もあります。 あの世でも、病気も治り元気に楽しく過ごしているのか?いつか生まれ変わったら、どんな形であれウチに戻ってきてくれるのか?ウチの家族になって幸せだったのか?など考える毎日です。

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父の死

先月父を亡くしました。 本当に仲の良い家族で、いつも一緒にいました。家族思いの父が本当に大好きです。父はいつも周りから羨ましがられているくらいでした。 その日も普段通り仕事から帰ってきて、たくさん話をしました。いつも通りの夜でした。頭が痛いと言って普段から頭痛持ちなので、暑さもあり、水分を取るようにお茶を渡したり薬を渡したりしました。本人もマシになったようで、ご飯を食べたりしていました。 夜中に変ないびきをしていて、見に行くと意識がなく、すぐに救急車を手配しました。 病院までなんとか頑張ってくれましたが、亡くなりました。 なんの覚悟もありませんでした。 私含め、家族みんな信じきれない様子です。いつも帰って来る時間に帰ってこない、座っている場所にいないのが辛すぎます。 私が夢を叶え、もうすぐ働く姿も見せられなかったし、定年後、行きたがってた海外旅行にもいけませんでした。後数年で定年だったのにと思うと私達のために精一杯働いてくれた父が無念でありません。亡くなったことも本人は気づいているのか、、などずっと考えてしまいます。 私たちが精一杯生きて、いつか大好きな父と再会できますか? 父は亡くなった愛犬とも再会できていますか?

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兄の死

昨年、兄が突然他界しました。以前から糖尿病や心臓などの問題があると聞いていましたので、それが原因だったようです。私は現在アメリカに住んでいます。父は3年前に他界しました。父はアルコール中毒でしたが、私が中学高校大学中、お酒は完全に絶っていましたが、定年退職後、飲みはじめ、長い間病院で生活していました。何かあると、母が兄に連絡し、兄が助けていました。両親、兄、私の関係は、いい状態とはいえませんでした。会話のあまりない家族でした。しかし、兄は私のことを心配し、何かあると助けてくれていました。兄は結婚し子供がいましたが、子供が小さいとき離婚し、それ以来子供に会っていませんでした。元の奥さんは、変な宗教にはまり、離婚後も、私の家族といって、実家に立ち寄っていました。そのたびに、母の血圧が上がり、こまっていました。私が、兄と、その元奥さんの間に入って、必要な連絡(ほとんどが理解できないこと)を兄に伝えていました。でも、兄が死んだとき、母と私は、兄が、中学の時の同級生だった女の方と10年以上も暮らしていたことを知りました。私は、前から感づいていたのですが、それを知って、ほんとうに兄が一人でなくてよかったとうれしく思いました。今年に一度帰省するようにしていますが、そのたびに、少しの時間ですが、兄は私と旦那(アメリカ人)と一緒に食事してくれました。おととしの12月の帰省のときに兄にあって、その後新年の2月に突然兄は他界しました。私は電話中で、その電話を切った直後に母から電話があり、兄が死んだ、と告げられました。何も考えずに飛行機のチケットをとり、日本にかえりました。涙は、まだ全くでません。お葬式には間に合いませんでした。それ以来、母のことが心配で、不安でしかたありません。母は3年前に脳梗塞で倒れましたが、奇跡的になんの後遺症もなく助かりました。毎日今、スカイプで2回連絡していますが、母が何かの用でスカイプに出れないとき、心臓がどきどきしてパニック状態になります。今朝、兄の元の奥さんから思いもかけずメールが届きました。その奥さんからのメールで、また心がパニック状態になったりします。いつも、毎朝兄と父に手を合わせて、母のことを守ってくれるよう祈っていますが、とても不安で不安でしかたありません。これも人生、流れにまかせるしかない、とわかっていますが、むつかしいです。つらいです。

有り難し有り難し 6
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「死」を考えると気持ちが落ち着きます。

母の自殺から数ヶ月が経ちました。 四十九日を終え緊張の糸が切れたのか、うつ病が悪化してしまいました。 自責・不安・焦り・虚しさに毎日襲われます。気晴らしに…と好きなことをしても、楽しくありません。 また、母の自殺をフラッシュバックしてしまうため、"母が自殺した日"を何度も何度も追体験してしまいます。つらいです。 服薬治療も含め、できることは全てやっています。 でも、3年経った今も改善しません。それどころか悪化したので、「元気になりたい」という気持ちが湧いてこなくなりました。 以前は「元気になる」という目標がありましたが、今はそんなことを思えるほどの気力がありません。ただただ、生きるのに疲れました。自殺未遂をするほどには。 ただ、窓の外をぼんやり眺めながら遺書の内容や死ぬことを考えていると、心が落ち着くのです。 虚しさや不安を忘れ、「死んだら母のところに行けるかもしれない」と希望も湧いてきます。 以前こちらで相談したとき、【先に往かれた親しい方々やご先祖様がお母様をあたたかく優しくお迎えなさって下さいます。】と回答をいただいきました。 ふとそれを思い出し、「わたしが死んだら母が迎えてくれる、死んだら母に会えるんだ」と嬉しくなりました。 嬉しいなんて気持ち、久々に湧きました。だから、ホッとしたのかもしれません。 「死」を考えることで心が穏やかになるなんて、おかしいでしょうか。 また、心身共に疲れ果て気力がなくても、自分に鞭打って生きなければいけないのでしょうか。 わかりません。教えてください。

有り難し有り難し 42
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父の死が受け入れられません。

先日父が急死しました。 犬の散歩に行くと家を出て敷地から出るか出ないかのところで倒れてそのまま亡くなりました。 一言も話すこともなくいってしまいました。 母と祖母と4人で生活していたのに、いつも一緒に寝るまで同じ部屋でみんなで過ごしていたのに、そこに父はおらず仕事から帰ってくる時間に帰ってこないこの生活がまだ信じられません。 真面目な話など今まで大してしなかったので父に私をどう思っていたのか、いい娘でいられたか、 父の娘で幸せだったなど伝えたい言葉、聞きたい言葉は来年結婚式の前日にゆっくり話をするつもりでした。 後悔ばかりでいかに自分が父に甘えていたか、いかにダメな娘だったか、、、考えると後悔ばかりです。 父の死は頭では分かっているのですがどこかでまだ受け入れられず、、、 でも亡くなるまでの父の姿を思い出してはやっぱり亡くなってるんだと実感しなんともゆえない感情でその場から逃げ出したくなり辛くて父に手を合わせることさえ辛いです。 父の人生は幸せだったのか、近くにいるなら教えて欲しいのに私に父を感じる事ができず傍にいてくれてるのかさえ分からないダメな娘をどう思っているのか。 こんなこと思いながらも声も仕草も思い出せなくなるのかなと思うとそれもまた悲しくてどうすればいいのかわかりません。 父に会いたくて会いたくて毎日が辛いです。 こんなでは父がいいところに行けないのではと思いつつもどうしても色々思ってしまいます。私の気持ちは父にはいい事ではないのでしょうか。 私たち家族を父は見てくれいるのでしょうか。 急すぎて自分の死が分かってるのかも心配です。 いつか私が父の元に行ったらまた父に会えるのでしょうか。 もし来世があるならまた父と母の娘にもしくは父と母を守る立場でまた一緒にいたいです。

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主人の死と向き合えていなかったこと

こんばんは。 歩き出しては立ち止まり、迷ってはお坊様方にいただいた回答をもう一度読み返し、気持ちを切り替えてきました。そして、ようやくひとつ先へ進めたかのように思えていた矢先に、ある音楽を耳にしました。それは、2人で良く聴いていた曲でした。 私はとても嫌でした。聴いていられませんでした。なぜだかそのときはわからなかったのですが、あとからじわじわと気づきました。 私は主人の死に全く向き合えていませんでした。 亡くなったらどうなるのか、それがわかれば生きていける、そればかり気にしていて、根本的なことを受け入れていなかったのです。 主人の為にお葬式や新盆はしっかりやってあげたかったし、会社の方が来られてもしっかりした様子を見せたくて気を張っていたし、子供たちにはあまり悲しい顔を見せないように、もちろん子供たちが辛いときは一緒に悲しみに寄り添い、いままでと変わらない元気で明るい家族でいたくて頑張ってきました。主人の為、子供たちの為に進んでいくしか、生き方がわかりませんでした。 周りの人に「ちゃんと前に進めてるよ」って言ってもらいたかったのかもしれません。 そのために死を受け入れる時間は後回しに、どう向き合っていくことが幸せなのかを優先に考えてしまったのだと思います。 主人の死を受け入れるためには、どうすべきなのでしょうか。向き合う必要性があるのかすら私にはわからないのです。

有り難し有り難し 30
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愛犬の死

初めて質問します。長文失礼致します。 先日18歳だった実家の愛犬を亡くしました。生まれて間もない愛犬を私が4歳の時にもらって共に生活をしていました。愛犬がよくいた場所を見たり、思い出しただけで涙が溢れます。 両親は仕事で最期は誰も看取ることなく、まだ温かかった愛犬を仕事から帰ってきた母が見つけました。 私は大学のある県外に2日前に帰ったばかりで、「2日間まだ実家に居ていれば手を握って抱きしめながら最期を看取れたのではないか」と悔やむばかりです。 とんぼ返りで帰省し、不思議なことにちょうど親戚が多く集まっていたため皆で葬儀をあげて供養しました。 生まれた時から吠えることも少なく穏やかな性格でしたが、18歳ということで目はほぼ見えず歩くこともできず痴呆もありました。また、辛そうに泣くこともあり、すぐに気づいてあげられない時もありました。本当に頑張ってくれました。 5年前からはほぼリビングにいましたが、私が中・高校生で習い事や部活で忙しく、両親も仕事が多忙だった時は小屋で窮屈な思いをさせました。 幼くやんちゃだった私の後ろを着いてきてくれた姿や県外での一人暮らしや友達関係が上手くいかず帰省し疲れ果てて寝ていた私にいつの間にか寄り添ってくれていた姿、反抗期で両親と喧嘩ばかりだったのですが愛犬が居てくれたことでコミュニケーションを取ることができ、本当にたくさん助けられました。 また、私は一人っ子でそれで嫌な言葉を言う人達がいましたが、愛犬が居たことで弟ができたように家族で可愛がり、私も救われました。優しく可愛く親戚など皆から愛されていました。私もそんな愛犬が大好きでした。 何もかも思い出し悲しくなります。 無口でぶっきらぼうで当初犬嫌いだった父も涙して撫でていました。 「もっと〜してあげれば良かった」と色んなことを考えて悔やみますし、こんなに私がくよくよしていては犬も旅立てないとは分かっているのですが「もう会えない」「撫でてあげれない」ということを考えるだけで悲しく辛くなります。全く無くならないこの気持ちをどう収めたら良いのでしょうか。 アドバイスやお言葉をいただければと思います。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 7
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母の死

何度もアドバイスお願いします。 今週始めに、実の母が亡くなりました。 80歳でした。 ここ、何年か前から認知症になっていて、でも 私が面会に行くと「〇〇来てくれたんか?」 って、分かってました。 施設に入ってたんで、 多分亡くなっても大して寂しくもない!!って 思ってました。 でも、やっぱり毎日が寂しくて、寂しくて、 でも、最期の顔が綺麗な本当に寝ている様な顔でした。 でも、母は私の息子の夢に出て来たり、息子の体を触ったりするのに、 私の前には、現れてくれません。 毎日、蝋燭とお線香炊いて母に話かけてるけど 母に逢いたくて、母の気配を感じたいのに 49日過ぎたらもぅ、逢えなくなるかもって思ったら、更に寂しく辛さが大きくなります。 ただ、母に逢ったら 「こんな、突然のお別れは嫌や、もっともっと 一緒にいたかったのに」って言いたい。 49日は、色々な人の所に行くって聞いたこと あるんですが、やっぱり 寂しいって言ってると来てくれないんですか? 今は、毎日自分の家の仏壇に手を合わせ 母が好きやった物をお供えして、 「もっと、ああして挙げたら良かった。こうすれば良かった。ごめんね」って話かけてます。 母の為に私はこれからどうして行ったら良いか どうか、アドバイス宜しくお願いします。

有り難し有り難し 6
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父の死

実家で火災があり家が全焼、昼寝をしていた父が亡くなりました。 祖母と後妻さんと暮らしていた父。後妻さんの手前、会うのは年に数回でしたが、今年息子が誕生してからは毎月会っていました。 気性の荒い父でしたが初孫の誕生を心から喜び可愛がってくれました。ただ私がコロナを非常に警戒していた事もあり、抱く時はマスク二枚重ね必須。差し入れを持って家まで来てもらったにも関わらず抱かずに帰ってもらう事もありました。息子にキスしようとした父に『やめて!』と怒った事もあります。 まさか父がこんなに早く、しかも突然亡くなるなんて。息子が生後半年を迎える5日前に亡くなってしまいました。『今忙しいから』と言って数十秒で電話を切ったのが最後の会話です。 母との離婚を通して精神を病み、いつも声を荒げていた父ですが、孫の前では常に目尻が下がっていました。ここ数十年見たことのない笑顔は昔の優しかった頃の父でした。なので今思い出すのは笑顔の父ばかりです。 息子の成長をもっと父に見せたかった。私も親になりようやく父の苦労が分かり始めてた矢先にこのような事が起こり涙が止まりません。父と息子の写真は3枚のみ。しかも全てマスク着用。家が全焼してしまったので遺影がこのマスク姿のものしかありません。 なんであの時マスクを外して撮影しなかったんだろう。なんであの時息子を抱かせてあげなかったんだろう。ぷにぷにの赤ちゃんの頰にキスするくらいいいじゃないか。後悔ばかりです。 父に会いたい。不器用だけど、たくさん私を愛してくれた父。母をたくさん傷つけた父が許せず顔を合わせば常にぶつかってばかりだったけど、本音は父の事が大好きでした。 気持ちの整理をするために私は今後どうしたら良いのでしょうか?

有り難し有り難し 25
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ある僧侶の死

前回の質問時に生じた質問です。 もう何年前のことだか正確に覚えていませんが・・・ある日のこと、前途ある若き僧侶が殺害されました。夜間、路上で危険行為をしていた青少年らを注意したところ、逆上した彼らに暴行され、その末に息を引き取ったそうです。 当時、この報道を偶然テレビで観ていた私はとてもショックを受けました。僧侶という特殊な立場の人が犠牲になったことや、私個人のそれまでの想いや経験とも重なったのでしょう。暫く、忘れられませんでした。けれども、年を経るごとに少しずつ忘れ、思い出すこともなくなりました。しかし、数年前にお坊さんが書いたあるエッセイを読んだ時、一気に思い出したのです。 そこには偶然にも、あの事件のことが書かれていました。もちろん、実名などの記載はありませんでしたが、私はフラッシュバックのように、当時、テレビに映し出されていた事件現場を思い出しました。どこにでもありそうな人気もまばらな夜間の風景、暗い夜道と街頭、街頭に照らされた白いガードレール、記事を読む女性アナウンサーの声。 筆者と被害者の男性は、修行道場で先輩・後輩の関係で、男性は修行を終えて実家のお寺に帰った後に急死。彼の父親であり、師匠でもある住職は、葬儀の挨拶の中で、こう述べたそうです。 「それでも、許さないといけないのでしょうかね・・・」 仏教の教えでも、何であっても、人は皆平等で、言動には大なり小なり理由があります。加害者となった青少年らにも、殺意があったかどうかはともかく、腹立ち紛れに暴力をふるった原因や理由がそれぞれあるでしょう。しかし、だからと言って許せるかどうかは、また別の話。けれど、許すか諦めるかしなければ、生きている限り、苦しみ続けなければならない。また、こういったことが二度と起こらないように、暴力事件の被害者の方々が活動しておられますが、その活動は別として、果たして、彼らに救いはあったのでしょうか。 「許す」って何なんでしょう。諦めたら救われるのか・・・ただ、どうしようもない「ままならぬのが人の世だ」と分かっただけではないのか・・・「救い」って一体、何なのでしょうか。

有り難し有り難し 71
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