こんにちは。 私はうつ病とPTSDと診断されていて通院しています。 阪神淡路大震災で祖母の家が倒壊したり知人がたくさん亡くなった事が原因のようです。 しばらくは大丈夫だったのですが東日本大震災があって当時の事が色々フラッシュバックしてきて死への恐怖心が強くなりました。 両親も祖母も段々と年をとってきて毎日毎日不安で仕方がありません。両親や祖母が亡くなったらどうしよう。生きていける自信が持てない。って事ばかり考えてしまいます。知人に相談したらいつかはそういう時がくるんだから割り切って考えた方がいいと言われたんですが割り切る事ができません。怖くて怖くて仕方がありません。死に対して向き合う事ができません。どのように考えればいいのでしょうか?この不安は取り除けるのでしょうか?
「年老いた親の姿は、自分の将来の姿」 某年某月某日、読売新聞の「人生案内」欄で、ある回答者が、こう書いていました。 そうであるならば、もはや私に生きる価値はありません。両親の最期も看取り、さらにその思いは強まりました。 先日、スウェーデンの元パラリンピック選手が、安楽死を選択したというニュースが、流れました。私は、考えさせられました。 11月8日の亡き父、同9日の亡き母の誕生日を前に、墓参りに行きました。お墓に問いかけましたが、答えが得られるわけがないですよね。 「定命」という言葉があります。老醜を晒すのが確実で、生きる価値がないとわかっていても、自ら死期を早めることなく、定命に従うのが筋なのでしょうか?
誰にも言えない悩みを聞いてください。 家族との絶縁関係が6年続いています。 私は18年前から独立しています。実家には両親と姉がいます。 絶縁のきっかけは母との電話での喧嘩でした。 些細なことから、私が幼少期から我慢して溜め込んでいた母への不満をぶつけたことがきっかけで、互いに連絡を取らなくなりました。 母は思ったことをそのまま口にしてしまう人のようで、相手の気持ちなど後先考えず発してしまいます。私は幼い頃からずっと傷つき続けてきました。 言ったところで母が変わる訳でもないけれど、このまま母と関わり続けると私自身が壊れそうで言わずにはいられず、ずっと考えて沢山悩んで絶縁を覚悟した上で母にぶつけました。 子供の頃からのことを振り返ると、わかりやすい虐待はありませんでしたが、いわゆる『毒親』の項目に多々当てはまります。 家族に対してだけでなく、母の古くからの友人にも何かしたようで、突然その友人から絶縁されたと言っていましたが本人は無自覚な様子です。 正直なところ、母にはもう接触したくはありません。迂闊に近づけば心がボロボロになります。 しかし、両親も歳を取り、そろそろ介護が必要ではないのか、姉一人に押し付けて良いものかと心配にはなります。 一方で、この7年間姉からも父からも何も言って来ないのは、完全に家族は私を見放したのだとも思い、このまま両親の死を迎えることになるのだと覚悟している部分もあります。 母は3人兄弟の真ん中で、自分の兄・弟とも絶縁しています。そういう家系・因縁なのかもしれないと思いますが、まさか自分も同じ様になるとは思ってもいませんでした。 母をずっと煩わしく思いながら育ったのは事実ですが、本当にこれで良かったのか、今後もこのままで良いのかと思っているのも事実です。 この先どうしたら良いのでしょうか。
私は常にどうやったら楽に死ねるかなと考えています。 今は大学生になったばかりで、実家暮らしです。 希死念慮を持ち始めたのは、高校受験のときでした。原因は元父親の不倫です。(元、と書くのは父親だと認めたくないからです)元父親は一年ほど地方に単身赴任していたのですが、その時に高校生時代の同級生と会い何度もそういうことをしていたらしいです。それが分かったのは高校受験直前で、その時初めて「病んだ」んだと思います。母親は家庭が壊れても私が「普通」であることを望み、不登校にこそなりませんでしたが、リスカやアムカ、ODや飲酒を家族に隠れてするようになり、周りはいい方向に進もうとしている中、私は自分を痛めつけることを覚えました。穢らわしい存在となった元父親の血を継いでいるという自分の力ではどうしようもない問題を抱えてこの先何十年も生きなければならないのかと絶望して、遺書を書いて自殺しようとしたことが何回もあります。でも、家族は知りません。親がしたことは子どもに責任はない、気にしなくて良いと何度か言われましたが、頭では分かっています。でもそう思おうとしてもふと「お前は汚い、死ねば良い」と囁く声が聞こえるような気がしてまた「病み状態」に入ってしまいます。これを何十回、何百回も繰り返していて結局大学生になった今でも治ることはありませんでした。心療内科にも通っていましたが、「あなたのは性格や気質の問題」と言われ、効いている実感もない薬を処方され、年齢的にも保険が効かなくなる時期が来たので通うのをやめてしまいました。病院やカウンセリングをするのは「改善したい」と思うから行くのであって、私のようなやる気のない人間は行っても仕方がないと最近気づきました。人生を生きていく理由も希望も見いだせず、大学生になってある程度自由が許されても、何をする気も起きないし、実家から離れたいのにバイトをしてお金を稼ぐ気も起きません。人と対面で話そうとすると声のトーンやちょっとした仕草が気になってその場から逃げ出したくなるんです。だから面接はすごく怖くて嫌いです。色んなことがありすぎて、最近はなんで悩んでいるのかも思い出せなくなったしただただ死にたいです。でも自殺する勇気はありません。ほんとにわがままでどうしようもない人間ですいません。
昔から自分の面倒が見れなくなったら死のうと決めて生きてきました。 子供が大学を出て自分が人生でやるべきと思っていた事も一通りやり終えた頃、うつ病で仕事ができなくなり、頃合いだと思い死ぬ準備をしていた時、離れて暮らしている姉妹が自死してしまいました。 彼女も多分私と同じ考えで絶望や無念からの自死ではなく生ききったと感じ、人生を終えたのだろうと思うのですが、残された私はどうしようもなく悲しくて辛くて、思い出しては涙が溢れてきます。 理由はどうあれ自死が家族に与える悲しみを知ってしまった私は親や子供に同じ悲しみをさせられないと感じ自死を選べなくなってしまいました。 ですが、自分自身生きたいという欲望が全くなく、親や子供を悲しませたくないという理由だけで生き続けてきて4年精神的にも経済的にももたなくなってきました。 もう無理、助けてと言えば家族は手を差し伸べてくれるのだろうと思います。でも人に迷惑をかけてまで生き延びたくはなく、どうしたら死ねるのかばかり考えている毎日にも疲れ果てました。 姉妹の自死は家族にこんなにも悲しみを与える事を教えてくれたのかも知れません、 生かされている事にはなにかしらの理由があるのかもしれません。 でももういいよ、がんばったね、終わっていいよと言ってほしい。 とりとめのない文章になりすみません。 自分勝手なのだと思います。 家族に悲しみや後悔を感じさせなく、人生を終わらせる事はできないのでしょうか。
私は今就活中の大学四年生です。 就活な難航し8月時点で内定ゼロですが、諦めてはいません。 そんな中でメンタルが壊れました。 物事全てがどうでも良く、何もしたくなく、人生壊れてもいい、3年後に死ねば良いじゃん?と思いました。 そんな破壊衝動と僅かな希死念慮が母に伝わり、母が心配してくるのですが、そのたび私が怒り浸透し、終いにものに当たるようになりました。ガラスのコップやメガネが割れて壊れるたび安心しました。私の代わりに壊れてくれたようで、スッとしました。 しかしその度母はキレます。感情をぶつけてきます。 私は本来大学の成績も良くグループワークもできて友達も多く、母も言いますが、人としてそんなに欠損があったとは思えません。 だからこそ最近の急変に母も自分も訳が分からずびっくりしています。 母は私が甘えている、とても子供だから現状から逃げようとしている、感情爆発させるのは恥ずかしい、人に迷惑をかけるな、「とても悲しいけど、縁を切りたい、、って思っちゃうよ?」などと言われます。 父と話すと、父は普段そんなに話さないので、建設的なお叱りと意見をくれてかつ「待つ」と言ってくれて、脳が完全に麻痺した私を現実に引き戻してくれたのですが、 その後も母は私の考えの浅さ、だらしなさ、子供さについて説いてきました。 私も、母に事実を冷静に伝えるのではなく、事実と不甲斐なさを隠した上での二次感情「怒り」を母にぶつけてしまっていて、 なんで素直に言えないのか考えると、 母はいつも感情を強くぶつけてきて、私の就活の状況で私以上に一喜一憂したりしてて、私の失敗を自分ごとのように考えてました。(本人は否定しそう) 最初は、私の就活状況を楽しそうに日記につけてました。プレッシャーがすごかったのでやめてもらいましたが。 私は私の失敗で母をがっかりさせるのが怖かったし、だからこそ「待って」欲しかった。 母とそんなに話さないようにしてもしっぱいばかり。 こんなにコミュニケーションが取れないのはなんでなのか、 「過干渉」なのでは?と思いました。 私も尊大すぎるのは絶対ダメ、とは思いつつも、 母の精神攻撃がとても辛く、このままではまた病んで就活が止まってしまいそうです。 私は自分のことを適切に反省したいですが、母からのダメージが邪魔して冷静に考えられずそれもまた悔しいです。 第三者から見たご意見が欲しいです。
母が肺癌で闘病中です。ステージ4でリンパ節にも転移しています。 3月中頃から癌がおとなしく、抗がん剤をお休みしていましたが、また癌が活動を初めて腕が浮腫み、腰痛も酷いです。今週の金曜日に受診予定です。 抗がん剤お休みしてたので少し不安でした。 いつ暴れるか判らない、治らない、いつ何があってもおかしくないと思いながら毎日を過ごしてますが、いざ癌が暴れだすと不安で気持ちが落ち着かなくなり何も手につかなくなります。 私が想像も出来ない程…母はもっと不安で死への恐怖も感じてるかもしれないのに…私が支えなければならないのに… 私も2ヶ月も抗がん剤休んだら、また暴れだすと思って理解していたはずなのに気持ちのコントロールが出来ないんです。 母の前ではかろうじて、いつもと変わらないようにしています。 けど、一人になると駄目です。 母が癌と診断された時、手術も出来ない状態でした。治らない事も何年生きられかも判らないけど、何があっても笑顔で支えようと思い、2年の月日が経ってるのに、今は何だか嫌な予感がしてたまらないです。 以前は前向きに考えて行動出来たのに… 命あるものはいつか死を迎える。それが早いか遅いかの違いだけ、親も歳をとりいつか死を迎える。理解しているようで私は理解出来てないのでしょうか… 気持ちを前向きにしたいです。けど、どうしたらいいのか判らなくなってます。 乱文ですみません。よろしくお願い致します。
自分は長い間1人っ子の1人親で2人暮らしをしていました。 そしてその親の葬儀での事です。 葬儀の日が近くなった時、元々来る予定でなかった、遠縁の家族が参列するとの連絡が入りました。 そして当日になって、その家族が時間に遅れるという連絡が入りました。それ自体は仕方のない事だったので、お坊さんに伝えたところ時間を調整してくださる事になりました。 そしてその家族が到着し、葬儀が始まりました。するとその家族の子供が騒ぎながらあちこちを歩き回り始めました。 子供が来る事は分かっていたし、そちらの親族は大人がかなり多いので自分はそこで面倒をみてくれると勝手に考えていました。実際は子供が騒ぐままにさせて歩き回らせていました。 自分はただでさえ悲しみでいっぱいなのを堪えてきていて、しかも喪主でしたから、ただ子供が大人しくしてくれる事と誰かが面倒をみてくれる事を祈りながら黙って座っていました。子供が仏具にぶつかって倒しかけた時は気が遠くなりました。 自分は人の居ないところで訳も分からず泣く事しかできませんでした。 葬儀がひと段落したところで、そちらの家族に近い親族に、「子供が騒いだけど 〇〇さんの葬儀も語り出してお経止めた人が居たよね」と言われました。ただの世間話だったかもですが、その時の自分はまるで「よくある事だから許してね」と言われたように感じました。自分が悲しんだところでもう味方は居ないような気になりました。 「子供のした事だから」「今後も親戚付き合いがあるから」と感情を抑えながらなんとかその家族達を笑顔で送り出そうとしました。コロナでマスクをしていて本当に良かったと思いました。 この事について謝罪を送ってきたのはその子供の祖母に当たる人だけです。 後で聞いたところ、この家族は遊びに行った帰りに葬儀に参列した過程で遅れて来たそうです。それを聞いたせいでしょうか、親の葬儀をアトラクションの延長にされたような気持ちになりました。 自分はどうするのが正解だったのか分かりません。自分が上手くやっていたらこんな事にはならなかったと自分を責めたくなります。 そしてその家族と、その周囲への怒りも湧いてきます。どうしたら良かったのでしょうか。そしてどうやってこの怒りを消化したら良いですか。 知見をお貸しくださると幸いです。
3度目の質問です。 前回の質問を見て頂けると幸いです。 自分のしたことが受け入れられず。なぜあの時あのような決断をしてしまったのかずっと考えてしまいます。あの時は経済的にも他の事でも不安な事ばかり考えてムリだムリだとばかり考えてました。家族の為にお腹の子を犠牲にするつもりは全くなくて産めばなんとかなるさで産んでどうにもならなかったら?露頭に迷わせてしまったら?苦労させてしまうと思ってました。産み育てる勇気がなくて自分に言い聞かせていたのかもしれません。ホントは産みたいキモチもあったのに蓋をしていました。なぜ大切な命だって妊娠した時点で責任は生じているってあの時分からなかったのだろうと思います。ホルモンバランスが崩れていてつわりもあり1人で1週間で決断しろと言われた中ではそのような決断しかできませんでした。すべて言い訳です。自分が弱かったからです。誰でも中絶は駄目なことってわかるのに追い詰められたらどんなひどい事もできてしまうのかって自分はサイコパスなのかひどい人間なのかって思います。バチがあたるとか人一倍思う方なのに性格的にも絶対に耐えられないってなぜあの時わからなかったのでしょうか?結局失わなければ気付けなかったいい年して愚かで浅はかな人間だったんですよね。 今は失って傷ついてその後ずっと考えてきたからもっとああしていればこうしていればもっとポジティブに全力で頑張ればなんとかなったんじゃって分かるけどあの時は追い詰められていてそうするしかないってそうとしか考えられなかったんだと思います。 でも今のわたしはずっと自分を許せなくてずっと自分を責めてしまいます。 この事で私が心を病んで働けなくなったら家族が不幸になったらこの事はなんだったろうと思って今カウンセリングを受けたり安定剤を飲んだりして必死に生きています。 子供達に罪はないけど、私はこんな罪深い事をしておいて自分は生きる為に必死に薬飲んだりしているって何なんだろうって思ったりします。 自分で自分が分かりません。
おはようございます。 唐突な質問で申し訳ありません。 友人についての質問です。 私も友人も精神疾患を持っています。 私も病状がひどい時は自傷行為を繰り返したり、自殺未遂を繰り返したりしたこともあるのですが、幸い周りや主治医に恵まれ今では寿命がくるまで生きたい死ぬときは笑って死ねればいちばんと思えるようになりましたが、友人はまだ気持ちの波が激しく前を向いてがんばろうと思ってくれる時もあれば何かに傷ついたり、落ち込むと死を考えてしまうことがあるようです。私はなんとか彼女にも 生きてほしいと願っています。 色々苦しいことが彼女にはあるのは理解してはいるつもりではあるのですが、環境の違いや、悩み事の違い、病状の違いその他いろいろなこともあり自分なりに生きてほしいことを伝えてはいるのですがやはり彼女には命の重さをうまくは伝えきれていないように思えます。 お節介なのは承知の上ですが、 自分の関わっている人には生きてほしいと願いますし、命の重さもわかってほしいと思います。きれいごとではなく 命の大切さをどう伝えればよいのでしょうか?本来ならご両親がいちばん悲しむと言いたいところではありますが 彼女のご両親は今で言う『毒親』で 彼女をゴミ扱いするような親だと聞いているため両親が悲しむと言っても伝わらないと思っています。両親はともかく 私を含めた友人を悲しませることになることは既に伝えてあるのですが… 命の大切さをどのように伝えていけばいいのでしょうか? 私も彼女もアラフィフですが、まだまだ できることや人生を楽しむことはできると思っているのでそのことも伝えてはいるのですが… 私も体調を崩して会社を退職し今は自宅で療養している身で彼女はほぼ引きこもり状態ということもあるので余計に命というものを大切にしてほしいと願うばかりです。なのでどう伝えればいいのかを 伝えたいと思っています。 ご教授よろしくお願いいたします。
10年ほど前に高校生だった娘を自死で亡くしました。 よく“出会えた事にありがとう” “私の子供でいてくれてありがとう” という言葉を耳にします。 私もそう言いたい! でも娘は生きているのが辛く自ら死を選んだ… 死の数ヶ月前「なぜわたしを産んだの?」「わたしは生まれて来たくなかった」「いつ人生を終わらせるか考えてる」と娘に言われました。 娘が生まれた時の様子、みんなが喜んだ事を伝えましたが…娘の心には響かなかったのですね… “生まれたくなかった”子を勝手に産んだ私が “ありがとう”なんて言うのは 自己満足?自分勝手?娘を苦しめて死なせた私は感謝もできない…。 亡くなった娘とどうやって向き合えばいいのか もうずっとわからない。 もうこの世で充分苦しみ 怖く 痛い思いをして亡くなったのだから 今は暖かく 優しく 明るく 穏やかな場所で娘の魂が癒されている事のみを祈る日々です。 “ありがとう”はやはり言うべきではありませんか? 自死した魂は成仏できないのでしょうか? …もうすぐ命日です。
精神疾患のある友人がいます。 鬱病傾向で、自己肯定感が低く、ことある度に落ち込んで希死念慮が激しくなります。 自分はその友人のことが好きで、話していると楽しいのですが、落ち込む度にどう声をかけていいのかわからず、正直面倒だなと思ってしまいます。 友人は親から虐待を受けていたことがあるなど、私には到底理解してあげられない苦しい過去を持っています。 友人のことを理解してあげたいと思う反面、私のような普通の家庭で平凡に育った人間がどう関わったらいいのか、そして正直面倒くさいと思う自分もいて、悩んでいます。 まとまりませんが、今後こういった友人とどう付き合っていったらいいのかアドバイスいただければと思います。
ここでも何度か相談させて頂いています。 大学生の息子は小1からサッカーを続けて来ました。今年、大学に入学し、試合で6月に骨折、そしてまた11月に骨折しました。 2度の骨折が理由ではないとのことですが、息子がサッカーを辞めようと思うと言ってきました。 理由は目標がないからとのこと。 小学生の頃はプロを、中学の時は高校サッカー選手権、高校になると、その選手権で全国をめざしでやってきて、大学でもサッカーを続けようとサッカー部に入ったけれど思っていた環境と違うと言うのは感じ続けてきて、トップの試合をみても、ここに自分が立ちたいとは思えないと。 大学の選択は親の私達は思うことはありました。 でも息子が大学でもサッカーを続けたい、自分の今の学力とサッカーレベルだとここがいい、4年間辞めずに頑張る、勉強して資格もとる強い気持ちで、大學の偏差値だけが全てじゃないし、サッカー続けることも財産だし、それならいいんじゃないと。 ここでも辞める位なら、浪人してでも上の大学を目指して欲しかった気持ちも過りますが、それは小さなことなのでおいて。 更に母親の私はサッカーロスのような気持ちになってしまい、これは別で相談させて頂くかもしれませんが、それも別としても。 変わりになにかやりたいと言うことがないのであれば、仲間とサッカーを楽しめるのだから、辞める必要はないんじゃないかと。そもそも、あと数ヶ月、サッカーはできないのだから、辞める決断は、今せずに、もう一度サッカーに戻れた時に決断したらいいのではないかと話しました。 それに対して本人は中途半端は嫌だとのこと。がっつりサッカーをやってきたがゆえの考えなのでしょうけれど。 会社と違い給料を貰っているわけじゃない、所属はしばらくしていても問題はないでしょうとも話しました。 夫も人間関係がキツいとか、レベルが高すぎてついていけない、限界を感じたなら納得するけど、本人の選択としても、やりたい何かがないなら、それまで続けていてもいいとは思うけど…と…夫は本人には話していませんが。 少なくとも今の心まで折れているような先も決めていない状態で退部届は出して欲しくないのですが、どう伝えたらいいでしょうか。
このサイトに出会い、死のことを考える(死の恐怖を考える)のを少しずつですがやめることができた者です。 お坊さんのありがたいお言葉をいただき、今を全力で生きることに集中しています。 ただ、一つもやもやしたものがあります。 子供を産むことです。(男なので産むは適当ではないかもしれませんが便宜上) 近い将来、結婚する予定であり、これまでは漠然と子供も欲しいなあなんて思っていました。 ただ、改めて死のことなどを考えた時、自分の子供にその恐怖や苦しみを与えることになるのだと気づき、子供を産むことは酷いことではないかと思い始めました。 仮に子供が死というものを考えず、前向きに人生を過ごしてくれたとしても、最後は辛く悲しい死という結末を迎えます。 いつか死ぬ存在を自らが産み出すのは、恐ろしいことではないか、そう感じて仕方がありません。 極論、人類繁栄の放棄につながるので危険な考えだとは思うのですが、やはり個人という存在に目を向けた時、上記の考えが捨てられません。何かよい発想の転換はないでしょうか。
お互い社会人になり遠距離に。 彼は私をとても好きでいてくれてそれは大事に大切に、それは尽くしてもらった。周りからも最高の彼だと褒められた そして私はその愛情にあぐらをかき我儘放題 それでも彼は愛してくれた。私も彼を愛してた。 そしてプロポーズ。勿論Yes心から嬉しかった でも本当はお互い社会人になりたて。余裕も貯金もなく、親も反対で結婚する状況じゃなかった。覚悟もなかった。ただ急に遠距離になった寂しさにはやく一緒になりたかった。何より私の心が限界だった。だから彼はプロポーズしてくれた。でもやはりすぐに結婚という事にはならず、彼の仕事的にもそういう状況ではなくそのまま1年。 そして突然別れを告げらた。 私からしたら突然だったが彼は悩んでたんですね 仕事を頑張りたいと言われたが、本当は好きな人(もう付き合ってたのかも)ができたみたい。私の我儘に嫌気がさしてたんですね。 でも私にとっては突然で理解できなくて苦しくて泣いて泣いて縋ったがNo どんなに私が訴えてももう何も響かないようでした。 私は少しも彼の心の変化に気付いていなくて、彼の心変わり、彼と誓った未来がなくなる事が理解できなくて、泣くことしかできなかった。 どんな自分も無条件に愛されてると信じきってた自分が情けなくて恥ずかしくて。そんなわけないのに。 彼がどんなに素敵な人か、優しい人か、大切かわかっていた筈なのに。 なんでもっと大切に素直に愛せなかったのか。自分が許せなくて なのに裏切られたと感じてしまう自分もいて。彼が憎くて死んで欲しいと思った。死にたいと思った。そして死のうとしてた時に友人が自殺。物凄い衝撃だった。人の自殺に直面し私は生きなくちゃと思った それから1年。 戻ってきてという想いと深い憎悪が交互にくる。 あんなに大好きで大切で、心から一生一緒にいたいと思った彼をなぜ傷つけることばかり、何故どんな私も愛し続けてもらえると思っていたのか。馬鹿すぎて後悔と涙が止まらない。 何よりあんなに怖いくらい盲目的に私を好きだった気持ちがなくなるほど傷つけたのかと思うと本当に申し訳なくて。 それでも彼と一緒に生きていきたくて 私は彼を忘れたくない諦めたくない けど彼はもう帰ってこないから… やはり死ぬことばかり考えてしまいます
以前書き込みした「葬儀が無くて暇」の寺での話です 某有名人の葬儀をしたのがよほど嬉しかったらしく 住職がその様子をいろいろ話してくれました。 この業界で有名人の葬式を行えるのは ステータスか何かですか? 遺族の悲しみを想像すると坊さんの嬉しそうな様子の ギャップが未だに埋まりません。 とある質素な葬儀を悪い見本のように言い 盛大な葬儀を良い見本のように聞かされたこともあります。 お寺さんから見たら人の死はそのような扱いなのでしょうか? そもそも個人的なに葬儀の内容を他所で話されるのは 有りなのですか?
20年以上前ですが、両親が離婚しました。 両親は結婚当初からずっと、お互いを軽蔑しあっていたし、母は父との夫婦生活が耐えられないという理由で離婚しました。 私も兄も、その騒動に巻き込まれ、新婚だった私は、とても子供をつくるどころではなく、不眠症を患い、兄はその後、統合失調症を患いました。 私はほどなくして子供ができ、10歳になりました。両親は、孫ができたことを知っているのに、孫にお年玉、お小遣いをやるでもなく、おじいちゃんおばあちゃんらしいことをなにひとつしません。 子供たちである私や兄をこのような病気にしておいて(私も不眠症から統合失調症になりました)孫に小遣いもやらず、親らしいこともせず、私や兄の嫌がる塾へ無理矢理行かせ、私がいじめに遭って自殺を考えていたときも、助けてくれず、お前が悪いと決めつけ、泣いて嫌がる私を引きずって学校へ連れていき、私も兄も、本当にやりたいことはなにひとつやらせてもらえないまま学生時代を終えました。 やりたくないことをやらせ、やりたいことはやらせず、孫がいても知らん顔、子供たちが精神を患うほど傷ついても、その傷に目を向けず、ただ自分たちが生き延びることにだけは貪欲で、母は兄に縋って生き、父は独り暮らしです。 兄もひどかったです。いつも私から小遣いをまきあげ、同じ中学だったのに、私が殴られているのを目撃しても知らん顔、こういう家族を持ってしまった我が身をたまに呪い、病気の相乗効果もあって、落ちるときは日がな一日、床に伏せて、起き上がれず、食事もできない日もあります。 そんな私の唯一の楽しみであり生き甲斐、仕事は絵です。絵でお金をもらっています。母がいつか「あんた、まだ描いてたの?」と露骨に嫌な顔をしました。あの時の顔を一生忘れません。絵は私の誇り、生き甲斐であり、アイデンティティです。 私はその絵で、栄誉ある賞をもらったこともありますし、お金も稼いでいます。それを傷つけた母も許せず、行きたかった絵の専門学校にも行かせてもらえず、何より死を考えるいじめに遭ったときも助けてくれなかった家族を恨み憎んでいます。 こういう毒家族でも、介護してやり、葬式を出し、涙を流さなくてはならないでしょうか? ご回答お待ちしております。
初めまして。長らく辛い日々が続いています。一年半ほど前に片親を亡くし、その後、彼女(婚約者)に別れを告げられました。 その後、ボロボロの心で何かに惹かれるように巡礼に出かけ霊場各地を巡りました。自分の未熟さに気付くとともに大切な人を失くす前から平凡な事が至極の幸せであると思いながら過ごしてきたにも関わらず、それすらも理解し切れていなかったのではないかと思い知りました。 巡礼の途中、京都で事情を知った尼さんから、「辛いことがあっても試されてると思ってしっかり生きて行けば、必ず仏さんは見てくれている」という言葉が心の支えとなっています。 一時は吹っ切れたと思っていましたが、やはり辛いという気持ちに変わりはありません。親を亡くし、事後処理に追われ半年ほどのちに婚約者は僕の元を去りました。恐らく、色々なことにいっぱいいっぱいになっている僕が頼りなく思えたのでしょう。 周りの友人や、同年代の人が結婚したり街でカップル等を見かけると胸をえぐられるように辛いです。 また、亡くなった母に対しても子供として何も恩返しできず、これからもっとしてあげられるはずだったのにと申し訳なさと、なぜ救ってあげられなかったのかという気持ちでいっぱいです。 正直なところ、なぜ周りの人は物事がトントンすすんでいくのになぜ自分は思わぬところでつまずいてしまうのかと辛くなります。 しかし、最後はどこかで必ず自分にも幸せが訪れると信じで日々過ごしております。こんな僕にこれから日々を過ごして行く上でのアドバイスをいただけないでしょうか。よろしくお願いします。
私は、いつも頭の中に家族がいつ死んでもおかしくないと考えており、死ぬかもしれない死ぬかもしれないと強迫観念が回っています。特に次男の食事を作る時、洗剤の洗い残しで毒になり、次男を死なせてしまうのではないか?火に近づけたセーターを次男の部屋にしまう時、セーターが後から燃え出して、次男の部屋が火事になってしまうのではないか?と、本当にばかばかしいことばかり心配してしまいます。長男にはそれほどないのですが、死のことを心配しているのは同じです。どうしたら、この苦しみから逃れることができるのでしょうか?よろしくお願いいたします。
初めまして。今回凄く悩んでいることがあり相談させていただきます。よろしくお願いします。 私は最近自分はそろそろ死んでしまうんじゃないかと思って(考えて)しまいます。 原因は5ヶ月前に見た夢で、半年後に死んでしまうと言われたことです。私はまだ死にたくないです…数日前にもそろそろ死ぬと言われる夢を見てしまい毎日恐怖で泣いてしまいます。怖くて怖くて…家のお仏壇の仏様にもしっかりと手を合わせてお願いをしてしまうくらいに悩んでいます… ですが、このまま悩んでてはいけないと思い、気分転換で物事に手をつけようとすればするほどそのことが頭をよぎり、手をつけられなくなってしまいます。親にも友人にも相談できません… ついには親の死のことまで考えてしまいます…怖いです 私は夢の通りにこのまま死んでしまうのでしょうか?まだまだこの先も楽しく生きて、そして長生きしたい気持ちが凄く凄く大きいです。なので私はまだ死にたくないです! 私はどうすればいいのでしょうか…?