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検索結果: 1264件
2021/10/15

知りたくないのに、どんどん自分を苦しめる

自分は、心療内科に通っている先生にこう言われたわけではないんですが、 (言われたかもしれないし、言われてないのかもしれないので自信はないです) 強迫性障害だと思われる症状に悩んでいます。 この強迫性障害(であってると思います;自信なくてすみません)のせいで、自分はかなり苦しめられています。 ここ最近の自分なのですが、断るごとに死後の世界の事を 知りたくないのに、不安を抑えられるず調べしまい どんどん自分を苦しめています。本当に辛いです。 普通に考えたら、死んだ後のことを考えるよりも 今を大事に生きる事が大切だとは、お坊さんの方々も言われるかもしれません。 死後の世界は、どうなっているかなんてわかりません。 本当にあるのかもしれない、ないのかもしれない。 それは、その時になればわかる事ですが・・・、 それでも、自分は頭に死後の世界の言葉やらあれこれ・・。 頭に浮かび、知りたくもないのに調べては自分の首を絞めています。 不安を解消するために。本当にあるかどうかは定かですが・・・。 もう、何も知りたくないんです。知っていい事と知らなくていい事って 世の中にたくさんあると思います。 自分も知りたくない事を知って怖くなって、苦しんでいます。 正直もう辛くて仕方ありません。助けてください。 もうこれ以上自分を苦しめたくありません。 なんでもかんでも過敏になったり敏感に反応する自分が辛くて仕方ありません。 辛くても泣けないので、本当に辛いですし、しんどいです。 生きるのも、しんどいのかなって・・思います。

有り難し有り難し 9
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2023/02/07

あの世について無記と言う姿勢は正しい?

あの世や霊魂の存在を考えないという姿勢は本当に正しいのでしょうか? 中学時代の世界史の教師が言っていたことですが 昔のインドはコーサラ国とマガダ国いう強国が存在し お釈迦様はコーサラ国に支配される属国の王子った 若い頃のお釈迦様は 文武両道で抜きんでた才能があり 父親の王も頼もしく思っていたが お釈迦様は心に悩みを抱えて引きこもるようになり、やがて城も妻子も捨てて修行の道を進むようになった やがて、お釈迦様の一族や家来の中に次々と同じ道に進むものが現れたため父親は非常に悲しんだ と話していました ウィキペディアの記述によると 【釈迦族は釈迦の晩年の時期、隣国コーサラ国の毘瑠璃王の大軍に攻められ皆殺しにされたという】 とあります。 お釈迦様の存命時に一族が戦乱で滅んだということですよね? お釈迦様は大国に従属する小領主の家に生まれ 日本の毛利元就や徳川家康のように名将とし躍進する才能・可能性があったにもかかわらず、その道を捨ててしまっために一族が滅んでしまった といったところでしょうか (毛利家は大内・尼子 徳川家は・今川・織田という強い勢力に囲まれていた) お釈迦様自体は死後の世界については「無記」として語らないという立場だったようですが、 私がお釈迦様の立場なら 死後の世界を考えることはそれ自体が 生き地獄で気が狂いそう(苦しんで自殺するかもしれない)になると思います。 死後の世界が存在したら自分の祖父母 両親などが 自分の一族が皆殺しになったことをあの世で悲しんでいることが明らかで 自分もその責任を感じるはずですから・・・ 歴史上では心残りな思いで亡くなるケースは多く 平清盛 武田信玄 豊臣秀吉などは 子供の将来を心配して亡くなったことも そしてその一族(弟や子供など)の末路が悲惨だったのも知られており 死後の世界があれば、彼らはあの世でも苦しみ続けているはず 話をお釈迦様の話に戻しますが お釈迦様の死後の世界についての「無記」という姿勢は自分の身の上に起こったことが原因でバイアスがかかっている可能性はないのでしょうか? 私にはお釈迦様は日本の建礼門院、信松尼、天秀尼などと同じ立場に思えるのですが 人間は生きていくうえで本当に「無記」と言う姿勢でよいと思いますか?

有り難し有り難し 25
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天道は目標ではないのですか?

お世話になっております。 柴田秋です。 私は10年ほど前に自殺に失敗しました。 複数回の失敗の上、死ぬのは少なくとも生きることと同じくらいには面倒で疲れることだと感じたため、久しく実行には移していません。 それから、どう生きるのかと同じように、死について考えるようになりました。 死後の世界とかではなく、死ぬことで私の周囲に与える影響についてという意味です。 迷惑云々や、コストや、私の心とは関係なく死後に振り分けが行われるのであろうなということなどです。 こちらの質問の回答に対して、疑問が浮かび上がりました。 https://hasunoha.jp/questions/38774 余談ですが、今は少なくとも怒りは自覚していません。 「仏教は死んだらどうなるの教えではなく、生きているからどうするの教えです」 とあります。 多分、きっと心構えのことをおっしゃっているのだと思いますが、疑問が沸き起こってきます。 背景は語りましたが、それはあくまで単なる動機です。 私のことは私で考えるとして、他者のことは私には分かりません。 よろしければ、質問に応えていただきたいです。 仏教の最終的な目標は、悟り、無限に続く輪廻から脱し、六道のひとつである天道に行くことではないのですか? 仏は天道に在すもののことですよね? つまり、死後のことこそが目標なのではないですか? あくまで、そこに至るための過程として、どう生きるかが重要なのだと思っているのだと思いました。 つまり、生き方は手段で目的は死後の行き先であると。 なんとなく、キリスト教やイスラム教、パスタファリアニズムの天国を目指すのとは異なるのだとは思ってはおりましたが、疑問が起こりました。 仏教は天道を目指し、輪廻から脱すること、つまり解脱が目標ではないのですか? 絶対の正解を求めているわけではありませんので、ご自身の考えで構いません。 ※私の拠り所とする科学(科学的方法)にも絶対の正解はありません。  あれらは、今のところ否定されていないというだけです。 当然、ご回答なされた方以外の方には、天道へ行くことを目標とされている方もいるかも知れません。 それぞれのご回答を伺いたいです。 よろしくおねがいします。

有り難し有り難し 19
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謝罪

たびたび本当に申し訳ありません。 私は、今謝罪しようか迷っていることがあります。 試食で1人1個と書いてあるのにそれ以上とってしまったことです。お店はわかっています。連絡をとろうと思えばとれます。家族に相談するといや、迷惑だし、商品をその分買ったじゃないと言われました。確かに忙しい中迷惑だろうし謝るとしても手紙だろうと思います。 でも、この謝罪は反省と申し訳ないという気持ちもありますが、ちゃんと謝罪しなければ死後に罰が下るのではという自分の発想が離れないせいもあるのです。 あくまで自分の発想だと理解してます。でも、死後のことは誰にもわからないのでもしかしたら今謝らなかったことで死後に罰があったらとても後悔するだろうと思っています。本当に死後の罰が怖いんです。誰もわからないからこそこれで罰があったらって謝れるのに謝らなくて罰があったらって怖いんです。謝ろうと思えば謝れるのにこれで罰があったらとてもとても後悔するだろうって。 そのため、1つの値段で2つ貰ってたのに黙っていた祭りの露店など最近は普通ならば諦めるような連絡先も探さなきゃいけないと思ってしまいます。 とても反省しています。 これからは善いことを出来るように頑張りたいし、はやく元気になって家族を安心させたいです。 でも、後悔と罪悪感と恐怖で吐き気がとまらないです。 弱い自分で本当に申し訳ありません。

有り難し有り難し 16
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死は存在しない

もう10年以上も前になりますが、母の命日が近付くと、色々と考えます。 不治の病を宣告された母。いわゆる「手かざし系宗教」の信者である叔母(母の妹)から勧誘され、藁にもすがる思いで行った本山で「あなたには助からない相が出ている」などと訳知り顔で告げられた母。 同行した父親も勧誘されましたが、断ったとの事。 (父も母も、元々は徹底した無宗教、無神論の人でした) 母は闘病中も死の間際も、「私が死んだら○○を宜しく」 なんて言葉は一言も言いませんでした。 私は、人の思考は死を思う為には出来ていないと考えます。 脳はあくまで、身体を効率よく動かし合理的に生き延びる為に、進化の過程で生物が獲得した器官であり、「死」なんて抽象的な思考を弄ぶ為のものではないと思うんです。 死んで肉体の機能が停止すれば、感覚器官(眼や耳、肌など)も停止し、仮に死後が存在するにしても、想像を絶する世界を見て、感じるはずです。軽々と「死後の世界」なんて言えるはずが無いです。 生物の脳も身体も、ひたすら生きる為に作られています。死ぬためにつくられてる訳じゃないです。だからこの脳、この身体で死について考えること自体ナンセンスで、飛ぶ為に作られていない私の手で、鳥のように空を飛ぼうとするようなものです。 お釈迦さまが死後を無記とした真意は… 私は、死後が浄土であれ輪廻であれ、あるいは本当に恐ろしい事ですが正真正銘の「無」であっても、仏教の救いに変わりはないと言う事ではないかと考えます。 人は死なないです。死の間際でも、風邪をひいたように、一晩明ければケロリと治ってると心の奥底では信じて最後の日まで生き続けるのではないでしょうか。 母は死の間際まで死を考えませんでした。少なくとも、口には全く出しませんでした。何かを悟っていたのか、一片の悟りもなく生にしがみついていたのか今では分かりません。 ただ、母の姿を思うと私も生の続く限り全力で生きたいと思うばかりです。 「生きてる時は死んでいない、死んだら生は無い、だから死は存在しない。死を恐れず、生を全うせよ」と言ったギリシアの哲人に、私は賛成です。 こーゆー考えもまた、妄想でしょうか? 「これだけ問答を重ねて、君はまだ何も分かってない」とお叱りは覚悟の上です。 日々、人の死と向き合っているお坊様方の実感を聞かせて頂ければ嬉しいです。

有り難し有り難し 12
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人は死んだらどうなりますか。

タイトルの通り、人は死んだらどうなるのでしょうか。 よく、死んだら極楽浄土に行くというような話を聞きます。それは本当でしょうか。本当に天国と地獄はあると思いますか? 私は生きてる今が地獄のように思えることがあります。死んだらただ無の世界が待っているとしか思えません。それに、死後人の魂は輪廻転生するものなのですか?魂というのも正直よくわかりません。 また、ある人が自殺は人殺しだと言っていました。仮にそうだとして、自殺をしたらいけない理由はなんでしょうか? 私は、生きるのも死ぬのも本人が選んだんだしなぁと思ってしまいます。本当に極限まで追い詰められて、もうこれ以上は無理だ、と自殺したとしても、本人が選択したことであって、それは他人が責めることではないかと思います。 苦しみから救われるために、宗教があるのでしょうか。本当に南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土に行けるのですか? 私は時折夜中に、死についてあれこれ考えて、急に死をリアルに感じ、とてつもない恐怖が襲ってくるときがあります。 かと思えば、本当に心が疲れきって、すべてがどうでもよく思え、さっさと人生を終わらせてしまいたい時があります。 私の中で、怖い死にたくないという気持ちよりは、死にたい終わらせてしまいたいという気持ちが強いです。けれど、死んでしまいたい等と言うと、親には物凄く怒られ、友達にも説教されてしまいます。 私は現在、至って健康ですし親にも友達にも恵まれいじめられてもいません。大学にも行かせてもらい毎日充実しています。周りの皆には感謝することばかりですし、当たり前ですが死んでしまいたい等と言っていい身の上ではないのです。 それに、人間いつか死ぬんだから今じゃなくてもいいんじゃない、と思うかもしれません。私もそう思います。けれど、どうしても早く全てを終わらせてしまいたいという気持ちが拭えないのです。 この気持ちはどうすれば無くなるでしょうか。気持ちを消すなど浅はかかも知れません。けれどそれならば、どうすれば生きたいと思えるのでしょうか。 最初の質問からずれてしまって申し訳ないですが、よろしくお願いします。

有り難し有り難し 23
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死ぬことが頭から離れない

私は完璧主義者です。でも何事も完璧にやりきれるだけの能力はありません。 完璧な秩序のある生活や思ったことを完璧なやりきることへの執着心がとても強い人間です。だから一度のつまづきで全てを放棄したくなります。 ただ、現実に社会は混沌としています。それだけでなく、身の回りのことや仕事に完璧な秩序を保つことの能力が私には欠如しています。そのギャップにとても苦しめられています。自分で作ったルールを遵守できないこと、予想外のアクシデントで自分の計画が狂うこと、このようなことが本当に本当に苦痛です。 こんな混とんとした世界で生きることが果たして幸せなのか。娘や家族への情だってもちろんありますが、それを感じる主体がいなくなればすくなくとも私の気にすることではなくなります。おまけに私は利己的な人間です。考える私がいなくなればそれで残された人への想いも断ち切れます。 死んだら思考する私はいなくなります。苦痛を感じる器官もなくなります。それだけでこの世界を離脱することが大きな救いになると感じるのです。 死ぬことは怖いです。でもなぜ死んではいけないのか、よくわかりません。残された人は悲しむかもしれませんが、死んだ私にはそんなこと関係ないとも思うのです。 生きるか死ぬか、そのことが頭をぐるぐるしています。死んではいけないような気もしますが、とにかく死にたさが頭を覆って、でもそんな勇気はなくて、生きることに手がつきません。 死ぬことは果たして救済なのでしょうか。死後の世界については信じることはできません。それにこんな相談をするくらいですので生きたいという気持ちもないわけではないと思うのですが、この先もっと大きな挫折を味わった時、そのような自分を許すこともできないと思うのです。 この場でこんなことを質問していいかもわかりません。ただ、なんとか生きやすく生きていける方策があれば楽になれるとも思うのです。死と生について私なんかよりも深く考えておられるお坊さまに何か知恵をお借りできないかと考えています。 まとまらない文章で申し訳ありません。何卒よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 87
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