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検索結果: 335件
2023/02/07

あの世について無記と言う姿勢は正しい?

あの世や霊魂の存在を考えないという姿勢は本当に正しいのでしょうか? 中学時代の世界史の教師が言っていたことですが 昔のインドはコーサラ国とマガダ国いう強国が存在し お釈迦様はコーサラ国に支配される属国の王子った 若い頃のお釈迦様は 文武両道で抜きんでた才能があり 父親の王も頼もしく思っていたが お釈迦様は心に悩みを抱えて引きこもるようになり、やがて城も妻子も捨てて修行の道を進むようになった やがて、お釈迦様の一族や家来の中に次々と同じ道に進むものが現れたため父親は非常に悲しんだ と話していました ウィキペディアの記述によると 【釈迦族は釈迦の晩年の時期、隣国コーサラ国の毘瑠璃王の大軍に攻められ皆殺しにされたという】 とあります。 お釈迦様の存命時に一族が戦乱で滅んだということですよね? お釈迦様は大国に従属する小領主の家に生まれ 日本の毛利元就や徳川家康のように名将とし躍進する才能・可能性があったにもかかわらず、その道を捨ててしまっために一族が滅んでしまった といったところでしょうか (毛利家は大内・尼子 徳川家は・今川・織田という強い勢力に囲まれていた) お釈迦様自体は死後の世界については「無記」として語らないという立場だったようですが、 私がお釈迦様の立場なら 死後の世界を考えることはそれ自体が 生き地獄で気が狂いそう(苦しんで自殺するかもしれない)になると思います。 死後の世界が存在したら自分の祖父母 両親などが 自分の一族が皆殺しになったことをあの世で悲しんでいることが明らかで 自分もその責任を感じるはずですから・・・ 歴史上では心残りな思いで亡くなるケースは多く 平清盛 武田信玄 豊臣秀吉などは 子供の将来を心配して亡くなったことも そしてその一族(弟や子供など)の末路が悲惨だったのも知られており 死後の世界があれば、彼らはあの世でも苦しみ続けているはず 話をお釈迦様の話に戻しますが お釈迦様の死後の世界についての「無記」という姿勢は自分の身の上に起こったことが原因でバイアスがかかっている可能性はないのでしょうか? 私にはお釈迦様は日本の建礼門院、信松尼、天秀尼などと同じ立場に思えるのですが 人間は生きていくうえで本当に「無記」と言う姿勢でよいと思いますか?

有り難し有り難し 25
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死ぬのが怖い、身近な人にも相談できない 辛い

現在、大学4回生です 中学生の時、突然に「死んだらどうなるんだ?」ということに気が付いて恐怖のあまり嗚咽が止まらなくなったのを覚えています。親に相談しようにも、タブーに触れるようで出来ませんでした。 その時は考えに考えて結局わからないということで放置していたのですが、ここ最近になってまたその考えがまたやってきました。 地元の信仰が浄土真宗本願寺派だったのでその考えに基づき、死生観を考えていたのですが、納得できませんでした。 納得というか、信じきれてないというのが現状なのかもしれません。 真に信仰が出来ていたらそもそもこの質問が出ないことになりますから。 どうしても考え方に疑いを持ってしまうのです。「ホンマかいな」と。この「ホンマかいな」自体が信仰に対する冒涜、罪なんでしょうか。 化学に詳しいわけではないのですが、どうもその前提に結び付けてしまします。(無知なのは重々承知しています)生きている状態なのになぜ人の死後が説けるのか?とか。脳がないのに意識は死後存在し続けるのか?、お浄土は本当にあるの?などです 臨死体験も結局は死に切れてないですし、死後の見解が地域、信仰、人によってそれぞれ違うのも疑問です かといって「死後は無なんだよ」「意識はただの脳内の電気信号なんだよ」と言われればとんでもないくらいの恐怖にのたうち回ります。死後、体も感覚も思考も、自分自身も消えてなくなり、二度と目覚めることはない。そんな状態が永遠に続くと思うと... 様々な文献、記事を読み漁っても「そういう考え方もあるのか」程度にしかとれず合点がいきません。 今を生きることこそが大切、もっと他にすることがあるんじゃないの?と言われそうですが、そうではないんです。死後が知りたいのです。 利己的な見解ばかりで申し訳ありません 自分自身でも、どう質問してよいか漠然としててわからないのです 僕以上に、もっとつらい思いをしている人がいる中で... ここまでの人生、たった21年の短い人生ですが、何不自由なく生かされてきました。両親、祖父母そして周りの人々には感謝しきれません。これから、家族やお世話になる人達にいっぱい自分の受けたモノをお返ししていきたいです。 故に死の恐怖にここから先の人生を邪魔されたくありません。 どうか僕に納得できるようなお考えを教えてください。

有り難し有り難し 66
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宗教とは

祖父の葬儀の時に「死後の世界はこうなっています」と何層かになっている図の説明を受けました。 仏教に限らず死後の世界、天国地獄も含めて「あることは知っているでしょ」からはじまることが多く、「なんでだれも見たことないのにあるということになっているのか」が解りません。 さらに私の認識では例えば仏教はゴーダマシッタルーダが釈迦のペンネームで小説を書いてそれを各宗派の開祖が読んで読書感想文を広めた、というイメージなのです。そう考えないと宗派毎の教典の違いや祭事の違いなど差が出てくることが理解できません。 宗教が絶対のもので揺るぎがないものであれば解釈が変わったり宗派が分かれたりするものではない。会派が別れたり解釈が変わるのは不完全な創作物である証かと思います。広めるために土着信仰と結びつくなどその尤もたるところです。 かなり偏った意見になっているのですが「こういうことになっている」だけで「なぜそういうことになっているのか」「それが間違いない検証は取れているのか」を説明しているものがあれば教えていただきたいと思います。 化学実験でいえば「再現性」、こうすればこうなる、というものです。それがなければ「どうなるか解らないのに信仰するの?」となってしまいます。 また、どうしても論理的に根拠がしっかりしているものでないと認められない性格なのですが、「いやいや宗教というのはそういうものじゃないんだよ」というのがあれば教えていただけないでしょうか。

有り難し有り難し 38
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お酒や後悔、恐怖色々なこと

何度もごめんなさい。 なるべく戒律を守ろうと思ったのですがその中に飲酒を禁じているものがあることが自分の中で悩んでます。正直に言いますと私はお酒が好きです。お酒の味がするお菓子も好きです。もちろん、迷惑をかけるほど飲んだり食べたりはしたいと思っていません。しかし、お酒を飲むのも必要にかられた行動ではないです。やめようと思えばきっとやめることができます。なのにやめないことは大罪なのでは死後地獄に落ちるのではと恐怖しています。 また、私の両親、特に父はお酒が好きです。沢山飲んでいますが、別段暴れたりすることもありません。私が見る限りあくまで趣味の範囲だと思います。父がお酒が好きなことを知っているので誕生日プレゼントなどには私はよくお酒をあげていました。ですがこのような行為もよくないことなのでしょうか。私は自分だけでなく、家族や友達好きな人たちが地獄にいくことも嫌です。お酒を飲むのをとめた方がよいのですか。 最近は自分が過去に犯した罪深いことへの反省だけでなく、未来に自分が今忘れてただけで悪いことを思い出したらどうしようと怯えてしまいます。もし、借りてたものなどなら連絡先はわかるのか誰に借りたかわかるのか、償えないなら地獄にいくのではと怖がっています。また嘘をついてしまうかもしれない。もし罪が見つかっても償えなくてもその都度反省すればよいのでしょうか。今までの悪いことも迷惑をかけた人に直接償えなくても前に進んでいいのでしょうか。反省は何度もしています。迷惑をかけた人に直接償えなくて苦しいです。自分なりに、償える人には償おうとしてます。でも連絡先がわからなかったりして皆に償うことは難しいです。でもその考えも私の甘えなのでは、もっと頑張れば償えるのでは、償えなきゃ罰が下るのでは、そして地獄にいくのではと恐怖しています。 母親がゾンビになった時に安楽死を想像してしまうことに対して想像するだけでも罪だというような相談をたまたまハスノハさんで読みました。それを見て想像しないようにしようと思いましたが、思えば思うほどもしかしたら想像してしまったかも知れないです。大罪で地獄行きかと怖いです。 善行を積むこともよいとききましたが迷惑をかけた人や嘘をついた人とは関係ない人によいことをしてもよいのでしょうか。こんな考えをしながらすることはきっと善行にならないでしょうがそれでもよいでしょうか。

有り難し有り難し 11
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自殺した人の魂はどうなるのでしょうか?

最近、父が自ら首を吊ってなくなりました。 私は家族とは離れ1人暮らしなのですが、家族の話ですと前の晩も当日も普段と変わりなかったようです。 遺書とか何もなく、自殺の原因が分かりません(鬱病とかでもありません) 思い当たる事と言えば、父は若いころからずっと運転に係る仕事をしていまして(数年前には年で辞めています)運転には自信があったようなのですが、その父が亡くなる少し前に運転中に意識が無くなったらしく、事故を起こしてしまったのです。 幸い人も巻き込まず、本人もムチウチと少し少切り傷が出来た位で、 1週間弱で退院出来ました。 家族もよくあの事故でこの程度でで済んで良かったと安堵しており、ただし、また運転中意識が無くなったりしたら大変なので心配だから今後はもう運転はしない方がいいね、となっていました。 そうすると大好きな孫(弟の子供)の送り迎えも出来ず、楽しみがなくなったのかな? 運転に自身あったのに、事故を起こして本人は気にしていたようなので自信喪失したり、老いを感じたのかな?等、それ位しか自殺の原因が分かりません。 残された私たち家族は原因も分からず、とても辛い思いをしております。 ですが原因はもう父しか分からないので仕方ない、とは思いながら自殺してしまった人の魂はどうなるのかとても気にかかります。 人生を全うして亡くなった方と違って、成仏できるのでしょうか? 生きるのが辛くて自ら命をたったのに、成仏できないとか、天国と地獄があるのなら、地獄に行ってしまうとか、亡くなっても尚更、辛い思いをするんではないか?と胸を痛めております。 どうか教えて下さい、お願いします。

有り難し有り難し 3949
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自殺未遂

自殺未遂の後遺症で近いうちに死んでしまいます。 これはふとした気の迷いのせいで、この頃はネガティブになってたのか、どんどん悪い方に行き難聴の次はついには命さえあと少しという最悪の状況になってしまいました。 病は気からと難聴になったときふと思ってましたがなんとなく死にたいという前の私じゃ考えられないようなネガティブさにいつのまにか振り回されました。 視野が狭くなってて未来とかいろいろ考えられなくなってたし、いろんなものに無関心になってました。正気なときとネガティブなときがあるのです。 障害で仕事先が限られること、自分の能力に自信がないこと、楽しみがないことで内心絶望して自殺を試みたのだと思います。 自分の体で実験するくらいのノリで死のうとしてしまったんです。 現実に向き合うことさえできないような人間が死や死後の苦しみに耐えられる自信がありません。自殺した人間は基本的に大きな苦しみを追い続ける死後が怖いです。 私という人間の人生はあと少しで終わるし、また人間に生まれ変われるのか、もう極楽や天国へ行けないのか、もし地獄ならその長い苦しみに耐えられるか不安しかないです。 現実から逃げ続け、命の期限を勝手に設定してしまいました。散々死ぬ方法や確率以外にも自殺したらどうなるかもみたのに頭がはっきりしてなくてどう行動したらの結果がわかってなくて。死んだら自分が終わること理解できてませんでした。自分のメンタルが弱いばっかりに家族を悲しませることになるのは少し悲しいです。自分の人生があと少しで終わるのも怖いですがネガティブなループに気づけない限り難聴と違って避けられなかったことなのかもと、もう少し思い切ってサイクリングが早ければ違ってましたが。 死ぬときの苦しみも怖いし、自殺行為の末の死なので、死後どうなるか不安です。 あと体が動くうちにやっておいたほうがいいことのアドバイスが欲しいです。

有り難し有り難し 68
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