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hasunoha 問答検索結果 : 「 宗教 」
検索結果: 2816件

お坊様について

以前よりお世話になっています。 ニックネームを変更しました。 家族が他界してから毎日お務め、花、茶水、お供えと自分なりに供養してきました。 これまで5人のお坊様とお世話になりました。(実際にお会いした) それぞれ個人的な考えや思い、派の違いにより仕方がないことかも知れません、違うところが言動にあります。1人のお坊様は色々な勉強を幅広くされたのか、お話はとても立派なのですが、そのお言葉を自ら覆す行動をします。 細かい内容は言えませんが、色々と矛盾を感じ、お寺に伺いにくい状態になり、別のお坊様にも法事に来ていただけない状況です。 今年の法事は菩提寺の住職が他県から来ていただき、なんとか両親、先祖の供養ができました。 仏教とは、御坊さんとは、供養とは…何が本当なのか分からなくなり、段々と仏壇のお務め、供養もいい加減になりつつあります。 最近は若い方も気軽にお寺の門をくぐれルように、お寺カフェや座禅、説法、写経や癒しを求めてお寺巡り、朱印本など流行りつつあり、高野山1300年のPRもよく見かけます。お寺や神社巡りが趣味と言う若い方々もいます。 一方、無信仰だから、山や海に散骨する方、墓仕舞いして樹木葬等、普通に家代々のお墓に入る人も減っているとか。と言うことは檀家さんも減ると言うことですね。 大変失礼ですが、葬式坊主なる葬式業者数社と契約?して、葬式ばかりして儲けるお寺もあると聞きました。 5人のお坊様のうち4人にとって私は檀家でなく、業者の紹介やあるお寺の催しで出会っただけで、特に大きな収入源にもならず、どうでも良いのかも知れませんし、中には若いお坊様もいますが、頭でっかちの知識先行型なのかもしれません。 これも私の受け取り方一つなのかもしれません、お坊様に対するイメージが固まっていて、そのイメージと違うから違和感なのかもしれません。 当然、お坊様も人間、修行の身であり完全完璧でないことはわかります。ただ法事で頂いたお経は本当に、亡き家族のためになっているのか、六道の話を伺いましたが、畜生界、地獄に落ちていないか、毎日、お務めすることで両親、先祖のためになっているのか疑問が沸きます。 それまでは完全に仏教を信じ、お務め、供養が仏となった家族のためと信じきっていました。 今は半信半疑、これから供養を続けていく自信が無くなりました。

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とある不思議なお寺の住職

先月からご縁があり、とある相続関係の仕事をさせていただきました。内容は、同じ区画内の土地と建物の権利者がそれぞれ4人おり、権利が複雑な為、権利関係を整理するという内容でした。その一部にとあるお寺の所有の土地があり、事前に住職にお話しをしたところ他の権利者に譲渡(売買)の話をしてもらえないかとの事だったので、時間がかかりましたが何とか承諾いただき他の3人の権利も整理できそうな所まで話がまとまりかけたところ、 そのお寺の住職が売らないと突然言い出し、話が破断に終わりました。私が残念に感じたのは、その住職はお金の話(そんな安い金もらってもしょうもないなど・・)が多く、また誰が損か得かの話も多く、仏に仕える方として有るまじき発言だと感じました。同じ住職としてどう思いますか?私はお寺や住職さんの心を作るお話が好きで前から「住職」という職務を全うしている方には尊敬の念がありましたが、そこのお寺の住職さんは欲深く、由緒あるお寺なのに修行が足りないのかな?と感じました。大きなお寺ほどそういう方が多いのですか? ちなみに私は今回の仕事に対して報酬はなく、奉仕(無料)でさせていただいておりました。どちらが仏に仕えるものかわからなくなりました。同じ住職でもこの方欲深いな?と感じる方いますか?

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大人ってなんなのでしょうか?

私はもうすぐ20歳になります。 しかし、それを受け入れることができません。20歳になるのがこわいのです。 実感は0歳が1歳になるのとなんら変わらないのかもしれません。毎年のように、家族や友人から「おめでとう」と言われ、ケーキを食べて、また1日が過ぎるのかもしれません。 しかし、私にとって20歳の区切りはとても意味のあるように思えてならないのです。 このことが頭を巡り始めた頃は、おそらく「責任や就職などの大人になったら乗り越えなければならない壁から“逃げたい”」という気持ちがあったのだと思います。 しかし、今はその気持ちよりも「大人になったら見えなくなるものに対する“恐怖”」が強いです。 私にとって大人は汚いもののシンボルであり、自分はこうなりたくないもののシンボルです。大人になったら見えなくなる何か大切なものがあるはずなのです。 なので私は「大人とは何か」という疑問に答えを出そうと考え始めました。 その答えが分かれば、大人を受け入れられる何かが手に入るかもしれない。そう思います。 しかし、一口に大人といっても様々です。未成年の子供を指して「あいつももう大人だなぁ」という親もあれば、いい年した部下に「子供じゃないんだから!」と怒鳴りつける上司もいます。 多分「大人」と「子供」の境界はとても曖昧なのかもしれません。 なので大人のお坊さんたちに何か「大人とは何か、どう定義するか」のヒントをいただきたいのです。 よろしくお願いします。

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自殺をしてはいけない理由

新しい年が始まりました。hasunohaに、おられるお寺様方にも。今年もたくさんの幸せがありますように。 よろしくお願いします。 私の友人は、とても精神状態が悪く、死にたい。頻繁に口にします。 死んではならない理由。 どうして死んではならないのかを、上手く説明する事ができませんでした。 私も一番うつ病が酷かった時は、同じように毎日死ぬ事ばかりを考えてきました。 今でも咄嗟に消えてしまいたい。と思う事が、あるのも正直、事実ではあります。 でも、自分を作り上げている、数えられない程の細胞の一つ一つ。日々全身を巡る血も。 地球に、人の小さなはじまりが発生した時から、今日の自分が、お腹に宿り、細胞分裂、生まれて、大人になった、今まで。 人になるものの発生からスタートして、今の自分まで、たくさんの、生死生死を繰り返し、自分まで繋がった。物凄く怖い程に深く壮大な歴史。意識はしないけれど、本当ならば、物凄い事なんですよね。 自分の体をつくる全ての細胞の一つ一つに、数えられない位前から繋がってきたご先祖様たちの、数えられない人数の血が、自分にも入ってるんだと思うように最近なりました。 自分一人の体で生きている気はするけれど、全ての細胞一つ一つにに、全てのご先祖様が宿っていると思えています。 友人にもそのように伝えました。 お寺様方は、自殺がダメな理由、死んではならない理由。 どう考えますか?どう思われますか? 苦しむ友人に、どうしたら、伝えられるでしょうか? そして、時々、間違ってしまいそうになる私に。 命をどう伝えてくださいますか?

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三毒の瞋恚について

少し、仏教(日本の仏教、大乗仏教?かわかりませんが)を調べてみたのですが、三毒という概念が出てきました。そこの怒り、瞋は世の中を悪くする毒だという考え方に触れました。 ですが、私が思うにこの毒こそ、今の世の中に必要な薬ではないのでしょうか? 今のしらけきっている世の中では本当に救われる存在に対して別に心動かさない。私と関係ないという愛のない空気が漂っています。そんな中だからこそ、ちゃんと憎むべきだと思うのです。不正や、不義を見つけ、恨み、ほかの不正、不義に怒り、徳をかざすもの(徳の騎士)達の闘いこそが、この世の中に血を通わせると思うのです。確かに多くの人達が死ぬでしょう、正義もみつからないでしょう。ですが、不毛なものではないと思うのです。その痛みを知ったからこそ愛を求め、与えることができるのではないのでしょうか。転じて、少し仏教ディスをしますが、なぜそういった熱い魂を毒と切り捨て、平穏という退廃を望むのですか?それは持っているもののみ、自身の苦しみに気づかずに他人を傷つける愚者を増やすだけではないのでしょうか?それでは真に救うべき絶望に抗い、戦う者達に失礼ではないですか?そのものらは心の安寧のために戦っていると?一度、絶望したものは死ぬまで安寧とは無縁の人生を送るでしょう。そんな者達に安寧は残されていると?彼らはただ絶望と戦い、苛烈に人生という闘争の中、死ぬことだけが救いだと思うのですが、どうでしょうか?

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父の浮気を自分だけ気づいた

私は母、父、祖母と実家暮らしです。 最近父の行動に違和感を感じていたところ、たまたま父のスマホを借りたときに 女性から疑わしいLINEのメッセージが入ったので勝手に見てしまいました。 明らかに何もない男女がやり取りする内容ではありませんでした。 すぐに気づいた父にスマホを取り上げられましたが、内容について聞いても、何も無い。の一点張り。 しかしLINEの内容は頑なに見せてくれません。 やましい事がないなら見せられるはずでしょ…と、更に疑わしく感じてしまいました。 その後も父はいつも通りに接してきますが、私は納得できる対応をして貰えていないのでずっとモヤモヤしています。 今の家庭環境は、母と祖母の仲が悪く家の雰囲気が悪いです。 母は昔から祖母に思うことがあったようで数年前に大喧嘩。 以来、母は必要最低限の会話しか祖母としなくなりました。 その後も度々衝突し、その都度に私と父が仲介に入りその場をおさめてきました。 会話が弾むよう冗談を言ってみたり、母や祖母に話を振ったり、 父も私も、雰囲気を良くするために務めています。 ですので、父も精神的に辛いだろうし、逃げ場が欲しかったのかなぁと ひとりの人間として受け止めてあげたいと思っています。 ですがその反面、家の雰囲気を良くするために私も頑張ってきたのに、 頼りにしていた父まで家族を裏切るようなことをするのか… 私がやってきたことは何だったんだ…と、悲しみと虚しさも感じています。 父も私も大人なので、父のことには首を突っ込みたくないし、 母にもこの事は言いません。 ただ、何事もなかったかのように接してくる父に対してモヤモヤしているのと 「家族の一員として傷ついた私の気持ち」と「“父”ではなく、ひとりの人間として見たい私の思い」の葛藤で苦しいです。 この気持ちとどう折り合いを付ければ良いのかわからず、ご相談させていただきました。 ご回答いただけると幸いです。 よろしくお願いいたします。

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ペットの文鳥を殺してしまいました。

今日、自分の不注意でうちに来て3年目の文鳥を殺してしまいました。圧死でした。 疲れ果てて文鳥をカゴの中にいれずに眠ってしまいました。朝起きてやってしまったと思い、2羽の文鳥を探していると、そのうち1羽がどこにもおらず、呼びかけても反応がありません。まさかと思い身体を起こすと、布団の上にからだが潰れてボサボサになって亡くなってしまったその子がいました。どんなに辛く、苦しみながら亡くなっていったのかを考えると、本当にやりきれません。まだたったの3年弱しか生きていなかったのに、前日までは元気に可愛い声でさえずりを聞かせてくれていたのになどと、殺してしまったことに対しての罪悪感やその子に対する申し訳なさで心がいっぱいです。 精一杯の謝罪と、「見えなくなってもずっと大好きだからね。もう1羽の子や私たち家族がそっちに行くまで少し待っててね。」と声を掛けてあげることしかできません。その子が1番辛かった事は十分に分かっています。ですが、私自身の手で、可愛くて可愛くて仕方がない文鳥を殺してしまったことが本当に辛いです。もう戻っては来ないのに会いたくてたまりません。 私はこれからどのように生きていけば良いのでしょうか。あの子の命を奪っておいて、自分はこの先普通に笑ったり、喜んだり、何かを楽しんだりする事に大きな罪悪感があります。なにも考えられません。 もう1羽の子を大切に愛情を持ってこれからも過ごしていくこと、しっかり供養する事はもちろんですが、私はこの先どう生きていけば良いのでしょうか。

有り難し有り難し 42
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