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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 死にたい」
検索結果: 3509件
2024/04/23

亡くなった後も意識はありますか?

こんばんは、夜分遅くに失礼いたします。 昨年末、とても大好きだった愛犬が虹の橋を渡りました。 皮膚の病気を長年患っていて、ある年からは50匹に1匹と言われる珍しい病気にもなって嘔吐する時、同時に倒れてしまうような病気でした。 最期はその病気による誤嚥ですぐにかかりつけの動物病院に連れて行って、その日の昼過ぎに仕事で他の家族はおらず私だけが看取りました。11歳と3ヶ月でした。 もういなくなってから早くも4ヶ月が経とうとしているけど、未だにあの日を思い出して心が痛くなります。 そして最近耳に入ったとある方の曲を聴いていて、ふと思ったことがあります。 死んだ人やペットに意識のようなものはあるの? 今まで私は死んだらどうなるんだろう?とか死の先には何があるんだろう?とぼんやりと考えてことはあっても、きっと死んでしまえば何も考えなくなるのかも、と考えていました。 けれど最近聴いたその曲の歌詞を見た時、もしも死んだ側に意識のような何かがあるのだとしたら、その死んだ誰かにも大好きで大切に想う誰かがいて、その誰かの傍にいるのなら死を悲しむその誰かに語りかけているかもしれない。と思ってしまい、それが虹の橋を渡った愛犬だったらと考えた時、とても苦しくなりました。 マイペースで甘えるのが下手な子だったけど、とても甘えんぼなあの子がもし私たち家族の近くにいてずっと話しかけてたら。私たち生きてる者には見えないし、声を聞いてあげることもできないのに、ずっとずっと近くで話しかけてたらどうしよう…と堪らなく悲しくなりました。 もし、死後も意識があってあの子が私に話しかけてるのに気付けないせいで寂しい思いをしてたらどうしたらいいのでしょう。

有り難し有り難し 18
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この世こそ地獄

私はうつ病4年目です。 子供や親を養うために仕事を辞める事も休職する事も自殺する事もできません。 病気は治るわけもなく、毎日クタクタになって帰宅しています。 休日は、ほとんどベッドの上です。 疲れやすく、何もする気になれず、欲しい物もないし、テレビも読書も以前好きだったのに何にも興味を持てず、ただただ毎日なんとか『生きるしかない』状態です。 自分が不甲斐なく、『生きなくてはいけない』事に疲れ果てています。 死 とはなんですか? 地獄 とはどこですか? 極楽浄土 とはどこですか? 私は、 死 とは、無 になることと思います。魂とか怨念とかそんなものはなく、ただそこにいた人間が居なくなり 無 になるのだと思います。 地獄 とは、存在しないと思います。 もし仮に輪廻転生があるのだとしたら、今生かされている この世こそが 地獄 だと思います。 うつ病だと知ると平気で差別し偏見を持ち疎外されてきました。 今、死にたい人に安楽死を許可したら世界の人口はいったいどの位減るのか…そう考えていただけたら私が言う この世こそが地獄 と言う考えを理解していただけるのではないでしょうか。 極楽浄土 とは、存在しないと思います。 もし仮に輪廻転生があるのだとしたら、転生されなくなった時を表しているのだと思います。 私は今生かされていますが、状態からすればもう 無 なのだと思うのです。 まとまりの無い話になりましたが、このまま、この世で死んだ様に生きていく事に意味はあるのでしょうか。 家族を養う事は大切です。 ですが充分な保険に入っているので大丈夫だとも思うのです。 残された人の気持ち…と言われると辛いのですが、どの道人はいつか死ぬのです。 この先も生き続けなければならないならば、こんな私はどのような心持ちで生きたらよいのでしょうか…

有り難し有り難し 23
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過ちの多い人生、老いて今後どう生きる?

人生の半ばを過ぎました。 思えば、過ちも恥も苦しみも多い人生でした。 そう意図したわけではありませんが、生きているだけで周囲や人様に迷惑をかけてしまいます。 子どもの頃から疎外感、自分という存在への違和感が強かったです。 不器用で運動神経が極端に鈍く、パニックになりやすい子どもでした。 普段は大人しかったので極端に目立ちはしませんでしたが、 子どもというのはそういう異質なものに敏感なので、小学生の頃はいじめられっ子。それからは普通に見えるよう、うまく立ち回る方法を何とか見つけようと努力するのが人生の第一義になりました。 大人になるとますます社会に適合するのが難しくなりましたが、 何とか職場では誤魔化したり繕ったりしながら潜り抜けてきました。 とんでもないヘマや判断ミス、ちょっと人に言えないような過ちも多かったです。 ただ一つ、自分でも賢明だったと思うのは、結婚も出産もしなかったことで、 親には申し訳ないですが、不幸の連鎖や再生産にならずによかったと思います。 今は孤独で、荒涼とした世界の一人ぼっちでいるような気持ちです。 普通の人間に生まれたかったし、普通の人のようにに生きたかった。 周囲の、同じような社会からはみ出したような生きづらい人たちは、 30代ぐらいで自死された方が多いです。 それぐらいが限界なのかもしれません。 しかし、私は小狡く生き延びてしまいました。今となってはそういう方たちの方が「正解」だったのかも。 もう今さら過ちを償う方法もなく、人生をやり直せる年齢ではなく、苦しみと孤独は深まるばかり。しかし、これも因果応報として受け入れるべきなのでしょう。 老いていくこれからは、ますます厳しい人生となるでしょう。 このまま無明に生きて、無明の中で死ぬしかないのでしょうか。 ないのでしょうね。 もうこれ以上人様に迷惑をかけないように、世捨て人のように生きるのが一番なのかとも思います。 こんな愚かな人生にも意味はあるのでしょうか?

有り難し有り難し 22
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鬱病の友人が心配でたまりません

私には長年本当に大切に思ってきた友人がいます。彼は1年ほど前から鬱病を患っており、沢山の苦労をしながらも、この半年間で徐々に彼本来の元気を取り戻していました。近々共に里帰りをしようと約束ができるくらいには、彼は回復していたように思えました。 しかし本日、彼が自殺未遂を起こしました。本当に突然の出来事でした。なんとか家に帰ってきた彼は声を上げて泣いていて、泣き止む頃にはぼんやりと一点を見つめながら、虚ろな目で「死にたくはないけど、生きていたくもないと思った」と言いました。 死に場所を探していた、という趣旨の話をぽつりぽつりと彼はしました。彼の両親と自分でただ話を聞いて、手を握り、抱きしめ、泣くことしかできませんでした。 あとから彼の恋人も急遽やってきて、同じように彼を抱きしめました。 彼はもともと希死念慮があるような人ではなかったので、これも病気のせいなのだと分かっています。しかし彼の口から「この方法では見た人がトラウマになる、この方法では、」と語られていくことが怖くて怖くて。虚ろな目が私をまともに映していないような気がして、ただただ無力を感じました。 自分の身内にも、「もしかしたら、があるかもしれない。ないといい。だけど覚悟はしておいた方がいい」と言われました。そんなの耐えられません。 自分は、今再びどん底へ潜ってしまった彼に対して、どのような心でいたらいいのでしょうか。常に心に重たい重りがあるようで、悲しくて、苦しくてたまりません。友人を失うかもしれないことが、どうしようもなく怖いです。 無力な私に何が出来るのでしょうか。友人に対して、ネガティブな心持ちになり過ぎないようにするにはどうしたらいいのでしょうか。 また、これは本当につまらない心なのですが、彼の恋人が来た瞬間彼はわざわざ走っていき、ひとしきり泣いたあと穏やかになり、むしろ笑い声も聞こえ始めるほどでした。彼が私をこれ以上ないほど信頼してくれているのは分かっているのですが、恋人には敵わないのか、私では彼のこころを癒すことはできないのかと、おかしな嫉妬にも駆られています。そんなことを言っている場合ではないのは痛いほどわかっています。この気持ちにも、どう折り合いを付けたらいいでしょうか。 長々とすみません。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 20
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父とどう付き合っていけばいいのか

3月初旬に遠方での結婚式出席を控えています その地域でコロナウイルスの感染者もでており、うちに高齢の祖父がいることもあって「欠席できないか」という提案を父にしました。 今回の結婚式は父の親戚で、息子の自分とは殆ど縁のない方の式です。自分には最悪死を伴うコロナウイルスのリスクを背負ってまで行く式には感じられませんでした。それに父自身もその親戚と親密なわけでもなく会うのは4、5年に一度程度で、まめに連絡をとっているわけでもありません。 それで父に、欠席を提案してみたのですが父は「病気になったらそれは運命だと思っている。だから病院にも行かないし(健康診断で要検査の項目があり、以前から受診するように私が父に打診していた)、コロナウイルスで死んでもいい」と言うのです。 私にはこれがひどく自分勝手なように思えてしまいます。実際のコロナウイルスの感染リスクはさておき、父だけ感染していまうのならまだしも、自宅にいる高齢の祖父や会社の人にもうつしてしまうリスクもあるのに「別にコロナにかかってもいい」と開き直られても… それに父は「病気になって死んでもいい」という考え方のようですが、「病気になると人に迷惑をかけてしまう」という考えが頭にないのでしょうか。昨今は、病気で突然亡くなることよりも、長い闘病や入院、介護などを経て亡くなることが多いと思います。その間に家族や職場の人、周りの人間に苦労をかけることになると思います。 決して「病気は迷惑をかけることになるから絶対になるな」というわけではありません。注意を払っていても病気にはなるし、世話になるために病院もあるし(良心の範囲)。ですが、自分で自覚・検査等で指摘されているのにも関わらず病院に行かず病気になり、最終的に人に迷惑をかけてしまうのはいかがなものでしょうか。私には他に兄弟も居りませんので、私と母と二人で父の面倒を見なければなりません。そもそもまず第一に、そんな簡単に自分の父親を死なせたくありません。 父がどういう意図で前述のように言ったのかはわかりません。本当にそう思っているのか、それとも私の言葉にムッときて大口を叩いたのか、中二病的な感じでそれが美徳だと思っているのかわかりません。死への願望が普段から在るのかもしれません ショックで立ち直れません。 私は今後どのような心持ちで、どのように付き合っていけばいいのでしょうか

有り難し有り難し 4
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消えたいです。

もう半年ほど前になりますが、私の兄が自殺しました。 しばらくは茫然自失といった感じで、あまり現実味もなく葬儀など終わらせ、とにかく仕事に打ち込む毎日でした。 その間は家に帰り1人になったとき涙が勝手に溢れたり、言いようのない自己嫌悪に苛まれていました。   最近になって兄について頻繁に思い出すようになり、まるで首を絞められているような感覚と、朝起きた瞬間から激しい動機や倦怠感を感じるようになりました。 いけないとは分かっていますが、自殺を考えてしまいます。 幼少期より家庭環境は悪く、私にとっては唯一の家族といえる兄がいなくなってしまったことで、昔から抱えていた辛さなどと重なって、もう耐えられないのだと思います。生まれてきたことが間違いだったと強く思います。   しかし、どういった方法であろうと死ぬことはほかの皆様に大変ご迷惑をおかけします。なんとか心療内科に連絡はできたので、少なくともそれまでは生きなければと思います。 そうして生きる理由を無理に作って死のうとしない自分にも嫌悪感を抱きます。   こういった時、気持ちを静めて希死念慮をなんとかやり過ごす方法はないものでしょうか。 まとまりのない読みづらい文章で恐れ入りますが、お教えいただけますと幸いです。

有り難し有り難し 13
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姑への怒りを消すには。。。

4年前に主人と結婚したのですが、結婚が決まった頃から姑への嫌悪感がどんどん膨らんで苦しんでいます。 一番最初は、私の父が亡くなった時でした。 私は10代で大好きな父を亡くしました。あまりの早い死に私は随分落ち込みました。 そんな時に、当時はまだ恋人という関係だった主人の母にされたことが忘れられません。 義母はある宗教をしているのですが、私の実家の近くに住む同じ宗教をしている知人に勝手に私の父の死と死因を話し、私の実家に寄こしたのです。 私にとってはまるで知らない他人がいきなり家にやってきて、父が死んで辛いでしょうなど、宗教の話しを絡めて不躾に慰めにきたのです。 当時父の死を受け入れられずにいた私にとって、どこの誰かも知らない他人に父の死を語られるのは、本当に苦痛以外の何ものでもありませんでした。 しかも、私はその宗教に入信しているわけでもなく、本当に悲しいやら、腹立たしいやらで、その一件で主人との別れも考えたほどです。 その後も、結婚式や披露宴でも、傷つくようなことをされました。 一生に一度の式でされたことを、どうやって自分の中で消化すればよいのかわかりません。 他にも色々と私の常識では考えられないようなことをされ、私はどんどん姑が苦手になる一方です。 ですが、私の中では、仲良くできるならしたいという気持ちはあるのです。 姑はおそらく悪気はありません。 そのことが余計に私を苦しめます。 そして何より、結婚してから毎日のように姑のことで悩む日々からどうにか脱したいのです。 死にたいと考えることさえあります。 ただ毎日を笑って暮らしたい。主人のためにも上手くやりたい。 私はどうすれば良いのでしょう。

有り難し有り難し 42
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まだ生きている気がする

先日大伯母が亡くなりました。 98歳という大往生でした。 通夜と葬式を昨日終えたところです。 晩年は認知症で私の事は忘れたようで「どちら様ですか?」と言われました。 それでも私は大伯母の事が大好きでした。 大正時代から生きて、結婚への圧力は凄かったでしょう。それでも生涯独身を貫き一人で雑貨屋を営んでいました。 実家から徒歩2分ほどの場所に住んでいたので、小さい頃から料理を作ったら届けに行くのが日課でした。 いつも笑顔で接してくれて、何歳になっても背筋が真っ直ぐでした。 就職にともない実家を離れてからは会う機会が月に1回、半年に1回と少しずつ減りました。 最後の日も母から「午前から血圧が高くなってるらしいの、またお見舞いにいってやって」 と言われ 「分かった、じゃあまた今度の休みに行くよ」 そのまま午後に大伯母は亡くなりました。 なぜ「また今度来るね」という状況を作れなかったのか、それは未だに悔やまれますが 大伯母は棺桶の中の姿があまりにも綺麗で、死化粧も素敵に施していただけました。 葬儀場の椅子が足りなくなるほどの人に囲まれ、顔が見えなくなるほどの花に囲まれ焼かれていきました。 私は、出棺の時に棺を持ち上げても、大伯母がわずかばかりの真白な骨に変わっても、その骨を箸で掴んでも、なんだかピンとこないまま今日を迎えてしまいました。 涙は出ないままでした。 むしろ誕生日をお祝いするように穏やかな気持ちのままなんです。 現実逃避をしているのかもしれません。 今もどこか大伯母が生きているようで、一人暮らししていたあの家にいるような気がしてなりません。 あずきサンドが好きで、熱いお湯で淹れたお茶が好きで 今日も電子レンジでご飯を温めすぎて「嫌な熱さだ」と怒ってるかな。 なんて考えてしまいます。 生きてる姿しか見えません。 こんな経験は初めてです。 今までは、誰が死んでも葬儀が終わるまでには実感が湧いてきて涙が出てくることばかりでした。 なぜこうも思い入れの深い人に限って受け入れられてないのでしょう。 そもそもこれは現実逃避なのでしょうか むしろすべて受け入れた結果のようにも思えます。 実感のない死との向き合い方 ご助言いただければ幸いです。 よろしくおねがいいたします。

有り難し有り難し 26
回答数回答 2