オーラのようなもの(?)が見えるという人から、「邪気が無い」と言われました。 その人によると、多くの人に邪気があるそうです。 また、私は白いものを放っているとも言われました。 「無邪気」って、子供に対して言う言葉かと思っていました。 そもそも、邪気とは何ですか? また、お坊さんたちも、一般人には見えない人が放つものが見えたりするのですか?
初めて質問させて頂きます。 先日、知り合いの葬儀に参列して、お坊さんのお話を聞かせて頂きました。心にしみる良いお話だなと感動したのですが、ふと一つの疑問が生まれました。そのお坊さんは「49日まで生まれ変わりを繰り返し、そしてご先祖様として私達を見守ってくれる存在になります。ご供養をかかさないようにしましょう。」とおっしゃっていました。『ご先祖様』という存在は今まで何の疑問もなく受け入れてきましたが、興味本位で色々な仏教書を読んでおりますと「人は生前の行いにより、亡くなった後何に生まれ変わるか決まる」といった輪廻という考えがある事を知りました。 もし生まれ変わり、新たな命としてこの世に存在するのならば、ご先祖様は存在しなくなるのでは?という疑問が生じて、先祖供養やお墓参りの時に誰に手を合わせているのだろう??と考えてしまいます。 「ご先祖様」はその姿形で私達の近くにいて、守ってくれているという存在だと思っていましたが、生まれ変わるのならば、何か姿形を変えて違う生命として私達の近くにいるという事なのでしょうか? 長々とまとまらない文章で質問させて頂き恐縮ですが、よろしくお願いします。
幼少の頃、テレビ番組で怖い話をやっていたときの1シーンでこのようなことを見て覚えています。 詳細は忘れたのですが、身の周りで幽霊をみたり奇妙な現象が起こって困っている人が歩いていると、お坊さんがその人を見て、あなた大丈夫ですか? と取り憑かれているものが見えるような感じで話かけ、お祓いか供養のようなものをして、その人は奇妙な現象や幽霊を見なくなったみたいな。 この話は投稿者からの話。 この話に限らず、お坊さんには見えないものが見えるてきに描写された奇妙な話というのは見たり聞いたりするものです。 実際こういうことはあるのでしょうか?
以前から何回も妻のことで投稿しているMKです。妻の信仰の問題はまだ解決途上です。 妻は先祖供養ができていないから、先祖が助けを求めてきている。先祖に罪深い人がいて苦しんでいる。その重みが自分たちにのしかかってきていると言っています。 ただ、私としては先祖供養は先祖を救う云々というよりは、生きている私たちが自分を振り返るためにするものだと最近思うようになりました。恐れや不安で供養するのでは先祖も迷惑なような気がしますし、どのような先祖であったとしても今自分があるのは先祖のおかげという気持ちを忘れないために供養することに意味があるのでは思うようになりました。 仏教において先祖供養とは一体何のために行うのでしょう?教えていただけると有り難いです。
私の担当するお客さんの店が閉店してしまうことが多かったり、 責任者が転勤になる、担当者がやめる、ひとが離れていくことが多く 機械ものが動かないことがあったり、誤って誤動作をしてしまうこともあります。 普段の心がけがわるかったり、自分中心で感謝がないのが、帰ってくると 言っていただいたことがありますが、自分ではなかなか判断がつかず 起きてしまってから後悔することが多いです。 これをなんとか良いサイクルにかえたいのですが どのようなことに注意をし今後どのようにしたらよいか アドバイスをいただけますでしょうか よろしくお願いいたします。
アナログからデジタルカメラに代わり、最近、心霊写真が減ってきたと感じています。昔は心霊写真があったらお寺に持って行って供養が必要と聞いたことがあります。 最近は、そうした心霊写真を持ってくる人とかはいますか? これまで怖い心霊写真を見た事があったなどという経験などありましたら教えていただきたいです。 また、万が一気味の悪い写真、つまり心霊写真が撮れてしまったらどうしたら良いでしょうか。やはりお寺に持って行くのがベストでしょうか。
私の妻は自分は霊感があり、憑依体質で、他人のしんどい思いや魂に取り憑かれる事が多く、病気や悩んでいる人に会ったり、電話で話すと、自分ももらってしんどくなることがあると訴えています。 また、神社を参拝して、神さまや仏様からのお告げが時々聞こえるようになったので、私の言うことを聞いてほしいと言うようになりました。 妻の言動にどう対応してよいか悩むことがあります。 仏の世界において霊、および霊感はどう位置づけられているのでしょうか?また、人間は神仏の声を聞くことは修行すればできるようなことがあるのでしょうか?