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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 嬉しい」
検索結果: 545件

会いにきてる?主人に会いたい、、

お世話になります。 主人が亡くなり、まだまだ気持ちの整理がつきません。未だ、仏壇の前に座れないでいます。 子どもがいるので、笑顔でパパの事を話したりしています、子供達も仏壇、お骨の前で挨拶したり語りかけたりしています。 フッとした時に、線香でもない、なんともいえないにおいがしたり、ん?と気をつけてにおおうとすると、においがなくなってたり… 亡くなった時のにおいといいますか… これは、主人が会いにきてるんですか? 子どもも、いきなり、ん?なんかパパのにおいがしたー!と言います。 私がまだ、くよくよしてるから、安心して成仏できてないでここにさまよっているとか?… 後は、お盆や、命日には、私達の1番近い場所にきてくれてるといいます。 ですが、亡くなったら、私達の近くにいる、そばで見守っているといいます。 亡くなったらいつでもそばにいてくれるものではないのですか? 亡くなったら、あちこち、好きなとこに行けるものなのですか? 自死でなくなっただけに、今頃後悔だらけで、笑顔で過ごしてる子ども達を見て、たまらなくなって、まだまだ安心どころか、ウロウロ、なってしまってるのではないか…と考えています… 主人の死を、まだまだ整理できません…

有り難し有り難し 29
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死にたいと思いながら生きるのは罪ですか?

先日母親と何気ない会話をしていた際に人間なんていつ死ぬかわからないし、未来なんかないと思って生きてかなきゃいけないと言ったら、後日母に「あんたよく死ぬことについて話すけど、死にたいわけじゃないよね?」と言われたので、重い話のつもりでもなく毎日死にたいと思いながら生きてるけど皆そんなものでしょ?と言ったら泣かれてしまいました。 自分は物心ついた時から毎日死にたかったし、毎朝目覚める度に今日も生きなきゃいけないと思っていました。 唯一生きなくてはと思う理由はペットがいたからですが、そのペットが死んだ時からもう生きる意味もなければいつでも死ねると思って生きてきました。 18歳の時に家を出た際、我慢できなくなって自殺を実行しましたが、助かってしまった時も嬉しくもなかったし死ねなかったとしか思いませんでした。 (自殺のことは親は知りません) 好きな仕事をして、夢を追っているのに、なんでそんな気持ちになるの?と聞かれて、好きなことができたら死にたくなくなるの?と聞き返したら、病院に行けと言われました。 飢えることも凍えることもなく育ててくれた両親に恩もあれば感謝もあります。 愛してくれているのは痛いほどわかります。 しかし、自分は血縁者というものは感じても、孤独感を感じなかった日は1日もありませんでした。 子供の時からいつも1人で誰とも繋がりがあると思えた日はありません。 逆に自殺を罪のように言う世界を見ていると、なんで生きることは良くて死がダメなのかがわかりません。 何かで人から認められることがあっても虚無感は消えないし、むしろ年々虚無感が大きくなっています。 人が死んでも困ることは強いて言うなら税金や火葬代がかかることくらいだと思っています。 なので20歳になった時に自身の火葬代と遺書を用意しましたし、後片付けの面倒をかけたくないので物も増やさないようにしています。 友達も私が死んでも誰も気が付かないまま生きていくでしょう。私が死んではいけない理由が何一つみつかりません。 世界にこれだけの人間がいるのに、ずっと1人だとしか思えない自分にとっては生きることはただただつらいです。どうしようもなくなったら死ねばいい…という希望だけが唯一の救いにしか思えません。 死にたいと思いながら生きるのはそんなにいけないことで、おかしいことなのでしょうか。

有り難し有り難し 12
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生きるのは苦しみ?

うつ病(持続性気分障害)の治療を10年近く受けていいる者です。 先だっては、お坊様方からのメッセージをいただきありがとうございました。世の中には良い人もいると分かり嬉しかったです。 前回の質問よりも「命」について突っ込んでお尋ねします。 生きているのが苦しくて苦しくて楽になりたいです。 死にたいと思うことがあります。 【 自分の命であっても、なぜ命を絶ってはいけないのでしょうか? 】 「生きたくても生きれない人がいる」「生まれてこれなかった命がある」「困る人がいる」「悲しむ人がいる」「ひとつしかないから」「死ぬのは怖いから」「ご先祖様からの預かりものだから」「命のリレーだから」「なかなか人間に生まれるチャンスはないから」などの答えに頭では理解出来ます。 しかし、死について考えているときは負のスパイラルの真っただ中にいるので、自殺のストッパーに全くならないのです。 本で読んだのですが、「お釈迦様も生老病死を苦しみとおっしゃった」そうですよね?つまり生きることも苦しみ。 だから修行して解脱し、二度とどこの世界にも生まれないようにするのですか? もしそうなら個人的にはしっくりきます。(でも結局は生きていてもつまらないですよね。) こんな質問をしていますが、本当は死にたくないという自分もいると思います。死にたがりの生きたがりなのでしょう。 お答えをいただけるとありがたいです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 48
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仕事に趣味に恋愛に、人並みに生きたい

こんばんは 以前御相談させていただいた時から、2年ほどが経ちます。 とても心が救われたのですが、あれから広場恐怖症になりました。 突然電車に乗るのが怖くなり、エレベーターが怖くなり、酷い時には閉められた車の中で人を待っているのが怖くなりました。すぐに出ることができない状況がどうしようもなく怖くなりました。 そんな広場恐怖症が少し落ち着いてきた矢先に、次は体調の変化が急に怖くなり、病気や死に対する漠然とした恐怖で頭がいっぱいになりました。少しでもどこかが痛い、違和感があると病院に駆け込む日々でした。 それもこの1年ほどは落ち着いていたのですが、また1週間前から再発です。 きっかけは腕のしびれ、痛みが出たことから。1年前と同じく、インターネットで自分の症状を調べては怖いものばかり見て落ち着かなくなる一方で、今回も病院に駆け込みました。 結果は心配しているものは特になかったです。 ただ採血の結果で、「少しこの数値が気になるかな。問題はないと思うけど。」と言ったお医者様の言葉が次は頭から離れず。 もともと私のやりたい放題の生活で、肥満になっており、このことがきっかけで生活習慣改めなきゃ。となりましたが、1つ解決したら次の病気を怖がり、自分自身とても疲れてきています。 長くなってしまいましたが、アドバイスいただきたいことは1つ。 どのような考え方を持てば、毎日を笑顔で過ごせるようになるでしょうか。 私は27歳です。これからの人生、色々なことがあると思いますが、仕事に趣味に恋愛に、余計なことを考えずに一瞬一瞬を楽しみたいのです。確かに健康に対する注意は持ち続けなければいけないことは分かっています。でも今それが頭の中の全てを支配し、恋愛も仕事も手につかなくなっています。まだなにも分からないことに怯えて、不安な気持ちだけで1日を過ごしたくないのです。 どのような考え方で生きれば、楽になるでしょうか。

有り難し有り難し 6
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悲しみから立ち直れません。

テレビで此方のサイトを知り話を聞いていただけるかと思い書き込みをさせていただきます。 一人息子(20代前半)が自死の道を選んで約一年が過ぎましたが悲しみから立ち直れず毎日泣き暮らしています。   彼が一歳になる前に離婚し親子2人で頑張って暮らしていました。  元々精神的に不安定な子でしたが昨年一月頃住居を訪ね(大学進学し、そのまま離れて暮らしていました。)帰ろうとするとひどく嫌がり半泣き状態になりました。  私も仕事があり帰らない訳にはいかなかったのでその時は小まめに連絡を取り(週に2~3回 電話・メール・手紙等)様子を見ていました。  4月に訪ねた時は落ち着いていたようなので安心して帰ったのですが、私が帰って10日後に電話で話し、また行く約束をし「待ってるから。体に気をつけてね。」と言ってくれたのにその後に命を絶った様です。  私は話をしたことで安心してしまい一週間後に手紙を出し(手紙は返事をくれないことが多かったので気にも留めていませんでした。)、その1週間後に警察から連絡が来るまで何も知りませんでした。  一人でどんなに寂しかったろに・・・。 遺書もなく、何故一人で逝く事を選んだのか解かってやれない事も辛いです。  最後に会った時に「お母さんもこっちで暮らせばいいのに。」と言われたのに「色々有るから来れないよ。」と答えた自分が許せません。  どうして一緒にいてやらなかったのか・・・。  何をしていても子供のことを思い出し涙が出てしまいます。 時に物凄い後悔の念と虚無感、恐怖感等を感じてしまいパニックの様になる時もあります。   あの子の所に行きたいのですが本当に優しい子だったので今、私が行ったらきっと悲しむと思い、その想いだけで踏みとどまっている次第です。 元々反対されていた結婚でしたので身内は冷たく、死因の事もあり話す事も嫌がられるので相談できる相手もいません。  ただ一人で泣くだけです。 もうすぐ命日が来ますがその日が越えられるか自信はありません。 どうすれば心がしっかり持てるのか教えてください。  お願いします。  

有り難し有り難し 43
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父が死にました

私の父は癌で昨年の5月に亡くなりました。余命を宣告されて2年後のことでした。 余命が長くないことを知り、宣告された日から父を喜ばす気持ちで学業や様々な活動に専念しました。テストでいい成績をとって報告するなど、それくらいしか私にはできることもなく、とにかく頑張りました。 ある日、留学のパンフレットに目が止まり、自分の夢も諦めきれず、長期の留学を決意しました。父のこともあり、複雑でしたが、両親は賛成してくれました。 留学して4ヶ月、父の容態が悪化し、一時帰国しました。 久しぶりに会った父の顔は、薬の副作用の痛みからか強張っており、お腹に水がたまり、最後に私が見た父は消えていました。再会した次の日に、私は1日看病をする予定だったので、その日はほんの少し話して帰りました。 次の日の朝、看護婦さんから父が息をしていないと電話が入りました。 病室に着いた時、父は口が開いた状態で、心電図の停止を知らせる音が鳴り響いていました。今でもその瞬間を忘れられません。そのまま父は息を引き取りました。 それから、死を受け入れることへの恐怖からか、自分を忙しくすることで逃げました。留学に戻って、忙しい日々を過ごしました。 昨年冬に帰国し、大学受験に挑戦しましたが失敗しました。もう一年勉強しようと構えていたのですが、予備校が始まるまでのこの期間に暇な時間ができたことで、父のことを考えるようになってしまいました。 気力がどんどん下がり、あの日のことを後悔するばかりです。なぜ、もっと話さなかったのか、感謝の気持ちを伝えられなかったのか、明日生きてる保証がないと理解していれば、、、意識が低かった、と。それに、留学もしてよかったのか、父の側にいてあげればよかったと後悔が募るばかりです。 今は、大学に進学する目的も見失い、頑張る目的がわからなくなりました。喜ばせる父もいなくなり、どうしたらいいか分かりません。 父の死をしっかりと受け止めることで前向きに生きたいと頭では思うのですが、心がついて行かず、無気力になってしまいます。 今後、父と向き合うにはどうしたらいいでしょうか。

有り難し有り難し 31
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