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hasunoha 問答検索結果 : 「 執着 」
検索結果: 3214件
2025/04/23

自分本位な生き方

昨年質問させていただいた者です。 おかげさまで、あれから少しずつ考え方が変わって来たのと、周囲の人に恵まれて笑顔で過ごせる日が増えたように感じます。 本当にありがとうございました。 今回は自分本位な生き方について教えていただきたいです。 私は自分のことを後回しにしたり、自分の気持ちを押し殺してしまう面があります。 自分よりも周りの人を優先したり、我慢する事が当然だと思っていたので、無理をしているというより、昔からこのような性格でした。 ただ私のやっていた事は、周りの人のためにというより過剰に人の目や世間体を気にして、ただ自分の気持ちを押し殺してきただけだったのではないか?と最近は思うようになりました。 実際に私の行動で周りの人から感謝してもらえたこともあったので、そういった点は今後も大事にしたいなと考えています。 一方で、 ・本当はもっと仲良くなりたい人から一緒に食事に行きたいと言われたのに「社交辞令だろうから本当に誘ったら迷惑だ」と思って結局疎遠になってしまう ・本当は恋愛や結婚もしたいけど、労働時間が不規則な仕事であることで、どうしても迷惑をかけてしまうのではと躊躇ってしまう ・本当は大好きな趣味があるのに、周りの同級生は結婚して子どももいるし、趣味ばかりなのはよくないかなと考えやめてしまう ・本当はもっと幸せになりたいけど、五体満足でご飯も食べられてる今で十分だと満足するべきでこれ以上望んではいけない というように、自分の本当の気持ちを押し殺してしまっていたかなと心当たりがいくつかがあります。 ただの考えすぎ、自信がないだけ、気持ちの問題だと思ってましたが、最近職場の上司数人からも「もっといい意味で自分本位になっていいんじゃない?」と言われた事で、もう少し自分が生きたいように生きてもいいんじゃないかなと思いました。 もちろん目には見えない苦労もあるかとは思いますが、みんな当たり前のように自分の幸せを大事に生きていてすごいなと思います。 この性格で色々なチャンスを逃してきてしまったと思います。どこかの誰かのための人生を生きているようで、この性格に疲れてしまってる自分もいます。 どのように意識すれば、もっと自分本位に、自分の幸せを大事にできるでしょうか? 長々と駄文失礼しました。 ぜひアドバイスいただけますと幸いです。

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仏教における勉学

ご閲覧頂きありがとうございます。 仏教から見た「学問を勉強すること」についてお聞きさせて頂きたいと思います。 中村さんのブッタのことばを読んでいるのですが、賢者を説明するのに「貪りを離れ~」「妄執も存せず~」といったような文が並ぶのですが、その中に「学識あり」というものがありました。 誰だったか忘れてしまったのですが、「生きているうちに全てを学ぶことはできないし、今まで学んできたことだって(歴史など)事実かわからないんだから、そんな不確かなものに縛られるくらいなら勉強なんてやめて、今ある物事の姿から真理を見いだし自分のあり方を決める能力をつけろ」といったような内容の言葉を聞いたことがあり、またその人が確か有名な宗教家?だったので私は「宗教は学問に肯定的でない」、という偏見をもっておりました。 ブッタのことばで「学識あること」を良い意味で書かれているのを見て、「では、仏教での勉学はどのようにとらえられているのだろう?」と気になったために今回は質問させて頂きます。 仏教では勉強はするべきことなのかどうか、またするべきなら何故なのか、など仏教から見た勉強についてを教えて頂きたいです。宜しくお願い致します。

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小さな友達

つい先程、ペットの金魚が亡くなりました。今日のお祭りで金魚すくいで出逢った子で、 本当に可愛い金魚でした。雑種でオレンジに黒のまだら模様で片方の顔が黒くて眼帯をはめてるような見たことのない金魚でした。 琉金の特徴が一番強く、少し丸くて三尾の可愛い金魚。一週間看病しましたがお昼前に亡くなってしまいました。 昨日まで、元気だったのに。絶対に病気を治すと決めたのに。最初は片方のヒレが動くなり、別のバケツに移し、塩浴させてました。ヒレが白いのと尻尾が切れているのに気がつき、薬を飼いましたが改善しませんでした。結局、水カビ病と尾ぐされ病という病気でした。薬浴中に無くなってしまうことは、あるそうです。早く治してあげたくて、病気の治りが悪いから、私は今回、薬の種類を切り替えでしまいました。小さな金魚にとって薬を切り替えることは死ぬリスクも伴うことは知っていましたが、最初の薬でなかなか治らないのと早く治してあげたくて、薬で治療しているのに後から後から、病気が出てくるので、やもうえず薬を変えました。まさか死ぬなんて。昨日まで元気でした。今日のお昼前に電池が切れるみたいに、ブルッと動いて無くなってしまいました。まさか、死ぬなんて。最初はヒレが動かないだけだったのに。すぐに塩浴したのに。いつもこれで元気になるのに何でって思いました。たったの7ヶ月でしたけど、友達でした。植木の根元に埋めてお線香を上げました。いつまでも泣いてちゃ浮かばれないですよね。ありがとう!って言わないとダメですよね?本当にかわいくて支えで、私がボロボロだったとき、支えになってくれました。ありがとう!っていったあとどうしても、涙が溢れてくるのですが。。。

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自業自得では?「助けてくれない」と泣く母

先日、母が「困ってそうだなってわかるならどうしたのって1言声かけてくれたらいいんじゃない?」と言って泣きました。 母は特殊な環境で育ち、私達子どもの目から見てもかわいそうな身の上ではありました。 母は子ども最優先の幸せな家庭を本人なりに描いて実行してきたつもりだったのですが、母には〜すべきという思考グセといつも誰かに・何かに責めを受けているような被害的な気持ちをいつも持っている人でした。 結果、束縛・八つ当たり・見下し・良くない態度・押し付け・時には直接的な暴力や嫌がらせが家庭内で発生し、父や私達を困らせ、さらには敵視するようなことにもなっていきました。 そんな環境で育った私達もやはりそれぞれに歪みを持って育ちましたが、社会との関わり・人との出会い・己を見つめ直し努力し、今日まで生きてきました。 そうやって生きてきた私から見れば、今回の母の叫びを私は白けた気持ちで見ることしかできないのです。 母は被害的でありそこに対して己と向き合うことはせずいつも他のせいにして生きてきました。 今まで己の中のもやもやを八つ当たりをすることで終わらせてきましたし、忠告をしても困るとからとお願いしても「私が悪いんでしょ!」とヒステリックに拒絶してきており、「誰も助けてくれない」という今の状況は単に今まで自分がしてきた事の結果ではないかと思うのです。 歩み寄っては傷つけられるばかりでバカらしくなっているのも事実です。 私は冷たい人かもしれませんし、母は愚かだと思います。 人にはそれぞれできることできないこと、得手不得手があり、同じようには生きられないこともよくわかってはいるつもりですし、どう願っても関わっても変えられないものもあることもわかっていますし、立場や価値観が見方が違えば生き方も感じ方もすべて違ってくることもわかります。 しかしこれが子にとっての親というものなのかこのまま母が苦しい中生き続けて行ってほしくはないとも思うのです。 私としては最善をつくしできることはやり切ったと思っており後は本人次第と思っておりますが、母の今後の幸せを願うこの気持ちは何でしょう? またこの件で私にできることは母への働きかけでしょうか? それとも己の心の成長でしょうか? 長文お読みいただきありがとうございます。 よろしくお願いします。

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綺麗事と現実のギャップについて

こんにちは。 質問を見てくださってありがとうございます。 「自分らしく生きよう」 「自分に自信を持とう」 「他人に何を言われても気にせず自分の道を行こう」 「そうすれば幸せになれる」 …そんな言葉を、色々な本の中でよく見かけます。 しかし、現実は厳しいです。 私は学生時代、見た目がよくないことでいじめられてきました。 何もしていないのに殴られたり、暴言を吐かれたりしました。 勉強はそこそこできました。でも私は間違いなく不幸でした。 テレビを見ていても、見た目が良くない人に対しては何をしても良いという暗黙の雰囲気を感じます。 社会に出てからは、仕事も自分のできる範囲で精一杯頑張りました。 しかし周りにもっとすごい人がいると、「お前はあいつに比べてどうしてそんなにできないんだ」という評価をされます。 評価が下がると、給料も下がります。周りからもヒソヒソされます。 それは不幸ではないのでしょうか。 だらだらと書いてしまって申し訳ありません。 私が聞きたいのは、「どんなに綺麗事を言っても、結局現実を見ると「自分らしく」なんて生きられない。理不尽なことばかり。自分の中で精一杯やって、自分なりに頑張っていたとしても、社会では他者からの評価が悪ければそれで終わり。そんな現実とどう向き合っていけばいいのか。」 ということです。 よろしくお願いいたします。

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