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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 」
検索結果: 5048件

「死」を考えると気持ちが落ち着きます。

母の自殺から数ヶ月が経ちました。 四十九日を終え緊張の糸が切れたのか、うつ病が悪化してしまいました。 自責・不安・焦り・虚しさに毎日襲われます。気晴らしに…と好きなことをしても、楽しくありません。 また、母の自殺をフラッシュバックしてしまうため、"母が自殺した日"を何度も何度も追体験してしまいます。つらいです。 服薬治療も含め、できることは全てやっています。 でも、3年経った今も改善しません。それどころか悪化したので、「元気になりたい」という気持ちが湧いてこなくなりました。 以前は「元気になる」という目標がありましたが、今はそんなことを思えるほどの気力がありません。ただただ、生きるのに疲れました。自殺未遂をするほどには。 ただ、窓の外をぼんやり眺めながら遺書の内容や死ぬことを考えていると、心が落ち着くのです。 虚しさや不安を忘れ、「死んだら母のところに行けるかもしれない」と希望も湧いてきます。 以前こちらで相談したとき、【先に往かれた親しい方々やご先祖様がお母様をあたたかく優しくお迎えなさって下さいます。】と回答をいただいきました。 ふとそれを思い出し、「わたしが死んだら母が迎えてくれる、死んだら母に会えるんだ」と嬉しくなりました。 嬉しいなんて気持ち、久々に湧きました。だから、ホッとしたのかもしれません。 「死」を考えることで心が穏やかになるなんて、おかしいでしょうか。 また、心身共に疲れ果て気力がなくても、自分に鞭打って生きなければいけないのでしょうか。 わかりません。教えてください。

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息子の死

はじめてお話させて頂きます 昨年の夏に二十歳の息子が事故で亡くなりました。 先日は一周忌と新盆の弔いを行いました。 現在の私は 息子の位牌や墓前では 息子が悲しまないように、心配しないように 笑顔でいることに努めています。 ですが、頭では理解していても 心は現実を受け止めきれていません。 休日は1日中涙が止まらない日もあります。 息子の事故当時一緒にいた友人達は 月に一度は家に来てくれて、他愛も無い話をして 帰っていきます。 息子を忘れないでいてくれることが とてもありがたく思えます。 その友人達や、私の会社の人、親戚以外で 息子の事故を知っている人には会いたくありません。 優しい言葉を頂いても、現実を突きつけられているようで 悲しくなります。 息子は、なぜ死ななければならなかったのでしょうか? 息子に会いたいです。 ただただ、息子に会いたいです。 この場でお話するのは間違いなのでしょうが・・・ 私は、死後の世界もその類の話も信じてます。 なので自殺をすると、息子と同じところに行けないと 思っているので自殺も出来ません。 今はただ、自分の寿命が尽きて 息子の所に行けるのを待つのみです。 優しい言葉も、明るい未来も要りません。 今でも、明日にでも息子に会いたいです。 皆様、まだ二十歳の息子は なぜ死ななければならなっかたのでしょうか? 会いたいです。

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父の死

実家で火災があり家が全焼、昼寝をしていた父が亡くなりました。 祖母と後妻さんと暮らしていた父。後妻さんの手前、会うのは年に数回でしたが、今年息子が誕生してからは毎月会っていました。 気性の荒い父でしたが初孫の誕生を心から喜び可愛がってくれました。ただ私がコロナを非常に警戒していた事もあり、抱く時はマスク二枚重ね必須。差し入れを持って家まで来てもらったにも関わらず抱かずに帰ってもらう事もありました。息子にキスしようとした父に『やめて!』と怒った事もあります。 まさか父がこんなに早く、しかも突然亡くなるなんて。息子が生後半年を迎える5日前に亡くなってしまいました。『今忙しいから』と言って数十秒で電話を切ったのが最後の会話です。 母との離婚を通して精神を病み、いつも声を荒げていた父ですが、孫の前では常に目尻が下がっていました。ここ数十年見たことのない笑顔は昔の優しかった頃の父でした。なので今思い出すのは笑顔の父ばかりです。 息子の成長をもっと父に見せたかった。私も親になりようやく父の苦労が分かり始めてた矢先にこのような事が起こり涙が止まりません。父と息子の写真は3枚のみ。しかも全てマスク着用。家が全焼してしまったので遺影がこのマスク姿のものしかありません。 なんであの時マスクを外して撮影しなかったんだろう。なんであの時息子を抱かせてあげなかったんだろう。ぷにぷにの赤ちゃんの頰にキスするくらいいいじゃないか。後悔ばかりです。 父に会いたい。不器用だけど、たくさん私を愛してくれた父。母をたくさん傷つけた父が許せず顔を合わせば常にぶつかってばかりだったけど、本音は父の事が大好きでした。 気持ちの整理をするために私は今後どうしたら良いのでしょうか?

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2023/03/25

実際に死とどう向き合っていますか?

以前より、死の恐怖について相談をさせていただいており、大変お世話になっております。 たくさんの方から頂いたご回答はどれも暖かく、そして勉強になっております。ありがとうございます。 問答の中で、自分の弱い点や、認知や考え方の歪みがわかり、この方法で恐怖を緩和していこうという方向性は見えつつあるのですが、恐怖緩和に対するどの方法を行うにしろ、習得や納得(体でわかるまでやる、なども含め)には多くの時間を要します。死は人生の命題ですので、一年やそこらで恐怖が激減し、納得することはできないと考えます。 私は方向性としては、禅などの「体で納得」を目指したいと考えていますが、これこそ一朝一夕で身につくものではないですし、仕事等による時間の制約もあり、納得に至るには長年の修行が必要だと感じています。 そんな風に時間をかけてゆっくりと学びを深めてはおりますが、もちろんその間にも死への強い恐怖感は消えません。特に、楽しいことがあった日の帰り道や夜には、必ず「この思い出も自分の存在もいつか消える」という思いで気が狂いそうになり、パニック症状が出ます。 それを、娯楽へ走ったり、禅と宗派は異なりますがお念仏に頼ったり、お墓やお寺に行ったりと、一時凌ぎでやり過ごしているのが現状です。このように、最近は「いつか死ぬ」ということがいつも恐怖で気掛かりで、楽しい・嬉しいなどのポジティブな場面が心から楽しめないような感覚になっています。 前置きが長くなりましたが、 お坊さん方の中に、今に至るまでに修行をなされている間に私のように気持ちが揺れたり、恐怖でパニックになったりしたご経験をなされている方がいらっしゃいましたら、「ご自分が一旦、その問題(私で言うところの死の恐怖)への納得感を得られるまで」に、どのような心持ちや行動で過ごされていたのかをお聞きしたいです。 また、現在も私は死の恐怖緩和についての対処を学んでいる最中ですので、もし同じ問題に悩み、納得した方法や考え方があれば、併せて教えて頂けると嬉しいです。 お時間ある時で構いません。様々なご回答を聞きたいです。お手数をおかけ致しますが、ご回答頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

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ある僧侶の死

前回の質問時に生じた質問です。 もう何年前のことだか正確に覚えていませんが・・・ある日のこと、前途ある若き僧侶が殺害されました。夜間、路上で危険行為をしていた青少年らを注意したところ、逆上した彼らに暴行され、その末に息を引き取ったそうです。 当時、この報道を偶然テレビで観ていた私はとてもショックを受けました。僧侶という特殊な立場の人が犠牲になったことや、私個人のそれまでの想いや経験とも重なったのでしょう。暫く、忘れられませんでした。けれども、年を経るごとに少しずつ忘れ、思い出すこともなくなりました。しかし、数年前にお坊さんが書いたあるエッセイを読んだ時、一気に思い出したのです。 そこには偶然にも、あの事件のことが書かれていました。もちろん、実名などの記載はありませんでしたが、私はフラッシュバックのように、当時、テレビに映し出されていた事件現場を思い出しました。どこにでもありそうな人気もまばらな夜間の風景、暗い夜道と街頭、街頭に照らされた白いガードレール、記事を読む女性アナウンサーの声。 筆者と被害者の男性は、修行道場で先輩・後輩の関係で、男性は修行を終えて実家のお寺に帰った後に急死。彼の父親であり、師匠でもある住職は、葬儀の挨拶の中で、こう述べたそうです。 「それでも、許さないといけないのでしょうかね・・・」 仏教の教えでも、何であっても、人は皆平等で、言動には大なり小なり理由があります。加害者となった青少年らにも、殺意があったかどうかはともかく、腹立ち紛れに暴力をふるった原因や理由がそれぞれあるでしょう。しかし、だからと言って許せるかどうかは、また別の話。けれど、許すか諦めるかしなければ、生きている限り、苦しみ続けなければならない。また、こういったことが二度と起こらないように、暴力事件の被害者の方々が活動しておられますが、その活動は別として、果たして、彼らに救いはあったのでしょうか。 「許す」って何なんでしょう。諦めたら救われるのか・・・ただ、どうしようもない「ままならぬのが人の世だ」と分かっただけではないのか・・・「救い」って一体、何なのでしょうか。

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自死について

私は難病に罹患しており毎日その症状と向かいあっております。 『治療法は残念ながらありません』とドクターに言われても痛みに耐えられないので何度も病院に行き、せめて症状を緩和する方法や薬などないかドクターに聞くと。 『だから難病なんですよ』と言われてしまいました。 口腔内の痛み 鼻の痛み 喉の痛み 舌の痛み 気道の痛み 呼吸をするたびにドライヤーの風を吹き付けられているような症状等々。 痛み止めは効かないです。 痛みと苦しみがエンドレスで半永久的な辛さで少しずつ進行しております。 気が遠くなるような長い闘いですが頑張ってきました。 毎日24時間続く痛みを緩和する方法はないか自分なりに試行錯誤して工夫して来ました。 西洋医学だけでなく東洋医学も試しました。 この難病を受け入れて上手く付き合っていこう。と夫と子供達にも励まされ一日一日を頑張って生きてきました。 現代の医学をもっても『この痛みを緩和する方法はない』と言われても、私はあきらめず自分自身で色々な事を試しましたが痛みを緩和する事ができませんでした。 自ら命を経つのは良くない事だとは分かっています。だからこそ家族の為にも今まで病気と向き合いながら生きてきました。 私も本心は家族と別れたくはありません。ずっと一緒に居たいです。 しかし最近はあまりの痛みに、死んだらこの永遠に続く痛みから解放されるのかもしれない。痛みのない所に行きたいのです。 家族と一緒に居たい自分がいるのに、痛みの支配が大きくて痛みには勝てません。 自ら命を経てば阿弥陀如来さまに地獄に落とされますか? 現世では難病でこのような日々を過ごし。 来世もまた地獄に行きますか? どうかお教え下さい。

有り難し有り難し 34
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