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hasunoha 問答検索結果 : 「 死後 」
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手元供養につきまして

手元供養についてお伺いします。 私は、物には大切な人の魂のカケラがこもっているという信念に近い想いがあり、幼少より物に対して強い依存心を抱いて育ちました。 そんな私にとって、遺骨は故人を偲ぶ一番のよすがで、両親や愛犬が亡くなったらアクセサリーに埋封して肌身離さず手元供養したいと願っております。 ただ、両親は手元供養には強く抵抗があるようです。 愛犬に関しましては、好きなようにしていいと言ってくれるのですが、自分たちはきちんとお墓に埋葬してほしいと言われています。 勿論、手元供養をする場合には、自分が亡くなった時の事も考えて最後は土に帰れるよう遺書に書き残すつもりですが、両親はそれでも絶対に嫌だと言います。 遺骨だけでなく、遺髪を手元供養する事も拒否されました。 この状況では、やはり、両親の想いを無視して遺骨や遺髪を手元供養する事は許されない事ですよね… また、上述しましたように、愛犬に関しては手元供養しても良いよと両親は言うのですが、そもそも手元供養する事で愛犬の魂を苦しめるような事はありますでしょうか? 以前聞いた話で、手元供養をすると、その時土に帰れなかったお骨のせいで、輪廻転生の際に身体に不具を負って生まれてくる事になると聞きました。 最後は自然に帰れるようにするつもりとは言え、やはり、両親はもとより愛犬も手元供養しない方が良いのでしょうか? 両親に関しましては、日常使っていた物などが形見として残りますので、手元供養がダメならば形見を両親を偲ぶよすがと思おうと思うのですが、愛犬に関しましては、普段身につけているものは首輪くらいで、それはおもちゃなどと一緒に火葬してあげたいと思っており形見がほとんど残らないため、遺骨がダメならば遺毛を少し頂いてそれを手元供養できればと思っているのですが、それも許されないでしょうか? どうか、ご教示頂きたく、宜しくお願い申し上げます。

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芸術家になれないなら死にたいです

3歳の頃からピアノを習っていました。その頃からいつだって私の一番は音楽でした。 しかし、同じ時から「音楽だけで食べていける人なんて一握りだから(私はそうではないから)」と自分と家族に言い続けていました。ピアノ教室にはその後十数年間は通いましたがプロを目指そうとしたことはありませんでした。どういう理由でそんなことを言い始めたのか自分でもわかりません。ただ時々、音楽家になれない自分の苦しみを家族のせいにしたくなった時は、「幼いながらに家庭の経済事情を慮ったからではないか」と考えます。 映画と美術品と文学も好きです。そして、それらを創作する人々にどうしようもなく憧れています。 この質問のタイトルの「芸術家」について、「創作活動と表現活動が生活の一番大きな部分を占める人」と私なりに定義してこの名称を使いました。私はそのような人ではありません。今は大学の勉強、卒業すれば(今のままならおそらく)会社勤めを中心とした生活を送り、趣味で芸術に触るだけの人になるのでしょう。 「音楽だけで食べていける人なんて一握りだから」という呪いを無意識に自分にかけ続けてきた。それが呪いだということにも今更気がついて、残っているのは後悔だけ。 そして現在は、「音楽だけでは食べてはいけていない人」を見つけては自分を慰めています。自分からその人たち世界に飛び込むこともしない。私は醜いです。 音楽を、映画・美術・文学に置き換えても同じです。毎日、毎分毎秒、芸術を追いかけて、新たな芸術に出会うたびにそれを愛して、同時に「自分には創り出せる代物じゃない」と泣き喚く。 悲しくて悔しくて恥ずかしくて苦しいです。しかし芸術への執着に折り合いをつけたい訳でもありません。 ただ、こんな無様でみっともない人生ならさっさと幕を下ろしたいです。 この質問を書き込んで、これからも芸術を一番に愛します。芸術家になりたいなりたい、なれないなれないとどうしようもない事柄を嘆き続けます。自殺に失敗するようなリスクは取れない臆病者のまま生きていきます。

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