最近、読んだ仏教の本の中で悪徳政治家や悪徳業者、犯罪者(特に殺人犯)は地獄ヘ落ちると書いてありました。 本には書いてなかったのですが、よく自殺者も地獄へ落ちると聞きます。 そこで質問なのですが、自殺未遂をした事がある人は、どういう位置づけになっているのですか? 自殺未遂者の死後はどうなるのですか。未遂者はたまたま運良く死に至らなかっただけだと思いますが、自殺を決行した罪はたとえ自然死しても消えることはないのですか? やはり殺人未遂と同じくらい罪な事になって地獄行きや生まれ代わる時に何らかの支障が出るのでしょうか? 2度もやってしまいました ※あくまで天国や地獄が存在する前提での話です。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php;_ylt=A7dP5XLVuAtWHAoAiLOV_PN7?page=2&qid=1367098398&pos=1&ccode=ofv
こんばんは。 いつも有り難いお言葉をありがとうございます。 私は罪を犯しました。 そして、こちらで懺悔するようにとのご回答をいただきましたので 自宅でではありますが懺悔し、 日々の生活の中でも懺悔の気持ちを持ち、 家族を大切にし、 できるだけ良い行いをと心がけております。 この先、同じ罪を重ねることは決してありません。 過去の罪により、心がとても辛く、重いです。 しかしそれは、仏様が私に罪の重さを知らしめてくださった 気づかせていただいた 懺悔の機会を与えてくださったのだと考え、 仏様に感謝するようにしています。 そして今、死後のことを考え とても怖いのです。 いくらこれからを善く生きたとしても、 死後罪人として、地獄に行かなければならないのではないかと 怖くてたまりません。 あまりに怖くて、元々持っているパニック発作が出てしまうほどです。 私はこの先、心が軽くなることはあるのでしょうか? また、死後地獄に行かなくてもよい道はあるのでしょうか? どうか、お救いください。
私は、現在中学生ですが、これまでに沢山の罪を犯してしまいました。(特に小学生時代が酷いです💦) 例えば、意味無く蟻を踏み殺したり、親のお金や、図工の時間に自分が無くした部品を友達の袋からとってしまったりしました。また、いらいらしていてものを投げてしまった時に仏壇に当たってしまった事もあります。 最近、自分が今までやってしまったことを思い出し、身近にいる人には謝っていますが、まだ謝れていない方も沢山います。 自分のことばかり考えて他の人のことや、後先を考えずに行動してしまった自分が悪いです。 でも、私は死後に地獄に行きたくないです。 今はとても幸せな生活ができているので、死後に大変な思いをしそうで怖いです。 私は死後、極楽浄土に行けるのでしょうか…? また、謝れていない人へは、どうすれば良いのでしょうか…? 文章がまとまっていなくてごめんなさい。宜しければ回答お願いします🙏
最近、死についてよく考えています。僕は死後の世界があると信じています。 でも死んで生まれ変わっても家族や友達と離れてしまう可能性がある、ましてや次は人間にも生まれ変われないんじゃ、さらに死後の世界が無く死んだら同じ魂を持って生まれ変われないのではと とても恐ろしい想像をしてしまいます。 更に今すぐにでも家族や自分が死んでしまうのではと日々その事ばかり考えてしまいます。 どうか僕の不安を和らげて頂ける回答おまちしております。
自ら死を選ぶ人間を仏様は許してくれるでしょうか? それだけが心配なのです。 沢山悪いこともしてきました。ですが、死後は心地よい風に当たり何も考えず空を仰いでぼうっとしていたいのです。 わがままなのはわかります。 許して欲しいのです。家族を助けた後は私は一人になります。どうしてもその選択しか出来ないことを許してください。 死後も辛いのは嫌なのです。 ごめんなさい。どうか許してください。 仏様はこんな私を笑って包み込んでくれますか?
お時間をいただきありがとうございます。 僕は今は中学3年生です。最近、死後について考えることが増えて きています。 そのなかで地獄がとても怖く感じました。 虫を殺しても地獄行きなのでもうとても悲しいです。 しかもとても残酷な拷問があるとおもうと、例えば切られたり刺されたり、 地獄におちるのがとても怖いです。 あるサイトでいい行いをしても帳消しにはならないとかいてありました。 地獄は存在するんでしょうか、僕はまた人間に産まれたいです。 僕の親は日蓮宗を信仰してしまいます。 死後は霊山浄土へ行けるとネットではかいてありました。 それは極楽なところなんでしょうか、 どうか悩みをおはらしいただけると嬉しいです。
私は仏教ではなくキリスト教の両親を持ち、とても厳しく育てられました。 私の兄弟、そして親族の殆どがその宗教を信仰しています。 ずっと両親は私が同じ宗教で学び続けることを望んでいました。 しかし私は規律を破り、破門され、親やその親族と話したりできなくなりました。 私が反省の意を示し、宗教に戻るまでは会って話すことは許されません。 私にも家族ができ、幸せな生活を送っているはずですが、自分は親不孝ものだという感情が拭えません。 そして正直、ずっと死後の希望を持って育ったので、今となっては死後の世界が怖いです。 どうしたらこの気持ちを整理できるのでしょうか。。 教えていただけると嬉しいです。
生きている時の怒りや苦しみ、辛さは、あの世にいっても続くのでしょうか? 私は父が生存中に、酷いこともしました。 やられたら、やり返す。そういう感じです。 父の死後もその事に悔いが残っています。 思いついた時や毎朝、仏壇の中の父に「ごめんなさい」と思ったり、手を合わせています。 けして許してもらおうとは思ってはいません。恨んでいるなら、それでいいし、どんな天罰も構いません。 ただ、父が死後の世界、あの世で穏やかにいてほしい。そんな想いで質問をさせていただきました。 お忙しい中、大変恐縮ですがご回答をお待ちしております。 よろしくお願い致します。
手元供養についてお伺いします。 私は、物には大切な人の魂のカケラがこもっているという信念に近い想いがあり、幼少より物に対して強い依存心を抱いて育ちました。 そんな私にとって、遺骨は故人を偲ぶ一番のよすがで、両親や愛犬が亡くなったらアクセサリーに埋封して肌身離さず手元供養したいと願っております。 ただ、両親は手元供養には強く抵抗があるようです。 愛犬に関しましては、好きなようにしていいと言ってくれるのですが、自分たちはきちんとお墓に埋葬してほしいと言われています。 勿論、手元供養をする場合には、自分が亡くなった時の事も考えて最後は土に帰れるよう遺書に書き残すつもりですが、両親はそれでも絶対に嫌だと言います。 遺骨だけでなく、遺髪を手元供養する事も拒否されました。 この状況では、やはり、両親の想いを無視して遺骨や遺髪を手元供養する事は許されない事ですよね… また、上述しましたように、愛犬に関しては手元供養しても良いよと両親は言うのですが、そもそも手元供養する事で愛犬の魂を苦しめるような事はありますでしょうか? 以前聞いた話で、手元供養をすると、その時土に帰れなかったお骨のせいで、輪廻転生の際に身体に不具を負って生まれてくる事になると聞きました。 最後は自然に帰れるようにするつもりとは言え、やはり、両親はもとより愛犬も手元供養しない方が良いのでしょうか? 両親に関しましては、日常使っていた物などが形見として残りますので、手元供養がダメならば形見を両親を偲ぶよすがと思おうと思うのですが、愛犬に関しましては、普段身につけているものは首輪くらいで、それはおもちゃなどと一緒に火葬してあげたいと思っており形見がほとんど残らないため、遺骨がダメならば遺毛を少し頂いてそれを手元供養できればと思っているのですが、それも許されないでしょうか? どうか、ご教示頂きたく、宜しくお願い申し上げます。
3歳の頃からピアノを習っていました。その頃からいつだって私の一番は音楽でした。 しかし、同じ時から「音楽だけで食べていける人なんて一握りだから(私はそうではないから)」と自分と家族に言い続けていました。ピアノ教室にはその後十数年間は通いましたがプロを目指そうとしたことはありませんでした。どういう理由でそんなことを言い始めたのか自分でもわかりません。ただ時々、音楽家になれない自分の苦しみを家族のせいにしたくなった時は、「幼いながらに家庭の経済事情を慮ったからではないか」と考えます。 映画と美術品と文学も好きです。そして、それらを創作する人々にどうしようもなく憧れています。 この質問のタイトルの「芸術家」について、「創作活動と表現活動が生活の一番大きな部分を占める人」と私なりに定義してこの名称を使いました。私はそのような人ではありません。今は大学の勉強、卒業すれば(今のままならおそらく)会社勤めを中心とした生活を送り、趣味で芸術に触るだけの人になるのでしょう。 「音楽だけで食べていける人なんて一握りだから」という呪いを無意識に自分にかけ続けてきた。それが呪いだということにも今更気がついて、残っているのは後悔だけ。 そして現在は、「音楽だけでは食べてはいけていない人」を見つけては自分を慰めています。自分からその人たち世界に飛び込むこともしない。私は醜いです。 音楽を、映画・美術・文学に置き換えても同じです。毎日、毎分毎秒、芸術を追いかけて、新たな芸術に出会うたびにそれを愛して、同時に「自分には創り出せる代物じゃない」と泣き喚く。 悲しくて悔しくて恥ずかしくて苦しいです。しかし芸術への執着に折り合いをつけたい訳でもありません。 ただ、こんな無様でみっともない人生ならさっさと幕を下ろしたいです。 この質問を書き込んで、これからも芸術を一番に愛します。芸術家になりたいなりたい、なれないなれないとどうしようもない事柄を嘆き続けます。自殺に失敗するようなリスクは取れない臆病者のまま生きていきます。
現在、京都の佛教大学に通ってます。浄土宗の教義を勉強しております。家の仏壇や大学の礼拝堂で、半年間ほど開経偈から真身観文までの助行と本願念仏を唱えてきました。 しかしながら、阿弥陀仏の浄土の存在と死後浄土へ往生できそうだという手応えを一度も感じることができず、今は念仏をやめてしまいました。 例えば、自転車に乗る練習を何回かすれば乗れる手応え感じるはずです。 しかし、念仏に関してはそれが無いのです。 善導大師や遊蓮坊園照は証覚を得たと言います。私も手応えを得れば、今後の人生を明るく有意義に暮らせるとおもいます。 念仏をされてるお坊さんで、浄土の存在と死後往生できそうだという手応えを得てる方はおられますか?それともやはり、極楽浄土は絵空事のフィクョンなのでしょうか? よろしくお願いします。
義母の死後、兄弟から位牌分けを希望され菩提寺にお願いし御霊入れをしていただきました。 法要やお盆などはどのようにしたらよいのでしょうか。
今すぐに死ななければならないのですが怖くて死ねません。死後の世界などないのは分かっていますが死ぬのが怖くなくなるような話はないでしょうか。
今のままで何もしなければ死後は地獄でしょうか? 何かすると地獄を免れることができるのでしょうか? 念仏を唱えるだけで免れるとは思えないのですが、それはなぜでしょうか?
高校生の頃いじめを受けて、勉学に支障をきたすようになり高校を中退しました。その後社会に出て働きお金を貯め、勉強をして専門学校に合格しました。 その専門学校も、家庭の事情で住まいと交通手段が確保できなくなり休学していましたがこの度、退校することになりました。 今後も通えるようになる見込みがないからです。 私が学びたかったことは専門性が高く、実技も含まれるため独学に向きません。 私は、学びたいことを学ぼうとすると何かしら邪魔が入る星の下にでも生まれたのでしょうか?もうウンザリです。 生きてることすら辛い。早く死んでしまいたい。 そこで質問です。 死後の世界は一体どんな世界なのでしょうか。今ある肉体から解放されて、自分を生かし続けるという苦しみから逃れられるのでしょうか?
結婚を目前に婚約者が病気になり、当初は治りやすい種類だからと言われましたが闘病虚しく亡くなりました。 闘病中彼が寂しい、近くにいてほしいというので仕事も休み最期の時はつきっきりで看病しました。でも、死後に彼が婚約前浮気していたことがわかりました。 ショックでしたが、彼も私のことを愛してくれていたと信じたいです。それとも私はただの都合の良い女だったのでしょうか? 2つの気持ちの板挟みで、答えが出ずとても苦しいです。どうすればこの苦しみはとれますか? そんな彼でも、私が天国へ行ったとき彼に会いたいです。でも彼はとてもステキな男性だったので、天国では私のことなど忘れてしまい、待っていてくれないでしょうか…
自殺したら地獄行きですか?ネットやハスノハでは自殺したら即地獄行きであるという書き込みを見かけます。私は自殺はある意味他殺と取れると思います。またある意味病死とも取れると思います。大切な友人を自殺で亡くしました。その後が心配です。教えてください。
僕は死後天国へ行きたいと思っています。天国に行くにはどうすればいいですか?逆に地獄に落ちないためにはどうすればいいですか?あとお葬式をしないと地獄に落ちてしまうのですか?
生きてる時の未来にはワクワクしません。 死後の世界を想像するとワクワクします。 きっと私は生きることには向いてないんだと思います。 お坊さん、ごめんなさい。
去年7月に6年一緒に住んでいた彼氏が自殺しました。亡くなってから、毎日逢いたくて、寂しくて、日々泣いていました。 彼氏は、成仏したのか、まだ側に居てくれてるのかなぁ。とか色々考え、死後の世界の事や魂について知りたくて、何冊も本を読みました。でも、自殺した人の魂について書いてる本は、ほとんどなく、病死や年老いて亡くなった魂についての本が多いんです。何か、自殺した人の魂について書いてる本があれば、教えてもらえないでしょうか?自分でも、何をしたいか分からないんですが、そういう本を読んでると、彼氏を近くに感じれて安心するんです。何か、良い本があれば、教えてください。