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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 」
検索結果: 5031件

ある僧侶の死

前回の質問時に生じた質問です。 もう何年前のことだか正確に覚えていませんが・・・ある日のこと、前途ある若き僧侶が殺害されました。夜間、路上で危険行為をしていた青少年らを注意したところ、逆上した彼らに暴行され、その末に息を引き取ったそうです。 当時、この報道を偶然テレビで観ていた私はとてもショックを受けました。僧侶という特殊な立場の人が犠牲になったことや、私個人のそれまでの想いや経験とも重なったのでしょう。暫く、忘れられませんでした。けれども、年を経るごとに少しずつ忘れ、思い出すこともなくなりました。しかし、数年前にお坊さんが書いたあるエッセイを読んだ時、一気に思い出したのです。 そこには偶然にも、あの事件のことが書かれていました。もちろん、実名などの記載はありませんでしたが、私はフラッシュバックのように、当時、テレビに映し出されていた事件現場を思い出しました。どこにでもありそうな人気もまばらな夜間の風景、暗い夜道と街頭、街頭に照らされた白いガードレール、記事を読む女性アナウンサーの声。 筆者と被害者の男性は、修行道場で先輩・後輩の関係で、男性は修行を終えて実家のお寺に帰った後に急死。彼の父親であり、師匠でもある住職は、葬儀の挨拶の中で、こう述べたそうです。 「それでも、許さないといけないのでしょうかね・・・」 仏教の教えでも、何であっても、人は皆平等で、言動には大なり小なり理由があります。加害者となった青少年らにも、殺意があったかどうかはともかく、腹立ち紛れに暴力をふるった原因や理由がそれぞれあるでしょう。しかし、だからと言って許せるかどうかは、また別の話。けれど、許すか諦めるかしなければ、生きている限り、苦しみ続けなければならない。また、こういったことが二度と起こらないように、暴力事件の被害者の方々が活動しておられますが、その活動は別として、果たして、彼らに救いはあったのでしょうか。 「許す」って何なんでしょう。諦めたら救われるのか・・・ただ、どうしようもない「ままならぬのが人の世だ」と分かっただけではないのか・・・「救い」って一体、何なのでしょうか。

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自死について

私は難病に罹患しており毎日その症状と向かいあっております。 『治療法は残念ながらありません』とドクターに言われても痛みに耐えられないので何度も病院に行き、せめて症状を緩和する方法や薬などないかドクターに聞くと。 『だから難病なんですよ』と言われてしまいました。 口腔内の痛み 鼻の痛み 喉の痛み 舌の痛み 気道の痛み 呼吸をするたびにドライヤーの風を吹き付けられているような症状等々。 痛み止めは効かないです。 痛みと苦しみがエンドレスで半永久的な辛さで少しずつ進行しております。 気が遠くなるような長い闘いですが頑張ってきました。 毎日24時間続く痛みを緩和する方法はないか自分なりに試行錯誤して工夫して来ました。 西洋医学だけでなく東洋医学も試しました。 この難病を受け入れて上手く付き合っていこう。と夫と子供達にも励まされ一日一日を頑張って生きてきました。 現代の医学をもっても『この痛みを緩和する方法はない』と言われても、私はあきらめず自分自身で色々な事を試しましたが痛みを緩和する事ができませんでした。 自ら命を経つのは良くない事だとは分かっています。だからこそ家族の為にも今まで病気と向き合いながら生きてきました。 私も本心は家族と別れたくはありません。ずっと一緒に居たいです。 しかし最近はあまりの痛みに、死んだらこの永遠に続く痛みから解放されるのかもしれない。痛みのない所に行きたいのです。 家族と一緒に居たい自分がいるのに、痛みの支配が大きくて痛みには勝てません。 自ら命を経てば阿弥陀如来さまに地獄に落とされますか? 現世では難病でこのような日々を過ごし。 来世もまた地獄に行きますか? どうかお教え下さい。

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2024/08/30

愛犬の死

先週末に愛犬を亡くしました。 週末は義母を温泉の一番風呂に連れていくのが夫婦のルーティンになっており、その日も行けるよ。と義母に伝えていました。 夜泣きをして体調がよくなさそうだった犬のオムツ交換の際、酷い出血があり、「朝一で病院に行ったほうがいいかな?温泉に行くと伝えてしまったけれど」と夫に相談したところ、「温泉の後でもいいんじゃね?」と言われ、犬も夜通し鳴いていて眠そうでもあったので、その時できる処置をして様子を見ることにしました。 お昼にもう一度見て、朝と状態が変わっていなかったので、夕方からの診察に行くことにしました。診察に行く際、犬の体から力が抜けていて、車の中では息も絶え絶え、診察台にあがったときは先生に「亡くなっている」と言われました。 亡くなって数日、寿命だったんだ、と受け入れている自分がいますが、あのとき犬の診察よりも義母の温泉を優先させるような、犬の命を軽視したような発言をした夫に怒りがわいてきます。 朝一で病院に行っていても結果は同じだったのかもしれませんが、なぜそこで「私がすぐに連れて行く!」という風にならなかった自分にも腹が立って仕方ありません。 週末が来て、義母の温泉通いは続くと思いますが、義母を温泉に連れて行くたびにこのことを思い出して嫌な気持ちになってしまいそうです。

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死にたくないのに死について考えてしまう

何故だか、死について考えてしまいます。 死を選んでしまいそうで、怖いのです。 私は心療内科に通っており、一人で遠出するのもかなり緊張してしまう状態です。症状が酷いときはお薬を飲んでしのいでいますが、『いい歳して、ろくに外も歩けないのか…』と思うと、苦しくなります。 苦しい気持ちはありますが、私自身、非常に恵まれた環境で生きていると思っています。一度メンタル面で体調を崩し退職したものの、現在はなんとか仕事に就けています。両親も健在。家庭環境や人間関係に困っていることもありません。傍から見れば、何一つ不自由のない生活だろうと考えています。 ですがある時、ふっと頭に『死にたい』という言葉が浮かびました。 自分でも非常に驚きました。年金もらうまで死ねない!なんて思っていたはずなのに。自殺についてなんて、少しも考えたことがなかったのに。 しかしよくよく考えてみれば、私には資格もなければ趣味もありません。なんの取り柄もない人間だと思います。心の奥底では、そんな自分に価値がないと思っている気がします。 決して死にたくはないのです。ですが気分が落ち込んで、今ではうっかり死を選んでしまいそうです。自分がコントロールできなくなるような気がして、恐ろしくて仕方がありません。 自分の中に生と死の2つの考えが頭から離れず、どうしてもソワソワしてしまいます。 私はおかしくなってしまうのでしょうか。どうしたらいいのか分かりません。 生きる知恵、良い考え方を教えて下さい。しっかり生きて、人生を楽しみたいです。 うまくまとめられず読みにくい文章になってしまいました、お許しください。

有り難し有り難し 3
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認知症による安楽死について

友人の祖母が認知症になりました。 小さい頃、何度もお会いしたことがありますが、とても快活な気持ちの良いお婆ちゃんでした。 なのに、今は友人を財布の金を盗む泥棒と呼び、暴れるのだそうです。 お婆ちゃんっ子だった友人から笑顔が消え、愚痴が増えました。 その愚痴を聞くたびに私は「お婆ちゃんが早く死んだらいいのに」と考えてしまいます。 お婆ちゃんに恨みは全くありません。 しかし、友人の中の大好きなお婆ちゃん像が崩れていくの事にやるせない思いでいっぱいです。 この様な考えが頭をよぎる私は心がねじ曲がっているのでしょうか? 自分は認知症になる前にどんな方法でもいいから死を選びたいと本気で考えています。 家族に迷惑をかけたくないという気持ちと自分の尊厳を守りたいという気持ちからです。 (死ぬ事で家族に迷惑がかかるという意見がありますが、それを承知の上での考えです。) 自分が老人になる頃には安楽死制度が充実していて楽に死ねたら良いのにと考えているのですが、この様に考える事は人の道に反している思想なのかもしれません。 キリスト教においては自殺はとにかくNGですが、生が延びきっている現代においてその理由がどうしても理解ができません。 仏教に従事する皆様は自殺や安楽死についてどの様にお考えなのでしょうか?

有り難し有り難し 14
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2022/10/28

死を考えています

数年前まで、都内で母方の親族が経営するメーカーで事務職に就いていました。 実家は愛媛県ですが、会社所有の土地や不動産があり、その会社と強い結びつきがあります。 親族は、複数おりますが、会社経営に関わる親族と、そうでない親族がおり、ずっと対立が続いていました。 叔父や叔母、従兄弟たち経営陣たちからは、対立する親族と関わらないよう言われていました。 それなのに、その対立する親族と接点を持ってしまったり、両親を敵に回すような態度をとってしまいました。 そうして、私は経営者である叔父や叔母だけでなく、縁故採用のきっかけとなった母を裏切るような行動を取ってしまい、家族や親族からの信用を失いました。 会社の従業員の人たちとの人間関係にも悩み、心療内科に通っておりましたが、経営者親族や両親ともコミュニケーションがうまくとれていなかったため、メンタル不調を理解してもらうこともできませんでした。 その結果、任されていた会社の経理の仕事もうまく勤まらなくなりましたが、鬱の治療を受けたり、休職願いを乞うこともできず、そのまま自己都合退職してしまいました。 東京から愛媛県の実家に戻りましたが、親からは家を出て行けと言われ、唯一の頼りだった身内との繋がりも失い、途方に暮れています。 鬱の治療もままならないまま、やっと見つけた仕事は、工場での派遣で、福利厚生もありません。 お給料は、親族のメーカーに勤めていた時の方が、遥かに上回っています。 経理というデスクワークに、縁故採用してもらい、手厚い待遇を受けていたのに、経営者親族とうまくやれなかった自分。 東京という街で、キャリアを築くこともできたのに、地方に帰ってしまった自分。 もしあの時、仕事や人間関係に悩んで、経理が手につかなくなっていたのなら、正直に鬱病であることを報告して、休ませて貰えばよかった。 親族間の対立や、両親とのこじれた関係も、うまく距離をとったり、会社での立場と公私混同せずに、自分のキャリアに集中すればよかった。 結果として、家族との繋がり、親族からの信用、仕事、キャリア、出世、全てを失うことになりました。 社長だった叔父は亡くなり、副社長の叔母からは、「顔も見たくない」と言われました。 母も、口を聞いてくれません。 謝っても、泣いても、何も取り返しがつきません。 毎日、死ぬことばかり考えています。

有り難し有り難し 23
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